2015年09月11日

艦これ、夏イベはE6までクリアしました。 (2/2)

 以下、一つ前の記事の続きです。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「やっぱり、望月さんでしたか」

 その翌日の晩、消灯時刻までもうしばらくのころあい。望月が風呂場の扉を開くなり声をかけてきたのは、筑摩だった。

 立ちこめる湯煙の中、望月が声のしてきたほうを見やると、肩まで湯につかりながらにこにことこちらを見つめる筑摩と視線があう。また、そのとなりには腕組みしながらふんぞりかえっている利根の姿も確認できた。

 入浴中の者はこの二人だけであったようで、ほかの仲間の気配は感じられない。ちょうど空いている時間帯にもぐりこむことができたようだった。

「どうしたのじゃ、こんなぎりぎりの時間に。仮眠のつもりがぐっすり寝入ってでもおったのか?」

「そんなところ」

 利根の言葉どおり、望月は昼過ぎに任務から帰還して報告を終えるや、朝から働かされた疲れもあり、つい先ほどまでぐっすりと眠っていた。眠っている暇があれば次の出撃でさらなる戦果をあげれるよう勉強や訓練に励むべきという意見もあるだろうが、望月にしてみれば眠いものは眠いのだからしかたがない。そうして、すやすやと惰眠をむさぼる楽しみにふけっているうちにこの時間というわけだ。

「今からだと、あまりゆっくりしている時間はないのではないですか?」

「わかってるって。お二人さんのほうは……」

「もうじきに出るだけじゃ。おぬしのようにかけこみで入っておるわけではないからな」

 利根の言葉に、望月は自身の計画性のなさを思わされる。だが、欲求が思い通りになるのなら苦労はしない。無計画に行うからこそ楽しめることでもあり、思いがけず時間を取られてしまったぶんにはしかたない面もあるだろう。

「ま、消灯時間までにふとんにもぐりこめればそれでいいんだって」

 うんうんと一人うなずいて、望月は今はともかくと体を洗いだす。

「そう言うお二人さんは、この時間までなにを?」

「なに、少しばかり、筑摩と作戦会議をしておったらな」

「次の出撃に向けて? えらいねえ、お二人さんは。あたしゃ、そういうのはその場の思いつきにまかせてるからねえ」

「おぬしにはおぬしのやり方があろうよ。吾輩たちに吾輩たちのやり方があるようにな」

「利根はそう言ってくれるからありがたいねえ」

 事前に戦いの流れを想定して計画を立てたところで、そうそううまく事が運ぶことなどめったにない。どうせ、思いもかけない方向に転がっていく戦況を、その場に応じて指示を出しながら乗り切っていくほかないのだ。それならば、戦いがはじまる前からあれこれ考えるなど時間のむだというものではないだろうか。

 というのはあくまで建前であり、本音としてはただめんどくさいという以上の理由ではないのだが。

「まあ、おぬしをなまけものと言う者の気持ちもわかる。やればできるにもかかわらず、なにもせぬのがおぬしじゃからな」

「必要に迫られないことはしない主義なの」

 ひらひらと手をふりながら答えると、痛快な笑い声が返された。

「それを必要ないと言いきるのがおぬしじゃな」

「そう?」

 首をかしげる望月に、利根は大きくうなずいてみせた。

「そうじゃよ。やろうと思えば、吾輩もできぬことはないじゃろう。が、吾輩の場合、こやつにつきあってもらうか否かで精度がぐっと変わってくるのでな」

 そう言って、利根は筑摩の肩に頭を乗せる。

「筑摩とともに考えておるとな、吾輩ひとりでは思いつきもせなんだ考えが次々と浮かんでくる。今日もな、ああでもないこうでもないと頭を悩ませておった懸案が、こやつと話すとどうじゃ、なぜあれほどうんうんうなっておったのかと、不思議にすら思えてくるくらいじゃった。まさに、筑摩様様じゃよ」

「そんな……姉さん、私なんてただ話を聞いていただけですから」

「そう謙遜するなというに。うりうり」

 恥ずかしそうに顔をそむける筑摩の首に利根が鼻先をこすりつけるようにすると、筑摩は顔を赤らめて困ったような表情をする。やめてほしいような、もっとしてほしいような、そんな葛藤を思わせる様子だった。

 そんな筑摩に気を良くしたか、利根はさらにうしろから抱きすくめてもみせる。

「ね、姉さん……?」

 おそるおそるといった風情でふりかえった筑摩の耳もとで、利根はなにごとかをささやいた。

「え……えっ……!?」

 その瞬間に、筑摩は目を丸く見開いたかと思うと、これ以上ないというくらいに顔を真っ赤に染めあげた。

「筑摩よ、こうしておぬしを抱えておると、とても落ち着くな……」

「は、はいっ……私も……姉さんのこと、感じられて……安心できます……」

 そう言うが、うわずった声で答える筑摩の様子は言葉とは裏腹にとても落ち着かなさそうだった。

「そう言ってくれるとありがたい。おぬしには、吾輩の気まぐれにつきあわせてばかりじゃからな」

「姉さん……姉さんになら、私……」

 いまや、筑摩はすっかり目をうるませて利根を見つめている。利根はそれを知ってか知らずか、なおも筑摩にべったりと身を寄せてぽつりぽつりとささやいている。

(あれ、いつの間にかあたしの存在忘れられてる?)

 それはそれでかまわないと言いたいところだが、同じ一室でくりひろげられては気になってしかたがない。

 さらには、あろうことか、利根のくちびるが筑摩のそれに近づきだしたように見えてきて……

「おーい、お二人さん。仲がいいのはけっこうだけどさー」

 そっと声をかけると、はっと気づいたらしい筑摩はすばやく利根から身を離し、浴槽の隅まで逃げていった。

「も、もう……姉さん。あんまりからかわないでください」

「むう。半分は本気だったのじゃが……」

 ぷいと背を向けた筑摩を、利根はしばし未練がましく見つめていた。しかし、耳まで染めた顔もそのままに、気持ちを落ち着けるべく深呼吸をくりかえすその様子から、それ以上のむりを悟ったらしい。

「まあ、よいか。そんな雰囲気でもなくなってしまったしの」

 そう言いながら、利根は望月に抗議じみた視線を向ける。

「いやいや。あたしが悪いみたいな言い方しないでくれる? あたしがいるって知ってたじゃん?」

「この落とし前、どうつけてもらおうかのう」

「あたしの感じた気まずさとで帳消しってことで」

 なおも冗談めかしてあれこれと言ってくる利根を無視して、望月は頭から湯をかぶる。

(まったく……利根ってば、自分が筑摩にどう思われてるかわかってるくせにさ)

 どこかずれたところのある利根をしっかり者の筑摩が補佐して成り立っているように見える二人の関係だが、その実、筑摩のほうが利根のことをほとんど敬愛しているといってもいいほどに慕っているのだということを、望月は知っている。利根の言うことならば筑摩は一も二もなく信じこむことだろう。ましてそれが、自身への愛情の表れであるとなれば、舞い上がらんばかりになってしまうだろうことも、容易に想像がつくはずだった。

 それにもかかわらず、望月のいる前で、正確なところはわからないが、どうもそんな言動を取ったように見える。それは、利根の目的がそうして動揺する筑摩の様子を楽しむためであることの証のようなものだろう。

(千歳と千代田ならともかく、利根が筑摩をどうこうしたいなんて思ってるとは、ちょっと考えられないもんね)

 その考えを肯定するように、二人はやはり、仲のいい姉妹としての姿を見せている。

「すまぬな、筑摩。吾輩のひと言ひと言にころころと表情を変えてくれるおぬしが可愛くてのう」

「いいんです。姉さんが満足できたなら、私は、それで……」

「そうだ、筑摩よ。明日……はむりか。ならば明後日、またどこかともに散策でもしようではないか」

「そ、そんなに気をつかっていただかなくても……」

「なに、ここのところ、任務やら提督の手伝いやらで、おぬしとゆっくり過ごす時間も取れておらなんだからな。その埋め合わせもかねてだと思ってくれ」

「私は、本当に大丈夫ですから……でも、姉さんが言うなら、喜んで」

 そのまま、二人は和やかな雰囲気で話しだす。そこには、気を許した姉妹ならではの気安さが感じられた。

(そうそう。ああいうのがあの二人らしいやりとりだよね)

 いつもの二人による安心できるやりとりを聞きながら、望月はふと思う浮かんだことを聞いてみた。

「そういえば、筑摩ってばすっかり元気そうじゃん。一時期は気落ちしてたみたいだったけど、もう大丈夫になったの?」

 そう聞いてみると、筑摩は申し訳なさそうに頭を下げた。

「その節は、望月さんにもお見苦しいところをお見せしました。ですが、このとおり、もうすっかりよくなりましたので」

 利根のとなりではきはきとしゃべる姿からは、今にも泣きだしそうな顔で利根の姿を探し求めさえした、当時の影はどこにも見えない。

「うんうん。やっぱ筑摩はそうでなくっちゃ」

「じゃが、今から思えばあれはあれで、なかなかに捨てがたいものがあったのも確かなのじゃ。吾輩にひっついて離れようとしなかった筑摩は、いつにない可愛さがあってのう」

「……おまえさんは、どうしてそう、人の気も知らずに言いたいことを言ってくれるかな」

 せっかく安心できた気分をぶち壊しにしてくれる発言に望月ががっくりと脱力感を覚えていると、利根はしばらくして呵々と笑ってみせた。

「なに、冗談じゃ。吾輩のいたらぬところを助けてくれるのは、しっかり者の筑摩をおいてはほかにおらぬからの」

「姉さん……」

 ざれ言めいたひと言にも、筑摩は静かに感激しているらしい。利根はそんな彼女に肩を組むように腕を回し、ほおを寄せながら言う。

「まあ、それはそれとして、ふだんはしっかり者なおぬしにあれこれと世話を焼くというのも、なかなかに貴重で楽しい時間だったものじゃ。そう思わんか、望月?」

「いや、なんでいきなりあたしにふってくるのさ」

 唐突に目を向けられた望月は、体を洗う手はそのままにあきれた声を返した。

「おぬしがよくわかっておらぬようなのでな。吾輩がこやつの愛すべき美点をみっちりと伝えてやらねばと思って」

「それを伝えられてどうしろと?」

「おぬしにもこやつを愛でる権利をやろう」

「本人を横目になに言ってんのさ。筑摩も、横暴な姉さんになにか言ってやったら?」

「わ、私は……姉さんがそれでいいと言うのでしたら……」

「ああ、そう……」

 姉も姉ならそんな彼女を一心に慕う妹も大概であったという事実を前に、望月はそれ以上かける言葉も見つからず黙りこむほかなかった。

「うむ。こうして素直なこやつも可愛いものじゃが、あのころのあやつは、それはさびしがり屋でな。少し出かけるにもともにでなければいやだとぐずり、こっそり出かけるたびになじるように吾輩に泣きついてきたり。それはもう吾輩の手を焼かせてくれたものじゃ」

「あのころは、本当にどうかしていました……」

 しみじみと語る利根の言葉に、筑摩が真っ赤になりながら頭を下げる。しかし、利根はそんな筑摩を安心させるように軽く肩をたたく。

「なに、過ぎた話じゃ。それに、あれもあれで新鮮な感覚を得られて、よい時間じゃったと思っておるのじゃ。のう、望月?」

「まあ、利根がそう思うんならそうなんでしょ」

 気のない返事を返すと、利根はうんうんとうなずいて話をつづける。

「それにな、そうしておぬしのわがままにつきあうのも、吾輩はいやではなかったよ。なんせ、ふだんは自分を抑えて吾輩を助けてくれることに気を割いてばかりのおぬしじゃ。そんなおぬしからはっきりと望むところを告げられたと思えば、吾輩はむしろうれしいくらいじゃったよ」

「そんな……。姉さんは、私なんかのために手をわずらわせる必要なんてないんです。そんなことをするよりも、その手間でもっと、皆さんのお役に立つことができるはずなんですから」

「筑摩よ。そうやって自分のことを卑下しすぎるのは、おぬしのよくないところじゃ。おぬしとて、吾輩と同じ、皆の前に立つ教導艦なのじゃぞ」

「いいえ。姉さんは、私なんかとはなにもかも……格が違うんです。私なんかを姉さんと同格に据えるなんて、それこそ姉さんへの侮辱です」

「頑固なやつじゃのう。吾輩がいかんと言うておるのに」

「いくら姉さんのお言葉でも、こればっかりは同意できません」

(ほんと、変わんないよね。この二人は)

 自分が長月とのことでいやになるくらいの変化に直面しているだけに、変わらない関係を感じさせてくれるやりとりは、聞いていて安心できるものがあった。

 二人の仲のよさに感謝しながら、望月は体を洗う手をのんびりとしたものに変えていく。二人の話し声を背景に、思わず鼻歌のひとつも歌いだしそうな気分だった。

 しかし、そんな気分をぶちこわしてくれたのは、またしても利根だった。

「まあそれはまたおいおい言い聞かせてやろうかのう。つまりな、望月。ふだんわがままを言わぬ者が自分にだけそれを向けてくるというのは、それだけ気を許されておるということなのじゃ。これをうれしく思わないでなにを喜ぶのかと、そう思うじゃろう?」

「あれー? なんでまたあたしに声がかかるかな……」

「うん? なにか言ったか?」

「いやいや。ほんっと、そうだねーって」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

 ほとんど棒読みに近い望月の言葉に、利根は得意げにうなずいてみせる。

「それにな。あのときの、助けを求めるように吾輩に向けてきた目。あれはまるでいとけない小児のようでな。あれを向けられて、頼みを聞かぬ者はおるまいよ」

「そ、そうなんですか。それじゃあ、今度、姉さんになにかお願い事をするときにでも……」

「おぬしになら大歓迎じゃ……が、あれほど真に迫った表情は、めったなことではできぬと思うがの」

「そうですね。あのときは、本当につらかったですから」

「……」

 つづく二人の会話を、望月は黙って聞いていた。

「うむ。あれはまさに、叫ぶように救いを求める表情とでも言うのじゃろうか。あれを目にしてはな……。なまじふだんがしっかり者であるだけに、その手を取らぬわけにはいかなんだよ。そうしなければ、おぬしはどうなってしまうのかと、こわくなってしまった」

「そう、ですね。私も、姉さんがいやがることなくそばにいてくれなかったらどうなっていたかと、今考えてもおそろしくなります」

「吾輩が、おぬしを見捨てたような形になってしまったばかりにな……」

「いいんです、姉さん。私のことなら、もう大丈夫ですから」

「うむ。じゃが、吾輩は、おぬしのことを深くかえりみることなく自分の気持ちにばかりこだわってしまったあのときの吾輩を、いまだに許すことはできぬのじゃ。取り返しのつかぬことになっておったらと、今でも思い出してはこわくなるくらいなのじゃ」

 そう言って、利根は湯につかっているにもかかわらずぶるりと体をふるわせる。

「姉さん……」

「あー……」

 つぶやくような言葉が、望月の口からもれた。気づけば、体を洗う手はすっかり止まっている。

「うん。あー。そっか。なるほどねー」

「どうかしたか、望月?」

 首をかしげながら問いかけてくる利根の言葉にもすぐに答えることはせず、望月は湯をかぶって体についた石けんの泡を洗い流す。

(あんまり熱いのは苦手だけど、今日ばかりはありがたく思えるね)

 ぴりぴりと、肌に刺激が走る。熱い湯の感触に打たれるたびに、乱されていた思考の波が研ぎ澄まされていくように感じられた。

(思えば、あの利根が、いきなりわけわかんない話をはじめたのがあやしかったんだよね……)

 ひとしきり湯を浴び終えると、望月は手早く肌にはりついた髪をまとめていく。

 そうして、横目でにらむような視線を利根に投げつけた。

「ねえ、利根。どこまで知ってんの?」

「なんのことじゃ?」

 利根は白々しくもそう答えてのけた。

「とぼけんなっての。さっきから、ずっと、あたしと長月のこと当てつけてしゃべってたんでしょ? いいかげん気づくっての」

 そう問い詰めると、ようやく気づいたかとばかり、利根はにやーっと笑ってみせた。

 その表情、今この場でなされたやりとりを考えあわせると、同室の仲間たちのようにうわさ程度の情報で話をしているのではないと思えてならなかった。異常なほどに察しのいい利根のこと、なぜかこの件にくわしいらしかった司令官以上に正確な内情を知られていると、想定するべきなのかもしれない。

「うむ。うむ。まさにそのとおりじゃ」

 利根はその場で立ち上がり、腕組みしながら望月を見下ろす。

「今でこそ、こやつはこうして元気にしておるがな、一歩間違えば取り返しのつかぬことになっておったやもしれぬ。その一方で、長月はどうじゃ? あやつもまた、おぬしにもたらされた苦しみを、抱えきれずに助けを求めておる。その手が伸ばされておるのは、ほかのだれでもない、おぬしなのじゃ。おぬしは、長月が今、どれほどまでにみじめにあがかねばならなくなっておるか、わかっておるか?」

「それぐらい、わかってるっての」

 長月の話を持ち出されたのが面白くなくて、望月は声を荒げて言い返した。しかし、利根がこちらを見すえる目はゆるぎない。

「いいや、わかっておらぬ。わかっておれば、長月の名を出したとたんに不機嫌に耳をふさぐような態度など取っておれようはずがない。おぬしが最後に長月を目にしたのは、いつのことじゃ? おぬしが最後に長月と向き合ったのは、いつのことじゃ?」

「最後に口をきいたのは一昨日のことだよ。それがどうかしたって?」

 その日も、長月はそれまでどおりに甘ったれた態度でこちらの顔色をうかがってくるばかりだった。向き合うもなにも、反省の色もなくこちらの助力を当てにしているのが見え見えの相手に、どうして冷静に顔をつきあわせることができるというのか。

 そうして怒気を募らせる望月を、利根はまるで哀れむように見つめるばかりだった。

 望月がなにか言い返してやろうかと口を開きかけたとき、それよりも早く、利根は小さく息を吐いてぽつりと言った。

「くれぐれも、後悔は残さぬようにしておくがよいぞ」

「……どういうことさ」

「ここで皆と過ごしておれるのも、永遠ではないということじゃ」

「そんなこと……」

 わかっていると、言おうとした。しかし、利根がこうして言ってくるからには、それは本当に残り少ない時間なのかもしれない。司令官はそんなそぶりを見せてはいないが、ひょっとすると、そのうちに本格的な反攻作戦が計画されていることを、利根は察知しているのかもしれない。

「利根は、なにを知ってるってのさ」

 たしかめるべく聞いてみたが、利根はなにも答えず、筑摩をうながして静かに脱衣所へと歩いていくだけだった。

(いったい、なんだってのさ……)

 脱衣所のほうでは、筑摩となにやら話しているらしい声が聞こえてくる。その内容までは聞き取れないが、なにやら冗談を言いあっているようで、和気藹々とした雰囲気が伝わってくる。

(長月が、どうしたって……?)

 たしかに、望月はここ最近、長月を視界に収めるのも腹立たしく避けつづけてきた。しかし、だからといって、あの長月がそうそうどうにかなってしまうはずがない。利根はいったいなんのつもりであんな話をしてきたのだろうか。

 それに、と望月は思う。

(あたしと長月がどうなろうが、利根には関係ないじゃんか……)

 仲間たちの団結の面から考えて、みなの仲がいいに越したことはないだろう。しかし、決定的にこじれてしまった間柄の者同士がいたところで、それならそれでいくらでもやりようはあるはずだった。

 まったくもって、利根の思惑はつかめない。それがむかむかと腹立たしい。

 握ったこぶしは、知らぬ間にぷるぷると震えるほどに力強く握りしめられていた。気づいてそっと開くと、真っ白になった手のひらに爪のあとがくっきりと形を残しているのが、否が応にも目についた。

 そうこうしているうちに、二人は部屋へと去ったらしい。いつしか、脱衣所のほうからは人の気配が感じられなくなっている。

 そこで、望月はようやく、自身が裸のままその場に立ちつくしていることに気がついた。

「うぅ……寒い」

 風呂場とはいえ、真冬の冷気にはかなわない。望月はひとつ大きく体をふるわせると、ちゃぷんと湯船にその身を沈めていった。

 体の芯からあたためてくれる湯の心地は、つまらない考えなど吹き飛ばしてくれそうな快さであった。しかし、先ほど利根にいいようにやり込められてしまったくやしさだけは、どうあっても消えてくれそうになかった。

「うっとうしいなぁ……」

 湯気の立ちこめる宙空に向けて、望月はぼそりとつぶやいた。


 風呂から上がると、望月は押し黙ったまま宿舎の廊下を歩いていた。

 さっと湯につかる程度で不愉快な気持ちが晴れようはずもなく、またそれだけの時間もなく、ふたたび寝入ろうとしていたはずの気分はいらいらと落ち着きをなくしていた。

(長月がみじめったらしくしてるって? そんなの、こちとらとっくに見飽きるぐらいに見てきてるんだっての)

 頭の中では、先に言いこめられた利根への反論がうず巻いている。しかし、どれだけそれらを並べてみても、十分だと思うことはできなかった。それどころか、考えれば考えるほど、脳裏に浮かんでくるのは自らがひきだしてきた長月の表情の数々だった。

(今ごろ、どんな顔してる……?)

 そんな考えを浮かんだ端からけとばしていきながら、望月はずんずんと歩を進めていく。

 そのつもりだったが、その足はしだいに速度をにぶらせ、足取りを迷って前への動きを止めかけては、それをふりきるようにまた乱暴に歩きだす。そんなことをくりかえしながら、やっとのことで上階へとつながる階段の前にたどり着く。そこで、望月は立ち止まった。

(利根に言われて気になったの? ばっかみたい。ほかのやつらから言われてきたこととほとんど違わないってのに。ここで様子を見に行ったら、それこそ思うつぼじゃんか)

 あごに力をこめて顔を上げようとするが、視線は自らの意志による制御を離れたかのように、正面ではなく資料室のほうを求めてさまよいだす。

(あんだけ好き勝手言われて、なんで言いなりになるみたいなことしなきゃいけないのさ)

 長月のことなら、ひと月やふた月くらい目を離していたってお見通しなくらいに知り尽くしてると自負しているのは、ほかでもない自分なのだから。

 そう言い聞かせてみるも、ひとたび気になりだした心はその程度の説明ではまるで休まらないほどに動揺してしまっていた。

「ああもう。これだから長月は……」

 ぶつぶつとこぼしながら、望月はくるりと方向転換して歩みを再開する。

 しかしその向かう先は、資料室ではなかった。

「体冷えちゃうけど、気晴らしにはなるっしょ」

 望月が足を向かわせだしたのは、宿舎の外だった。

 資料室から逃れるように、望月はうしろをふりむくことなく早足で距離を取っていく。就寝前のにぎやかさが徐々に無機質な波の音にとって代わられていくのが、今はありがたかった。

(あっち行っても、こっち行っても、長月のことばっか。ほんと、いやんなる)

 それほどにみな、長月のことを気にかけているのだろうか。だとしたら、情けない一面ももともと持っていた側面のひとつにすぎないと、どうしてわからないのだろうか。そして、それでもおそろしいほどの執念で追いすがってくるのが長月なのだと、どうしてだれもかれも信頼できないのだろうか。

(そんなにひどいことになってるっての? ないない)

 浮かんだ考えを鼻で笑ってうちはらう。

 しかし、頭が冷えてくるにしたがってその自信も揺らいでくるのは、先ほど長月のことを言いだしたのが利根であったという事実だった。

(そりゃ、長月に関してはあたしほどじゃないだろうけど……)

 ときにぞっとするほどに人の心理を見透かしてみせる仲間。その言葉を冷静に考えれば考えるほど、気になってくるのはしかたがなかった。

(明日あたり、ちらっとだけ確認してみる? けど、やっぱり……)

 それではこちらからつきはなした手前、格好がつかないではないかと思えてしまう。悪いのは長月のほうなのに、自分から折れるような行動をとるのはひどくためらわれるのだ。

 なにか、そんな心と折り合いをつける方法はあるだろうかと考えながら、望月はあてどなく夜の島を歩いていた。

 そうしているうちに、知らず港のほうへと向かっていたらしい。気づけば、なにやら人の声が聞こえてきだしていた。

(そういえば、これくらいに帰還予定があったっけ)

 部隊にだれがいたかまでは覚えていないが、なんにせよ今の望月はだれかにつかまるよりも一人でいたい気分だった。

 しかたないと、道を変えようとした。が、聞くともなしに聞いていたその声からは、しだいになにか言い争っているらしい雰囲気が感じられだした。

(なんだろ?)

 望月は静かに彼女たちに近づいていく。一歩一歩と足を進めるたびに、言いあう声は明瞭になっていく。なにやら、怒りくるっている仲間と、必死に謝りたおしている仲間がいるようだ。

 さらに距離を縮めていけば、しだいにそれがだれかもわかってきた。

「え……?」

 望月はつかのま、自身の勘違いを疑った。しかし、どれだけ聞いてもその推測が覆ることはない。

 聞けば聞くほどに、その声は摩耶と長月にしか思えないのだった。

「うるっせぇな! もうてめえ一人でやってろっつってんだろうが!」

「頼む、摩耶。おまえまで、私を見捨てないでくれ」

 顔も見たくないとばかりに荒々しくその場をあとにしようとしている摩耶と、必死にそれにすがりつく長月という構図が見て取れる。周りにいる仲間たちはというと、摩耶のあまりの剣幕に手をこまねいているのか、じっと事態を静観しているらしい。

 それにしても、摩耶はどうしてあれほどに怒りくるっているのだろうか。そして、長月はなぜああもみっともなく摩耶にすがっているのだろうか。

 わからないでいるうちに、なおも二人のやりとりはつづけられる。

「てめえみたいなぼけに、これ以上つきあいきれるか!」

「申し訳ない。このとおりだ。足りないなら、殴ってくれてもかまわない。今の私にはおまえたちの協力が必要なんだ」

 長月はほとんど四つんばいになりながら、何度も頭を下げる。夜闇で表情までは読み取れないが、手をふりはらわれれば次の瞬間には泣きだしてしまいそうなほどに顔をゆがめているのだろうか。

 それに対する摩耶の答えは、鉄拳だった。

「ぐっ……」

 苦鳴をもらしながら倒れこむ長月。

 摩耶はつかつかと近づいていくと、服の襟首をつかんでむりにも目線を合わさせる。

「言っただろうが。アタシは、強くなりたいんだ。これ以上、てめえのお守りでむだにしていい時間なんて、これっぽっちもねぇんだよ!」

 怒鳴りたてるとともに、さらには頭突きがお見舞いされる。夜の静寂に殷々と残るこだまのような響きと、長月の体が崩れ落ちるどさりという音が、やけに大きくその場に聞こえ渡った。

 摩耶は、しばらく肩で息をしながら、額をおさえて倒れふす長月を見下ろしていた。が、やがて体の向きを反転させると、今度こそその場を去っていく。向かうのは宿舎か、船渠か。いずれにしろ、望月のいる方向へと道を進んでくる。

 そんな摩耶に声をかけるべきかどうかと望月が考えていると、摩耶が背中を向けたためか、静観していた仲間たちがなおも体を起こそうとする長月をとどめようとして歩み寄りだした。

「長月、そのくらいにしておきなさい」

「だが、摩耶が……」

「ああなった摩耶は、少し時間を置かないとどうにもなりません。今は、ほかにできることをするべきでしょう」

 まず聞こえてきたのは、摩耶の同型艦である鳥海の声だった。そして、よく目を凝らしてみると、くわえて加古と青葉も長月のもとに集まっていることがわかった。そのほか、倒れた長月と去っていく摩耶の間で視線を行ったり来たりさせているらしい仲間たちが三人。

 その光景に、望月はどうしようもない違和感を覚えた。帰還した部隊員以外の者がこの場にいる。そのこと自体は、望月自身がいあわせていることを思えば取り立てて気にするようなことでもない。しかし、集まっている三人の重巡洋艦たち、摩耶もあわせて四人になる仲間たちというのは、長月を教導艦からはずせと主張していた急先鋒なのだ。そんな彼女たちが、長月に積極的に近づいている。そこには、なにかのたくらみがあるように思えてならなかった。

「そうそう。今日の長月さんの失敗は、摩耶さんが怒っちゃうのもしかたないくらいのものだったみたいですから。さすがの青葉も、あきれてものも言えません」

 ふうと、青葉は大仰にため息をつく。

「そうだよなあ。摩耶も、至近警告砲撃なんて、誤解されてもしかたないとは思うけど、だからって全力で反撃して大破に追いこむのはありえないってー。通告だってしてたじゃんか?」

「うう……」

「引き受けたからには協力したいけどさあ、もう教導艦どころか、戦場でなにができるのさってくらいじゃない? 同じ部隊組むのが不安でしかたないんだけどー」

 加古の言葉で、おおよそ今回の出撃でなにがあったかを把握することはできた。しかし、その言い分、事実をちくちくとつきつけるような言い方は、長月の力をひきだすどころか委縮させてしまうだけだ。自分もしたことだから、望月にはよくわかっている。

「そんなありさまで望月に追いつきたい、つりあうようになりたいだなんて、冗談もほどほどにしてほしいですね。それに、やはり私たちの手には余るのではないかとも思えてきますし……」

 そこでちらりと様子をうかがっているらしい鳥海に、長月はその場にはいつくばってしまいそうな弱々しさで声をあげる。

「そんな……頼む。もう、私一人では……おまえたちだけが頼みなんだ。お願いだから……」

 そんな長月に、望月は愕然とさせられた。それは、望月の知る長月とはかけはなれた、卑屈な姿だった。そんな長月は見たくなかったと、望月は目をそむけかける。

その直後に聞こえてきた言葉に、望月はさらに驚かされることになった。

「まあ、青葉たちも鬼じゃないですから。長月さんにそこまで頼まれたら、断るなんてできませんよ。まったく、しかたない人ですねえ。望月さんにふりむいてもらいたくってがんばる長月さんのために、皆さんもせいいっぱい協力してあげましょう」

「え、それって、本当だったんですか!?」

その場に、静かな好奇心の渦が広がっていく。その様子を、望月は不愉快に顔をしかめながら見つめていた。

(長月、なにばらしちゃってんのさ。止めもしないで、みんなが知っちゃえばそういうことになるとでも思ってんの?)

 しかし、と望月はすぐに思い直す。

 体面にこだわるあの長月が、そんなうわさの種になるようなことを自らすすんで明かすとは考えにくい。

(それに……)

 今の青葉の言葉。部隊を組んでいたらしい仲間もおずおずと同意を示しているようだが、その声かけに、長月はますます悄然としている。

「み、皆には、広めないでほしいのだが……」

「なにか言いましたか?」

「いや、その……。すまない。本当に、迷惑のかけどおしで……」

「いいってことですよ。望月さんのこと以前に、教導艦の長月さんがこんなでは、皆さん困ってしまいますからねえ」

 くわえて、そう言った青葉。くすくすと含み笑いをこぼしながらのその声色には、明らかに長月を揶揄する感情がこめられていた。どうして長月はそんな者たちに協力を求めているのかと、不思議に思えてくるくらいだった。

「げ、望月……。どうしてここに……?」

 そのとき、向かいから歩いてきた摩耶がこちらの存在に気づいたらしい。その表情は、いるはずのない仲間に出会ったというような驚きに染まっていた。

(ああ、そういうことね……)

 その反応を見た瞬間に、望月はすべてを理解した。この場の状況も。そして、先ほど利根が口うるさく注意してきたその意味も。

(全部、全部、あたしのせいか。あたしが思ってた以上に、あたしは長月のこと、変えちゃってたんだ……)

 どれだけ自分に心とらわれようと、長月が長月である核心だけはぶれないものと、そう思っていた。しかし、いま目に入る長月は、それすらも見失って頼りなげにもがいている。そうして、最後に残る教導艦としての矜持すらも、嘲笑とともにへし折ろうとする者たちにすがらざるをえないまでに追い詰められてしまっている。

 それはすべて、望月が自分の楽しみのためにちょっかいを出した結果だった。そのうちにいやになったから放りだして、今のいままで真剣にかえりみることのなかったなれの果てが、あの長月だった。

 じくじたる思いがわき上がり、望月は力いっぱいこぶしを握りしめる。

「いやさ、なんの気なしにぶらついてたんだけどね……」

 摩耶に向けて、表面上はにこやかにそう言いながら、望月はすれ違いざま、そのみぞおちに渾身の突き上げをたたきこんだ。

「がはっ……!? な、なにすんだ、てめえ……」

 その声に、鳥海たちもこちらの存在に気がついたらしい。露骨に警戒を示す彼女たちに、望月はうずくまる摩耶の身をひき起こすとそちらに向けて蹴りはなす。

「あんたら、よくもまあ、あたしの長月に面白いことしてくれてんじゃん」

 険しい視線を向けてくる重巡洋艦たちに、望月は敵意を隠すことのない態度で指の骨を鳴らす。この四人には、自分たちがしでかしたことがどれだけこちらの怒りにふれたのか、体に教えこんでやらねば気が済みそうにない。それが自分に対する怒りの裏返しだとわかっていても、それがどうしたと、つき動かされるような感情に体は止まらなくなる。

(まず、こいつらに落とし前をつけさせて。それから、長月に……)

 ちらりと長月を見ると、長月は突然現れた自分に呆然とした表情を向けてくるばかりだった。

 望月は、そんな長月を安心させるように笑顔を作ってみせる。しかしそれもつかのま、すぐに油断なく臨戦態勢を取る重巡洋艦たちに目を走らせる。

(あたしがしたことの責任は、あたしが取らないとね)

 一対四だろうと、望月には一歩もひき下がるつもりはなかった。




 望月の言葉を聞いた長月は、自分の聞き間違いではないかと、それを信じられずにいた。

(だって、そうではないか。あれだけ顔も見たくないとばかりに私のことを無視していたというのに……)

 それなのに、いま長月の耳が聞き取ったところでは、望月はこちらのことを「あたしの長月」と、そう言った。皆に自分たちの関係が知れわたることをいやがっていた望月が、この場にいる全員に宣言するように、そう言い放ったように聞こえたのだ。

 こんなにうれしいことはないと、長月の体は気が早いことに目に涙をたたえだす。鼓動はどくどくと、平静さを失いだす。

 しかし、心中では必死にそれを否定せずにはいられなかった。

(だって、それは、私が望月に言ってほしいと願っていたとおりの言葉じゃないか……)

 それがそのまま望月の口から出てくるなど、都合のいい妄想以外のなにものでもない。なにかの聞き間違いだと自分に対して言い聞かせないわけにはいかなかった。

(でも、じゃあ、なんて言ったんだ……?)

 知りたいと、そう思ったが、剣呑な空気が満ちていくその場では、すぐに確認することなどとてもできそうにない。

(誤解なら、それでいいんだ。いや、そうに違いない。けど、もし……)

 どれだけ否定しようとしても、それを欲する心は気がつけば都合よく解釈しようとするのをやめてはくれない。そうして、望月はもうすっかり自分のことを許してくれたんだと、なにかしたわけでもないのに期待を抱きだす。

(違う。そんなはずない。こんな、勝手に浮かれてたんじゃ、ますます望月を怒らせてしまうだけなのに……)

 そう自分を叱りつけて、なんとか自分の感情を押さえつけていた。

 それなのに、望月はこちらにうっすらと笑みまで向けてくるのだ。

 それだけで、心中の葛藤はすっかりどこかへ吹き飛んでしまった。一呼吸の間もあるかないかであったその表情がまぶたの裏にやきついて、赤くなった顔でぼーっと望月の姿を見つめていることしかできなくなってしまった。

(いいのか、望月? おまえが、私を許してくれるって、また前みたいにいっしょにいさせてくれるって、期待してしまっても……)

 声に出さない問いに、望月が答えを返してくれることはない。

 それよりも、望月は目の前の四人の仲間たちとのにらみ合いに意識を向けているようだった。

「突然現れていきなりなにするんですか!?」

「一応、理由を聞くけども、こんなことしといてただで帰れるとは思うなよ?」

「わかってるくせに。御託はいいからさ、かかってきなって」

 怒りをあらわにする重巡洋艦たちに対し、ひるむどころかさらにさし招くように挑発してみせる。その珍しくもけんか腰な態度に、長月は彼女の本気の怒りを感じ取った。

 しかし、と長月は思わずにはいられなかった。

(望月がけんかをしているところなど、見たことは……)

 相手の四人がけんかしているところも、同じく見たことはない。それでも、体を動かすことをめんどくさがってきた望月が数で勝る彼女たちに立ち向かって勝利を収める場面など、とても想像できないのは確かだった。

(だれか、止めれる者は……)

 この場にいあわせた仲間たちに視線を走らせるが、そのだれもが一触即発な雰囲気に釘づけになっている。望月たちを制することができそうな者は一人としていなかった。

(だめだ。いったいどうすれば……)

 長月がどうすることもできずにいるうちに、激昂する両者の間で最初に動きを見せたのは、鳥海だった。

「摩耶は、なにも悪くないのに……!」

 だっと駆けだすと、ふりかぶったこぶしを一直線に望月の顔めがけてたたき下ろす。

 怒りに目がくらんだその一撃を、望月はひらりとかわす。そればかりか、すれ違う瞬間に足を払ったらしい。鳥海は顔から地面にぶつかるように転倒した。

「くっ……!」

 痛みをこらえながらも怒気は収まらずににらみつけてこようとする彼女の背を足で踏みつけながら、望月は言う。

「そんなの、どうだっていいよ。あたしの怒りに触れたらどうなるか。あんたらにはその見本になってもらうんだから」

「言ってくれたなあ……!」

 見下した発言に反応した加古が望月に飛びかかる。望月は鳥海の体を踏み台にそれをさっとかわしてみせる。

「これなら……!」

 そこに、加古につづくようにしていた青葉が迫る。望月はそれも避け、おかえしに蹴りをお見舞いする。が、それは彼女の腕をかすめるにとどまったようだ。

「重巡洋艦っていっても、こんなもんなの? たいしたことないね」

 挑発をくりかえしながらも、望月は冷静に今の二人から距離を取る。その目がぐるりとうかがう先を見れば、いままさに最初の一撃から立ち直った摩耶が戦列に復帰しようとしているところだった。

「調子に乗るのもそのへんにしとけよ」

「摩耶、あなたはべつに……」

「アタシら全員で、やるって決めたことだ」

 しゃがみこんでいた鳥海に目線でうながすと、摩耶は望月に向き直る。

「前々からてめえのことは気に喰わなかったんだ。アタシらの前で二度とそのなめた面、できねぇようにしてやる」

「はっ。できないことは口にしないほうがいいと思うよ」

「できるかできないかは、身をもって教えてやる」

 一歩また一歩と、摩耶は望月に近づいていく。加古と青葉も、摩耶に歩調を合わせだす。

 それに対して、望月はじりじりとあとずさりをはじめた。

 当初の一人ずつでならまだしも余裕を持ってあしらうことができたが、三人そろって相手取ろうとするとさすがに不利は否めないらしい。

「さっきまでの威勢はどうしたよ。怒らせたらどうなるか、教えてくれるんだろ?」

「まあそうあわてなさんなって……」

 三人が一歩近づくと、望月もまた一歩下がる。そうした呼吸の探り合いをくりひろげながらも、両者の距離は確実に縮まっていく。

(このままでは、望月が……)

 形勢不利になっていく様子に、長月の胸は不安でつぶれそうになる。

 望月は活路を見いだすべくあたりをうかがっているが、勝機を見つけることはできないようだった。そうこうしているうちに、三方向から近づく重巡洋艦たちは、望月から五、六歩の距離まで詰める。

「くっ……」

 退路の余地を確認しようとしてか、望月がうしろをふりかえる。それは、長月の目から見ても重巡洋艦たちにとって決定的な好機だった。

 その瞬間を待っていたように、青葉が一気に間を詰める。

「望月――!?」

 やられると、そう思った。その場面を見ていたくなくて、長月は顔をそむけ、目をつぶった。

 しかし、聞こえてきたのは、あわてたように青葉をひきとめる加古の声と、つづけてあがった青葉の悲鳴だった。

「きゃあ!?」

 ぱっと開いた長月の目に映ったのは、先ほどまで望月がいた場所に立つ摩耶と、その腕に抱きかかえられるようにしている青葉。

(望月は……?)

 きょろきょろと、あたりを見回す。

「逃がすな!」

 鋭い摩耶の声。

 それに呼応するように走りだした加古が追う先に、望月の姿はあった。

「長月!」

 望月は一直線に駆けてくる。これまで見たこともないほどの全速力で。その手をこちらに伸ばしながら。

「望月……!」

(迎えに来てくれた、のか……?)

 こんなときだというのに、長月の胸にはやっとだという感慨があふれてくる。それは、長月がこれまでどれほどに夢見てきたかわからないほどに待ち望んだ光景だった。

 望月は走りながら、懸命な表情でこちらを見ている。息づかいさえ聞こえてきそうなその表情に応えるように、長月も身を起こして走りだす。

 そうしようとして、しかし望月にばかり意識を向けていて、長月は背後から近づく気配に気づくことができなかった。

「そこまでです」

 肩をつかまえてそう声を発したのは、鳥海だった。

「そうそうあなたの思い通りにはさせませんよ、望月」

 言いながら、肩越しに首がしまりそうな角度で服をつかみ直される。

「なにをす……」

 抗議する間もないままぐいぐいとうしろにひっぱられる。代わりに目線で伝えようにも、えり首をつかむ鳥海の腕は容赦がない。

 ずるずると鳥海にひかれるまま、足を止めた望月との間に距離が開いていった。

「鳥海……これ、は……いったい……?」

 つかえつかえに問うが、返されたのは無言だった。そんなこともわからないのかと、冷やかに言われているようだった。

 疑問の答えでも、この状況からでも、長月はともかく助けを求めて望月に目を向けた。すると、それに応えるように一歩、望月が足を踏み出しかける。

 その出足に、鳥海の鋭い声が浴びせられた。

「動くな!」

 直後、長月のみぞおちに鈍い痛みが走る。

「ぐっ……ぉ……」

 ひじを突き上げられたらしい。

 呼吸が止まるほどの衝撃に、ひざをついてうずくまる。

「長月!?」

「動くなと、言いましたよ?」

 後頭部に固いくつの感触。つづけて、長月は顔から地面に踏みつけられていた。

「ぅ……が……」

 鳥海の足は一瞬のちにはどけられたものの、長月にはすぐさま体を起こす余力はない。

 このうえさらになにかされるのだろうかと身構えるが、次にもたらされたのは痛みではなく、やさしく包むこむような腕の感触だった。

「長月、だいじょぶ?」

 顔を上げると、目の前には心配そうにこちらをのぞきこむ望月の顔。

 心の準備もなく間近に見えたその顔に、長月は一瞬、心臓が止まるかと思った。

(望月が、こんなに近くで、私を案じて……というより、私を抱きしめて……?)

 それは、長月に場違いにも飛び上がってしまいそうなほどのうれしさを感じさせてくれた。先ほどから、望月はどれほど、こちらの口に出さない望みをかなえてくれるつもりだというのか。

 しかし、喜びに浸るのもつかのま。みぞおちへの強烈な一撃からこみあげてきた吐き気に、長月は思いっきり顔をしかめてうずくまる。

 心配そうにふたたび尋ねてくる望月にはなんとかこくこくとうなずいて返したが、腹と口もとをおさえる手であちらもそれと察したらしい。鳥海へと向けられる表情は見る間に怒りに染まっていった。

「あたしの目の前で……。もう絶対、許さないから」

 あちらこちらをにらみながら、望月は寒気を感じさせるほどの低い声でそう宣言する。

(望月、私のために……。いけない、こんなことで喜んでいる場合ではないのに……)

 自分のせいで望月がけんかの主導権を奪われているというのに、長月が感じてしまうのは、ただただ望月が自分のために怒ってくれていることに対する喜びだった。もっとこのままでいたいと、つい状況も忘れて願ってしまう。

 それでも、周囲の剣呑な気配は長月を自分だけの世界からひき戻す。

「許さないならどうしますか? そんな、足手まといを抱えて」

 鳥海の言葉にはっとして周りを見回す。

 いまや望月は、前後を彼女と加古にはさまれていた。摩耶と青葉も、まるで望月がここから動かないものとわかっているかのように、一歩一歩とこちらに近づいてきている。

「望月、私は……もう、大丈夫だから……っ……」

 ここを離れてまたさっきみたいに戦ってくれ。

 のろのろとそう言いかけたが、無理に声を出そうとしたことでけいれんしたように長月の呼吸はままならなくなる。望月は優しく腕を回したまま、寄り添うように、安心させるように、そのあたたかさを感じさせつづけてくれた。

(これでは、鳥海の言うとおりだ……)

 望月ひとりなら、三方から囲まれても先ほどのように脱してみせたことだろう。しかし、自分までもがここから逃れることは、現状ではかなり難しかった。望月がこの場を動けなくなっているのは、どう考えても自分のせいだ。せっかく望月が自分のことを見てくれたというのに、それでもやはり迷惑をかけてしまっている。それが情けなくてしかたなかった。

「ずいぶんと卑怯な手、使ってくれるじゃん。恥ずかしくないの? こんなことして勝ってもさ」

「使えるものは使う。それだけのことだ」

 数歩の距離まで近づいた摩耶は、望月に長月から離れるようあごでしゃくる。

「……」

 望月がそちらをにらみ返したまま動かないでいると、今度は鳥海に長月をつかまえるように指示を出し、自身もまた油断なく望月の挙動を観察しだす。

 望月はそれを見てついに観念したか、長月の背に手を置きながら立ち上がり、そっとそばを離れていった。

「長月にまた手をあげたら、ただじゃおかないからね」

「それは、てめえの態度しだいだ。余計なことは考えねぇほうがあいつのためだぞ?」

 ふたたび、鳥海がかたわらに立つ。ちらりと見上げた長月の目線は見下すようなそれとかちあい、反射的に目を伏せる。

「よく見ておきなさい。これから起こることを。もとはと言えば、長月が原因なのですから」

「私が……?」

 おそるおそる視線を戻すと、鳥海はこちらではなく望月をじっと注視している。

「なぜ、私……なんだ?」

 それに対して、鳥海はあざけるような笑いをもらしただけで答えない。

 すっきりしない気持ちとともに望月のほうに目をやると、今まさに、摩耶たちによる制裁がくわえられようとしているところだった。

「ぉぐっ……」

 腹をなぐられた望月がひざをつくのが目に入る。

「望月……!」

 とっさに駆け寄ろうとするも、その行動は目の前につきだされた手のひらによって制止された。

「くっ……ぐぅ……」

 つづけざまに、体に打撃がくわえられるにぶい音と、くぐもったうめき声が耳に入る。

 十回、二十回と、容赦なく望月の体にこぶしがふりおろされる。足蹴が飛ぶ。痛みに耐えかねてうずくまればひき起こされ、倒れれば蹴りつけられる。そんな一方的な暴力に、ついには長月は見ていられなくなってきつく目を閉じ、耳をふさいだ。

(望月……私なら、大丈夫だから。私のことなんて気にせず、思いっきりやり返してくれ……)

 長月はくやしかった。四人を相手取っても思う存分ひっかき回してみせるだけの実力があったにもかかわらず、望月は自分のせいでやられっぱなしになっている。その姿を見せつけられることは、長月にとって自身のふがいなさを見せつけられることと同じだった。

(いいんだ、望月。私なんかのことは、気にしなくても……)

 ちょっとくらいは辛抱してくれと、悪びれることなく言ってのけて暴れまわる。自分などは、その程度の扱いでかまわなかったのだ。

 それなのに、長月がそっと目を開けると、望月はこちらを見ていた。こちらを安心させるように気丈な表情を浮かべてみせて、そこにこぶしがふりおろされると、相手をにらんで不屈の表情を浮かべてみせる。

 しかし、長月がなにより許せなかったのは、そんな状況での気づかいにもどうしようもないうれしさを感じてしまう、自分自身だった。

(私のせいで、あいつがあんな目に遭っているというのに……。どこまで自分勝手なんだ、私は……)

 どうしようもない自身への嫌悪感に、なにもかもを拒絶してその場にうずくまってしまいたくなる。

 ちょうどそんなとき、とんとんと、肩がたたかれた。

 びくっとして、長月は反射的に鳥海をふりむく。彼女は、眼鏡の奥からじっと、こちらの動揺を見透かすかのような目を向けてきていた。

「いけませんよ、長月」

 まるでこちらの反応を楽しみにしてでもいるかのように、鳥海は言う。

「長月には、望月が一方的にやられる様子を、その目に収める義務があります」

「義務……?」

 おうむ返しのように問う長月に、鳥海はとっておきの話をするように顔を笑みにゆがめてみせる。

「そうです。私たちがなぜ、あなたのことでけんか沙汰にまでなっているのか、疑問に思っていましたね?」

「そうだが……」

 不気味な迫力に気圧されながらもうなずいて返すと、鳥海はくすっと小さく笑みこぼした。そこには、侮蔑の意図がこめられて感じられた。

「その顔、本当にわかっていませんね。望月も、いまさらあなたみたいな人を助けてどうするつもりなのやら」

「いったい、なんだというんだ……」

「長月、あなたを嫌っていた私たちがどうしてあなたに協力していたのか。その意味がまだわからないのですか?」

「それは……私があまりにも見ていられないから、手助けをしてくれたのでは……」

 鳥海の態度に自信がなくなってきた認識を、それでも他に思いつくこともなく口にする。

 それに対して返されたのは、こんなにおかしいことはないとばかりの笑い声だった。

「あはっ……! 長月、あなた、最高です」

 こらえようとしてもこらえきれないと言うように、鳥海は肩をふるわせて笑う。理由はわからないが、ばかにされたその調子に、長月は恥ずかしさを覚えずにはいられなかった。

(なんなんだ。なんだというんだ、本当に……)

 鳥海はやむ気配もなく笑いつづけている。しかし、その間にも、長月の耳には望月のうめき声が聞こえてくる。

(こんな、らちも明かない話をしている場合では……)

 なんとかしなければと、しだいにつき動かされるほどのあせりが生じてくる。

「そんなことより。摩耶たちを止めてくれないか。どうして、望月があそこまでやられなければいけないんだ」

 だが、対する鳥海はどこ吹く風だ。

「そう言われましても……あそこまで怒った摩耶を止めるのは事です。それに、望月もまだ負けを認めるつもりはないようですから、なおさら……」

 鳥海にうながされてそろそろとそちらに目を向けると、たしかに望月はいまだに敵意を隠さない表情で三人をにらみつけている。

 それでも、その直後に顔にこぶしをたたきこまれ、受け身も取れずに倒れ伏すさまを見せられては、いくら望月があきらめていないといっても、止めないではいられなかった。

「頼む、鳥海。私にできることなら、なんでもするから……」

 長月は頭を下げて頼みこむ。

(望月には、勝手なことをするなと怒られるかもしれない。また口もきいてくれなくなってしまうかもしれない。それでも、私はこれ以上、おまえが私のせいで痛めつけられる姿を見ているのは耐えられないんだ……)

 こんなときでも望月の足を引っ張ってしまう自分が、ただただ情けなかった。だが、それを言い訳にして今できることをしないわけにはいかなかった。

「……」

 鳥海から、すぐに答えが返ってくることはなかった。

 もとはといえば、望月のほうからふっかけたけんかだ。腹の虫がおさまりきらないのに矛を収めろというのは難しい頼みだろう。難色を示されるのもうなずける。だがそれでも、摩耶たちを止められるとしたら、やはり気心知れたこの鳥海をおいてはほかにいない。苦痛にもれる望月の声を聞きつづけるのは、もう限界だった。

 祈るように、長月は鳥海に頭を下げつづける。

 すると、しばらくして鳥海もついに意を決したように声をかけてきた。

「わかりました。そこまで言うなら、手がないでもありません」

「本当か?」

 ありがたいと、さらに頭を下げかけたが、まだですと制止される。

 どういうことかとけげんな表情を向けると、先ほどとはうってかわって、きわめて真剣な顔つきをした鳥海と目が合った。

「私が摩耶たちを止める代わりに、長月にはひとつ、条件を飲んでもらいます」

「言ってくれ。望月のためなら、なんだってする」

 己の弱さの免罪符のように望月を持ち出すことに罪悪感を覚えながらも、長月は鳥海をうながす。こちらの言葉がどれほど本気かを確かめようとするかのような視線にも、ひるむことなく見つめかえす。

 二人が沈黙するたびに、殴打の音が耳に突き刺さる。

 それを止めるためならば、長月はどんな厳しい要求にも、一も二もなく飛びつくつもりでいた。

 しかし、鳥海が提示してきたのは、まったく予想もしていなかった条件だった。

「長月、あなたには、教導艦を降りてもらいたいのです」

「は……?」

 使いっ走りとしてこき使われるくらいなら、ありがたく受け入れるつもりでいた。代わりに自分が殴られることになろうと、かまいはしなかった。

 しかし、この要求はどうだろうか。

「なぜこの条件になるのか、わかりませんか?」

「あ、ああ。説明を頼めるか……」

 長月にとって、望月との最大の接点は、教導艦という同じ役割を任されていることだった。宿舎の同室であるという点よりも、はるかに大きな意味で。もし、それがなくなってしまうとすれば、たとえ望月が自分を許してくれたとしても、望月と接する機会は今のようにほとんどない状態のままなのではないだろうか。そんな打算が、長月の頭では働かされていた。

 くわえて、もう一つ。

「それに、いくら私が同意したところで、司令官が許すかどうか……」

「あなたの口から断固として告げれば、却下はしないでしょう」

 本当にそうだろうか。これまでの不調にもかかわらず教導艦からはずそうとする意思をかけらも見せなかったことを思えば疑問もある。

 だが、今はそんなことで押し問答をしている場合ではない。

 改めて説明をうながすと、鳥海はふたたび覚悟を確かめるような目でこちらを見る。長月がそれに真剣な顔でうなずくと、鳥海は静かな、それでいてどこにそんな感情を押し隠していたのかと驚くほどの熱意を感じさせる声で話しだした。

「すべては、愛宕姉さんのためです。いえ、加古と青葉にとっては、古鷹さんのためでしょうか」

「愛宕と古鷹……というと、遠征部隊に回されている者たちか……」

「そうです。その二人の遠征部隊からの解放。それが、私たちの悲願です」

 ひと息に言いきった鳥海を、おおげさなとは、長月は思わなかった。今の司令官であるあの男が着任してからというもの、遠征部隊への配属が決まった六人の仲間たちは、そのほとんどがほかの仲間たちと交流する暇もないほどに物資補給任務をくりかえさせられている。

 もちろん例外はある。その一人は龍田だ。龍田は、今でもまれに遠征を命じられることもあるが、いつごろからか、より多くの時間を教導艦の一人として部隊の指導指揮に当てられるようになっている。

 吹雪と不知火も、北方海域での駆逐艦作戦実施時のみではあったが、しばしば出撃任務に優先的に回されることがあった。それが終わった今は、また遠征ばかりの月日を送っているのではあるが。

 そして、もう一人。ひと月ほど前になって、遠征任務の合間に出撃任務を課されて仲間たちとの交流が再開されだした者がいた。

「赤城さんの復帰。そのできごとが、私たちに希望を与えてくれました」

 当時の長月にそれほど周りを見ている余裕があったとはいえないが、それでも赤城は吹雪や不知火のように短期的な戦力強化のために呼び出されたわけではないはずだった。まして、龍田のように教導艦に選ばれたわけでもない。

 この基地では、空母はその艦種自体が、あの男の着任時に準強化艦に指定されている。不確かな長月の記憶では、そうして重点的に鍛えられだした仲間たちの練度が、もともと前提督時代から突出していた赤城のそれにようやく追いつきだした。それゆえの、赤城にもさらなる練度向上を求めての戦列復帰だったはずだ。

 その艦だからという特別な理由ではなく、同艦種のほかの仲間たちと同じ理由での出撃任務への部隊編成は、たしかに鳥海たちにとって希望となったことだろう。

「赤城さんが戻ってこられるのなら、愛宕姉さんと古鷹さんも戻ってこれるはずですから」

 重巡洋艦は、残念ながら艦種として強化対象に指定されているわけではない。しかし、基地に所属する仲間たちの練度が底上げされていけば、いずれ愛宕と古鷹に戦線復帰が命じられる日も来ることだろう。

 今の話を聞いて、それはたしかにうなずけることだった。しかし、その一方で、長月の疑問は解消しない。

「だが、それと私が教導艦を降りることと、どう関係があるというんだ」

 そう問うと、鳥海はのどもとまで出かかった言葉をこらえるように、しばし眼鏡をはずして目もとをぬぐいだした。そのまま、ゆっくり三呼吸も四呼吸もしても、鳥海は一向に話しだそうとしない。

 じれったくなった長月がふたたびうながそうとすると、その直前に鳥海はようやく眼鏡をかけ直した。そうしてこちらを見る瞳には、憎悪と呼べるほどの感情が灯っているように感じられた。

「ものわかりの悪い長月にもわかるように、簡単に説明してあげましょう。赤城さんの事例から考えられるかぎりでは、鍵は私たちの練度です。私たちが力をつけるのが早ければ早いほど、愛宕姉さんと古鷹が戻ってこられる日も早くなるはずです。ここまではいいですね?」

「あ、ああ。わかる」

 気圧されたようにうなずくと、鳥海の怒りはさらに強くなったようだった。望月への暴力を止める前にこちらが暴力にさらされるのではないかと、身構えてしまうほどの形相だった。

「私たちは、強くなりたいんです。一日でも早く。それなのに、私たちを教導するどころか足をひっぱってばかりで、練度向上の足かせになっているのはどこのどなたですか」

 はっきりと告げられたその言葉で、長月はようやく自分の不調が仲間たちにもたらす迷惑に思い至ることができた。

「そ、そうか……すまない……」

 だが、その理解は鳥海には一周遅れであるうえに、あまりにも部分的にすぎた。おめでたいその頭に、さらなる事実が浴びせかけられる。

「もうついでだから言いますが、私たちがあなたに協力していたのは、他人の助けがあってもすぐに治るものではないと悟っていただいて、自発的に教導艦を降りてもらうためでした。だから、望月とこんな、けんか沙汰になっているんです」

 予想外のことではあったがとつづける鳥海の言葉は、驚きのあまり長月の耳には入らなかった。

「一応つけくわえておきますと、訓練や任務での協力はいっさい手を抜いていませんでしたから。あなたがふぬけているのは、すべて今のあなたの実力です」

「そうか……」

 長月は言葉もなく、ただがっくりとうなだれるほかなかった。

「それから、摩耶の名誉のために言いますが、当初の計画では、もっとあなたの自信を粉々にするくらいに細工をするつもりでした。しかし、摩耶が最後まで賛成せず、結局押しきられる形で一昨日からのやり方になっています。こんな、取引のようにあなたにもちかけることも、きっと摩耶はいい顔をしないでしょう。ですが、目的を達成するためなら、私は手段を選びません」

 そうして、改めて鳥海は選択を迫る。

「望月を助けるために、あなたは教導艦を降りると、誓いますね?」

「それは……」

 長月の心中で葛藤が巻き起こる。先ほど浮かんだ悩みもあるが、くわえていま聞いた鳥海たちの真意がある。ここで鳥海の言うままに従うことは、彼女たちの敵意に屈したも同然だ。それを思えば、心情的に承服しがたい気持ちがあるのはたしかだった。

(だが……)

「が……ぅ……」

 徐々にうめき声すらも弱々しくなってきている望月のことを思えば、自分自身の気持ちを天秤にかけるのは、何程のことでもなかった。

「……わかった。誓う」

 その声が自身の耳に苦渋に満ちて聞こえることを、長月は恥じた。

「いいでしょう。その言葉、違えることのないようにしてください」

「ああ」

 鳥海のあとについて、長月は摩耶たちのもとへと向かう。近づくにつれて、それと気づいた三人の視線が寄せられる。協力の裏に隠されていた真意を知った今、どんな顔で彼女たちに接していいか、長月にはわからなかった。顔をそむけるようにしながら、ちらちらとそちらをうかがい見る。

 そうしていると、一瞬、望月と目が合ったように感じられた。

「っ……」

 望月がいい顔をしないだろうとわかっていながらこの選択を行った心情を反映してか、とがめるような色が読み取れてしまい、長月は合わせる顔もなくうつむいていく。

(すまない、望月。私は、こんなにも心が弱いから……)

 何回、何十回と、心中で謝罪の言葉をくりかえす。そうしていないと、こみ上げる申し訳なさに、押しつぶされてしまいそうだった。

(あとでどんなに怒ってくれても、かまわないから……)

 そうしているうちに、三人への説明はひととおり済んだらしい。鳥海がふたたびこちらをふりむいて言う。

「長月。先ほどの誓約を、摩耶たちにも聞かせてあげてください」

 押し寄せる自己嫌悪から逃れる口実ができたとばかり、長月は彼女たちにせいいっぱい頭を下げる。

「私は……私は、教導艦から降りると、誓う。だ、だから、望月への暴力はもう、止めてくれ。頼む」

 告げる声がふるえてしまったのは、手放すものへの未練からだっただろうか。なんにせよ、この場にいる者にその言葉は伝わった。これでもう、あとにはひけなくなった。

「いいだろう。まだすっきりしないところもあるが、これ以上の望月への手出しはやめてやる。その代わり、てめえには今から提督のところまでつきあってもらうぞ」

 長月は感謝の念とともに、それを承諾した。

「よし。そうと決まれば……アタシの上着はどこ行った?」

「それなら、たしかあっちに……」

 四人が思い思いに飛び散ったくつや服のリボンなどを拾いに行っている間に、長月は倒れ伏した望月の様子を見るべくそっと歩み寄る。

「望月、大丈夫か? すまない、私のせいで、こんな……」

「がふっ……ごほっ……」

 どれだけ袋だたきにされても降参の意志を見せずに抵抗しつづけたこともあり、望月は返事をする気力もないほどにぼろぼろになっているようだった。服は砂まみれになって破れもでき、顔はあちこちはれ上がっている。

「私がふがいないばかりに……。怒っているだろうな……」

 静かに上半身を抱き上げると、望月の顔はひどくしかめられた。

「痛むか? すまない。なにか手当をしてやれればいいんだが……」

 救急道具などないこの場では、ただその頭を膝の上に乗せてやり、いたわるように体をさすってやることしかできなかった。十分とはとうていいえないその行為によって、伝わってくる以上のあたたかさを返してやることができていればと、長月は祈るように願う。

 けんかの熱も冷めていくなか、こちらを見上げる望月の目は、うっすらと片目だけが開いている。その目は見下ろす視線と交わることもなく、どこか遠い夜空を見つめていた。

 四人に手ひどくやられたことをくやしがっているのかいないのか、勝手に制止に入ったことを怒っているのかいないのか。痛み以外に動くことのない無表情はそれらをまったく読み取らせてはくれない。しかしその一方で、寒空の下、いやがるそぶりをなにひとつ見せることもなく、ぐったりと身を預けてくれてもいた。

(ありがとう。こんな私を、拒まないでいてくれて……)

 触れる体から感じる望月の熱は、長月にそれだけでかわききった心が満たされていくような気持ちを覚えさせた。できるならば、望月が落ち着くまでこうしていたい。そうも思ったが、それが許される状況ではないことが残念だった。

「長月ー、提督のとこ行くぞ?」

 加古から声をかけられ、長月はこの満ち足りた時間が終わりを迎えたことを悟った。いま行くと答え、望月の体をまたそっと冷たい舗装の上に下ろそうとした。

 そのとき、望月の手がこちらの肩をつかんだ。さらには、その手にぐっと力がこめられる。それは、いまにも立ち上がろうとする動作だった。

「ま、待て、望月。まだ動いては――」

 その先を伝えることはできなかった。じっとこちらを見すえる目に、いまだ消えない闘志が秘められているのがわかってしまったから。肩にかかる手にこめられた力に、隠しようもない激情を感じ取ってしまったから。

 長月が息を飲む間に体を起こした望月は、獣のようなすばやさで最も手近にいた摩耶に躍りかかった。

「なん……がぁっ……!?」

 不意打ちに摩耶を殴り倒すと、望月はその体に馬乗りになる。

 摩耶は抵抗する暇もない。あおむけのその頭に、体重を乗せたこぶしがたたき下ろされた。

 ごつっと、苦鳴よりも舗装と摩耶の頭部が衝突する音が、いやに大きく鳴り響いた。

 長月はその一部始終を、ただあっけにとられたように見つめているしかできなかった。長月だけでなく、その場にいただれもが、あっという間に起こったその出来事に反応することができなかった。

 頭部を打ちつけられた摩耶はけいれんしたように体をふるわせたのち、望月に向けて伸ばされた腕はすぐに力を失い地に落ちた。そのまま、摩耶はぴくりとも動かない。

「まず、一人……」

 しんと静まり返ったその場に、つぶやくように発された望月の言葉が聞こえわたる。

 痛むように手をふりながら、望月はゆっくりと立ち上がって残る重巡洋艦の三人に目を配る。まるで次の獲物を見極めようとするかのようなそのまなざしに、見る者は戦慄させられた。

「よ、よくも、摩耶を……!」

 気圧されながらも声をあげたのは、鳥海だった。その声にはっと気がついたように、加古と青葉もまた望月を取り囲むように動きだす。

 しかし、先ほどの奇襲ですっかり呑まれてしまった彼女たちに、もはや望月の格好の餌食となる以外の未来は残されていなかった。

「二人……!」

 青葉のふところに飛びこむと、望月はその腕をかわしざま、側頭部に強烈なつま先蹴りを叩きこむ。

 さらには、そのすきをついて背後からつかみかかってきたはずの加古を、振り向きざまに腕をつかんで投げ飛ばす。

「きゃっ!?」

 投げた先にいた鳥海もろとも、二人はその場に倒れこんだ。

「加古、早くそこをどいて!」

「わ、わーってるってば!」

 早く迎撃態勢を取らなければとわかっていても、焦れば焦るほどに二人の動きはもたついてしまう。

 そして、そのすきを望月が見逃すはずはなかった。鳥海ごと押さえこむように加古の背中を踏みつけると、その髪をつかんで頭を持ち上げる。

「これで、おしまい!」

 ひ、ともれた声は誰のものだっただろうか。

 ふたたび、硬いもの同士がぶつかり合う音が鳴り響く。

「ぐぁ……」

 だが、今度はそれだけでは二人とも静かになることはなかった。

「あれ、失敗した? まあいいや。うまくいくまでやれば、それでいい……っしょ!」

 そして、その言葉どおり、耳をふさぎたくなるような打音と苦鳴が何度にもわたってくりかえされることとなった。

「も、望月……?」

 それは、やられっぱなしになっていたことがうそのような、あまりにも一方的な展開だった。

 重巡洋艦四人を相手にとって、望月のどこにこれだけの強さが秘められていたのかと驚くほかない光景を前に、長月はなんと声をかけていいのかもわからず、伸ばしかけた手を宙ぶらりんにさせたままその場にたたずんでいた。

(思えば、私が鳥海につかまるまでは、あいつが優位に戦いを進めていた……)

 自分という足をひっぱる存在がなければ、最初からこれくらいに圧倒することもできたのではないか。

 そうも思えてくるが、今はそれよりも、これまで知らなかった望月のおそろしい一面を目の当たりにしてしまったことが、こわかった。

「望月、なんだよな……?」

 このまま、どこか手の届かない遠くへ行ってしまうのではないかという、そんな予感がしてしまって。そうではないのだと、見るからに覇気に欠けるのが常態の望月なのだと、確かめて安心したくて。長月はそろそろと望月のもとへと歩を寄せる。

 一歩、二歩と、進む間にも、望月はこちらに背を向けたまま動かない。また、倒れ伏す重巡洋艦の仲間たちも、意識を取り戻す様子は見られない。ただ寒風だけが、その場を吹き抜けていく。

「なあ、望月。私のこと、怒っているのか……?」

 三度目のその呼びかけに、望月はようやく気がついたようにふりむいてくれた。

「長月……?」

 こちらを認識してそうつぶやいた顔は、やはりはれ上がっていて痛ましかった。しかし、つづけてにへらと笑み崩れたその表情には、深い安堵の色の中によく知る疲れきった様子をうかがい見ることができた。

「ああ、私だ……」

 なんとかそう答えると、望月はさらに、ぐいとこちらをひきよせて、そのまま体を預けるように肩を寄せてくる。さすがに、もう体力の限界であるらしい。

「ああ、長月だ。あたし、やったよ……」

 そうして、どう接していいかとまどうこちらのことなどおかまいなしに、ぽつりぽつりと自身の活躍を自慢げにつぶやきかけてくる。その態度に、長月はこれが間違いなくいつもの望月なのだと、安心することができた。

(よかった。よかった……)

 目の前でくりひろげられたことだけにわかりきったことではあったが、望月の話になんの遠慮もいらずににあいづちを打つことができる。そのことに、長月は言いようのない幸せを覚えた。肩にずしりと感じられる重みが、たしかな喜びを感じさせてくれた。

「長月は、本当にあたしを心配させてくれるんだから」

「すまない。だが、それは私の台詞でもある。こんなにぼろぼろになるまで戦って……。見ていてどれほどはらはらさせられたか」

 まるでここのところの拒絶などなかったかのように、話をすることができる。心の隔たりがなくなったかのように、こちらからたしなめる調子の言葉も自然にはさみこむことができる。かつての関係がよみがえったかのような感覚が、なによりうれしかった。

「しかたなかったんだって。これくらいしないと、あいつらひき下がりそうになかったし」

「私は、そんなに情けなく見えるのか?」

 否定してほしかったが、うすうすそんな自覚はないでもなかった。そして、望月はこのあたりのことで遠慮はしない性格だった。

「そうなの。特に、ここのところの長月は、あたしが見てないうちに、思いもしなかったくらいに弱々しくなっちゃってたから」

「そう……か」

 ふれるつもりがないならばあえて持ち出しはすまいと避けていた最近のことに、話が及びだした。あきれられてしまっただろうかと、長月は思わず身を固くする。

 しかし、次に望月が発した言葉は、思いもよらないものだった。

「あたしの、せいだね。あたしのせいで、長月はそんなになっちゃったんだから」

「望月、なにを言って……」

 とまどいながら真意をただそうとしていると、望月はにっと、安心させるような笑みを浮かべてみせた。その表情に、長月はうっと言葉を詰まらせる。

「ごめんね。でも、だいじょぶだから。あたしの長月に手を出すやつは、だれだろうとぎったんぎったんにしてやるから」

「そんなっ……!?」

 そんなに情けないことは頼めないとか、思い浮かぶ反論はいろいろあった。しかし、今また、今度は直接告げられた「あたしの長月」という言葉の前に、すべては蒸発していってしまうのだった。

(ま、またそんな……なにも言い返せなくなってしまう言葉ばかり……)

「わ、わわ、私など、こんな……こんな、やつなんだぞ? それなのに、そんな、おまえにばかり、そんな……」

 自分がなにを言っているかもわからないまま、あたふたと身もだえするばかりだった。

 そんなこちらに向かって遠慮なく笑い声をあげる望月が腹立たしくて、しかしここのところのできごとをすっかり水に流したその態度がありがたくて、長月はただこみ上げてくる感情を抑えるのでいっぱいいっぱいになってしまった。

「長月ってば、おおげさなんだから……」

 そこで、忘れ物を思い出したからと、ちょっと向こうへ歩きだしていくのも、憎らしいほどの気づかいだった。それとともに、やはり望月にはお見通しなのだと、かつて抱いた敵わなさを、再認識させられる。

(これからは、また怒らせてしまわないようにしないとな……)

 今の満たされた感覚から、また失意の淵へと墜落するところを想像すると、寒さだけではないふるえが体をはい上がってきそうなほどのおそろしさだ。

 見上げた空に輝く月に誓いを捧げるように、長月は思いを胸に刻みこんだ。

(誓い、か……)

 そうしていると、その一方で長月には思い出されることがあった。

(さっき、鳥海にさせられたあの約束は……)

 最終的に望月が勝ったからにはもう無効のはずだが、一度誓うと言った言葉を本人たちの同意もなくひるがえすのはなんとなく気分が悪い。かといって、こうなってしまった手前、今後穏便に話をつけるのも簡単ではないだろう。

 どうしたものかと、倒れている四人を眺めわたす。すると、そのうちの一人、最初に望月にやられた相手である摩耶が、いつの間にか意識を取り戻していた。

「これで……終わりだと、思うなよ……」

 言葉はたどたどしいながらも、その体はしっかりと地面を踏みしめ、いまにも起き上がって戦闘続行を告げようとしている。

 なまじ体が頑丈であるぶん、自分たちのけんかはどうしても泥仕合にならざるをえない。このまま、ほかの三人までもが目を覚ましたら、ふらふらの望月にまた全員を打ち負かすだけの体力ははたして残っているのだろうか。

 不安に駆られた長月は、望月の姿を求めて周囲に視線を飛ばす。

「もちづ……!?」

 そんな長月の視界の先に映ったのは、いつその姿を現したのか、帰投後そのまま港に停泊している艦に混じって並ぶ駆逐艦望月、まさにその艦影だった。

 驚きに目をみはる長月たちの前で次に起こったのは、その望月による砲撃だった。

 一発。夜の港に響きわたったその砲声は、それと同時に着弾の爆発音を鳴らし、重巡洋艦摩耶の艦影を動揺させた。

「望月!? あなた、自分がなにをしたか、わかっているの?」

 それまで静観を保ってきた外野からも、とがめだてるような声が飛ぶ。仲間への砲撃は、軍法会議ものの重大事だ。いくら教導艦だろうと、許されるものではない。まして、これは私的なけんかなのだ。

(いったい、どうするつもりなんだ。望月……)

 長月は必死で望月をかばう考えはないかと頭をひねらせるが、あわてふためく頭はものの役に立ちそうにない。

 さらには、そんな長月の心配をよそに、望月はまるで蚊に刺された程度にも気にしていないように、不敵な態度で長月たちの目の前に戻ってくるのだった。

「摩耶ってば、帰ってきたときにはもう大破してたんだっけ? 早く修復に回さないと、このまま着底しちゃうかもよ?」

 一瞬だけすごみを感じさせるように口もとをゆがめてみせた望月は、それだけ告げると、本当にちょっとした忘れ物を取ってきただけのように、にこにことこちらに近づいてくる。

「それが……どうしたってんだ!」

「摩耶、もうやめてください!」

「うるせえ! アタシは、強くならなきゃいけないんだ。こんなところで……足踏みなんて、してられねぇんだよ……!」

「だめです! いけません! お願いだから……!」

 なおも気迫だけでけんかをつづけようとした摩耶に、すがりつくように鳥海が止めに入る。これ以上は命にかかわりかねない。涙ながらのその説得に、ついに摩耶は折れたのだった。

 だが、望月はそれをいっさいかえりみようともしない。その目に映っているのは、ただ一人、長月だけだった。

 これでいいのだろうかと、望月に腕をひかれるようにしながら長月は考える。

 けんか騒ぎだけではなく、望月が軍規にふれることをもしでかした事実は動かしようがない。相手取った摩耶たちも、屈服させたというよりむりやり矛を納めさせたといったほうがしっくりくるくらいの強引な決着のつけ方であり、彼女たちとの間にしこりが残ることは避けられない。この件に裁定が下されるとき、明らかに不利な立場に立つのは望月だ。

 もしかすると、もう望月とはいっしょにいられなくなってしまうのかもしれない。そんな想像に、長月は目の前が暗くなってくるほどの恐怖を覚えた。どこ吹く風の望月に、このままひかれているだけでいいのだろうか。

 よくないと、答えははっきりしている。しかしどうすればいいのか。それがまるでわからない。

 うきうきとしてすら感じられる望月にひかれるまま歩いていると、こちらに向かってきたらしい仲間たちの声が聞こえてきた。

「おお、望月か。ということは、先ほどの砲声もか? 派手にやってくれたものじゃのう」

「長月さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いように思えますが」

 自分たちと同じく教導艦である、利根と筑摩だった。

 あれだけの騒ぎがあれば、消灯時間を過ぎていても駆けつけてくる者がいてもおかしくはない。しかしそれは、暴挙ともいえる望月の行いを知る者が増えてしまうことを意味した。もし、教導艦である自分たちの言い分が事情聴取の際に重きを置かれるとしても、それと並ぶ彼女たちの発言で、それらは簡単に打ち消されてしまうことだろう。

「このままでは、望月は……望月は……」

 心中で独白しただけのつもりのその言葉は、そうとは意識せずに声に出ていたらしい。

「大丈夫です。全部、利根姉さんが悪くないようにしてくれますから」

 うつむいていた顔を上げると、そこにはなにも心配はいらないと笑顔を浮かべる筑摩の姿があった。

 どういう意味かと問おうとすると、筑摩はそれは秘密だとばかり口もとに人差し指を当てて、ちらりととなりで言葉を交わす望月と利根に視線を向ける。

「あたしをその気にさせたからには、なんとかしてみせてよ?」

「おぬし、いくらなんでもやりすぎじゃ。まあ、ともあれ、あとは吾輩がいいようにしておいてやるからに、そっちはそっちでうまくするのじゃぞ?」

 二人の話は省略されている言葉が多すぎて、長月には聞いていてもよくわからなかった。その後、ふたたびこちらをひっぱるように基地棟へと歩きだした望月に聞いてみると、それほど大事にはならないように収まるということだと、やはりよくわからない答えを返された。

 だがそれでも、望月が言うからにはそれが正しいのだろうと、長月は考えることにした。いつだって、望月は自分よりも正確に、物事を見抜いてみせてきたのだから。

(最悪の事態にならないのなら、それでいい)

 利根と筑摩のあとにも、道すがら何人もの仲間たちとすれ違った。そのたび寄せられるなにが起きたのかとの問いを、長月はぐったりとした望月を盾に、黙々と進む。今はただ、ぼろぼろになってもあきらめずに戦いつづけた望月を休ませてやりたかった。

 港へと走り去っていく仲間。交わされる切迫した声。

 島全体はざわざわとあわただしい空気が漂っている。今夜は、穏やかな夜とはなりそうになかった。

(おかしなものだな)

 事情がわかっている長月には、それらの動きがどこか別の世界のことのように感じられる。その目に映るのは、どこまでも昨日までと変わらない道、変わらない島の姿にほかならなかった。

 しかし、そんな中にもたった一つ、昨日までとは違うことがあった。それは、となりに望月がいること。それだけで、長月にとってはほかのことなどどうでもいいようにさえ思えてくる。となりに感じるあたたかさを意識しだすと、それ以外のことなど、考えている余裕はなくなってしまう。

「ねえ、長月」

 望月の吐息が、白く口からあふれだす。

「これからは、あたしがつきっきりで面倒見てあげるから。光栄に思ってくれていいよ」

「ああ」

 自分自身はなにか変ったわけでもないのに、こんなに幸せになってしまっていいのだろうかと、長月はおそれにも似た感慨を抱く。しかし、望月に悟られないようにそっとつねったほおは、これがまぎれもない現実なのだと、たしかに教えてくれるのだった。



「ねえ、長月。ちょっとつきあってほしいんだけど、いいかな?」

 男への簡単な報告を済ませ、これでようやく望月をゆっくり休ませてやれると思ったところで、当の本人はだしぬけにそう言いだした。

「まだなにかするつもりなのか?」

 自力で歩こうと思えばできるようだが、いまだに肩を借りたがることを思えば、よほどのことでなければ今日はもう体を休めるべきではないだろうか。そう言ってみるのだが、どうしてもという望月の主張はくつがえしがたく、長月はしぶしぶと資料室に足を向けることになった。

 男への報告自体は、本当に簡単なもので済んだ。ぼろぼろになっている望月と先ほどの砲声とでいくつか聞かれもしたが、望月による簡にして要を得た説明であっさりとその場は済まされてしまったのだ。自らの非を隠そうともしないその説明にははらはらさせられたが、それ以上に驚かされたのは、男が望月のしたことに情状酌量の余地を認めているらしいことだった。さすがにしばらくの謹慎はまぬがれられないようだったが、ずいぶんと軽い処罰で済まされそうな感触に、長月自身がそれでいいのかと思ってしまうくらいだった。

 しかし、長月の口から望月に厳罰を下してくれなど、とてもではないが言えるものではない。自ら教導艦に任命したがゆえの特別扱いか、いつもの甘すぎる温情主義か。ともあれ、男に感謝の念を抱きながらその場をあとにして、今にいたる。

「まったく、そんなぼろぼろな体で、今度はなにをはじめるつもりだ」

 資料室の扉を閉めながら、長月は問う。

「いいからいいから」

 望月はその質問をはぐらかすと、慣れた動作でうすぼんやりとした明かりを灯す。

 その頼りない明かりに照らされた室内を見ていると、長月にはこの部屋で過ごした望月との時間がまぶたの裏によみがえってくるようだった。楽しい思い出があれば、つらい記憶もある。しかし、もう二度と戻ってこないのではないかとまで思いつめたその時間は、これからまた何度も重ねられていくことになるのだ。

(ありがとう。望月)

 それを思えば、望月には感謝してもしたりない。あきれるほどに情けなくなってしまった自分に、それでもこうして手を差し伸べてくれたのだから。

「お礼を言うのは、もうちょっと待ってほしいかな」

 声に出てしまっていたらしい自分の思考に顔を赤らめながら、長月は手招きされるままにいつもの座席に座る。望月も、向かいの席に腰かけている。まるで、以前のように、二人の勉強会が始められるかのような並びだった。

 そして、そう思った長月は間違いではなかったらしい。

「じゃあ、早速だけど、ここのところの長月の状態を、しっかりと把握させてもらおうかな?」

 大仰なせき払いとともに、望月が切り出す。

 あわてたのは長月のほうだ。こうしていっしょにいることをまた許してくれる雰囲気になっただけでもありがたいというのに、そのうえぼろぼろの体を押してまで勉強会につきあわせては、とてもではないが申し訳なさに耐えられそうにない。

 それに、と長月は思う。

「いつものノートが……部屋まで行かないとない」

 今日はもうお開きにして、明日やってくれればそれでいい。そう思うのだが、望月はなにを言ってもその意思を曲げそうな気配を見せてくれなかった。

「それなら、なくてもできること……まあ、資料はないけどここのところのことは話も聞いてるし、簡単にでいいから話し合おっか?」

「いや、その気持ちだけでもじゅうぶんにありがたい。だから……」

 固辞するが、ずいっと顔を近づけてくる望月を前に、断りきることなどできるはずがなかった。

「あたしが、やりたいの」

 そうして、ひとまず先ほど執務室でおおざっぱになされた説明をもとに、どういう意図で艦隊行動がなされたのかを確認し、どうしてそれが失敗したのか、どうすればよりこちらに合った戦い方ができたのかと、話が進められていく。

 話の内容自体は、長月にとって非常にありがたいものだった。自分でどれだけ考えてもわからず、摩耶たちの手をわずらわせながらも確固とした手ごたえを感じられずにいた昨日までよりも、はるかに事態を打開できそうだと思える方法を教えてくれるのだから。それは、やはり望月以上に自分のことを理解している仲間はいないと、信頼感を強めるに足る内容だった。はじめは気乗りがしなかった長月も、しだいに身を乗り出すようにして望月の話に聞き入っていた。しかも、ちょっと進んではこちらの理解を確認してくれて、わからないところがあれば懇切丁寧にかみくだいて説明してくれる。まさに至れり尽くせりの講義だった。

 しかし、長月はそのことをありがたく思う心の隅で、望月の態度にひっかかりを覚えてもいた。

(望月、私に気をつかっている……?)

 望月といえば、なによりも我が道を通し、たまにこちらをふりかえってはついていけていないことにため息をついてみせる。そんな接し方をされるのが常だった。長月としても、それでかまわない、むしろそうしてふりまわされることに喜びを覚える。そんな関係だったのだ。次にはなにをしてくれるのだろうかと、びくびくしながらも期待を抱いてしまう。だからこそ、望月といっしょにいたいと願っていたのだ。

 それなのに、今の望月は。話ひとつを進めるにもこちらに確認を取ってきて、まるで壊れ物を扱うかのような態度だった。

「ここまでの話は、オッケー?」

「あ、ああ……」

(私に負担にならない接し方を、測りあぐねているのだろうか……?)

 どうしてだろうかと、長月は内心で首をひねる。

 たしかに、ほんの少し前まで、望月との間柄はすっかり冷えきってしまっていた。しかし、そうなった原因はすべて長月にあり、それから今まで行いを改めることができていないのもこちらだった。望月は、寛大にもそんな自分に冷たく当たることをやめ、以前にもましてこちらを気にかけるようになってくれているくらいなのだ。これで、なにをされれば自分が望月のことを悪く思えるというのだろうか。

 そんなどこかよそよそしくもある望月の態度であるにもかかわらず、それでもどきりとさせられたり、発される冗談に笑わされたり、この時間を楽しく過ごせてしまう。望月に優しく接してもらうことに、うれしさも感じてしまう。そんな現金な自分の心が、長月はいやだった。

「……ってところで。今はこんなくらいかな? つづきはまた明日。長月のノート見ながらね」

「ありがとう。いま教えられたこと、むだにはしない」

「長月ってば、あいかわらずおおげさなんだから……」

 それでも、こうしてこちらのひと言にしっかり反応してくれる。けらけらと隔意のない笑顔を見せてくれる。それだけでも、ここ最近のつらかった日々を思えばありがたくてたまらない。

 今は、それで十分なのではないか。あれもこれもと求めすぎては、また怒らせてしまうのではないか。

 そう考えだすと、とても望月の態度について指摘する勇気などわいてこないのだった。

(それに、望月がそれでいいと思うのなら、私がどう感じるかなど、たいした問題では……)

「よし……じゃ、これで用事も済んだし、部屋にもどろっか、長月」

 まとまらない考え事をしているうちに、望月が肩に手を乗せてこちらを見つめていた。その顔はこちらの葛藤など知らぬげで、無邪気にこちらをうながしてくる。

 しかたがないと、流されるままにそんな望月に従おうとしたところで、長月ははっと気づくことがあった。

(いや待て。こいつが私の内心を見透かしていないことが、これまでにあったか?)

 まったくなかったとは言えない。細かいところまで細大漏らさず読み取られていたことなど、それこそないと言っていいだろう。それでも、目の前でこれほど心とらわれていることを、望月が気づかなかったことなどないはずだった。それを見透かしたようにいじわるをしてくるのが、望月というやつだったはずなのだ。

(気づいていて、知らないふりをされている……?)

 それならば、なぜか。

(もしかして、気をつかわなければまた気落ちさせてしまうとでも思われているのだろうか……?)

 そんなに、自分は頼りなく見えているのだろうか。

 思いきってそう聞いてしまえたらと、そうも思うが、もし肯定されてしまった場合、とてもすぐには立ち直れそうにない。

「どうしたの、長月?」

 晴れやらない気持ちを抱えたまま見つめかえしていると、いぶかしげな声がかけられる。その顔は、こちらは不安げな眼差しになっていることが自覚できるくらいであるにもかかわらず、やはりそうとは気づかぬげなきょとんとした表情だった。

 それはまさに、長月の想像を裏づけるような表情だった。

「いや。なんでも……なんでもない」

 声が詰まりそうになるのを、必死にこらえてそれだけ返す。弱気があふれそうになっているのを見られまいと、さっと顔をそむける。

(やはり、私は望月のお荷物になってしまうしかないのだな……)

 こらえきれなくなったみじめさに、肩がふるえだす。

「すまない。先に、戻っていてくれ……」

 気持ちが落ち着くまで、だれもいないところで、一人になっていたい。望月から逃げるように、がたっと席を立ち上がりかけた。

 それを制したのは、まるでこちらの行動を予測していたかのように回された望月の腕だった。

「長月、だいじょぶだから」

 望月の腕は、行かせまいとするように、うしろから力強く長月をつかまえる。

「ちょっとかみあってないだけで、教導艦やってくのに問題ないだけの力は、長月は今でも持ってる。本当は、あたしの手助けだって要らないくらいだって、思ってるんだから」

「そんなこと、あるか。ここ最近、私がどれだけの醜態をさらしてきたか……」

 冷静になれなくて、優しい言葉にも感情的に反発してしまう。そんなこちらに、望月は回す腕の力を強め、ひとつひとつ噛んで含めるように言葉を与えてくれる。

「気の持ちようが大事なんだって。今の話聞いてて、それならなんとかなるって、思えてきたっしょ? まずはそう思えるところから手をつけてくのが大切なんだから。だいじょぶだって。もともと、長月にはもっともっと強くなれる素質があるんだから。それはあたしが保証する」

「私に、素質がある……?」

 思ってもみなかった言葉に、長月は呆然としてしまう。そんな長月に、望月はさらに言葉をつづける。

「長月は、あたしが負けたくないって、追い抜かれたくないって必死にさせられた、たった一人の仲間なんだから。覚えてる? 長月がまだあたしをライバルみたいに意識してはりあってたころ。あのころ、あたしがしょっちゅう長月のそばをうろうろしてたことがあったじゃん?」

「覚えているとも……」

 覚えていないはずがあるだろうか。あれは、自分が望月にはとうてい敵わないと悟らされたころのことだった。むきになって、がむしゃらに努力して、それでもなおふだんの気まぐれとやる気のなさそのままの日々を過ごす望月にすら追いすがることはできないのだと、完膚なきまでに思い知らされた日につながる一連の流れ。ちょうどその途上の出来事だったのだから。

 だが、望月はその認識をくつがえすように言うのだ。

「長月ってば、あれでがっくりきちゃったのかもしれないけどさ。ほんとのこと言うと、あのときはあたしもいっぱいいっぱいだったんだ」

(どういう、ことだ……?)

 理解が追いつかずに困惑する頭に、望月はひと言ひと言、ゆっくりとささやくように告げてくる。

「あのころのあたしの戦果ってさ、長月に見せつけるために、それまで出したこともないくらいの全力ふりしぼってたんだ。それなのに、長月ってばものすごい勢いで追いついてきて。人目のあるところでは必死に余裕ぶってたけど、気を抜いたらいつ追い抜かれるかって、休む暇もないくらいにがんばらさられてたんだから」

「そう、なのか……?」

 信じられないと言うようにつぶやくと、頭のうしろからこつりと額が当てられるのがわかった。

「そうなの」

 鼻先にかきわけられた髪のすきまから、吐息が首すじをなでていく。びっくりするほどの熱を持ったそれに、長月の体はじんわりとしびれにも似た感覚を覚えた。

「あのときは長月が先に参っちゃったけど、あのままもう少しねばられたら、あたしのほうが倒れちゃってたかもしれないくらいなんだから。だから、あたしにはわかるの。長月は、まだまだこんなところでくさってるようなやつじゃないってことが。もっともっと、あたしがびっくりするくらいに強くなれるってことも」

(望月が、そんなに私のことを……?)

 ただこちらに耳触りのいい言葉を並べているだけではないかと、疑う気持ちもないわけではなかった。しかしそれ以上に、言葉とともに伝わる熱は、じわりじわりと心の深いところまでしみわたってくるようだった。

 そうするにつれて、面映ゆいような気持ちや、これで浮かれてはいけないと自戒する気持ちが次々と胸にわきあがり、自分がいまなにを思っているのかさえわからなくなってしまう。そんな浮き立つような気持ちを前に、いつまでも意地を張りつづけるなど、できるはずがなかった。そんな気持ちは、いつしかすっかり溶け消えてしまっていた。

(望月がそう言うのなら……なれるだろうか。私は、望月のそばにいるのにふさわしい存在に。なれるだろうか……)

 そうしてわき上がってきたのは、切ないほどの希望だった。

 本当にそうなれるかどうかまでは、わからない。しかし、望月がそうまで自分のことを認めてくれているというのなら、できるかぎりのことはしなければならないと、やってみるしかないと、そんな気にさせられる。

「すまない、望月。ありがとう。私はまた、がんばってみせる」

 ふりかえりながら言うと、笑顔でうなずく望月と目があった。やわらかく、包むように変化していた腕の感触が心地よい。

「そうそう、その調子。そうやって、だれよりもがんばって強くなってきたのが長月なんだから」

「おまえに言われると、なんだかくすぐったい気分だ」

「長月は、もっと自分のいいところを知っておくべきなんだって」

 言い聞かせるように肩をたたいて、望月は体を離していった。じかに伝わるあたたかさが遠ざかっていくことには名残惜しさも覚えたが、だからといって未練がましくそれを求める気持ちはもう存在しない。降り注ぐように与えられたやさしい言葉が、いまや弱気の入りこむすきもないほどに体を包んでくれていた。

(もう、大丈夫。私はまた、戦える……はずだ)

 力強くうなずいて感謝すると、例のごとくひらひらと手をふりながらおどけられた。

「まあとにかく、長月を本来の調子に戻してあげるのが、ひとまずのあたしの仕事。そっから先は、長月しだいだからね」

 そう言う望月の表情は、その先で待っていると言わんばかりだと、長月は思った。そんな言葉を向けられて、いつまでも浮ついた気持ちではいられない。絶対にその期待に応えてみせなければと、緊張を覚えながらも力強くうなずいてみせた。

「ああ。おまえには、これからまた、頼りにさせてもらう。その……おまえが、迷惑でなければ、だが……」

 だが、対する望月の返事は、長月が期待していたものとは、少し違った。

「なに言ってんの。いいに決まってるっしょ。長月がしっかり調子を取り戻すまではなにがなんでもつきあうからさ。長月は、あたしをいいように利用してくれればそれでいいよ」

 にへらと笑って、望月は言う。その表情に、長月の心はずきりと痛んだ。

(そんな顔をしてほしいんじゃ、ないんだ……)

 びくびくすることなく望月と目を合わせれば、こちらを見つめるその表情は、こちらが信頼を伝えるたびに、どこか目線をそらすようにしてから言葉を返してくる。

 いつまでもそんな顔を見てはいられなくて、長月はうつむいてくちびるをかむ。感情的な言葉がのどまで出かかるのを、寸でのところでこらえて押し黙る。

(それでは、だめなんだ。また、望月にいやな思いをさせてしまっては……)

 思い出されるのは、先ほどのけんかのときの、摩耶たちのことだった。彼女たちは、強くなりたいと、ただ大切な人を取り戻したいと、その一心で強硬手段も辞さずに行動していた。その標的にされた自分たちとしてはたまったものではなかったが、その一方でそうまで思いつめられる気持ちにはただ恨んでばかりもいられないものがあるのも事実だった。

(摩耶たちは、強くあろうとしていた。そして実際、強く……見えた。今の私などよりもずっと、ずっと……)

 手段は正しいとはいえなくとも、それは間違いなく、長月の目指すべき姿の一端を現すものであった。

 ならばと、長月は固くこぶしを握る。

(ならば私も、変わらなければ。自分勝手な私のままではなく、もっと、強くならなければ。ただお情けでともにいさせてもらうだけでは、だめなんだ……)

 静かな決意が、長月の胸に去来する。

 そうして、挑むような目を望月に向けたかと思うと、次にはそっと片手を開いて差し出した。

「こちらこそ、おまえをまたがっかりさせてしまわないように、気をつけるから。おまえの手をわずらわせなくてもいいくらいにしっかり、してみせるから。おまえが飽きてしまうまででいい。それまででいいから、どうか、私を見守っていてくれ」

 望月は差し出された手を見て、困ったような顔をした。しかし、だめだっただろうかと、弱気に駆られて尋ね直してみると、最後には苦笑しながらその手を取ってくれた。

「まあ、長月には、あたしなんかよりよっぽど頼りにすべき子がいると思うんだけども……」

「おまえがいいんだ。おまえじゃなきゃ、だめなんだ」

「……もう、しょうがないなあ、長月は」

 笑顔でそう言いながらも、望月の言葉の裏にはどこか、いずれ身をひこうとしているかのように感じられるものがあった。

 そんなことはしないでくれと、長月は今にも叫びだしたい気持ちでいっぱいだった。しかし、表面上はその気持ちをひた隠し、笑顔で望月の手を握り返していた。

(今は、それだけでいい。いつか、おまえにふさわしい強さを手に入れられたとき……そのときにこそ、私に遠慮なしに接してくれ。それまでに、私ももっと、おまえといるのにふさわしい存在に、なってみせるから……)

 そのときまでの辛抱だった。そのときにこそ、望月に仕組まれてはじまった二人の関係は、ようやく新たな一歩を踏み出せるようになるのだ。

 長月はそう信じながら、固く望月の手を握りつづけた。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラ(名前だけはのぞく)およびその現在のレベルは、長月75、望月75、摩耶33、鳥海33、加古33、青葉34、睦月32、榛名52、利根74、筑摩74。イベント終了後、一度もさわってませんでした。
 ひとまず、この二人を当初想定していた落としどころ(ちょっと変わってるかも?)までたどり着かせることができました。いえ、正確に言うと、当初は本当に二人の回の一回目での話くらいしか頭になかったはずなので、そこからさらに続けようとしたときに思い描いた着地点でしょうか。これからというところだとは思いますが、自分としては、この二人の話はこれでおしまいにするのがいいかなと思っています。ちとちよ同様、この先は書きたい方向性が特にありませんので。(ちとちよに関しては、今回、最初書き上げたときにはその後の様子として千歳が登場してもいたんですが、この二人の話としては必要性のうすい場面かなと思えたためカットしてしまってたりします。今後の出番はやはり不明)
 公式でも二次創作でも見かけたことのない組み合わせであり、自分としてもいつどこで目をつけだしたのかすでにわからなくなっている二人ではありますが、いろいろと妄想しているうちに今ではこの二人はこの組み合わせが一番と思えるまでになっています。二人を同じ艦隊に編成しているとだいたい先にやられるのが長月になってるような気がするところとかも含めて、おもしろい二人です。
 ともあれこれで、あとは残るとねちくを……というところ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

艦これ、夏イベはE6までクリアしました。 (1/2)

 記事タイトルに直接関係のある事柄を一番うしろに配置するのはタイトル詐欺のように思えてきたので、ひとまずここに書いてみます。
 投げてかからずにちゃんとイベントの攻略を目指したのは春に続いて二度目だったと思いますが、あまり時間が取れずにそれほど進められなかった前回と違い、今回は行ける限りのところまで攻略できたように思います。まあ、すべて丙作戦での持てる戦力をフルに投入した戦いをしてではありましたが。それでも、ここまで行けるとかなり達成感があります。
 苦戦したのはなんといってもE3とE6。
 E3では、最初にXマスで5回S勝利を重ねてボスに挑んだのですが、上4隻の装甲がかたくてかたくて……。1万近く燃料・弾薬を消費してもゲージを半分も削れずに一日目が終了。これはちょっとだめかもしれないと思ったんですが、二回目にはXマスで8回S勝利してから行くと、体感的にもダメージが入りやすくなったように感じられました。
 E6では、道中大破率が2/3くらいはあったんじゃないかというくらいの苦戦を強いられました。攻略wikiの情報を参考にしながら挑戦してたんですが、エコ編制のルートでは大破し、エコ編制をやめての比較的艦載機を温存しやすいという上ルートでは大破し、やはり同じく道中が安定しやすいという真ん中ルートでは大破しと、結局どこから行っても道中大破率が半分を切ることはなかったというぼろぼろぶり。さすがに戦力的にもここが限界なんじゃと思いましたが、ボスに到達しさえすればE3の一日目よりは着実にゲージを削れていたので、時間はかかりましたが、イベント期間終了数日前になんとかクリア。
 E6クリア時の編制と帰還後のレベルは、第一艦隊:陸奥改46、扶桑改55、利根改二73、赤城改47、千代田航改二73、飛鷹改47、第二艦隊:金剛改51、霧島改51、最上改74、龍田改75、敷波改49、白雪改48、道中支援:榛名改50、吹雪改52、不知火改50、祥鳳改48、日向改47、蒼龍改47、決戦支援:山城改55、千歳航改二74、長月改74、望月改74、比叡改50、龍驤改48。
 削りの時はもうちょっと抑えてたんですが、泥沼にはまるのがこわかったこともあり、最後は資材の消費を度外視してほぼ全力を投入しました。そのおかげもあって一発でクリアしてくれて。あのときはうれしかったですね。というか、よくよくスクリーンショットを漁ってみると、E1からE6まで実はすべて一発で最終形態を突破していたみたいなんですよね。はまる人ははまるとは聞いてたんですが、自分の場合は特にそんなこともなかったので、その点に関しては運がよかったのではないかと思っていますがどんなもんでしょうか。
 それはさておき、今回イベントでは新たに着任した艦娘が結構いまして。逆に言うとまだいないキャラがたくさんいるということなんですが。一人ひとり名前をあげていくと、衣笠、瑞鳳、江風、舞風、速吸、Libeccio、谷風、瑞鶴の計8名が戦力として加入してくれました。通常海域の攻略ともあわせつつ、次のイベントにも向けて、またちょっとずつ育てていきたいところです。




 というわけで、これでタイトルは回収しましたので、以下は次の記事も含めていつも通り。今回は望月長月回でお送りします(若干とねちくも含まれてますが……)。前回の望月長月回でぶん投げすぎたところがあって、当時の自分の考えなさに文句の一つや二つつけてやりたくなったのですが、ともあれうまくつながって感じられるといいなあというところです。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 冬の風浪を切り裂いて、一個の艦隊が海を行く。

 その一隻、艦橋内部の一室に、一人の少女の姿があった。黒の水兵服を身にまとった緑髪のその少女は、先ほどから微動だにせず正面に広がる海に顔を向けている。

 よく見れば、その目はかたくつむられていた。視界を閉ざしながら、なにかを待つように少女は仁王立ちしている。

 しきりに揺れる船体にも、じっとしたまま動かない。彫像を思わせる少女が反応を見せたのは、手もとの電信機が受信を告げたときだった。

『偵察機、追い散らしました。その他敵航空戦力、確認できません』

 届いた電信に、少女の目がぱちと開く。

 一呼吸置いたのち、静かなうなずきがなされる。

 それから、少女の行動は迅速だった。すばやく全艦宛ての信号を発すると、仲間たちに指示をくりだしていく。

『こちら長月。まもなく射程圏内に入る。制空権は我らの手にあり。順次、射程の長い艦から砲撃戦に移るように。機動部隊にはひきつづき弾着観測を頼む。一隻一隻、確実に沈めていくぞ』

 告げるべきことをすべて告げると、艦橋を出て甲板に下りる。

 空はうっすらと雲が広がりながらもよく晴れていた。吹きつける風になびく髪を手で押さえながら、少女はつかつかと手すりぎわまで歩を進めていく。

 そこから、双眼鏡ごしに艦の左前方を見はるかす。視界に映るのは遭遇中の敵艦隊の艦影だった。まだ点のような小ささでありながら、その先頭に立ち、こちらを威圧するような気を放つ戦艦。あなどれないその姿に、少女はぴりぴりと気が張りつめていくのを感じた。相手も、少女の姿をとらえていることだろう。気迫で負けてはいられないと、真っ向からその重圧を受けて立つ。

「来るなら、来い」

 旗艦同士、海を隔ててにらみあう。戦闘開始直前の緊張感。風音の間に母艦へと戻る雷撃機の飛翔音がやけに大きく響くような、静かな時間だった。

「ふっ……」

 いつまでもつづくかに思われたその時間は、どちらからともなく視線がそれて終わりを迎えることになった。

 少女はあがりかけていた呼吸を整えながらきびすを返す。

「さて……」

 砲撃戦がはじまるまでにはまだわずかに猶予がある。少女は改めて、自分と仲間たちの艦にさっと目を走らせる。

 ここまでに少女たちの部隊は一度だけ戦闘をこなしている。無傷とはいえないが、それでも遠目に損傷とわかるほどのものはない。敵が強力な部隊ではなかったため、当然の結果だろう。

 しかし、今度の相手は戦艦一隻を含む高火力の打撃部隊である。これまでに集められた情報からも、この先は戦艦もしくは正規空母を含む敵艦隊との会敵がつづくと想定される。

「ここからが本番だな」

 つぶやかれたのは、さらに闘志を高めるための言葉。

 ここのところ、少女が率いる艦隊はふがいない戦果をさらすことがつづいている。またそれをくりかえすこととなるのか、今回こそは本来の調子を発揮することができるのか。この一戦が第一の関門になる。

 先ほどの威圧感からもわかるとおり、相手は強敵だ。それでも、勝てない相手ではない。水平線ぎわに立ちのぼる黒煙。先制攻撃で敵の一部に多大な損害を与えることができている。あの戦艦が健在であることから油断は禁物だが、戦況は確実に少女たちの側へと傾きつつある。それを取りこぼすことなく手中に収められるかは、少女の指揮と仲間たちの活躍にかかっているといっていいだろう。

「それなら……いくぞ!」

 その声と重なるようにして、少女の部隊から砲撃の音が鳴り響いた。後続の戦艦が敵を射程に収めだしたのだ。あとを追うように、重巡洋艦のうちの一隻からも仰角いっぱいの砲弾が撃ちだされる。

 猛烈な勢いで射出された弾丸は見る間に空に溶けていき、やがて一体となって視界から消えた。

 着弾の報告は届いてこない。

 しかし、初撃は放たれた。敵も、こちらの攻撃に応じるように主砲を斉射しだした。少女の部隊では二撃目の準備が進められている。砲撃戦の火ぶたは切って落とされた。

 互いの部隊の間を砲弾が行き交いだす。海に水柱が上がり、それから敵の砲声が届く。

「狙いは、私か?」

 敵の初弾は少女の前方、行く手をさえぎるように炸裂した。細かなしぶきをかわすように舵を切りながら、少女は敵との距離を詰めていく。

 二度目に飛来した砲弾は後方に落下した。三度目も後方。四度目は左側方。いずれも危機感を覚えるには遠い着水点だった。

 その間、少女の部隊の砲撃は味方機の観測も手伝って精度を増していた。

「やったか……!?」

 少女が注視していた艦の一隻に重なるように水柱が上がる。おそらく至近弾となったのだろう。

 さらには別の艦を相手にも夾叉と見える水柱を確認することができる。すぐに命中がつづくことはなかったが、それも時間の問題だろう。

「――っと!?」

 そちらに意識を向けていると、なにかが空を切る音が耳に入り、その直後に少女の近くの海が弾けた。

「くっ……」

 巻き上げられた海水を、少女は頭からかぶる。

 しかし、被害といえばそれだけで艦の損傷はまるでない。

「やってくれる……」

 ぎろりと敵艦隊をにらむが、どこから飛んできたものかまでは判然としない。そうしている間にも、ぬれねずみになった少女を嘲笑うように追撃の砲弾がやってくる。

 少女は急ぎ舵を切り、間近に迫った弾をかわす。

 飛来する攻撃は徐々に数を増していた。あちこちで水柱が上がり、少女はそれを横目に艦を進めていく。

 気のゆるみを見逃してくれる相手ではない。緊張感を抱きながら、操船に神経を集中する。

 前方からも後方からも響きわたる砲声と着水音。その合間を、右に左に舵を切る。

 また一つ。危うい着弾をしのいだ。少女はくちびるをひきむすんで正面を見すえる。

『着弾。敵軽巡洋艦一隻を無力化』

『同じく。敵駆逐艦一隻の主砲に直撃を確認』

 それらの電信にころあいを見てとると、少女の艦は沈黙を破って砲撃を開始した。狙いは敵戦艦ではなく、その後続艦。ひと撃ち、またひと撃ちと、観測機からの報告をもとにすばやく狙いを合わせていく。その速さは教導艦の名に恥じないものだった。

 しかし、敵も必死の回避を見せる。少女を驚嘆させるほどの舵さばきは動きの予測を困難にし、その合間にはさまる反撃はていねいに照準を合わせる余裕を奪う。

 夾叉まではいきながら直撃させられないことにいらだちを感じつつ、少女は主砲を撃ちつづける。

「どこまで粘る……」

 決定打を与えられないでいるうちに、ほかの仲間たちからの電信が届く。どうやらさらに二隻を無力化させたらしい。戦艦の主砲にも損害を与えたという。

「私も、こんなところで手間取ってはいられないな」

 言いながら、寄せられた砲弾をかわしざま攻撃を放つ。次の砲撃の準備をしながら見送ったその弾は、放物線を描いた末に、とうとう敵艦上で盛大な爆炎をあげた。

「よし!」

 つづけざまに魚雷の発射態勢が整えられる。いまや目標は、すっかり少女の間合いに入りこんでいた。

 必死の抵抗が少女の視界をかすめていくが、悠然とそれをかわしてみせる。

 そうして、けん制するような主砲の数発ののちに少女は勢いよく魚雷を撃ちはなった。

「くらえ!」

 海中に飛び込んだ魚雷は狙いたがわず敵艦に刺さり、炸裂した。一瞬、船体が持ち上がりいびつなゆがみが生じるのがわかった。

 それを見届けて、少女は大きく舵を切る。

『敵の後退開始を確認。全艦、これより追撃態勢に入る』

 残る敵艦は二隻。しかも、どちらも遠目に損傷が見て取れる。それに比べて少女の艦隊の損害は軽微だった。ここで完膚なきまでに叩きのめす以外の選択はありえない。すれ違いざまの戦闘から追撃戦へと、艦隊の進路を変えて追いかける。

「逃がすものか」

 敵に戦艦を残していることが厄介だが、それでも部隊の火力差は歴然としている。あとはどれだけ被害を抑えて勝利を収めることができるかという段階だった。

『扶桑、敵戦艦は任せる。加古、鳥海、私たちで重巡洋艦をしとめるぞ』

 了解の返事を受けながら少女は彼我の距離を目測する。扶桑はすでに敵を射程に収めている。加古も、届くか届かないかというところでありながら意気盛んに砲撃をはじめだした。少女と鳥海の場合は、もう少し近づく必要がある。

 攻撃の輪に加わるべく、二隻は全速力で距離を詰める。

「三対一、四対一で一気に勝負を決める」

 反撃のひまも与えず致命打を与える。それが少女の意図だ。この先にもまだ倒すべき敵は控えている。こんなところで手間取ってはいられない。

「この程度、素早く片づけてしまわないとな」

 この先でもう一度の会敵報告はあるが、どの地点まで敵艦と遭遇する可能性があるのかまではわかっていない。つまり、その偵察された最前線に到達することこそが、部隊を率いる際のひとつの目標であるといえるだろう。

「それに、あいつだって……」

 少女はまだそこまで到達することができずにいるが、同じ駆逐艦である望月はすでにそれを成し遂げてさらにその先へと進もうとしているという。少女には不可能だと断じる理由はないはずだった。

「あいつに、証明しなければいけないんだ。私は、あいつなしでもそこまでいけるのだと。あいつにおぶさるだけの厄介者では、ないのだと……」

 望月から完膚なきまでに拒絶された一件を、少女はそう解釈していた。対等な相手だと思っていた少女が、すっかり頼りきりになってしまったのが許せなかったのだろうと。

 あの日から数日の間、少女は衝撃のあまりなにも考えることができなかった。しかし、戦況は少女にいつまでも呆然としていることを許してはくれなかった。くりかえされる出撃と失敗の中で、少女は無理にでも気持ちに折り合いをつけることを求められた。

「あいつが、これでまたふりかえってくれるかどうかはわからない。だが、やるしかないんだ。そうとでも信じないと……」

 今、少女は望月から徹底した無視を受けていた。同室だというのに、顔すら合わせてもらえない。悪い夢であればいいのにと思っては、朝起きるたびに現実を思い知らされる。それが少女にはつらかった。

「望月、私は……」

 そうつぶやいた直後、背後から耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。

「ぐっ……ああっ……!?」

 一瞬、なにが起きたのかわからなかった。

 奇妙な浮遊感。目まぐるしく移り変わる視界。

「痛っ……!」

 頭に走った鈍い痛みで、ようやく敵の攻撃を受けたのだと悟ることができた。

「そうか。また……」

 望月とのことを考えているうちに、目の前の戦闘のことがおろそかになってしまっていたらしい。

「こんなことだから、私は……」

 浮かんだ自己嫌悪をこらえるように、少女は近くの味方へと視線を向ける。思ったように体に力が入らないことに顔をしかめたのち、ぎこちない動きで首を回す。

 かぎられた視界からでは全体を把握することはできなかったが、それでも的確に相手を追いつめていっているらしき仲間たちの姿をとらえることができた。

「それでいい。私は、大丈夫だから……」

 頭が割れるような鈍痛にぼやけていく意識の中、少女はゆっくりと視線を戻す。見上げたはずの青空は、少女の艦から立ちのぼる煙にさえぎられて、真っ黒にすすけていた。




 くーくーと、明けきらない港のそこかしこに海鳥の声がこだまする。

 艦の上をながめるだけでも、今日のえさを捕らえに行くもの、そのさなかに羽を休めるものたちが足場を求めてそこかしこに止まっているのが目に入る。

「おまえたち、今日もこんな朝早くから、元気なことだねえ」

 疲れたようにつぶやくのは、黒の水兵服を着て眼鏡をかけた茶髪の少女だった。

「あたしにも、ちょっとばかしその元気をわけておくれよ」

 少女がそろりと手近にいた一羽に手を伸ばすと、それはそそくさと飛び去っていった。あとには、少しも静まる様子のない鳴き声が降り注ぐ。

 少女は大きくため息をつくと、気だるげに歩みだし、港の地面を踏みしめた。

「今回の戦果は、いまいちだったかなあ」

 降りてきたばかりの艦をふりかえると、日差しが目に差し込んできて、ほとんど視界をおおうように手をかざす。

「ああもう、だから、この時間の出撃はいやなんだっての」

 やや目が慣れてきたころ、少女は思いっきり顔をしかめながら港に停泊している仲間たちの艦に目をやっていく。任務帰りであるため、すべてが無傷とはいかない。細かな傷も含めれば、損傷がないほうが珍しいくらいだ。

 その中で、目立つのは主砲塔がほとんど折れ砕かれてしまった一隻。重巡洋艦級の艦のぼろぼろな姿だった。その装甲には、何発の直撃を受けたのか、あちこちに応急処置を施された破孔が確認できる。少女が撤退を判断したのは、その損傷を大破とみなしたからだった。

「まあ、でも、こんなもんっしょ。むしろうまくやったほうかも?」

 少女がそうつぶやくのにもわけがある。今回の出撃では、少女の指示からはずれた行動をとる艦が何隻もあったのだ。それでもふだんと比べてわずかに劣るかという程度の戦果をあげてみせたのだから、悪くないどころか上出来といえるくらいだろう。

 しかし、と少女は思う。

 僚艦が独断での行動をはじめてしまった原因については心当たりがあった。

「絶対、長月のせい」

 少女はすっかり情けない顔が記憶に定着してしまった仲間を思い浮かべる。

 長月のここのところの調子の落としようは、もはや話にならないほどだった。一見そんな様子はうかがえないのに、突然集中力を欠いて自滅する。そんなことをくりかえすものだから、教導艦としての適性さえ疑問視されるありさまだった。

 そして、その余波は同じ駆逐艦である少女にまで及んでいる。

 そもそも駆逐艦ごときに高火力の主力艦たちを率いる資格があるのかというわけだ。かぎられた部隊の枠を駆逐艦で埋めるなど、時間としても効率としてもむだが生じるだけではないかという者もいる。

 少女としても同意できないところがないではないが、だからといって長月のこととは明らかに別の問題であり、そんな無茶な要求を耳にするたび腹立たしい気分にさせられていた。

「ほんっと、長月ってば、いい迷惑なんだから……」

 そんなことを考えていると、視界の隅をかすめて目の前に飛来するものがあった。

「うわっ……!?」

 とっさに身をかわして目を凝らす。

 地面に落ちたそれは、海鳥の糞だった。

「あ、あぶな……なんてことしてくれんのさ。どいつだよ、もう……おまえか? それともおまえか?」

 絶対に許さないとばかり、少女は手当たりしだいに目についた鳥に向かってそのあたりの石を拾っては投げつける。とはいえ、めくらめっぽうに投げ放つものだから当然当たるはずもない。そこらへんに飛んでは、迷惑げな鳴き声の中に消えていくばかりだった。

「望月、なにしてるの。もうみんな整列してるよ?」

 とがめるように少女を呼ぶ声。

 ふりかえると、一列に並んだ部隊員の中から一人、少女と同じ駆逐艦の仲間がこちらをさしまねくようにしているのが目に入る。そのしぐさに、なごやかさを感じさせるものはとぼしい。それはむしろ、少女をせっつくような動作であった。くわえて、ほかの仲間たちも同調するようないらだちを示している。そこには、とても気楽に解散を告げて済むような雰囲気はなかった。

「はいはい。わかってるって」

 めんどうくさそうに返事をすると、少女は手に持っていた最後の石ころを投擲する。勢いよく振りかぶられた石はぐんぐんと飛距離を伸ばし、船べりから見下ろす海鳥の足場をたたいて甲高い音を立てた。

 驚きの声を発して飛び立つその姿につかのま満足げな表情を浮かべると、少女はのそのそと仲間たちのもとへと向かう。

 そうして足を動かしながら、少女は自分に向けられる挑戦的な目を感じていた。その視線は、少女の希望に反してさらなる疲労を予感させるのに十分なものがあった。

「ふわぁあ、今回の任務も大変だったねえ。みんなもくたくただろうし、すぐにでも休みたいっしょ?」

「てめえ、そのなめた態度いいかげんにしろよ。ふざけんじゃねぇぞ」

 口火を切ったのは、重巡洋艦の少女、摩耶だった。

 いきなり因縁をつけられて、少女は辟易した顔をした。それが相手のさらなる不快を誘ったのだろう。胸ぐらをつかまれて目の前ですごまれる。

「言ったよな。手ぇ抜くのも大概にしろって。アタシらはてめえのさぼりの帳尻あわせのために部隊組まされてるわけじゃねぇんだよ」

 少女に向かう視線の多くも、それに同調する色を宿していた。

「ごめんごめん。次はもっとがんばるから」

「前もその前も、てめえはそう言ってるんだよ!」

 がつんという音が港に響いた。

「やる気がねぇなら部屋ででも寝てろ! いい迷惑だ!」

「いやー……そうしたいのはやまやまなんだけど、司令官が許してくれなくって。あたしとしては、これでもかなりがんばってるつもりなんだけどね」

 少女はほおを手で押さえながら、それでもどこか他人ごとのように話す。

 実際、少女にはどうでもいいことだった。出撃任務はめんどうだが、司令官から任される手前、やるからにはとそれなりに仕事をこなしている。それだけのことなのだ。うまくいったらうれしいし、失敗したら面白くない気分にもなるが、だからといって決められた仕事をこなす課業として以上にそれが意識されることはなかった。まして、他人がどんな思いでそれに臨んでいるかなど、完全に考慮の外だった。

「それに……ほら、今回は特に、全力ふりしぼって、限界超えた気もするくらいだからさ。あれ以上はいくらなんでも無理だって」

 しかし、摩耶にとってはその真剣味が見られない態度こそが、なにより癇にさわってならなかったようだ。

「てめえ、馬鹿にしてんのか? 目の前で見せつけられてまだわかんねぇとでも思ってるのかよ」

 加減もかまわずつかみ上げる摩耶の力によって、望月のかかとは浮き上げられていく。

「あんだけ余裕ぶっこいといて、だれがそんなこと信じるかよ。てめえはもっとやれるだろ。それを見せろっつってんだ!」

 出撃中の最後の戦闘で、摩耶たちは事前に少女に言われていたものとは違う、彼女たち独自の考えで行動をとった。なにも聞いていなかった少女は、当初あわてるしかなく、摩耶もそれに軽く胸のすくような気分を覚えたものだった。だが、少女はそこからすみやかに部隊を立て直してみせた。摩耶たちの作戦行動を完全に見透かしたようにして予想外の動きをくりかえし、そのうちに戦闘の推移はすっかり少女の手のひらの上に置かれてしまっていた。そう気づいたとき、彼女は否が応にも少女の実力を認めざるをえなくなった。

 今、摩耶の着ている服は、戦闘の余波であちこちに破れができている。それは、自前の計画の甘さからもたらされた危機によるものだった。敵の攻撃をもらって足を鈍らせてしまったことから、彼女は一時的に敵の全艦から標的とされかけた。

 それを救ったのは、少女だった。雷撃で敵の一角を崩し、それを皮切りに部隊の攻撃を誘導して一隻また一隻と敵戦力を削っていってみせた。

 計画を利用されたうえに失敗のしりぬぐいまでされる。これほどの屈辱があるだろうか。摩耶はその光景を見せつけられながら、目の前がくらみそうなほどの憤りを覚えずにはいられなかった。

「そのくせなんでもねぇとばかりにすかしやがって……くそが! 馬鹿にすんなってんだ!」

「べつにそんなつもりはないって。気にさわったなら謝るからさ」

「それが気に入らねぇってんだ! てめえほどの実力があるやつからすれば、アタシみたいなのがどれだけ勝手しようが取るに足らねぇってか? 教導艦様はその他大勢とは格が違うってか? そんないけ好かねぇのはてめえら駆逐艦くらいなんだよ!」

「……」

「長月はここのところふぬけで使えねぇ。てめえは手抜きでやる気がねぇ。どっちにしろ、アタシたちのことなんてどうとも思っちゃいねぇんだろうがよ。てめえらみたいなやつに率いられてると思うと、虫唾が走ってしかたねぇんだ」

 摩耶は叫ぶような声とともに、少女の体を力いっぱいつきとばした。少女はよろけながらもなんとか持ちこたえようとしたが、最後には数歩先でどさりと倒れ伏す。

 それでも受け身はしっかりと取っていたらしく、痛がるそぶりもなく視線を向ける少女に、摩耶は見下しながら手招きしてみせる。

「はっ……どうだよ。むかついたか? やる気になったんなら、相手してやるぜ」

 しかし、ゆっくりと身を起こした少女は摩耶を無視するように、服についた汚れをはらっていった。一触即発の空気にかたずをのんで見つめる周囲をよそに、黙々と乱れた服を直していく。その表情にはいらだたしさがうかがえるが、それすらもが、ぶつけられた言葉の内容によるものよりも、服を汚されたことが理由ででもあるかのようだった。

 そうして、ひととおり身なりを整えたあとで、少女はようやく摩耶に目を戻した。

「言いたいことはそれで全部?」

「全部かだって? てめえらに対する文句がこのくらいで言い尽くせるとでも――」

「まあ、どっちだっていいんだけども。けど、一つだけ言っとくよ。よーく覚えといてよね」

「なんだってんだよ」

 のびてしまったえりもと以外はきれいな水兵服をもう一度確かめてから、望月は口を開く。

「あたしらが教導艦を任されてるのは、あんたらよりも戦場での立ち回りがうまいからだからね。あたしらの言うことを聞くか聞かないかはそっちの自由だけど、下手な考えで思い上がらないことだよ」

「それがどうした。出先で『学級会』はじめだすくせしやがって、どの口でそんなこと言ってんだよ」

 それを聞いて、同じく少女に怒りの視線を送っていた駆逐艦の仲間が気色ばんだ。

「なっ……あれは、望月が……」

「うるせぇな。てめえと話してるんじゃねぇんだよ」

 そこでまた、険悪なにらみ合いが巻き起こることとなった。摩耶は話に割りこまれた不快をぶつけて黙れとおどすように、対してにらまれた側もこればかりは譲れないと見下されるのを不愉快そうに。言葉は発されずとも、表情こそが互いの穏やかならぬ心をありありと映しだす。

 そんな二人のやりとりは、しかし、少女にとってなんらの興味ももたらすものではなかった。

「あたしは言ったからね」

「あぁ?」

 摩耶たちはふたたび少女に視線を戻す。少女はそれをどうでもよさそうな顔で受け止めると、それ以上はなにも言うことなく、基地棟へと歩みだした。

 だれも口を開くことなくそれを見送る摩耶たちの目には、憎々しげな色がたたえられていた。


 基地棟に着くと、少女――望月はほとんど時間をかけることなく司令官への報告を済ませた。早く終わらせてしまいたい一心での、極度に簡略化された説明だった。

「以上報告おわりー。んじゃ、あたしはもう寝るよー」

「あ、おい。ちょっと待て……」

 そんな司令官の声にもかまうことなく、望月はさっさと執務室を抜け出した。ぱたぱたと通路を走り、宿舎にまでいたったところでもう大丈夫だろうと歩をゆるめる。そのまま彼女が向かうのは、空き部屋のうちの一室だった。

 自分たちの部屋では仲間たちの出入りがあって静かに過ごせない。かといって、ある程度の設備がなければ真冬の寒さは耐えがたい。そう考えると、行き先の候補はぐっとしぼられる。その中で、予備の寝具が保管されている空き部屋は格好の仮眠空間といえた。

「寝るったら寝るよー。だれがなんと言おうと寝るよー」

 そうして、望月が自室の近くの空き部屋に手をかけて扉を開こうとした。ちょうどそのとき、彼女の部屋から出てきた仲間と目が合うことになった。

「望月? 帰ってたんだ」

 それは望月のいちばん上の姉妹艦であり、白地に濃緑のえりを合わせた水兵服を着こんだ少女、睦月だった。

「ああ、うん」

 望月はそれだけ言って空き部屋にこもるつもりだった。しかし、それで睦月が放してくれることはなかった。

「待って、望月。ちょっと、話があるんだけど……」

「あたしにはないよ」

「わたしにはあるの」

 珍しくも否と言わせぬ調子で迫る睦月に、望月は露骨に顔をしかめてみせた。無視して扉を閉ざそうとするも、それより早くそでをつかまれる。

 つながった腕越しに、二人の視線が交わりあった。

「あたし、めちゃくちゃつかれてるんだけど」

「長月はもっとめちゃくちゃなことになってるんだよ?」

 睦月は望月をきっとにらみつけた。許せないと、その目はなにより雄弁に彼女の内心を表している。

 対する望月は大きなため息をつく。

「またそれ? なんでもかんでもあたしのせいにされても困るって言ってるっしょ」

「まだそんなこと言うの? 長月、あんなに調子悪くしてるのに」

 ここのところしばしばなされたやりとりがくりかえされる。望月が駆逐艦の仲間たち、とくに同室である睦月型の仲間たちと顔を合わせると、はじまるのは決まって険悪な空気での弾劾だった。すっかり本来の調子を失っている長月。その原因が望月にあるとの認識が広まっていることから起こる非難の渦だ。

 この点で、望月に言い逃れる余地はほとんどない。望月と長月はある時期を境に急速に仲良く見えるようになり、それがけんか別れをして距離を置くようになった。長月の不調の原因は間違いなく望月であり、さらに言えば長月の心理にこれほどの影響力を持ちうる状態を作り出したのも望月の意図によるものだった。

 望月自身、怒りを買うのは当然のことだとわかってはいる。しかし、そうはいっても矢面に立たされつづけるめんどくささは耐えがたいものがあった。

 駆逐艦の中での長月は信頼があつかったことから、望月を追及しようとする仲間たちは睦月や皐月だけにとどまらず相当な数にのぼった。彼女たちは望月をつかまえては事の経緯を問い詰め、糾弾し、しかるべき責任を取らせようと躍起になった。

 もともと望月にも洗いざらいすべてを話してしまうつもりなどなかったとはいえ、悪いと決めつけられたうえで浴びせられる悪口や邪推の数々にはほとほと嫌気が差していた。駆逐艦の仲間を見かけると、いかにつかまらないようにするかと、まずそんなことを考えるようになっているくらいだった。

 睦月は長月だけでなく望月の姉役も自認しているためか明確な悪意を向けてくることはないが、それでも一方的に責めたてられることには変わりがない。

 望月はすっかりうんざりしていた。

「そんなの、あっちが勝手にどつぼにはまってるだけじゃん。なんでそこまで面倒見てやらなきゃいけないわけ?」

「信じられない! どうしてそんな薄情なことが言えるの」

「べつに、悪いことしたわけじゃないし。むしろ、気分を害されてるのはこっちなの」

「すぐそれ。自分は悪くないって。どこをどう見たらそんなことが信じられるっていうの。少しは心配ぐらいしたらどうなの?」

「うっさいなあ。いいかげんにしてよ」

 しびれを切らした望月は力づくで睦月の手をふりほどく。部屋に入ることをあきらめて別のところへ向かおうとすると、睦月は逃がすまいとふたたび腕を伸ばしてきた。

 その腕をかわしざま、望月はすばやく足をはらう。とっさに受け身を取り損なった睦月は、倒れこんでしたたかに背中を打った。

「きゃっ……!?」

 睦月はすぐに起き上がろうとしたようだが、背中を打ちつけた衝撃からごほごほとせきこみ、その動きはぎこちない。

 そんな睦月を、望月は不愉快に見下ろす。

「あたしはつかれてるって、言ったっしょ?」

「望月……。まだ、話は……」

「あたしにはないの」

 つきはなすようにきびすを返すと、望月は足取りすばやくその場を離れていく。

 あくびまじりに廊下を曲がりながらふりかえると、ちらりと見えた睦月はよろよろと立ち上がりながらこちらに手を伸ばしていた。その顔はくやしそうにゆがめられていたが、望月はなんの感慨を浮かべることもなく、次に向かうべき場所へと考えをめぐらせだした。

「見つかっちゃったとなると、あそこはしばらく使えないし……」

 望月は頭を働かせながら走る。

 急がなければ、睦月がすぐにでも追いかけてくることだろう。いかに彼女をまくかが喫緊の課題だった。

 だれかの部屋に厄介になってやりすごすのも一つの手だ。

 しかし、と望月は思う。

「こんなときだから、だれかに借りを作りたくはないんだよね」

 それは、弱みを握られるのとほとんど同義だ。

 そうなると、行く先はほかの空き部屋か、思いきって宿舎の外か。空き部屋なら手近だが、いま見つかったばかりであり予想もされやすい。宿舎の外ならその点の不安はうすれるが、そこにたどり着くまでに人目につきやすい。

 つかのま考えていると、軽空母の仲間が廊下の向かいからやってくるのが目についた。駆逐艦の仲間とつきあいにくくなってからは話し相手になってもらうことも少なくはなく、すっかりなじみになっている仲間だった。向こうもこちらに気づいたようで、軽く手を上げてくる。

 望月もそれに返礼しているうちに、ふっと思い浮かぶ考えがあった。

「そうだ……。ねえねえ、ちょっといい?」

 最近よく話すだけに、彼女のことはよくわかっている。彼女が、なにかと人手が必要な用事を抱えているということも。

 さっそくとばかり、睦月がちょうど手空きみたいだから手伝わせてはどうかと提案すると、渡りに船とばかりの肯定が返ってきた。

「もしかしたら、あたしのこと探してるかもしれないけど、あたしは忙しいからまた今度って伝えといて」

 それも了承してくれた彼女はそのまま睦月をつかまえに行く。そのうしろ姿を、望月は笑いをこらえながら見送った。

「これでよし、と……。やれやれだね、まったく」

 ほっと胸をなでおろすと、ため息とともに望月はこぼす。

 望月にとって長月といえば、教導艦としてもどこまでも上を目指す姿よりも、その虚勢の下に隠れる情けなさのほうが印象に残っている。ここのところの様子は、それが表に出てきているだけではないかとも思えるのだ。

 今、長月がどんな状態なのか、正確なところは望月にはわからない。極力顔も合わせないようにしているし、無理にでもと司令官に希望して別の部隊で組んでもらっているくらいだ。それでもかなりの程度具体的に想像がつくのは、ご親切な仲間たちが逐一聞かせてくるからなのだった。

「それくらい一人で立ち直れないようなやつに、なんでいちいちかかずらわらなきゃいけないってのさ」

 思わずといったようにぼやきがもれる。

「ああもう、長月のことなんか考えるからまたむかついてきた。知るもんか、あんなやつ」

 そうぼやくと、望月はずんずんと次のねぐらへの歩みを速めだした。




「ここか……」

 消灯時間前の資料室。下階の広間のにぎやかさが遠く聞こえてくるひっそりとした一室で、机に向かう影がひとつあった。

 うす明るい光に照らしだされているのは、少女の背にかかる緑の髪。彼女の性格を表すようにくせのないなめらかさで、三日月の形をあしらった髪留めがつけられているのが目にとまる。先ほどからさらさらとかすかに揺れているのは、手もとで書きものをしているためらしい。

 それは、睦月と望月の話にのぼった少女、長月だった。

「どうしてだ……いや……」

 長月の眉は浅く立てられ、根もとにはうっすらとしわが寄っていた。その目は食い入るように、机の上に広げられた図面を見つめている。

 この日の長月は、男から基地島近海の哨戒任務を課せられていた。任務の経過としては順調で、戦果としても出会った敵潜水艦隊のほとんどを沈めてみせており、調子を崩す以前と比べてそれほど遜色のない結果といえるはずだった。それにもかかわらず、長月の表情にはありありと不満が映しだされている。

「だめだ……こんなことでは……」

 片手で頭を抱えるようにすると、長月は目の前の図面から斜向かいに置いた図面に視線を移す。そこには彼女がもっとも理想的だったと思う哨戒任務の推移が記されていた。その部隊を率いていたのは、彼女が遠く及ばない才能を持つ少女だった。

「望月……」

 眺めているうちに、長月の口から思わずといった調子の言葉がもれる。それにはっと気づいた長月は勢いよく首をふると、また目の前の図面に視線を戻してうなりだす。

 しかし、それもつかの間。彼女の頭は時間がたつにつれてうなだれだし、ひきむすばれた口もとは徐々に力を失っていく。

「はぁ……」

 やがて、力ないため息がはきだされた。

 調子を取り戻す日は遠い。そう思わされる様子だった。

 戦果だけを見れば、かつてと同等と見える日もある。しかし、長月自身の活躍によるものかとなると、はっきり違うといわざるをえなかった。

 今日の出撃でも、たたきつけるようにくりかえされた敵艦見ゆの報告を受けてかろうじて意識をひき戻されたものの、それがなければここのところのいつも通りの結果に終わっていたことだろう。

 旗艦として皆を率いるというよりも皆の足をひっぱっているといったほうが正しいのが今の長月の状態である。参入まもない新米でもあるまいに、仲間に助けられねば身の安全もおぼつかない艦など、教導艦の適性をうんぬんするのもおこがましいというものだろう。

「このままでは……」

 望月に頼らなくとも自分は大丈夫なのだと証してみせなければならないというのに、がんばらねばと思うたびにその顔が脳裏に浮かんで意識を取られてしまう。証す以前に不調を抜けだす段階で足踏みしてしまっていることに、長月はあせりを覚えていた。

 望月に助けてもらえばあっという間にこんな不調も乗りきれることだろう。だが、はっきり拒絶の言葉をつきつけられたことを思うと、のこのこと助けを求めにいく勇気など、長月にはとてもなかった。そうでなくとも、最近の望月からは顔も見たくないとばかりに無視されとおしているのだ。いよいよもって、自分ひとりの力でなんとかしなければならなない。

「だが……」

 それにもかかわらず、長月の心は望月を求めてやまなかった。目の前の作戦のことに集中しなければと思っていても、気がつけば望月のことを考えてしまっていた。少しでも気を抜くと楽しかった時間の記憶にひたろうとしてしまい、それと同時に思い出される拒絶の瞬間にうちのめされる。衝撃でなにも考えられない時期は抜けたとはいえ、立ち直ったというにはほど遠いのが現状だった。

「うぅ……」

 あれからもう十日にもなるというのに、今でも油断するとじわりと目に浮かんでくるものがある。

 仲間たちからもさんざん心配されているのはわかっている。しかし、彼女たちからどれだけなぐさめの言葉をかけられても、気持ちが安らぐことはなかった。それどころか、ぽっかりと穴が開いたような心を余計に意識してしまう。

 仲間たちは、長月と望月との関係をそれほど深く知っているわけではない。長月としても、望月との思い出は自分たちの間だけで大切にしておきたいと思っている。そんな仲間たちからのなぐさめで、気が晴れるはずもなかった。

 情けなさに、長月の目じりからこらえられなくなったしずくがひとすじこぼれ落ちる。

「私は……いや、これではいけない」

 ふた筋めが流れだそうとする寸前で、長月はぐっとこらえて首をふる。

 にぎったこぶしで勢いよく目をこすると、にらみつけるように図面と向き合いだした。

 そうして、またしばらく書きものがつづけられようとしたときのことだった。長月以外に訪れる者とてないはずのこの時間の資料室に、やってくる者がいたのは。

「長月、いるか? 少し、じゃまをする」

 驚きとともにふりかえった長月の視界に映ったのは、少し前に報告を済ませたばかりの相手である、男の姿だった。

「なんだ、司令官か……」

 てっきり望月かと思った。そう言いかけた言葉は飲みこんだ長月だったが、男にはそんな内心はお見通しだったらしい。

「望月じゃなくて残念だったか?」

「なんの用だ」

 意地悪く笑う男に、長月はすみやかに用件を済ませるよううながすことで返す。

 望月がここに来ないことは、長月にはよくわかっていたはずだった。手ひどくつきはなされたあの日以来、望月がこの部屋に来てくれたことはない。それにもかかわらず、長月は望月が来てくれることを期待せずにはいられなかった。甘い夢に希望をつなぐことで、つらい時間を乗りきる糧とせずにはいられなかった。

 そんな弱さを見透かされた不愉快もあらわに、長月は険しい目を向ける。

 男は一挙手一投足までをも注視するようなその視線に苦笑しながら、長月の向かいへと歩を進めていく。

「すまない。あなたがわかりやすい反応をしてくれるので、ついついからかってみたくなってしまった」

「それだけを言いに来たのなら、帰ってもらおうか」

「いやいや。もちろんそれだけじゃない」

「なら、なにをしに来た?」

「それは……な。長月、また今日もがんばっているようじゃないか」

 机をはさんで長月と向かいあった男は、広げられた図面をちらりと見る。

 べつに隠すほどのものでもないが、じろじろと見られて気分のいいものではない。ひったくるように集めて男の視界の外に置くと、面白がるように笑みを浮かべられた。それがまた、長月には腹立たしかった。

「それがどうした。これくらい、いつものことだ」

「そうだな。いつものことがいつもどおりにできる。それが一番ではあるな」

「それくらい……」

 不機嫌さのままに答えようとして、長月は言葉をつまらせる。任務での不調を報告している相手だけに、虚勢をはってもすぐにそれと知られてしまうのは明らかだった。

「まだまだということか」

 苦々しくうなずくことで長月は返す。

(いちいち確認などしなくても、わかっているだろうに)

 いらいらと視線をそらす長月に対し、男の声に深刻さはさほどない。

「だがな、長月。あなたはだめだったと言うが、今日の戦果自体はやはり悪くなかったと、私は思うんだ。不注意はあったようだが、失敗にいたる前に気を取り直せていたというし。改善の兆候とも考えられるんじゃないか?」

「そうか?」

 聞こえよく言い直したところで、ものは言いようという類のものでしかない。長月にはその程度のごまかしで今の不調が持ち直せるとは思えなかった。もっと、根本的な原因をなんとかしなければならない。そう思えてならなかった。

「報告のときも言ったが、一回だけならこれまでにもうまくいったことはある。それはわかっているだろう」

「けど、それが何度も続くことはなかった、か。それは確かにそうだな。報告を受けている私が忘れるはずがない。しかし、今回は結果としてうまくいったといえるんだ。その理由について、あなたは考えているか?」

 長月の実感としてはほとんど失敗だった今日の哨戒も、男に言わせれば、収穫があったならば成功であるということになるらしい。そうまでしてよかったところを探すのは、やはり長月に自信をつけさせるためだろう。そんな気づかいをさせてしまっていることに情けなさを覚えながらも、それでも長月は懐疑的にならざるをえなかった。

「運がよかったということだろう」

「これまでうまくいったのもすべてそうだと? そんなに悲観的になっていては、うまくいくものもいかなくなってしまう」

「だが、事実はそうだ。今日だって、たまたま敵の攻撃を受けなかっただけで、手強い相手ならあのすきを逃しはしなかったはずだ」

「それだよ」

 そこで、男は長月の言葉をさえぎるように眼前に指を立ててみせる。なんだと目で問う長月に、男はいいかとばかりにつづけていく。

「今回、あなたの部隊にいた者はだれも被害を受けなかった。それは一つ、誇っていいことだ。それに、時間内に発見した敵部隊は四隊。これは哨戒時間内での最多の発見数に並ぶものでもある。これが二つ目。そして三つ。発見した敵部隊についても、取り逃がした艦はあれど、その一隻をのぞいてすべて沈めてみせている。この三つを一度に成し遂げることは、だれにだってできることじゃない。あなたの地力があってこその成果だ。これでもまだ、今回はだめだったと思うか?」

 男はくりかえし、言葉を変えては長月の戦果を価値あるものととらえさせようとしてきた。冗舌にまくし立てられるその言葉はこの男にこれほどまでに言葉を弄することができたのかと感心させられるものもあった。だが、それでもやはり、長月にとってはいかに表面をとりつくろうかと腐心した末の成果でしかない。

「そんなもの、致命的なすきがあったことには変わりがない」

 それに、なにより長月の理想とする戦闘とはあまりにも差がありすぎた。

「それはそのとおりだが……」

 長月のかたくなな態度に接して男はしばし口ごもる。しかしすぐに、今度は別の方面から話しだす。そして、それはやはり、こちらを励まそうとするのが明白な口調だった。

「今回は敵の攻撃を受けなかった。それはあなたの言うようにたまたまだったのかもしれない。しかし、だ。今後に活かせる戦訓は得られたんじゃないか?」

「なんのことだ?」

 当惑する長月に、男はことさら明るい表情を作る。

「今回、危ういすきを見せながらも無事に済んだのは、仲間が気をつかせてくれたからだと言っただろう?」

「そうだが?」

「それはつまり、仲間の援助があれば失敗も十分にかばうことができるということではないか? 自身の手でやりとげることにこだわるあなたからすれば不満に思えるかもしれないが、独力でうまくいかないならば、ほかの仲間の手を借りるのもひとつの手だろう。あなた自身は本調子とはいかなくても、それでひとつひとつ失敗の可能性をつぶしていくことはできるはずだ。そうしているうちに本来の感覚を取り戻すことも、できるんじゃないか?」

 そう言って、男は長月の反応をうかがうように表情を探る。

「それは……」

 良案ととるか否とするか、長月は判断に迷って男を見つめかえす。

 その考えは確かに、これまで長月が採用してこなかった方法だった。しかし、そうしてきたのには理由があることでもあった。

 調子を崩してからというもの、もともと長月に反感を抱いていた仲間たちからの風当たりはいよいよその強さを増している。今回のように、ここのところのふがいなさを見ていてもなおとっさの判断を利かせて助けてくれる者が、いったいどれほどいるというのか。

 それに、と長月は思う。

「そんなに気の長いことで、作戦の滞りは大丈夫なのか?」

 それくらいなら、いっそのこと主力からはずしてしまったほうが効率的ではないか。そう思うのだが、男はそれくらいはなんでもないと楽観的なことを言うばかりだった。

「ほかの皆も順調に力をつけてきている。このぶんだと、あなたが持ち直すよりも先に作戦を完遂してしまうことも考えられるくらいだ」

「それなら、ことさら私の復調にこだわる意味は……?」

「それは……な」

 そこで、男はしばし黙りこんだ。

 口を開きかけてはためらうように言葉を飲み、口もとに手を当てては言葉を探して考えこむ。なにかを言わねばと気ばかりあせっているらしい様子は、まるでどこか思いつめてでもいるかのようだった。

 長月としては、男と話していてますますわからなくなってきたことを聞いたつもりではあったが、そこまでの態度を取られると、聞かせてもらわなくては納得いかないというほどでもない。

「言いにくいことなら、無理に答えてもらわなくても……」

「いや、言わせてくれ」

 しかし、男はその言葉で決意をうながされたかのように顔を上げ、しっかりと長月に目を合わせる。

 一世一代の覚悟でも固めたかのようなその目の色に、長月はなにか妙な気でも起こさせてしまったのではないかと、いやな予感を覚えた。

 そんな長月の気も知らず、男の口からは熱のこもった言葉が発されだす。

「以前、言っただろうか。あなたは、私の学校時代の友人に雰囲気がよく似ていたんだ」

 それは、いつぞやもそうだったように、うっとうしくなるほどにまわりくどい話だった。

「聞いた。だから私のことはよくわかっている、とも」

「そうだったな。着任以来、あなたを見ていると、不思議なほどのなつかしさを覚えてきた。見知った者のいない土地に着任したはずだというのに、なぜかなじみの場所のようにすら思えたものだ」

「はぁ……」

「もちろん、あなたはあなた。友人は友人だ。区別はできている」

「当然だ」

「そうだな。それでも、私が慣れない基地運営をなんとかつづけてこられたのも、あなたの存在に勇気づけられてきた部分が少なくないんだ。あなたががんばっている姿を見ると、あいつも、今ごろはがんばっているはずだと、私もこのくらいでへこたれてはいられないと、気合いをいれ直すことができたんだ」

「恩返しのつもり、とでもいうわけか? そんなこと、私の知ったことではない」

 長月はにべもなく切り捨てた。

 勝手に恩に着て勝手にそれを返されるなど、気持ち悪さすら覚える。それで区別はできているなど、どの口が言うのだろうか。

「いや、いや。違うんだ。そういうことじゃない」

「じゃあ、どういうことなんだ」

 今の話で、それ以外にどう解釈できるというのか。長月はいらだちの混じった視線を向ける。

「それは……まあ、あなたの言ったような気持ちもまったくないとは言わない。が、それはあくまで、ほんの些細なものなんだ」

 そんなことならいちいち口にしないでほしい。そう思うのだが、苦情を言ってもこの男にはらちが明きそうにない。

「この間も言ったと思うが、少し前からあなたは変わりはじめただろう? それにともなって、あなたに重なる友人の面影はうすれていった」

 こくりと、長月はうなずく。それは、長月にとって最良の日々のできごとであった。望月に導かれ、望月にかまわれて。それを思い出すにつけても、今のみじめな境遇が身にしみる。

「それからというもの、私はあなたを見ていられなくなった。失われていくものを惜しむ気持ちがなかったわけではない。しかし、それよりも身に覚えのある痛みにさいなまれずにはいられなくなった」

「それは?」

「私の場合、兄という存在がいた。幼少のころから、私はどれほど努力しようと、あの兄の弟なら当然だと言われつづけた。それどころか、ちょっと失敗をしては失望されることをくりかえした」

 男は目を伏せながらふりかえる。

「兄がなにかにあくせくしている姿など、私は見たことがない。大事な試験の前日だろうと遊びに出かけたりして、それなのになにをさせても見事なまでに優秀な成績を残してしまう。そんな人だった」

「ほう……」

「まねしようとしても、とてもできるものではなかった。あまりにも人間の中身が違いすぎる。それを痛感させられるだけだった」

 男は大きく息をつく。眉間によるしわは、当時を思い出しているがゆえだろうか。

「その兄が、望月を連想させると?」

「まあ……なんだ、そういうことになる。あなたは望月の戦い方を取り入れようとして、初めのうちは自然とそれができているようにも見えた。しかし、いつからか、あなたに合わないものまでも無理に取り入れだしたように見受けられて、結果として、こうして調子を崩している」

「つまり、私は私に合わない戦い方をしていると?」

 それは、以前に望月からも指摘されたことだった。捨て身よりも、仲間との協働の線で考えたほうがいいと。

「そういうことだ。何日か前を底にして無謀はなりをひそめてきているように思う。その原因が原因であるだけに、そんな元気もないのかもしれないが……」

 ちらりと男から顔色をうかがうようにされて、長月は不愉快に目をそむけた。この男にあれこれ知られているのはいまさらどうしようもないが、改めて口に出されると居心地の悪いものがある。

「……ともあれ、だ。なにかに憑かれたような、鬼気迫る戦い方こそ見られなくなってきたが、それでもまだ無理をしているように思えてならない。望月の優れた点がよくわかっているからだろうか。それを基準にした働きをあなた自身に要求して、それで任務がうまくいったかだめだったかと判断してはいないか?」

「それは……たしかにそうだ。だが、あいつはすべてにおいて私を上回っているんだ。それを参考にして、なにがいけないというんだ」

「いけなくはない。いけなくはない……が、あなたらしさを見失っては十全に力を発揮することはできないのではないかと思うんだ」

「……」

 男の返答を求めるような様子に、長月はすぐには答えず下を向く。そうして、こつこつと机を指でたたきながら考える。

 男の話はまわりくどいうえに要領をえないが、つまりは長月にかつての自身を重ねて心配しているということだ。そして、あわよくば助言めいたものを与えようとしているのだろう。いつだったかもあったような場面だ。

 しかし、その助言は役に立たないと言わざるをえなかった。

 長月はきっと男をにらみつける。

「じゃあ、どうしろと言うんだ。私だって考えてはいるんだ。それなのに、あれもこれもだめで……いったい私になにをしろと言うんだ」

 自力ではなにも考えだせない空虚な時間をさらに重ねろとでも言うつもりなのだろうか。ふざけるなと怒鳴りつけたい気分だった。

 それにもかかわらず、男は胸を張って言うのだった。

「周りにいる仲間たちに頼ってほしい。私にも、頼ってほしい。すぐには調子を取り戻させることはできないかもしれないが、あなたの苦悩を分かち合いたいと思っている者は確かにいるんだ。そして、私自身、強大さを増しつつある敵の脅威を、ほかのだれでもない、あなたとともに乗り越えたいと、そう思っている。この気持ちは、あなたにとって迷惑だろうか?」

 その言葉を聞いた瞬間、長月はぞわぞわと不快な感覚が背筋を走り抜けるのを覚えた。

「ふざけるな!」

 長月は机にこぶしをたたきつけて立ち上がる。

「私は、ふざけてなど――」

「うるさい!」

 長月はもう一度こぶしで机を打ち下ろす。

 先ほどから長たらしい話につきあわされたかと思えば、あげくの果てにわけのわからない妄言まで聞かされたのだ。いやがらせもたいがいにしろというものだろう。

 それに、と長月は言葉を継ぐ。

「私を導いてくれるのは、私がともにありたいと望むのは、望月だけだ。司令官など、こっちから願い下げだ」

 男は傷ついたように顔をしかめた。さらに、言葉を探してくちびるをかむ様子をながめて、長月はいい気味だと胸のすくような思いをいだいた。

 結局、この男は他人に人生の先輩面をしていたいだけなのだ。自分よりも下と認識した相手に優越感を覚えることで自尊心を満たす、軽蔑すべき男なのだ。

 これ以上は時間のむだだと、長月は男に退室をうながす。そうしようとしたとき、男はしぼりだすような声で問いを発してきた。

「しかし、長月。望月とあなたは……」

 長月はぐっと言葉を詰まらせる。いらだたされる相手だからこそ、なまじこちらの事情が筒抜けになっていることは厄介だった。

「……たしかに、拒絶は言い渡された。だが、それはこの先ずっとじゃない。あいつは、いつかまた私のことを見てくれる。いや、私がふりむかせてみせる」

「その決意はうるわしい……が、今のあなたはそれにふさわしいといえるか……? 不調から抜け出す糸口すら見いだせないあなたは、ともにある存在として、望月とつりあっていると思えるか……?」

「それは……」

 ぐっと、言葉につまる。

 今の長月に、その反撃に抗う言葉はなかった。ただでさえ、あきらめそうになる心を必死に叱咤しているのが現状だ。そのうえ、調子を取り戻したとしてもなお、望月は遠い存在だった。気を抜くと、望月が自分などを気に入ってくれていたのがなにかの間違いだったのではないかとすら思ってしまいそうになる。

 じわりと、わき上がってきた弱気を男に悟られないように、長月は力いっぱいこぶしを握る。

「助言が受けいれられないとわかったら、すぐさま私への攻撃に様変わりとは。つくづく見下げはてた男だな、司令官?」

 それだけ言うと、長月は男から退室しないならばと、持ちこんだ資料をつかんで部屋を出た。その直前に見えた、男の悲痛にゆがんだ表情だけが、長月にいくばくかの気休めを覚えさせた。

 しかし、長月の頭ではそれ以上に、男にかけられた言葉がぐるぐるとこだましつづけていた。

「望月とつりあっているか、か……」

 その言葉は長月の心にべったりとこびりつき、一向に落ちてくれそうになかった。




 その翌日の出撃で、長月はまたぼろぼろになって帰ってきたという。それも、明らかに冷静さを欠いた攻勢を行おうとしたところを、仲間にむりやりひきとめられての帰還。長月だけでなく、その仲間も大破をまぬがれることはできず、間一髪のところで敵部隊との離脱に成功したらしい。

 らしいというのは、望月にとってはすべて伝聞上のできごとだったからだ。

「……そんなこと聞かされたって、あたしには関係ないっての」

 望月はぼやきながら朝の基地棟を歩く。その顔はきつくしかめられていた。

「ふわぁ……ったく、こっちは眠くてしかたないってのに」

 夜通し任務に従事していた望月を港で待っていたのは、駆逐艦の仲間たち複数名による追求まがいの確認だった。そこで、望月は詳細に長月の失敗を聞かされることになったのだ。

 望月としては「あっそ」と言うほかの感想はなかったが、仲間たちがそれで解放してくれるはずもない。ここ最近は調子が悪かったとはいえ、それを考えてもおかしいくらいに稚拙な戦いぶり。どうしてそんなに無関心でいられるのかと、またなにかしたのではないかと、どうやって復調させるつもりなのかと、まるで望月が原因であると決めつけてかかった詰問だった。

 まったく身に覚えのないことであり知るもんかとつきはなしたが、あきらめて放してくれるまでに相当の時間を取られてしまった。

「このまま報告さぼって寝てもいいかなー……」

 目をこすりながらそうつぶやくも、のそのそと歩む望月の足は迷いなく執務室へと向かう。体に染みついた行動に苦笑を浮かべていると、まもなく目的の部屋の前にたどりついた。

 そこでまたひとつあくびをもらしてから、軽くせきばらいをして、扉をたたく。

「司令官、あたしだよー、望月だよー。入っていいよねー?」

「……いいぞ」

 聞こえてきた返事は、いつにない緊張感をはらんでいるように感じられた。扉の向こうでなにか起こってでもいるのだろうか。

「失礼しまーす……」

 警戒しながら扉を開けると、そこには司令官以外にも四人の仲間たちの姿があった。加古、青葉、摩耶、鳥海の四人だった。彼女たちが、司令官も含めて一斉にこちらを見る様子は、その場で回れ右をしたくなるほどの居心地の悪さを感じさせるものがあった。

 しかし、望月も用事があってやってきた身である。なにもせずに帰っては眠気を押してやってきた苦労がむだになってしまう。望月はひとまず様子を探るべく、なるべく明るい声で軽口をたたく。

「あれ、珍しいね。先客がいるなんて」

 だれにともなくそう言って反応をみるが、司令官を含めて声を発する者は一人もいない。室内には重苦しいまでの沈黙が流れていた。どうやら、控えめに言ってもあまりよくない雰囲気のところに入りこんでしまったらしい。

 みなの視線が望月を離れてふたたびにらみあいがはじまると、望月はそれ以上しゃべることなく、壁に背がつくほど距離を取って、なりゆきを見守ることにした。

「それで、アタシらの意見を聞きいれるつもりは?」

 緊張感に満ちた静寂を破って口を開いたのは摩耶だった。これ以上話し合うつもりはないとばかりの声音に、司令官は気色ばんだ。

「ない」

 毅然とした、というよりも憤然とした態度でつきかえすような却下だった。

 それを受けて、室内の空気はさらに剣呑さを増す。ふるえるほどに力をこめられた重巡洋艦たちのこぶしは、今にもその怒りをぶつける対象を求めてふりまわされかねない。

 対する司令官も、おもむろに軍刀を持ちだして机上に置いてみせる。

 互いに一歩もひく様子はなく、血を見かねないほどの空気がその場に漂っていた。

 いったいどうなるのかと望月が固唾を飲んだとき、それを破ったのは、淡々とした鳥海の声だった。

「そうですか。それは残念です」

 それだけで、彼女はきびすを返す。

「あっ、おい……!?」

「これ以上は時間のむだです。それに……」

 ちらりと、鳥海は望月を見た。

「なにさ」

「いいえ。それでは、失礼しました」

 意味深な笑みを浮かべると、彼女はそのまま執務室をあとにしていった。

「待てよ、鳥海」

 納得いかない様子で摩耶はそのあとを追う。すぐに戻ってくるかとも思われたが、どれだけ待ってもその気配はついぞ感じられなかった。

 残った二人に、司令官が目を向ける。二人とも、まだありありと不満の浮かんだ表情をしている。しかし、そこにはやや温度差があるように見受けられた。

「なぁ、おい――」

「加古」

 なにか言いかけた加古をふりむかせると、青葉はそっと首をふってみせた。加古はなおも言い返そうとしたようだが、葛藤ののちに言葉をのみこんだ。

「ああ、もう……!」

 それだけ言って、足音荒く部屋を出ていった。その直後、種々の悪態と、どんと壁に走る衝撃が伝わってきた。

「提督、青葉たちの意見が変わることはありませんから」

 その言葉を置き土産に、最後の一人も退室していった。言葉こそ冷静だが、その表情はやはり納得からはほど遠かった。

 望月はしばらく壁越しに耳を澄ませ、廊下に響く足音が聞こえなくなったのを確認すると、ほっと息をついた。どうやら緊迫した場面にいあわせて、知らぬ間に息を詰めていたらしい。

 過熱した空気は四人とともに去り、執務室には司令官と望月だけが残された。

「これでようやく報告ができる、はずだけど……」

 口の中だけで望月はつぶやく。

 邪魔者はいなくなった。それならあとは手短に自分の目的を果たすだけだ。そう思うのだが、ちらと見やった司令官はいまだにぴりぴりとした雰囲気をまとって押し黙っている。

 気にせず用事を済ませてしまってもかまわないといえばかまわないのだが、あそこまで気を張っている様子はほとんど見たことがない。こちらから声をかけては進んでめんどくさそうな空気に飛びこんでいくことになりかねないところでもある。できることなら、司令官が落ち着くまでこの場にいることを忘れていてほしいほどだった。

「あぁ……いや、さっきいっしょに出てっちゃえばよかったのか」

 そう思うが、今となってはもう遅い。それに、早く報告を終えてしまいたかったのも、もとはといえば耐えがたいほどに眠かったからだ。あんな渦中にいあわせて、眠気などつづくはずもない。望月はあきらめて静かに声をかけるべき機をうかがうことにした。

 横目にうかがう視線の先で、司令官はしばらく扉を見すえていたが、やがて手もとの軍刀に目を落とし、じっとなにかを考えこみだす。

 先ほどの四名がなにを訴えていたのか、それは望月にもある程度の予想はつく。彼女たちは、望月たち駆逐艦にいい感情を持っていない面々の代表格であるからだ。望月としても、摩耶を先頭にして声を荒げて詰め寄られたのは記憶に新しい。それに対して、望月のほうから言い返したいこともないではないが、自分たちの実力もわきまえずに吠えたてる者をいちいち相手にするのもばからしい。言いたいだけ言って満足できるのなら、好きに言わせておけばいいだろう。

 司令官への直談判も、これまでに何度かしているらしいが今のように取り合われていないのだ。気にするだけむだというものだろう。それほどまでに、司令官は望月たちの肩を持ちつづけてきている。だというのに、今日の司令官はどうしてこんなにも悩んでいるのだろうか。

「わかんないねー」

 わからないが、言いだされないかぎりは司令官ひとりの問題だろう。そういうことにして、今日はどこで寝ようかということに考えを移していく。

 例の空き部屋が見つかってから、あまりいい場所は見つけられていない。寝つきに関してはどこでもすとんと落ちるように寝られるのだが、寝心地のよさとなると話は別である。昨日の場所も、寝心地が悪いとまではいわないが、時間をかけて整えられたあの場所の感触に比べるとどうしても劣って感じられてしまうのは否定できない。

「やっぱ、ある程度手間ひまかけてあれこれしてくしかないのかなー」

 そんなことを考えていると、司令官が疲れきった心情をそのまま表したような大きなため息をつくのが聞こえてきた。ようやく、気持ちの整理ができたらしい。

 そうして、ひとつせき払いをしてのろのろと乱れた机の上を片づけだす。いつ声がかかるかと思ってその様子を見ていると、しばらくして目が合ったとき、虚をつかれたように目を丸くされた。

「望月……? そうか、すまない。ずいぶんと待たせてしまったようだ」

「忘れてもらっちゃ困るっての」

 あきれた声をかけると、苦笑が返される。いちおう、あのぴりぴりした空気からは切り替えをつけたらしい。

「待たされたぶん、簡単に済ませてもいいっしょ?」

「そうはいかん」

「いいじゃん、いいじゃん。司令官も、朝からつかれてるんじゃない?」

「まあ、な……」

 初めこそしぶっていたものの、なし崩しで話しだすとだめだと言い張られることはなかった。それだけ、先ほどの話でこたえるものがあったのだろう。さっさと終わらせてしまいたい望月にはありがたいかぎりだった。

 それでも、あまりにも省略しすぎると質問がはさまれる。報告する当人としてはわかりきっていたり、口で説明するのが難しい場面など、めんどうで飛ばしておこうとしたところでいくつも補足が求められた。つかれていてもそのあたりの細かさは変わらないらしいと、望月は内心であきれながら答えていく。

 そうして、司令官としては簡単に、望月としてはほとんどいつもどおりの報告は、最後、部隊から大破相当の被害が出たことによる撤退開始を伝えて終わりを迎えた。

「……まー、こんなもんっしょ。まだなんかある?」

「ない……かな」

 これでようやく寝れる。そう考えた望月が退室の許可をもらおうと口を開きかけたところで、ふと司令官がまた深刻な顔つきをしているのに気がついた。

「いや……やはり、望月にも聞いてみるべきだろうな」

 ぼそっともれ聞こえてきたつぶやきは、めんどうごとの匂いをぷんぷんと発していた。

「じゃあ、あたしはこれで……」

「待ってくれ。あなたに関わることで、聞いておきたいことがあるんだ」

 そそくさと逃げようとしたが、その前につかまってしまった。どうやら望月はまだまだ眠らせてはもらえないらしい。それでも、いちおうの抵抗をしてみないわけにはいかなかった。

「それってさ、また今度じゃだめなの?」

「ひとつだけだ。ひとつだけ答えてもらったら、それで下がってもらってかまわないから」

 いつにない押しの強さを見せる司令官に、望月はとうとうあきらめてつきあうことにした。ひとつ問われたことに答えるくらいなら、それほど時間がかかることもないはずだ。

 そう考えたのだが、司令官がはじめた話は例によっておそろしく長たらしかった。

「本来は私一人の力でなんとかするべきだし、なんとかなるとのことだったんだが……」

 ぶつぶつとつぶやいたのち、司令官はせき払いをして望月と目を合わせる。

「話というのはほかでもない。長月のことなんだ」

「えー……」

 不満たらたらな声が望月の口から漏れる。それもそうだろう。長月のことはここのところ仲間たちからくりかえしくりかえし聞かされつづけているのだ。それがいやであちこち逃げ回っているくらいだというのに、司令官にまでそんな話をされてはたまったものではない。

 望月はそう思うのだが、司令官にとってはそこまでの事情を知るよしもない。

「そう言うな。あなたと長月の仲だろう?」

「あんなやつ嫌いだし」

「少し前まではとても仲良さそうだったらしいじゃないか?」

「そんなことないっての」

 長月のことを気に入っていた時期にも、望月に二人の仲を他人に知られるつもりはまったくなかった。すっかり絶交状態になった今となっては、そんな過去があったと認めるのも腹立たしい。

「長月のことなら、どんだけ命令されてもいっしょに部隊を組みたくないくらい嫌いだよ。これでもういい?」

「待つんだ。聞きたいのはそのことじゃない」

「じゃあ、なんなのさ?」

「それなんだがな……」

 目をそらして言葉を濁す司令官に接しているとそのまま黙って退室したくなるのだが、さすがにそれを実行に移すことはない。

「望月、さっきの加古たちとの押し問答。あれはどこから聞いていた?」

「ほとんどなにも。なにか要求されて、司令官が却下したって、それくらい」

「そうか……それなら、そのあたりのことから話そうか」

「いいって。だいたいのことは想像がつくし。どうせ、あたしとか長月を教導艦からはずせって、そんな感じのことでしょ?」

「わかるか。いや、わかるだろうな……」

 やはり、重巡洋艦たちの意見とはそういうことだったらしい。これまでさんざん教導してきてやったというのに、勝手なものだ。改めて怒りを感じもするが、予想できていたことでもあり、この場でそれほど心ゆさぶられることはない。

「彼女たちは、長月の教導艦解任を求めてきた。不調をその理由にあげていたが、それほど長くひきずるものとも思えないのに……」

 むしろ、沈痛そうに望月に事情を説明してくれる司令官の様子からは、この上官の支持はやはり自分たちの側にあることが読み取れる。着任以来、めんどくさがりながらもその信頼に応えてきた賜物だろうか。なんにせよ、このぶんなら、彼女たちがどれだけさえずりまわろうと、不当な決定が下されることはないだろう。まあ、望月にとっては教導艦の任から解かれても痛くもかゆくもないのだが。

「長月ってばたしかに調子悪いみたいだけど、ほかのみんなは特に問題ないんだし、戦果ならそっちでじゅうぶん狙えるのにね」

「まったくだ。がまんを強いているのは承知しているが、それにしてもどうしてあれほど強硬な態度に出てきたのか。そこがいまいちはっきりしない」

 以前からためこまれてきた不満がついに爆発したということだろうか。最近の摩耶たちからはどうもそれだけではない様子もうかがえるように思うが、なんにせようっとうしいことだった。

「めんどくさいから、あいつらいっぺん、教導艦なしで出撃させてみる? そうすれば、身の程ってやつがわかるっしょ」

「望月。任務は一時の感情に任せて課すものじゃない」

「わかってるってば。冗談だよ、冗談」

「目が本気だったように見えたが……まあいい。本題はそれじゃないんだ」

「あぁそう……」

 望月はあきれたように司令官を見る。そろそろ前置きは終わりにしてほしい。ひとつ聞きたいことがあるという話だったはずなのに、これではいったいいくつ質問に答えることになるのか。

 しかし、司令官はそんな望月にかまうことなく、そのままの口調で話しつづけていく。

「あなたに聞きたいのは、ほかでもない。長月のことだ」

「それならさっき答えたじゃん」

「違うんだ、望月。よく聞いてくれ」

 いいかと、司令官はじっと望月の目をのぞきこむ。それに対して望月は警戒心を抱きながら見つめかえす。

「長月の不調ぶりについては知っているな?」

「まあね」

「好不調の波はだれにでもあることだ。それに長月がつかまってしまったとしても、本来は一時的なものにすぎない。本人も、他人の手助けはあまり望むところではないだろう」

 望月はひとつうなずいて先をうながす。

「私も、ちょっとやそっとのことなら黙って見ているつもりだった。だが、ここのところの不調はあまりにも目に余る。周りの者が声をかけているようだが、改善の兆しは一向に見られない」

「らしいね。それで?」

「それで……だ。一昨日の晩、私も意を決して長月と話をしてみた」

「司令官が?」

 意外なことを聞いたとばかりに望月が体を前に乗り出すと、司令官の顔はぐっとしかめられる。

「そうだ。長月は数少ない教導艦の一角。その活躍が作戦の成否を左右する、重要な艦なのだから……」

「ふーん」

「私なりに、せいいっぱい長月を元気づけようとした。そのつもりだったんだ。しっかりできているところはあるからと、不調の状態で完璧を目指しすぎるなと、そして……。だが、結果は……」

「だめだったってわけ?」

 返事はがっくりとうなだれることでなされた。

 一昨日のことだというのに、その傷心ぶりは見ていて哀れを誘うほどであった。が、望月は内心でそれもしかたないことだと思ってもいた。長月は、行き詰れば行き詰るほどに理想と現実との落差に思いをいたしてしまう性格をしている。そのせいでどつぼにはまったまま抜け出せなくなってもしまうのだが、なんにせよ、あせりといらだちを募らせているさなかの長月に冷静さを取り戻させるのは生半可なことではない。

「それでも、うまくいくはずだったんだ……」

「その自信はどこから湧いてくるのさ」

「それは、利根が……いや、なんでもない」

「利根……?」

 望月は首をひねる。

 意固地になった長月を説得するとなると、心許された相手以外にはほとんど不可能だ。望月をのぞいた場合、それができる仲間としてぱっと思い浮かぶのは、睦月くらいだろうか。彼女でも難しいかもしれない。望月自身は初めからそんな気はないのだが、なんにせよ、どちらかというと長月に嫌われている司令官にそれができたとしたら奇跡というものだろう。それがわからない利根とも思えないのだが……。

「本当にそれでうまくいくって言われたの?」

「そ、そんなことより……あなただ、望月」

 そう言って、司令官は望月の肩をつかむ。

「なに?」

 聞きだすことはできなかったが、利根がどういうつもりだったにせよ望月には関係ないことだ。今の話を聞いて長月になにかしてやるつもりなど、さらさらないのだから。

「私ではだめだった。こうなったら、もう託せるのはあなたしかいないんだ。長月を、不調から抜け出させる手助けをしてやってはくれないか?」

 だから、司令官から頭を下げんばかりに請われようと、望月の答えは小揺るぎもしなかった。

「いやだよ」

「そこをなんとか頼めないか。なにかひと悶着あったんだとは思うが、長く組んで戦ってきた仲間じゃないか」

「あたしにそんな義理はないっての」

「それでも、一番の適役はあなたなんだ。長月がいちばん話に耳を貸すのはほかのだれでもない、あなたなんだ。頼む。このままだと、取り返しのつかない被害を出してしまいかねない」

 司令官はとうとう望月の情に訴えるように顔をしかめて目を伏せる。そのくちびるは、内心の忸怩たる思いを示すようにきつくかみしめられている。

 それほど自分の力不足がくやしかったのだろうか。それとも、くやしいのは望月に頼らざるをえない状況なのだろうか。そうだとしたら、司令官はことの経緯を大筋で把握していることになるが……。

「なんだっていいや」

 望月はぼそりとそう結論づけると、不機嫌に司令官を見下ろす。

 つかれているのを押してまでまわりくどい話につきあったというのに、その内容は今もっとも聞きたくないことだったのだ。これくらいの態度は許されるだろう。

 長月とはすっかり距離を置いたはずなのに、まるでどこまでいってもつきまとわれているかのようないらだたしさだった。

「あのさ、司令官。いろいろ言いたいことはあるけど、めんどくさいから一個だけ」

 おそるおそると上げられるその顔に、望月はつきはなすように告げる。

「あたしが長月のことを認めてたのは、あいつがだれにも頼らず強くなってきたのを知ってたからであって。あれくらいの不調を一人でなんとかできないような長月になんて、興味もないよ」

「だが……だが、長月は変わってしまった。それは、あなたが……」

「だから? あたしは長月がどんなになってもにこにこ接してられるほど、心広くはないの」

 これ以上は話すだけむだだろう。望月は司令官の手をはらうと、鼻を鳴らしながら執務室の扉をくぐり抜ける。うしろでなにやら言う声が聞こえてきたが、これっぽっちも意識を向けることはなかった。


「ったく。あっちでもこっちでも、口を開けば長月長月……」

 廊下を歩きながら望月はぼやく。自嘲ぎみにつぶやこうとした言葉は思った以上にいらだち混じりの調子になってしまい、それがまた望月を不快にさせた。

 望月とて、わかってはいるのだ。自分のしたことが、あまりいい顔をされるものではないということは。だが、どうしてみな、そろいもそろって長月の肩ばかりを持ちたがるのか。どうして、自分がなにかしなければならないとばかりつきつけられるのか。

(みんな知らないんだ。あいつが、どれだけ情けないやつかって。どれだけうっとうしいやつかって)

 望月とて、途中までは長月のことをからかって楽しんでいた自覚はある。しかし、そうするうちに長月はどんどんこちらにべったりと頼りきりになっていった。周りが見えていないかのように自分たち以外を意識の外に置くようになっていって、いつしか望月の手には負えなくなった。

 いや、正確には、つきあいつづけるのがめんどくさくなったのだ。長月をいいようにもてあそぶのは、楽しかった。それは確かだ。しかし、人前だろうとみっともない姿をさらしてかえりみなくなった長月は、見ていて耐え難いものがあった。

 つきっきりで鍛え直してやれば、またしゃんとした姿を取り戻すこともできたと思う。だが、そうまでして長月との時間を過ごしたいとはとても思えなくなっていた。楽しい時間への期待を帳消しにしてあまりあるほどに、情けなさを増していく長月の姿は望月をがっかりさせた。

 力不足にうちひしがれているだけなら、まだよかった。しかし、あれほどに敵愾心を燃やしてきた長月が自分に対してへこへこする姿は、望月にこらえきれない怒りを覚えさせずにはおかなかった。

(あたしが目をつけた長月は、そんなんじゃなかったっしょ? できるとかできないとかじゃなくて、とにかくどんだけ跳ね返されても壁にぶつかってくような……それで一人どんどん先を走っていっちゃう、そんなやつだったっしょ?)

 司令官に言った言葉にうそはない。長月は望月のことを比較にならない才能の持ち主と思っているようだが、望月にとっても長月は認めざるをえない存在だった。

 今、仲間たちから聞かされるところの不調も、本来の長月であれば一人でなんとでもしてしまえるはずなのだ。

(それができないっていうのは、つまり、そうしてればあたしが助けてくれるって、どっかで期待してるからでしょ? だれがそんな甘ったれに手を貸してやるかっての)

「あーもー……ほんっと、面白くないことばっか」

 こぼしながら角を曲がる。すると、ちょうど向かいからやってくる仲間がいた。ぶつからないように身をかわそうとしたが、とっさにすれ違おうとした方向はどちらも同じになってしまった。

「あたっ……」

「つぅ……」

 軽く打ちあった頭をさすりながら、望月は謝ろうと相手を確かめた。すると、そこにいたのはほかでもない、長月だった。

「す、すまない。大丈夫、か……?」

 なんと声をかけていいか迷っているうちに、長月はおどおどと、こちらの顔色をうかがうように頭を下げだす。

 それを見て、望月の謝ろうという気分はどこかに散じていった。代わって現れたのは、むかむかとして落ち着かない不快感だった。

「どこ見て歩いてるのさ。あたしがこっち避けたのが見えなかったのかよ」

「すまない。つい、ぼーっとしてしまっていた……」

「しゃきっとしてるときなんてあるのかっての。情けない格好ばっかり見せてくれちゃってさ」

「すまない。本当に、なんと謝っていいのか……」

 長月があせって言葉を重ねるほどに、望月のいらだちは募っていく。

「そうやって謝ってさえいれば、それでなんでも済むとでも思ってるわけ?」

「すまない。いや、その……気をつける。だから、許してくれ。おまえの気が済むなら、なんだってする……」

 それを聞いた途端、望月はもうがまんできなくなった。

「それをやめろって言ってるんだよ!」

 大声を出すと、長月はびくりと固まってしまう。その一挙手一投足が、望月に怒りを覚えさせる。

「あたしをばかにするのもいいかげんにしろっての! 長月はそれで楽しいのかもしれないけど、あたしは全っ然面白くもなんともないんだよ!」

「そんな……私にそんなつもりは……」

「うるさい。長月の声なんか聞きたくもない!」

「ま、待ってくれ。望月……」

「うっとうっしいっての。もうあたしに話しかけてくるな!」

 望月はすがり寄ろうとする長月からさっと身を離す。そのまま耳に手を当てると、憤然とした足取りを隠すこともなく歩みだした。

 二歩、三歩。長月の声が聞こえてくることはなかった。

 五歩、六歩。長月が待てとひきとめてくることはなかった。

(ふん。長月なんか、好きなだけ落ちこんでたらいいんだ)

 望月は不機嫌な気分のままに歩きつづけた。途中、うしろをふりむくことは一度もなかった。




 望月は去っていった。長月にはそれを黙って見ていることしかできなかった。

(せっかく、望月が口をきいてくれたというのに。私は、また……)

 ここのところ、いつもこうだった。

 望月が卑屈な態度を嫌っていることは知っている。そのたび、いらだちや軽蔑のこもった目を向けられるのだから。

 しかし、どれだけ頭でわかっていてもだめだった。望月を目の前にすると、怒ってはいないだろうかと、なにかへまをしでかしていないだろうかと、顔色をうかがってしまう自分がいる。嫌悪をむき出しにした視線でにらまれると、してもいない悪事を見抜かれたかのように、反射的に謝ってしまう。

(いや、違うな。そうじゃない……)

 自嘲とともに、長月は自らの思考を否定する。

(私は、実際に悪いことをしているんだ……)

 それは、自信のなさが生む弱い心の現れであると、自分を励ますことはできた。しかし、どん底から上向きに持ち直すきっかけをつかめずにいる現状では、そのなぐさめは空虚に響くばかりだった。そして、そう感じれば感じるほど、自らを貶める気持ちは真に迫ってくる。

(私は、あいつから嫌いなところを直すように言われた。それなのに……)

 望月に拒絶を告げられたあの日から、長月は少しも変われていない。うっとうしいと言われたにもかかわらず、望月のことばかり考えてしまって、望月にかまってほしくて、望月がいないとどうしていいかもわからない自分のままだ。むしろ、気分が落ちこめば落ちこむほどに、望月の姿を探そうとしてそわそわとしてしまうことを思えば、さらにひどくなっているのかもしれない。

(それなのに、私は今のままで、あいつに許されることを期待している……)

 こんな虫のいい気持ちを知ったら、望月はどう思うだろうか。さらに軽蔑されてしまうだろうか。想像するだけで涙が浮かんできそうになるが、その一方で、あれほど目端の利く望月が、この程度のことに気づかないはずがないことも知っている。

(私は、あいつに見下げられて当然だな……)

 こみあげてきた悲しみをこらえるべく、くちびるをかむ。

 望月に軽蔑されるのはいやだと、あふれ出そうなほどに思いは募る。これ以上嫌いにならないでほしいと、張り裂けそうなほどに胸は痛む。

 しかし、その思いも、望月の気持ちを無視した自己中心的な願望にすぎないのだ。

(こんな、勝手なやつなのに……それなのに、私はあいつのそばにいさせてほしいと望んでいる……)

 これが悪事でなくてなんだというのだ。

 望月には、自分などよりもよっぽど並び立つにふさわしい仲間たちがいる。自分のような、頭打ちになってしまっている者よりも、同じくらいの戦果をあげられる教導艦の仲間たちが。

(だけど、それは……そんなのは、いやなんだ)

 自分以外の仲間が望月のとなりに立ち、望月もまた相手のことを対等な、気の置けない仲間として接する。そして、自分にだけ見せてくれたあれこれの表情を、その相手にも見せる。そんな場面を想像すると、あらゆる希望が絶たれたかのような錯覚に陥らずにはいられなかった。

 そんなことはありえないと、望月が自分以外にあんなにまで心を許したところなど見たこともないと、必死で自分に言い聞かせる。しかし、今日までは正しかったことも、それが明日もまた正しいという保証はどこにもない。気まぐれからほかの仲間には見せたことのない一面を自分に見せてくれたという、大切なはずの記憶がその考えを補強してしまう。

(だから、一刻も早く、私はあいつにつりあう存在にならないといけないんだ)

 一昨晩、男に言われた言葉がよみがえる。

 自分がどれだけ望月のことを想おうと、望月からも同じように見られるには今のままでいいはずがない。

(わかってる。わかってはいるんだ。けど……)

 具体的にどうすればいいのか。その段になると、まるでいい考えが浮かんでこないのだ。

(私は、あいつに距離を置かれてからずっと、こんななのだから……)

 望月に冷たい態度を取られた悲しみをいやしてくれるのは、望月との思い出だった。どうしようもない失敗をくりかえすたび、聞きたくなるのはあのやる気に欠ける声だった。命のやりとりを行う戦場でも、ふっと脳裏に浮かぶのは望月のことだった。

(私にとって、あいつは……)

 望月は、無理をしてでも強くなるための手本だった。長月には手の届かない可能性を見せてくれる憧れであり、どれだけもてあそばれてもかまわないほどに頭の上がらない相手でもあった。そして、つきはなされると心にぽっかりと穴が開いてしまう、ただ一人の存在だった。

 なによりも大切な存在。それが望月だった。

「やはり、あいつがいないと、私は……」

 それ以上、口から出るのはため息ばかりだった。

 望月にふりむいてもらいたいのに、そのためにも望月の助けが必要としか思えない。まして、現実に本人を目の前にするとあの通りにしかならないのだった。

(私は、このままずっと、あいつに嫌われつづけることになるのだろうか……?)

 うしろ向きな思考をしていく中で浮かんだ考えに、ぶるりと体がふるえる。それは、いまや笑って否定できない真実味を持っていた。

(いや、それだけならいい。嫌われるどころか、関心すらはらってもらえなくなったら……?)

 転がりだした悪い想像はとどまるところをしらない。

 今なら望月は、まだ視界に入ったときに不機嫌な態度を取ってくれる。それですら、これほどに悲観的な気持ちにつき落とされるというのに、そんな反応すらなくなってしまったとしたら。

(そうなったら、私はもうおしまいだ……)

 そして、一瞬だけだが、拒絶を告げられたあのとき、望月はまさにそんな表情を向けてきた。起こりうる未来のできごととして、その場面が脳裏に展開されることになんらの障害も存在しなかった。


 明けの港。集合する仲間たち。これから任務へと出撃していこうとする集まり。

 その面々に向かい、望月はいつもの気だるげな調子で声をかける。

『えーっと、今回の部隊員は、と。まず……、それから……、……、長月、あと……。以上ね。よろしくー。ほどほどにがんばろっかー』

 望月の視線は確かにこちらにも向いたが、そこで止められることはなかった。ほかの仲間と同様、ただ確認のために視界に入れたという以上の動きではなかった。

 それが悲しくて、必死に思いをこめて見つめてみるが、やはり声がかけられることはない。

 ならばと、敵部隊との遭遇にそなえてこれまでの経験を活かした提案をしてみるが、不調から抜け出せない中での意見には穴が多く、仲間からあれこれと修正が入る。そうして、結局は仲間たちの意見が大勢を占める方針ができあがってしまった。

 くやしさにくちびるをかみながら望月のほうを見やると、当の望月はこれまたいつものように、皆の話を聞いていたのかいなかったのか、あくびをしているだけなのだ。

 さらには、話がまとまったのを察して、皆に発する一言がこうだ。

『うん。じゃあ、そんな感じで』

 その目はこちらを見ているようで、そこにはなんの感情も見いだせない。好意もなく、悪意もなく、ただたまたま同じ部隊に組みこまれただけの仲間に、特別かける言葉もなくいつもどおりにあたりさわりのない調子で接しているという態度だった。

 自分は本当に望月の目に映っているのだろうかと疑わずにはいられない。どれだけ思いをこめて見つめても、望月からなんの特別な反応もひきだすことはできないのだ。

 うつむきながら海へと歩きだした仲間のあとをとぼとぼと追いかけだす。仲間たちとの距離はみるみる開いていくが、そんなことにかまう余裕は少しもない。

 すると、そこに、ついに待ちに待った声が聞こえてくる。

『あ、そうだ。長月?』

 それだけでぱっと顔を輝かせて望月を見る。しかし、こちらを見る望月の視線はやはり気だるげで、別の仲間との間を渡されていくばかりだった。

 そうして、望月は言う。

『……と……の二人に長月のこと気にかけとくようにお願いしてるけど、それでなんとかなりそう?』

 とっさに意味がわからず、どういうことかと問い返す。すると、望月は困ったような顔をして言葉を濁す。

『いやさ、必要ないならべつにいいんだけども……』

 初め、意味がわからず首をかしげるばかりだったが、だんだんとその意味はわかってくる。

 自分は、望月に気をつかわれているのだ。そのことで落ちこんで、任務に向かう闘志をしぼませてしまわないようにと。

 それは、たしかにそのとおりだろう。そうと気づいてしまうと、衝撃で愕然とした気持ちにとらわれずにはいられない。これまで、望月からは、どれほどの失態をさらしても気をつかわれたことなどなかったのだ。

『や、あんまり気を落とさないでほしいっていうか。その……なに? 長月ならやってくれるとは思ってるんだけども、念のためにさ』

 それなのに、あわてたようになぐさめの言葉がかけられる。そのうえ、その表情にはよそよそしい笑みまではりついている。

 それは、一時期とはいえ肩を並べて戦った者に対する態度ではなかった。扱いに困る仲間に、しかし波風だけは立てないように接しなければという程度の気持ちの表れだった。望月にとって、自分がどうでもいい存在になりさがってしまったことを、それ以上明白に物語る態度もないだろう。

 一瞬、目の前が真っ暗になったような感覚を覚える。ふらつく体をこらえるために手をつくと、なにかの冗談だと思いたくて望月を見上げる。だが、視線の先の望月は、やはり困ったような笑みを浮かべるばかりだった。

 それを信じたくなくて、けれど否定できる根拠もまるでなく、ただなすすべもないままこみ上げる気持ちは涙となってあふれだす。仲間たちの前であろうと、もはや気にする余裕はまるでなかった。

『あっちゃー……どうしたもんかな、これ』

 それを受けた望月はあきれたようにつぶやくだけだ。そのみっともない姿を叱り飛ばすことも、ましてや激しい嫌悪感を示すことさえもしてくれない。すっかりさじを投げられているのだ。

『ちょーっと司令官に指示をあおいでくるね。みんな、しばらく待機でもしてて。ごめんよー』

 地べたに座りこんでしまった自分を見下ろしていた望月は、やがてつかれたようなため息をつくと基地棟に向かい姿を消す。

 それをひきとめることもできずに茫然と見過ごしてしまった自分は、ただ真っ白になる頭で状況を認識するばかりだ。望月にとってただのめんどくさい仲間になりさがった自分、仲間たちからも声すらかけられず遠巻きに白い目で見られるだけの自分、そして、おそらく男からも後方に下げる決定を下されるだろう自分。

 ただただ、これが底の底なのだと思うばかりだ。望月に嫌われたまま取り返せないでいるのがどん底だなどと、浅はかな考えに過ぎなかったと思い知らされる。

 どっと、体に疲れがのしかかってくる。頭は、もはやまともな思考をつむいでくれない。脳裏にちらつくのは、このあとの身の処し方くらいだった。

(自身の砲撃ならすぐに済むだろうか……いや、砲弾の一発すらも私にはもったいない。それなら、ひとり静かに、海に沈むか……)


 すらすらとそこまで考えが進んだところで、長月ははっと我に返る。

(待て。まだこれは現実に起こっていないことだ)

 今から死ぬ算段をはじめるなど、気が早いにもほどがある。

 どつぼにはまりかけた思考を持ち直そうとするが、一方で望月に心をとらわれたまま抜け出せない現状は、そこへとまっすぐに進んでいるとしか思えない。

(なんとかしないと、いけないんだ。だが本当に、どうやって……?)

 細かい部分でなら先ほどの想像とは違った形になるのかもしれないと考えることはできる。しかし、最後に落ち着く結末まで違うものになるかというと、まるでそんな場面を思い浮かべることができないのだ。

 事態改善のためにはどこから手をつければいいのか。それすらも答えの出そうな気配はまるでない。

(今がわかれ目なんだ。ここで、なにか決断しなければ……)

 刻一刻と、時間が過ぎるごとに最悪の場面に近づいているかと思うと、これほどに自身のふがいなさを思い知らされることもなかった。

 だが、じりじりと急かされるように頭を巡らせれば巡らせるほど、思考はまとまりを欠いていく。

(だめだ。このままでは……)

 そうして、どれほどの時間か。いらいらとした気持ちのままに歩みを進めていると、目の前に食堂の扉が見えてくることに気がついた。宿舎にいたはずが、いつの間にかとなりの棟へと移ってきていたらしい。

 どこをどうして歩いてきたのか、長月にはまったく覚えがなかった。だが、ともかく現在地を認識したことで、それと同時に軽い口の渇きにも気がついた。

(寄っていくか……。そのあとは、資料室にでも……)

 意識の大部分はつづく思考に向けながら、なんの気もなく扉を開ける。

 そのまま数歩、流しのほうへと向かいかけていると、横合いから唐突に威勢のいい声がかけられた。

「よう、長月じゃねぇか。ちょうどいいところに来た。ちょっとつきあえよ」

 深刻な考え事をつづける長月にその声はほとんど聞こえなかったが、自身の名前が呼ばれたらしいことには気がついた。ぼんやりしながらふりかえると、そこにいたのは何人かの重巡洋艦の姿だった。

 こちらに視線を向けてくる摩耶に対し、あわてたように青葉が止めに入る。

「ま、待ってよ、摩耶。それじゃ段取りが台無しじゃない」

「うっせぇな。アタシはああいうまわりくどいのは嫌いなんだよ」

「だからって……」

 なおも制止しようとする青葉だったが、鳥海から首をふられてしぶしぶとひき下がることにしたようだ。

「もう、せっかくいろいろ考えたのに……」

「いいだろうが。最終的にうまくいけばよ」

 それで仲間内での話はついたのか、摩耶はふたたび長月に視線を戻す。

「そういうわけだ、長月。こっち来いよ。おまえに話がある」

 そう言ってとなりのいすを引き、ぽんぽんとその座板をたたいてみせる。

 そんな彼女たちを、長月は厄介な手合いに絡まれてしまったと思いながら見つめかえす。今は、正直、だれかにつきあっている暇も余裕もない。

 なんと言って断ったものかと考えていると、ふいにうしろから、強く腕をつかまれた。ぎくりと視線を向けた先にいたのは、にこにこと上機嫌にこちらをうながす加古だった。

「そんないやそうな顔するなよー。せっかく摩耶がひと肌脱いでやるって言ってくれてるんだしさあ」

 こちらの意志など気にかける様子は微塵もない。長月は否応もなく、四人の集まっていた席へと導かれていくこととなった。

「一名様ご案なーい」

「もう、しょうがないなぁ」

「手短に済ませたいですが……ひとまず、お茶でもどうぞ。そのついでとでも思ってください」

 鳥海から差し出された茶に、長月はほかにどうすることもできずにしかたなく口をつける。そうしながら、すばやく皆の表情をうかがう。

(いったい、なんの用だ?)

 見渡したかぎりでそれを読み取ることはできない。だが、ふだんあまり仲の良くない仲間たちである。あまり面白い話になるとも考えづらい。

 身構えるように机の下で軽く手を握っていると、摩耶の手が力強く肩に落とされた。

 じんとしびれるような衝撃につづいて、険のこもった声が浴びせられる。

「おまえ、最近ずいぶんとふぬけてるじゃねぇか」

 前置きなしの言動に思わず眉をひそめる。摩耶の表情には不機嫌さが見えており、ここから楽しい話になるとはとても思えない。そして、話の内容自体はどうやら今の懸案と重なる部分が多そうであった。そのことを思うと、あまりすきを見せたくない四人の前にもかかわらず、気分はどうしても暗くなる。

「……申し訳なく、思ってはいる」

「謝ってる暇があったら、すぐにでも直せ」

 吐き捨てるように告げられても、ただ黙ってやりすごすしかなかった。

(今の私にできるのは、せいぜい鬱憤晴らしの相手をしてやるくらいか……)

「……って言いたいとこだがよ。おまえ一人じゃどうにもならなくなってんだろ? アタシらに任せな。アタシらが、おまえに気合いを入れてやる」

「どういう、ことだ……?」

 思いがけない提案を耳にした驚きに間の抜けた言葉を発していると、摩耶の表情に険が増すのがわかった。

「だからぁ……アタシらが手伝ってやるって言ってんだよ。いつまでそんなぼけた面してやがるつもりだ」

「いや。だが……」

 はっと気づいた長月は改めて摩耶の言葉について考える。しかし、ありがたく思う気持ちもなくはないが、それよりも、目の前にいる四人を信用していいのかという疑問が先に立つ。

(睦月たちなら、あるいは……いや、あいつらでもむりだ)

 彼女たちなら信頼できるが、それでも助力をあおぐにあたって他者を自身のふところに入れることは、また別の恥ずかしさをともなう。まして、摩耶たちからは嫌われてこそいても、気軽に弱みを見せてしまえる気安さは存在しない。

 長月の表情にははっきりと警戒心が表れてくる。

「どういうつもりか聞かせてもらっても、いいだろうか」

「てめえがふぬけてるとアタシらが困るからだ。ありがたく思えよ」

 肩にのせられたままの手にだんだんと力がこめられてくるのがわかる。否は聞かないとばかりのその調子に、長月はどう答えたものかと、気のすすまない考えを巡らせだす。

(ちょっとやそっとでひき下がってはくれなさそうだが……)

 そんなとき、横合いからはさまれたのは鳥海の声だった。

「いきなり言いだされては、長月も困ってしまうかもしれませんね。先に、もう少し私たちの事情を聞いてもらいましょうか」

 にらむ摩耶を気にかけることもなく、彼女はすずしげな顔で話しだす。

「教導艦である長月と違い、私たちの出撃の機会はかぎられています。主力たりえる実力がない以上、それは当然のことです。しかし、それでも軍に所属している以上、ひとつでも多くの戦果をあげたいとも思っています。大きな戦功をあげて勝利に貢献したいと、望んでいます」

 ここにいる四名はみな同じ意見だと、それぞれの顔を見渡してみせる。加古と青葉は静かにうなずき、摩耶は不機嫌にそっぽを向いた。それを確認して、だからこそと、射抜くような視線を長月に向けてくる。

「だからこそ、主力の一角である長月にふらふらされていては困るのです。数少ない出撃の機会がさんざんな結果に終わってしまうことは、許しがたいのです」

「そう……か」

「心配していると言ってほしかったですか? 残念ながら、私たちはあなたのお仲間の駆逐艦たちとは違います。悠長に回復を待っていられるほど気が長くもありません。長月には、是が非でも調子を取り戻してもらわなければならないのです。そこで、摩耶の言葉につながります。長月には私たちの協力を歓迎できない気持ちもあるでしょうが、私たちもあまり気乗りのすることではありません。お互いの利害が一致する間だけのことと考えてもらえれば結構です」

「なるほどな……」

「どうでしょうか?」

「少し、考えさせてくれ」

「あまり長くはかけないようにお願いします。すっかりへそを曲げてしまった人もいますので」

「うるせぇ」

 そんな摩耶とのやりとりを横目に、長月は考える。

 今の鳥海の言葉は、同じ軍に所属する者として、長月にも納得のいくものだった。それを聞いて、ひとまず彼女たちの動機は理解できた。どの程度協調できるかという問題は残るが、目的が同じならば少なくとも信用面で不安に思うことはないだろう。

(ただ……)

 それでも首を縦にふれないのは、心理的な抵抗が解消しきれないからだった。

 たとえ相手が睦月たちであっても、ふがいなさをさらさなければならいことを思うと気軽に了承できるものではない。協力してもらう間かぎりの関係だと思えばいくらかそれもうすれるように感じられるが、相手が長月たち駆逐艦を敵視してきたといってもいい仲間たちだという事実があっては、それにも限度があった。

 長月は考えた末に、眉根を寄せたまま顔を上げる。

「やはり、この話は……」

「ちょーっと待ってください。私からもひとつ、つけくわえたいことがあります」

 そこで、さえぎるように口をはさんできたのは、青葉だった。

 長月がきょとんとしてそちらを見やると、にこにことした顔で告げられる。

「私たちが協力するのは、長月さんにとってはいいことづくめだと思うんですよ」

「どういうことだ?」

「長月さんは自分一人でなんとかしようとしてるみたいですけど、うまくいってないみたいじゃないですか? それなら、やり方を変えてみるのは大事だと思うんですよ」

「それはそうなのだろうが……」

 それくらい考えていない長月ではない。そう思うも、青葉はなおもまあまあと話しつづける。

「やれることはとにかく試してみるのが大事だと思うんです。私たちなら日頃からそれほど接点があるわけでもないので、変に遠慮することはありませんし。それに、長月さんの事情もある程度はわかってるつもりですから」

「私の事情……?」

 なにが知られているのだろうか。警戒心を押し隠しながら聞き返すと、青葉は元気良くうなずく。

「一日でも早く調子を取り戻したいと、思っているんですよね」

「まあ……そうだ。教導艦として、あまりふがいない姿をさらすわけにはいかない」

 そう言うと、青葉はまたまたと笑ってみせる。そうして、ほかにだれもいないにもかかわらず、ないしょ話でもするように口もとに手を当ててみせた。

「むりにとりつくろわなくっても、わかってますってば。望月さんと『つりあう存在』に、ならないといけないんですもんね」

「な……!?」

 ちゃんとわかってますからとばかりに片目をつむる青葉に対し、長月は驚きのあまり、立ち上がりかけたまま二の句がつげなくなってしまった。

 青葉の口から漏れた言葉は、一昨晩の男との話の中で初めて現れた考えだった。そしてそれ以来、長月はだれにもそれを口外していない。それなのに、青葉はわけ知り顔に告げてきたのだ。

「ど、どこで、それを……?」

「いやー、長月さんと司令官との話を偶然聞いちゃいまして。あれはびっくりしましたねえ」

 しみじみとした調子で、青葉は口にする。

(聞いていただと……? いったい、どこから? まさか、私が望月のことをどう思っているのかまで……?)

「あのときのことは、今でも一言一句覚えてます」

 青葉はすらすらと、臨場感たっぷりにあの夜のやりとりを再現していく。それは、途中からではあったが、まぎれもなく男とした会話そのものであった。

「……。そして、『あなたは、ともにある存在として、望月とつりあえると思っているか……?』って、しぼりだすような司令官の声に、さっとはりつめた空気が満ちていく様子といったら。扉越しにも、長月さんが望月さんに抱く並々ならない感情が伝わってくるようでしたよ」

 はふぅと、青葉はたかぶった気持ちをそのままに息をつく。

 それを聞きながら、長月はかっとほおが熱を持っていくのがわかった。

 あの男になら、もう知られてしまっているからしかたないと思うことはできた。しかし、ほかの仲間にまで知られたとなると、とたんにたまらない気持ちになってしまう。なんとかごまかさねばと思うのだが、なにかを考える余裕はすっかり失われてしまっていた。

「いや、あれは……その……」

「それにしても、長月さんもものすごい目標を掲げましたねえ。あの望月さんにつりあえるようになろうだなんて」

「たしかに。あれは、ちょっと追いつけそうにありません」

 だれかが口を開くたび、耳をふさいでしまいたい衝動に駆られる。がんばれなどと、応援するような言葉をかけられるほどに目も合わせられなくなり、真っ赤になって顔をうつむけていく。

「もう……もう、そのくらいにしてくれ」

「おっと、これは失礼。本人を前にして盛り上がりすぎましたかね」

 耐えられなくなってしぼりだすように言うと、青葉がいけないけないとおどけるのがわかった。

 そして、やや間をおいて、今度は真剣な調子で声をかけてくる。

「それでも、今の長月さんにとって、望月さんがあきらめきれない遠い遠い目標だというのは、青葉にもわかるつもりです」

「それは……ああ、そうだ……」

 その言葉に、先ほどまでの、自分一人ではまるで打開策を見いだせない現状が思い起こされる。

 青葉に同調するように、鳥海も口を開く。

「望月の潜在力は基地の中でも指折りではないかと。この間など、魚雷も使わず戦艦を沈めてみせましたから」

「そんなことを……?」

 信じられないとつぶやくと、この目ではっきり見たと断言される。

 知らぬ間に望月はさらに実力をつけているらしい。それにくらべて、長月は自分の成長のなさにくやしさを覚えずにはいられなかった。

(けど、そんな……そんなの、どうやって追いついたら……)

 わからない。ますますあせりを募らせていると、加古も言葉を発する。

「あたしも、あいつは本当にすげえと思うもんなあ。正直、駆逐艦の中であたしが敵わないと思うのは望月ぐらいだよ。長月には悪いけどさあ」

「そう、だろうな……」

 加古の認識でも、やはり望月の才能は自分などが及びもつかないほどに別格であるらしい。青葉も、鳥海も、うんうんと加古に同意して望月のすごさについて話しあいだす。そのほとんどはすでに知っていることだったが、他人の口から聞いていると、改めてその絶望的なまでの遠さを感じさせられる。

(やはり、この四人にとっても、私が望月に追いつこうなど夢のまた夢のような話なのか……)

 聞いているうちに無力感がわき上がってくるのがくやしくて、心の中でそれを押さえつけているうちに涙が浮かんできた。

(しょせん、私などは、おこがましい考えなど捨てて、あきらめとともに空っぽに生きるのがお似合いなのか……)

 そんなのはいやだと思う。だが、ではどうすればいいのかということはやはりわからなかった。

(いやだ。そんなのは、いやなのに……)

 くやしくて、情けなくて、肩がふるえそうになる。

 そのとき、うつむく耳もとでいきなり大きな音がたてられた。

「おまえら、いつまでそんな話してるつもりだ!」

 摩耶のこぶしが机に叩きつけられたのだ。

「それに、長月も! いつまでうだうだしてるつもりだ、てめえは! 望月に追いつきたいのか、追いつきたくないのか、どっちなんだよ!」

「それは……追いつきたい。追いつける、ものなら……」

 胸ぐらをつかみ今にもなぐりかかってきそうな形相ですごまれて、反射的に口から出た言葉は、それこそは長月の本心からの願いだった。

(そうだ……。どれだけ他人から笑われても、この気持ちだけは、捨てられないんだ……)

「なら、アタシらがてめえのけつをけっ飛ばしてやるって言ってんだ。てめえは、四の五の言わずにやることやればいいんだよ!」

 満面に怒気をにじませながらも、摩耶の表情は真剣だった。

「アタシだって、姉貴たちの役に立てるくらい強くなりたいと思ってる。てめえの気持ちもわかるつもりだ」

「いやいや、摩耶。それはさすがに長月さんの気持ちとは違うかと……」

 横合いからつけられた物言いに黙っていろとうるさげに返す摩耶を見やりながら、ありがたいと、そう思った。

 自分を叱り飛ばす摩耶は、どこまでも真剣だった。これほどにふがいなくて、まして嫌っているはずの自分に、そこまで真剣な気持ちをぶつけてくれる。

(そこまでしてくれる、摩耶の熱意には応えたい。だが……)

 それでも二の足を踏んでしまうのは、やはり先ほどからの「しかし……」という心理的な壁が越えられないからだった。

「そうは言いますが、摩耶。具体的になにをしてあげるかまで考えていますか?」

「うるせぇな。それはおいおい考えてけばいいだろうがよ」

「そこが大事なんだってば。なんせ、望月さんは基地でも一、二を争うくらいにすごくて、それに比べて今の長月さんは、こう言うのはなんだけど、へなちょこもいいところなんだから」

「おまえらは、こいつに手を貸してやるつもりがあるのかないのか、どっちだよ」

「あるにはあるんだけどさあ、厳しいんじゃないかなあって。ある程度まではいけても、そっから先がなー……」

「だーかーらー……!」

 気持ちだけであと押ししてくれようとする摩耶に釘を刺す仲間たちからの言葉の数々も、同じ部分を指摘する。

(むだな苦労をさせるくらいなら、やはり一人でやるのがいいのだろうな……)

 徐々にその考えが優勢になり、申し訳ないがこの話は断ろうと、長月は口を開こうする。そうして目を合わせると、摩耶はこちらの気持ちを察したかのように、その目をすぅっと不愉快そうに細めてみせた。

「まさか、今くらいの茶々で気落ちしたわけじゃねぇよな」

「いや、だが……」

 そこでひとつ、舌打ちが鳴らされる。

「さっきから、『だが』だの『しかし』だの……。もういい、もうたくさんだ!」

 そう怒鳴ると、摩耶は一方的に宣言する。

「てめえの話はもう聞かねぇ。こっちにはこっちの都合ってもんがあんだ。どれだけ望月の才能が天才的だろうが、どれだけてめえが並以下だろうが、知ったこっちゃねぇ。てめえには、なにがなんでも調子を取り戻してもらう。わかったか!」

「それは、私としても急務ではあるが……」

 摩耶の迫力に押されながら、長月はもごもごと言葉を返す。

「望月のやつにつりあえるようになりたいんだろ? それだけは、否定しねぇんだろ?」

「……ああ、そうだ」

 正面から摩耶の目を見すえて、うなずきかえす。どれだけ自分に自信がなくても、やはりその気持ちだけは否定できなかった。それが、無力感にさいなまれる自分に残された、もっとも強い気持ちだった。

「なら、その気持ちだけでしがみついてみせろ。アタシからてめえに言ってやることは、以上だ」

 あとは特訓あるのみだとばかり、摩耶は出口へと歩きだす。その迷いのない背中は、目指すべき一つの目標のように大きく見えた。

「ありがとう……」

 そうつぶやいて、長月もまた席を立つ。

 そうして、扉へと向かって数歩を進みだしたところで、ふと思い出してふりかえる。

「加古、青葉、鳥海も、これから少しの間、世話になる。少しの間……に、するつもりだ。よろしく頼む」

 その言葉にやれやれとばかりの返事がなされるの確認して、ふたたび歩みを再開した。

 仲間の力を借りる。男にも言われたことだが、もしかしたらあのとき思ったよりも高い効果が得られるのかもしれない。

 そんな期待に胸をふくらませながら。



 だが、その期待はすぐに失望へと変わることになった。

「なんで、あれだけがんがんに電信送っても気づかねぇんだよ、てめえは!」

 出撃任務から帰った真夜中の港。荒れる摩耶を前に、長月は整列する部隊員たちに見つめられる中、ただ黙って頭を下げるほかなかった。

「戦闘中にどれだけ意識飛ばせば気が済むんだ。実は自殺志願者だったのか? ああ?」

 あのあと、摩耶のあとについて近海で訓練をしていたときはまだよかった。何度か些細な失敗もあったが、動きのきれはよく、これならいけるかもしれないと期待を抱くこともできた。

 だが、まもなく実戦の機会が訪れたとき、そのうすっぺらい手ごたえはあっさりとくだけ散ってしまった。

「てめえ、言ったよな? 何度も警戒警報を鳴らせば大丈夫だって。何日か前はそれでうまくいったって」

 そうなのだ。半日程度のごく簡単なものではあったが、訓練で得た自信らしきものにくわえて、一度は助けられた手段を教訓として、もしものときのためにと摩耶に託すこともしたのだ。それにもかかわらず、今回も失敗してしまった。

 途中まではうまくいきそうに思えていたのだ。一戦目はなんの問題も起こらず、これならばと胸をなでおろすこともできた。しかし、鬼門となったのはやはり戦艦率いる敵部隊だった。

 望月でさえ苦戦する強敵。それを意識しすぎてしまった。望月の動きを頭に思い描いているうちに、心はいつのまにか戦場を離れてしまっていた。それも、様子がおかしいと気づいた摩耶がどれだけ殴りつけるように電信を飛ばしてきても戻ってこれないほどに。

「さらに悪化してんじゃねぇかよ! 昼間はあんだけ調子よかっただろうが! アタシらへのあてつけか?」

 回避行動もとらずに戦場でふらふらするなど、的にしてくれと言っているようなものだった。艦首に直撃をくらったことでようやく意識を目の前に向け直すことができるようになったが、そのときにはすでに何隻もの敵艦から狙いをつけられてしまっていた。

 救援に入ってくれた摩耶にかばわれながら、なんとか砲戦距離を離脱することはできた。だが、それまでに摩耶は主砲を破壊され、動力系にまで損傷を負ってしまっていた。傷は応急処置で済ますことのできる程度ではなく、撤退以外の選択肢はなかった。

「……申し訳ない。次は、きっと気をつけるから……」

「当たり前だ、このふぬけ! アタシがこんだけ体張ってんだ。次こそうまくやれ。さもないと承知しねぇぞ」

「その言葉、胸に刻みつけておく」

「うるせぇ! 口だけならなんとでも言えるんだ」

 そのまま憤然と、摩耶は船渠へと向かう。解散の指示は出していないが、彼女の気色を見てあえて制止する者はいなかった。もう少しだけ話をしたいと、思って長月は手を伸ばしかけるが、逡巡ののちにその手は力なく下ろされた。

(謝っている暇があったら、訓練をするべきなのだろうな……)

 摩耶の損傷は大破相当であり、あまりひきとめては彼女の戦列復帰に遅れをきたすことになってしまう。謝罪を受け入れてくれたとは言いがたいが、望まれるとおりに調子を取り戻すこと以外はみな等しく面白くない結果にすぎないのかもしれない。

(なら、なおさら一日でも早く、調子を戻さなければ)

 それが、望月とつりあう存在になれるのだと、自信をつけるための一歩目になるのだから。

(それもできないようでは、どのみちあいつとのことは、望むべくもないのだから……)

 晴れやらない気持ちのまま、長月はじっとこちらを見ている部隊員たちを一瞥する。そうして、なにをするにもまずは目の前のことを片付けねばと、整列している仲間たちに向き直る。

「すまない。ふがいないところを見せてしまったが……」

 改めて解散を告げる声が陰りがちになるのは、しかたのないことだっただろうか。


 翌日の出撃では、また同じ海域へと向かうことになった。男からは哨戒での調整を提案されたが、志願しての出撃である。摩耶たちにまで協力してもらうことになった以上、そんな様子見のような試みを行っていては申し訳なかったのだ。それに、調整ならば、摩耶たちとの訓練でその代わりとすることができる。一人ではどこに手をつけていいかわからない八方ふさがりも、四人もの助けが得られればあれこれと試せることがある。

「それでは、いっそのこと、部隊を二つに分けて、長月には危険の少ないほうを担当させてみてはどうでしょうか」

 前日の失敗を踏まえてそう提案してきたのは、鳥海だった。

「しかし、それでは連携が取りづらくなってしまうのではないか?」

「しかたがありません。今の長月には、いかにうまく敵を撃破するよりも、いかに被害を受けないようにするかのほうが考慮すべき問題のようですから」

「そうですね。直接ひっぱたいてあげるわけにもいかない戦闘中だと……。いっそのこと、離れたところで戦果の報告でも待っててもらうのが一番なんですけど」

 冗談めかして言う青葉の言葉が胸に刺さる。

「それもいいかもなあ。けど、さすがに五人で戦うのはしんどいぞ?」

「加古まで……。おまえら、なに言ってんだ。こいつがきちんと動けるようになるのが、アタシらにとっても一番だろうが」

 冗談を打ち消してくれる摩耶の言葉はありがたかった。しかし、摩耶としても長月のふがいなさまでを否定するつもりはないらしい。

「いまだにあんだけ気の抜けた戦い方しやがるやつをもとに戻すとなったら、相当な大仕事になるだろうけどよ」

「……皆には、迷惑をかける」

 頭を下げるが、摩耶から答えが返されることはない。昨日の失敗でさらに嫌われてしまったらしい。

「ともかく、だ」

 長月を横目でにらみつけながら、摩耶はさっさと話しを進めていく。

「どんだけ危なっかしくても、てめえには戦闘中の立ち回りの感覚を取り戻してもらわなきゃならねぇんだ。なら、まずは鳥海の言うとおり、なるべく危険の少ない役回りをこなしてもらう。今のてめえには、その程度がお似合いだ」

「つまり、新人さんと同じところからやり直しということです」

「……そうか」

 今の自身の状況を踏まえればしかたないことだが、それでもそんな水準でうだつがあがらなくなっていることを思うと、落ちこんでしまう気分はどうしようもなかった。

(望月にどうでもいいやつだと思われる前に、なんとかしないといけないのだから……)

「落ちこんでる暇があったら、さっさとやることやれってんだ。アタシらだって、いつまでもつきあってやるほど気が長くはねぇんだぞ」

「あ、ああ……がんばる」

 今のように四人もの仲間の協力が得られる機会など、そうそうあるものではない。長月からだれかに頼みこむ場面を想像すると、ほとんどこれきりといってもいいのではないかと思えるくらいだ。一分一秒たりとも、無駄にしていい時間はないはずだ。

 それは、開くばかりの望月との距離についてもいえる。いつか調子が戻ればいいなどと悠長に考えているからこそ、いつまでたってもうまくいかないのではないか。

(今日だ。今日こそ、結果を出してみせなくては。こんなふがいない自分につきあってくれる、四人のためにも)

 気合いを入れ直すためにほおを張ると、出された案に従っていく通りかの動きの練習を開始する。鬼門は常に実戦の場なのだが、練習でくりかえし体に覚えこませることには意味がある。そう信じて、その日予定されていた出撃までの短い間、想定される部隊行動を確認していく。叱声を浴びようと、くよくよしている暇などなかった。

 そうして、長月は今度こそと油断することなく海に出た。そのはずだった。しかし。


「まただめだっただぁ!?」

 夜の港で結果を聞いた摩耶の口から漏れた声には、いまにも爆発しそうな怒りが含まれていた。

「予定通りに部隊を分けて、それでもだめだったってのか?」

「そうなんだよー。敵の弱っちいほうから当たりに行ったまではよかったんだけど、そこでまたいつものやつだよぉ」

 怒りをこらえながらの摩耶の声に答えるのは、ぼろぼろになった加古だった。水兵服には大きく裂け目ができており、上着を羽織ることでなんとかそれを隠している。月明かりだけでははっきりとしないが、昼間の陽光の下でなら、明らかに喫水の下がったその船体もとらえることができただろう。一歩間違えれば沈没もありえたことを思わせる姿だった。

「こいつが敵の面前で的の演技はじめやがって、それでわざわざかばってやる羽目になったって?」

「そういうこと。もう勘弁してほしい……」

 心底疲れたような加古の声に、長月の申し訳なさは募る。

「すまない……」

「てめえは黙ってろ!」

 耐えられずに謝罪するが、摩耶に怒声を浴びせられてしまい、すごすごとひき下がる。

 そうして、加古との間でまた、今回の失態の確認がつづけられていく。

「もっと詳しく聞かせてください。長月の様子がおかしいことに気づいたのはいつですか。砲戦が始まったときはまだ大丈夫そうでしたか」

「うーん……そこんとこは確証が持てないかなあ。まっすぐ進むだけなら寝ててもできるしさ。ただ……あたしの砲戦距離に入ったときはまだちゃんとしてたと思うんだ。弾が当たりそうな気配なんて全然なかったし。まあ、そんでも、避けてたのかはずれてたのかまではわかんないんだけど」

「こいつから撃った弾は一発もなしか?」

「そうそう。あたしがかばって目の前で主砲やられるまでだんまりだったんだよー。ほんっと信じらんないって」

「そういえば、その戦いの戦果はどうなったんですか?」

「本当に聞きたい?」

 ここまでの話でわかるだろうとばかりのげんなりした加古の声に、青葉は認識のずれは避けたいからと、ぜひと答えを返す。

 それに対して、加古は思い出すのもいやそうに、ぐるりと部隊を組んだ仲間たちを見回してから青葉に向き直る。

「えっとー……まず、敵は二隻撃沈の、残りは一隻中破で二隻小破。んで、あたしらのほうはっていうと……あたしが長月をかばって大破だろ? 同じ部隊班から中破が一隻と、別班から中破と小破が一隻ずつ。いや、中破一の小破二だっけ? まあ、そんなとこだから、勝ち負けつかず、よくて引き分けってとこ」

「そうですか」

「そんで、ちなみにだけど、唯一無傷だったのがー……」

 そこで一度言葉を切ると、加古はくるりと長月のほうに首を向けてみせる。

「長月でしたー。あたしがかばってやったおかげってことで。あっはは……」

 夜の港にかわいた笑い声が響く。すぐに波音に打ち消されたその声を発する加古の目には、暗がりでありながらもはっきりと、そのふがいなさにほとほと嫌気が差したという色を読み取ることができた。

「すまない。申し訳ない……」

「そういえば……」

 そこで口をはさんできたのは、長月と加古たちの話を並んで聞いていた、同じ部隊の正規空母だった。彼女はちらりと長月を見やったのち、加古たちに向かって話しだす。一瞬だけ見えた彼女の目にはなんらの感情も浮かぶことはなく、ただ淡々と事実を話す風だった。

「私も、長月の異常には気がついていたわ。だから何度か電信を打ったけれど、反応がなく……そこで、艦載機に長月の至近をかすめるように飛行してもらいました。しかし、それでも気づいた様子はなく、結局、加古の被弾にいたったと。そういう流れだったかと」

(知らなかった……)

 自身の深刻さに愕然とする長月に、さらに別の班だった榛名も口を開く。

「私のほうでも、うすうす長月の異変はわかってました」

「へえー、それはどうしてですか?」

 青葉が受けると、彼女は思案気に話しだす。その口調はいつもどおりに丁寧だったが、内容は確実に今の長月を追い撃つものだった。

「砲戦が始まってすぐの頃は、こちらの部隊班に向かってくる敵艦は、私たちに合わせて三隻でした。それが、しばらくすると、別班に向かったはずの敵が二隻、合流してきたんです。それなのに、味方の応援は一隻も来ません。これは別班のほうがやられたなって、思わずにはいられませんでした。それで、どうしてそうなるかと考えたら、まず浮かぶのは長月さんだろうって」

「それはそれは……実に的確な推測で」

「こう言ってはなんですけど、今の長月さんが教導艦では、安心して戦えません。撤退の指示を受けて退却してはきましたけど、追ってくる敵をひき離すのにもひと苦労で。私たちの損傷は、ほとんどすべてそのとき受けたものと言って差し支えないくらいなんですから」

 長月は皆の話を聞くほどにいたたまれなくなり、合わせる顔もなくなってうつむいていく。

「奇遇ですね。ちょうど青葉もそう思ってるんですよ。いっそのこと、これから司令官のところに陳情しにいってみませんか?」

「ですが、それは……」

 ちらちらと視線が向けられるのを感じながらも、長月はなにも言い返せない。

 なすすべもなく周囲の足もとにばかり視線を飛ばしていると、話の流れを変えてくれたのは、先日にひきつづいてまたしても摩耶だった。

「うるっせえってんだ、青葉! こいつのけつをけっ飛ばしてやるって、決めただろうが!」

(摩耶……)

 しかし今回、そうして変えられた流れは、いささかならずおかしな方向に向かうことになった。

「こいつにはなにがなんでも調子を取り戻してもらうって。アタシがそう決めたんだ。アタシが投げ出してねぇのに、そんな話を持ち出すんじゃねぇよ!」

「そりゃ、摩耶が一度言いだしたら聞かないのは知ってるけど……。でも、長月さんの動機もだいぶ個人的じゃないですか。そんなことの手伝いのためにあれこれ苦労してるのかと思うと、ときおり情けなくなってくるというか……」

「個人的な動機……ですか?」

 青葉の言葉を聞いて、榛名が口をはさむ。

「それは、今回の不思議な作戦行動にも関係があったんですか?」

「まあ、直接はないですが、その第一歩といったところでしょうか」

「それは、いったい……?」

「青葉の口からそこまでは、とてもとても……」

 思わせぶりなその態度を受けて、視線が長月に突き刺さる。痛いほどの沈黙の中、長月は真冬だというのに背筋を汗が流れていくのを覚えた。

「どういうことでしょうか?」

「それは……」

 詰め寄られて、長月は口ごもる。摩耶たちに告げたときもそうだったが、自分の気持ちを知られるというのはたまらない恥ずかしさを覚える。

「言えないんですか? そんな理由で私たちはふりまわされたんですか?」

「そういうわけでは……」

 望月に対する気持ちには、やましいところなど一点もないと、長月は思っている。しかしそれは、ふだん周りから思われているだろう印象とそぐわない気持ちなのだ。

「申し訳ないという気持ちがあるなら、説明があってしかるべきではないでしょうか?」

「そうかもしれないが……」

 回答を迫られて、長月は言葉に窮してしまった。仲間たちに迷惑をかけているのはわかっている。効果のあがらない試行錯誤に巻きこむ形になっているのだから。

 摩耶たちこそ正面から不満をぶつけてくることもあるが、それ以外でも納得いかない思いを抱えている者は数多くいるはずだ。そんな仲間たちに、あとにはひけない理由があるのだと申し開きをすることは、義務のようなものではないだろうか。

(だが、それとこれとは話が別だ……)

 もし、望月に対する気持ちをここで打ち明けたらどうなるか。今のところ、摩耶たちは口をつぐんでくれているらしい。しかし、ここにいる仲間たちはどうだろうか。仲のいい者たちに話さないといえるだろうか。そこから、基地中に知れ渡ってしまうことにならないだろうか。

(そうなったら、皆が、私のことを笑って……)

 あれこれと無責任に広まるうわさ話を思うと、長月の口は堅くならざるをえなかった。詰め寄る仲間たちの不信をありありと映した視線から目をそらしながら、じりじりとその場をかわす機をうかがう。

 しかし、とうとうそんなすきを見出すことはできなかった。

「ほらほら、長月さん。皆さん、ああ言ってますし」

 観念するように、うながすように青葉から声がかけられる。

「長月さん、話したくないのならべつにかまわないですよ。次以降、私もお姉さまたちも、あなたと同じ部隊になるのは拒否させてもらいますけど」

「私も、そうさせてもらおうかしら」

 榛名以外の仲間たちからもあがるその言葉が、長月から逃げ場を奪い去った。困ったように摩耶を見るが、知るかとばかりに顔をそむけられてしまった。

(ああ……)

 昨日から何度も助けてくれた摩耶に明確に助けを拒まれたのは悲しかったが、摩耶としてもこうまでなったものを、もうどうしようもないのかもしれない。そうでなくても、すぐに他者に頼ってばかりの自分など、かばいつづけようとする気持ちもすぐに失せてしまうことだろう。

(すべては、私がまいた種、か……)

 言わずにこの場を済ますことはできないと悟った長月は、覚悟を決めるべく深呼吸した。どれだけくりかえそうと、どんな反応をされるだろうかとこわがる心はなだめようがない。ばくばくと、耳もとで鼓動はうるさいほどに鳴りたてる。

 汗でぬるついた手を服でぬぐってから握りしめると、長月はだれとも目を合わせないようにしながら話しだした。

「私は、望月のために、必死に努力しているんだ。望月に、追いすがれるように。望月と、つりあえるように」

「望月さん……ですか?」

 わけがわからないというようにつぶやく榛名。しかし、今の長月に彼女に配慮する余裕はなかった。あせる頭で、仲間に迷惑をかけてでも苦闘することをやめられない気持ちを表現する言葉を探すのに必死だった。

「私は、望月に見捨てられたんだ。他人に頼ってばかりのやつは嫌いだと。これくらいの不調も克服できないやつに興味なんてないと」

「そういえば、長月さんと望月さんの間でなにかあったと聞いたような……」

「だから、私は一日でも早く、調子を取り戻さなければならない。望月からどうでもいいやつと、思われてしまう前に。ふさわしい存在に、ならなければ。そうでなければ、もう一度ふりむいてはもらえないから。私を導いては、くれないから。あいつがいないと、私はなにもかもだめだから。あいつが私にふりむいてさえくれれば、うまくいくはずだから。だから……だから、私は、あいつが……」

 そこまで言ったところで、長月ははっと自分が口にしていることに気がついて手で口をふさいだ。

(これでは、まるで私があいつに恋焦がれてでもいるみたいじゃないか)

 しかし、事実として望月のことを欲している自分がいるのは否定しようがない。

「あなた、望月さんとそんな関係だったの……?」

「いや、これは、その……」

 信じられない言葉を聞いたかのような榛名の声にも、うまい言い逃れは浮かんでこなかった。たどたどしく語った先ほどの言葉は、まぎれもなく長月の本心を表していたのだから。

「あれだけ熱い言葉を並べておいて、まさか誤解だとは言いませんよね?」

「それは……」

 否定はさせないとばかりに言い募られて、長月はそれ以上なにも言い返すことができなかった。

「それにしても、まさか長月さんが……。千歳さんと千代田さんなら知っていたけれど、すごく……意外です」

「そうでしょう? 任務ひとすじな印象がありましたものね。けど、これがまぎれもない事実でして。この長月さんを見れば一目瞭然ですよ」

 青葉の言葉にまた集まる視線から逃れるように、長月は反射的に眼前に手を伸ばし、それだけでは足りなくてさらに顔をそむける。それは、いつもの長月らしさを感じさせない弱々しいしぐさだった。

 にやにやと、面白がるような視線が長月に向かう。

「たしかに。疑う余地もないほどのあわてよう」

「こうしてみると、長月さんにも可愛らしいところがあるんですよね」

「摩耶がついつい応援したくなるのも無理はないというものです」

「鳥海。勝手にアタシの名前を出すんじゃねぇよ」

 うっとうしげにぼやく摩耶の声も、彼女たちの話を止める役に立ってくれることはなかった。それどころか、会話はいよいよ長月が聞きたくない方向に向かっていく。

「けれど、相手が望月さんって……いくらなんでも似合わなさすぎて、私、笑っちゃいますよ」

 榛名はそう言ってくすくすと笑う。対して、青葉たちがそれを止める様子は一向に見られない。

「そうでしょうか? 長月さんがここまでになる以上、どこかしら惹かれるところがあるはずですよ?」

「それは、たとえば?」

「たとえば……ほら、いろいろあるんじゃないですか?」

「やっぱり、わからないんじゃないですか」

「まあ、生真面目と怠け者ですので。事実として、今はうまくいってないようですが」

 鳥海の言葉が長月の心に刺さった。

 榛名の嘲笑はなおもつづく。

「それに、それだけじゃないです。あの望月さんと肩を並べる存在にだなんて、ずいぶん大きく出たものですよね」

 そう言うと、先ほどの正規空母が同意するようにまた口を開く。

「水雷戦のことはそれほどわかるわけではないけれど、それでも望月に才能のようなものを感じるのは確かね。それに比べて長月は……苦戦しているといったところかしら」

「おや、なんだか歯に衣着せた物言いですね」

「そうかしら?」

「水雷戦で望月に並べるのは利根さんくらいとも聞きますよ? 青葉さんはどう思います?」

「青葉ですか? あはは……私程度じゃ望月さんの水準になるとすごすぎてよくわからなくなっちゃうんですけども。そうですね……やっぱり望月さんと利根さんはずば抜けてますかね。ちょっと下がったところに筑摩さんと龍田さんがいる印象で。長月さんは、そっちよりも青葉たちとの距離が詰まってきている位置といいますか」

 青葉の答えに、榛名は我が意を得たりとばかりに手を打ちあわせる。

「それ、言えてます。教導艦を選別した時点では肩を並べているように見えましたけど、今となっては望月さんと同等に部隊を組める駆逐艦なんていませんよね」

「少なくとも、長月さんではちょーっと役者が不足してますかね? 望月さんの相方には」

「それは、部隊を組む仲間として? それとも、恋人として?」

「さあて、どっちでしょうね?」

 そうして、彼女たちは目を見交わして笑いあう。

(だれの目から見ても、やはりそうなのか……)

 周囲のやりとりを聞きながら握りしめていた拳は、いつしか力を失ってゆるく開かれていた。

(けど、あきらめるわけにはいかないんだ。あいつに嫌われてしまった私は、こんなにも弱々しいんだから……)

 ひとしきり笑いあう仲間たちの声に、それでもなにも言い返せずにうちひしがれていると、思い出したような声が長月にもかけられた。

「けど、あまり冗談ばかり言っていては悪いですよね」

 白々しい言葉とともに、榛名はぺこりと頭を下げてみせる。

 長月にそれを腹立たしく思う気持ちもないわけではないが、それ以上にすっかり気落ちさせられてしまっていた。それに、結局のところ、話の種として自らを俎上に乗せたのは長月自身だった。つっかかれば下火になってきた話題にふたたび油を注いでしまいかねない。早く話題が変わってくれないものかと、心の中で念じるのがせいいっぱいだった。

「……なあ、もういいだろうがよ」

 そんなとき、いらだたしげな摩耶の声がはさまれた。

「加古も、いつまでも馬鹿話につきあってねぇで。大破してんだろ」

「んあ? おお。そうだった、そうだった。長月ー、そろそろあたし、船渠に行ってもいいかあ?」

 思い出したように疲れた体を動かしだす加古に、長月は長く息を吐きながら顔を向ける。

 加古は気のない動作でこわばりかけた体をならしだしている。そこにこちらを気にかける様子は見られない

(しょせんは、他人事か……)

 それもしかたないといえばしかたがない。もともとの関係は、お世辞にも良好だったとはいえないのだ。今でこそ協力してくれてはいるが、こちらの気分にまで配慮する義理はどこにもない。腹を立てながらもかばうようにしてくれる摩耶の態度こそがありえないほどに好意的なのだと考えるべきだろう。

「時間も時間ですし、そろそろ眠気が……」

 あくびまじりの鳥海の声に、長月は自分の心との向き合いを中断し、今すべきことへと目を向けることにした。

(どれだけふがいなくても、私は皆の教導艦であり、この部隊の旗艦なんだ)

「そう……だな。確認するべきことはできている。皆、このまま各自解散してくれ。加古はすぐに船渠で修復を受けるように。以上だ。迷惑をかけて、申し訳なかった」

 そう言って、長月は皆に頭を下げた。

「そう思うんなら、早く調子を戻してくれよお?」

 その言葉を残して加古がきびすを返すのが、気配でわかった。ほかの仲間たちも、思い思いに話をしながら、あるいは無言で、その場をあとにしていく。

(こんなことで、本当に復調できるのだろうか……?)

 話し声が遠ざかっていったのを確かめてから、長月はため息とともに顔を上げる。と同時に、驚かされることになった。

「長月、てめえに言っておくことがある」

 自分一人だけになったと思っていたこの場に、まだ残っている者がいたからだ。

「摩耶……?」

 手助けしてくれている仲間たちの中でもっとも好意的に対してくれる摩耶だが、今発した声、闇夜にまぎれそうなその表情は、先ほどから変わらずいらだちをたたえていた。

「あんなくだらねぇ話、いつまでもさせてんじゃねぇよ。あれくらい一言で黙らせられんだろうが。そんな気の入らねぇことで、無理やりにでも調子ひき上げられると思ってんのか?」

「いや、だが……あれは全部、本当のことで……」

 予想もしてみなかった小言をぶつけられた長月は思わず目をしばたたかせる。

(てっきり、戦闘時のふがいなさを叱責されるものと思ったが……)

 しかし、口はよくないがまっすぐな摩耶のこと、これまでも仲間たちが悪口めいたことを言いだすとすぐに声を荒げていたが、実は陰口の類を嫌っているのかもしれない。文句があるときはいつも、こうして包み隠さずぶつけてくる。耳に痛くはあるが、ありがたい存在ではあった。

(望月には及ばないが、摩耶もまた、私にとってかけがえのない仲間ということになるのだろうな)

 そんな考えに、長月のほおは、帰投以来初めてほころびをみせた。

 だが、摩耶はそれを察してか、ますます怒りを強めていく。長月のえり首をつかみ、額がふれあわんばかりの距離で怒声をぶつけてくる。

「てめえがそんなんだから、あいつらが調子に乗るんだよ。全部本当のことだぁ? てめえがそれを認めてどうすんだ! むだに落ちこんでるだけじゃねぇか!」

「そうかもしれない……。次からは、関係のない話になったらすぐに切り上げることにする。ただ、有益な話もあるのは事実だから、ある程度は話を聞かなくては……」

「そうじゃねぇっつってんだ!」

 えり首をがくがくと揺すられて、長月の言葉はさえぎられた。

「あんなくだらねぇ話に耳を貸さなきゃいけねぇと思うのがふぬけてる証なんだよ。てめえでてめえに自信を持たないで、だれがてめえのこと認めてやれるってんだ!」

 答えようにも、えり首をつかまれたまま、満足に呼吸もさせてもらえない。心配してくれるあまり態度が荒くなっているのかと思っていたが、ひょっとして本気で腹を立てているのだろうか。

(だが、だとすると、いったいなにに……?)

 この場でのやりとりから、これかと思い当たるものはない。それでも、摩耶の怒りを解くにはなにか答えを返さないわけにはいかない。長月は目の回った頭を必死にめぐらせる。

「それは、私だけでは難しいかもしれない。だが……」

「まさか、アタシがやってやるとでも思っちゃいねぇよな?」

「違うのか?」

「アタシはな、てめえのそういうところに虫唾が走るんだよ!」

 それは、ごく最近、望月からも言われたことだった。

(だが、だからといって、私はどうしたらいいというんだ……)

 答えの出ない問いに協力を申し出てくれたはずの仲間は、しかしそれを問うこと自体が問題だという。それが克服できるというなら、そもそも問題になどなっていないというのに。

(やはり、私一人ではなにもできない。あいつがいないと、私はぐるぐると同じところを回るばかりだ……)

「望月がいてくれれば……望月が私を見守ってくれさえすれば……」

 判然としない頭で長月はつぶやいた。長月自身、そんなことを口に出そうとして出したのではなかったが、間近にいる摩耶の耳に、それが届かないわけにはいかなかった。

「いいかげんにしろ、てめえ!」

 長月のほおを摩耶の拳が吹き抜けていった。虚をつかれた長月は、受け身も取れずに港の舗装の上を転がっていく。数歩の距離で止まったときには、すっかり服のあちこちに擦れたあとが生じていた。

「な、なにを……」

 長月は殴られたほおを押さえながら体を起こす。

「そんなに望月にそばにいてほしけりゃ、望月の人形でも艦に積むか? あぁ?」

 わけもわからず見つめるばかりの長月に、摩耶は舌打ちする。

「そこでひと晩、そののぼせあがった頭冷やしてろ!」

 それだけ言い捨てると、摩耶は長月を残して宿舎へと歩み去っていった。

 今度こそ、その場には長月以外にだれもいなくなった。

(あきれられてしまっただろうか……)

 そもそも、摩耶は自分が思っていたほど、自分に好意的だったのだろうか。

 わからない。だが、摩耶だけが昨日からずっと、望月に対する気持ちを笑いもせず、真剣につきあってくれようとしてくれているのは確かだった。そして、それだけでも、今の長月にはなによりもありがたいと思わせてくれる仲間であることには違いがなかった。

(謝らないと、いけないな。明日になったら、謝って……それから、摩耶の助言をもとに、やり直そう)

 冷たい舗装の上に正座して、長月は着崩れた服を整えていく。上着でしっかりと身を包んではいたものの、服のすきまから入りこんでくる冷気が身に染みて感じられた。。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 文字数制限に引っかかったため、いったん区切ります。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

艦これ、冬イベはE-1(丙)クリアでした

 以下、今回はとねちくです。が、文字数的には提督と話してる場面のほうが多いという。その分、とねちく分が濃くなっていてほしいところ(願望)



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 木の間から見える空が、徐々に色をうすめつつあった。

 すべてを押しつぶす色合いから、枝葉の影と空がたちあらわれてくる。

 影は大きく視界を横ぎり、風にゆらめくたび、空はまたたきをくりかえす。

 このあたりならばよかろうというつもりでいたのだが、やや当てがはずれたらしい。

(しまったのう……)

 少し動いて立つ位置を変えてみるも、枝葉の覆いをのぞくすきまは心もとない。

 背伸びをし、目を凝らすようにして、少女は影の向こうをよく見晴らそうとした。そうすると、わずかにだがあけそめの海がかいま見えるようになった気がした。

 もっと見えないものかと、少女はさらにつま先立つ。視界はなおよくなったが、すぐに平衡を保てなくなりたたらを踏む。

 何度となくそんなことをしながら、少女はいまかいまかと空の切れはしを見つめつづけていた。

(まだか……。出たくないと、だだでもこねておるのかのう)

 冗談めかして考えてみるが、まったくもって面白くもない。吹き抜けていった風にぶるぶると体をふるわせると、首を伸ばして向かいの空を注視する。

 その表情は、落ち着かなげにしかめられていた。

 視線を上げれば、空に少しずつ明かりがさしているのを感じることはできる。しかし、少女を落ち着かせるには、それはあまりにものろかった。

(もっと、こう……さっと、いかんものか)

 のばした首をすくめ、少女は自らの体を抱くように腕を組む。

「姉さん、そんなに急かすみたいにしても、時間が早まったりはしませんよ?」

 と、そこに、横合いで見守っていた妹からたしなめるような声がかけられた。

 どこか姉に意見することに対する気おくれを感じさせるその声音に、少女は顔をしかめた。この妹はこういう性格なのだと、わかっているのに心配させてしまった自分が情けなかったのだ。

 しかし、それですっと気持ちを切り替えられるほど冷静に自身をかえりみれるわけでもなかった。

「そうは言うがな……」

 そっぽを向き、ばつの悪そうに言いさした。そのとき、少女の体をあたたかな腕が包みこんだ。

「姉さんが私にはわからないことで悩んでいるのは知ってます。けど、今だけでいいので、それを忘れてはもらえませんか? せっかく姉さんから誘ってくれたのですから……」

 訴える声は泣きだすのをこらえるようにふるえていた。

 どきりとした少女は妹をふり返ろうとする。しかし、回された腕はその顔を見られたくないと言うように、ひしと少女の体を抱きしめるのだった。

(ああもう……)

 妹のそんな態度に接して、少女がいつまでも自分のことにばかりかまっていられるはずがなかった。

「すまぬ。吾輩が悪かったから……じゃから、泣くな。ほれ」

「泣いてなんか、いません」

「むくれるなと言うに。おぬしのことを忘れておったわけではないのじゃ。だから、な?」

「わかってます。姉さんがいつも、私のことを気にかけてくれているのは」

「おぬしもな。考えすぎてしまう吾輩を、こうしてひき戻してくれて。感謝しておる」

「……姉さんはずるいです。気をつかわせたくなかったのに、そんなこと言われたら、私のほうがうれしくなっちゃうじゃないですか」

「それくらいのこと、わからいでか」

 少女は得意げに胸を張ると、胸の前で合わされた妹の手を取り握りしめる。

「じゃからな、筑摩……二人きりのときまで自分の気持ちをがまんすることはないのだぞ?」

「私は……べつに、姉さんにかまってほしくていじけていたわけではないんですよ?」

 そう言いながらも、妹の声はかすれがちになっていくのだった。

「わかっておる。わかっておるから……」

 軽く背中をたたいてやると、少女の体に回される腕の力がさらに強くなった。

 いじっぱりな態度に苦笑すると、少女はしばらく妹の存在をかみしめていた。体をよせあっているおかげで、芯から冷えるようだった寒さも遠ざかったかのようだった。体だけでなく心まで伝わってくるぬくもりに、少女は姉思いの妹の気持ちを感じずにはいられなかった。

「まったく、世話を焼かれておるのはどちらのほうなのやら……」

「姉さん? なにか言いましたか?」

 聞かせるつもりはなかったのだが、小さく口からこぼれていたらしい。少女はなんでもないと言うように、一度首をふる。

 しかし、すぐに思い直して口を開くことにした。

「いや、なに……千歳なら千代田に心細い思いなどさせぬだろうにと思うと、吾輩は頼りない姉だなと」

「そんなことありません。姉さんだから、私はこんなにも、甘えてしまうんです」

 妹のことだから、本心からそう言っているのは疑いようもなかった。けれど、もしなぐさめの言葉であっても、今の場面ではこのうえなくうれしい言葉だっただろうと、少女は思った。

「本当に、いい妹を持ったものじゃ」

 そう言うと、うしろでなにやら照れ隠しの返事をあれこれ悩んでいるらしい気配が伝わってくる。少女は笑いをかみ殺しながら、その様子を楽しんでいた。

 そのとき、少女の目をちかと射る光があった。

「あっ!」

 あわてて枝葉のすきまから前方に視線をやると、いまや空は燃えたつような姿を見せていた。そして、よく目を凝らすと水平線のあたりにひときわ強烈な光源が確認できた。

「見よ、筑摩。出たぞ。初日の出じゃ!」

 自分の世界に入りかけている妹の体をたたき、指をさして目線をうながす。そうすることで、妹も少女の頭ごしにそれを見つけられたらしい。

「本当ですね……」

 視界を覆う木の影から、空はあざやかな景色とともに新たな朝の訪れを告げている。

 しかし、頭上を見上げれば、まだ明けきらぬ夜の余韻を残すそこには、あつい雲が広がりはじめていた。

 雲は刻々と形を変えつつ東の空へと向かう。

 それをながめながら、少女は今年も大変な一年になりそうだと思わずにはいられなかった。

 今、基地ではいくつかの問題を抱えている。その中には、戦況に大きく影響しかねないものも含まれていた。

 自分をおいて誰がそれらを解決するのだとまで息巻いているわけではない。しかし、うぬぼれではなく、自分こそが解決に向けて最も大きな役割を果たせる課題があるのも確かだった。

(ならば、やるほかあるまい。だが、本当にできるのか? 考えただけでおびえてしまっておるというのに……?)

 少女は無意識のうちに妹の手を握っていた。

 妹は、少女の弱気に気づいているわけではないだろう。それでも、しっかりと握りかえしてくれる。それがなによりありがたかった。

「今日からまた、新しい一年。利根姉さん、今年もよろしくお願いします」

「うむ。吾輩も、筑摩のことを頼りにしておるぞ」

 明るく告げられた言葉に、少女は妹の目を見ながら、力強くそう返すことができた。

 自分を信頼してくれる妹の手前、そうそう不安がってばかりもいられない。

 目を細めながら陽光に見入る妹のとなりで、少女も朝焼けの空を見つめつづけていた。木の枝にさえぎられながらもまぶしく光る輝きを、その目に焼き付けようとするように。




 朝食の時間が終わるころには、日は雲の影に隠れてしまった。雲の広がりはそれだけにとどまらず、昼前には空の一面が覆いつくされるまでになった。

 初日の出を見そこねたと嘆く者もいたが、なにを言っても天気は変えられない。

 寒空の下、基地では元日の朝からふだんと変わらない光景がくりひろげられていた。

 港の近くの海にいる軽空母たちは、指導役に見守られながら艦載機の飛行訓練を行っているらしい。船渠では、朝のうちに出撃任務から帰ってきた重巡洋艦の一隻が大破の艦体を修理に任せている。同じく任務帰りの正規空母は、次の出撃に備えて装備の点検に走り回っていた。

 あわただしい雰囲気から目を転じると、やや離れた一角では航空戦艦の二人が竹刀を打ち合っているのが目に入る。真剣さよりもいたずらっぽい表情が目につく一方の様子から、どうやら二人は休暇中であるらしい。

 また、基地棟内部の講義室をのぞいてみれば、座学にはげむ軽巡洋艦たちの姿を見ることもできるだろう。

 なにもかもいつも通りの風景だった。

 新年であっても深海棲艦たちの活動がやむことはない。その脅威をふりはらうまで、基地に所属する者たちに真の意味での休日が訪れることはないのだった。

「筑摩よ、そこの書類を取ってくれんか?」

「はい、姉さん」

 そして、少女と妹の二人も、昨日までと特別に変わるところのない昼下がりを過ごしていた。

 ただし、そこには二か月ほど前なら考えもしなかった仕事が含まれている。

「利根、筑摩。そちらの調子は?」

「もうすぐきりのいいところまで終わるところじゃ」

 それは、上官である提督の業務の手伝いであった。

 ここのところ、少女と妹は昼食後に執務室を訪れることが常になっていた。そうして、書類の作成をしたりあちこち駆けまわったりしながら、一部の仕事を肩代わりしているのだ。

 今日も今日とて、少女はそろばん片手に帳簿をつけていっている。

 そろばんを弾く軽快な音を鳴らしながら、帳面に書きつけては書類の数字と見比べ、別の書面に目をやりながらまた計算をする。その手つきはよどみなく、少女がすっかりこの仕事を習熟しているのが見て取れた。

 少女の妹はその斜向かいで、大きく紙を広げている。少女の邪魔にならないように手近にまとめられた書類をためつすがめつし、書きつけているさなかの手もとと見比べては慎重に、しかしひとたびえんぴつの持ち手を定めると迷いのない動きを見せる。こちらもよく心得たものであるらしい。

 ぱちぱち、さらさらと、快調に作業が進められていく小気味のよい音が室内に鳴り渡っていた。

 少しして、ぱちりとそろばんの音が止まる。言葉どおりに、少女の仕事がひと段落ついたのだ。

「くぁー……終わったぞ!」

 少女はえんぴつを放りだして大きく伸びをする。そうしていると、疲労感の中にじわりと達成感がこみあげてくる。演習や実戦で結果を出したときとはまた違う、課されたことをやりきった心地よさだった。

「おつかれさまです、姉さん。お茶にでもしませんか?」

「そうしようかのう」

 少女の答えに、妹はさっと席を立つ。少女も手伝おうとしたが、正月くらいゆっくりしていてくださいと言われ、それならばと妹の好意に甘えることにした。

「それでは、少しだけ待っててくださいね」

 にこりと笑って言う妹に、少女は軽くうなずいて返す。それを受けて、彼女は静かな足取りで食堂へと向かっていった。

(作業の途中だというに、あやつは……)

 八分ほどまで手がけられた紙面に目を落とすと、少女はひとつ息をつく。

 少女のことを一番に考えてくれる心配りはうれしかったが、平気で仕事を放りだしていくあたり、手伝いにはそれほど気乗りしていないだろうことは否定できない。

「筑摩はよく気がつくな」

「いやいや。無理につきあわせてしまっておるのだなと、申し訳ない思いじゃ」

 自嘲ぎみに首をふって声のした方を向くと、けげんそうな提督と目があった。

「いや、な……筑摩はおぬしのことを好いてはおらぬじゃろう?」

「まあ、嫌われてる自覚はある」

「だからじゃ」

 少女は苦笑しながら説明する。その言葉は必ずしも十分ではなかったが、それで意を汲める程度には提督は少女のことを理解していた。

「それなのに、あなた思いの筑摩の気持ちにかこつけて、私の手伝いをさせてしまっている……と?」

 少女は静かにうなずく。自分以上に自分の気持ちを正確に表現してくれるその言葉に、つけくわえるべきことなどなかった。

 気だるさを覚えながら、少女はしあがった帳面と書類を集めて整えていくことにする。

 その時々の都合であちこちに広げられた紙束は、座ったまま拾い集めるには思い思いにその身を散らせすぎており、立ち上がって回収せねばならなかった。

 一枚、二枚と手もとに集め、最後の一枚へとその手を伸ばしたとき、少女よりも先にそれを拾いあげる者があった。提督だ。

「すまないな」

 提督は、少女に紙きれを手渡しながら言う。その口調には、しかし感謝の意がにじんでいた。

「私がふがいないばかりに、迷惑をかけている。あなたにも、筑摩にも、他の皆にも。私がもっと有能な司令官だったらよかったんだろうが……」

 書類を受け取った少女は、しばし言葉を探すように紙面に見入る。しかし、すぐにあきらめとともに口を開く。

「うむ……まあ、否定はしてやれんな」

 執務机を使ってとんとんと紙束を整えると、帳面とそろえて、確認をうながすべく提督へと差し出す。

「吾輩がいちばん適任と思うからこうして手伝っておるが、おぬしはもっと他の者に任せるということを覚えたほうがよいぞ?」

「わかってる。わかってはいるんだが……」

「無理じゃよなあ」

 二人は難しい顔を見合わせてまた席に着く。

 少女の脳裏に浮かぶのは、ひと月半ほど前、懲罰室入りを命じられたときのことだった。




「利根、筑摩、あなたたちには、懲罰室入りを、命じる」

 その日、少女と妹は、怒気とともに告げられた言葉のままに地下の収容所へと入れられた。

 初めて目にした提督の剣幕は、ふだん見せることのないものであるだけに、なかなかの迫力だった。妹などはふるえてしまって、いつもの提督への態度もなりをひそめてされるがままになっていたほどに。

 しかし、少女には虚勢の下に隠された提督の動揺が手に取るようにわかったのだった。

(ふだんは甘いあの男があれほどの反応を見せたということは、やはり相当な機密か。だとすれば、その理由は……?)

 妹とひき離されて一人、少女は考えた。

 懲罰室での時間は、快適とはいえないまでも、少女にとって意義あるものとなった。日に二回、少しの水と食べ物が与えられるほかは訪れる者とてない暗がりで、提督に告げかけた考えを好きなだけ推し進めることができたからだ。

(吾輩たちと同じ名前の艦がよその拠点にもおるらしい。そして、その者たちも吾輩たちと同じように戦っておるというのなら、それを把握する上層部は吾輩たちのことをどう認識しておるのだ……?)

 意識を内にこもらせるうちに、少女はすぐに時間の感覚を失っていった。

 思い出したころに水と食事とともに現れる提督によって、かろうじて時間の経過を悟る。それほどまでに、少女は自身の思考に没頭していた。食事が日に二回だったというのも、外に出てから初めて知ったくらいだった。

「…………」

「…………」

 ときおり、やってきた提督がなにか話しかけてきていたような記憶はある。それにおざなりな答えを返した覚えも。しかし、少女は考え事に夢中で、その内容はわずかな記憶にもとどめられなかった。

(龍田や吹雪ら遠征部隊の者たちは、この基地から遠く離れた地を見てきておるはず。それに緘口令が敷かれるということは、なにか吾輩たちの知る情勢と異なるところがあるということだ。それはなんだ?)

 自分は今、じっと頭を働かせているのか、眠ってしまっているのか。そんなことすらも判然としなくなるほどに、少女の思考はぼんやりと形を作ってはさまざまに変化していった。

(吾輩たちは、いったいどういう存在なのだ……? いや、そもそも、この基地はどのような状況に置かれておるのだ……? 遠征部隊はこの海の向こうで、なにを見てきておるのだ……?)

 少女の考えは、しだいにまとまりを失っていった。


「利根? なあ、利根。聞いているのか?」

 がたがたと扉をゆらしながらの提督の声が聞こえてきたのは、そんなころだった。

 少女ははっと気がついてきょろきょろとあたりを見回した。

 あいかわらず暗がりの部屋がそこにある。昼も夜も変わらない、窓とてない部屋の光景だ。

 そんな中、一点、その慣れてきた環境に対する違和感を覚えさせる気配があった。

 扉の向こうに感じる人の息づかい。提督だった。

「おお……すまぬな。どうも、ぼーっとしておったようだ」

「そんなことだろうと思ったよ。まったく、これだからあなたは……」

 提督の声音には多分にあきれの要素が含まれていた。

 見れば、新しい食事と水が差し入れられている。

「もう、そんな時間だったか……」

「そう言って、前のときも食べてなかったんだぞ」

「そう……だったか?」

「そうだ」

 言われて思い出そうとしたが、少女の記憶は漠として定かではなかった。腹の中が空っぽになっている感覚でそうらしいと納得するばかりだ。

 ともあれ少女は礼を言って食事をとることにした。すっかり冷めしまってはいるが、それでも口の中に広がる味覚は人心地をつかせるのに十分なものがあった。

「うまいか?」

「うむ。生き返るようだ」

 少女はひさしぶりに食事を楽しむ感覚を取りこぼすまいと、少ないその量をゆっくりと咀嚼していく。

 一口含むたびに、霞がかったような思考が明晰になっていくような気さえした。与えられた情報だけで考えることに手詰まりを感じだしてもいたが、この分ならまだまだ粘れるだろう。

 食べ終えたらまたそちらに戻らねば。そう考えていると、それを待っていたらしい提督が、とうとう辛抱しきれなくなったのか、声をかけてきた。

「なあ、利根。もう懲りたろう? ここから出れば腹いっぱい食べさせてもやれる。一言、あの日執務室で聞いてきたことは誰にも口外しないと誓えばそれでいい」

「そうだな……」

 満足には至らない程度の量で食事の楽しみを味わっているさなかの提案には心惹かれるものがあった。

 提督は少女の心をたぐり寄せようと、言葉を継ぐ。

「ほかの仲間たち、特に重巡洋艦の者たちも、あなたたちのことを心配している。私としても、あの程度のことでこれほどに罰しつづけるのは心苦しいものがあるんだ」

 それを聞きながら、しかし少女の頭には天啓のように思い浮かぶことがあった。

「そうだ。自分で考えるのもよいが、こやつに聞いてみるのが一等手っ取り早いではないか」

「ん? なにか言ったか?」

「いや……」

 聞きたいことは山ほどあった。手についた米粒をなめとると、少女はなにから聞いていこうかと考えを巡らせだす。

 その間も、そんなこととは気づかない提督は少女の翻意をひきだすべく言葉をつづけていた。

「ここに入れられるきつさも十分にわかっただろう? これ以上意地を張るつもりなら、こちらとしてももっとひどいことをしなければならなくなる。これまでのあなたの貢献を考えれば不当な扱いもかもしれないが、規律を守るためにはやむをえないこともある」

「もっとひどいこと?」

「たとえば、食事の回数を減らしたり、手かせや足かせを使ったり……もっと直接的な暴力に訴えることもあるかもしれん」

「ふーむ……」

 すでに検討に上がっているかのように、すらすらと口に出している風な声音だったが、少女はそこに無理をしている様子を感じ取ってもいた。

 それは、懲罰室入りを命じた当初の提督に感じていた印象と合致するものだった。

(当然か。らしくないことをするから、気が落ち着かんのだ)

 そのことがおかしいような、申し訳ないような気がして苦笑を押し殺しながらも、少女はそれを好機ととらえている自分も感じていた。

「どうだ、利根? 二度と口にしないと誓うか? それとも、もっとつらい目を見るか?」

 少女の反応をうかがうこともなく、提督は口数多く回答を迫る。

 そのことに、少女の口の端は持ち上がる。

「そうだな。ならば、ひとつ聞いてもよいか?」

「なんだ?」

「あの場で吾輩が口にしたいくつかのこと、その中で禁忌にふれてしまったのは、いったいどれのことだったのだ?」

 それがわからなければ、ここから出たあともうっかり口を滑らせてしまうことになりかねない。そんな体で質問をする。

 しかし、提督は少女の意図など見抜いているとばかりににべもなかった。

「それを言ったら、機密の意味がなくなってしまうじゃないか」

「では、全部ということか」

「そうだ。そう思っておくように」

 難しい注文だなと、少女はおおげさに息をつく。

「まあ、それは重々気をつけよう」

「では、誓ってくれるな?」

「ああ」

「それじゃあ……」

「それにしても、ここから出るとなると、また出撃任務と仲間たちへの指導の日々じゃな。いい休養になったといえばそうなのじゃが、あの忙しさが戻ってくるとなるとうれしいやら悲しいやら」

「そう言うな。それほど、あなたには期待をしているんだ」

 意図的に声を崩すと、承諾の意を示したこともあり、提督も気をゆるめてくれたらしい。神経質さすら感じさせた雰囲気がやわらいでいくのがわかった。

「どうじゃ。あやつらは吾輩たちがおらずともしっかり訓練に励んでおるか?」

「それが……あなたも知っているだろう? 皆の気の腐らせようを」

「なんじゃ、例の駆逐艦作戦はまだ終わっておらんのか」

「実は、そうなんだ。その上あなたたちのこともあって、かなりぴりぴりしてる。なかなか気が重い状況だよ」

「それをなんとかするのがおぬしの役割じゃろうに」

 嘆息まじりに指摘すると、困ったような声が聞こえてきた。

「それを言われるとつらいな。なんとかしなければと思ってはいるんだが……」

「おぬし、妹どもに手を焼かされておったというではないか。そのときはどうしておったのじゃ」

「びしっと言い聞かせるのは上の妹の役目だったからなあ……。目の前の仕事に手いっぱいでそちらまで気を回していられないのが現状だよ。副官でも呼び寄せられればよかったんだが……」

「ふむ……」

 提督の言葉を受けて、少女は考える。

 ならば、自分が助力しよう。そう声をかけるのが、ここでの気づかわしい態度というものだろうか。

 だが、少女にそんな気はまったくなかった。少女の頭はそれとは反対の利己心による働きを見せていた。

「それは……つまり、この島は今、外部と往来ができん状態にあると、そういうことか?」

「利根! あなたはまた、そういう要らない詮索を……」

 しぼりだすような提督の声。反省の色を見せたと思っていた少女の懲りない言葉に苦々しく顔をゆがめるさまが目に浮かぶようだった。

「のう、提督よ。どうせ遠征部隊の六人は知っておることだ。そこにまた一人加わったとて、べつに構わんではないか」

「そういう問題じゃない!」

 がしゃんと、食器どうしがぶつかる音が鳴り渡った。

「これは、国運に関わる重大事なんだぞ」

「ほう。して、その心は?」

「ええい。この……!」

 言葉にならないうなり声がつづく。それは、もてあました感情のすべてを乗せたような低いふるえをともなった響きだった。

「国運ということは、吾輩たちが従事しておる戦いは国家の大局を左右する作戦ということか。ならば……」

 ふたたび、食器の音がした。くわえて、扉になにかがぶつけられたらしい衝撃。

「利根! あなたは、筑摩のことをなんとも思わないのか?」

 妹の名前を出されたことで、少女は言葉に詰まる。考え事に夢中で忘れてしまっていたが、巻きこんだ形の妹に対する申し訳なさがないわけではなかったのだ。

「あなたがそうやって好奇心に任せた言動をとるだけで、どれだけ筑摩に累を及ぼしているか、わかっているのか! それでもなお、あなたは態度を改めるつもりはないというのか!」

 これまで聞いた中で最も大きな声が少女の耳を貫いた。それは、少女が初めて聞く、提督の純粋な憤りの発露だった。

 少女が反射的に耳を閉じていたことに気づいて手を離すと、せき混じりの荒い呼吸音が聞こえてくる。めったに出さない大声をはりあげたことで、声も枯らしてしまったかもしれない。

 それを知覚しながら、少女はうれしく思った。

 ときに妹のことをおろそかにするほどなにかに没頭してしまうことのある自分に比べて、提督は罰を課している間であっても、そんな自分の薄情さを真剣に怒ってくれる。

 甘いといえば甘い。だが、そういう提督だからこそ、自分が最後の一歩まで道を踏みはずすことはないだろうと安心することができるのだった。

「……筑摩のやつは、達者にしておるか?」

「元気だ、とは言えない。食も細いし、だんだん参ってきているのが見て取れる」

「そうか……」

 おそるおそると問うと、すぐにかすれがちな声が返ってきた。そこには心の底から妹のことを案じている気配がうかがえた。

(こやつも人の兄なのであったな……)

 不出来な姉に激情を向けずにはいられなかったのだろう提督に、少女は頼もしさを覚えた。

 しかし、その一方で、冷静さを失わしめたことに対して、ここが好機と判断する自分がいるのも否定できなかった。そのことにほくそ笑んでしまうのが自分なのだと、痛感せずにはいられなかった。

「なあ、あなたはそれでも筑摩の姉なのか?」

 熱くなる提督に、少女は淡々と聞こえるように答えてみせる。

「それでも、吾輩は筑摩を信じておるよ。そうとしか言えん。兄に引け目を持ち、妹に頭の上がらぬおぬしのような者にはわからぬことか?」

 あてつけるような言葉になったのは、少女としても痛いところをつかれていたからか。

 提督はしばらくなにも言ってこなかった。期待を裏切る少女の言に対する落胆が大きいのだろう。

「そうか……」

 やがて、提督はぽつりとつぶやいた。

「私には、筑摩はゆっくりと死に向かっているように見える。どうせ死ぬのなら、こんな日も当たらない場所ではなく、もっと名誉ある場を与えてやりたいと思っているが……」

 それを最後に、提督は悄然と歩み去っていった。

(吾輩も、そう願っておるよ)

 その気配を感じ取りながら、少女は会心の笑みを浮かべていた。


 それから、どれほどたっただろうか。少なくとも一食は抜かされたのではないかと思う。しきりに訴えられる空腹感からの推測だが、間違ってはいないだろう。

「うー……」

 これまでは考え事をすることでそれをまぎらわしていたものの、それもひと段落がついてしまった。

 それはそれでじっとしてはいられないほどの重大事だったのだが、今はそんなことよりも喫緊の課題があった。

 意識をそらす先を探して頭を巡らすが、空っぽの胃袋はそのたびに窮状を叫んで少女の心をひき戻す。

 眠ってしまえば簡単にやりすごせるだろうか。そう考えもしたが、腹の減り具合を意識すればするほど目がさえてしまって寝つけない。

 ならば起きて体を動かそうにも、そんな元気はわいてこない。

 あきらめを得た少女は、先ほどから寝そべってはごろりごろりと寝返りを打ったり、なすすべなくうめき声をあげたりしながら時間の経過に身を任せていた。

「むむー……少し怒らせすぎたかのう」

 そうはいってもこの程度なのが、あの提督らしいといえばらしいのだが。

 そうつぶやいたおりもおり、苦闘する少女の耳にこちらへと近づいてくる足音が聞こえだした。

 初め、それは自身の願望がもたらした幻聴ではないかとも思ったが、だんだん音高く聞こえてくる響きは間違えようもない。

「提督じゃ……!」

 飛び起きた少女は、差し入れ口から現れる食事をいまかいまかと待ち受けた。これほどに腹を減らせていれば、あの冷めきった料理だろうと、たとえようもない美味に感じられるだろうと思えてならなかった。

「まったく……待ちくたびれたぞ」

 もどかしげに少女は提督を急かす。

 しかし、少女が待ち望むものが与えられる気配は一向に伝わってこなかった。

「なんじゃ? どうしたのじゃ?」

 話が違うではないかとばかりに詰め寄ろうとした少女の耳に、こんどはがちゃがちゃと金属のこすれあう音が飛び込んできた。

 なんの音だろうかといぶかしむ少女の目の前で、次には重い懲罰室の扉が、ゆっくりと開かれていった。

「ん……?」

 ひやりとした空気が入りこみ、ぶるっと体がふるえる。それを伴いながら、提督がその姿を現した。

「元気か……とは、聞くまでもなさそうだな」

 せきばらいの音が室内に響く。

 こうして直接向き合ったのは何日ぶりだろうか。その顔を見るや、少女はひとつの理解を得た。それと同時に、とまどいの気持ちも。

 これまでとは違う訪いが意味するもの、それはすぐにわかった。しかし、次にはなぜと、腑に落ちない思いにとらわれた。

 なにも答えを返さない少女をどう思ったか、提督は簡潔に指示だけを口にしていく。

「もう、ここから出ていい。数日間の休養が必要だろう。疲れをとったら、筑摩といっしょに、またこれまでどおり働いてほしい」

「それは、つまり……赦免ということか?」

 わかっているはずなのに、そう問わずにはいられなかった。

「そうだ」

「だ、だが、よいのか……? あれよ、他言せぬ旨、誓言せんでも?」

「いい。黙っていてくれるとありがたいが、それはもう、あなたの判断に任せる」

 静かに告げられた言葉が信じられず、少女はまじまじと提督の顔を見入る。その表情に、少女を試す色は見られなかった。

 提督は空咳をすると、少女に一つの鍵を手渡した。

「これは……?」

「筑摩を収監している部屋の鍵だ。あなたが開けてやるといい」

「おぬしは?」

「私は、執務室での仕事に戻る」

 それで伝えることはすべて伝えたとばかり、提督はごほごほとせきをこぼしたのち、のろい足取りでその場をあとにした。

 少女はそのうしろ姿をじっとみつめながら、いまだに事態をどう受け止めていいかわからないでいた。

(本当に、許されたのか? なんの担保もなしに許されて、よかったのか?)

 しかしその一方で、あの提督ならしかたないとも思ってしまう。温情主義などというのも生ぬるい甘さこそが、赴任時から一貫して受ける印象であるのだから。

(もっと、威厳というものを身に着けてくれてもいいものを……)

 少女は苦く表情をゆがめながら、それでも笑みを浮かべようとした。これから、妹を迎えに行かねばならないのだから。

 しかし、その前に、どこかで胸の内でふくれ上がる気持ちを吐き出したい気分だった。

(あのほそっこい肩にかかる重荷のうち、吾輩が加えてしまったものは、どれだけなのだろうな……)

 少女は、先ほど見つめた提督の顔を思い出さずにはいられなかった。

「あやつ……」

 その顔色は、うすぐらい地下でもそれとわかるほどに、ひどく疲れきって青白く見えた。


 その数日後。また任務に復帰することになる前の日の晩。少女はその意思を伝えるべく、執務室の扉の前へと足を運んでいた。

 そうして来訪を告げようと意気揚々と手をあげたところで、はっと動きを止めた。

(いかんいかん)

 提督自身の口から赦免は告げられたとはいえ、みだりに軍機を犯したのは少女である。神妙な態度くらいはとりつくろうべきだろう。たとえ、やってきた目的の一つが、それに反することであったとしても。

(一時はあやつを気づかうべきかとも思ったのじゃが……)

 やはり、答え合わせをするまでは、自分自身を抑えることはできないらしい。

 余裕をなくしている提督の弱みにつけこむことになんのためらいも覚えない自分は、品性下劣のそしりを免れないだろうと思う。それにもかかわらず、少女の心は浮き立たずにはいられなかった。

「提督よ、入ってもよいか?」

 なんとか表情を装ったところで、少女は扉の向こうへと呼びかけた。

 しかし、尋ねる声に返事はない。

 聞こえなかったのだろうかと思い、一回りほど大きな声を出してみるが、どれだけ待ってもやはり応答はなかった。

 少女はそのことになんとなくいやな予感を覚えた。

「入るぞ。よいな」

 申し訳程度の一声とともに扉を開ける。空いたすきまをすり抜けるように執務室へと入りこむ。

 そこに、提督はいた。

 いつものように、手もとに向けられた灯りに照らされて、机につっ伏すように身を預けていた。

「寝ておるのか?」

 そう言ったものの、近づくうちに違和感が強くなってきた。

 提督の口もとには、自身の手でハンカチが押し当てられている。居眠りをするにしても、そんな苦しそうな寝かたをする者がいるだろうか。

「おい。どうしたのだ?」

 早足で歩み寄り、ひきはがすようにハンカチをよける。

 その内側には、うっすらと赤い染みがついていた。

「なっ……!?」

 手を置いた提督の体は熱いほどに熱を持っていた。呼吸も浅く、顔は苦しげにゆがめられている。

「どうしたというのだ?」

 くりかえし声をかけるが、提督の反応はない。

「誰か、おらんか!?」

 自らの手に余る状況に、少女は仲間の助けを呼ぼうとした。

 そのとき、部屋の外へと向かおうとする少女の腕をつかみ、ひきとめる者があった。驚きとともにふりかえった少女は自らの腕をたどる。その先にいたのは、ほかでもない提督だった。

「き、気がついておったのか?」

 提督は苦痛に耐えるようにしながら首をふる。

「……誰も、呼ぶな」

「しかし……」

 見過ごしていいことだとはとても思えない。だが、提督はただ同じ言葉をくりかえすばかりだった。

「誰も、呼ばないでほしい」

 声を出すのがやっとと思える調子でなされるその懇願に、少女はしいて逆らうことができなかった。

 せきの発作をもよおしだした提督のかたわらで、一人どうしていいのか、少女はあちこちに視線をさまよわす。

(なにか……なにかないか……)

 机の上に、飲みかけの湯呑みがあるのが目についた。とっさにそれをすすめながら、提督の様子を見て体調を探る。

 ごほごほと、くりかえされるせきの音ばかりが室内の静寂を乱した。

(こやつがいま倒れたら、この基地はどうなる?)

 房中でも探りを入れたが、仲間たちの内では今、駆逐艦たちへのいらだちが募ってきている。尊重されているとはいいがたいながらも、上官である提督がその指令を出しているという形式があるからこそ、不満を持つ者たちもしぶしぶひきさがっているといっていい。ここで重石役である提督が欠けてしまえば、最悪の場合、仲間たちは内部分裂をも起こしてしまいかねない。

(そこまでする阿呆はおらんとは思うが……)

 それでも、可能性は捨てきれない。それほどまでに、懲罰室から出て感じた一部の険悪な空気ははっきりしたものになっていた。

 少女は体の内側から激しく胸を叩くような鼓動を感じながら、提督の背中をさする。

(この頼りない背中に、百人からの仲間の運命がかかっておるのだ……)

 大げさかもしれないが、そんなあせりが少女の心を乱した。

 薬かなにか持っていないだろうかと机のひきだしを開けて探しだすと、その気配を察したのか、小さな鍵を渡された。

 それを使い、ぱっと目についた一番上のひきだしを開ける。中には、いくつもの便箋とともに、小さなガラス瓶が入っていた。

 いくつかあったもののどれを渡していいかまではわからず、手あたり次第に差し出していく。そのうちに、提督の様子も落ち着いてきたらしい。

「あ、りがと……う」

 苦しげに告げたのち、薬をざらりと手の上に転がし、静かに飲み下した。

「それで、楽になるのか?」

 少女の問いに返ってきたのは、二、三のせきだった。

 それでだいぶ収まったらしいが、先ほど見たときよりあざやかな赤をのぞかせるハンカチが痛々しい。

 それから提督はようやくこくりとうなずくと、湯呑みに残った茶を体にしみいらせるように口に含んでいった。

「大丈夫だ」

 そう言って、すぐに提督は顔をしかめる。

「つらいならば、声を出さずともよい」

「いや、見られてしまったからには、話さないわけにはいかないだろう」

 気にならないと言えばうそになる。だが、今でなくてはならない理由はない。提督には、無理せず休養を取ってもらうことがなにより大切であるはずだ。

 それに、事情くらいは察しのつくものがあった。提督が体調を崩しだしたのは、少女に懲罰室入りを命じたあとのことだったのだから。

「わかっておる。吾輩のせいなのだろう?」

「いや……」

「こんなときまで気を回さずともよい」

「違う。そうじゃ、ないんだ……」

 重ねて否定する提督の表情はやはり気づかわしげだった。ただし、その中には誤解を与えてしまったことに対するあせりも見て取ることができた。

 少女がいぶかしげな目を向けると、提督は安心させるような笑みを浮かべたのち、声を抑えて話しだした。

「私の体のことは……まあ、あなたのこともある。しかし、それ以前からもともと弱っていたことには変わりないんだ」

「そんなそぶりは、これまで見たこともなかったが……」

「そのはずだ。誰にも知られないよう、細心の注意を払ってきたから」

 そこで提督は眉根を寄せてのどをなでる。

 長い話はまだ負担になるのだろう。そう思うのだが、ひとたび聞きかけてしまったことで、少女はその先を知りたくなってしまった。こんな出だしだけ聞いたところでおあずけをくらうことを想像して、耐えがたく思ってしまった。

 少女は急いで替えの茶を用意すると、せがむように提督に話をうながす。

 口もとをゆるめた提督は、熱い茶を冷ましながらすする。ゆっくりと、味わうようにしみわたらせて、湯呑みを机に置く。

 それから、ようやく続きを話しだした。

「あなたも知っているだろう? 私の兄のことは」

「ああ。たしか、陸軍の出世株なのだったな」

「そうだ。優秀な兄と比べられるのがいやで、それでも自分の才能をあきらめられなくて、私は海軍に志願した。必死に勉強して、秀才たちに追いすがった」

「うむ。じゃからこうして、この基地の提督に納まっておるのだろう?」

 そこまで口にしたところで少女の脳裏に整理された疑問がよみがえる。

「いや待て。おぬしの提督の任は、その兄からの斡旋によるものだった……」

「思えば、あなたの抜け目のなさは着任当初から健在だったな」

 考えこみだした少女に、提督は苦笑をこぼす。

「その話にもつながるが……ともかく、学校を卒業してからも、私は寝る間を惜しんで一層勉強に励んだ。そうでもしないと、同期たちにすぐに追い抜かれてしまうのがわかっていたから。けど、それがたたったんだろうな……」

「体を壊した、と」

 提督はうなずいてまた湯呑みに口をつける。しかめる顔はのどへの刺激によるものか、茶の苦味によるものか、それとも……。

「人並みに体力はあるつもりだったんだが、艦隊勤務中に倒れてしまった。肺炎と診断されて半月ほど治療を受けたものの回復せず、派遣先からの帰還を機に、故郷での病気療養を言い渡された」

「それでは、自力での出世は見こめぬというものか?」

「それだけなら、そう悲観したものでもない。肺炎自体も、故郷に戻ってしばらくするうちにすっかりよくなっていた。だが、それからめっきり体力が落ちてしまった。そろそろ復調したかというころに病気を繰り返して、そのつど隊への復帰予定は延びていった」

 提督は淡々と、事実だけを口に上していく。そうつとめているように、少女には見えた。

「そのときか、おぬしが自らに限界を定めたのは」

「っ……」

 一瞬、提督は嫌悪のこもった表情を少女へと向ける。しかし、すぐにそれに気づくと、そんな己を恥じるように面を伏せた。

「そうだな……自分はここまでの男なんだと、思わずにはいられなかった」

 その反応に、少女もまた、しまったと面差しを伏せる。

「すまぬ……。吾輩はどうも、無遠慮に人の心に踏み入ってしまうところがある」

「いや……いや、それはべつにかまわないんだ。ただ……なんだ、驚いてしまってな」

「ふふん。どうせあてずっぽうのようなものじゃ」

 少女が自嘲をもらすと、二人の間にはやるかたない空気が流れた。

 提督は眉間のしわをもみほぐすようにしながら湯呑みを傾け、少女は意味もなく手のひらを見つめてはゆっくりと曲げ伸ばしを繰り返す。

 どちらもなんと声を発していいのかわからず、またその余裕もなく、しばし気まずい時間が流れることとなった。

 時間がたつほどいやになってくるその沈黙を先に破ったのは、少女のほうだった。

「まあ、うむ、すまぬ」

「私のほうこそ……」

「そんなことより!」

 少女の欲求はいつまでも沈んだままでいることを許さなかった。

「おぬしが病気を繰り返したのは聞いた。だが、それは今のおぬしとはつながらん。気取られぬようにしてきたと言うが、何か月も隠しおおせられるほどには吾輩たちもにぶくないつもりだ」

「……そうだな」

 提督は口に含んだ茶を飲みこむと、ぽつりともらす。そして、ふたたび少女と目を合わせると、気持ちを切り替えて話を再開した。

「皮肉なことに、自分自身に見切りをつけたころから、体調はよくなっていった。そんな心持ちで隊に復帰して、どの程度の働きができるものかと、案じながらの日々だった。ちょうどそのころだ。兄が、ここの提督の任を持ち寄ってきたのは」

「ほう。海軍の者からではなく?」

 思わず身を乗り出す少女に、提督は苦笑してうなずきを返す。

「あれは、忘れもしない、朝から雨の降りつづいた初夏の日のことだった……」

 提督の視線が少女を離れ、うしろの壁を通してさらに遠くへと向かう。

「あの日、兄は強まる雨足の中、ふらりと姿を現した。前触れもないいきなりの帰郷に、だれもが驚いた。しかし、私にとってもっとも驚かされたことは、なにより持ち掛けられた話の内容だった」

「ふむ……」

「とても務まるものではないと、私は何度も辞退した。だが、兄は少しも引き下がらなかった。これはすでに決定事項であると、国の護りを与る名誉ある任務をなんと心得るのかと、否とは言わせぬ調子で承諾を迫ってきた」

「なにやら、裏がありそうな話だな」

 言うと、提督は重たい息を吐いた。

「そうだな。懇々と説き伏せられた末にとうとう引き受けることにしたが、なんのことはない。兄はライバルの面目をつぶすために私を担ぎ出していたらしい。それで、引っ込みがつかなくなっていたという事情もあったようだが……」

 人をなんだと思っているのやらとばかりに肩をすくめる提督だったが、その表情にうらんでいるような色はうすい。そんな様子を見ていて、やはり兄弟なのだろうと、少女にはうなずけるものがあった。

 その一方で、少女の頭は今の話を素早く分析してもいた。

「なるほど。おぬしがここの提督になることが、おぬしの兄のほうの政治に関わる、と……」

「まあ、そういうことだ」

 言って、提督は湯呑みに口をつける。

「つまり、話を戻すと、私の体は表向き健康を取り戻していたが、落ちた体力まで回復させることはできなかったということだ。ちょっと無理をすると、すぐにこの調子だ」

「それを、だましだましやりくりしておったと」

 それにうなずくと、提督は湯呑みに残った茶をあおる。静かに戻された器の中身は飲み干されていた。

(なるほどな。そういうことなら、ますます吾輩の考えは補強されるというものだ……)

 その湯呑みをながめながら、少女は素早く自らの頭を整理していく。

 ちらりと見ると、提督は少女に自身の体調のことを語ったためか、もはやとりつくろう様子もなくぐったりといすにもたれかかっている。

 これ以上は、もう休ませるべきだろう。そう思うのだが、かといって今日このときを逃すと次にいつ機会が訪れるのかわからない。妹にも、ほかのだれにも、聞かせるわけにはいかない話だからだ。少なくとも、この段階ではまだ。

「そういえば、あなたはここになにをしに来ていたんだ?」

「ああ……それは、明日から任務に復帰するから、それを知らせにと……」

 迷い心になかば上の空で答える少女に対し、提督はもうお開きにしようと告げてきた。

「わかった。それなら、明日以降はそのつもりで編成を考えよう。もう退室していいぞ。筑摩ともども、またよろしく頼む」

 さらには、続きの私室の鍵をとりだすのが目に入った。もはや、のんびりと決心を遅らせていられる雰囲気ではなくなっていた。

(どうする。このままでは……)

 このままでは、時機を逸してしまう。

 少女は、一瞬の逡巡ののち、腹を決めた。

「なあ、提督よ……」

 言って、少女はあやしく笑む。

 少女を動かす欲求はひとつ。

 知りたいのは、今なのだと。いつになるかわからない次の機会などではなく、今まさに確証を得たいと、自分は思っているのだと。

 時間がたてばたつほどに、この気持ちは熱を失っていくことだろう。たとえ明日すぐであろうと、抑えきれないほどに気持ちが高ぶる今以上に欲求を満たす快味を与えてくれる瞬間は存在しないのだ。

「なんだ? あまり長い話は遠慮してほしいのだが……」

 ひとたび決意すれば、心はかつてないほどに晴れやかだった。

 歓迎していないそぶりを隠そうともしないその態度にも、少女はまるで頓着しなかった。

「かまわん。おぬしはただ首を縦か横にふるだけでよい」

 喜色を満面にたたえた口から、一方的な宣言が下される。

「この基地、吾輩たちの存在はつまり、こういうことなのだろう――?」

 そして、少女はついに禁忌を暴きたてた。




「あのときは、本当に驚かされた」

 柔和な表情を浮かべながら、提督はしみじみとつぶやく。

 茶を取りに行った妹はまだ戻ってこない。他人に聞かせられない話をする時間は、もう少しありそうだった。

 少女はほおづえをつきながら提督に指摘する。

「隠しきれると思うほうがどうかしておろうよ」

「それでもだ。あれこれ疑問を持たれるだろうことは想定していたが、そのものずばりを言い当てるものだから」

 少女が述べたてた仮説は寸分のくるいもなく真実を解き明かした。遠征部隊の者たちをのぞいて、他の仲間たちにはまずたどり着けるものではないだろうと思ってもいる。

「じゃが、おぬしの兄は、この事態すらも予測しておったのだろう?」

「そうだな……。あの人は、どこまでも遠い存在だ」

 実際のところは、来るべき未来として考えられていたのか、起こりうる可能性の一つとして考えられていたのか、裏の意図まで読み取ることはできないというのが正しいところだ。しかし、その場合の指示まで便りを送ってよこしていたのを知ったときは、背筋がぞっとする感覚を味わったものだった。

「結局、吾輩たちはどこまでもお偉い者どもの手のひらの上じゃ。ならば、こちらはこちらでやりたいようにやるのが一番じゃろう」

「任された役目は一日も早く果たすべきだと思っているが……」

 ちらとこちらをうかがう提督の視線をつっぱねるように、少女は軽く手をふってみせる。

 だいたいのところ、作戦の進度が鈍くなっているのは提督自身の方針によるところが大である。それをさしおいてこちらを頼みにされても、無理があるというものだ。

(それに、吾輩としては方針転換に異議はないにしても、それを言うこやつのほうはとなると……)

 じっと見つめていると、提督も視線の意図に気づいたらしい。少女に示してみせるように軽く腕を広げる。

「私の心配をしてくれるなら、今のところは問題ない。あなたたちが手伝ってくれて、負担も軽くなっているからな」

「それでも足りておらんから言うのだ。もっとほかの者にも声をかけようにも、知られるわけにはいかん情報が多すぎるときた」

「あなたには、苦労をかける」

 うれしそうに言うことかと少女は思うのだが、どうせ無駄だろうと、鼻を鳴らすにとどめた。

 機密を暴いた日から、提督は少女に、ときおりこうして気を許した雰囲気を見せるようになった。共犯者めいた感情を抱いているのだろう。そうしたやりとり自体は悪くないと、少女も思う。

 その一方で、得意げに推測を披露した直後から少女にまとわりついているのは、だれに話すわけにもいかない秘密を抱えこんでしまった動揺だった。

 暴くことに対して期待した愉快も、あるにはあった。しかし、提督の保証が得られたことで、次にはその事実の意味するところに思いをいたさずにはいられなかった。それによって、直前までの熱は急速に冷めていってしまったのだった。

 皆が疑問を覚える秘密を明らかにしたい。つき動かされるようなその欲求に動かされた結果、それが満たされるにはいたったものの、わかったのは機密に指定されるにはそれだけの理由があるということでしかなかった。自らかぎまわってそれを目のあたりにしてしまったことに、少女は後悔すら覚えた。

「なんの、自分でしでかしたことの後始末のようなものじゃ。おぬしにもいらぬ気苦労をかけたことだし、これくらいは働かせてくれ」

「反省したならそれでいいと、何度も言っているだろう? だが、あなたがその気なら、私としてはこれからもそうしてくれるとありがたい」

 提督の言葉にこめられているのは、少女への信頼だった。当然だろう。あの夜から、少女は心を入れ替えて熱心に助力を申し出ているのだから。

 ただ、その裏で、少女には自身を歯がゆく思う気持ちも存在した。

(手伝っておるといっても、この程度では気休めにしかならん。本当にこやつの助けになるつもりなら、もっと、こちらの身を切るようなこともしなければ……。それなのに、吾輩は……)

 そうしないのは、結局、わが身可愛さのゆえなのだった。

 他者から気味悪がられるかもしれないことがこわくて、信頼される者たちに嫌われてしまうかもしれないことがこわくて、中途半端なことしかできず、こうして居心地のいい立場にとどまってしまう。

(臆病者なのだ、吾輩は……)

 それなのに、提督は少女に迷いのない強さを信じている。

「なんなら、利根。機密の一部を皆に話してしまってもかまわない。そのほうがいいと、すべてを知るあなたが判断するのなら、私に異存はない」

 その印象にあやかりたくて、けれどためらう気持ちを捨て去れなくて、答える少女の表情はぎこちなくなった。

「考えておく」

「まあ、もしものときはというやつだ。知ったところでもてあましてしまう類の情報だとは承知している」

「まったくじゃ。いたずらに探り当ててしまったせいで、筑摩のやつにも言えん秘密ができてしまったぞ」

 少女は心から息をつく。絡みついて離れないようなこのどうにもできない気持ちも、ともに出ていってしまえばいいのにと思いながら。

「それだけ、大切だということだろう?」

「そうじゃな」

 実感のこもった調子の問いに、少女は心から同意した。

(吾輩は、まがりなりにも筑摩の姉なのだからな……)

 それとともに、懲罰室での叱責が脳裏によみがえる。

 あのとき、少女は妹の身よりも自分自身の欲を優先させた。妹に対する、なんらの申し訳なさも覚えることなく。

 少女自ら懲罰室から出してやった妹は、表情から生気がすっかり失われてしまっていた。それから数日の間、片時たりともそばを離れようとせず顔色をうかがいつづける妹に、少女は自身のみにくさをまざまざと見せつけられた気がしたのだった。

(あやつをあんな目にあわせておきながら、それでも姉と、名乗っていいのであればな……)

 そんな回想に沈んでいこうとする少女に対し、そうと知らぬ提督は陽気に書類の束を繰っていた。そして、ゆるく笑みをたたえながら、つぶやくように言う。

「筑摩も変わらずあなたを慕っているようだし。なにはともあれ、あんなことがあったあとでも、あなたたち二人の仲がよさそうでなによりだよ」

「あやつは、慕っておるというよりも……」

 少女を見失ってしまうことをこわがっているにすぎないのだ、とまで口にすることはできなかった。

「ん、違うのか?」

「いや、なんでもない」

 少女は笑顔をとりつくろってその場をごまかす。

(知らぬなら、気を回させる必要はない)

 提督には、もっと集中してほしい問題がいくつもあるのだから。

「利根。まあ、ちょっとした悩みはあるかもしれないな。私を手伝ってくれるのもありがたいが、ときには筑摩と二人で思いっきり楽しんでくるのもいいんじゃないか?」

「それもよいかもしれぬな。ふむ、考えてみよう」

 だから、重ねての質問にも、少女は抱える懸念をおくびにも出さずに答えてみせた。

 しかし、次の一言はあまりにも予想外だった。

「そうするといい。なんなら、千歳と千代田のような関係になってもいいんだぞ?」

「は……?」

 はじめ、少女は聞きまちがいを疑った。だが、続く提督の言葉は、少女の耳の正しさを裏づけるものでしかなかった。

「この基地島で、忘れられないだろう記憶を作った二人だ。あなたたちも、彼女たちに続いてみてはどうだ?」

 それに、少女はなんと答えていいかわからなかった。

 うわさされる二人の関係を自分たちに置き換えてみようとしたが、抱いたことのない感情をもとにした話だけにまるでぴんとくるものがないのだ。まさか、自分たちはそんな仲だとでも思われているのだろうか。

「その……な、吾輩たちは、べつにそんな趣味があるわけでもなく……」

「あー……すまない。あの二人をあげたのはあくまで一例としてだ。さすがに、やや特殊な関係だとはわかっている」

「じゃ、じゃよな」

 ほっと、少女は胸をなでおろす。

 だが、と提督は言う。

「だが、この島で過ごした時間をいちばん有意義なものとしているのがあの二人であることは確かだ。私は、正直、彼女たちがうらやましくもある」

「まあ、そういう見方もあるか」

 心から言っている風な提督の言い分はわからなくもない。作戦が中途段階である今、誇れる成果といって私生活上のものが公的なものに優越するのはしかたのないことだろう。

「だから、できることならほかの皆にも、この基地で過ごした時間を、よかったとふりかえれるようになってほしい。一人でも多くの者が、万が一、作戦が失敗に終わっても、これだけは確かだったと言えるなにかを、手に入れてほしいんだ」

 とはいえ、だからといって、それは作戦の失敗を引き合いに出してまで口にすることだろうか。少女は首をひねらずにはいられなかった。この点、少女の思考はまず軍人であった。

「たしかに、それができたら理想じゃが、第一に考えるべきは作戦の成功であろう?」

 一方の提督は、そんな少女の内心を知ってか知らずか、ひとり話を進めていく。

「優先順位はそうだ。しかし、危機に瀕してもうだめだと、あきらめてしまう者と、こんなところで死ねないと、生きて帰りたい場所があると、そう思える者との差は大きい」

「それはそうじゃが……」

「そんなこともあってな。皆が皆、思い思いに大切なものを見つけていってくれたらと、思っているんだ」

 提督がそういう人だとは知っていた。しかし、これでは放任主義こそが理想だと言っているようなものではないか。

 がまんしきれなくなって、少女は異を唱える。

「おぬしは、それだからいかんというのだ」

「そうかなあ?」

 提督はわかっていないのだ。上から押さえつけるのが、今の仲間内の不和を収めるのに一番手っ取り早い手段だと。

「おぬし、仲間内でどれだけ吾輩たちに甘いと認識されておるかわかっておるか?」

 いや、実際はわかっているのだろう。わかっていて、それでもあえて今の態度でいるのだろう。先の演説じみた言葉が、自分たちに対する一番の思いなのだ。

 しかし、すでに発生している摩擦に見られるように、すべてがすべて期待通りの形になるとはかぎらない。そんなことになっているのは、やはり提督の態度によるところが大きいと、少女には思えてならなかった。

「だいたい、吾輩の懲罰室入りだって、ちゃんとした反省をひきだす前に許してしまいおって……」

「なんだ、利根。もっとあの中にいたかったのか?」

「そういうことではないというに!」

 それなのに、提督はまるでこちらの言いたいことをわかってくれる気配がない。むきになるほど見当違いの答えが返されることに徒労感ばかりが募らされた。

「なんというか……すまんな」

 あげく、わけもわからないまま謝罪を述べられるにいたり、少女はとうとうさじを投げた。

「もうよい! 言ってわからぬならば、実際にやってみせるのみじゃ」

「まあ、よくわかんが、ほどほどにな?」

 そんなやりとりをしていると、執務室の扉が静かに開けられた。

 妹が戻ってきたのだ。その手には湯呑みを乗せた盆が握られている。

「どうしたんですか、姉さん? 大きな声を出して」

 心配そうに尋ねてくる妹の様子に、少女はどれだけ自分が興奮してしまっていたかに気づかされた。

(いかん、いかん……)

 気を取り直すと、湯気の立つ茶を差し出す妹に礼を言い、提督を目で示してみせる。

「それがな……」

 こやつが、と言おうとした矢先、妹の硬い声がかぶせられた。

「まさか、また提督が姉さんに迷惑を? 本当に、学習しない人ですね」

「いや、別段そういうわけではなくてじゃな……」

 あわてて否定するが、妹の中ではすでにそういうことになってしまったらしい。すっと立ち上がると提督へと歩み寄る。その顔にはありありと不愉快が表れていた。

「せっかく、姉さんの好意でつきあってあげているというのに、そのうえどれだけ姉さんに迷惑をかければ気が済むんですか?」

 さらに詰め寄ろうとする妹を見過ごせるはずもなく、少女は妹をうしろからひきとめる。

「だ、だから、違うと言っておろうが」

 そう言うのだが、妹はひきさがる気配を見せてくれない。

「すまん」

「ええい、おぬしも謝るな」

 いま提督に加わられても話がややこしくなってしまうだけだ。妹は、なにも本気で提督に怒っているわけではないのだから。

「提督、その場の態度だけは、いつも誠意があるように見えますよね」

 冷やかにそう言ってのける妹に大きく息をつくと、少女はその腕をとってぐいとひきよせた。

「筑摩。そのあたりにするがよい」

 目を見ながらたしなめるように言う。それだけで、かたくなそうだった妹の態度はおびえのうかがえるそれへと変化した。

 少女は申し訳なさそうにうつむく妹の頭を軽くたたく。そうして提督から離れた位置の席に腰かけるよううながすと、少女自身はそのとなりに座ってみせた。

 妹はこちらを見て、すすめられた席を見て、もう一度こちらをうかがってから、おずおずと腰を下ろす。

 そのひざの上に重ねられた手に自らの手を乗せながら、少女はやさしく言う。

「すまんな、筑摩。おぬしにだけ茶を用意しに行かせて、吾輩たちはのんびり談笑などしておって」

「いえ、そんな……私には、これくらいのことしかできませんから」

「そんなことはない。おぬしがあまり気を利かせてくれるものだから、吾輩はついついおぬしに頼りきりになってしまうのじゃ。いつもはかしこまってしまうじゃろうから言わぬようにしておるが、今は言わせてくれ。おぬしには、日ごろより深く感謝しておるのだ」

「はい……」

 加減もかまわず重ねた手を握られて、けれど少女が痛みを覚えるのはその手よりも心なのだった。

(また、筑摩にこんなことをさせてしまった……)

 懲罰室での一件があってから、妹はまれに、ひどくさびしがりな一面を見せるようになった。少女が妹以外にかまけていると、やつあたりのような言動を取って、少女の気をひこうとする。そんなことをひき起こすようになったのだ。

 少女はそれを、なにかあると妹のことを放っぽりだしてしまう自分への戒めなのだろうと受けいれてはいた。しかし、そうと知らない仲間たちから妹が悪く思われてしまうことだけは、忍びなかった。

 妹自身は少女さえ誤解しないでくれればそれでいいと言うが、その原因が少女にあることを考えれば、それだけではあまりにかわいそうになるのだった。

「筑摩よ、それで満足か? もっと、思いっきり甘えてくるがよいぞ」

 握られた手はそのままに、少女はもう一方の手で妹の頭を肩に乗せるようにする。すると、妹は手から腕へと握る先を変え、少女のぬくもりを確かめるようにそっと体を預けてきた。

「姉さん……」

 こちらをうかがいながら言う妹に、少女はどんとこいとばかり、うなずいて返す。

 それで、やっと妹の体から遠慮したようなこわばりがとれるのがわかった。腕に感じる存在感は、心からの信頼の証だ。それが、少女には心地よかった。

(思えば、こやつも甘えかたの不器用なやつだからな……)

 そうしてしばらく、じっと少女に身を預ける妹のしたいようにさせていた。ふれあっている体のあたたかさから言葉にする以上のことが伝わっているといいと、そう思いながら。

 どれほどそうしていたか。やがて、妹は静かに身を離すと、ふだんの落ち着きを取り戻した声で礼を述べた。そんなものは不要だと思うのだが、妹なりのけじめなのだろう。

「うむ。それでは、一服もしたことだし、また続きにとりかかることにするかのう」

「はい、姉さん」

 これだけではとうてい懲罰室での非情のつぐないには足りないが、わずかなりとも埋め合わせることができていたらいい。その一歩が自信になる。

 この分なら、残りも調子よく終わらせることができるだろう。そう思い、妹と適度に冷めた茶を飲みながら作業の分担を話しあおうとすると、反対側からおずおずとした声がかけられた。

「な、なあ、筑摩。私の分のお茶はないのか?」

 言われて気がつくが、妹が持ってきていた湯呑みは二つ。一つは少女に差し出されており、残る一つもたったいま妹が口をつけてしまった。

 察しのついた少女が目を向けると、妹は不機嫌に顔をしかめていた。

「提督の分も用意するなんて、言いましたっけ?」

「たしか……吾輩と茶にでもしようと、それだけだったか」

 それに妹がうなずくのを見て、提督はがっくりとうなだれた。気の毒に思った少女が残っている茶菓子を渡そうとしたが、それよりも茶がほしいとのことである。

「まあ、自分で取りに行くとするよ」

 そう言って提督が席を立った。

 そのとき、扉の向こうから来訪を告げる声がかかった。

「長月だ。司令官、入ってもいいか?」

 出撃任務に出かけていた長月だ。近くの哨戒を終えて報告にきたのだろう。

 少女は妹に目くばせすると、立ち上がって壁ぎわにひかえる。執務机へと戻った提督は、それを確認して入室の許可を出した。

「失礼する」

 扉を開けてあらわれた長月の姿は、簡単な任務だったはずにもかかわらずぼろぼろだった。それを見た少女には、しかし驚きは小さかった。

「なんじゃ、長月。手ひどくやられたようじゃな」

「うん? 利根と筑摩もいたのか」

「少し邪魔をしておる。なんなら、席を外そうか?」

「かまわない。事実を報告するだけだ。不都合はなにもない」

 その言葉のとおり、始められた長月の報告は警戒に回った区域と戦闘の推移を外形的に述べるにとどめた簡潔なものだった。淡々と言葉を発しようとつとめていたともいえるだろう。

 長月でなくともそうなってしまうだろうと思えるほどに、今回の失敗は初歩的で信じがたい不注意が原因となっていた。

「あと一歩のところで討ちもらした敵潜水艦を追って、とどめの一撃を与えようと探索しながら航行していた。そこに、横合いから別の敵部隊からの魚雷を受けた。被害は、時津風が中破、私が大破。追尾に集中するあまり、別部隊と接触する可能性を見落としていた」

「それは、同じ部隊の誰も指摘しなかったのか?」

 思わずといった調子で提督が理由を問う。だれであれ浮かぶ疑問だろう。対して、長月はつかの間、ぐっと言葉を詰まらせた。

 すぐにそれに気づいて口を開いたが、答える調子はあとになるほど歯切れが悪くなっていった。

「わかっているものと思われていたようだ。実際、魚雷を撃たれた方位からの報告はあった、かもしれない。だが、とぎれとぎれではあったが追跡中の敵艦の足取りをとらえていたこともあり、ただの雑音だと判断した……可能性がある」

 どうやら、完全に目の前の敵に気を取られていたらしい。長月ほどの歴戦の者がどうしてと、今この時期でなければ少女もあきれていたことだろう。もしくは、非難めいた声をもらしてしまったかもしれない。

 しかし、少女にも、妹にも、提督にも、その背景にはおおいに心当たりがあった。

「ここのところ、こんなどうしようもない失敗ばかりで、申し開きの言葉もない」

 やや顔をうつむけながらの長月の弁に、提督はいたわりの言葉をかける。

「あなたが気に病むことじゃない。不調を知りながら起用しつづけているのは私なんだ。あなたはそのうちに、調子を取り戻してくれればそれでいい」

「すまない。次こそは、本来の力を発揮してみせる」

 ここのところ繰り返されているだろうやりとりをすると、長月は気丈なそぶりで執務室を去っていった。

 それを見送った少女は、長月の背中が見えなくなってからも閉められた扉を見つめていた。

 しばらく、室内に沈黙が訪れる。

 長月のことは、だれもかれもがなんとかしなければと思っている問題ではあった。現状、八隻の順番で運用されている主力艦の一人として、長月の不調は作戦面で大きな影響をもたらしている。しかし、長月自身が他者の助けを拒むがゆえに、なんら回復の兆しを見ることができないでいるのだった。

「ふぅ……」

 提督のためいきが少女の耳に入る。なにもできないでいる自分に歯がゆい思いをしているのだろう。少女も、気持ちは同じだった。

(だれもがなんとかしたいと考えておる。必要なのはひと押しふた押しだとわかってもおる。ならば、吾輩が動くべきなのだ。それなのに……)

 まずは提督を動かせばいい。そうわかっているにもかかわらず、少女の口はまるでぬいとめられたかのように開くことができなくなっていた。その目で提督をとらえていながら、少女はなんの声もかけられない。

(今、決断せねばどうするというのだ……)

 そう思いながら立ち尽くすほかなかった場面が、これまで何度あったことか。今回もまたその轍を踏むことになってしまうのだろうか。

(吾輩は、これほどまでにふがいなかったのか……)

 情けなさに、ついにはひざが落ちそうになった。

 そのとき、少女の手がなにかに包まれた。あたたかで、心の芯まで伝わるような、それは感触だった。

 ふりかえると、それは妹だった。

 妹は、両手でやさしく少女の手を握ると、なにもかもわかっているというように、そして大丈夫だと告げるように、ひとつうなずいてくれた。

(筑摩……)

 それだけで、少女の中の迷いや葛藤は、すべてとけだしていくかのようだった。

(……ありがとう)

 口に出さずにつぶやくと、少女は力強い笑みを浮かべて妹にうなずいて返してみせた。

 提督のほうに顔を向け直すと、少女は大きく息を吸う。

「提督よ、そうしけた顔をするでない」

 沈んだ気持ちなど吹き飛ばしてしまえそうな、威勢のいい声を出すことができた。

「利根。しかし……」

 こちらを向いた提督の顔は浮かない。

「おぬしでは長月になにもしてやれない……か?」

「そうだろうな……」

 同意して、提督はまたうつむきかける。その視線の先の机へと、少女は自らの手のひらをたたきつけた。

 驚いたように顔を上げる提督の目の前で、ことさら不敵な笑みを浮かべてみせる。

「迷うな」

 真正面から目を見つめながら、少女ははっきりと言う。

「おぬしがこの基地で最も気にかけておるのが長月だということはわかっておる。ならば、一度や二度の拒絶で、その気持ちをひっこめたりなどするな」

「だが……だが、今の長月に声を届かせることができるのは……」

 提督の目は、傷つくことへのおそれに揺れていた。つい先ほどまでの自分も似たようなものだったろうと少女は思う。

「たしかに、望月以外に長月の心を救ってやれる者はおらんだろうな」

「なら……」

 少女はもう一度机をたたき、さらに顔を近づける。今提督に必要なのは、おびえる心を吹き飛ばす気概だ。

「それでもだ。おぬし自身の気持ちを伝えることには意味がある。長月も、おぬしをうっとうしがっていたところはあるが、決して心配されること自体を不愉快に思っていたわけではない」

「そう……なのか?」

「そうだ」

 おそれに目を曇らせる提督にはわからなくても、少女にはわかることがある。

「望月がそっぽを向いておる今、長月のことを一番わかってやれるのは、睦月たちではない。おぬしなのだ。状況をよく知るおぬし以上に、長月の心を揺さぶってやれる者はおらぬのだ。そのおぬしが長月のために体を張ってでも声をかけてやらなくて、いったい誰があやつの無理を止めれるというのだ。誰が、あやつの心がこれ以上深みにはまってしまわぬよう、呼び止めてやれるというのだ」

 少女の剣幕は、いつしかつかみかからんばかりになっていた。提督はのけぞり身をひこうとするが、少女は逃すまじと迫りつづけた。

 言いたいことを言い終えると、少女はわかったかとばかり、険しい視線を向ける。

 数秒の沈黙ののち、提督はふっと少女から目をそらした。そして、ひとつ息をつくと、がりがりと頭をかいた。

「ああ、もう……。わかった。わかりました」

 その態度はふてくされたようでありながら、あきらめるよりも行動することを選んだ活力を感じさせるものがあった。

「うむ。わかればよい」

 少女は満足げに笑ってみせた。

(やれば、できるではないか……)

 まだ一歩。だが、これは大きな一歩だと、そう思わずにはいられなかった。これなら、次の一歩への不安も軽くできるだろうか。

 すっかり油断してそんなことを考えていると、不意を打つように意地の悪い声がかけられた。

「それにしても、利根、いちばん長月のことをわかってやれるのは私だって? とんでもない。一番はあなたなんじゃないのか? あんなにこわいくらいなにもかも見通したように言うくらいだ」

 隠し事はできないなと皮肉げに笑う提督に、少女は苦く笑い返すことしかできなかった。あれこれ頭に浮かんでは打ち消されていく雑念に、うめきださずにいるのがせいいっぱいだったのだ。

(こわい、か……)

 照れ隠しだとわかってはいても、その言葉は少女の心にじくじくとした痛みを与えずにはおかなかった。

 そんな少女に代わってぴしゃりと答えたのは、妹だった。

「姉さんはなんでも知ってるんです。秘密にできることがあると思っているのなら、それこそいい笑いものですよ」

「今なら、その言葉も額面どおりに受け取れるよ」

 それだけ言うと、提督は茶を取りに食堂へと向かっていった。

 執務室には、少女と妹の二人が残された。

「まったく、あの提督ときたら、姉さんに迷惑をかける以外のことはろくにできないくせに」

「すまんな……」

「いいんです。姉さんが少しでも気を楽にしてくれるなら、それで」

 妹が本心からそう言っているのがわかるがゆえに、この程度でへこたれてはいられないと、少女は思いを新たにした。憎まれ役を買わせてしまう妹に報いるためにも、さらに強く覚悟を固めなければならないだろう。

 だが、その前に、今は妹にもっと感謝の気持ちを伝えたかった。

「筑摩よ、少しよいか?」

「なんですか?」

 妹の正面に回ると、少女はその手を取って軽く額に当てる。

(この手が、吾輩に勇気を与えてくれたのだったな)

 そして、顔を上げると、照れたような妹と向き合い、口を開こうとした。

 まさにその瞬間のことだった。

 耳慣れた爆発の音が響きわたってきた。それと同時に、基地棟をふるわせるほどの振動が室内をかけぬけた。

「敵襲か!?」

 叫ぶや、少女は一も二もなく音のした現場へと走り出そうとした。また、うしろに残すなにもかもをかえりみずに。

 しかし、今回はその腕を、はっしとつかむ手があった。

 さらに、消え入りそうな妹の声が耳に入る。

「……姉さん。私も連れていって……くれませんか?」

 そう言う表情は、今にも泣きだしそうにこわばっていた。その心の内には、どれほどのおびえがうずまいていることだろうか。

(いかんな、吾輩は。ただこれだけのことに、これほどの勇気をふりしぼらせてしまって……)

 少女はきびすを返して大きく息を吸う。そして、満面の笑みを浮かべると、逆に妹の手首をつかみとった。

「いくぞ、筑摩! 全速力だ!」

 そう言うと、妹の顔がみるみるうれしさに染まっていくのがわかった。

「はい……はいっ!」

 妹の返事を聞くと、少女は全力で走りだした。

 一拍遅れて、妹も引かれるままに走りだした。

 そうして、少女と妹は、つらなるように執務室を駆け出していった。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラの現在のレベルは利根62、筑摩62、長月62。名前だけの登場では、千歳62、千代田62、龍田62、吹雪50、時津風26、望月62。
 『海色』を聴いてたら利根姉さんの主人公力が上がりました、とかそんな感じで。
 記事タイトル。冬イベってもう1か月以上前ですが、前回更新からこっち、それぐらいしか見出しにするような進捗がないのが現状でして……。3-4や4-4と2-5の難易度、星の数がほとんど同じなので、先に2-5をクリアしてからと考えてたらいっこうにボスに勝てないという。
 あ、冬イベでの戦果としては時津風をドロップしました。ここのところ新艦ゲットがほとんどなくなってるんで、こういうなかなかレアな艦のドロップはありがたいところです。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

艦これ、北方海域並びに西方海域攻略進行中 その2(の続き)

 以下、一つ前の記事の続きです。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「ねえねえ、長月。千歳さんと千代田のことなんだけど……」

 それから十日あまりののち、食堂で夕食をとっていると、長月に話しかける仲間の声が聞こえてきた。あまりしょっちゅう同じ席についていては仲間たちに自分たちの関係をあやしまれてしまうからと、望月はわざと離れた席でそれを耳にしていた。

(あれは……)

 そちらを向いた望月の目が長月のとなりにとらえたのは、自分や長月と同じ黒の水兵服に白いタイ、そしてそれら無彩色の衣服に対をなす金色の髪を持つ少女だった。その名を皐月という。

「え、知らないの!? どこもその話でもちきりなのに?」

 その皐月は、信じられないという驚きをあらわに声を大きくしていた。そこから、望月も交わされたであろうやりとりを察してぽかんと口を開けてしまった。

(長月、知らなかったの? ほんとに?)

 望月には、聞こえてきた皐月の言葉だけでも十分に内容を推測することは可能だった。というより、わからないほうがどうかしているくらいの話題である。

(あの二人、前からうわさは出回ってたけど、デマかと思ってたら……)

 今、千歳と千代田の名前が出てくれば、それはすべて二人が付き合いだしたことについての話であった。しばらく真偽不明のままうわさだけがささやかれていたのだが、つい数日前、必死に否定を続けていた千歳がとうとうそれを認める発言をした。また、それ以降では、千歳が千代田を気にかける様子や千代田が千歳に甘えかかる様子にも、それまでには見えなかった特別な関係の者同士らしい雰囲気を見出せるようになっていた。うわさ話だけで盛り上がっていた面々が、それらに接してさらに活気づかないはずがない。今の関係になったのはいつからなのか。どうして姉妹であるだけでなく恋人にもなろうとしたのか。二人の関係はどこまで進んでいるのかなどなど。二人を見かけるたびにあれこれ質問しては、さらなるうわさにつながる想像へと思いがはせられていた。そんなうわさの的になっている中を、千代田は皆の前に姿を現すのも恥ずかしそうに、千歳はおかまいなしにとにかく千代田といられることに満足そうに、日々を過ごしている。

 ここのところ、仲間が集まってする話題といえば、ほとんどがこれだった。任務や演習ばかりの単調な日々の中に持ち上がった一事であるだけに、みな異様なまでの食いつきを見せている。

(だから、いくら長月でも知ってるもんだとばかり思ってたけど……)

 しかし、長月は初耳だと言ったのだろう。

(興味ない話にはとことんうといところあるから、単に聞き流してたとか……?)

 そう考えてみるが、これほど勢いづいている話をそんなにも耳に入れずにいられるものだろうか。望月は首をひねらずにはいられなかった。

(最近、どうもふだんから上の空になってることが多いような気がしてたけど、もしかしてそのせいだったり……?)

「望月、どうかしたのー?」

 そうしていると、向かいの席から声をかけられた。

「ああいや、なんでもない」

「そう?」

 向き直った席についているのは睦月だった。その表情は納得したのかしてないのか、あいまいな笑顔を浮かべながら望月を見つめている。いつものようなにこにことした顔でありながら、ここのところしばしばそうであるように、その目つきには油断のならないなにかが潜んでいるように思われた。

(いけない、いけない。ついぼーっとしちゃってた)

 いっしょに食事をしていたことをうっかり忘れてしまっていたことに苦笑しながら、望月は頭をかく。

「いやあ……みんな、あきないもんだなーって」

 先ほど声の聞こえた皐月のほうをちらりと見ながら言うと、睦月はすぐに察しがついたらしい。

「千歳さんと千代田のこと? それは……やっぱり、気になるじゃん。恋人同士になったのって、二人が初めてなんだし」

(そうそう。他のみんなは、これくらいにぱっとわかってくれるものなんだけど……)

 心中でうなずくと、望月は湯呑みに口をつけて睦月に視線を戻した。

「まあねー。けど、他人のことあれこれうわさしあったってなんにもならないじゃんか


「えー? 楽しいじゃん。睦月たちもいつか誰かとあんな風になれるのかなって、想像してみたりとか……。それとも、望月にはもうそういうお相手がいたりするのです?」

 きらきらとした目を向けてくる睦月に、望月はどう答えたものかと、つかの間、頭を働かせる。

(ほんとのこと言うわけにはいかないけど、かといって……)

 純粋に頭に浮かんだ疑問をなんでもないように口に出した風な睦月だが、注意して見ると、その目にはどこかこちらの表情を探っているような色がうかがえた。

(これは……ある程度、あたしと長月の関係を勘づかれてるとみるべきかな?)

 睦月は、同型艦の一番艦としての自覚からか、誰よりもみなのことをよく見ている。そんな睦月に対して、いつまでも長月の変化を隠しとおすのは無理だろう。そして、長月に異変が感じ取れたとして、まっさきに疑われるのは、少し前から急に接近した自分であるということも、望月にはわかっていた。

(でも、確信があるわけじゃなさそうだよね。あたしが長月にしてること知ってたら、探り入れる前に怒られてそうだし)

 結局、望月は無表情でひらひらと手をふってみせる。

「あたしはそんなの、柄じゃないって」

「そうかなー。望月って、けっこういろんな子に好かれてるから、そういう相手も作ろうと思えば作れなくはないと思うけど?」

 なおも食い下がってくる睦月だが、望月はどうでもいいという態度で応答を続けていく。

「やだよ、めんどくさい。というか、なんで女同士が前提なのさ」

「だって、望月といえば、いたいけな女の子をふとんに連れこむ常習犯なのです」

「そんな、人をろくでもない女好きみたいに言わないでよ。そりゃ、言葉にするとそのとおりなことした仲間も何人かいるけどさ、ただいっしょにごろごろしてただけで、それ以上はなんにもしてないんだから」

「それはわかってるけど、だからこそあやしいのです。最近は、長月をその標的にしてるんじゃないかって、睦月は疑ってるのです」

「ああ、それね……」

 とうとう踏みこんできた睦月の言葉にも、望月は今思い出したかのようにめんどくさそうにしてみせる。

「長月とは、まあ確かに、いっしょにいる機会は増えてるけどさ、同じ教導艦としてってやつだよ。北方海域への出撃で行き詰ってたときから習慣になってるの。あっちとこっちの情報すりあわせるのが」

「むむ……そうなんです?」

「そうそう。長月も、一時期は相当参ってたからさ。あたしだってたまにつきあげくらったりしてたし、早く終わらせるためにはって、必要に駆られてってやつ?」

 それには睦月も思い当たるところがあったらしい。そっと目を伏せて表情をくもらせる。

「確かに、あの頃は睦月も風当たりを感じてたのね。長月がそんなに悩んでたのに気づけなかったとは、睦月、一生の不覚……」

「そんなおおげさな。長月って、自分の弱み他人に見せないようにしてるとこあるし、しかたないって」

 うまくごまかせたと感じた望月は、ぞんざいな調子で睦月をなぐさめる。

(ま、長月が参ってたのって、ほとんどあたしのせいなんだけど)

 内心で苦笑しながら、望月はわざとらしくならないように話題をそらす。

「それに、睦月はいっつもそうやってあたしたちに気をつかってくれてるんだから。むしろ、睦月のほうが浮いた話の一つや二つあってもいいんじゃないかって、あたしは思うんだけどもね」

 にやにやしながら言ってみるが、睦月はきょとんとするだけだった。

「へ? む、睦月にそんな話なんて、あるわけないじゃないですか」

 望月にも睦月に想いを寄せる仲間の心当たりはなかったが、誰かの名前をあげてみるとどんな反応をしてくれるのか、ためしてみるのも面白そうだった。

「たとえばさ、よくいっしょにいる如月とか、それとか、あっちにいる皐月とか、近くにいる暁とか、白雪とか……」

「睦月は、うるさがられてることはあっても、好かれることなんてそうそうないのです。それに、睦月はみんなのおねえさんだから、そんな関係になるのは許されないのにゃー」

 しかし、答える睦月の調子は直前のとまどった様子から一転しておちゃらけた調子だった。煙に巻くようなその態度にはなにかあったのではないかと思わせるものもあったが、かといってあまり深くつっこみすぎるとふたたびこちらに跳ねかえってきかねない。望月はそれだけわかったことを収穫に、泥沼にはまる前にこの話題を打ち切ることにした。

「ま、そっか。ほかにそういう話がないからこそ、あの二人が話題になるんだよね」

「そうだよね」

 しみじみとうなずきあうと、望月と睦月は二人、そうして意味のあるようでない話を交わしつづけた。




 その後、食事を終えた望月は部屋でのんびりと過ごしていたが、しばらくして示し合わせていたとおりにこっそりと資料室に入室した。すると、予定の時刻をすでに回っていたこともあり、長月が机の上に資料を広げて待ち受けていた。

「望月、ようやく来たか。今夜はもう来ないものかと思ったぞ」

 ぱっと顔を輝かせたかと思えばくちびるをとがらせる長月の様子は、望月の目から見てとてもわかりやすく、こんなだから睦月になんとなく気づかれてしまうのだろうと納得させられるものがあった。そんな長月とまともに取り合うのがいやで、望月はぞんざいに眠気の残る目をこすりながら相手をする。

「いきなりなに言いだすかと思えば……これまでにあたしが来なかった日なんてあったっけ?」

「それは……ない、が……」

 なにやらもごもごと言いだした長月を無視して、望月は長月の向かいのいすを引く。

「そんなことより、詳報図の作成はどんな感じ?」

 さっさと話を先に進めると、長月はため息をつきながら手もとを示してみせた。

「書きかけのものはこんなところだ。おまえの来るのが遅いものだから、私のほうはもうそれなりに進んでいるぞ」

 責めるような声にそちらを見れば、確かにもう所定のいくぶんかが埋められている。ここからでは、長月よりも早く自分の分を終わらせることは難しいだろう。望月はばつの悪さを感じて頭をかく。

「んー……ちょーっと、寝過ごしたかな? いやあ、食べるだけ食べたら、なんだかうとうとしてきちゃって」

 悪い悪いと軽く謝るついでに、ぱっと見て目についた誤りを一つ二つ指摘する。すると、長月はこちらの遅刻をとがめようとしていた態度も消え去って、面白いように顔を赤らめてあわてた姿を見せてくれた。

(こうしてみれば、長月ってば扱いやすいんだけど……)

 あまり長月が人前で不自然な言動をとるようなら、いつまでも遊んでばかりもいられないのかもしれない。そんなことを考えながら、望月は黙々と自らの分の作業に手をつけはじめた。

 自分たち以外の仲間の動きはすでに反省会で聞きだしてある。そのときに取った長月の書きつけも参考にしながら、一ヶ所ずつ手がけていく。

 望月がしゃべらなければ、長月のほうから話しかけてくることはあまりない。ときおり確認のための声がはさまれることはあったが、資料室での二人の夜は静かに更けていく。

 暦としてはすでに師走。あれほど苦戦を重ねていた北方海域への出撃任務ももはや過去の話となりつつあった。

(あれはあれで、ある日突然、成功できちゃって、むしろこっちがびっくりしちゃったくらいなんだけど……)

 あの日は、確かに朝の演習から異様に調子がいいと感じてはいた。しかし、あれほど苦戦を強いられていた敵戦艦率いる部隊にすら、十分に余力を残したうえで勝利を収めることができてしまうなど、前日までの苦戦を考えれば、楽観的な自覚のある望月をしてもできすぎではないかと思えてならなかった。

(あんだけうまくいっちゃえば、次の敵部隊の強さは、一、二回戦っただけだけど、たかが知れてたし、勝てないほうがどうかしてるってくらいだったよね)

 敵の攻撃はほとんど当たらず、逆に味方の攻撃は面白いように有効打を与えつづけた。結局、暁が大破相当の負傷をこそしたものの、こちらの被害といえばほとんどそれくらいで、戦果としては敵旗艦を含む四隻を撃沈。見事なまでの勝利を収めることができた。

(今ふりかえっても不思議なくらいの戦果だよ、ほんと)

 あれほど失敗を繰り返させられた任務がこんなにあっけなく終わってしまっていいものかと思ったほどだが、どれだけ探っても新たな敵部隊が発見されることはなかった。報告を受けた司令官も、それにて望月たちに任されていた北方海域の作戦は成功であるとの判断を下し、つづけて西方海域での作戦へと重点が移されていった。

(なんか、だまされた気分だよね)

 来る日も来る日も挑みつづけた任務があんなにあっさりと過去のものになっていくということが、望月には面白くなかった。南西海域においても、壁を越えたと思えばすぐに北方海域での作戦に推移していくことになったのだが、あのときはまだ、任務成功の達成感とそれを喜びあう仲間たちの間に何日も冷めやらない余韻があったように記憶している。それに比べて北方海域での任務成功のあとでは、南西海域よりも悩まされた期間は長かったにもかかわらず、みな驚くほど淡々と次の作戦へと頭を切り替えていったのだ。

(そりゃさ、確かに、ちょっとばかり時間をかけすぎたとは思うけど)

 最初に作戦が発令されてから成功を収めるまでには、ゆうに二か月半もの月日がかかっていた。その間、出番を与えられない仲間たちの不満はふくれあがり、望月も無能のそしりを受けることが一度ならずあった。

(あれでも、部隊のみんなはびっくりするくらいの活躍をしてくれたんだけども)

 戦艦率いる敵部隊や、その次の戦いも含めて、あれほどまでに敵の攻撃をかわしまくってみせるなど、望月にとってさえそうそう再現できるものではない。あのときの仲間たちにとってみれば、何百回と繰り返してようやく一回できるかできないかというくらいの奇跡的な動きだったようにまで見えたのだ。そんな仲間たちですら、周りの空気に引きずられ、自分たちの手柄を誇るでもなく、駆逐艦同士や仲のいい仲間たちだけで静かに祝いあっただけだと望月は知っていた。

(ま、それでいいなら、とやかく言う筋合いはないけどね)

 望月自身は、納得しきってはいないながらも、後日、長月にこの場所で、少ない語彙によって思いつくかぎりのつたない賞賛と、羨望の中にうっすら嫉妬の混じるまなざしを向けられたことで、いくらか満足できていた。そうである以上、もともとそんな熱意もないため、他人のことに口出しする理由はなかった。

(長月一人でまあいいかって思えちゃうんだから、あたしも安上がりだよね)

 そんなことを考えながらも手はしっかりと動かされ、図はどんどんと書きあげられていく。一枚目を書き終えると二枚目、さらに次へと移っていく。

「ふぃー……っと」

 疲れを覚えた望月が時間を確認すると、もうすぐ消灯前の夜回りが始められそうな時刻になっていた。

「ちょっとお茶でも飲んでくる。長月は、どう?」

「わ、私も……いっしょに行っていいのか?」

 席を立ちながら声をかけてみると、長月はおずおずと期待に輝かせた目を向けてきた。予想できたとはいえ、あまりにもわかりやすすぎる反応に、望月はため息をついた。

「だめに決まってるでしょ? 長月といっしょにいるところを見つからないようにするためなんだから。いつものことなんだし、それくらいわかってよね?」

「いや、今日はどこか誰かに見つからない場所でやりすごすのかと……」

「あのさ、長月。その間に作業が止まっちゃったら意味ないっしょ? ただでさえ長月は手が遅いんだから」

 そう言って作業の進み具合においてかなり差を詰めている自分の分を示すと、長月は悲しそうに顔をゆがめた。そして、うなだれるようにまた図を書きつけはじめるのだった。

「それじゃ、またね」

 そんな長月の様子をたっぷりと楽しむと、望月はひとときの別れを告げて資料室をあとにした。


 資料室を出ると、望月はうす暗い廊下を歩いて食堂へと向かった。

 就寝時間になる前であれば、食堂はいつでも利用することができる。ただし、規定の食事時間以外は当番がいないため、準備から片付けまですべて自分の手でしなければならないのだが。

 とはいえ、お茶ぐらいなら、誰かが飲もうと用意しているものがあるはずだ。望月はその厄介にあずかるつもりでいる。

(さってと、今夜は誰がいるかな……?)

 そっと食堂の扉を開けると、そこには深刻そうに顔をつきあわせている二人の仲間の姿があった。

「あれは……」

 それは、ふだんからよく話もする同室の仲間たち、皐月と文月だった。どうやら二人はまだ望月に気づいてはいないらしい。重たい空気が漂わせるその雰囲気を見て、望月はふといたずら心を起こした。

 にんまりと笑みを浮かべると、望月は忍び足で彼女たちに近づいていく。机を陰に、慎重に距離を詰める。そして、十分に近くまで寄ることができたと判断できたところで、死角からいきなり声をかけた。

「たのもー」

「うわっ!?」

 びくっとして驚きに染めた顔をこちらに向けてくれた二人に、望月はしてやったりと笑みを濃くした。

「やあやあ、ご両人。どうしたの、むつかしい顔して? なにかあったなら話くらい聞くよ? お茶でも一杯ひっかけてる間にさ」

 言いながら、返事を聞くこともなく二人のとなりの席に着くと、あっけにとられたようにこくこくと首を縦にふることで答えが返ってきた。望月はそんな二人の顔を見比べてそっくりであることを確認すると、ついに笑いをこらえることができなくなった。

「あっはっは……いや、二人とも……期待どおりの反応、ありがとね」

 皐月の肩を叩きながら言うと、さすがに調子に乗りすぎたか顔をしかめられてしまった。

「もう……望月って、すぐそうやって人をからかうんだから……」

「ほんとにー。びっくりしちゃったよー」

 ほおをふくらませる二人に、望月は神妙な態度を取る。

「ごめんごめん。謝るから、いっしょにお茶でも飲ませてよ」

「まあ、望月だし……べつにいいよ。消灯までたぶんあんまり時間ないけど、それでもよければね」

 いいよと言いながらもへそを曲げてしまったのか、皐月は仏頂面を浮かべていた。一方の文月は望月を歓迎する様子を見せてくれた。そして、そっぽを向く皐月に提案するように言う。

「ねえねえ、皐月。これってさー、ちょうどいい機会なんじゃない? 望月に聞いてみようよー」

 二人の話題はどうやら望月にもかかわりのあることだったらしい。なにかこの二人が話しこむようなことをしていただろうかと心当たりを探るが、同室であるだけにふだんから接する機会も多く、とても一つにしぼりきれるものではない。望月は早々に考えを放棄して質問を待つことにした。

「ほらほらー。皐月、あんなに心配してたじゃない?」

 その間も、文月は皐月に声をかけてうながすが、皐月はひき結んだ口をなかなか開こうとしなかった。

 よほど重大なことなのだろうか。そう思えてくるのだが、そうなると逆に思い当たる記憶はなくなっていく。ここのところの望月といえば、長月とならあれこれあるものの、皐月や文月とはそれほど特別なことがあったとは思えないのだ。

(さて……なにがあったんだろね?)

 皐月が強情を張れば張るほど、むしろその内容に興味がわいてきた。

「望月ならきっと知ってるんだから、悩んでるくらいなら聞いちゃおうよー?」

 迷う皐月を勇気づける文月とのやりとりをながめていると、眉根を寄せていた皐月の顔から徐々に力が失われていくのが見て取れた。そうして、ついにはへの字に曲げられていた口もとが開き、あきらめたように大きく息がつかれた。

「ねえ、望月……。最近、長月の様子がどうもおかしいんだけど、何かその理由に心当たりはある?」

「へぇ……?」

 お茶を飲んでいるときでなくてよかったと、望月は心の中で安心した。そんなときであったならば、お茶が変なところに入ってむせかえっててしまっていたことだろう。それほどの驚きを生じさせる問いだったのだ。

(睦月につづいて、皐月もなの!? これ、まじでそろそろ隠しきれなくなってるのかも……)

 思い返してみれば、皐月もよく長月のことを気にしていた風に取れる記憶がなくもない。望月の想定としては、睦月の次に気づく者が現れるのには少し間があるだろうから、そのあたりが次の対策の考えどきになるかと思っていたのだが、このままでは手遅れになってしまいかねない。

「長月がおかしい……ねえ。どのへんがそう思うわけ?」

「うーん……そう言われるとうまく説明できないんだけど、雰囲気……かな? なんか、ぼーっとしてることが多くなったように思うんだ。さっきの夕食のときだって、話しかけてはみたものの、ほとんど上の空で、ああとかうんとかくらいしか答えてくれなかったんだ……」

 どれほど勘づいているのかと探りを入れてみると、皐月は長月がどこか別人のようだと、それに気づいている者が自分しかいないらしいのが不安であると、ぽつぽつと話しだした。

「そりゃ、長月にとっては興味のないことだったかもしれないけど、あんなにあからさまに人の話を聞いてないそぶりをするような性格じゃなかったはずなんだ。それに、上の空になってる時間はだんだん増えてきてるし……」

(やっぱり、わかっちゃうか……)

 話をうながすように相づちをうちながら、望月は内心で苦いものを感じていた。皐月が口にしたのは、望月としても懸念していた点だからだ。長月自身にも自覚を持って気をつけてもらおうと注意をしてきながら、けれど、少しずつの変化ならばそれほど不審にも思われないのではないかと楽観視している部分があった。しかし、わかる者の目には違和感を隠しきれないものであるらしい。

「それと、これがいちばん不思議なんだけど……」

 皐月はさらに続ける。

「上の空になってるのって、出撃中でも珍しくないことなんだ。それなのに、戦闘が始まると、すきを見せるどころか、出撃を重ねるたびに戦果を上げてってるんだよ。あれって、なんというか……まるで、事前に誰かから指示を受けてるみたいで……」

(そんなことまで……!?)

 それは、望月にとって、予想外の指摘だった。自分がいっしょに出撃しているときにはそんな様子は見られなかったし、詳報図からもそんなことは読み取れなかったはずだった。

(いや、待てよ……?)

 しかし、よく記憶を探ってみると、手がかりらしきものはなくもなかった。

(いつぐらいからだったか、詳報図にミスがちょこちょこ出るようになってきたけど、あれはつまり、ぼーっとしててよく覚えてないものだから……?)

 気づいたときにはそれが当たり前になっているような変化だったために、完全に見過ごしていたらしい。自分以上に敏感に長月の変化を感じ取っている皐月に、望月はあせりを募らせた。

(これはちょっと、腹をくくらなきゃいけないかも……)

 望月は腕を組んで、なにやら考えこむそぶりを装う。そうして、皐月の話に同意を示すようにうなずきながら、こちらからも聞いてみる。

「なるほどね……言われてみれば、そう思えるところもなくはないかも。けどさ、そこまでわかってるなら、どうしてあたしならその理由を知ってるかもなんて思ったのさ? 話聞いてるかぎりだと、皐月のほうがよっぽど長月のことに詳しいって」

 望月が警戒していた睦月よりもよっぽどに、とまで口にすることはなかったが。

「えー? だって、望月って、最近長月と仲いいじゃないー?」

 答えを返してきたのは文月だった。そしてその口調は、決まっていると言わんばかりだった。皐月もそれに同調して言葉を続ける。

「そうだよ。ボクとは違って、望月になら、長月も気を許してるところがあるように見えるんだから」

 それは、以前にも誰かの口から聞いたのと同じような理由だった。まだ自分たちに近しい仲間から言われただけにすぎないが、どうも自分と長月は仲がいいというのが周知されつつあるらしい。望月としても、それ自体は別にいい。自分たちの本当の関係をごまかすのには都合がいいからだ。しかし、皐月の指摘からは明確な危険を感じとらずにはいられなかった。

「うーん、そうかなあ? 確かに、以前より接する機会は増えたけど、そんなにとびぬけて仲がいい実感はないんだけども……」

 疑わしげに二人の顔を見回してみるが、二人ともそんなことはないと繰り返すばかりだった。望月はそれを受けて、そうなのかもしれないという体で考えこむことにした。

(二人の話と、それから睦月とのも合わせてみると……)

 つまるところ、今の長月は、よく見ている仲間にはそれとわかるくらいには変わっているらしい。文月も、同意はしなかったものの否定もしてこないことから、それ以外の仲間もうっすらとそう感じだしているのかもしれない。それでも、その理由までたどり着きそうな者はまだいない。最近仲がよく見える自分の影響も疑われはしているようだが、それについては睦月のときのように、まだ十分にごまかしの利く範囲内だ。それならば、直観的に長月の変化を指摘してくる皐月はあなどれないが、決定的な証拠まではつかまれていないのだし、まだなんとかなる状況だろう。

 望月は、二人にことわって自分の茶を用意しに行きながらさらに考えをめぐらせた。そうして、二人のもとに戻ると、皐月の懸念を正解から意図的にずらすべく話しだす。

「そうだね……いろいろ思い出してはいるんだけど、長月って基本的に一人で考えて行動してくやつだから、それっぽい記憶がなかなか出てこないんだよね」

 そう言って、望月は湯呑みに口をつける。

「全然、一つも……なのかい?」

「うーん……どうも、以前は長月のこと苦手で避けてたから、昔のことをあんまり覚えてなくて、むしろ最初から今みたいだったような気もしてくるありさまで」

「そういえばそうだったよね。じゃあさ、なんで今はそんなに仲よくなってるの?」

「その『仲がいい』については、さっきも言ったみたいに、あたしとしては、昔と比べたらってくらいのもんだと思ってるんだけども。それはそれとして、きっかけは北方海域への出撃。あのとき、あたしも長月も、相当行き詰ってたから、任務成功のためにも関係する情報を共有しようって。そうこうしてる間にまあまあ話のできる仲になってたってわけ」

 昔のことを思い出している体で説明していくと、文月は意外そうな表情を浮かべた。

「そういうことだったのー。望月って、長月と性格合わなさそうだから、なんでだろうって不思議に思ってたのー」

「あっはは……。まあ、あたしも不思議だけどね。もともと怒られてばかりだったし。けど、実際にいろいろ話してみたら、案外話せる相手だったってとこ」

 そう言うと、文月は納得したようにうなずいた。それに対して、皐月は表情をくもらせたようだった。

「北方海域……ちょうど、長月がおかしくなりだしたころのことだよ」

「皐月は、それがあたしのせいだって思ってる?」

 ふと思い立って聞いてみると、皐月はあわてたように首をふった。

「そうじゃない……けど、そのころになにかがあったと思うんだ」

「もし、あたしがなにかしてたら、どうする?」

 面白そうだと思った望月はさらに試すように問いかける。すると、すっと、皐月の目が細められた。

「それは、心当たりがあるってこと?」

 鋭い視線を向けられた望月は、苦笑して手を広げてみせる。

「いやいや、ないよ。けど、もしもの話だよ? もし、あたしがなにかかかわってたとしたら……?」

「そのときは、望月を絶対に許さない」

 そう言う皐月は、まるで仇を見つめているかのようだった。それを受け止めながら、望月は背中にぞくぞくとした快感が走るのを感じていた。

 しばし、誰もまばたき一つしない沈黙が訪れた。

 水場から届くぴちょぴちょという音だけがその場を流れていく。

 望月と皐月はにらみあうように向かい合い、そんな二人を文月ははらはらと見つめていた。

 どれだけそうしていただろうか。身じろぎすればその音さえ耳に入りそうな静けさに包まれた食堂に、その扉の開く音が響いた。

「はーい、消灯時間です!」

「すばやく片づけをすませて、部屋に戻ってください」

 見回りに来た、当番の吹雪と白雪だった。

 その声にはっと我に返った三人は、緊張が解けたのを機にそそくさと湯呑みを洗い場に返しに行く。その途中、文月が望月に小さく声をかけてきた。

「ねえねえ、さっきの話、冗談だよね?」

 心配そうなその声音に、望月は安心させるように笑ってみせた。

「そうに決まってるじゃん。あたしが長月になにかして、それでなんの意味があるっていうの?」

 しかし、そう言い聞かせたのちにも、文月はほっと胸をなでおろす一方で、皐月は考えこむようなそぶりをしつづけていた。


 ひっそりと資料室に戻った望月は、見回りも過ぎたあとの静かな部屋で詳報図の作成を再開した。記憶とメモをもとに位置関係を推測し、定規を当てながらさらさらと書き記していく。

 茶を飲みに行くまでにそれなりのところまで進めていたので、それほどかからずに終わるだろうとの心積りであった。ちらりと確認した長月の進度を見れば、終わるのはやはり長月のほうが早いだろうと判断できるが、長月にはそちらのほうで反省点を考えておいてもらえばいい。

(あたしは、長月との関係をどうするかも考えないと……)

 図を書きこみながらも、望月の頭はせわしなく働かされていた。

(そもそも、あたしが長月に何を求めてるかっていうと、あたしを楽しませてくれることなんだよね)

 望月には、長月に対して、千歳と千代田が互いを求めあうような気持ちの持ち合わせなどなかった。ふだんは口うるさいくせにつついてやればすぐに表情をころころと変えるのがおかしくて、その心の底に隠された情けなさを暴き立てるのが面白くて、だからこそ気に入って自分だけのものにしていようと画策している。それだけのことなのだ。それがべつに長月でなければならないという理由はなにもない。

(けど、ほかにあてがあるわけでもなし、なくしちゃうのは惜しいからね)

 長月との関係がばれてしまうことをおそれるのも、すべてはその思いからだった。毅然としている長月は生半可なことでは崩れないほどに強い。けれど、ひとたびもろさを露呈しだすと拍子抜けするほどの弱さを見せてしまう。その落差こそは望月の愛するところであったが、あまり弱いところが常態化してくると、それはもう求めるものではなくなってしまうのだ。そして、望月の見るところ、長月は自分と接しているうちにだんだんとふぬけてきていた。

(たまに言い聞かせてきたつもりだったけど、全然足りなかったかな?)

 いっそのこと、しばらく長月と口をきかないでやるのもいいかもしれない。それとも、もっときついおしおきをしてやるのはどうだろうか。考えてみるが、どれもあまりいい手段とは思えなかった。今の長月に必要なのは、うやむやのうちに済まされてしまいそうな半端なものではなく、もっと目の覚めるような荒療治でなくてはならないと思えるのだ。

(最悪、長月と手を切るのも、選択肢としてはありかな?)

 望月のことをあやしいと思う仲間はいても、確信を持って糾弾してくる者はまだいない。今ならば、ひっそりと関係を断ち、自らは無関係を装う工作をすることも、不可能ではないだろう。

(ま、あたしがしたことがばれたって、長月が取り返しのつかないことになってるわけでもなし。さんざん怒られるかもだけど、せいぜいそのくらいっしょ)

 それはそれでめんどくさいのだが、今だってよく思われていない者からはさんざんに評価されているのだ。そのうえに嫌われる相手が何人か増えるくらいはどうってことない。

(だから、ここは長月しだい……かな?)

 あれこれと考えているうちに、望月の分の図は完成を迎えた。望月は大きく息をつき、根を詰めてこわばっていた体をほぐすように肩をぐるぐると回す。

「望月も終わったようだな」

 長月は茶を飲みながら望月の作業が終わるのを待っていたらしい。望月が持ってきていた湯呑みを盆に戻すと、さっそく次の出撃に向けた反省点の列挙をうながしてきた。望月はその問いをそのまま長月に返す。

「いや、あたし、今、終わったとこだし。先に終わってた長月のがあれこれ考えれてるっしょ?」

「まあ、それもそうだな。まず……」

 そうして長月は、大は二隻大破から小は魚雷の不発まで、両手に余る反省を並べだしていった。

 しかし、その内容は望月の気に入らないものばかりだった。確かに、数多くのいたらなかった点をあげ、改善点まで提案することはできているのだが、それらはすべて、帰投後の反省会の時点ですでに指摘されていたことでしかなかったのだ。

「あのさ、長月。そんなわかりきったことだけじゃなくてさ、もっとほかにもあるでしょ? そうでなきゃ、なんのために時間かけて図まで作ってるのかわかんないじゃん」

 手もとのノートから目を上げて言うと、長月はさっと目をそらした。

「それが、だな……」

「まさか、一個も浮かばなかったの? あたしなんて、書いてるだけでもぽんぽん浮かんできたのに……」

 そうして、それらを指折り口に出していくと、長月は素直に称賛を述べてきた。

「さすが、望月はすごいな。私にはとても追いつけない」

 その表情にくやしさは一片もなく、ただ諦観だけがそこに浮かんでいた。それを見た瞬間に、望月はどうしようもない怒りがわき上がってくるの感じた。

(あたしがこんなに長月のために頭悩ませてるっていうのに……)

「長月さ、そんなこと言って、前回も、その前も、そのまた前も、なんにも意見出さなかったよね?」

 言って、望月は机をたたく。その音が響くと同時に、長月はびくっと体を反応させた。

「それは……私のような、才能のない者が知恵をふりしぼったって、おまえが出す意見の前ではまったく無価値だと思うと……」

 あわててとりつくろうように口にされたその言葉は、そうであるがゆえに長月の本心の表れに思えてならなかった。

「だからってさ、あたしが誰のためにこんな遅くまでつきあってあげてると思ってんの?」

 本来ならばこの時間、望月はそろそろ寝ているはずだった。それを、眠いのをこらえながらわざわざめんどくさい作業を手伝っているのは、長月が自身の伸び悩みを気に病んでいたがために、せめてその助けになればという親切心からだった。めったに起こさない気持ちに、けれどなにかと楽しませてくれる長月のためにと思って手を貸しているのだ。それなのに、長月はまるでそれにおぶさりかかるようにこう言うのだ。

「それはもちろん……望月には感謝している。ここのところ任務での戦果が上り調子なのは、すべておまえの指示に従っているからなんだから。おかげで、失いかけていた自信も取り戻せてきているくらいだ」

 長月は、どれほど望月を頼りにしているかということを伝えたかったのだろう。しかし、望月が聞きたいのはそんなことではなかった。そんなことを言う長月が見たいのではなかった。

 少し前から長月に感じていた違和感の正体に気づいた望月は、自身の怒りに火がつこうとしているのを感じた。えんぴつを投げだし一つ舌打ちをすると、ゆらりと席を立つ。倒れたいすの音が室内に響くが、知ったことではない。

「ああ、そうなの。長月ってば、意見出さないだけじゃなくて、なんにも考えてすらいなかったの。ふーん。そうやって、考えるのはあたし任せにして、手柄だけは自分ががんばりましたって顔してるんだ?」

「ち、違う。そういうつもりじゃないんだ……」

 目に涙を浮かべながらあちこち視線をさまよわせる長月の様子が、余計に不快をあおった。この期に及んでもただこちらの顔色をうかがうばかりの態度が癇に障ってしかたなかった。

 一歩一歩、長月に近づいていくと、長月は顔をひきつらせながらあとずさる。

「それで、全部全部、あたしに丸投げしてる長月は、どの面下げてあたしに顔向けしてるわけ?」

 後退していた長月の背が、本棚にぶつかって行き場を失った。逃れがたいことを悟った長月は、必死で許しを乞うてきた。

「すまない、望月。わ、私が、悪かった。心を入れ替えるから……がっ!?」

 望月は、長月の言葉にかまわず、その首を両手でつかみあげた。

「も、もちづ……き……?」

「うるさい。どうせ長月なんて、口ばっかで、全然反省なんてしやしないんでしょ?」

 力いっぱいに首をしめながら、間近で怒りをあらわに言ってやると、否定しようとしてか、驚きに固まっていた長月はやにわに抵抗を始めた。初めは手首をつかんで引きはがそうとする程度のものだったが、しだいにこちらの腕を叩くようにもなってくる。

 しかし、それは望月の目にはやはり多分に甘えを含んだものに映った。

「長月、あたしは本気で怒ってるんだよ? なあなあで許してもらおうなんて思ってるなら……このままへし折ってやる」

 そう言って、首をしめる手の力をさらに強めていく。

 すると、ようやく望月の害意を悟ったか、長月の抵抗は力のこもった反撃へと様相を変えだした。

 腹へと膝がつきあげられる。顔を狙って拳もつきだされる。

 それを、望月は、あるいはいなし、あるいはかわしながら、いっさい力をゆるめることなく首をしめつづけた。そうしながら、低い声で告げてやる。

「そうだよ。せいぜい、抵抗してみせてよ。あたしにつっかかってくる意地もなくした長月なんて、なんの価値もないんだから」

 だんだんと息が苦しく命の危機を感じるようになってきているのだろう。長月の抵抗は容赦のない勢いを伴うまでになっていた。望月もしだいに防ぎきれなくなり、あちこちに打撃を受けるようになった。背後の本棚からは何冊もの本が降ってきて二人の頭を打つ。それでも望月は、手にこめる力だけはわずかもゆるがせなかった。

「ほらほら、長月。そんなんじゃ、死んじゃうよ?」

 見下した顔で言ってやると、力の乗った拳にほおを打たれた。一瞬視界が白くなり、遅れて痛みがやってくる。

(やってくれるじゃん……)

 だが、長月の抵抗はそれを境に徐々に力を失っていった。こちらを攻撃するよりも、ただ単に体をばたつかせるだけになっていき、目も望月をとらえられているのか、焦点が合わなくなっていくように見えた。

 そのことに、望月はこの程度なのかという落胆を感じずにはいられなかった。しかし、これはこれで楽しむことができた。心のどこかですっとする気持ちを感じながら、望月は長月の耳もとでささやいた。

「いい、長月? これはおしおきじゃなくて、警告だから。次はないよ?」

 そして、長月の体からはがっくりと力が失われた。




 寒空の下、月明かりに照らされながら、海は大きく波打っていた。人が飲みこまれてしまいそうなほどの高さをゆらゆらと、上がっては下がり、上がっては下がり、いつ果てるともしれずにうねりたつ。

 その海は、今、戦場となっていた。

「距離よし。これで、しとめる!」

 一秒たりとも定まらない狙いを無理やり合わせ、長月は主砲を斉射した。

「命中は……なし」

 確認するや、すぐさま装填していた次弾を撃ちはなすべく、狙いを修正しにかかる。

 その間に、敵の軽巡洋艦らしき艦からの反撃が飛来する。長月はそれらを悠々と回避したが、先ほどから徐々にその精度が上がってきているのが感じられてもいた。

「敵をしとめるのが先か、直撃をもらうのが先か」

 なんの感情も見せずにつぶやいた長月は、波を切って敵の艦隊を回りこみながら、船を進めていく。

 その長月のうしろに、やや遅れながらついてくる艦が一隻あった。重巡洋艦、高雄だ。
ほかの僚艦たちは、さらに後方で、敵の艦隊主力と激しい撃ちあいを行っている。もともとは、敵がそちらに気を取られているすきに、長月が単独で敵旗艦たる戦艦を強襲するつもりだった。しかし、長月が仲間たちの反対を押し切って部隊を離れると、無言で抗議するように高雄もついてきたのだ。

 それを思い出していると、敵旗艦の艦上で爆発が生じた。どうやら後方の味方の砲撃が当たったらしい。目を凝らしていると、主砲のいくつかにも被害を与えることができたのか、そこから放たれる火勢が衰えたことも確認できた。

(これなら、いける)

 長月は高雄を顧みることなく、さらに敵に接近する。

 夜闇に乗じてはいるが、すでにそれは身を隠す役目を終えている。今考えるべきは、ただ一つ。敵旗艦の撃沈、ないし無力化。その目的を果たすために、一秒でも早く目標に正確な照準を合わせることだけだった。

「次……!」

 素早く弾をこめて次々と十発以上の砲撃を行っていくが、直撃弾が生じる気配は遠い。見通しが立たないために着弾位置が正確にとらえづらく、経験で補ってはいるが、調整は困難を要した。放った砲弾が十を過ぎ二十を超え、いちいち数えていられないほどに撃ちあいを繰り広げても、いまだ有効打は与えられない。

 その一方で、敵の攻撃は直撃こそしないものの、だんだんと水しぶきだけでなく、爆風の余波までもが長月のもとへと届けてられるようになってきた。

「次……!」

 それでも、長月はあせりを覚えることはなく撃ちつづけた。あせりは狙いを狂わせる。長月は自らに課した役割を忠実に果たすべく、己のするべきことにのみ集中していた。

 敵の砲撃をかわす。反撃を行う。はずれ。よける。次の弾を用意する。狙いを修正する。回避する。撃つ。はずれ。かわす。

「くっ……!」

 敵の攻撃が、とうとう至近に集まりはじめた。だが、それとほぼ同時に長月の砲撃も至近弾らしきものを観測した。

(進むか、退くか……)

 浮かんだ問いに、長月は瞬時に続行を選択した。

(勝ちに行くんだ。そうでなければ、私は……)

 一瞬浮かんだ気だるげな仲間の顔から意識を戻すために、長月は握ったこぶしで力いっぱい胸をたたく。わずかとはいえ迷いを得てしまった自分を叱咤すると、先ほどの狙いをもとに、さらに微調整をほどこし目標を定める。

 そうして、次弾を発射しようとしたとき、突然入った電信とともに、視界のすみに自らのものではない艦影がちらついた。

『危ない!』

 次の瞬間、その艦首付近で爆炎がはじけた。

「高雄!?」

 かばわれた。

 直感的にそう悟った長月は、きっと高雄をにらみつける。しかし、すぐにその目を敵艦に転じると、すばやく砲塔の向きと角度を修正し、乱暴に発射装置を起動させた。

 砲弾はすぐさま闇にまぎれていく。敵の砲撃をかわすべく艦を動かしながら、長月は高雄をふりかえった。

『被害は?』

『損害は軽微。問題ありません』

 高雄はそう答えてきたが、すぐに暗闇に消えるはずだと思った爆炎は、しかし、その一部がどれだけたっても艦首を照らしだすのをやめようとはしなかった。

(燃え移ったか……)

 そうとわかっても、できることはまもなく鎮火されることを願うことだけだった。

 そのことにとらわれるあまり当初の目的を見失うわけにはいかない。頭を切り替えて敵戦艦に目を戻すと、そろそろ着弾するかと思しきころあい、艦上で爆発が起こった。ついに直撃弾が出たのだ。

「よし!」

 勝機を感じ取ると、長月は次の発射態勢を整えながら、待機させていた魚雷の照準を合わせはじめる。

 61cm四連装酸素魚雷。それによる雷撃が、長月をはじめとした駆逐艦たちの切り札だった。一度はずせばあとはない。しかし、直撃させてしまえば戦艦といえどかなりの打撃が期待できる兵装である。

 長月ははやることなく確実に、狙いを定めていく。その間、あれほど至近にまで迫っていた敵弾が襲ってくることはなかった。どうやらわかりやすい標的を掲げる高雄へと攻撃が集中しだしたらしい。長月は砲声のとどろく戦場において、一人かやの外にあるかのような静けさを感じながら目標を捕捉した。

 敵旗艦は、長月に直撃弾をもらいながらもなお後方の部隊と撃ちあいを続けている。しょせんは駆逐艦とあなどられているのかもしれない。

「そのおごりが、命取りと知れ!」

 長月はしぼりにしぼった狙いのもとに魚雷を斉射した。それとともに、主砲も発射準備が整いしだいに次から次へと撃ちはなしていく。

(どうだ……?)

 結果を待つ間、ぱらぱらとまた砲撃が降り注ぎだした。長月はそれをたやすくよけていきながら、敵旗艦を注視していた。

 しばらくたったのち、直撃の証たる水柱が上がるのがわかった。主砲の砲撃からも、さらに直撃が出ているらしい。

(よし。これで所定の目的は達成した。あとは、すみやかに離脱するのみ)

 敵が沈むかどうかを悠長に確認している余裕のある状況ではない。そうして、また高雄のほうをふりかえると、艦首の火はいつしか吹きあがるほどに勢いを増していた。

(これは、まずいのではないか……?)

 こちらの目的は果たせたというのに、ここで損失を出してはそれもふいになってしまいかねない。

『なにをしている。早く鎮火させるんだ』

『わかってます。懸命に消火に当たってますから、そちらは気にせず攻撃を。私もすぐに敵をしとめてみせますので』

 余裕があるのか強がっているのか、高雄から返された言葉は硬質でありながらも勇ましかった。どちらにせよ、今の長月にはなにもできないことに変わりはない。幸い、高雄の船足はまだしっかりしている。戦域離脱の指示を送ると、長月は高雄との距離を取りながら、敵艦隊への砲撃を続行していった。

 そのさなか、敵の重雷装巡洋艦が爆炎に包まれるのが見えた。後方の味方部隊による砲撃が弾薬に引火したのだろう。

『敵一隻、撃沈確定。……長月、高雄は大丈夫なの? 聞いてもなんとかなるとしか言ってくれないんだけど、そちらの目から見て、どう?』

 後方から電信が入る。緊急時以外の電信は不要と言ってあったのだが、それを無視してでも確認せずにはいられないほどに、離れた距離からも高雄の状態は危うく見えるのだろう。それに対して、高雄同様に大丈夫だと言うことは簡単だった。しかし、自分でも信じられない気休めで、仲間を納得させられる自信などまるでなかった。まして、仲間たちは皆、もともとこの戦術に強く反対していた。心情的にも、どうして安易な言葉で彼女たちを安心させることができるだろうか。長月にはただ、己のできることに最善を尽くすよううながすほかなかった。

『わからん。本人が問題ないという以上、それを信じるしかない。ともかく、今は目の前の敵に集中しろ』

『……オーケー。あとのことはあとで考えるわ』

 そのときは覚えていろとばかりの調子すら感じさせる言葉を残して、電信のやりとりはとぎれた。長月はいらいらとしたあせりのような気持ちを抱きながらも敵を追いこんでいく。

 残る敵部隊は、被害甚大の戦艦と重雷装巡洋艦をのぞいて二隻。味方の被害はともかく、敵部隊の全滅は時間の問題だった。




「……それで、敵は全滅できたものの、火災による高雄の損傷が多大なため帰還したと?」

「いや、火が消えてみれば高雄の損害は思ったほどではなかった。だが、次の一戦でさらに潜水艦の雷撃を受けた。それで、もうこれ以上は難しいと判断し、撤退してきた」

 未明の執務室で、長月は男と向かいあっていた。

 灯りは机上の一つきりで、部屋全体を照らすにはいささか頼りない。しかし、男が手もとの書類に聞き取った内容を書きつけていくぶんには十分な光量であった。

 長月が潜水艦部隊との戦いの経過を述べている間、男の手は休むことなく動かされ、書類はみるみる文字で埋められていった。長月が口を休めると、その合間にも質問が発せられ、記述が書き足されていく。

 そうして、一枚の紙が埋め尽くされそうになったところで、男はようやく一息つき、ペン立てにペンを戻した。

「……なるほど」

 男は書きつけた書類に見入りながら、しきりに首をひねりだす。さらに、ぶつぶつと口の中でなにかをつぶやいているらしい様子だが、長月には男の言葉を聞き取ることはできなかった。

 言いたいことがなければもう退室しても構わないだろうかと長月が告げようとしたとき、男はようやく顔を上げた。

「敵戦艦を沈める功績をあげたのはともかくとして……長月、どうしてこんな戦い方をしたんだ?」

 長月の目を見つめながら問うその表情は、心底不思議そうであった。

「こんなとは……高雄が損傷を負ったことか? あれは戦術を徹底できなかった私の失敗によるものだ。事前の申し合わせとは異なる高雄の行動を、それでもなんとかなるだろうと思い、制止しなかった」

 だが、男が聞きたかったのは、そのことではないらしかった。なんと言ったものかと、ふたたび言葉を探して考えこみだすその眉間には小さな陰ができていた。

「その……だな、長月。ふだんのあなたの戦い方といえば、部隊の皆で一丸となりながらその先頭に立つのが流儀だっただろう?」

 今度は長月が首をひねる番だった。そうだろうと言われても、そんなことは意識したことがないのでわからない。言葉にするとそういうことになるのかもしれないが、むしろそれ以外の戦い方があるのかと聞きかえしたいくらいだった。

「それがどうかしたのか?」

「だが、この戦い方からは、話を聞いたかぎりでは、どうもふだんのあなたらしさが感じられない。最後には突出しがちな筑摩に近いものも感じるが、それよりもさらに……仲間のことが置き去りにされているように思える」

「はあ……?」

「実戦経験では、私はあなたに圧倒的に劣る。だから、あなたが合理的だと考えたのなら、それにとやかく言うのは釈迦に説法のようで心苦しいのだが……」

 先ほどから、男の話はいまひとつ歯切れが悪く要領を得なかった。どうやら長月の戦術を批判したいようなのだが、話が進みそうな気配がなかなか感じられない。長月はだんだんじれったくなってきた。

「言いたいことがはっきりしないなら、またの機会にしてくれないか?」

 うながすと、男はおずおずといった調子でようやく本題らしきものに踏み入りはじめた。

「つまり……この戦い方、結果的に敵旗艦を沈めることができたからいいものの、勝算はどのくらいと見積もっていた?」

「そのことか。それなら、明確な見込みはなかったと、私自身も思っている。だが、結果として成功し、敵を全滅に追いこんだ。それがすべてだ」

 長月はぴしゃりと言い放つ。なにか言われるかもしれないとは、事前に想定していた。そのために用意しておいた回答を、すらすらと並べ立てることができた。だが、それで男が納得することはなかった。

「この戦術は、私の考えが正しければ、相手を斃すか、さもなくば自分が斃れるかといった、身を捨てて勝利を得るための戦い方ではないだろうか?」

「そうだな。斃すか、斃されるか……その覚悟が必要だった」

「あなたの率いていた部隊は、それほどの賭けに出なければ勝利を得られないほど戦力が不足していたいたわけではないはずだと、私は思うのだが」

「……つまり?」

「それでもあえてそんな挙に出たことには、どういう意図があった? 長月、まさかおまえ、死のうとしたわけではないよな?」

「そんなわけが、あるか!」

 男の言葉は、長月には心外だった。生死をかけた戦場を生き抜いてきた自分が、安易に自らその命を断とうとしたのではないかなど、侮辱もいいところだ。

 しかしその一方で、当たらずとも遠くはないと思っている自分もいた。

(そうだ。私に死ぬつもりはなかった。だが、死ぬならそれもいいかもしれないと、そういう気持ちがまったくなかったとは言えないのだろうな……)

 望月に警告を受けたあの夜から、長月は自身の中で死に対する感覚が明確に変化したのを感じていた。

 それまでの長月は、死をおそれず体を張っているつもりでありながら、やはりどこかで死を回避しようとしていたのだろう。活路はそこにしか残っていないことがわかっていながら、仲間の命を言い訳に、戦場で分の悪い賭けに出ることを明確に拒みとおしていた。

 だが、望月の警告は、長月に寸前まで迫る死をありありと体験させた。意識を失う瞬間、長月は自分が死ぬのだと、本気でそう思った。あのときの望月の怒気は、それほどのおそれを感じさせるものだったのだ。そして、首に手をかけた望月に対する抵抗がいっさい無駄に終わったとき、長月は自分が望月に殺されるということに、かつてない安らぎを覚えたのだった。

(あの感覚は、いったい……)

 それは、長月自身にとっても不思議な感覚だった。戦闘指揮で敵わず、仲間たちを見る目でも及ばず、ひいては腕力でも負かされてしまう。あらゆる点で望月に勝てないのだと痛感させられた長月の体の芯から無力感がわき上がり、さらにそこに自らの死がもたらされようとする。それは、このうえなく自分と望月との格の違いを象徴する出来事だった。

(しかし私は、苦痛以上にうれしさを感じていたのだな……)

 二人を比較すれば、命すらもが俎上に上げてしまえるほどに、長月はちっぽけで、となりにそびえ立つ望月は巨大だった。それを繰り返し何度も思い知らせてくれた望月自身の手で生涯を断たれる。それは、あたかも救いが与えられんとするかのような、恍惚を覚えさせられる瞬間だった。いっそのこと、あのとき本当に死んでしまえていたらよかったのにと、今でも思えるくらいに。

(あれから、私にとって死ぬことはおそれることではなくなった……)

 今回の戦術も、男は分の悪い賭けだと言うが、長月にとっては成功すればそれでよし、失敗すれば死ぬだけだと、なんの葛藤もなく採用することができた。

「長月、あなたは今回だけでなく、一週間ほど前にも無茶な戦術を採っていた。いったい、あなたに何があった?」

「それは……いや、なんでもない」

 長月は事実を伝えようとして、しかしなんと言っていいのかわからず口をつぐむ。あの感覚は、長月のつたない語彙ではとうてい伝えられるものではなかった。

 男の言う一週間ほど前のこととは、望月の警告を受けてから数日後のことだ。その日、出撃の機会を得た長月は、今回とは違うものだったが、以前ならば採用しなかったであろう戦術を試してみることにした。結果は、自身を含めて大破三隻を出す惨敗。それでも、長月はその戦いで自身の殻を破る手ごたえをつかむことができた。

「その戦い方に、仲間はなにか言わなかったのか?」

「無論、反対はされた。だが、それでも私には必要なことだった」

 惨敗して戻ってきた長月は、修復後、資料室で望月に戦闘のあらましを説明すると、あきれたような顔をされた。発奮をうながされた本人にそんな表情をされるのは心外だったが、どうやら望月の考えでは、この戦い方は長月には合っていないらしい。しかし、一度あきらめを覚えてしまった長月の頭に、どうして自らを危険にさらす以外の考えが思いつくだろうか。望月に頼りきるわけにはいかない長月にとって、自らが感じた可能性をつきつめる以外の選択肢は存在しなかった。

 そうして一人改善すべき点を書きだしていると、望月は気の毒にでも思ってくれたのか、どうしてもその方針で行くと言うのならと、より効果的な立ち回り方を示してくれた。それが、今回の戦い方だった。惨敗を喫したあとであり、部隊の仲間たちからの風当たりは強かったが、それでも、今回こそは成功と言えるはずだと長月は考えていた。高雄の火災の件で僚艦たちからの評価はかんばしくなかったものの、これが望月なら、長月の功績を認めてくれるはずだった。

(私の戦い方は、間違ってなどいない。それに、次はもっとうまくやってみせる自信がある)

 長月はくちびるをひき結び、固くこぶしを握った。そのときのことだった。

「そうまでしてあえて危険を冒そうとすることには、望月がかかわっているのか?」

「は……?」

 男の口から出てきた望月の名前に、長月は自身の考えを読まれたのかと、警戒をあらわにする。そんな長月に、男は油断のならない光を宿した目を向けてきた。

「長月、あなたからはここのところどんどんと、以前のあなたらしさが失われていっているように感じられる。そして、その過程にはことごとく、望月の影が見える」

「そうだとしたら、どうだと言うんだ」

 にらみ返す長月に対し、男はまあ聞いてくれとでも言うように言葉を続ける。

「少し前から、あなたの戦い方には、あなたよりも望月の色が目立ちはじめていた」

 はじまった男の話は、またしてもまどろっこしい物言いだった。

「もともと、あなたは望月の戦い方を参考にしていたようだから、どことなく望月らしさを感じさせられることはそれまでにもあった。しかし、ここのところの変化は、それを自身のものとして吸収するのではなく、どちらかというとあなた自身が飲みこまれていくかのようだった。自分の力で戦い抜いてきたことを、あなたは誇りにしていたにもかかわらず」

「私のことをよく知っているようだな」

「あなたは、学校時代の友人に雰囲気や性格が似ているから」

 意外なところで男が自分になれなれしい態度を取る理由を知ることができたが、だからといってうれしさはかけらもない。

「それに、あれほど生一本に任務や訓練に打ちこんでいたあなたが、そのさなかにすらどこか気が抜けたようになっているのをしばしば見かけるようになった。特に、望月がそばにいるとき、そちらを気にかけていることが多くなった」

「そんなことはない」

 そのはずだ。望月から注意され、この男の前でも含めて重々気をつけるようにしているのだから。むしろ、そう言うことでこちらの反応を試しているのではないかと険しい目を向けるが、男は肩をすくめただけだった。

「少し前から取るようになった休暇も、望月と過ごしていることが多いそうじゃないか」

「誰にそんなことを聞いた?」

「あなたたちのまわりにいる者は皆、口をそろえて言う。最近のあなたたちは仲がいいと」

(どういうことだ? 私たちの関係が皆に気づかれないように気をつけていると、望月は言っていたではないか?)

 だが、もしかすると、望月にもごまかしきれないくらいに自分の挙動はおかしくなっているのかもしれない。そう思うが、今の長月にはもはや、なにがおかしくてなにが以前のとおりなのかよくわからなくなってしまっていた。

 長月はそんな動揺を面に表さないようにしながら男をにらみつづける。

「あなたのそばで望月を見かけることが多くなったのは、北方海域での駆逐艦作戦が始まったころだったと記憶している」

 男はなおも言葉を選ぶように話しつづける。

「それで、それ以来、ずっと仲のよさそうにしているだろう?」

「それが?」

「いや……な。友人をほうふつとさせてなつかしさすら覚えたあなたが変わっていくことにさびしさはあるが、あなたはほかの誰でもないあなたなのだし、とやかく言う理由は私にはない。そうではあるのだが……」

 もったいぶるだけもったいぶっていつまでたってもぐずぐずと結論の見えない男の話し方に、長月はいらだちを隠せなくなってきた。

「いいかげんにしてくれないか。私はこのあとにも、用事があるんだ」

 もうこれ以上は待てないとばかりにつきつけると、男はしばし目を伏せて迷うような表情を見せる。そして、軽く息をつくと、長月の目をしっかりと見つめ直してきた。その表情にはなにやら決意の色が見て取れて、長月は一瞬、虚をつかれた。しかし、すぐにこの男に気圧されてなどなるものかと思い直し、正面からにらみかえす。

「私が知りたいのはな、長月。あなたにとって、望月がいったいどういう存在なのかということだ」

「どういう……とは?」

「望月は、あなたにとって気の置けない友人なのか? 対等な競争相手か? それとも……上下のある関係なのか?」

 問うてくる男の表情は真剣そのものだった。

(この男……)

 長月は顔をしかめそうになって、寸前でそれをこらえる。三つの類型を掲げてきながら、男が最後のものを疑っているのは、その話し方から明らかだった。

「……それを聞いて、どうするつもりだ?」

「対等に気を許せる相手ならば、まだいい。だが、頭を上げられないような関係ならば、それはすぐにでも改めるべきだ」

「なにを根拠にそんなことを……」

 いらいらとつぶやくように言う長月に、男は淡々と言葉を発する。

「駆逐艦作戦が始まったころから、望月はあなたにつきまといだした。それにともなって、あなたは一時的に情緒不安定ぎみになっていった。私も声をかけようとしたが、機会を見出せないうちに、あなたは限界を迎えてしまった。あなたの泣き声を聞いた夜、私は私の無力を改めて思い知らされた」

「知っていたのか!?」

「この部屋の近くであんな声を出されて、気づかないわけがない」

 長月は顔から血の気が引いていくのを覚えた。

(知られていた。この男に……)

 それは、羞恥よりも恐怖を感じさせることだった。

 以前、望月は言った。男が長月のみっともない姿を知ったらどうするだろうかと。それがとっくに、現実のこととなっていたのだ。

「あ、あれは……」

 どう言い訳するべきかわからず、長月は二の句が継げなくなる。しかし、男はまごつく長月を片手を上げて制した。

「いや、今はそのことではなく、その前後の望月の行動を指摘したい。それ以後のあなたとは仲がいいようだが、それ以前、望月はむしろ積極的にあなたを追いつめていたように思える。そうだとすると、あなたの望月に対する感情は、すべて望月によってしくまれたものということになる。そんな関係は、はっきり言って健全ではない」

 その言葉に、冷静さを失いかけていた長月はついに怒りを爆発させた。

「なにをばかなことを!」

 声を荒げながらも、長月自身にも、そうかもしれないと思える記憶はなくもなかった。しかし、そんなことは今の長月にはもう関係のないことだった。

「望月は、これ以上なく頼りになる仲間であり、無能な私の導き手とも呼べる存在だ。それ以上の侮辱は許さない」

 たとえ望月に対する気持ちが望月自身によってしくまれたものであったとしても、望月なしでの生活など、もはや長月には考えられなくなっていたのだ。

「その気持ちすらも、望月の思いどおりだとしてもか?」

「仮に、望月が悪意を持って私に近づいてきていたとしても、それが司令官になんの関係がある? 望月との関係は、私たちの問題だ。そんなことを言いだされることそのものが腹立たしい」

 不快感をあらわにして吐き捨てると、男はくちびるをかんだ。

「……本当に、あなたはそれでいいと思っているのか?」

「くどい!」

「……」

 男は両手を組み、なおもなにか言おうと考えているようだったが、しかしなにも言ってくることはなく、やがて静かに首をふった。

「……ひきとめて、悪かった。退室してゆっくり休んでくれ」

 ひどく疲れたようなその言葉を受けて、長月はさっときびすを返す。そして、扉の前でふりかえると、男に念を押すように言った。

「私と望月とのことに、二度と口出しするな」

 顔をしかめながらうなずく男を確認して、長月は部屋をあとにした。


(望月、まだいるといいが……)

 執務室を出ると、長月は足早に広間へと向かっていった。貼りだされていた次の出撃部隊表によると、望月にはそこでの出撃が予定されていたのだ。冬のこの時間ならば、待機している者たちは広間にいるはずだ。しかし、男への報告中に次の部隊が出発していくことも珍しくはない。長話につきあわされてしまったことを思い、長月は気の急くままに足を速めていった。

(望月に、今回の私の進歩を伝えてよくやったと、言ってもらうんだ……。それだけだ。それだけでいい……)

 危険を伴う作戦で部隊の仲間からは反感を買い、男には望月の中傷を聞かされた。その程度、本来ならばどうということはないのだが、任務の疲れもあり、長月の心は今、望月の優しい言葉を欲していた。

(私は、ほかの誰にどう思われようと、おまえにだけは認めていてもらいたいんだ……)

 途中、すれ違う仲間がいたかどうかもわからない。そんなことを気にしている余裕もないほどに、長月は望月のことしか考えられなくなっていた。

「望月、いるか?」

 広間の前にたどり着くなり、長月は勢いよく扉を開いた。そうして、きょろきょろとせわしなく視線を動かして目当ての仲間を探す。望月の姿は、それほど探すようなこともなく、わかりやすいところにあった。

(よかった……)

 だが、望月は一人だけではなかった。

「睦月、皐月……?」

 意外の念にとらわれてぽつりと漏らすと、それで三人も長月が現れたことに気づいたらしい。

「およ、長月? おかえりー」

「あ、ああ、ただいまだ。二人とも、もう起きていたのか?」

「なに言ってるの。もう起床時間は過ぎてるよ。ほら、外もうっすら白んできてる」

 言われてカーテン越しに外を見てみると、確かにそろそろと日が出はじめている。帰投したときはまだ日の出まで間があったはずだがと思いながら時計を見ると、それからだいぶ時間がたっているのがわかった。

「司令官への報告にでも時間かかったの?」

「……」

 望月はいつものような気だるげな表情で尋ねてきた。聞きたかった声、見たかった顔が見れて、長月はしばし答えを返すことも忘れて望月に見入ってしまった。

 どうでもいいけど、とでも言うように話しかけられた声音。こんな時間に起きていることから眠そうに細められた目。あくびをこらえるようとしてか力なくひき結ばれた口もと。それらのすべてが、長月にとってなによりも安心感を与えてくれるものだった。

「長月?」

 心配するようにのぞきこまれて、長月はようやく自分がぼうっとしてしまっていたことに気がついた。

「あ……そ、そうだ。あの男に引き止められて長話をされてしまってな。それで……」

 あわてて望月の問いに答えるとともにそのまま話を聞いてもらおうとしたが、それよりも先に、長月の答えに興味をひかれたらしい睦月の言葉がさしはさまれた。

「司令官が長話なんて、珍しいのです」

「そうだっけ? あたしは何度か、いろいろ話聞いたことあるけど?」

 そのうえ、その輪に望月まで加わり、長月は話を切り出す糸口を奪い去られてしまった。

「それって、望月だからじゃない? あんまり訓練をさぼってるから説教されたりとか」

「まあ、そんなところだったかな?」

 悪びれずに望月が言うと、睦月も皐月も、そちらの話により興味を示しだす。

「それでそれで、どんな話をされたんです?」

「うーん……正直、ほとんど聞き流してたからあんまり覚えてないんだけども、あれは……妹さんとかそのお友達とかの話だったかな?」

「へー、司令官って妹がいたんだ」

「そのことなら、睦月もちょっとだけ聞いたことあるのです。なんでも、頭の上がらない妹がいるとか」

 得意げに話しだす睦月だったが、望月はそのときのことを思い出すようにしながらそれを否定する。

「あー……っと、その話もされたような気がするけど、その人よりは、そのまた下の妹さんの話が多かったかな?」

「ほえ、司令官って、何人妹がいるんです?」

「確か……三人、だったような? しっかり者の妹さんと、その下に双子の妹さんがいるって言ってた気が」

「ふーん。ほかにもお兄さんとかお姉さんとかはいるの?」

 皐月が聞くと、望月は困ったような顔をした。

「そこまでは……ちょっとわかんないかな。そんなにまじめに話聞いてたわけでもないし。でさ、それで、うるさ型の妹さんに比べて双子の妹さんは仲のいいお友達が多くってさ、司令官のご実家に遊びにきてはあれこれいたずらしてく女の子たちに、よく手を焼かされてたんだって」

「ほうほう。だから司令官ってば、睦月が遊んでって押しかけても、ちょっとおしゃべりしてる間に気づいたら追い出されちゃってたんだ。なんかね、すっごく慣れた感じだったの」

「いや……それはただ睦月が扱いやすかったっていうだけじゃないかと思うな」

 当時のことを身ぶり手ぶりをまじえながら伝えようとする睦月に、皐月が苦笑しながら横槍を入れる。それを聞いた睦月は、自分と比べるように皆の表情を見回した。

「むむ? 睦月、そんなに単純?」

「ま、割と表情が出やすいほうだとは思うよ?」

「むむむ。これは、ポーカーフェイスをきたえる必要があるのです」

「睦月がいっつも無表情になっちゃったら、なんだか調子が狂っちゃいそうだよ。睦月は笑ってるのが一番かわいいんだからさ」

「皐月はとってもいい子なのね。そういうことなら、ポーカーフェイスはあきらめるのです」

 すぐに、元気いっぱいの笑顔に戻った睦月に、望月が笑いかけて言う。

「司令官に追い出されたときって、そんな感じじゃなかった?」

「へ? そ、そうなのです! 言われてみれば、すっかり言いくるめられてるのよ」

 はっとした様子の睦月に、皐月はため息をついて望月を責める。

「望月……せっかく、うまくおさまったと思ったのに」

 しかし、すぐに睦月につめよられて皐月はたじたじとなった。

「皐月ー、睦月のことばかにしてる?」

「そんなことない。そんなことないってば……」

「皐月ってば調子のいいこと言ってなんとなくごまかすことあるから、気をつけるんだよ?」

「望月ぃ!」

 皐月にうらみがましい目を向けられながら笑う望月の様子は、とても楽しそうだった。三人の会話からのけ者になっている長月のことなど眼中に入っていないかのように。

 睦月や皐月にそうした態度を取られるのは別にかまわなかった。しかし、望月が、自分ではなくほかの仲間とばかり笑いあっている姿を見るのは、なぜだかとてもいやな気持ちになることだった。

 同じ場にいるのだから、他人ではなく自分のことを見ていてほしくて、長月はきゃいきゃいと言い合いをしている睦月と皐月を無視して望月のそでを引く。

「望月……」

 おかしそうに笑っていたその顔が、きょとんとした表情に変わる。そうして、ぱちぱちとこちらを見つめてくる。長月は、それだけでなんだかうれしくなってしまって、そのあとどうするつもりだったかという考えはどこかに飛び去ってしまった。

 望月が自分のことを見てくれている。そのことが、長月に胸のつかえがとれたかのような安心感を与えてくれた。

(もう少し、このまま……)

 そう思いながらしばらくその気持ちをかみしめていると、険を含んだような望月の声が耳に届いた。

「……なに?」

 はっとした長月が気づいてみるといつのまにか、睦月も、皐月も、広間にいるほかの仲間たちも、皆、自分たちに注目していた。

(え……?)

 集まる視線に、長月は、皆の前ではことさら仲のいいそぶりを見せないようにという旨の望月の言葉を思い出した。

「す、すまない。なんでもないんだ……」

 とっさにつかんでいたそでを離し、長月は顔をそむける。こちらを見る視線の雰囲気からだけでも、望月が言いつけを破ってしまった自分に怒っているらしいのが感じ取れた。長月はまともにそちらを見ることもできず、顔をうつむかせる。

(ちょっと話の輪に加われなかっただけで、私はいったいなにをしているんだ……)

 さきほどの自分が他人からどう見えているかと考えてみると、長月は自分のうかつさを責めずにはいられなかった。あれでは、仲がいいどころか姉や年長者を慕う子どものように見えたとしてもおかしくなかったのではないかとすら思えるのだ。

(こんなだから、私は望月を怒らせてしまうのだろうな……)

 顔色をうかがうために、長月はちらりと望月を見上げてみた。その顔は、しかし、案に相違してにこにことした笑顔を浮かべていた。

「長月、どうかしたの? 司令官から何か伝言でもあずかってきた?」

 望月はなんでもないということはないだろうとばかりに尋ねてきた。

 どうやら、長月がなにか用事があってあんな態度を取ったのだということにするつもりらしい。その様子はとても自然で、長月の不用意な失敗を覆い隠すに足る手助けだった。ほかの者はともかく、長月にはそれがわかるだけに、望月の機転はありがたかった。

「ほかのみんなに聞かせづらい話なら、場所を移すけど?」

 さらに、これ以上の失態を犯す前にこの場をあとにさせようとする配慮までしてくれる。

「あ……ああ、実はそうなんだ」

 長月はその提案に飛びついた。皆の前でははばかられる話も、二人きりになれば気兼ねなくすることができる。長月が望む言葉も、人目につかない場所でこそ聞けるものだ。

(その程度のことにも気が回らなかったとは……)

 長月の同意を受けて、望月が同じ出撃部隊に組みこまれている仲間に声をかけたのち、長月は申し訳なさとそれ以上の期待を胸に、望月のあとについて広間を出た。


 望月が向かったのは、資料室だった。そこは、日中には利用する者もいるが、まだ朝も早いうちから人がいることはまれな場所だった。また、やはり無人になる夜に、そこで長月は望月と二人だけでの時間をどれほど重ねてきたことか。長月のささやかな願いを聞き届けてもらうのに、その部屋ほどふさわしい場所はなかったであろう。

(敵わないな……)

 すでにこちらの気持ちに気づかれていると悟った長月は、眉尻を下げながら望月に続いて資料室に入る。

(まずは先ほどのことを謝って、それから話を聞いてもらおう)

 そうして、長月がうしろ手に扉を閉じると、望月はさっとふりむいて長月と向かいあった。しかし、その表情に、長月が考えていたような優しい言葉をかけてくれそうな雰囲気は微塵もなかった。

「長月、みんなの前であんなことして、どういうつもりなわけ?」

 そこにはむしろ、とがめだてるような冷ややかな怒りがあった。

(ど、どういうことだ……?)

 予想外の剣幕に、長月がどう答えていいかわからないでいると、望月はなおも言い募る。

「あんなことしてくれてさ、どうやったらごまかしきれるっていうの? ほんと、長月ってばありえないくらいにばかなんだから」

 それは、失望がありありと聞いてとれる声音だった。やはり、先ほどの行いは望月を怒らせていたらしい。それも、長月が思う以上によほど。

「すまない……。あれは、自分でもどうかしていたと思う。あんなことは、もうしないから……」

 とまどいながらもなんとか機嫌を直してもらおうと、長月はせいいっぱいの謝罪を伝える。

「あったり前っしょ。あんな心臓に悪いこと、一度でたくさんだっての。あんまりにも考えなしすぎて、もう信じらんない」

 望月にはぴしゃりとした声でとがめられるが、それは甘んじて受けいれなければいけない。それほどに、望月のことを怒らせてしまったのだから。

 しかしその一方で、長月にはここにきてまだ一つ、わからないことがあった。

「いや、だが、あの程度で……? 望月だって、私に抱きついてきたことがあったじゃないか」

「あたしがするのは冗談で済むからいいの。けど、長月がするとまじでしゃれになんないの!」

 それくらいのこともわからないのかと叱責された長月は、自分の失態がそれほどの大事であったということに、納得がいかないながらもうなだれるほかなかった。

 そんな長月の様子を、望月はじっと観察していた。伏せられた面から、ぎゅっと握ったこぶし、ふるえそうになるのをこらえる足まで、全身をくまなく見つめられる。その視線は、さながら戦々恐々とする長月の心の奥底までものぞきこむような鋭さを有していた。

(どうしたら、望月は許してくれる? どうしたら、私の話を聞いてくれる? どうしたら……)

 長月は、望月に見下ろされながら必死に考えをめぐらせていた。しかし、あせりばかりが先走る頭はまるで役に立ってくれなかった。早まる心拍の音ばかりが響きわたり、いやな汗まで浮かんでくる。

 望月は、そんな長月をたっぷりとながめわたしていた。

「ねえ、長月……」

 そうして、無情な宣告が下される。

「一回、距離置こっか?」

 それを聞いた途端、長月の頭は真っ白になった。

「え……それは、どういう……?」

 長月には、その言葉の意味がとっさに理解できなかった。理解したくないと、反射的に思考を遮断したのかもしれない。しかし、望月は拒む長月の頭にもわからないではいられないように、もっと具体的に言い直すのだった。

「だから、ここで会うのも、休暇で待ち合わせるのも、もちろん遊んであげるのだって、いったん全部なしにしようってこと。今の長月にはそのほうがいいっしょ? そうでもしないと、どんどん調子に乗って手がつけられなくなってくんだから」

「調子に乗るだなんて……私はおまえに、そばで構ってもらいたくて。ただそれだけで……」

 必死で思いを伝えるために口を開くが、望月に告げられたことの衝撃から、言葉はつたないものにしかなってくれなかった。

 当然のように、望月はそれになんら心動かされた様子もない。それどころか、さらに強い調子でつきつけてくる。

「それがだめだって言ってんの! あたしがそういうの嫌いってわかんないの? わかんないなら今覚えて。そこ直すまで、あたしに近づいてこないで」

 はっきりと告げられた拒絶に、今度こそ長月の頭はなにも考えられなくなってしまった。

「いやだ、そんな……」

 ひとたび態度を決めた望月が決定をゆるがすことはない。そうとわかるだけに、なすすべを失った長月はみっともなくも浮かんでくる涙をどうすることもできなかった。

(望月と話をすることもできないなんて……)

 この先ずっとそうだと決まったわけではないのに、けれど今ひきとめないと望月が手の届かない遠くに行ってしまうような気がして、長月は懸命に手を伸ばす。

「私は、もうおまえなしでは……」

 今の長月は、ほとんど望月にだけ支えられているといってもいいくらいだった。無理だと心の片隅では感じていながらも実力向上に一縷の望みをつないでいられたのは、望月に失望されたくないからだった。仲間をひっぱっていくのにふさわしくないと思っていながらも虚勢を張りつづけてこれたのは、望月がそれを望んだからだった。望月がそばにいてくれなくなってまで、どうしてはりぼてのような自分を保ちつづけていくことができるだろうか。

 すがるようによろよろとのばした手は、しかし、望月の体にふれることさえ許してもらえなかった。

「知ったことじゃないよ。あたしはべつに、長月がいなくてもなんとも思わないし」

 こちらを拒否するようにふられた手とともに、変わらぬ冷たい目で見つめられ、長月はうちのめされてその場にひざをついた。

 望月の心はもはやくつがえせない。そう悟った長月は、涙にくもる目で一心に望月を見つめた。

「なら、望月。せめて、昨夜の私の戦いぶりを聞いてくれないか?」

 涙声になるのもかまわず語りかける長月を、望月は眉をぴくりとも動かさずに見下ろしつづけていた。

 長月は、ただ一言、望月に声をかけることも許されない期間に、ぽっかりと穴をあけることになるだろう心の支えとなってくれる言葉がほしかった。それさえあれば、望月のいない空白にも耐えられると思えた。

「……おまえに言われたことを参考にして、私は全力で戦ったんだ。そうして、仲間の砲撃による打撃もあったとはいえ、私の手で戦艦を沈めることができたんだ。この私が、戦艦をだぞ? 北方海域への出撃ではついに手も足も出なかった、戦艦をだ。望月、おまえは私にとって、どれほどの救いをもたらしてくれていることか。おまえが期待してくれれば、それに応えた私によくがんばったと言ってさえくれれば、私はなんにだって立ち向かえるんだ。私一人で、直せと言われたことも直してみせる。だから、望月……」

 なにかあたたかい言葉をかけてほしい。長月は心の底から訴えた。今の長月にとって、望月以外に心の支えとなる言葉をかけてくれる仲間など、一人として存在しなかったのだ。望月さえ自分を見放さないでいてくれれば、それで大丈夫なはずだった。

 けれど、望月の目にはついぞ優しさのかけらさえ浮かぶのを見出すことはできなかった。

「うっとうしいなぁ」

 長月の訴えを聞いた望月の口から最初に漏れたのは、その言葉だった。

(そんな……)

 長月は、ついに己の願いがすべて潰えたことを悟った。

「長月、さっき直すまで近づくなって言ったけど、やっぱあれやめるわ」

 望月はもはや長月を見ておらず、どこか遠くに視線を向けていた。

「二度とあたしに近づかないで。その情けない顔、もう愛想が尽きたよ」

 淡々と、望月は告げてきた。そこには怒りすら感じられず、ただ客観的に自身の心を読み上げたかのような、つきはなした冷たさだけがあった。

「冗談、だよな……?」

 長月は、静かに横を通りぬけて扉から出ていこうとする望月にすがりつき、ひきつったような笑いを浮かべながらそう尋ねる。そうでもしないと、望月の言葉を認めてしまうことになってしまいそうだったから。望月の長月に対する態度は、それほど急激に変化してしまったように思えたのだ。なにかの間違いであるならそうであってほしかった。

 しかし、長月の手をふりはらう望月の動作は、まるで服についたごみでもはらうかのような無感動さで行われた。

「ごめんよ。あたし、もう任務に行かなきゃだから」

 そう言う様子も、十把ひとからげなおざなりさを感じさせるものだった。

 その徹底した無関心さに、長月は追いすがる気力をすっかり打ち砕かれてしまった。

(望月……?)

 目の前でぴしゃりと閉められた扉に向かいながら、長月は呆然とするほかなかった。

(二度と、望月に……?)

 今起きたことを、理解したくない。いや、してはならない。そう思うのだが、望月の足音が消え、朝の喧騒だけが小さく聞こえてくる静かな資料室では、望まずとも望月の言葉が反芻されずにはいられなかった。

(愛想が尽きた……って?)

 そして、頭の中で何度も何度も繰り返し唱えられる言葉に、長月はだんだんとそこに含まれた意味を理解しないわけにはいかなかった。

(私は、望月に……)

 失望された、などという程度のものではなかった。そのことをなによりおそれていたはずなのに、今ではむしろそうであってほしかったと思わずにはいられなかった。失望されたくらいならば、まだ取り返しはつく。しかし、望月の言動はそんな余地すらも残してはくれなかった。

(見捨てられた、望月に……)

 それは、長月にとって自分の拠って立つ足もとがいきなり崩れ去ってしまったかのようなできごとだった。望月の気まぐれに喜び落ちこまされていたときに、こんな日が来ることを予期することなどできなかった。それにもかかわらず、それは現実となってしまった。長月にとって、望月の存在がこれ以上なりえないと思えるほど大きくなってしまったこのときに。

(望月がいなくなったら、どうすればいい……?)

 望月になら、長月は殺されたっていいとすら思っていた。それほどまでに、長月の心は望月でいっぱいだった。それなのに、望月は長月から離れていってしまった。心のよりどころを失った長月は、急激に不安に襲われた。

(私は、いったい……?)

 望月に頼る前の長月の自信は、望月によってすべてばらばらに砕かれた。それ以後にもたらされた自信は、すべて望月を仲立ちにしていた。望月がいなくなったあとで、残された長月は空っぽだった。

「望月……もちづき……あ、ああ……」

 あとからあとからこみあげてくる頼りなさに、長月はただ泣くことしかできなかった。なにもない自分はこれからどうすればいいのか、なにができるというのか、わからなかった。そのことがこわくて、けれどどうすることもできなくて、涙を流すしかなかった。

 どれだけ涙を流しても、かつての望月のように心のすきまを埋めてくれる者はいなくて、長月はいつまでも泣き声をあげつづけた。

「うう……あああ……!」

 いつしか、朝食の時間も回って、資料室に用事で訪れる仲間があった。彼女はこの世の終わりのように泣きくずれる長月に驚き、いったいどうしたのかと声をかけてきた。その声はいかにも心配げで、言葉は優しさに満ちていた。そのはずだったが、長月の心にはなんのなぐさめにもならなかった。

(望月……)

 途方に暮れた彼女は応援を呼んだらしい。呼び集めた仲間たちに囲まれて、それでも長月は泣きつづけた。

 どれだけ涙を流そうと、長月が望む者が現れることはなかった。長月の涙を止められる者は、すでに遠く去ってしまっていた。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラ(名前だけも含む)の現在のレベルは長月58、白雪40、望58、睦月27、雪風25、皐月26、暁26、吹雪50、高雄23。今回のメンバーは3-2攻略時の面々を中心にしています。クリア当時のレベルは、旗艦から順に、皐月26、暁25、睦月27、白雪40、吹雪50、望月58でした。他の方のレベルを調べて比べてみると、高いということもなく低いということもなく、だいたい平均的なところでしょうか? スクショによるとそれが11月18日のことだったようです。そこからレベルがほとんど上がっていないのは……出番の少なかった駆逐艦以外のレベル上げを優先してるのもありますが、それ以上に12月と1月とであんまりプレイできてなかったのが大きいですね。はい。一応、3-3まではクリアして、初期マップでは残すところ3-4と4-4のみとなっております。
 今回の話ですが、TwitterかPixivかで見かけた30日CPチャレンジをネタ元として参考にしています。本当に30日全部やろうかとも考えたんですが、さすがにそんなにやると1日あたり1000字でも3万字になっちゃうじゃんかと、その案は即座に却下しました。ただ、それでも気づけばその倍以上の字数になっているのですが……。
 とりあえず、次はこんなに時間かけずに行きたいところですね。
 冬イベも始まりましたが、今回は挑戦してみようかどうしようかというところ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

艦これ、北方海域並びに西方海域攻略進行中 その2

 以下、今回は望月長月です。なんとか読めるレベルになったのではないかと思うのですが、もしかしたら気のせいかもしれません。それと、今回は予防線としてのR15くらいに相当する(?)描写(ガールズラブ)が存在しますのでご注意を。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「はあ……」

 港に帰り着いて船から下りるやいなや、長月はそんなため息の声を聞いた。それは聞こえよがしのものではなかったが、長月自身もまさにそんな気分であったために、誰だろうかと気になった。ちらりとあたりをうかがうと、一人の仲間がこちらを見ながらばつのわるそうに口もとをおさえるのが目に入った。

 短くまとめた二つ結びの黒髪に、白地の水兵服を着込んだ少女、白雪だった。

 長月は意外の念にうたれた。戦果のふるわなかった今回の出撃で、ただ一人、気を吐いていたのが彼女だったからだ。

「ごめんなさい。次はもっと、がんばりますから」

 長月がいぶかしんで態度を決めかねているうちに、白雪はそう言ってほかの仲間たちのもとへと向かった。それを見て、長月も整列を開始した彼女たちのほうへと歩を進めだす。しかしその足取りは、白雪の言葉を受けて鈍いものになった。

(がんばる、か……。もっともその言葉を向けられるべきは私なんだがな……)

 今回の北方海域への出撃任務で、長月は目立った戦果をあげることができなかった。部隊で一番練度の高い者として、仲間が活躍できるように指示を出すことも求められているが、それもどの程度できたものか。そんな中で、白雪は自身の力で確かな結果を出していた。強いて今回の殊勲者をあげるなら、間違いなく彼女だったろう。

(私やあいつがどれほど活躍できるかが、あの海域を突破できるかどうかのわかれ目になるはずなんだが……)

 晴れない心のままに整列した仲間たちの前に立ち、皆の顔をながめわたす。作戦に失敗して撤退してきたことから、浮いた顔立ちの者はいない。しかし、もうふた月以上も繰り返された結果だ。そのこと自体に落ちこむ様子もあまりない。力をつけて、また次の機会に。そんなさばさばとした雰囲気すら感じさせる。

(だが、どこまで腕を磨けば戦艦相手に勝利をつかむことができる……?)

 長月には、今もってその場面を想像することさえできずにいた。こんな状態で、いつになったら作戦を成功させることができるのか。

 そんな悩みに皆の前で口を開けずにいると、背後からいきなり抱きついてくる者がいた。

「長月、おっかえりー。どうだった? 今回はうまくいった?」

「も、望月!? 見ての通りだ……だ、だから、あっちに行ってろ! これから皆と話があるんだ。関係ないおまえにうろちょろされるとめざわりだ」

 驚きにしばし固まったのちに、長月はその腕をひきはがしながらまくしたてる。望月は「はーい」と気のない返事をして、しぶしぶといった様子でわきにさがっていった。長月が警戒の視線でそれを見送っていると、正面の白雪が笑みを含みながら声をかけてくる。

「望月さん、いつになくご機嫌みたいですね。なにかいいことでもあったんでしょうか」

「さあな。あいつの考えてることはよくわからん」

「長月さんにもわからないのでは、私にわかるはずがないですね」

 その言葉に含まれた意味に、長月は顔をしかめた。思わず正面を向くと、冗談ではなく本当にそう思っていそうな白雪の目とはち合うことになった。

「……なにか誤解があるような気がするが、私とあいつはべつに特別親しいわけではないんだが」

「そうなんですか?」

 首をかしげる白雪に、長月はそうだとうなずいて返す。しかし白雪はなおも納得いかなさそうだった。

「ここのところ、よくいっしょにいるのを見かけますけど」

「そんなにいっしょにいるわけではない。つきあいで、ときどき連れ立つくらいだ」

「でも、他の誰よりも多いですよね」

「……まあ、同じ教導艦だからだろうか」

「そうなんですか」

 そこで白雪の質問はとぎれる。しっかり得心してくれたかどうかはわからないが、長月としてもどうにも答えにくい話題である。頃合いを感じ取った長月は、そこで本来する予定だった話を始めることにした。

「それはともかく……皆、今回はよくやってくれた」

 きびきびと話しだすと、白雪も顔をひきしめて傾聴の姿勢を取る。長月は内心でそれにほっと息をつきながらも、面には出さず言葉を継ぐ。

「目的は達成できず残念な結果になったが、この責任は私のふがいなさに帰するところが大きい。次には挽回を期して奮迅の働きをしてみせるので、そのときにはまたよろしく頼む」

 そこでちらりと望月のほうを見ると、彼女はあくびをしていたが、すぐにこちらに気づいてうれしそうに小さく手をふってきた。それを見た長月は、不機嫌に目をはずし、もっと暇そうに待たせておけばいいとばかり、さらに口を開く。

「今回、私自身の戦果はふるわなかったが、目覚ましい活躍をみせてくれた者がいる。白雪だ」

「は、はい?」

 まさか自分に話が向くとは思っていなかったのだろう。白雪はとまどったような声を出すが、長月はおかまいなしに話を続ける。

「白雪のここのところの成長は目をみはるものがある。今回も一番の活躍を見せたのは白雪だった。この調子で伸びていくとしたら、私もうかうかしてはいられないな」

 いたずらっぽく笑いかけると、白雪はぶんぶんとおおげさなくらいに手をふった。

「い、いえ。私なんて、まだまだですから……。それに、長月さんが根気よく訓練につきあってくださるおかげですから」

「そう謙遜するな。確かに、あの男に言われて重点的に指導を始めたところはあるが、のみこみがよくて、それほど教えることもなかったくらいだ。あとは実戦あるのみ。この調子でがんばってくれ」

「はいぃ……」

 そう言って、彼女はほおをうすく染めて目を伏せる。周りの仲間たちの目も白雪に集まっているのを見て、長月は満足げに大きくうなずいた。

 いま言ったことに、うそや誇張はない。事実、白雪は著しい上達をみせている。日頃からひたむきに訓練を重ねる姿が印象的だっただけに、一度こつを覚えさせると劇的な変化をとげた。南西海域に出撃していた当時に準育成艦と称されていた仲間たちにも、練度では勝っているのではないかと推測できるほどに。行き詰まりをみせている北方海域の任務において、成功の鍵を握る一人になってくれるだろうと、長月も信頼を寄せるようになっていた。

「皆も、白雪に続けるように訓練を重ねていってくれ。それでは、これにて解散とする。大破した二名と中破した一名はこのあとすぐに船渠に向かうこと。ほかの者は私が報告を終えたあとで反省会だ。以上」

「はい」

 敬礼を交わしあうと、長月は冬になる直前のすずやかな昼の陽光の中を、基地棟に向かって歩きだす。そうすると、うしろから遅れて望月もやってくる。長月はじろりとそちらを一瞥したのち、なにも言わずに歩みつづける。長月自身も軽いけがをしているが、重い者が優先であるのと、男への報告があるためにあとまわしにしての、いつも通りの道のりだ。

(さて、今日はどうなることか……)

 だが、ひき結ばれた表情の下で、長月がそんな考えに緊張していたことを、仲間たちはまだ誰も知らなかった。




「さっきは『めざわりだ』なんて、ずいぶんな態度とってくれたじゃん?」

 報告と反省会を終え、仲間たちが出払って誰もいない自分たちの部屋に戻るやいなや、望月はそう言って詰め寄ってきた。

 その顔に本気の怒りが浮かんでいるわけではない。むしろ、答えに窮するこちらの様子をながめて楽しんでいる様子さえ伝わってくる。

「望月……ま、待ってくれ……」

 しかし、そうとわかっていながら長月は毅然とした態度をとることができなかった。この表情の望月に迫られるとろくなことにならないとわかっていたからだ。

 望月が一歩近づくたびに長月は逃げるようにあとずさる。だがそれも、室内の空間では限度がある。何歩か後退するうちに、寝台につまづいて腰を落としてしまった。

「あっ!?」

 毎日生活する部屋でありながら、その位置すら意識できなくなってしまうほどに今の長月は動揺していた。あわてふためくさまを見て笑みを深めながら近寄ってくる望月に、長月はますますどうすればいいかわからなくなる。

「どうしたの、長月? あたしに言えないような理由でもあるっていうの?」

「うう……」

 きょろきょろとあたりをうかがっていた長月は、寝台を乗り越えて逃れようと望月に背を向けて寝台の上に手とひざをついて乗りあがる。その瞬間、普段の気だるげな様子を微塵も感じさせない力強い手に肩をつかまれた。

(ひっ……)

 長月がおそるおそるふりかえると、耳もとでそっとささやかれた。

「あたしは別に怒ってるわけじゃないんだよ? けど、あれは傷ついたなって、そう思うから、なにか言い訳があるなら聞いてあげるって言ってるの」

 声とともに発される吐息が耳をなでる感覚に、長月はびくっと体をふるわせた。それを見て取ったのか、くすくすと望月の笑う気配がする。長月はその表情をうかがうようにしながら、つっかえつっかえ問われたことに答えを返す。

「だ、だって、望月が言ったんじゃないか。普段は皆に気づかれないように、それまで通りにって……」

「ああ……そういえばそんなことも言ったっけ。ごめんごめん。あんまりそれっぽかったから、本気で冷たく当たられたのかと思っちゃった」

 望月はそう言うが、本当に忘れていたのかと疑わずにはいられなかった。わかっていてこのやりとりをさせたのではないか、そうしてあわてるこちらの様子を見て楽しみたかっただけなのではないか。口もとの笑みを消さずに謝る望月を見ていると、長月にはそう思えてならなかった。

(だが、言えない。そんなことを言っては、どんなやぶへびになるかわかったものではない)

 今も、望月は肩こそ放してくれたものの、かわりに手首をつかんで、並んで寝台のふちに腰かけさせられている。しっかりとつかまれたその手首を、長月はまるで手かせをはめられているようだと思った。

 望月の前で泣き顔をさらしたあの夜から、二人の関係はずっとこの調子だった。望月が面白半分で告げてくる指示を、長月は律儀に守り、そうして羞恥やとまどいを感じている姿をながめては笑い者にされる。長月は、そんな自分が情けなくてしかたなかった。しかし、いつのまにか、いやだとは思いながらも心の底から抵抗しようとはしなくなってしまうほどに、この生活に慣れてしまってもいた。

(なんだか、自分がどんどん知らない自分になっていくみたいだ……)

 そんなことを考えていると、長月が心をどこかに飛ばしていることが面白くなかったのか、望月がまた声をかけてきた。

「そういえば、まだほかにもあったよね。あたしが手をふったのに、無視したじゃん。しかも、どうでもいい話で長引かせてさ」

 その言葉に長月はふたたびぎくっと体をこわばらせる。かつての自分ならあれくらいしただろうかと思っての行為だったが、望月は見逃してくれないらしい。

(いや、そもそも本当に昔の自分はあんなことをしたか……?)

 長月はここのところ、自分のことがわからなくなってきていた。とがめるような望月の視線を受けて早まる鼓動は緊張のせいなのか、それとも期待のせいなのか。そんなことすらも。

「ねえ、長月。せっかく迎えに出たあたしにあんな仕打ちをするなんてさ。そんな長月にはおしおきが必要なんじゃない?」

 見上げてくる望月と目を合わせていると心の奥底までのぞかれてしまいそうで、長月はそっと視線をそらした。だが、すぐにその細い指であごのあたりをつかまれて、向き直させられてしまう。そのまま徐々に近づけられる望月の顔に、長月はふるふると首をふるものの、許してくれそうな気配はまったくなかった。

「だいじょぶだって。痛くはしないから」

 そうささやかれるが、これまでもこちらの意志などおかまいなしに好きなようにもてあそばれてきた記憶しか長月にはない。じわりと、長月の目に涙が浮かんでくる。それを望月に見られるのがいやで、好きにしろと、覚悟を固める意味もこめて目をつぶる。

 そうして暗闇に包まれた長月の首筋に、やわらかく湿った感触が当てられる。望月に舌でなめられたのだ。ぴくっと体が反応しかけるが、長月はなんとかそれをこらえた。しかし、望月がその程度で終わらせてくれるはずがない。次にはくちびるが押し当てられ、二度、三度と、くりかえし舌で首筋をなでられる。そのたびに、長月はぞくぞくと背筋に抜けていくふるえを抑えるのに必死となった。

(これは、おしおきなんだ……)

 そう言い聞かせるが、これまでにも何度かされるうちにすっかり慣らされてしまった体は気持ちよさを感じずにはいられなかった。そんな自分が恥ずかしくて、長月の顔はほてっていく。

「長月、可愛い」

 それをめざとく見て取った望月の言葉に、長月の羞恥はさらにあおられる。こちらのいやがる言動を選ぶ点において望月は実に的確だと、長月はたびたび思わされる。今もそうだ。いけないと思う気持ちが強まるほどに感覚は鋭敏になっていった。

「もっと可愛いところ見せてよ」

 その言葉の直後、長月の首筋に勢いよく歯が立てられた。

「あっ……!」

 強烈な痛みに長月は思わず声を漏らしてしまった。びくりと跳ねた体をなだめるように望月の手で足を優しくなでられるが、あがりかけた長月の呼吸はまるで落ち着くことがない。その間にも、がじがじとかみつくあごの力を強弱されて、間断なく刺激が与えられていく。そのたびに、長月は体の芯からじわりと熱がこみあげてくるのを感じていた。

 どれだけそうしていただろうか。頭がぼうっとしはじめたころ、望月は満足したように首筋を放してくれた。

 そうすると、唾液でべっとりとぬれた首筋にはすーすーとした肌寒さが感じられるようになった。望月の口が離れてしまったからだと思うと、長月はぼんやりと望月の口もとに目をやらずにはいられなくなった。

(……なにを考えているんだ、私は)

 ものほしそうな目を向けてしまっていたことに気づいた長月は、とっさに険しい表情を作って望月をにらみつける。しかし、その一連の表情の変化を見られていては、面白そうにされるだけだった。

「なに、長月? もっとしてほしいの?」

「そんなわけあるか……」

 そう言ってみたものの、その声音は弱々しいものにしかならなかった。それに、ふたたび近づけられる望月の顔に、長月の体がそれを押し止めようと動くことはなかった。体に力が入らなかったからだと自身に言い訳してみたが、期待していなかったといえばうそになる。

「まったく、長月は素直じゃないんだから……。ま、そこがいいんだけど」

 無抵抗の長月の首筋に、ふたたび舌がはわされる。つけられた歯形をなぞるようになめられる感触が快くて、長月は目を細めて感じ入った。じわじわと、頭がぼんやりしてくる感覚がまた訪れる。

(これも、悪くはない……か?)

 自分がこんな風になってしまうなど、いったい誰が想像できただろうか。望月といると、自分で自分に驚かされることばかりだ。

「じゃあ、もう一回、行くよ」

 かけられた言葉に、長月はまた目を閉じてその瞬間を待つ。あの感覚をもう一度味わったら自分は耐えられなくなってしまうかもしれないと、こわいような楽しみなような気持ちがわき上がってくるのを覚えながら。

 しかし、ついにその瞬間が訪れることはなかった。

 望月が口を開いてまさにふたたび歯をつき立てようとしたところで、部屋の扉を開く者がいたからだ。

「着っ替えー、着っ替えー……って、あれ、長月、帰ってたの? それに、望月も」

「睦月……?」

 そう口に出した自分の顔は、いいところで邪魔をされてうらめしそうな顔をしていただろうと長月は思う。睦月がややひるんだような声音で返事をしてきたからだ。

「にゃっ!? む、睦月は、水たまりですべって転んじゃって。服が汚れちゃったから着替えにきただけですー。そう言う長月は、ここでなにを?」

 逆にそう問われて長月は言葉につまる。とっさに望月とは距離を取ったが、睦月が入ってきたとき、おそらく自分は望月と並んで座っていて、まるでしなだれかかられているように身を寄せて見えたはずだ。事実はもっとひどいのだが、場をやりすごす説明の思い浮かばない状況に、長月は冷や汗が浮かぶのを覚えた。

 そんな長月に救いの手を差し伸べてくれたのは、やはり望月だった。

「長月のけがの具合を見てたんだよ。首をやられちゃったっていうもんだからね」

 その言葉に、長月はくっきり残っているだろう歯形を思い出し、とっさに手を当ててそれを隠した。睦月は、そこになにかあるとまでは気づきながらも、正確になにかまではわからなかったのだろう。首をひねりながらも心配そうに声をかけてくれる。

「ほ、本当? 長月、だいじょうぶ?」

 仲間思いの睦月にうそをつくのは心苦しかったが、まさか本当のことを言うわけにもいかない。長月は心に痛みを覚えながらも望月の言葉に便乗することにした。

「そうだ。まあ、軽いものではあるんだが、見ていてあまり気分のいいものでもなし、船渠に行ってさっさと治してもらうことにしようかと」

 それだけで十分とは思えなかったが、あまりあれこれ聞かれてもぼろが出かねない。そう考えた長月は、恥ずかしい場面に入ってこられた気まずさもあり、早々にこの場を退散することにした。

「長月、待ちなって。これでも持ってけば?」

 そう言って、望月は彼女の荷物からマフラーを投げ渡して貸してくれた。

「ああ、助かる」

 髪で隠すこともできるだろうが、ふりむいた拍子などに見えてしまいかねない。かといって、いつまでも手で押さえているのも不自然極まりない。長月は望月の気づかいに感謝しながらそそくさと部屋を出ていくことにした。

「しっかり治してもらうんだよー」

「ああ、睦月も、足もとには気をつけるんだぞ」

「わかってるのよ。睦月は同じ失敗を繰り返さないのです」

 そうして、その場をなんとかごまかせたことに胸をなでおろしながら、長月は船渠へと向かっていった。




「おやすみー」

「ああ。望月も、おやすみ」

 その夜、二人は部屋に戻ると、静かに言葉を交わして寝台にもぐりこんだ。同室の仲間たちはすでに寝静まっているだろうが、もしかしたらまだ起きている者もいるのかもしれない。ここのところ、長月は夜更かしすることがほとんどなくなっていた。

(それというのも、望月のおかげだな)

 ちらりと望月の寝台のほうに目をやるが、間にほかの仲間の寝台があり、彼女の姿は視界に入らない。それを確認して、長月は微笑を浮かべた。

 あの夜から、毎夜のごとく行っていた長月の資料との格闘に望月が加わった。以前はあんなに毛嫌いしていたはずなのに、押し隠していた情けない姿を受けいれてくれた相手だからだろうか、望月から提案されるとすんなり承知している自分がいた。そして、それによって資料室にこもる時間は大きく削減された。

(どうして、あんなに望月を目の敵みたいにしていたんだろうな)

 一度受けいれてしまうと、望月はすぐにこの上もなく頼れる存在になった。もともと長月を軽く凌駕する才能の持ち主なのだ。それに加えて、長月がどんな風に独学でそれにはりあっていたのかも知られていた。航路や戦闘の詳細図の作成を手伝ってくれたり、任務で失敗した原因をあぶりだして長月でもできる改善点の提案までしてくれるようになった。その提案の中には、長月が思い及ぶ小手先の修正などとは比べものにならないほどに有益なものがいくつも含まれていたのだ。

(今日の任務だって、ちゃんと望月の指示通りにできていたらもっと戦果をあげれたはずなんだ)

 失敗に終わった北方海域への出撃だったが、任務の達成へと着実に前進する手応えをつかむことはできていた。数日前に受けたばかりの指示だったためにぎこちない動きしかできなかったが、それにもかかわらずこれまでとそれほど変わらない戦果をあげることができた。しっかりと自分のものにできたらどこまで戦果を伸ばせることか。長月はここのところ、出撃任務に際してかつてのような高揚感を取り戻している自分を感じていた。

(本当に、望月には感謝してもしたりないな)

 ふたたび、長月は望月のいるほうを向いて微笑した。

 そのとき、首筋にかかった髪が望月につけられた痕をさらりとなでた。

(そういえば、治らなかったな、これ……)

 長月はいまだに残るその痕を指でなぞった。先ほど鏡に映して確認してみたところ、赤みはひいてきていたが、くっきりとつけられた歯形はまだ明らかにそれとわかるほどに確かな痕跡を残していた。

 あのあと、長月はまっすぐ船渠に行き、修理を受けた。だが、それはあくまで艦の修復だ。体のほうは治療の対象にならなかった。そもそも、仲間たちも含めて、これまでどれだけの戦場に出ても、誰かがけがをしたなどという話は一度も聞いたことがなかった。服は次から次へとぼろぼろになってしまうが、せいぜいそのくらいだ。

(まるで、あの男のようだ……)

 事務仕事ばかりのはずなのにどうしてか、あの男はたびたびどこかにけがをこしらえては絆創膏や包帯をのぞかせている。そのたびに「ちょっとへまをして」などと言い訳をされるが、特になにを思うわけでもないどうでもいい話にすぎず、これまで関心をはらったこともなかった。

(だが、あれを使わせてもらえば、マフラーよりは自然にごまかせるだろうか……?)

 マフラーを巻いて船渠に行ったところ、案の定というか、仲間たちにどうしたのかと尋ねられた。睦月に対してしたのと同じ説明でその場は押し通したが、どの程度信じてもらえただろうか。うそをつくことが得意でない長月は自身の弁に不安を隠せなかった。その点を考えると、あの男の持つ医療品を借りるというのは悪くない考えに思えるのだ。

 しかし、長月は少し考えた末に首をふった。

(どんな名目で使わせてもらうつもりなんだ……)

 けがをしたなどと言って信じてくれるだろうか。けがの程度を確かめるから見せてくれと言われたらどうするのか。目的のものを手に入れるまでに想定される問答を考えると、無理だと判断せざるをえなかった。いっそ本当のことを言ってしまったらどうだろうかとも考えたが、長月は勢いよく首をふった。

(これを、あの男に知られる……そんな屈辱があってたまるか!)

 即座にその考えを切り捨てた長月は、ほかにもなにかいい案があるはずだと考えだす。しかし、結局、マフラー以上にいい考えが浮かぶことはなかった。

(まあいい。明日は自分のものを使おう)

 今日いちにち、それでなんとかなったことには違いがないのだ。あらためて望月に礼を言わねばとも思うが、その一方で長月には納得のいかないこともあった。

(そもそも、あいつがあんなことをしなければこんなことで悩む必要もなかったんだ)

 なぜ望月は自分にあんなことをしてくるのか、長月にはわからなかった。望月が自分にするようなことを別の仲間にしているところを、長月は見たこともなければ聞いたこともない。望月といえば、訓練におけるさぼりの常習犯で、実戦では要所を押さえた活躍をしてみせるのだが、それさえ覆い隠してあまりあるほどにやる気のない言動ばかりが目につくというのが仲間内での評判だ。一部にはいっしょにごろごろしているのが楽しいとなついている者もいるが、総じて怠惰、無気力というのが望月を指して言われる言葉だった。それにもかかわらず、長月に対してだけ、望月はそうではない一面をひんぱんに見せてくる。

(なんでだろうな……。わからない。わからないが、この気持ちは……うれしいと、そう思っているんだろうか……?)

 長月はすでに望月に、他人には見せない情けない一面をさらしてしまっていた。しかし望月はそれをばかにすることなく受けいれ、それどころかさまざまな面で長月の支えになってくれてすらいる。長月の中で望月を頼みに思う気持ちは日増しに強くなってきていた。

(それでも、あいつは、私があいつのことを必要に思っているほどには、私のことを必要としてはいないんだって、そう思っていたが……)

 自分にだけ見せてくれる一面があるのだと考えると、少なくとも望月のほうでも長月に心を許してくれているのだと思うことができた。それがうれしくて、長月はほおをゆるませた。

(あいつが初めてそんなところを見せたのは……そうだ、あのときのことだ)

 そうして、長月は細部まではっきりと覚えているその日の記憶に思いをはせる。それは、今から二週間ほど前のことだった。




 その日、望月はいつものようにゆっくり昼前に起き出してきたかと思うと、唐突に長月をつかまえてどこかに出かけようと持ちかけてきたのだ。

 仲間の訓練があるからと長月はあくまで拒否したが、すでに男にも休暇の許可をもらってあると言われては、長月にそれ以上断る理由を思いつくことはできなかった。

 そうして、望月のあとに続いて宿舎の裏の山へと足を踏み入れたのだった。

「長月、どう? 楽しんでる?」

 山中にある池のほとりで、望月は長月にそう問いかけてきた。とてもそんな気分ではないとわかっているくせに、なにが楽しいのか、その表情はにこやかなものだ。長月にはそれが不愉快で、答えを返すことなく顔をそむけてやった。

(やはり、来るのではなかった)

 ここまでの行程は、なにか用事があっての外出の誘いなのだろうという長月の推測を裏切るように、目的の見えないものだった。

 池のある山は、山といっても遠目にはせいぜい小高い程度で、実際に登ってみても頂上までは三十分とかからない。昼食後の腹ごなしもかねてか、先に登る望月の歩みはのんびりとしたものだったが、それでも体感として一時間はかからなかったはずだ。

 そこでしばらく休憩していたが、それまでも、その間も、望月のほうから必要最低限のこと以外で声をかけてくることはなかった。いったい何のために自分をひっぱりだしてきたのかと気になってはいたが、聞く機会を逃しているうちにこの場所にいたっている。

 うんざりとした気持ちのままちらりと望月を見ると、窪地上のゆるやかな斜面を陽気に歩き回る姿が目に入った。

「せっかくいっしょに来てるんだから、長月にも楽しんでもらいたいんだよね」

 先ほどと変わらぬ口調で、望月はまた声をかけてきた。その声音はまるで、長月が楽しんでいないことを残念だとでも言っているかのようだった。だが、長月にはこのあてどもない散策のどこをどう楽しめばいいのかわからなかった。ただただ無目的で、退屈な時間に思えてならなかった。

「なあ、望月。いい加減、私を連れ出した理由を聞いてもいいだろう?」

 問いただすと、望月は目を見開いてこちらをふりかえる。

「長月、それ、本気で言ってるの?」

 長月はその反応には当惑した。どうやら望月にとっては自明のものであるらしい。長月には先ほどから見当すらついていないにもかかわらず。

「ああ。なにか私に用事があるのかと思っていたが、そんな様子もまったくない。これでは、訓練を休んでまでなにをしているのかと嘆かわしくなってくる」

 正直な気持ちを告げてみたが、長月の望む答えが返ってくることはなかった。それどころか、盛大なため息をつかれてしまった。

「はぁー……そうだった。長月って、そういうくそまじめなとこだけが取り柄だったよね。知ってたよ。知ってたけどさ……」

 言いながらも望月の声はだんだんと小さくなっていき、最後のほうはぶつぶつとしか聞き取れないつぶやき程度のものでしかなくなっていた。

 うきうきとした調子から一転したその様子を、長月は疑問に思いながらうかがっていた。そうしているとどこからか、ちっという音が耳に入ってきた。それは、わずかな距離の間でしか聞き取れないほどのかすかな音でありながら、聞こえる範囲の耳には鋭く響き入らずにはおかない迫力を感じさせた。

(今のは、舌打ち? 望月が……?)

 そうではないかと思うのだが、長月にはなかなか信じられなかった。望月が怒っているところなら、長月もこれまで何度か見たことがある。しかし、そんなときでも気力や体力を節約しようとするかのように、その場でさっと怒りをあらわにして、それですっきりしたとばかりにすぐのんびりした調子に戻るのが常だった。そんな、どこまでも気力に欠ける印象の望月と、露骨な怒りの表明である舌打ちというものが、長月の中ではどうしても結びつかなかったのだ。

 だが、どれだけ信じられなくとも、それはまぎれもなく望月によるものだった。

「長月、謝ってよ」

 目線は長月よりも下にあるはずの望月が、見下すような冷たい視線を向けてくる。長月には、望月の言葉も態度もまるで意味がわからなかった。唐突に理不尽なことを言われたとしか思えず、不快を感じずにはいられなかった。

「なにを言っているんだ。なぜ私がおまえに謝らなければいけない」

 けんかを売っているのかとばかり、望月をにらみつける。すると、望月は険しい目はそのままに、口もとに挑発的な笑顔を広げてみせた。

「ふーん。長月ってば、自分がどれだけ失礼なことしたかもわからないんだ。ふーん」

「私がいったい何をしたんだって? わかるように言ってみろ。もしくだらないことだったら、すぐにでも帰らせてもらう」

 こちらをばかにしたような態度に長月も怒りを募らせていく。ただでさえ、望月と二人きりで出歩いているという状況自体が面白くないのだ。そのうえわけもわからないうちに一方的に自分が悪いと決めつけられて、不愉快な気持ちにならないはずがなかった。

 しかし、望月はそんな長月の態度を面白がるように、表情に喜色を強めていく。そして、まるでものわかりの悪い子供に教えさとすように、長月に理由を聞かせてくる。

「あたしってばさ、長月にとってのなんなんだっけ?」

「同じ基地に所属する仲間だろう」

 当然だろうと答えると、こんな簡単なこともわからないのかとばかりに訂正が返された。

「違うでしょ。恩人でしょ。ちょっと前にさ、長月がみっともなく泣き崩れちゃったときに誰にも知らせずつきあってあげた、さ」

「そ、それとこれと……どういう関係があるというんだ!」

 つい一週間ほど前のできごとを蒸し返されて、長月は動揺した。

 その夜、蓄積した疲労で弱っていた長月の心は、望月の前で限界を迎えてしまった。それは、長月にとって消し去りたいと願ってもかなわない苦い記憶だった。そのときこそ優しくなだめてくれたものの、あれから長月は、望月と顔を合わせるたびにどう思われただろうかとびくびくせずにはいられなかった。しかし、これまで特に望月のほうから接する態度を変える様子が見られることはなく、どうやら心配のしすぎであったらしいと思えるようになってきた、ちょうどそんなところにこの望月の言葉だったのだ。

 あれは気の迷いだったんだとか、わざとそんなふりをしてみせたんだとか、考えていた自己弁護の言葉を思い出そうとしてあわてる長月につけこむように、望月はとっておきの話をするように告げてくる。

「もしもだよ? もし、あのとき、もうだめだーなんて情けないこと言ってたのをさ、仲間たちが知ったら、どう思うかな? いつもの長月しか知らない人たちが知ったら、いったいどれだけの人が長月にがっかりしないでいてくれるかな?」

「それは……」

 その場面を想像してしまい、長月はぎくっと体をこわばらせた。

「それともさ、司令官にばらしちゃったらどうなるかな? あたしたちにはあんまりそんなそぶり見せないけど、北方海域の作戦がうまくいかなくってあせってもいるみたいだしさ。吹雪や白雪みたいに、ここのところ司令官に目をかけられてる人もいるし、こんなにふがいない長月よりもみんなの引率にふさわしい仲間がいるよって教えてあげたら、長月は教導艦のままでいられるかな?」

 望月の言うことは、一つの可能性だった。そうなるかもしれないし、そうはならないかもしれない。そんなことになってたまるかと、いつもの長月なら、真っ向から反論することができたはずだ。しかし、望月によってすっかり自信を喪失させられたばかりの長月は、わずかでも存在する可能性をおそれずにはいられなかった。

「……私を、脅すつもりか?」

 長月の表情は苦渋にゆがんでいた。それを見て愉快そうにしている望月が憎らしくてならなかった。

「いやいや、あたしはただお願いしてるだけだよ? せっかくいっしょに出かけてきてるんだから、長月にも楽しんでほしいなって。でも、そのお願いも聞いてくれないっていうんなら、あたしは悲しくて悲しくて、ちょっと長月にいじわるしたくなっちゃうかもしれないよって、それだけのこと」

 望月はいけしゃあしゃあとそう言ってくる。

 長月にとって、望月の脅しに従うことは屈辱でしかなかった。しかし、皆から敬われる教導艦としての立場は、望月との才能の違いに打ちのめされた長月に残された、数少ない誇りの拠り所であった。それを失う恐怖を前に抗う勇気は、今の長月にはなかった。

「い、いいだろう。今日は望月につきあってやる……。だが、覚えていろ。無理強いされたことを、私は絶対に許さないと」

「おおげさだなー長月は。ま、でもとにかくさ、今日はよろしく頼むよ?」

 満足そうに歩み寄りながらさし出された望月の手を、長月はしぶしぶ握る。軽く握ってすぐにでも離してしまいたかったが、望月はそうはさせまいとするかのようにぎゅうぎゅうと握りしめてきた。

 そのまま導かれるように、池の水面まで続く斜面を中ほどまで下りていく。そうして、二人は一見仲よさそうに、その場に並んで腰を落とすことになった。

 にこにこと池に目をやりだした望月は、少しするとごろりと転がって空を見上げるようにする。長月はそちらに意識を向けながらも、視線はなんの変化も訪れない水面を見るともなく見やっていた。

(まったく、楽しそうなものだな……)

 不機嫌を押し殺してむっつりとする長月に対して、望月はそんなこちらに頓着する様子はない。意志に反して人をつきあわせておきながらその横で平然としてのける神経が、長月には理解できなかった。

(まあ、こいつが理解できないのは今に始まったことではないが)

 そうしてしばらくしていると、望月が視線を空に向けたまましみじみと口を開いた。

「ちょっとすずしいかもだけどさ、こうしてひなたでぼーっとしてると、がんばらなきゃって気持ちも忘れてのんびりしてたい気分になってこない?」

「そうか?」

 望月の脅しに負けた手前、長月はその言葉につきあおうと頭をめぐらせてみたが、いまいちぴんとこない内容だった。それどころか、なにをしていいかもわからず、ただ一刻も早くこの時間が過ぎ去ってほしいと思うばかりだった。どうしてこんなことをしているのだろうかと情けない気持ちすらもわきあがってくる。しかし、それを面には出すまいとつとめてこころみた。望月の機嫌を損ねることは、長月にさらなる苦しみをもたらすことになりかねないからだ。

「あっはは……。長月にはわかんないだろうなあ。長月ってばまじめすぎるからさ」

「そうなのか?」

「そうなんだって」

 なにが楽しいのか、望月はひとり話しだす。

「ぴんと意識を張りつめつづけてるとさ、すぐにだめになったり、そのうちぷっつりいっちゃうんだって。ときどきゆるめてやるくらいがちょうどいいらしいよ?」

(もしかして、そういうことなのか……?)

 それを聞いて、長月にも察しのつくことがあった。そういうことならば、なにを目的にしているとも思えずぶらつかされたここまでの行程にも納得のいくものがある。この外出を退屈と評した長月の態度がとがめられたのも理解できなくはない。望月が長月のことを心配してくれていたということには、驚かずにはいられなかったが。

 不機嫌さよりもとまどいが勝るようになった長月は、気づけば望月に尋ねていた。

「私は、そんなに四六時中、精神を張りつめているだろうか。むしろ、逆にたるんでいるのではないかと思っているのだが……」

 どれだけ集中しているつもりでも、気のゆるみがあるから失敗する。鍛錬が足りないから過失を犯す。その思いから、夜遅くまで資料と向き合い、訓練にもうちこんできたのだ。しかし、望月が言うにはそれこそがはりきりすぎの行いであるらしい。

「がんばってるって意識せずにがんばれるのは長月のいいところだけどさ、それでも無理してることには変わらないんだから。そんなんじゃ、そのうち限界がきちゃうよ?」

(そうかもしれないな……)

 言われてみると、数日前のあの夜がちょうどそのときに当たったのかもしれないと思えてきた。あのとき、長月はそれまでに経験のないほど感情を抑えきれなくなって取り乱してしまった。

(あのときは、本当に望月に助けられたと思う)

 それを脅しの種に使われてしまったことでいやな記憶が付随してしまったが、あのとき、望月が情けない自分をおかしな顔ひとつせずに優しくしてくれたからこそ、次の日からまた、それまでどおりに過ごすことができているとも思えるのだ。その気持ちにうそはない。

(だが、もしかしたら、私はあの日を境に変わってしまったのかもしれない……)

 こうして望月のとなりにいると、あらためて意識されることがあった。

「だからさ、長月。おとといみたいにあたしに頼ってくるのも、悪くないことだと思うんだ」

「あれは……助かった。思えば、ここのところは望月に助けられることが多い」

「ふふん。ま、どんどん感謝してくれたまえよ?」

「言ってろ」

 ふてくされたようにそう言うが、多分に照れ隠しめいた面があったことは否定できなかった。

(こいつといると、私は揺さぶられっぱなしだ。一昨日だってそうだった……)

 一昨日の夜、長月はいつものように資料室でその日の戦闘をふりかえって考察を行っていた。なかなかめどが立たない北方海域での作戦の成功に向けて、さらなる実力向上は必須だからだ。しかし、その夜の長月はどれだけ考えても現実的な改善点を思いつくことができないでいた。そんなときひょっこり現れた望月に、気づけば助言を求めていたのだ。

(あれは……本当に、どうしてあんなことをしたんだろうな……)

 思い当たることはなくもなかった。

(私自身の変化のせい、なのだろうな……)

 それも特に、自分の実力についてのものだろうとあたりがついていた。

 ここ一週間ほど、任務の戦果においては、それまでと目立った違いはなかったと記憶している。その点については、急激に成長したわけでもなければ調子を崩したりということもないため、そんなものだという以外の感想はない。しかしその一方で、自分ののびしろというものに関しては、大きな変化が生じているのではないかと思える節があった。

(はたして私は、今、強くなれているだろうか?)

 それこそが、長月をさいなむ疑問だった。

 仲間たちが着実に力をつけていることは、指導中の感覚からはっきりわかっていた。哨戒任務で、北方海域での出撃任務で、目に見えて一撃で敵に与える損害を大きくしてきている。だがそれにもかかわらず、あの戦艦に率いられた敵部隊との戦闘において、いつまでたっても自分も仲間も大きな傷なくくぐり抜けることはできずにいた。むしろ、長月自身がまっさきにやられてしまうことも珍しくはなかった。

(原因があるのは私なのではないか? 私が強くなれていないから、進展する見込みも立たないのではないか?)

 長月はもともとほかの仲間たちに比べて練度が高い。そのために成長を実感しにくくなっているのだとは、自分でもわかっている。だがそれにしても、北方海域での作戦で壁にぶつかってからはや二ヶ月になろうとしている。その間まったく上達したと感じられないのは、さすがに異常ではないかと思えてならなかった。望月が率いた部隊でなら、敵戦艦の部隊であっても一、二度うまくやり過ごしてさらに先へ進むことができていたことを考えるとなおさらだった。

(もしかして、今ぶつかっている壁とは、私自身の限界なのではないだろうか……?)

 そんな考えまでもが浮かんでくるのだった。

 そして、それを否定できる実感はないにもかかわらず、補強できる根拠ならすぐさまあげられるのが長月の危機感をいや増していた。

(どうしたら自分も望月に続くことができるのか。その効果的な方策を、私は思いつくことができているか……?)

 答えは否だった。考えつくものは、その多くが小手先のもので、そうでなければ長月にとって成算のみこめないばくちとしか判断できない代物ばかりだった。小手先の案を練っても大局に影響を与えれるとは思えず、危険なばくちに仲間をつきあわせるほどに楽観的になることもできなかった。

(そもそも、どうしてそんな袋小路に陥っているんだろうな……)

 そうして思い浮かぶのは、かつて長月自身が仲間に対して感じたことだった。

(『心が折れていなければ、さらに強くなることができる』か……)

 それをを自身にひっくり返して考えてみると、長月は自嘲の笑みをこらえねばならなくなった。

(いや、笑えない。だって、私は……)

 仲間たちが強くなろうとするのは、深海棲艦との戦いに勝ち抜きたいと願うからだろう。そのために、自分を守り、仲間を守り、敵を倒す力を鍛えている。しかし、長月にとっての強くありたいと願う動機は、大部分を望月に対する競争意識に拠っていた。にもかかわらず、才能の差は決定的でくつがえすことなど不可能だと、食い下がるなど思いあがりもはなはだしいと、一週間ほど前のあの夜、心の底から理解してしまった。

(そうだ。私の心は折れてしまっていたのだ。今のいままで、そのことに気づくこともなかったとは……)

 そのことと向き合うのがこわかったからだろうか。ますます笑えないが、笑う以外にどうしたらいいのかわからない。

 そんな気持ちを持て余していると、いきなり腕に痛みが走った。

「痛っ……」

 なにが起きたのかと思って目を向けると、望月が不満をありありと映した顔をしながら腕をつねってきていた。

「な、なにを……?」

 とまどいながらも尋ねると、望月からはびっくりするような低い声が返ってきた。

「長月さ、あたしといるのに、なにを勝手によそに意識を飛ばしてるの?」

「す、すまない……」

 先ほどの脅しを思い出してとっさに謝ってみたが、望月はその程度で許してはくれなかった。

「そんなにばらしてほしいの? もしかして、長月って、いじめられて喜ぶような変態さんだったり?」

「そ、そんなことはない! ただ……私はどうも、こういうことに慣れていなくて……。とにかく、気をつけるから……」

「それをあたしに信じろっていうの? さっきから、楽しんでるそぶりも見せないくせに?」

 そう言われてしまうと、長月には返す言葉がなかった。そもそもそんな気分になれないものをむりやり求められているというのに、加えて長月には無為の時間を楽しむという経験が圧倒的に不足していた。どうすれば楽しめるかもわからないのに楽しむふりをしてみせるなど、北方海域への出撃任務以上の難題だった。

 そんな思いから目を伏せかけると、さきほどよりも強く腕がつねり上げられる。

「うっ……」

 痛みに跳ね上げた視線が望月と合う。今の長月はただその怒りを甘んじて受けるほかなかった。悄然と望月を見つめていると、いきなりその顔に光が差したようにぱっと明るい表情が浮かぶのが見て取れた。それになんとなくいやな予感を覚えた長月は反射的に望月から距離を取るべくあとずさろうとしたが、その前にすばやく手首をつかまれてしまった。

「そうだよ。ちょっとおしおきをしてあげるね」

「おしおき……?」

 おそるおそる尋ねる長月に、望月は素晴らしい考えを伝えるかのように明るく話す。

「そうそう。しちゃいけないことを体に覚えこませてあげれば、長月もちょっとはましになれるでしょ?」

「待ってくれ。なにもそこまでしなくても……」

 固辞しようとしたが、嬉々とした調子の望月が止まる気配はまるでない。

「いいからいいから。全部あたしに任しといてって」

 そう言いながら、望月はつかんでいた手首を引き寄せて長月の服のそでをまくる。そうして、指先でそっと腕をなではじめた。それはさわるかさわらないかくらいの力の入れ方で、まるで大切なものをいつくしむかのように、ひじから先を上に下に、行ったり来たりとさせる。長月がその感触にぞわぞわと気色の悪さを感じて望月の表情と手つきに何度も何度も目を移すと、ますます楽しそうにされた。

 居心地の悪さに耐えられなくなった長月は、おずおずと口を開こうとする。その直前に、望月は見計らったようになでまわしていたそこに爪を立ててきた。

「っ!」

 繊細な手つきとは反対の、強烈な力のこもった爪が長月の腕につき立てられた。腕を圧迫するかのような力強さで、そこに容赦というものは一切感じられなかった。長月は突然のことに苦鳴をもらしそうになって、すんでのところでそれをこらえることができた。しかし、一向に力をゆるめることなく立てられつづける爪に、だんだんと不安を募らせずにはいられなかった。

 腕に力をこめて耐えているが、時間がたつうちに、だんだんとしびれて力が入らなくなってくる。よくわからないが、このままではまずいことになるのではないか。そんな考えがよぎりだしたところで、望月はようやく長月の腕を解放してくれた。安堵とともに一歩あとずさってそこに目を走らせると、血の気がうすれた腕にはっきりとわかる痕が刻みつけられていた。

(こいつがこんなことをするやつだったとは……)

 徐々に感覚が戻っていく腕にほっとしながら、長月は静かにその表情をうかがう。望月は、無気力そうないつもの雰囲気からは想像のつかない満足げな表情でこちらを見つめていた。

(私のことを心配していくれたのではなかったのか……?)

 望月のことを怒らせてしまったのはわかったが、優しく気づかってくれたかと思えば痛みを与えて楽しげなその表情なのだ。望月は自分のことをどうしたいのか。まるでわからなかった。

(やはり、気を許してはいけないやつなのか……?)

 そんなことを考えていると、望月もこちらが警戒心を強めたことに気づいたらしい。

「ああ、長月、びっくりさせちゃった? ごめんごめん。でも、長月がむかつくことしなきゃそんなことしないからさ」

 そう言われるが、なにが望月の怒りにふれることなのかわからなかった。ふたたび長月との距離を詰めてくる望月に、長月は体をこわばらせる。

「そんなに緊張しないでって」

 このままでは、また望月を怒らせてしまうのではないか。いや、怒らせて長月に当たり散らされるだけならばまだいい。そのあまりに脅しを現実のものにする気になってしまわれたら、長月にはとても耐えられない。そう思うのだが、視界の端に映る腕の痕が長月を安心させてはくれなかった。

 警戒をゆるめない長月にしびれを切らしてきたのだろう。望月の表情がくもっていくのがわかる。それでも、長月の体は言うことを聞かなくなったかのように固くなったままだった。

「まったく、長月はしかたないなあ」

 望月はため息をつくと、また長月に手を伸ばしてきた。次はなにをするつもりなのかと長月がその手を注視していると、望月の手は長月の腰に回された。そうして、ぐいとすぐとなりにひきよせられる。

(この体勢は……?)

 半身から伝わるあたたかさに、体を密着させられたのだと遅れて気づくと、長月はびくっと体を跳ねさせた。望月の機嫌を悪くさせてはいけないとは思うも、この状態ではそのおびえた反応も望月に直接伝わらざるをえない。望月はどう思っているだろうかと、長月の心拍は早まった。

 だが、見上げた望月が不満をその顔に映すことはなかった。それどころか、またあの楽しげな表情をしていたのだ。

 警戒を強めなければと直感した長月に、しかしその間は与えられることなく、次の瞬間には腰に回されていた望月の手によってわき腹がくすぐられはじめた。

「ふわっ……?」

 不意をついて与えられた感覚に、長月は思わず声をあげてしまった。普段は出さないような恥ずかしい声が出てしまったことに、長月はとっさに口に手を当てたが、密着した状態の望月がそれを聞きもらすはずはなかった。

「へぇ……長月、可愛いじゃん」

 にやりとした顔でそう告げられる。長月はそれを忘れてほしくてぶんぶんと首をふるが、赤くなったほおまでも隠すことはできなかった。

「恥ずかしがることないって。もっかい聞かせてよ。ねえ」

 それどころか、望月は嬉々としてくすぐる手の動きを大胆にしてきたのだ。口に手を当てていれば声をおさえることはできたが、ぴくぴくとふるえてしまう体ばかりはどうしようもなかった。

「そうやって口を押さえてるとさ、肝心なところががら空きだよ?」

 耳もとでそう告げられるや、もう一方の手も使って両のわき腹がくすぐられる。

「はうっ……やめっ……、……くくっ……」

 声をおさえようとすればわき腹の守りが甘くなり、そちらをさせまいとすると今度は声がおさえられなくなる。冷静にさせてもらえない長月の頭はどちらを優先するべきかを決めることすらできず、一方を気をつけてはもう一方を望月に狙われつづけることになった。

「それそれっ。思いっきり笑っちゃいなって。ま、がまんしてる長月の声も可愛いけどさ」

「くぅ……」

 恥ずかしさとくすぐったさに必死で耐えていると、しばらくしてようやく望月の手の動きが鈍くなってきた。余裕ができてきた長月は、きっと望月をにらみつけて抗議する。

「へ、へへ、変なところを……触るんじゃ……ない!」

 だが、望月は面白いことを聞いたとばかりに、さらににやりとしてみせるのだった。

「ふーん? 変なところね……それは、こういうところのこと?」

 そう言いながら、望月の手がわきばらから腹の正面に回されてきた。その手は、長月が止めるまもなく服の上からへそのあたりをまさぐりだした。

「ひあっ……!?」

 同じわき腹をくすぐりつづけられたならば、覚悟ができていたためにこらえることができた。しかし、予期していなかったところをさわられて、長月はとうとう笑いの衝動をこらえることができなくなった。

「はははっ……や、やめろっ……ひひっ……ははははは……!」

「そうそう。その調子、その調子」

 へそのあたりだけで耐えられなくなってしまった長月に、望月はふたたびわき腹にも手を伸ばしてくる。

「あははっ……もう、もうやめてくれ……あはっははは……ひぃ……はははは……!」

 だんだんと呼吸もままならずに苦しくなってくるが、それを訴えても望月が止めてくれる様子はない。わき腹をもまれたかと思えば、へそをつつかれ、さらにはすきをついてわきの下までさぐられて、長月は息を吸う暇もないほどに笑わされつづけることになった。

「はっはっは……げほっ、ごほっ……ひっ……ははっははは……ひゅっ……!」

「おっと……」

 呼吸がぜーぜーとしたものになりだしたころ、ようやく望月はその手を止めてくれた。

「ははっ……げほっ……はーっ……はーっ……ごほっ……」

 せきこみながら、長月はむさぼるように深く深く、息を吸いこむ。体が欠乏を訴える空気がいちどきに取りこまれていく感覚が、ただただ爽快だった。しかし、それも望月に拷問かと思うほどにくすぐられっぱなしにされたせいだと思えば、ありがたくもなんともない。

「おま……えは、私……を……こ、殺す……気なのか……?」

 息を荒げながら言うが、望月はおおげさなことを言うとばかりに手を広げるだけだった。

「くすぐられただけで死んだ人なんて、聞いたことないよ。ま、あたしが聞いたことないだけかもしれないけど」

(こいつは……)

 少しも悪びれる様子のない望月に怒りを覚えかけたが、意識がもうろうとしそうなほどの苦しみを味あわされた直後の長月にすぐさま反撃に出る余裕はなかった。それに、呼吸を整えている間、そっと背中をさすられる感触がここちよくて、だんだんとそんな気持ちもうすれていったのだった。

「長月、さ……」

 呼吸が落ち着いてきたころ、望月は長月になにかを切りだすように話しかけてきた。長月は目を閉じて背中をなでる望月の手の感触に身をゆだねたまま、なんだとその先をうながす。

「あたしは思うんだよ。長月は、たまーに深刻になりすぎるときがあるって」

「それは……そうかもしれない」

 先ほどの考えを思い出しながら、長月は相づちをうつ。今この状態で思い返してみると、どうしてあれほどどつぼにはまってしまったのかと不思議に思えてくるのだ。

(あの想像は、あくまで最悪の場合でしかない)

「あんまりにも思いつめちゃったときには、思いっきり笑い飛ばすのが一番。そうじゃない?」

「まったく、おまえというやつは……」

 そういうことは先に言っておけとも思うが、言われたからといって、それが望月からとあっては、実際に体験してみるまで信じることはできなかっただろう。いったいどこまでお見通しなのかと、こわくなってくるくらいだった。

(まあ、それでもあんな苦しくなるほどにやる必要はなかったと思うが……)

 それも、どうせ望月のことだから、面白くなってやりすぎてしまったというところなのだろうとあきらめるしかなかった。望月といると、いい意味でも悪い意味でもつくづく調子が崩される。そのことを嫌って、つきまとう望月にいらだちを募らせていたこともあったが、それをありがたく思えることもあるのだなと、長月はひそかに感心していた。

(嫌いなところばかりいやがって、いいところもあるのを見ないふりをしてはいけない、か……?)

 そんなことを考えているうちに長月の呼吸はすっかり元通りに整っていた。そして、望月もそのことに気づいたか、こんなことをつぶやいた。

「じゃ、そろそろいいかな」

 なにがだと問おうとした長月よりも早く、望月によって長月の両手がつかまれた。今度はなにをするつもりだと思っていると、次には長月はその場に押し倒されていた。

「な……?」

 さらには、驚いている間に、腹の上に馬乗りにまでなられてしまった。つかまれた両手は、頭上の地に押しつけられている。

「これはいったい、なんのつもりだ」

 せっかく見直したと思ったばかりの望月の行動に、長月は声を鋭くする。だが、望月は失意を感じさせるその声音に、気をよくするばかりだった。

「うんうん。長月ってば、やっぱり澄ました顔から情けない顔への落差がいいと思うんだよね」

 図られたらしいと気づいたときにはもう遅かった。

「放せ。私はもう帰らせてもらう」

「だーめ」

 拘束をふり払おうともがいたが、力の入りづらい姿勢を取らされているために望月の体はびくともしなかった。

「おとなしくしてなって。こっからは、いいことしてあげるから」

「いいこと、だと……?」

 逃げられないようにして意地の悪そうな笑みを浮かべる望月を見て、どうしてそんな言葉が信じられるというのだろうか。しかし、それがうそだろうと本当だろうと、今の長月に拒絶する術などないのだった。

「そう、いいこと。長月にいやな場面ばかり覚えてられても、今度から警戒心ばんばんで面白くなさそうだから、今日つきあってくれたご褒美もあげないとって思ってね」

 この状態から、どうすれば警戒を解けるようになるというのか。それに、その他にも聞き捨てならないことがあった。

「今日だけでなく、また私をつきあわせるつもりなのか。ただでさえ、訓練や指導の時間を削らされてるというのに、この上……むぐぐ」

 抗議していると、望月に手で口をふさがれてしまった。

「あーもう、長月はいちいちうるさいなあ。黙ってあたしのしたいようにされてればいいの」

 そう言いながら、望月の顔が首もとへと落ちてくる。

(く、来るな……!)

 間にあごをはさんで止めようとしたが、口をふさぐ手に押さえつけられて、ほとんど顔を動かすことはできなかった。それどころか、軽く顔をのけぞらされ、近づいてくる望月の顔を視界の端でながめているほかなかった。

 ぴとりと、湿った感触があごの裏に当てられる。その生温かい感触が望月の舌だとわかると、長月はぞわりとおぞけの走る感覚を覚えて身をすくめた。

(首をなめるなんて、きたならしい……)

 そんな長月にもおかまいなしに、望月は嬉々として告げてくる。

「長月の首、やわらかいね。思いっきりかんだら、かみちぎれちゃいそうなくらい」

(冗談……だよな?)

 長月は、望月に生殺与奪の権すら握られてしまっていることにようやく気づき、恐怖に身をこわばらせた。この基地島においてめったなことができるものではないだろうとわかってはいるが、それでも大丈夫だと確信できるほどに長月は望月のことを理解しているわけではなかった。

「長月、こわいの? 体、ふるえてる。なんだかひと思いにやっちゃいたくなってくるなあ」

(お願いだから、やめてくれ……!)

「だから、暴れないでって。加減を間違えても知らないよ?」

 望月はもがく長月を軽くいなすと、ふたたび首筋に舌をはわせてきた。ぺろりとなめたかと思うと、くちびるで軽くついばまれ、それらに長月が反応してぴくっと身をふるわせるたびに笑い声を漏らされる。

「長月、どう? どんな感じ?」

(気持ち悪いだけだ……)

「ふふ……。今度はいつまでもつかな?」

 先ほどくすぐられた余韻か、望月がしゃべるたびに吐息が首筋をなでていってくすぐったい。そのせいで、意志に反して体がふるえを発してしまいそうになる。それをこらえるために長月は目をつぶって歯を食いしばったが、それはかえって望月の舌の感触に神経を集中させてしまう結果となった。

(うう……ぞわぞわして……けど、あたたかい……)

 望月の舌になぞられるたびに、肌が粟立つような感覚が走っていく。

 あたたかい感触は、首もとからあごへ、ほおへと行ったり来たりを繰り返しながら、だんだんと場所を移していった。

(気色わるい……はずだが、なんだ……これは……?)

 ぞわりと走る感覚に対して、いつしか長月は嫌悪だけでない感情を抱きだしていた。それは、同時に感じるくすぐったさによるもののようでいて、しかし笑ってしまいそうな感覚とは異なるものだった。

「だいぶおとなしくなってきたね。じゃあ、ここでお待ちかねの……」

 望月がそう言うやいなや、口をふさいでいた手が離され、代わりにやわらかい感触がそこを訪れた。

(これは……?)

 目を開けると、鼻先がふれあいそうな距離でこちらを見つめる望月と目があった。望月は、驚きに固まる長月を見てにっと目を細めると、長月のくちびるをゆっくりとなめあげていく。くちびるの下側をねぶり、上側をなぞり、そうしてひととおりくちびるがたどられると、今度はその舌は、長月の口の中に押し入ろうとしてきた。

「な……何をしている!?」

 ようやくはっと状況に気がついた長月は、かみつかんばかりの勢いで望月に抗議した。しかし、その動きは予測されていたようにあっさりとかわされてしまい、ただその感情的になった反応を面白がられるだけに終わった。

「長月ってば照れちゃって……」

 そう言いながら、額を押さえられ、ふたたび頭を地につかされる。その望月の楽しげな顔がいらだたしくてならなかった。

「どこがだ! もうたくさんだ。帰らせてくれ!」

「そんなこと言ってさ、長月だって期待してるくせに」

 そんなわけあるか。そう思うのだが、素早く鼻先に押し当てられたあたたかい感触に、長月はうっとその言葉を飲みこんでしまった。さらに、両目を覆われ、ふたたびくちびるをついばまれると、じんわりとした感覚に、なぜだか怒りはどこかへ消えていってしまうのだった。それどころか、長月の体は望月の舌を迎え入れるように勝手に口を開いてしまう。

「ほら。本気で抵抗してこない」

 ささやかれた言葉にも、羞恥が先に立つばかりだった。

(こんな……無理やりされて。いやなはずなのに……)

 そう思うのだが、口内をなぞられ、舌を絡められていくうちに、不快でない感覚を抱いてしまっている自分がいることに気づかないわけにはいかなかった。

「ねえ……長月……ちゅっ……どんどん真っ赤に……なってくよ……れろ……今……なに考えてる……のかな……?」

(おまえに……腹を立てているんだ……)

 そのはずだと、長月は思った。逃げられないようにつかまえられて、望んだわけでもない感覚を与えられて、怒らないわけがないではないかと。だが、怒りよりも羞恥に染まる顔を望月に指摘されたことが、長月にはたまらなく恥ずかしかった。

 そして、そんな気持ちも、だんだんぼんやりしてくる頭の片隅へと、徐々に追いやられていくのだった。

「はー……ちゅふ……望月……はー……なんだか……はむ……はー……おかしく、なっ……はー……」

 顔を離すことなく続けられる深いくちづけに、長月は呼吸もままならず、息を荒げていった。息があがればあがるほど強まっていく、体中がしびれるような感覚に包まれていき、あらがう気力もすっかり失われていった。

(これは……なんだ……?)

 このままだと自分の体になにかおそろしいことが起こる。そんな予感に身をこわばらせていると、望月はようやくくちびるを離してくれた。

「……長月、どうだった? 気持ちよかった?」

 そうして、そんなことを聞いてくる。長月は、自分が抱いた感覚を認めてしまうのがこわくて、ぷいとそっぽを向く。

「はー……はー……そんなわけ……はー……あるか……」

 しかし、羞恥以外にも顔を赤くさせておきながら望月の目にそれを隠すことなど、長月には無理だった。

「ふふ。そんなこと言っちゃって……」

 また下りてきてくちびるを食みだした望月の口に、長月は期待をこめて口を開いた。しかし、その瞬間に顔をひっこめられ、軽くつきだした長月の舌だけがむなしくその場に取り残されることとなった。

「ほら。自分からこんなことまでするようになっちゃうんだから。長月ってばほんと可愛いよね」

「……う、うるさい」

 いつの間にか放されていた両手を使って望月に殴りかかるが、ただの照れ隠しだということはもうごまかしようもなかった。

「ごめんごめん。もっかいしたげるから、機嫌直してってば」

 そう言われると、それがほしくてむくれていたようで恥ずかしかった。

 けれど、入りこんできた舌にまた自らを絡み取られ、望月のやわらかい感触を感じているうちに、そんなこともどうでもよくなってしまうのだった。




(思えば、あれがあったから、私は望月に気を許しているのだろうな……)

 あれから、望月には任務における助言を求めるうちにあれやこれやと手伝いまでしてもらうようになり、長月はすっかり望月の世話になりっぱなしになっていた。頭打ちになったかと危惧していた実力も、少しずつ上向きの気配が感じられる。それだけでも、望月のことを頼りにする理由としては十分だっただろう。

(けど、やはりあの……ふわふわと頼りない感覚に包まれる感じ。あれをこそ、望月に期待せずにはいられなくなってしまった……)

 長月はきゅっと胸の前で手を握りしめる。

 あの日から、長月は何日かに一度、休暇を取って望月と過ごすようになっていた。そしてそのたび、望月の思うままに翻弄されてしまうのだった。

(どうして、望月にされるとあんな気分になってしまうのだろうな……)

 あのあと、一度だけ自分で自分の体にふれてみたことがあったが、望月にふれられているときのような感覚が得られることはなかった。それだけに不思議でならない。

(今ならば、感覚はつかめてきたはずだが、どうだろうか……?)

 長月は、自らの体にそっと手をはわせてみる。望月にされて気持ちよかった部分にふれ、軽くなでたりつまんだり。しかし、どれだけそうしてみようと、やはりあのぞわぞわとする快感は得られなかった。それどころか、比較しようとしたことで望月にされたときの感覚を思い起こしてしまい、まるで満たされない感覚に、長月はどうしようもない気持ちがこみあげてくるのを覚えた。

(やっぱり、望月じゃないとだめなんだ。望月が、いないと……)

 けれど望月はもう寝入ってしまった。それが悲しくて、涙まで浮かんできた。

(また、望月になぐさめてもらいたい……)

 そう思い、身を起して望月の寝台に向かおうとしたが、そのときに立ててしまった物音にほかの仲間たちが反応を示す気配がして、今はだめだと判断せざるをえなかった。

(明日までがまんすればいいんだ。そうすれば……)

 明日は何度目かの、望月と過ごす休暇が予定されている日だった。そのときに、思いっきり甘えればいい。そう考えて、この晩はじっと自身の感情をやりすごそうとした。

(だけど、冬の夜は長いんだ。なあ、望月……)

 そうして、長月は一人、静かにすすり泣く声をこらえながら夜が明けるのを待った。




 望月は夢を見ていた。

「ねーねー長月、ちょっとこの服着てみてくれない?」

 そう言って、望月はとある服を長月に差し出す。いぶかしげに手に取った長月は、それがなにかに気づくや、驚きの声をあげた。

「なんだ……って、これ、雪風の服じゃないか!? 替えが一着なくなったって騒いでいたが、おまえのしわざだったのか……」

「ま、いいからいから。ちょっと着てみてよ?」

 それは、前の日に唐突に思いついたことだった。夢の中のできごとだが、望月の中ではそういうことになっていた。ふっと、長月に普段着ない服をを着せてみたらどんな反応をしてくれるだろうと、そんな考えが浮かんだのだ。

(長月ってば、黒い服の印象が強いけど、白も案外合うと思うんだよね)

「よくない。さっさと返してこい」

 長月がすんなりうんと言ってくれそうな気配はないが、それは想定の範囲内だった。

「えー? こないだ演習で勝ったから、なんでも一つお願い聞いてくれるって話だったじゃん?」

「そ、それは、おまえが勝手に言いだしたことだろう。私が承知した覚えはないぞ」

「でもさ、だめだとも言わなかったよ?」

「た、確かにそうだが……だからって、いくらなんでもこの服は……」

 こんな取ってつけたような言葉にも動揺してくれるのだから、長月は可愛いと思う。それを着た自分の姿を想像してしまったのだろうか、手に持つ服と望月との間で視線を行ったり来たりさせる様子に、望月は笑み崩れそうになる表情をなんとかこらえながら、まじめな顔をとりつくろって言う。

「いくらなんでもってのはないでしょ。それは雪風の制服なんだよ? それを恥ずかしがるってことは、長月は雪風のことも恥ずかしいやつだと思ってるってことなの?」

「そんなことはない! そんなことはないが……こんな、足がまる見えになる格好はどうにも……」

 顔を赤らめながら、だんだんと声を小さくしていく長月の姿は、ふだんの凛々しさがまるで感じられない、弱々しいものだった。その姿に望月は満足の吐息をもらすと、そのあたりで長月にも助け舟を出すことにする。

「どうしてもできないっていうなら、まあ、いいよ? 代わりにさ……」

 そう言って、望月はあらかじめ用意しておいた別の服を取りだした。

「これは……睦月の?」

「そ。こっちはちゃんと睦月に頼んで借りたんだよ? 長月が着たがってるってことにして」

「お、おまえ、なんてことをしてくれたんだ……」

 胸ぐらをつかまんばかりにつめよられるが、そのあわてた表情が可愛くて、望月はとうとう笑いださずにはいられなかった。長月からは笑いごとじゃないとますます表情を険しくされるが、それすらも、望月には楽しくてならなかった。

「あっはっは……。だいじょぶだって。『睦月の服に目をつけるとは、長月もなかなかお目が高いのです』って、深く事情も聞かずに貸してくれたからさ」

「それは、大丈夫というのか……?」

 こちらが譲る気がないと察してくれたのか、長月は肩を落としてうらめしそうに見つめてきた。問題ないと根拠もなく言ってみせると、長月の目はあきらめを映しながら、そのまま望月が手に持つ睦月の服に向けられた。

「で、長月? 結局、着てくれるの?」

「ちょ、ちょっとだけだからな!」

 うながしてやると、長月は差し出した服をひっつかんで部屋の隅へと向かった。

「着替えくらいべつにそんなところでしなくてもいいじゃん」

 そう声をかけてみるのだが、うるさいと一蹴される。気分の問題なのだろうと気持ちを納得させると、自分の寝台にごろりと横になり、ものかげでごそごそと音を立てる長月の着替えが終わるのを今か今かと待ち受けた。

 そうして、数分がたっただろうか。

「も、望月。できたぞ……」

 ようやく長月から声がかかった。そうして、着替えた長月をふり向いた望月は、思わず声をあげた。

「へー……」

 睦月の服は、考えていたほどには長月に似合っていなかった。しかし、いつもの黒い服ならば落ち着いた雰囲気が感じられるところ、白を基調に緑の襟やスカートが合わさった服だと、所在なげにおどおどとしたしぐさとあいまって、長月にどこかあやういかわいらしさすら感じさせられるのだった。

「な、なにか言ってくれ……でないと、気まずくてしかたがない」

 上目づかいになりながら恥ずかしげに聞いてくる長月は、自分がどう見えているのかがわかっていないのだろう。

(これは……ほかの人たちには見せられないよね)

「うんうん。すっごくかわいい。さすが、あたしの目に狂いはなかったね」

 そう言って、ひとりうなずくと、そのまま長月を寝台に腰かけさせる。

 座ったその姿をながめながら、次にはまたどんな口実を見つけてほかの人の服を着てもらおうかと考えていると、長月が懇願するような目を向けてきた。

「なあ、もういいだろう? ふだん着なれない服はどうにも落ち着かなくて……」

 その言葉にはっと我に返った望月は、本来の目的がまだだったことを思い出した。

(そうそう。見てる分にも楽しいけど、なんでこの服を着せたかっていうと……)

 片手で長月の肩をつかむと、もう片方の手を服のすそから差し入れた。

「い、いきなりなにを……?」

 とまどったような声をあげる長月の反応が期待どおりで、望月は楽しくなる。

「ふだんのあたしらの服って、ベルトがあるからなかなかガード堅い感じじゃん? けど、それ以外の服ならさ……」

「おまえ、初めからそのつもりで……ひゃっ!?」

 ようやく気付いたようだが、もう遅い。望月の手を押しとどめようとしたらしい長月だったが、差し入れた手で素早く胸にふれ、そうしながらくちびるも奪ってやると、すぐにその抵抗も弱まっていった。

「いつも……いっつも……こんな、不意打ちみたいに……して……」

 しばしして、くちびるを離すと長月は息を荒げながらそんなことを言ってきた。

「長月がすきだらけなのがいけないんだよ?」

「うるさい。おまえなんか、嫌いだ……」

 快感に顔をゆがめながらきっとにらみつけてくる長月を見ると、望月はその顔が見たかったんだとうれしくなった。けれど、それだけではまだ足りなかった。もっと見たい。意地を張る長月の心が押し流されていく瞬間が見たいと、ますます意地悪をしたくなっていく。

「じゃあ、今日は、長月があたしのこと好きって言ってくれるまで続けよっか?」

「そんな……」

 その言葉を口にする恥ずかしさと、快感に翻弄される恥ずかしさとの間で迷いはじめる長月の気持ちが手に取るように伝わってきた。

「それまでに、どれだけ可愛いところが見れるかな?」

 笑いかけてやると、長月の顔に期待と恐怖を混じった表情が浮かんだ。その顔がさらにゆがんでいくのを想像しながら、望月は長月の体に手をはわせていった。

 そのとき、望月はどこからか自身の名を呼ぶ声を聞いた。


「望月、起きろ。起きてくれ」

「うーん……?」

 体がゆさぶられる感覚に、望月は目を覚ました。しかし、つい先ほどまで見ていた夢と現実との違和に、頭はなかなか追いつかない。

「ここは……?」

 寝ぼけて今の状況がつかめず、望月は誰にともなくつぶやいた。すると、誰にともなく口に出した言葉に返ってくる答えがあった。

「望月、朝だ。起きてくれ」

「長月……?」

「そうだ、私だ」

 ぼんやりした目つきを向けた先にいたのは、ここ最近お気に入りの相手だった。夢に見たような睦月の服を着ていることもなく、表情も乱されてはいない。そんな長月を見ているうちに、だんだんと望月の頭もはっきりしてきた。

「あぁ、夢……。長月、いま何時?」

 そうして帰ってきた答えに、望月は初め、聞き間違いを疑った。しかし、聞き直しても答えに変わりはなかった。

「まだ朝食の時間じゃん……。もっと寝かせてよ」

 望月はうらみがましく長月を見つめた。すると、長月はむしろこちらを責めるような表情をみせた。

「今日はおまえといっしょの休暇の日じゃないか。それなのに、おまえときたらいつまでも起きる気配すらない」

 初めはこちらから口実を作ってひっぱりだしていたというのに、今ではすっかり長月のほうが乗り気になっているらしい。体を起こしただけでそれ以上動き出さない望月からせっせと服を脱がして着替えまでさせてくれようとしている。

(まあ、それ自体はいいんだけど……)

 ただし、それで至福の朝の眠りがさまたげられたと思えば、喜んでばかりもいられない。

「あのさ、長月。こないだもそうだったけど、こんな朝も早くから起こすのは勘弁してよ」

 以前の休暇の日は今日よりもさらに早く、みなが起き出したすぐあとに起こされた。あせったような長月の声になにか緊急事態でも発生したのかと飛び起きたがそんなことはなく、そのうえまだ朝食の時間にもなっていないとわかると、望月はどっと押し寄せた疲れと眠気に任せてふたたび眠りにつこうとした。しかし、それはすぐさま長月にひき止められてしまった。むっとした望月が無視して寝ようとすると、今度は長月はこちらのふとんの中にまでもぐりこんでこようとした。驚きのあまりとっさにけりだしたのだが、それもあって眠気はすっかり吹き飛んでしまった。しかたなくそのまま起きることにしたものの、その日は終始、眠くて眠くて大変だったと記憶している。

 それを思い出して抗議してみるが、長月はどこ吹く風だった。

「なにを言う。おまえがふだん起きるのが遅すぎるだけで、そもそも起床時間はもっと前なんだ。この機会に生活を改めたらどうだ」

「うるさいなあ。あたしはゆっくり寝ないとすっきりしない体質なの」

 そうも主張するが、長月がふたたび望月を寝かせてくれようとする気配はなかった。

「それは聞いたが、私だってこの休暇の日をどれほど楽しみにしてきたか。おまえが寝ている間にもその時間はどんどん過ぎていくんだぞ」

 そう言われる合間にも、長月に着々とふだんの服を着せられ、寝起きでぼさついた髪をすかれていく。望月自身はなにもしていないにもかかわらず、長月の手によって身支度はしっかりと調えられていった。

(なーんか、調子狂うなあ……)

 それは、望月にとってどうにも気持ちの晴れやらぬ寝起きであった。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 文字数制限に引っかかったため、いったん区切ります。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月09日

艦これ、3-2トライ成功。北方海域ならびに西方海域攻略進行中

 以下、今回はちとちよです。以前のちとちよ回でもう改二になってると書いたんですが、改二になるころにと考えてたラストということもあり、航改状態で始めてます。当初は実際のプレイ状況とフィクションの割合は七実三虚くらいのつもりで考えてたんですが、今やすっかりその逆以下になってる感が……。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「お、千代田ぁ、そこの席空いてる?」

「ええ。どうぞどうぞ」

 西の空に日が落ちると、基地には徐々になごやかな空気が流れだす。それは、ぴりぴりとした日中のものとは違い、同じく活気はありながらもそれ以上に明るい声に満ちたものだった。

 気のゆるみの許されない昼間はがまんしていた話題を披露する者、任務で別行動になっていた仲間とその日あったできごとを話しあう者。今日の戦果を自慢げに話している声、仲間の失敗談を暴露して笑いを誘う声。さまざまな声と話題が飛び交うが、それらは一様に生の実感にあふれている。また一日、命を明日につなぐことができる。その思いが確かな安堵となって口数を増やさせる。

 よほどの不注意がなければ命を落とすことはない。これまでの経験からそう思えてきてもいるが、自分たちが命のかかった任務に従事していることは変わりがない。まだ生きている。そう感じられることがどれほどの安心感をもたらすか。

 出撃任務のときはもちろんだが、基地島で過ごす日中の時間も、少女たちはぴんと張りつめたような緊張感を要求される。訓練や装備の点検など、すべてが次なる戦場での生死に直結してくるからだ。

 なかには、要領よく手の抜きどころを覚えている抜け目のない者もいる。むしろ、そういった点は経験知として仲間たちの間に広まっていると言っていい。そうでなければ精神的にまいってしまう者が出ていたことだろう。だが、どうしても半端に済ませてはいけないところというものも存在する。

 たとえば、索敵の訓練がそれだ。

「千代田ってば、哨戒から帰ってきたと思ったら休憩もせずにすぐに訓練始めてたみたいだけど、なに? また悩みごとでも?」

 そう千代田に声をかけたのは、向かいの席に座った飛鷹だ。

「お、そうなのか? 言ってみ、言ってみ? あたしらでできることなら力になるからさ」

 千歳ほどには役に立てないけどと続けるのは、そのとなりに着いた隼鷹だ。

 唐突な言葉に千代田はきょとんとするばかりだったが、二人からは冗談めかしながらも親身になって心配くれている様子がうかがえた。少し前に、ちょっとした悩みから袋小路に入ってしまったことを覚えているためだろう。当時は二人にも迷惑をかけてしまったが、仲間たちもいる前で自分の気持ちをさらけだしたことで、今ではこうしてささいなことでも気にかけてくれるようになった。そのことをありがたく思いながら、千代田は首を振る。

「ううん。違うの」

 もうあんな焦りは抱かない。その自信が今の千代田にはある。頼れる相手がいるからだ。千歳はもちろん、他にも何人も。

「知ってるみたいだけど、今日、哨戒任務に出たの。それで、戦果自体は悪くなかったんだけど、最後に遭遇した敵の潜水艦群をまた見落としちゃってて。最近それが多くて、私ってまだまだだなあと思ったから、イムヤとゴーヤに頼みこんでみたの。まあ、あんまり納得いく感じにはならなかったんだけど」

 それを聞いた二人は安心したように肩の力を抜いた。

「千代田はまじめだなぁ。あたしなんて、潜水艦相手の索敵ならどっちにしろ返り討ちにできるしって、わりきってるからさ」

「というか、それも絶対、『千歳お姉ならこれくらいはできるはず』って思ってやってるでしょ。どんだけ高いのよ、あなたの理想は」

 千代田はそれに対して困ったような表情をするしかできない。確かに、目標とする千歳の姿を過大に設定しているきらいがなくもないと、自身でも思う。けれど、調子のいいときの千歳の機動部隊なら本当に潜水艦隊を目視で見つけつくすくらいやってのけると知っているから、その姿が脳裏に焼きついているから、千代田もそんな姉に並び立つにふさわしくあるためにと、その水準を目指さないわけにはいかないのだ。

 それに、と千代田は思う。

 索敵の成功失敗は仲間の負傷の多寡と直接的にかかわってくることだ。戦場において、相手よりも早く敵影をとらえることはその後に続く戦闘を有利に導くことにつながる。逆に、敵に先んじられてしまえば、迎撃態勢を取る間もなく一方的に攻撃を受けることにもなりかねない。

 その思いから、千代田はおずおずと自分の意見を口にしてみる。

「でもね、今日の任務では運よく味方に被害は出なかったけど、この基地に所属してから間がない人を連れていくときとか、一度の失敗が即大破につながりかねないじゃない?」

「そうは言うけど……目視で海の中を探るのにはやっぱり限界があるでしょ?」

 答える飛鷹はどこかあきれ顔だ。

 けど、と千代田はくやしさをにじませる。

「けど、今日はその失敗のせいで敵を二隻も取り逃がしちゃったし……」

 無傷ですべての敵を撃破する。それが理想論だとは、千代田もわかっている。だがやはり、難度がそれほど高くない任務だとわかっているだけに、そこで達成できなかったときはすっきりしない気持ちになる。

「まぁ、ほれに備えへ後ろの部隊がいるわけらしさぁ、気楽にいほうへ? な?」

 煮つけの大根をほおばりながらの隼鷹の言葉に、千代田はどっと体の力が抜けるのを覚えた。

(過ぎたことをあんまりぐちぐち言ってもしかたないか)

 千代田は大きく息をつく。実際、今日の任務では大した被害は出ていないのだ。自由時間にまでぴりぴりとしていては身がもたない。千代田は気持ちを切り替えて食事を楽しむことにした。

 そうして千代田が食事を終えようとしたころ、隼鷹が思い出したように口を開く。

「哨戒任務っていえば、ひと月くらい前だったかなぁ、報告に行った木曾に聞いたんだけど、提督、これでまた勲章がもらえるとかなんとか、言ってたみたいなんだよなぁ」

「勲章? 何のこと?」

 千代田は提督が独自に指定した教導艦の一人として、わずかにだが、執務室を訪れる用事に乏しいほかの仲間よりも多くの情報に接する機会がある。しかし、そこで見聞きしたことの中にも、勲章などというものは存在しなかった。まして、提督がその勲章を身に着けている姿も、目にしたことはなかった。疑問に思い、口に出した隼鷹に聞いてみるが、彼女自身も詳しいことは知らないらしい。

「いやぁ、そのときはそれよりも気になったことがあってさ……」

「何かしら?」

 尋ねるような口調の飛鷹だが、にやりとした表情から、おおかたの察しはついているらしい。わからない千代田は隼鷹の答えに耳を傾ける。

「提督が勲章をもらえるっていうならさぁ、あたしらにだってなにかご褒美があってもいいと思うじゃんか? それを木曾に聞いてみたら、なんにもないっていうんだよ。けちだよなぁ、提督ってば」

 酒の一本や二本も期待したのにという隼鷹らしいぼやきに、千代田はまたしても脱力を覚えた。

「待って、隼鷹。確かあなた、その晩はたんまりお酒を飲んだはずでしょ?」

 それのどこに不満があるのかと指摘する飛鷹にも、隼鷹は提督秘蔵の酒を飲みたかったとこぼす。その二人のたわいのないやりとりがおかしくて、千代田は笑いをこらえられなくなった。

「それ、よさそう。今度上々の戦果をあげたら、提督にそのお酒をねだってあげるわ。もし本当にあるのならだけど」

「お、期待してるからな?」

 任せといてと言葉を残し、千代田は手を合わせて席を立つ。

 そのまままっすぐ流しに向かい食器を置く。そこで、ちょうどその場に居合わせた仲間から声をかけられた。

 赤い襟の水兵服と朱袴めいたスカートを身に着け、腰ほどの長さの青黒い髪を二つにしばった軽巡洋艦の少女、五十鈴だ。

 彼女の口調はおそるおそるといった様子だった。

「ねえ、千代田……」

 なにか重大な話なのだろうか。

「なに、五十鈴?」

 千代田は口ごもる彼女に話を促す。ここでできない話なら、どこかに場所を移そうか。そう口にしかけたとき、五十鈴はようやく続きを話しだした。しかしそれは、千代田の首を傾げさせるに足るものだった。

「千代田……。あなた、千歳とは、その……仲良くやれてるの?」

 なぜ、今そんなことを聞かれるのか。千代田にはわからなかった。少し前にけんかじみたすれ違いを演じもしたが、それはすでに解決済みだ。その後、なにか千歳との関係がこじれるようなできごとがあったとは、千代田自身の記憶にはなかった。

「いつも通り。良いか悪いかで言ったら仲良く過ごせてるわ。ほかの人たちと比べたことがないから、仲の良さの度合まではよくわからないけど」

「そう……それならよかったわ」

 とりあえずと答えてみると、五十鈴はぽつりとそう言った。

「ねえ、なんで……」

「じゃ、じゃあ、私はこのあと、出撃の準備もあるから」

 こちらからも聞いてみようとした千代田から逃げるように、五十鈴はそう言ってそそくさとその場を去ってしまった。質問の意図が知りたかったのだが、それを問う暇も与えてくれなかった。

(いったいなんだったの?)

 不思議に思うが、考えてもまるでわからない。部屋に戻る前に、飛鷹と隼鷹にも、こんなことがあったんだがと聞いてみたが、二人とも心当たりはないとのことだった。

 千代田は釈然としない気持ちを抱えながら自室への道についた。




 その頃、千歳は部隊を組んだ仲間たちとともに夜の港に帰り着いていた。

「ねえねえ、今日の食事当番がお菓子用意してくれてるはずだから、部屋に食べに来ない?」

「行く!」

 陸に上がったとたんに、解散後の楽しみを話しだす仲間に、千歳は顔をしかめて声を飛ばす。

「そこ、しゃべってないで整列する」

「は、はい!」

 注意された仲間たちはぎくりと返事をして列を作る。点呼完了を受けて、千歳はようやくよろしいと首を縦に振った。

「皆、哨戒任務おつかれさま。損傷は誰も軽微だから、ドック入りを指示する子はいないわね。それじゃあこのまま解散するけど……その前に、一点」

 そう言って、千歳は仲間の一人の前まで動き、足を止める。明かりに乏しい暗闇だが、千歳にはその仲間がわずかに目をそらしたのがわかった。

「あなた、今回遭遇した三個目の敵潜水艦隊との戦いで、攻撃をし損じたわよね」

「はい。申し訳ありません」

 素直にそう返す仲間に、千歳は軽くうなずいて言う。

「難しい位置取りだったからしかたないとは思うわ。けれど、あなたにはできることだったと思うから。次はしっかりできるよう、気をつけなさい」

「はい。ありがとうございます」

 千歳は残る二人の仲間にも目を向けて言う。

「ほかの二人はよくやってくれたわ。戦果は上々。次に部隊を組むときにはまた今回みたいな活躍をよろしくね。それじゃあ、改めて、これで解散とします」

「ありがとうございました!」

 ひきしまった、けれどどこか喜びを含んだ仲間たちの声がそろった。


「以上が今回の出撃任務の報告です」

 そう言って、千歳は提督を、さらにはその周りの執務室の模様を視界に収める。

 提督が手元で書きつけている書類の下、執務机の上にかけられている布は深い青色の布地。執務机の下を通って千歳の体のうしろ、入り口の扉近くにまで広げられているじゅうたんも深い青。窓にかかるカーテンも青。どこも同じ色で統一されている。

 そろそろ秋から冬になろうとしている季節柄、寒々しさも感じてしまうが、提督自身は理知的な雰囲気を出そうとしているのだろう。なにせ、就任後まもなく、自ら手がけた模様替えだ。いつまでもみかん箱が置かれっぱなしだった前の提督時代よりはずいぶんましになったと感じられる。

 しかし、と千歳は思う。

(どれだけたっても似合って見えないのよね……)

 身だしなみに気を使っていないわけではないのだろうが、どうにも風采が上がらなく見えてしまう。飾り負けしているとでも言うべきだろうか。むしろ線が細く見えてしまって、頼りなさをいや増している。

(ひげでも生やしてみたら少しは威厳が出るのかしら)

 想像してみたが、喜劇俳優のような顔つきしか浮かんでこず、千歳は笑いの発作をこらえるのに必死にならなければいけなくなってしまった。

 その間、提督はそんなことを考えられているとも知らずに書類の上でさっさかペンを動かしつづけていた。

 そうして、満足げにひとつうなずくと、にこやかな笑みとともに顔を上げた。

「さすがは千歳さん。期待通りの……いえ、それ以上の活躍をしてくれましたね。この調子で明日の出撃も頼みますよ」

 そう告げる提督の調子は、上機嫌を通り越して浮かれているようにすら見える。千歳はその様子にため息をこぼしそうになるが、なんとかがまんする。

「はい、ありがとうございます。それから、提督、以前にも言いましたが、私たちに対してそのような丁寧な口調は必要ありません。もっといかめしく……とまではもう言いません。せめて上官らしく堂々と指示を申し渡してください」

 このやりとりも、もう何度目だろうか。数えるのもいやになるほど苦言を呈していることを思うと情けなくなってくる。そして、その威厳のなさに苦情を述べるとこちらの顔色をうかがうように申し訳なさそうな顔で謝られて、けれど次に会うとなにひとつ改まっていないのだ。

 そんなやりとりを繰り返していると、千歳としてもあきらめの境地に達してくる。まるで期待していないが、言わないとまるでそれを認めたように受け取られかねないので、とりあえず口に出すだけ出してみる。そんな心境だ。

 しかし、今日の提督の反応はやや違った。

「そういえば、千歳さんには話しましたっけ? 私があなたたちにしかつめらしく向き合わない理由を」

 千歳はその展開に内心とまどいながらも、記憶を探る。

(そういえば、千代田がそれらしき話を聞きだしてたような。何て言ってたかしら。あれは、そう……)

 そうして、思い出した提督の話を手短にまとめて口に出す。

「……確か、妹さんにしつけられたと、そううかがったように思いますが」

 それを聞いた提督は押し殺したような笑い声をあげはじめた。

「『しつけられた』ですか……。そこはもう少し言葉を選んでほしかったところですが……うん、言い得て妙ではありますね」

 提督はしばらく笑いがおさまらない様子だったが、千歳にとってはなにも面白くない。わかっていながら改めようとするそぶりも見せないのかと思うと、腹の一つも立ってくる。

 やがて提督の笑いがしずまってきたところで、千歳はせき払いをしてまくしたてる。

「開明的な妹さんに紳士的教育を施されたと……ええ、その話はうかがっています。そのご意見にも賛同できるところはあります。ですが、上下関係をはっきりさせるべきところでできないのは、組織としての弱さにもつながる問題です。その点を重々考えおかれたうえで、ご自身を見つめ直していただけたらと思います」

 そうはっきりと言ってみたのだが、提督にはどの程度伝わったものか。

「これでもいくぶんましになってきてるとは思うのですが……。それに、この基地の規律に関しては、千歳さんたちがひきしめてくださってますから」

 そう言う提督はやはりどこ吹く風だ。千代田は頭を抱えたくなった。

(提督が手をつけないからしかたなくやってるだけなのに……)

 それなのに感謝までされては、まるでわかっていないと言うほかない。しかし、それを理解してもらうためにはどこから訴えてやればいいのか。考えだした千歳だが、すぐにその思考を放棄した。どうして大の男のためにそこまでしてやらねばいけないのかと、ばからしく思えたのだ。

「もういいです。退室しても構いませんか」

 これ見よがしにため息をつきながら、千歳は言った。

「ええ、どうぞ。今晩はゆっくり疲れを取ってください」

 自嘲めいた笑みとともに告げられた退室許可に、千歳はすばやく執務室を出て、勢いよくその扉を閉めた。

(本当に手の施しようがないわ。あの提督ときたら……)

 しかしその一方で、千代田にせがまれたわけでもなく、あまり語ろうとしてこなかった身の上のことを自分から持ち出してきたりと、今日の提督の態度には違和感があった。

(それを言うなら、今日だけでなく、この半月ほどずっと……かしら)

 十日ほど前までの提督は、むしろ今にも倒れてしまうのではないかと危惧してしまうくらいに倉皇としていた。いくら頼りない提督とはいえ、欠けてしまえばなにかと困ることもある。心配した千歳は、休養を取ってはどうかと言ってみたのだが、頑ななまでに否定されてしまった。

(あれは神経のほうにきてるんじゃないかとも思ったけど……ここ数日見るかぎりでは、なんとか持ち直したのよね?)

 そう考えてみるも、それほど判断材料はない。千歳はそもそも提督のことをあまり知っているわけではないのだ。おそらくほかの仲間たちも似たようなものだろう。むしろ、千代田がときおり聞きだそうとする場に居合わせた経験からして、基地では他人より提督のことを知っている部類に入るのではないだろうか。知ってよかったと思えることなどたいしてなかったとしても。

 そこまで考えて、千歳は首を振る。

(……あの提督のことなんてあんまり考えてもしかたないわよね)

 そうして頭を切り替える。目の前の扉を開けた先にいる妹のことに。


「ただいま、千代田」

「千歳お姉、おかえり」

 部屋に入るなり発した声に、明るい声が返ってくる。声がしたほうを見やれば、こちらを見る妹の顔も目に入る。その顔は、千歳の帰りを喜ぶでもなく、別段表情らしい表情を浮かべていないものであったが。

 だが、その顔こそがなにより見たかったと、千歳は思う。千代田が千歳の帰りを喜ぶとき、それは大けがの修復をしてから帰ってきたときだ。千代田が悲しみ怒るとき、それはけがの修復もあと回しで千代田に会いに部屋に立ち寄ったときだ。任務を問題なくこなして帰ってきたとき、千代田はそれをさも当然のように迎えてくれる。千代田のその顔を見たとき、千歳は自分のことが誇らしくなる。

 そんなことを考えていると、表情に出ていたのだろうか、千代田がいぶかしげに聞いてきた。

「お姉、なんだかうれしそう。何かいいことでもあったの?」

「ううん、千代田はやっぱり可愛いなあって」

「なにそれ。子ども扱いしないでって言ってるでしょ」

「そんなつもりじゃないのよ」

「どうだか」

 とっさにごまかそうとしたが、返事を間違えてしまったらしい。千代田はすっかりへそを曲げてしまった。

(正直に言っちゃうべきかしら。でも、そしたら、私の楽しみがまた一つ減っちゃうかもしれないし……)

 千代田のことは妹として可愛いと思っている。けれど、それをあまり表に出して接しすぎると、千代田は機嫌を損ねてしまう。一度そうなってしまうと、その行為をやめるまで千代田は口も利いてくれなくなる。そうして、これまでにどれほどのことをがまんさせられることになってきたか。

 今回のことは、それには含まれないのかもしれない。しかし、なりゆきで禁止に追いこまれるおそれもないとは言いきれない。部屋に戻ってきても、千代田がそっぽを向いたままになってしまうかもしれない。

(いやよ、そんなの!)

 出撃から帰ってきて、部屋で迎えてくれる千代田の顔を目に映す。そのことが、千歳にとってどれほど、生きて帰ってこれたのだという実感を抱かせてくれることか。その瞬間を体験することができなくなってしまうとしたら、出撃に際して意気がまるで上がらなくなってしまうかもしれない。それはまずいと、千歳は思う。教導艦としても、千代田の姉としても。

 千歳にとって、前者はそれほど重要なことではないが、後者については冷静ではいられなくなってしまうほどの大問題だ。千代田は、千歳のことを目指すべき目標として憧れ、自己練磨を続けていてくれている。千歳も、そんな千代田にがっかりされない自分でありたいと、空母としては最高峰の練度に達していながら、それに飽くことなくさらに上を見すえることができているのだ。

 ここで千代田につむじを曲げられると、最悪の場合、千代田に幻滅されてしまうことにつながりかねない。

(なんとしてもごまさなきゃ!)

 千歳は必死に頭を働かせる。そうして思いついたことを端から口にしていく。

「千代田、夕食はもう食べたかしら? よかったらいっしょに……」

「いま何時だと思ってるの?」

「そ……そうね。もう時間も過ぎてるものね。じゃあ、お風呂に……」

「まだ入ってないと思う?」

「そ……そうよね。いつも夕食の前に済ませてるわよね。それなら、これから軽めの食事を取に行くから、ついでにお酒でも……」

「明日は朝から出撃が入ってるから」

「ご、ごめんなさい……」

「ねぇ……さっきから、話そらそうとしてる?」

「そ、そういえば! 急に索敵の訓練をしだしたって聞いたけど、何かあったのかしら?」

 その質問に、千代田は一つため息をついてから口を開いた。

「今日の哨戒任務、索敵の調子がいまいちだったから……」

 ばつが悪そうに語るその様子に、知らないふりをしていたほうがよかったかと、千歳は少し心が痛んだ。しかし、言ってしまったものはしかたがない。それに、このまま千代田の気をそらすこともできそうだ。そう踏んだ千歳は、この場はひとまず話を合わせていく。

「でも、それで大きな被害を出したりはしなかったんでしょ?」

「けど……もし、頑丈じゃないのを練度で補いきれない仲間がいたらって思うと……」

「それはそのときのことよ。今はそんな子いないじゃない? 必要のないときにまで気にしてたらきりがないわ」

 自身を高めることに関して、千代田はややもすると深刻になりすぎるきらいがある。以前ならそこからどんどん調子を崩してしまうこともあったが、今の千代田は違うと、千歳は安心している。こうして、聞けばきちんと打ち明けてくれるからだ。

 それに、それだけではない。

「まあ、そうかもしれないけど……。じゃあ、今度、私が訓練してるところを見ててくれる?」

「もちろんよ」

 ときおりこうして、千代田のほうからいっしょになにかしようと声をかけてくれるようにもなったのだ。千歳にはそれがうれしかった。対抗心を燃やされて、ときには反発もされていたのが、すっかり頼られるようになったと感じられる。そんな千代田になら、小うるさいばかりではない姉として接することができる。そんな二人の時間が楽しくてしかたなかった。

 そうして、千歳が小躍りしそうなくらいの喜びをかみしめていると、千代田がなにやら思い出したような顔をした。

「そうそう、お姉。さっき、食堂でお姉との仲はどうなのって聞かれたんだけど、どういうことかわかる?」

 それは、千歳には聞き捨てならない言葉だった。

 勢いよく千代田をふりかえる。千代田は、不思議そうに首をかしげていた。

「仲が良いも悪いも、最近けんかなんてしてないのにね」

 その口調も、質問の意図に察しをつけることすらできないけげんな色を示していた。

「でも、ここのところ、お姉と歩いてるとなんだか生温かい目で見られてるように感じることがあるのよね。本当に、なんでかしら?」

 まるでわからないと困り顔で告げられた千代田のその言葉に、千歳は心中で固い決意をした。しかし、それを千代田の目の前で表に出すようなことはしなかった。

「そうね……私にもまったく心当たりがないわ。これからお風呂と食事に行ってくるから、誰かに会ったらそれとなく聞いてみるわね」

 そう言って、千歳はいつも通りに見えるようにふるまいながら部屋をあとにした。


 部屋を出た千歳は、風呂でも食堂でもなく別のところに向かった。仲間たちの部屋だ。それも、同じ軽空母たちの。

 千代田にはああ言ったが、千歳には先ほどの話におおいに心当たりがあった。

(それというのも……)

 これから問い詰めに行くやつらのせいだと、千歳は思っている。

 いつ頃からなのか。正確なことは千歳にもわからない。だが、気づいたときにはそのうわさが出回りだしていた。

(千代田と私が付き合ってる、なんて……!?)

 初めてその話を耳にしたとき、千歳はめまいがするのを覚えた。どこをどう見たらそんな風に見えるというのか。ばからしく思いながらも、そうではないと、ただの姉妹関係だと、その場は説明した。そうして、話した相手も納得してくれたと千歳には思えた。だが、後日、別の仲間が同じような話をしているのに出くわしてしまった。さらに、日がたつにつれ、その話を知っているらしき者の数は確実に増えていった。

 千歳も黙ってそれを見過ごしていたわけではない。そんなうわさを耳にするたび、全力で否定して回った。しかし、うわさが収まりを見せる気配はまるでなかった。それどころか、最近ではさらに尾ひれがつきだしたようなのだ。

(私がかよわい女の子に目がない女好きってどういうことよ? しかも、千代田だけでは飽きたらず他の子たちにまで触手を伸ばそうとしてる、だなんて!? こんなの、千代田に知られたら……)

 おそらく鼻で笑ってくれるだろうと、千歳も思う。しかし、万が一、真に受けて距離を置かれでもしたら、とてもではないが耐えられない。すでに一部の仲間たちからは間合いの内に入らせないかのごとく警戒されだしているのだ。千代田にまであんな態度を取られたら、千歳は生きる希望を失くしてしまう。

(千代田がなんのことか気づいていない今のうちに、うわさを元から断っておかなきゃ……)

 そのために、千歳はこれから向かう先を目指していた。なぜなら、この根も葉もないはずの話に、以前、聞き覚えがあったからだ。

(二か月前、隼鷹たちと飲んでたときに勝手に盛り上がってた悪乗り話)

 あのとき、千歳自身はどうにでもなれと好きにさせていたのだが、そこでどんどん膨らまされていった話はここのところ出回っているうわさとそっくりなのだ。あの酒席からうわさが流れだすまでにはひと月以上の間があったはずなので、必ずしも彼女たちのしわざとは言いきれない。しかし、関連がないと考えるには、その二つはあまりにも似通いすぎていた。

 その酒席に集まっていた仲間たちと話をつけずにはいられない。そうして、まずはと、千歳は一番手近な部屋の扉を押し開けた。

「祥鳳、ちょっと話があるんだけど、いいかしら」

 だめだと言われても、千歳に引き下がる気はこれっぽっちもなかった。


「ねえ、どういうことなのか、教えてもらえるかしら?」

 詰め寄る千歳だが、相手に動じる様子はない。

「なんのことかしら? 隼鷹、なにか心当たりはある?」

「いや、あたしもなんにも」

 そう言う二人を、千歳は鋭い目つきでにらみつける。

 ここまで祥鳳、龍驤を訪ねてまわったが、二人ともそのとき初めてうわさを耳にした風であった。ならばと、最後にもっともあやしそうな飛鷹と隼鷹の部屋に来てみたのだが、この二人はうわさの存在を知っていることこそ認めたものの、それ以上の関与までは否定した。

「本当に、あなたたちはかかわってないの?」

「そうそう。まあ、そのうわさ聞いたときにも面白そうだから黙って聞いてたんだけど。やっぱ、まずかったかなぁ?」

「まずいわよ! うそだってわかってるあなたたちがそう言ってくれないものだから、妙な話が千代田の耳にまで入りそうで気が気じゃないんだから」

 千歳は頭を抱えた。どうしてこういうときに面白さを優先する仲間ばかりが身近にいるのだろうか。先に訪ねた祥鳳と龍驤も、もし今日以前にうわさを耳にしていた場合、ありそうなことだからと否定はしなかった可能性を述べてきた。悪い悪いと、まったく悪びれる様子もなく告げてくる目の前の隼鷹を見るにつけ、この基地では千代田以外に信じられる相手はいないのかもしれないと、千歳は明後日の方向に思考を飛ばしたくなった。

 そんなとき、意識を目の前に引き戻す言葉が飛鷹からかけられた。

「でも、そんなにまで必死になって否定しようとするところ見てると、何かあるんじゃないかなーとも思っちゃうのよね。ねぇ、千歳、あなたたちって本当に付き合ってないの?」

「本当よ!」

 千歳は言下に否定したが、飛鷹は疑わしげな表情をする。

「付き合ってるまではいなくても、千代田のことが好きとか、千代田から好意を向けられてるとか、そういうこともないの?」

「……あくまで姉妹としてよ」

 そう答えるまでの一瞬の躊躇を、飛鷹は見逃さなかった。

「姉として千代田を可愛がって、姉として千代田に慕われて。それだけで満足してる? それ以上の関係を期待したりしない?」

「そんなこと……」

 なんと答えていいのかわからない話題に千歳は視線をそらすが、飛鷹はさらに言葉を継ぐ。

「手をつないだり、抱きしめたり、体に触れあってみたり、したいとは思わない?」

 思わない、とは千歳には言えなかった。千代田と手をつなぐことも、千代田を抱きしめることも、何度もしたことはあるが、するたびにもっとしたいと思わされた。千代田は自立心旺盛で必要以上の接触はいやがられてしまうのだが、そんな千代田でも弱気にとらわれることはある。そんなとき、肩をくっつけあって話を聞いたり、安心できるからと同じ寝台で身を寄せあったりもした。そうした記憶は千歳にとって宝物のように貴重なものだ。そして、できることならまた何度も重ねていきたいという淡い希望も抱いている。それを求めてきたときの千代田の苦しげな様子を覚えていながら。

 だが、過去に千代田としてきたことも、これからの千代田との間にひそかに望むことも、すべては姉妹としての間柄を前提にしたものだ。少なくとも千歳にとってはそのつもりだった。飛鷹はそれらがまるで恋人たちだからこそする行いであるかのように口にしたが、それならば姉妹でありながらそんなことを行う自分たちの関係は異常なのだろうか。それとも、自分たちはすでに、一般的には恋人とされる仲になっているのだろうか。仮にそうだったとして、それを認めてさえしまえば、もっとと願う気持ちも許されがたいものではなくなるのだろうか。

 わからない。千歳にはそうした経験がなさすぎた。

「ね、どうなの、千歳?」

 重ねて問うてくる飛鷹が、なぜかひどく大人びて見えた。

「わからないわ。そんなこと……」

 飛鷹の問いに答えが出せないのが落ち着かなかった。しかし、これ以上この部屋にいると、どこまで心をかき乱されてしまうかわからなかった。

「……私、もう帰るわね」

 それだけ言って、千歳はのろのろと腰を上げる。

「ええ、それじゃ」

 当初この部屋を訪れた目的は中途半端になってしまっていたが、それを思い出す余裕すらなかった。今や千歳はすっかりそれどころではなくなっていた。


「ずいぶんゆっくりだったね」

 千代田の声に気づくと、千歳は自分の部屋に戻ってきていた。飛鷹たちの部屋を出てから、風呂に入り、軽く食事をとった……ような記憶はあるが、それは本当に今日のことなのかと聞かれるとはっきりしない。手に持つ湿り気を帯びたタオルと今は感じない空腹から、そうなのだろうと推測するばかりだ。

 そんな千歳のぼうっとした様子を見て取ったか、千代田がいぶかしむように声をかけてきた。

「お姉、どうかしたの?」

「う、ううん。なんでもないの」

 いつも通りに答えようとした千歳だったが、おおげさなくらいに体はのけ反り、声もうわずってしまった。

「なんでもないとは思えないんだけどなぁ。もしかして、さっきの話でなにかとんでもないことがわかっちゃったとか?」

 その言葉に、千歳は一瞬なんのことだったかと考えて、ようやく部屋を飛び出る前の千代田とのやりとりを思い出した。

「ち、違うの。そのことはなんでもなかったの」

「じゃあ、なに?」

 重ねて問われて、千歳は言葉をつまらせた。明かせるはずがない。先ほどからの煩悶など。

(千代田と恋人同士になるにはどうしたらいいんだろう……なんて)

 飛鷹と隼鷹の部屋で浮かんだ考えは、すっかり千歳の頭にこびりついて離れなくなっていた。そして、考えれば考えるほど、千代田との今の関係に満足していない自分がいることに気づいてしまった。

(千代田は、私の気持ちを知ったらどう思うかしら)

 そらしていた目でちらりと千代田を見る。彼女は可愛らしく首をかしげ、こちらの表情をうかがっている。

「……?」

 見られていることに気づいたのか、千代田の目と千歳の視線が交錯する。

 その瞬間に、千歳はなぜだか猛烈な恥ずかしさを覚えて、すばやくうしろを向いてしまった。

(どうしたの……? 千代田と目が合いそうになると、顔が熱くなってくる……?)

「お姉……?」

 背後から心配してかけられる千代田の声にも、ちゃんとした答えを返すことができなかった。まるで、自分の体が自分のものでなくなってしまったかのようだった。

「ほ、本当に、なんでもないの。なんだか疲れてるみたいだから、私、もう寝るね」

 千歳はなんとかそれだけ言うと、そのまま千代田の顔を見ることもできず、ひきとめようとする千代田をふりきり一目散に寝台にもぐりこんだ。




「お姉……いったいどうしちゃったのかしら」

 それから何日かののち、千代田は一人、夜道を歩いていた。船渠へと向かうためだ。

「お姉が大破して帰ってくるなんて……ううん、それ自体はときどきあることだったわ。そうじゃなくて、いつも慎重なお姉が、そんなにみんなをぼろぼろにして帰ってきたのよね……」

 千代田が明朝の出撃に備えてそろそろ眠ろうかどうしようかと考えていた夜中に、千歳の部隊は帰ってきた。ところが、それから一時間待ってみても千歳は部屋に戻ってこない。なにもなければ提督への報告後にすぐに戻ってくるのだが、大けがしたなら無理して顔を出さずに直してもらってからにしてほしいと何度も言ってある。今夜は船渠に寄っているのだろう。そう考えて見舞いのために部屋を出た千代田だったが、その道すがら、出会った仲間から、帰ってきた千歳の部隊は誰も彼もが満身創痍だったと聞かされたのだ。

(確かに、ここのところなんだかおかしかったけど……)

 千歳は通常、戦果をあげることよりも仲間に無理をさせないことを優先して指揮をとっている。そのため、大破するほどの被害を受ける部隊員は少なく抑えられ、それでいてほかの教導艦の仲間に引けを取らない戦果をあげてみせる。だからこそ、千歳は仲間たちからも深く信頼されているのだ。

(そのお姉が……?)

 疑問に思うが、その一方で千代田には思い当たる節がなくもなかった。ここ数日ずっと、千歳はなんだか落ち着かない様子だったからだ。

(龍驤たちに聞いてみてもまるで口止めされてるみたいに言葉を濁されちゃったし。それに……)

 千歳の異変はそれだけではなかった。むしろ、千代田にとってそれよりはるかに大きな打撃になっていることがあった。

(お姉、顔も合わせてくれない。なにか隠し事してるみたいなんだけど。それとも、怒らせるようなことしちゃったのかな)

 この間のなんだかぼうっとしていた夜から、千歳は急によそよそしくなったと千代田は思う。以前ならばときにうっとうしくも思うくらいに声をかけてきたというのに、必要最低限のことすら話しかけてこない。それどころか、千代田と会うのを避けるように、部屋にいる時間が短くなっていた。風呂も、食事も、時間がずらされるようになってしまった。昨日など、たまたま出くわした倉庫で話しかけてみると、あわてて逃げるようにその場を去られてしまった。

(なんで……?)

 千代田は繰り返し自問せずにはいられなかった。

(あの夜、なにかがあったと思うんだけど……)

 それが何なのかわからずにいる。くわえて、こうも思う。

(ずっと悩んでるくらいなら、私に相談してくれればいいのに……)

 それこそが、千代田を消沈させる最大の要因だった。千代田自身、千歳に悩みを打ち明けることには遠慮してしまう部分もあるが、千歳のほうから打ち明けられることがあれば、いつだって全力で相手になるつもりでいるのだ。いつも世話を焼こうとすることにかけてはこちらがいやになるほど気軽に話しかけてくるくせに、自分のことになるととたんに黙って一人でやりとげてしまう。千代田にはそれがさびしかった。

(私って、まだそんなに頼りないのかな……?)

 ここのところ、任務で失敗を重ねることはほとんどなくなった。教導艦としての役割もそれなりにこなせているつもりだ。だが、それにもかかわらず、千歳は千代田のことを背中にかばおうとするばかりだった。

(いつになったら、お姉のとなりに立てるようになるのかな……)

 うつむきながら開けた船渠わきの小屋の扉は、いつもよりも重たく感じられた。


 ついているのかいないのかもわからないような頼りない灯りの下、千代田は千歳のいる浴室へと向かう。ここに来る途中、月明かりに照らされる艦影を確かめた。ほかの艦についてはあまり自信がないが、千歳のものなら遠目でもわかる。

 のろのろとした歩みで浴室へと近づいていくと、中から姉と誰かの話し声が聞こえてきた。

(誰かしら……?)

 親しい仲間が入渠中に見舞いに来ることは別段珍しいことではない。退屈な時間をまぎらわせることから、千代田としても、姉や仲間たちが訪ねてくるのを歓迎している。任務で世話になっている千歳がぼろぼろになって帰ってきたとなれば、心配してつめかける者もいるだろうか。

 浴室の扉に手を伸ばしながらも話し声に耳を傾けていると、中から聞こえてくる仲間の声はよくよく聞きなじみのあるものだとわかった。

(飛鷹? 隼鷹を連れずに……なんて、珍しいわね)

 常にいっしょにいるわけではないが、二人は行動を共にすることが多い。隼鷹がなにかと飛鷹を連れ回しているからだ。一時期の酒びたりがすっかり飛鷹べったりとでもいおうか。そんな飛鷹が、一人で千歳の見舞いに来ている。

(何を話しているのかしら……?)

 そっと、千代田は扉をわずかにずらし、すきまから二人の様子を盗み見た。

「それで、千代田はどうするの?」

 その瞬間、耳に飛びこんできた飛鷹の言葉に、千代田は体を緊張させた。そして、

「もう、千代田のことはどうでもいいでしょ」

 続く機嫌を損ねたような千歳の言葉に、千代田は一瞬、目の前が真っ暗になった気がした。

(どうでもいい……?)

 どういう流れでその言葉が発せられたのかはわからない。だが、千歳が千代田のことをそう言ったことは確かだった。

「そんなことよりも、飛鷹はどうなの?」

「私?」

「あなた、なんだかばかに詳しいじゃない」

「知ったかぶってるだけよ」

「あなた、誰かと付き合ってるの?」

「そうかもね」

「え?」

「そうじゃないかもね」

「もう、どっちなのよ」

「そんなに大事なこと?」

「そうよ」

「秘密」

「まったく……」

 千代田が呆然としている間にも、二人の会話は進む。その中で、千歳が何かをごまかすようにしたり、いぶかしんだり、きょとんとしたり、怒ったり、きっとにらんだり、あきれたり、ころころと表情を変えるのを、千代田は見た。それらは、ここ最近の千代田にはまったく見せてくれないものだった。

(そういえば、お姉、ここのところよく飛鷹といるところを見かける気がする)

 そして、記憶を探れば探るほど、そのときの二人は、今の千歳と千代田よりはるかに親しげに接している場面ばかりが浮かんできた。今も、千歳は飛鷹になにかを求めるような視線を向けている。

(私じゃ、だめなのかな。飛鷹だから、あんな顔してるのかな……)

 考えているうちににじんできた視界に、千代田は自分が泣きだしそうになっていることに気づいた。

(なんで? お姉が誰かと仲良くしたって別にいいじゃない? 私なんかより、いっしょにいて楽しめる相手がいるなら、それで……)

 もれそうになる声を押し殺しながら、千代田は引き戸をそっと閉めた。そして、一歩、二歩と、入ってきた小屋の扉まで音を立てずにあとずさると、そこからわき目もふらずに部屋へと駆けだした。

 今が夜更けで、自分の姿を誰にも見られるおそれがないのが、千代田にはありがたかった。

(私、なんで泣いてるんだろう……)

 自分の気持ちすらわからず、千代田は涙を流しながら走った。途中何度も転び、みじめに体を土ぼこりにまみれさせた。

(お姉、私……私……)

 千代田の心はいつまでも言葉にならなかった。よろよろと自分の寝台に倒れ伏すと、その夜、千代田は一人、千歳のいない部屋で泣き明かした。




「はぁ……こんなのじゃ、お姉にがっかりされてもしかたないわよね」

 ぽつりとそうつぶやく千代田は、疲弊した体を浴槽に横たえていた。

 昨晩、千歳が修復を終えて部屋に戻ってくることはなかった。千代田は、誰にも明かせぬ悶々とした気持ちを抱えたまま、寝不足の体で今朝の出撃に向かった。

(気持ちの切り替えはしたつもりだったんだけど……)

 あまり落ち込んだ様子を見せては、なにかあったのかと仲間たちに勘づかれてしまう。なにかと心配してくれる仲間たちにいつまでもは隠し通せるものではないだろうが、もう少し自分の気持ちを落ち着けてからにしなければ、感情的になって余計に迷惑をかけてしまいかねない。そうして昨晩のことを思い出さないようにしながら仲間たちと接しているうちに、いつもの調子が戻ってきたと、千代田は思っていた。しかし、それはあくまで表面的な部分にすぎなかったらしい。

(ここのところ腕も磨けてきたと思ってたけど、そう思いこんでただけなのかしら……)

 千代田たちの部隊が向かった西方海域は、北方海域よりもさらに強い深海棲艦の部隊が押し寄せる難関の任務先だ。それでも、千歳を目指して実戦経験を重ねてきた千代田には、無理をしなければそれなりの戦果をあげられるだろうという自信はあった。しかし、それは思い上がりにすぎなかったと痛感させられた。

(簡単な任務ばかりこなしてるうちに調子に乗ってたのかも……)

 この西方海域は、昨晩、あの千歳でさえぼろぼろになって帰ってきた難所なのだ。いつもの調子でやればなんとかなるなどと、軽く構えてかかっていい出撃先ではなかった。

 そうと気づいたときにはもう遅かった。練度がいまひとつとはいえ戦艦の砲撃にもけろりとして応戦してくる航空母艦や、しとめきれずにかかりきりになってしまう潜水艦。これまでの経験がまるで通用しない敵を相手に、千代田はがたがたに崩れた味方部隊の体勢をまったく回復させることができなかった。

(どじを踏む癖は治ったって、思ってたんだけどな……)

 未知の頑強さを見せる敵にあせって、対応を変えなきゃとその場で考えようとしてあせって、考えているうちに被弾した自分にあせって、あわてて反撃しようとあせって。周りの状況を確認する余裕もないほどに冷静さを失って、統率のとれない味方をただの的のように敵に姿をさらさせつづけてしまった。

 そうして、千代田自身、多くの仲間ともども大破した艦の修復作業を受けている。

(お姉なら、あの場面をどうやって乗りきったのかな……)

 次の出撃に向けて千代田は考えようとする。だが、千歳をひきあいに出そうとしたことで、別のことが思い出されてきた。

(お姉、今日も、港に迎えに来てくれなかった……)

 千代田の胸に鈍い痛みが走る。

 千歳はこれまで、千代田のことなら、任務からの帰投予定時刻も修復の終了予定時刻も、すべて把握して港や部屋で待っていてくれた。けれど、ここ数日はそのときにすら姿を現さなくなっていた。

(お姉、やっぱり私を避けてるんだよね……?)

 これまでも、千代田のほうから千歳を避けることはあった。けんかしたときなど、別々の部屋で眠ったこともあるくらいだ。けれど、それもすべて、そんな態度を取っても千歳はいつだって自分のことを気にかけてくれているという安心感があったからだ。千代田は、そんな千歳の世話焼きなところをときにうっとうしく思いながらも、それに甘えかかっていたのだ。

 だが、今、その前提が崩れ去ろうとしている。それは、なににもまして千代田を動揺させるできごとだった。

(お姉、今どこにいるの……?)

 修復中の千代田の見舞いにも、千歳が現れる気配はない。ちょっと前までならば見られなくてほっとできたはずの情けない姿でありながら、千代田は千歳の訪れを望まずにはいられなくなっていた。

(お姉に、会いたい……)

 千代田は今、弱った心をなぐさめてくれる千歳を強く求めていた。泣きだしそうな自分をあやしてくれる千歳の姿がそばにないことに、どうしようもない頼りなさを覚えていた。

「お姉……」

 思いが口からこぼれだしたとき、浴室の扉ががらりと開いた。

 千歳が来てくれたのかと、千代田は期待した。しかし、一瞬ほころんだ笑顔はその後すぐにしぼんでいった。

「千歳じゃなくて残念だった?」

 笑いながらかけられた言葉に、千代田は恥ずかしさを覚えてそっぽを向く。

 現れたのは飛鷹だった。

「ごめんなさい。そんなに邪険にしないで」

 機嫌をうかがうようにそう言われたが、今の千代田には千歳でなければ誰が来てくれても同じだった。くわえて、飛鷹はいま一番会いたくない相手だった。

「なにしに来たのよ」

 相手の顔も見ずに千代田は言う。自分でもびっくりするくらいのとげとげしい口調だった。それほどに千代田は飛鷹に対する気持ちを持て余していた。

(そうよ。だって、しかたないじゃない)

 千代田がもっとも欲する千歳と、ここのところもっとも親密に過ごしている相手なのだ。千歳が、千代田と接するときと同じかそれ以上にも楽しげな表情を、千代田に代わって見せている相手なのだ。そして昨日、千歳が切なげな目もとをしていた相手なのだ。

(私、嫉妬してるんだわ……)

 気づいたその気持ちはまるで千歳に見捨てられたことを認めている証のようで、千代田はますますみじめな心地になった。子供っぽい意地の張りかたはやめなきゃと、思うが千代田の心は千代田の手を離れてさらにかたくなになっていく。

「大けがしたって聞いて心配したんだから」

「じゃあもうけがの具合はわかったでしょ」

 純粋に仲間を思う言葉にもつっけんどんに返してしまう。取りつく島もない答えに弱った顔をする飛鷹を見て、いい気味だと思ってしまう。

「……ねえ、千代田。さっきのでそんなに怒らせちゃった? 本当にごめんなさい。軽いいたずら心だったのよ」

 とまどいながら告げられた言葉はまるで的外れなものだったが、それがかえってわかっていながらとぼけているようで、千代田をいらつかせた。

(今の私はさぞかしいい笑いものでしょうよ)

 がまんの限界を迎えた千代田は、飛鷹をきっとにらみつける。

「昨日、見たんだから……」

「見たって……何を?」

 ぎくりとしたような飛鷹の反応にうしろめたさを見て取った千代田の感情は止まらなくなっていく。

「あなたとお姉がここで話してるの。お姉、私なんかといるときよりも断然楽しそうだった。あなたもわかってるんでしょう? それで、なに? 私が逃げられないここに自慢でもしに来たの? それとも、お姉を取られたみじめな私を笑いに来たの? どっちでもいいわ。もう結構よ。今すぐ出ていって!」

 そうまくしたてると、飛鷹はしばしきょとんとした。そののち、だんだん理解できたという表情が浮かぶとともにおかしくてたまらないというように笑い声をあげだした。

 そこに千代田をあざける様子はいっさいなかった。いかにもおかしな話を聞いて、笑わずにはいられないという調子だった。

「な、なに……なんなの?」

 ことここにいたって、千代田は自分が何か盛大な勘違いをしているのかもしれないと思えてきた。飛鷹が笑えば笑うほど、千代田は顔が熱くなっていった。

「千代田ってば、最高よ……ふふっ……あっははは……!」

 飛鷹の笑いの発作が収まるのには数分の時間を要した。そして、彼女の口から昨晩のことを聞かされると、千代田は恥ずかしさのあまり死にたくなった。




 その頃、千歳は波を切って海を進んでいた。

(千代田、今ごろどうしてるかしら……)

 警戒水域を航行しているさなかでありながら、千歳の頭はすぐにそのことばかりを考えだす。

(私のこと、怒ってないといいんだけど……)

 ここ数日、千代田のことを意識しすぎるあまり、まともに話ができないでいた。それどころか、千代田の顔を見たとたんに逃げだしてしまうことを繰り返していた。そのせいで千代田に心配をかけていることはわかっていた。けれど、すきあらばそんな千代田の気持ちすらも利用しようと考えだす自分がいて、こんな状態では顔向けできないと、ますます距離を取るようになってしまっていた。

(飛鷹が変なこと言うから……)

 それまでは、千代田の姉としてなんのへだてもなく接することができていたのだ。なのに、今ではなにをしようにも千代田にどう思われるだろうかと考えずにはいられなかった。千代田に変に思われたらと、嫌われてしまったらと、そのことばかりがこわくなってしまっていた。

(このままじゃ、私……)

 千代田のことでの動揺は、基地での生活だけでなく任務にも影響を及ぼさずにはいられなかった。あの日から、千歳はこれまでの経験を考えればありえない失敗を重ねつづけていた。基地でもっとも練度が低い仲間と同じような失敗をして、けれど攻撃防御ともに部隊の要であるがゆえに仲間たちにその穴を埋めることはできず、味方の足を引っ張ってしまうことを繰り返していた。当然戦果はふるわず、味方の負傷率は跳ね上がった。

(千代田の理想でいなきゃいけないのに……)

 ここのところの千歳の部隊による戦果は、それだけで千代田に合わせる顔がなくなってしまうほどにぼろぼろだった。そんな醜態をさらしていることを千代田に知られたら、憧れられている分だけ一転して軽蔑されてしまうのではないかと、それが千歳にはなによりおそろしかった。

(立て直さなきゃって、頭ではわかってるのに……)

 千歳はその糸口を見出すことができずにいた。この西方海域への出撃においても、潜水艦部隊と二度の遭遇戦を行っただけですでに中破相当の損傷艦を二隻だしている。

 一方で、千代田のことについては……。

(自分の気持ちに素直になればいいんだって、飛鷹は言ってくれたけど……)

 そんな言葉で踏ん切りがつくくらいならここまで悩んではいないのだと、千歳は思わずにはいられなかった。飛鷹にそう言われて、修復中も一人でゆっくり考えて、そうしようと心を決めたはずだった。それなのに、出撃前に任務から帰ってきた千代田を迎えに行こうとしていたのに、いざそのときになると足が前に進んでくれなくなってしまったのだ。千歳は自らの意気地のなさが情けなくてしかたなかった。

(千代田、私、どうしたらいいんだろう……?)

 そのときのことを思い出すと、くやし涙がこみあげてきた。

(任務中なのに……)

 そう思うが、じわじわと膨れあがる感情は止まらない。

(こんなことしてたら、また仲間に迷惑かけちゃう)

 しっかりしなければと思えば思うほど、ふがいなさは増していった。

 どれだけ泣いても、洋上で千歳をなぐさめる者はいない。まなじりからこぼれる涙をぬぐうたび、そのことに耐えがたいさびしさを覚えた。

(千代田がいれば、優しくしてくれるのに……)

 千歳は遠く離れた基地にいる妹のことを思った。どうして、自分は千代田といっしょにいないのだろうか。それが頼りなくてしかたなかった。千歳はまた一度、目じりの涙をぬぐう。

(千代田に、会いたい……)

 ふっと、そんな言葉が浮かんだ。その気持ちは、涙があふれるたびにどんどん強くなっていった。

 千代田に会ってどうしたいのか。どうすればいいのか。それはわからない。けれど、千代田に会えばなにもかもがうまくいくような気がした。

(そうよ。だって私は、どうしようもないくらいに千代田のことが好きなんだから)

 千歳は固くこぶしを握った。

 そして、意を決して通信機に向かおうとしたそのとき、仲間の一人から千歳に電信が入った。

『偵察隊が西方に敵影を発見』

 その内容に目を通して、千代田は一度、未練がましく基地島の方角をふりかえる。しかし、まもなく進行方向に戻された視線は、一瞬前の面影もないほどに鋭いものだった。

『ただちに機動部隊の発艦を。先制爆撃を加えたのち、砲撃戦に突入します。皆、派手に決めるわよ!』

(ちょっとだけ待っててね、千代田)

 一秒でも早く千代田に会うためには、どんな強敵相手だろうと損傷など負ってはいられない。戦闘へと突入する千歳の頭脳は、かつてないほどにめまぐるしい回転を見せていた。




「以上が報告です。それでは失礼します」

「え? ちょっと待っ……!」

 可能なかぎり簡潔に報告を済ませると、千歳はすぐさま執務室を飛び出した。うしろで提督がなにやら呼び止めようとしていたが、ふりかえることはない。必要最低限のことは伝えたはずだからだ。なにより、今の千歳にはそんなことより大事なことがあった。

(千代田……まだ起きてるかしら?)

 まもなく日付が変わろうとする真夜中の基地棟を、千歳は走り抜けていく。

 千代田の出撃が明朝すぐに予定されているかどうかは、確かめていないためわからない。だが、そうでなくともこの時間にはもう眠っていることが多い。もっと早く帰投したかったのにこんな時間になってしまったことを、千歳は改めていらだたしく思った。

(あの部隊は確かに強敵だったわ。前回、あんなにぼろぼろにされたのも無理はないと思えるほどに)

 今日の自分の戦いぶりは絶好調に冴えわたっていたと、千歳は思う。それでも、敵を倒しきることはできなかった。それどころか、敵に追撃の余力を残させぬようにと深追いするうちに味方の部隊にも一隻の大破艦を出してしまった。そうして、それ以上の進撃は無理との判断からも撤退を選んで基地に戻ってきている。

(けど、それは別にいいのよ。そんなことより……)

 撤退すること自体は、戦闘を始める前に決めていたことだった。それよりも、戦闘を長引かせてしまった分、基地に着く時間が遅くなったことが、千歳にはつらかった。

(千代田……)

 しんと静まり返った廊下に、走る千歳の足音が響く。

 撤退するさなかも、千歳はもどかしくてしかたなかった。大破した仲間を曳航しなければならないために航行速度は鈍らざるをえない。あとのことを仲間たちに任せて一人だけ先に帰ってしまえればと、何度思ったことか。

 しかし、それだけはなんとか思いとどまった。その代わり、傷ついた仲間たちに負担をかけるのも承知でできるかぎり船足を上げることを求めた。その際、理由を聞いてきた仲間たちになにか口走った気もするが、それもどうでもよかった。

(やっと、千代田に会える!)

 ただその気持ちが、千歳をつき動かしていた。

(千代田に会ったら、まず謝って、それから……)

 帰還の道すがら、千歳はずっとそのことを考えていた。

 千代田の手を取って謝りたい。許してもらえたら、また久しぶりに語り明かしたい。このところの煩悶を千代田に聞いてもらいたい。千代田のことが好きなのだという気持ちを知ってもらいたい。

(いきなりこんなこと言ったら驚かせちゃうかしら)

 そうも思うが、今の千歳は止まれそうになかった。千代田を避けてきた期間が体感としてあまりにも長かったから。

 それに、千代田としたいことはもっともっとあった。

 どんどん一人前になってきてるけれどそれでもまだまだ残っている部分で千代田の世話を焼いてあげたいし、そのことで千代田にいやな顔をされて怒られたりもしたい。出撃任務でまたそろって活躍して喜びあいたいし、くやしさをかみしめあったりもしたい。いっしょにお酒を飲みたいし、当番としてでなく二人のためだけに料理を作ったりもしてみたい。もっと訓練につきあってあげたいし、演習で腕を競いあってもみたい。もっと千代田を甘やかしたい。千代田からも進んで頼られたい。戦場では千代田をかばい通したい。それでいて千代田にも背を預けたい。どこに行くにも千代田と連れ立って歩きたい。千代田からも求められたい。この戦争が終わったら、千代田といっしょに静かに暮らしたい。ずっといっしょにいたい。

 その他にも数えきれないほどの望みを、千代田としゃべりあいたい。そしてそれを、ただの姉妹ではしないようなことも含めて、一つ一つ叶えていきたい。

(それができたらどんなに幸せかしら)

 千歳は願わずにはいられなかった。

 考えている間に自分たちの部屋が近づいてきた。

 最後の廊下を曲がると、千歳は足をゆるめ、あがりだしていた呼吸を整える。

(ようやくここまで来れた……)

 部屋の扉の前で、胸に手を当てて静かに深呼吸をする。

(よし……!)

 心臓はいつもより早く拍動しているが、今からすることを思えばまったく緊張するなというほうが無理だ。

 すばやく意を決した千歳は勢いこんで扉を開く。

「千代田、起きてる?」

「……お姉?」

 すると、真夜中にもかかわらず、千歳のかけた声にしっかりと答えが返ってきた。

「千代田!」

 その声を聞いた途端、考えていた段取りはすべて吹き飛んでしまった。暗い室内を見まわせば、寝台に腰かけている千代田の姿が目につく。そのまま千歳は勢いよく千代田に抱きついた。

「お、お姉、どうしたの……?」

 いきなりの行動にとまどう千代田の声が耳もとから聞こえてくる。千代田の体に回した腕からはやわらかなぬくもりが伝わってくる。

(あぁ、千代田だ……)

 全身でその存在が感じられる。その確かな感覚に、任務中の直前からとりつかれていたさびしさもすうっとやわらいでいく。

「千代田ぁ……」

 そのことがうれしくて、ほっとしたことで弱った心の支えが失われたこともあり、千歳はついに涙をこらえることができなくなった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 千歳はただその言葉を繰り返しながら、千代田の首もとに抱きついたまま涙をぬぐう。

 それに対してなにも言わずに背中をなでてくれる千代田の手が、なによりあたたかく心地よかった。

 どうしてこれまで千代田を避けてまわってなどいたのだろうか。千歳はそんな自分の愚かしさを心中でののしった。表向き反発することはあっても、千代田はいつだって、こうして千歳の真剣な気持ちを受け止めてくれていたのだから。

(もう、二度と千代田から逃げたりなんてしないから)

 千代田にあやされながら、千歳はその思いを新たにした。この思いがあれば大丈夫だと、そう思えた。

 このまま眠ってしまいたいほどの安心感に身を任せようとしたそのとき、千代田が声をかけてきた。

「えっと……お姉」

 千歳が落ち着いたてきたことを察したのか、そっと抱きついていた腕をはがされる。それに少しのさびしさを感じて千歳はもの欲しげに腕を伸ばしかけたが、千代田はそれに構わず言葉を継いでくる。

「そろそろ何があったか聞いてもいい?」

 抱きついたそのときから変わらないとまどいを含んだその声音に、千歳ははっとした。

(そうよ。自分一人だけでなにを満足しているの?)

「ごめんなさい。いきなり取り乱しちゃって」

 そう言いながら、千歳はその場で居住まいを正す。千代田のとなりに腰かけて、緊張した面持ちで千代田を見つめる。

 千代田はひざの上で手を重ねながら、そわそわとこちらを見つめかえしている。

 その様子に千代田の不安を見て取った千歳は、まず最初に頭を下げて、言う。

「千代田、ここのところずっとあなたを避けちゃってたわ。ごめんなさい」

「……うん。私、お姉に見放されちゃったのかなって、こわかった」

 少し間を空けて、千代田が言葉を返してくる。そこに許しはない。それだけつらい思いをさせてしまったのだと、千歳は反省の気持ちを強くする。

「そう取られてもしかたなかったわね。私から千代田を避けるなんて、これまでなら考えもしなかったことだから。本当にごめんなさい。謝ったくらいで傷ついた千代田の気持ちをうめあわせるとも思えないのだけど、その前に、私の話を聞いてほしいの」

「なに?」

 千代田は責めるでもなく、千歳の話を促してくれる。そのことをありがたく思いながら、千歳はここからが大事なところだと、気をひきしめる。

「あのね、千代田。私、千代田のことが好きなの」

「……」

「妹としても好きだし、一人の女の子としても好きだわ」

「……そ、そう」

 返答に困ったような千代田の声色に、しかたないかと千歳は思う。自分でも突拍子もないと思っているものを、いきなり受け入れてくれるなどと期待するのは虫がよすぎるだろう。しかし、この場は気持ちを伝えることが大事なのだと、千歳はせいいっぱいの言葉をつむぐ。

「突然こんなこと言われてもびっくりしちゃうわよね。私も、自分の気持ちに気づいたとき、どうしていいかわからなくなっちゃった。妹としてだけ好きだったなら、それまで通り世話焼きでおせっかいな姉としてふるまうことができた。けど、ただの妹とはしないようなこともいっぱいしたいんだって、一度自覚しちゃったら、とたんに千代田とどう接していいかわからなくなっちゃったの」

「ただの妹とはしないことって……?」

 静かに尋ねてくる千代田に、千歳はそうねえと先ほど考えていたことの一部を口に出す。

「いっしょに眠ったりとか、他人にはちょっと言えない秘密を共有したりとか、キスしてみたりとか」

「キ、キス!?」

 動揺しながら自分のくちびるに手を当てる千代田のしぐさを、千歳は可愛いと思った。

「これまでに経験のあることでも、ただの妹じゃなくて好きな女の子とするんだって意識すると違った感覚があると思うから、そういうこともいっぱいいっぱいしたいって、そう思うの」

「お姉が、私と……」

 ほおを紅潮させて落ち着かない様子の千代田をながめながら、千歳はそれがここ数日の自分と同じ理由であればいいと思った。

「そういうことも、それ以外のことも、千代田といっしょにもっといろんなことを感じあいたい。一つでも多くの時間を共有したい。そう思っているんだって、気づいたの」

「……うん」

「そして、そのためにも、千代田とずっと、いつまでもいっしょにいたい。だから、まず、今日まで千代田を避けてしまったこと、許してくれる?」

「……うん」

 許しの表明なのか、相づちなのか、わからないくらいの静かな返事。千歳はそれを前者として、本命の質問を迫る。

「じゃあ、今言った私の気持ちを、千代田は受け入れてくれる?」

「……」

 答えはすぐには返ってこない。

 千代田の口が開き、なにも言葉が発されることなく閉じられてまた開くたびに、千歳の心臓は跳ねて落ち着かない。

(もしだめだって言われたら、明日からまたこれまで通りの関係に戻れるかしら)

 たぶん無理だと、千歳には思えた。一度自覚してしまった気持ちに胸が痛むのを無視しながら、焦がれる相手と気にしていないそぶりで接しつづけなければならないとしたら、とてもではないが耐えられそうにない。

 断られたときは、千代田とは距離を置くしかない。そんな想像に、千歳の胸は張り裂けそうになる。

(お願い、千代田。うんって、言って)

 思いをこめて千代田を見つめていると、やがて千代田はしぶい表情を作って顔をそむけた。そうして、ぼそっとつぶやくような声でこう言った。

「……い、いいよ」

「え、なんて言ったの?」

 聞き間違いかと思えて、千歳はぐっと顔を近づけながら聞き返す。すると、千代田は顔を真っ赤にしながら同じ返事を繰り返す。

「だから、いいって言ったの。私だって、お姉のとなりにいたいって、ずっといっしょにいたいって、そう思ってたんだから」

「千代田……」

 千代田が自分の気持ちを受け入れてくれたことがうれしくて、自分と同じ気持ちを抱いていてくれたという言葉がありがたくて、千歳は感極まって、またしても千代田に抱きついた。さらに、勢いに任せてくちびるを合わせようとしたが、その寸前で口もとに手を当てられて止められてしまった。

「そ、そこまでは……まだ、心の準備ができてないっていうか……」

 うらめしそうに千代田を見つめると、しどろもどろにそう言い訳された。

 しかし、千歳はしたいと、そう思っていた。先ほどキスという言葉に反応してくちびるを見つめてきた千代田に、期待を感じさせられてしまったから。

「ねぇ、千代田。いいじゃない?」

「だって……」

 千代田はなおもしぶるが、千歳に引き下がるつもりはない。千代田の可愛らしい反応を見ていて、ますます欲しくなってしまったから。

「千代田と気持ちが通じあったんだって、その証にしたいの」

「けど……」

「付き合いだして早々に千代田に拒まれるなんて、さみしいわ」

「そ、それは……」

 だんだんとぐらつきだした千代田の態度に、千歳はもうひと押しだと感じる。初めから千代田自身も興味を持っていることは明らかだった。

「ちょっとくちびるを合わせるだけだから、ね?」

「うぅ……」

 このやりとりのさなかも自分のくちびるに触れている千代田は、そうしながらその場面を想像しているのだろうか。

「お願い」

「……ちょ、ちょっとだけ、だからね」

 頼みこむようにねだってみると、ついに千代田は了承してくれた。

「やった! 千代田、大好き」

「もう、調子いいんだから……」

 ぶつぶつ言いながらも、千代田は耳まで赤くしている。

 そんな千代田のほおを両手で挟んで、千歳は互いの鼻先が触れあいそうなほどに顔を近づける。すると、千代田はきゅっと目をつぶって軽くくちびるをつきだした。

(ここで焦らしてみたら、千代田はどんな反応をするかしら)

 そうも思ったが、すぐにその考えを打ち消した。

(私も、これ以上はがまんできそうにないわ)

「するね、千代田」

「うん……」

 千代田の声は、少し震えていた。そんな千代田の不安を和らげてやりたいと、千歳はほてったほおを軽くなでてやった。

(大丈夫だから)

 千歳の気持ちを理解してくれたのか、千代田の表情からこわばりがとれたように見えた。

 それを確認して、千歳も目を閉じる。

 そうして、ゆっくりと顔を近づけていき、味わうようにくちびるを合わせる。

「ん……」

 かすかにもれた声とともに、千代田の柔らかい感触を感じる。そこから口の中に甘やかな幸せが広がっていく。じわじわとしみいるその感覚に、やがて千歳は満たされた。




 晴れ渡った空の下、千代田は西の海へと船を進めてきていた。任務での出撃だ。すでに何度も遭遇戦を切り抜けており、無視できない体の重さを感じてもいる。しかし、その目はなおも対する敵をしっかと見すえていた。

「取り舵!」

 敵の砲撃の気配を感じ取るや、千代田はすばやく舵を切る。

 しばらくして、敵弾は近くの海面に落ちてはじけ、しぶきを生じて甲板を襲う。

『千代田、大丈夫?』

『平気なので自分のことに集中してください』

 千歳からの電信に、千代田はそっけなく見えるように返信する。

 昨晩あんなことがあってからの今日の出撃なのだが、千代田はばかに心配性になった姉からの電信にはやくもうんざりしつつあった。

(帰ったらよぉく言い聞かせないと)

 戦闘への影響は軽微なものだ。それどころか、これまで千代田が見たこともないほど鮮やかに敵を追いつめていっている。だが、いつもと調子が違うのは、千代田でなくともはた目に明らかだった。しばしば電信を送っても心ここにあらずといった様子で要領を得ない返事をしてきたり、千代田のことになるとすぐにあわてておろおろとした通信を送ってきたり。何かあったのではないかと仲間たちに勘づかれてしまいそうで、千代田は気が気でなかった。

『千代田、戦闘中に聞くのもなんだけど、今日の千歳さん、どうしたの?』

『なんのことかまったくわかりません!』

 仲間からの電信に、千代田はむきになって返答した。昨晩、千代田は確かに千歳の気持ちを受け入れた。しかし、それを仲間たちに知られる覚悟など、千代田にはまるでできていないのだ。

(そりゃ、昨日はうれしく思ったけど……)

 千歳のとなりに立ちたい。そうありつづけたい。それは、この基地に加わったときからの千代田の願いだった。いつか遠い姉の背に追いつきたいと、その一心でこれまでも努力を続けてきた。だから、千歳から自分が求められているのだと飛鷹から聞かされたとき、初め千代田はそれを信じられなかった。まだ自分はその資格を手にしていないと思っていたからだ。飛鷹は自分をなぐさめるためにうそをついているのではないかとも思った。しかし、千歳自身の口から聞かされた気持ちは真剣だった。真実、千歳は千代田を欲してくれていた。それが理解できたとき、千代田は自分の宿願が叶った喜びに包まれたものだった。

(けど、やっぱり早まったんじゃないかしらって思っちゃうのよね)

 千歳の気持ちを受け入れはしたものの、本来、千代田はそれはもっと先のことだと思っていた。自分はまだまだ千歳には及ばないとわかっていたからだ。そんな状態で千歳に甘えたい気持ちに流されてしまえば、どこまでも千歳に守られる立場から抜け出せなくなってしまうかもしれない。そんな危惧があったはずだった。

(なのに、お姉ったら、そういう私の気持ちにはまるでお構いなしなんだから)

 憧れの姉から真剣に懇願されて、千代田に断れるはずがなかった。

(しかも、そのまま調子のいいこと言われてキ、キスまで……)

 そのことを思い出すと千歳は今でも顔が真っ赤になる。

(あ、あれはあれで、よかったけど……)

 くちびるが触れあった瞬間、千代田は体中を駆け抜けるような熱い気持ちに包まれた。これが幸福感なのだろうかと、ぼうっとした頭で考えていた。しかし、千代田が覚えているのはそれまでだった。その後、千歳が何度もついばむようにくちびるをあわせてくるうちに、千代田の頭はのぼせあがってしまい、意識がぼんやりとしだして、気づいたときには千歳と同じ寝台で起床時刻を迎えていた。

(あれは、夢じゃなかったんだよね……?)

 昨夜の記憶を思い出しては、千代田は不安になってくちびるに触れ、あのときの満ち足りた気持ちをかみしめていた。そんな自分は普通ではないと、千歳におかしくされてしまったと、千代田は思ってもいた。

(まあ、私も、お姉のことは言えないのかもしれないわね)

 そんなことを考えていると、千歳から、文面からも喜びようが伝わってくる電信が届いた。

『やったわ! 機動部隊から、敵の最後の一隻をしとめたって連絡が入ったわ! これでMVP間違いなし! 千代田、帰ったら、ご褒美を期待してもいいかしら?』

 連戦の疲れをまるで感じさせぬ元気さに、千代田は一つため息をついた。

『お姉には、帰ったらお説教です』

『ど、どうして!? 千代田にほめてもらいたくて、一生懸命頑張ったのに……』

 千歳のおろおろととまどう様子が目に見えるようだった。それでいいと、千代田は思う。今の千歳には少し頭を冷やしてもらう必要があるのだから。

 敵輸送艦隊と思しき部隊に対する勝利を確認して、千代田は消沈する旗艦の千歳に代わって仲間たちに帰還を告げた。その艦上で、しかし千代田は笑顔を浮かべていた。

 これまで、千代田はずっと、千歳に導いてもらい通しだった。どれほど練度を磨こうと、千歳からしてみれば未熟者で、失敗をしてはその穴を埋めてもらうばかりだった。けれど、こんな浮かれ調子の千歳であれば、ときに自分のほうから抜けているところを補佐することもできる。世話を焼かれるばかりでない接し方ができる。千代田にはそれがうれしくてならなかった。

(たまには、こういうのもいいかもしれないわね)

 ずっとはいやだけど、とも千代田は心の中でつぶやいた。

『そういえば、お姉。たぶんそろそろ空母になってから二度目の改造を受けれる時機だよね。帰ったら、いっしょに受けれるように提督にお願いしてみよっか』

『そうね。千代田といっしょに』

 そんなやりとりをしながら、千代田は基地に加わった当初のことを振り返っていた。あのとき、自分と千歳の間に広がっていた距離は、手が届くことなどないのではないかと思えるほどに遠かった。しかし、今ではいっしょに改造を受けれるまでになっている。部隊を指揮する能力など、まだまだ及ばない点は多いが、いずれ並ぶことができるだろうと、今なら思えた。そして、いつか憧れの姉が安心して背中を任せてくれる日が来るだろうとも。

(その日まで……ううん、それからもずっと、大好きなお姉と、いっしょに強くなっていきたい)

 千代田は心の底からそう思った。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラ(名前だけも含む)の現在のレベルは、千歳56、千代田56、飛鷹33、隼鷹33、祥鳳34、龍驤33、木曾52、伊168が30、伊58が30。3-2はもう少しかかるかと思ってたんですが、意外にするっと抜けちゃいました。単艦放置の演習相手と戦ってキラ付けされた状態で挑んだからかなーと思いますが、ともあれまた一つ壁を越えれて、ようやく初期マップ全制覇が見えてきました。今のところ北方海域は3-3に挑戦中、西方海域は残すところ4-4のみとなっています。ただ、遅れてるレベル上げが主に戦艦に偏ってるせいか、最近ではバケツよりも燃料や弾薬の消費が激しくて、資源のやりくりに頭を悩ませるようになってきているのですが。
 今回は改二話というつもりにしてみましたが、千歳と千代田の航改から航改二への変化では、グラフィック上の、それまでの戦場で敵と対しているような凛とした表情が一転笑顔になってるのが印象的でして。二人にいったい何があったのかと考えてこんな感じにしてみましたがどんなもんでしょうね。
 この二人の話はひとまずこれでおしまいです。この先はまったくプランがありません。
 そんなこんなで、今年中にもう一回更新できるといいなと考えているのですが、どうなることやらというところ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月15日

艦これ、3-2トライ中 その3

 以下、今回はとねちくです。すいません。先に謝っておきます。Twitterで見かけたネタがあまりにもよくって、つい、出来心で……。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 島影に砲声がこだまする。しかし飛び交う砲弾はない。空砲だ。

 だが、砲門を向けられていた船は白旗を掲げ航路をそらす。

『利根の砲撃命中。鳥海撃沈』

 上空を飛ぶ判定役の偵察機から、各艦に電信が送られていた。

 空は晴れ渡り、波も穏やかな昼前時。海上では今、八隻の艦が向かい合っている。艦はそれぞれ二つの隊にわかれているようで、距離を縮めながら激しい砲声をとどろかせ続けていた。

 はじめはどちらも六隻ずつの十二隻。艦種はすべて同じであり、戦力差は五分五分だったはずだが、そこからしだいに一隻減り、二隻減り。三隻目が離脱するころには、有利不利は明らかになってきていた。

「やっぱり、姉さんは強い……けど、まだまだ負けを認めるわけにはいきません」

 旗色が悪くなっている側の旗艦の艦上で、一人の少女が静かにつぶやく。その目に希望を失った様子はない。まだ勝機がついえたわけではないからだ。

 反撃の糸口を探りながら、少女はちらりと右方の味方艦を見やる。手前には航空戦艦。奥には正規空母。しかし、どちらも早い段階で痛手をこうむり、飛行甲板がほとんど使用不能なまでの判定を受けてしまっていた。それに対して、相手の機動部隊にはさしたる被害も与えられていない。空を見上げれば、こちらに見せつけるように悠々と帰還の途につく編隊。

「まずは、ここから……!」

 偵察機から届いた相手空母捕捉の報に応じ、可能な限りの早さで狙いをつける。相手機が自艦に戻るまでの間隙は短い。ゆっくりと何度も狙いを修正している余裕はない。それでも、水平線の彼方を見すえる少女の目は、ぴたりと見えない目標に固定されていた。

『筑摩の砲撃命中。蒼龍撃沈』

 少女は電信を確認しようともしない。意識はすぐさまいましがたの目標を離れ、より近くに迫る艦から放たれた空砲の軌跡をきわどい舵で回避する。

「これで三対四。あと、もう一つ」

 少女は次に相手航空戦艦の姿を捉えようとする。しかし少女の艦を狙う砲撃はやまず、なかなかそのための時間を与えてもらえない。

(今は、がまんするとき)

 少女は自分に言い聞かせ、味方の状況を確認するべく電信を送る。

『日向さん、相手潜水艦の再発見はまだできませんか?』

『まだだ。潜って機をうかがっているのだろうな』

 海の下から今にも狙いをつけられられているかもしれないこわさは、じわじわと集中力を奪う。少女の側の潜水艦はすでに撃沈判定を受けており、この点でも五分にもちこみたかったが、はやる気持ちを相手も察しているらしい。貴重な火力の持ち主が潜水艦にかかりきりになっている現状を苦々しく思うが、こちらも耐える時間だと少女は判断する。

 そうして、とどろく砲声に回避の動きを続けていると、水偵から相手航空戦艦捕捉の報せが入った。待ちに待った報告に、少女は勇躍、照準を合わせた砲撃を開始しようとする。

 そのとき、ちらりと相手の偵察機が視界をかすめた。少女はいやな予感を覚え、とっさに大きく舵を切る。

『摩耶の砲撃至近弾。筑摩小破』

 入った電信に、少女は表情をゆがめる。

「まだ……まだですよ……!」

 漏れる声にも苦しさがうかがえる。少女の側の三隻は、少女を除いた二隻ともがすでに中破判定を受けている。反撃の要であるからこそ、相手も少女の部隊を沈黙させるべく、攻撃を集中してきていた。これ以上の損害は受けてはと、少女は必死に舵を切りつづける。

 追い打ちをかける相手は容赦がない。偵察機が飛び交う音と砲声の響きが交じり合う中、どれほどこの時間が続くのかと少女が弱気になりだしたころ、一方的になりだした戦況に変化を与える電信が届いた。

『日向の爆撃命中。伊58撃沈』

 直後、殊勲をあげた味方からも、少女に電信が入る。

『これで私も本格的に砲撃戦に加われる。ようやくだ』

『ありがとうございます! ここから流れを変えます』

 戦局を引き寄せる好機を感じた少女は、攻め手がゆるんだすきをついてじわりじわりと互いの部隊の距離を詰めていく。近づく分だけ相手の砲撃は激しさを増すが、構わず仲間たちにも追随するよう指示を出す。

「せめて、視認できる距離まで……!」

 なんとか砲撃をかわしながら、少女は相手部隊との間合いをうかがう。相手もこちらの動きに気づいたのか、距離が縮まる速度が上がっていく。互いにけん制するように砲口から火を噴かせるが、船足がにぶることはない。ときおりの至近弾も、直撃さえしなければいいとわりきって大胆に航行する。

「ここからですよ……姉さん!」

 相手部隊の最後尾、航空戦艦の姿を水平線ぎわにとらえた少女は戦機を感じとる。最前列の艦はすでに必殺の間合いだ。相手の砲撃をかわしざま、狙いをしぼって待ち構えていた魚雷を発射する。

『魚雷命中。摩耶撃沈』

 これで少女と相手の部隊は三対二。数の上では逆転した。勝機が見えたと、少女が思ったそのときだった。

『魚雷命中。日向撃沈』

「そんな……!?」

 ようやく砲撃戦に加わったと思っていた少女の味方航空戦艦が、期待した活躍をさせてもらえることなく離脱を告げられたのだ。接近時に受けていた至近弾で損耗が積み重なっていると判定されていたのだろう。少女は自身の目算の甘さを思わされた。

「さすがは姉さん。そうそう思い通りにはさせてくれませんか」

 一隻減ったことで、残る味方部隊は小破の少女と中破の正規空母。対する相手部隊は損害軽微の姉と小破の航空戦艦。実質的に一対二とあっては不利は否めない。火力の差は明らかだ。しかし、少女はまだ勝利をあきらめない。

「私が残っているかぎり、勝ち名乗りはあげさせません!」

 ふたたび集中されだした砲雷撃に反撃を挟みながら、少女はさらに彼我の距離を詰める。一撃でももらえば敗北は決定的になるとわかっていたが、不思議と当たる気はしなかった。一発、二発と続く砲声をやすやすとくぐりぬけて進む。少女が見すえるのは、ただ相手の旗艦のみ。

「姉さんとの直接勝負です」

 相手旗艦を撃沈させる。それが、少女が目指す最後の勝利の形だ。しかしその前に少女が沈められてしまえば敗北が決まる。先に一撃を決めた側の手に勝利が転がりこむ。大一番に、少女は気分が高揚するのを覚えた。

 相手も気持ちを高めているのだろうか、しばし砲声がやむ。その静けさが心地よい。少女はゆっくりと主砲の狙いをつける。その砲筒越しに、相手旗艦の姉と視線が交錯したように感じた。知らず、少女の顔がほころぶ。この時間をもっと楽しみたいと、そう思った。しかし名残惜しむ心と決別するように、少女は声を発する。

「……今!」

 互いに満を持して放った砲声は同時だった。うなりをあげた砲声が島影にこだまし、やがて消えていく。

 当たったか、はずれたか。

 波を切る音だけが耳に入る静けさの中、少女は右に舵を切り、次弾を装填する。そうして、発射の構えをとったときだった。

『利根の砲雷撃命中。筑摩撃沈。ならびに筑摩の砲雷撃至近弾。利根小破』

 電信を確認して、少女は天を仰いだ。




「やっぱり、利根姉さんには敵いませんね」

 講評を受けて、港から基地棟へと戻る道すがら、少女はにこりと笑ってとなりを歩く姉に声をかける。

「いやいや、筑摩。提督の前でも言ったが、あれは危ないところじゃった」

 少女の相手旗艦を務めていた小さな姉も、うれしそうに言葉を返す。

 先ほどの戦いを思いかえすように、姉が海のほうをふりむく。それにあわせて、少女も足を止めて後ろを見やった。あのあたりだっただろうかと考えながら水平線に目を向けていると、少女の心についさっき行われた演習での、心躍る一騎打ちの感情がよみがえる。それと同時に、その結末も。

 安全を確認された基地島の近海で行われる模擬戦、これを号して演習というのが基地での習わしだ。その模擬戦において、形勢不利と目されながら二対二にまでもちこんだ少女の部隊は、しかし、残った唯一の攻撃手である少女が脱落したことで敗北が確定した。最後に残った正規空母は機動部隊の発着艦不能と判定されていたのだ。少女が離脱してからまもなく、彼女も撃沈判定を受け、少女の部隊は全滅。姉の側の勝利で、この日の演習は幕を閉じた。

 こうしてみると、少女と姉の撃ちあいが勝敗をわけたともいえるだろうか。

 そんなことを考えていると、となりの姉が海を見やったまま言う。

「実はな、筑摩。あのとき、吾輩は少々ずるをした」

「あのとき……ですか?」

 悪びれることなく告げられる姉の言葉に、少女は首をひねる。

「筑摩をしとめた攻撃のことだ。あのとき、筑摩ならあちらに舵を切ると予測がついたのでな。初めからそちらを狙って撃ったのだ」

 まさか本当に当たりになるとは思わなんだがなと、明かす姉の表情はうれしげだ。先ほどからの上機嫌さは、ただ勝利したからだけではなく、幸運を味方につけて勝利したことによるのだろう。実力が伯仲している場合、ときに運が勝敗をわけるとは、姉自身の口から聞いた言葉だ。裏を返せば、それだけ少女の力を高く評価してくれているということであり、この小さな姉のすごさを毎日繰り返し感じさせられている少女としては面映ゆい気持ちにもさせられる。

 けれど、それだけではすっきりしない疑問も残る。

「あの……姉さん、それのどこがずるになるのでしょうか?」

 どうだとばかりの視線を向けてくる姉に対し、少女は飛躍する姉の言葉についていけない自分を悟り、おずおずと質問を重ねた。頭の回転の遅い少女にあきれたのか、姉は軽く顔をしかめる。そのことに、少女はわが身が情けなくなり、しゅんとうなだれる。

 少女の様子に気づいたか、姉はすぐに眉間のしわを消す。そして、もとの笑顔に戻るとやや早口で少女の問いに答えてくれた。

「なに、演習だからこそできる手に頼ったということじゃ。実戦では再現できんので意味がないのじゃがな」

 その言葉を咀嚼して、少女はようやく合点がいった。多くの時間をともに過ごす姉ならば、かなりの精度で少女の考えの癖を予測することができるはずだ。日頃の鋭さを見ていると、ひょっとすると、この基地に所属する仲間のほとんどを相手に同じことができるのではないかとも思わされる。しかし、それはある程度以上に気心が知れた相手だからこそできる芸当だ。初対面の深海棲艦との戦いで動きを先読みしてみせるのは、いくら姉でも無理ということだろう。少女としては、それを否定するような戦いの記憶もいくつかあり、確度の問題にすぎないのではないかという気がしてしまうのだが。

 なにはともあれ、つまり、あまり実戦的でない戦い方を選んでしまうほどに不利を感じていたということのようである。

 けれど、そうして姉の言い分は理解できても、その意見には同意できなかった。

「でも、あのときには扶桑さんもいたじゃないですか。姉さんはあえて、私との一対一に応じてくれましたけど」

 あのとき、姉に撃沈判定を下せるか否かに勝負をかけていたため、少女は相手航空戦艦を意識の外に追いやっていた。姉も、講評中の言によると手出し無用と言い含めていたそうだ。しかし、状況的には本来、一対二だったのだ。実際に二隻を相手取ることになっていたとしたら、はたして両者を無力化させるまでもちこたえられる見込みはどの程度あっただろうか。一騎打ちに応じてくれたのは、優勢が定まった中での姉なりの座興にすぎなかったのではないかと、少女には思えてならないのだ。

 そう考えて唇をとがらせる少女の心中を肯定するように、姉は笑みに苦味を混ぜてみせる。それを見てますます悔しそうな表情をしてみせると、姉はふきだしながらも励ます言葉をかけてくれた。

「こんな機会でもないと、筑摩と直接、腕比べをすることなどできんのでな」

「もう、姉さんったら、そのせいであの提督から小言をもらってしまったというのに」

 あっけらかんとした調子で言う姉をしかたなく思うが、けれど自分がいいと思ったことは曲げないのがこの姉なのだと、少女は知っていた。常に我が道を行きながら、それでいて少女を正しく導いてくれる。そんな姉といるときの安心感は、少女にとってなににも代えがたいものだった。

「次の出撃が楽しみじゃな」

 今の少女ならどれほどの戦果をあげられるかと、姉から寄せられる過大な期待に重圧を感じながらも、けれど無様な姿は見せられないと、少女は身がひきしまるような思いだった。さらなる訓練に励まねばと、即座にそこまで考えたところで、少女ははたと現在の自分たちが置かれている境遇に思いいたる。

 北方海域への出撃が行き詰まりを見せはじめて以来、少女も姉も、出撃の機会を一度も与えられずにいた。ときおり演習に組みこまれることこそあるものの、それとて頻度はさしたるものではない。このままでは実戦の勘が鈍ってしまうと、少女は危惧していたのだ。

 理由の説明を求めて姉とともに執務室に乗りこんだときの回答によると、駆逐艦でなければ通過できない航路につきあたっているとのことだった。すぐに突破口は開けるはずだとも言っていたが、それからひと月以上がたった今も事態打開の気配は見えないでいる。南西海域のような長期戦が想定されるが、十分な火力と機動戦力をそろえて挑むことができたあのときとは違って戦力が限られる今回、いったいどれほどの時間がかかることになるのか。あの提督の無能さも考えあわせると、年内にどうにかなるかさえあやしいのではないかと思えてくる。

 あおりを受けているのは少女と姉だけではない。重巡洋艦はすべて放置されている。くわえて、潜水艦や正規空母、航空戦艦を除いた戦艦さえもがお役御免の状態なのだ。南西海域への出撃時代は準育成艦だなどと称して重用していたにもかかわらず、手のひらを返すようなこの冷遇ぶりに、不満をかこっている者は少なくなかった。提督もそれを知ってか、ときおり思い出したように演習が組まれるのだが、もはや練度の維持が目的なのかガス抜きが目的なのかわからなくなっている。

 少女とて軍人だ。基地全体の成果が第一だとはわかっているが、それでももっとほかにやりようがあるのではないかと思えてならないのだ。少女にとっては、姉がなだめてくれるからこそ、無聊をかこちつつも静かに過ごしていられると言いきっていいくらいなのである。

 となりに立つ姉も、今でこそはしゃいでいるが、ここのところだんだんといらだちを募らせてきているのが目に見える。少女の思いも及ばないところに考えをめぐらせる姉のことなので、少女のような小さな感情ではないのかもしれないが、それでも、今の機嫌のよい顔を見ていると、余計なことを言ってその表情を曇らせるのは無神経なことだと、少女には思えるのだ。

 そうして、ただ明るい未来についてだけを口にのぼす。

「ええ。次までに、姉さんをあっと言わせれるよう、もっともっと力をつけてみせます」

「ほう……それは楽しみじゃな。先ほどのように、戦艦だろうと空母だろうと、ばったばったと倒してみせる活躍を期待しておるぞ」

 邪気のない姉の発言に、少女は心中で焦りを覚えた。いつにない大言壮語をしてしまったことで、姉から寄せられる期待がさらに大きくなってしまった。先ほどの模擬戦での戦果は、あくまで相手が練度不足の戦艦空母だったからこそできたことだ。もっと手ごわい深海棲艦との連戦のさなかにあそこまでの活躍ができるだろうか。まるで自信がない。けれど一度言ってしまった手前、期待に満ちた姉の視線の手前、やっぱりできないとはとても言えなかった。

「任せてください」

 声が震えないように気をつけながらそう口にするのが、少女のせいいっぱいだった。




 小鉢に残ったつけもの。その最後のひときれを口に含む。

 ぽりぽりとかみごたえのある食感を味わってはしを置くと、少女――筑摩は手巾で口もとをぬぐった。

 そうして、目の前でおいしそうに食事をほおばっている姉――利根をにこにこと眺めだす。

 利根は梅干しを口に入れて、わずかにきゅっと眉根を寄せている。そうしたしぐさが姉のことながら愛らしくて、筑摩はほおを緩ませる。

 それに、姉が食事をする様子は、同じものを食べているはずなのにとてもおいしそうで、食べ終わったばかりにもかかわらずおかわりがほしくなってしまう。けれどここはぐっとこらえて、また一つ見つけた姉の可愛らしさに声をかける。

「姉さん、顔にご飯つぶがついてますよ」

「む……このあたりか?」

 これは恥ずかしいと左手でぺたぺたとほおのあたりをさわる利根だが、なかなか探り当てられないでいる。それもそのはずである。

「逆ですよ……ほら」

 筑摩が手を伸ばしてご飯つぶを取ってみせる。利根はそれを見て、苦笑しながら取り去されたあとのほおをなでさすった。

「すまんのう」

 そう言ってふたたび食事にはしを伸ばす。

 筑摩も、微笑とともにまた姉の食事風景を見つめだした。

 なにかに気を取られることなく食事を楽しむ姉の姿を見ていると、筑摩も楽しい気分になってくる。先ほどの演習も終わり、遅い昼食にしようとこうして食堂にいるが、その間、姉はずっと上機嫌である。ここ数日、食事中ももの思いにふけりがちで声をかけづらかったことを思うと、筑摩はほっと安心する。姉の考えていることは筑摩の頭には難しくてよくわからない。そんなことはいつものことなのだが、ずっと考えごとに夢中になられると、そのまま姉がどこか遠くへ行ってしまうようにも思えてこわくなってしまうのだ。けれど、この分なら今日は姉とゆっくり過ごすことができそうだ。

 そんなことを考えていると、いつの間にか利根も食事を終え、手を合わせていた。

「ごちそうさまでした」

 筑摩もあわてて手を合わせ、このあとの予定について聞いてくる姉に、どう答えたものかと頭を働かせはじめる。

 外を見ると、だんだんと雲が広がりだしている。雨の予報はなかったはずだが、ひょっとするとひと雨くるのかもしれない。装備の点検は演習後に済ませているからいいとして、屋内でしておくべきことは何があっただろうか。

 あれこれと考えていると、筑摩たちに声をかけてくる仲間がいた。

「あら〜。お二人もこの時間にお食事ですか〜」

 肩ほどまでの紫がかった髪をし、その頭上に西洋の天使のような輪形の装飾をのせた少女、龍田だ。

 くわえて、同じく紫がかった髪をし、片目に眼帯をした少女も。

「おお、天龍に龍田ではないか。任務明けじゃったかのう」

 利根の言葉に、筑摩は装備の点検中に帰投した部隊のことを思い出す。しかし、記憶していたところでは、龍田はその部隊にいたが、天龍はいなかったはずだ。

 その考えを肯定するように天龍はうなずいて答える。

「龍田はな。オレはちげえけどよ」

「うふふ。天龍ちゃんは、私といっしょにお昼が食べたくて今まで待っててくれたんだものね〜」

「う、うるさい。いいからさっさと食うぞ」

 顔を赤くしながらそそくさと食べはじめる天龍と、はいはいと返しながらも笑顔ではしを持つ龍田を見て、筑摩は姉と笑み交わす。この二人の変わらない調子のやりとりを目の当たりにして、なつかしくもほほえましい気持ちになったのだ。

 なつかしいと思ったことには理由がある。この二人は、前任の提督時代、筑摩が基地に加わったときにはすでに今の調子であったのだが、現在の提督が赴任してからというもの、龍田はほとんど遠征に出ずっぱりにされていたのだ。南西海域への出撃が一段落つくまで、筑摩は彼女の姿を見かけることすらなかったほどだ。最近では、少しずつ遠征の頻度が減らされ、哨戒任務等で久しぶりに顔を合わせる仲間たちとの連携を確認しながら再会をなつかしんでいるらしい。筑摩が今日まで二人そろっているところを見かけなかったことはただの偶然だが、先輩格の二人によるいつもながらのやりとりは、やはり見ていて心なごむものがある。

 そうして、ときおり利根と筑摩も加わりながらとりとめもない話をしているうちに、天龍も龍田も食事を終えて手を合わせた。

 楽しい食後のひとときも過ごせたことであり、自分たちもそろそろ動き出そうかと、筑摩が姉に声をかけ席を立とうとしたときのことだ。

「そうそう。龍田よ、おぬしに一つ、聞いてみたいことがあったのだが」

「なにかしら〜?」

 それまでのなんでもない会話と同じような口調で言いだした姉に、筑摩は言い知れない不安を覚えた。表情こそ笑っているが、姉の目には剣呑な光が浮かんでいることを見て取ってしまったからだ。

 のう、と利根は口を開く。その低い声音に、筑摩のいやな予感はふくらむ。

「のう、龍田よ。おぬしらがよく命じられておる遠征とは、本当はどこに何をしに行くものなのだ?」

「……」

 筑摩は、その瞬間に龍田の表情から笑顔が消えるのを見た。

「物資の運搬だと、噂には聞いておる。確かに、積荷の物資は吾輩も見たことがある。だがな、これまでこの任を与えられた者は、おぬしも含めて、以前の提督に重用されておった六人しかおらんのだ。しかも、調べてみてもこれ以上の情報がろくに出てこん」

 緊張を覚えながらも、筑摩には言われてみればと思い当たることがあった。皆の間でも、一時期おかしいとささやかれていたことだ。今の提督の赴任時、なかなか突破口を開けないでいた南西海域での作戦において、戦力強化は必須だった。それなのに、もっとも練度の高かった一群が無関係の仕事にかかりきりにさせられたのだ。

「ま、そのへんはオレも気になってることだけどよ、どうも機密事項らしいんだ」

 天龍が困ったように龍田をうかがう。彼女は利根を見つめたまま口を開かない。

 不穏な空気がただよいだした中で、利根はことさら陽気に声を発する。

「そうは言うがな、少し前までの、出ずっぱりと言っていいほどに繰り返された遠征、あれは異常だ。あれではまるで……」

 そこでいったん言葉を区切り、そうだのうと、腕を組む。

 筑摩は、次に飛び出る言葉を聞くのがおそろしいような、けれど聞かずにはおれないような、もどかしい思いにかられて姉を見つめる。天龍も、おそらく同じ思いでいるに違いない。

 そうして、皆が焦れるのを見計らっていたかのように、利根は口を開く。

「そうだ。まるで、吾輩たちに知られてはまずい情報を知ったがゆえに隔離されておったかのようではないか」

 筑摩はその言葉に息を飲んだ。天龍も目を見開いている。利根だけが微笑を浮かべている。

 しばらく、誰も声を発さない。

 沈黙が続く中、おいおいと、天龍がこぼすのが耳に入った。

「いくらなんでも、それは突飛すぎねえか?」

 天龍は頭をかきむしりながら利根をにらんでいる。だが、それに応じる利根は余裕しゃくしゃくだ。

「この基地には、もともと謎が多い。おぬしもうすうす気づいておるだろう?」

 筑摩はこれまでに姉とした話を思い起こす。前提督の突然の解任。戦時にもかかわらず放置されていた基地。深海棲艦はどこからやってくるのか。その他にも、あれこれと疑問が思い浮かぶ。今は戦時であり、目の前の作戦を優先してほかの些末事はあと回しにするべきだと深く考えないようにしているが、いろいろ納得のいっていないことは多い。

 天龍も、しぶしぶながら同意せざるをえないようだった。なにか言いかけた口から言葉が発されることはなく、むすっと押し黙ってしまった。

 言いだしたからにはちゃんと理由があるのがこの姉である。そうと知る筑摩は、姉の口からくわしい話を聞かずにはいられない気持ちになっていた。少しでも聞いてしまった以上、最後まで知らずにいるのがおそろしくなってしまったのだ。

「それで、姉さん、その知られるとまずい情報とは、何なのですか?」

「いろいろと推測してはおるのだがな……はっきりしたことはわからん。だから、聞いておる」

 そう言って、利根は龍田に視線を向ける。心なしか、その口角がつり上がって見えた。その様子は、まるで他人の秘密を暴くことに面白さを覚えているような不穏さがあったが、今の筑摩にはそんなことより大事なことがあった。

 知っていることを話してほしい。そんな思いをこめて龍田を見つめる。

 分が悪いことを悟ったか、利根の追求から龍田をかばうようにしていた天龍も、話を促すように声をかける。

「なあ、龍田、ここだけの話ってことにして、こっそり話しちゃくれねえか」

 龍田は、真摯に見つめる天龍としばし目を合わせたのち、ふっと視線をそらし、あきらめたような笑みとともにため息をつく。

「もう、しかたないわねえ。特別ですよ〜? 誰にも言っちゃだめですからね〜?」

 何から話せばいいかしらと、龍田は記憶を探るような顔をする。

 しばし考えこんだのち、彼女はゆっくりと口を開いた。

「そうねえ。あれは、前の提督から聞いた話だったかしら……」

 そうして、彼女は語りだす。

「あるところに、利根さんという重巡洋艦の女の子がいたそうなの」

 その第一声に、筑摩は肩透かしをくらったような気分を覚えた。思わず苦情を訴えようとしたが、姉が落ち着いた声で先に問う。

「吾輩のことか?」

「いえいえ〜。それで、その利根さんは、上官である提督さんのことが大好きだったみたいなの」

 それはもう暇さえあれば執務室に入りびたるほどにと、続ける龍田はなんともうっとりとした調子である。

「そんな提督さんが大好きな利根さんだったのだけど、提督さんは、いつだって利根さんの気持ちに応えてくれることはなかったそうよ〜。どうしてだと思うかしら?」

 そう言って、龍田は天龍に質問する。

 天龍も筑摩同様、龍田の始めた話にとまどっているようだったが、ひとまず向けられた話題にまじめに考えこむ。

「そりゃ……あれだろ、上官と部下が恋仲なんて風紀にかかわるとかなんとか、そんなとこだろ」

 その答えに、龍田は微笑を深くする。

「それがね〜、違うのよ。その提督さんには、別に恋人がいたの。それは、利根さんと同じ重巡洋艦で、筑摩さんという名前の女の子だったの〜」

 そこまで聞いた筑摩は、ついにがまんできなくなって龍田をにらんだ。

「あの、すいません。まじめに話してくださるつもりがないのなら、はっきりおっしゃってくれませんか?」

 しかし、龍田は困ったような顔をして天龍のほうを見るばかりだ。その視線を受けて、天龍が龍田のほうを指さしながら言う。

「あー……それがな、筑摩。こいつ、こんな調子だからわかりにくいだろうけどよ、これでもまじめに話してるつもりなんだ。悪いけど、もうちょっと聞いてやっちゃくれねえか?」

 申し訳なさそうに言われてしまい、筑摩のほうこそ困惑してしまった。今の話が姉の質問とどうかかわってくるというのか。疑問に思うが、どうやら姉自身はそうでもないらしい。

「筑摩よ、吾輩ももう少し話を聞いてみたい。しばらくつきあってくれぬか」

 姉にまでそう言われては、筑摩に否やはない。しぶしぶながらもひきさがって姿勢を正す。

 龍田はそれを確認すると、軽く筑摩に頭を下げて言う。

「ごめんなさいね〜。一応断っておくけど、この筑摩さんも、利根さんも、あなたたちのことではないのよ〜?」

 だが、女で重巡洋艦の筑摩といえば、同じく利根ともども、ここにいる自分たち以外にありえない。架空の話だとすれば、いったいどういうつもりなのだろうか。

 わからないまま、龍田の話は続く。

「それで、提督さんとおつきあいしてる筑摩さんなんだけど〜、実は、提督さんのことは上官としては尊敬してたそうだけど、特別好きだったわけではなかったみたいなの。けど、どうしてもって、何度も何度もお願いされて、お姉さんの利根さんにも、あなたならあきらめがつくって背中を押されて、それで結局、おつきあいすることになったそうなの〜」

「そいつは……誰も報われなさそうな関係だな」

 そう言葉をさしはさむ天龍は、龍田の話にしっかりつきあうつもりのようだ。

 筑摩はまだ話についていけていないが、姉にも言われた手前、目の前の話に集中しようと試みる。

「初めのうちは〜、利根さんも笑って二人を祝福していたらしいの。けど、提督さんはいつもいっつも筑摩さんのことばかりで、その笑顔も、筑摩さんにしか向けられない。利根さんは、それがつらくってつらくって、だんだん耐えられなくなっていったみたいなの〜。なんで、提督さんのとなりにいるのは自分じゃないんだって。筑摩さんさえいなければって〜」

「姉さんはそんなこと思いません!」

 思わず、筑摩は立ち上がっていた。だが、きょとんとする周囲を見て、反射的に取ってしまった自身の行動に気づき、顔を赤らめて席に着く。

「さっきも言ったけど〜、これはあなたたちのことではないのよ? だから、落ち着いて聞いてほしいな〜」

「すいませんっ」

 穴があったら入りたい。筑摩はそんな気分にとらわれて手で顔を覆う。

「すまんな、龍田」

 さらには姉にも謝られてしまい、筑摩はますますいたたまれなくなった。まぎらわしい名前を登場させるからいけないのだと思ってみるが、やつあたりにしかならないのがわかるだけに恥ずかしさは収まらない。

 筑摩の持ち直しには時間がかかると察したのか、回復を待つことなく龍田の話は続く。

「それでね〜、ある日のことだったの。筑摩さんと一緒に海に出たとき、利根さんは気づいたの〜。戦ってる敵に夢中で背中ががら空きだって。今なら、うしろから筑摩さんを狙い撃ちできるって〜」

 そのくだりを聞いた筑摩はがばっと顔を上げた。まだ平静さを取り戻せていない頭は、その場面を自分たちのこととして想像させてしまう。

「それで……それで、どうなったんです?」

 せかすようにそう聞くと、ふふ、と龍田にほほえみかけられる。

「そんなに心配しないでいいのよ〜。結局、利根さんは撃たなかったそうなの。提督さんとの仲を、本当はよく思っていないって、筑摩さんも気づいているはずなのに、それでも姉さんって呼んで慕ってくれて、戦場でも安心して背中を預けてくれる筑摩さんの信頼を、裏切れなかったんですって〜」

 美しい姉妹愛よねと、つけくわえられる龍田の言葉に筑摩はほっと胸をなでおろした。姉に背中から撃たれるなど、想像するだけでもつらいことだったからだ。

 けれど、龍田の話はまだ終わらない。彼女は、今度はいじわるそうな笑みを浮かべる。

「利根さんと筑摩さんは、しばらくの間はそれまで通り、表面上は仲良くしていたそうよ〜。利根さんも、提督さんにはやっぱり、自分の魅力で振り向いてもらおうって、努力したみたいなの。けど、どれだけ頑張ってもやっぱりだめで〜、それどころか、提督さんはどんどん筑摩さんとの恋仲を人前で、利根さんのいる前でも見せつけるようになっていったそうなの〜」

 筑摩は、だんだんと話の結末が予想できてきた。それとともに、先を聞くのがこわくなってきた。

「誰か、その提督を殴って正気に戻すやつはいなかったのかよ?」

 話を促すような質問をする天龍さえもが、今は恨めしかった。

「それがいなかったのよ〜。それでね、そんなことを見せつけられるうちに、筑摩さんが憎くって、提督さんが愛しくって、どうしようもなくなった利根さんは〜、ある夜、筑摩さんに当たり散らしたの。どうしてあの人は私にふりむいてくれないんだって、おまえが私の悪口をいいふらしてるんだろうって」

「そんな……そんなの、あんまりです」

 筑摩は目に涙が浮かんできそうなのをこらえながら、きれぎれに言う。しかし、龍田は困ったように首を振るだけだ。

「この利根さんもね〜、長いこと思いつめてたのが、なにかの拍子に自分を抑えられなくなっただけみたいなの。翌朝目覚めてすぐに後悔して、謝ろうとしたそうよ〜。けど、筑摩さんは、もともと仲間の子たちから、色目を使って提督さんに取り入ってるって、いやがらせを受けてて〜、そのうえ敬愛する利根さんにまではっきり拒絶をつきつけられて、がっくりきちゃったみたい。それで……」

「自ら命を絶った……か?」

 姉の言葉に、筑摩の心臓が跳ねる。おそるおそる龍田をうかがうが、否定を願う筑摩の思いもむなしく彼女はそれを肯定した。

「そんなところかしら〜。その日一番の任務に志願して、そのまま敵の砲撃に身を投じるようにその身を沈めてしまったそうよ〜」

「やれやれだな……。すっきりしねえ結末だぜ」

 ほおづえをつきながら天龍が口にする。筑摩も、それに同意したかった。話に出てきた自分は、いや、自分と同じ名前の別人だという人物は、姉とのすれ違いを抱えたまま命を落としてしまったのだから。やるせない気持ちだけが残る。

 けれど、そんな暗い雰囲気になりだした皆に気づいたか、龍田は胸の前で明るく手を振ってみせる。

「いえいえ〜。この話は、もうちょっとだけ続くんです〜。それがですね、筑摩さんがいなくなって悲しみに暮れる利根さんの前に、あれだけそでにされ続けた提督さんが、ついに姿を現すのです〜」

「ふーん。けど、それってよ……」

 言いかけた天龍の言葉をさえぎるように、まあまあと龍田は自分の口で話を続ける。

「利根さんは、筑摩さんが死んでしまったのは自分のせいだって、悔やんで、悔やんで、悔やみ続けていました〜。それと同じように、提督さんも、あの日筑摩さんを任務に出さなければって、悔やまずにはいられなかったの。つまり、筑摩さんがいなくなってしまった悲しみが、二人を結びつけたのです〜」

 めでたしめでたしと、龍田は話をまとめる。その声だけが、むなしくその場に響く。

 そうして皆の反応をうかがっているようだが、向かいの天龍はしらけ顔だ。

「いや、それはそれで……どうなんだ? あんまし健全じゃねえ気がするんだが」

「いやぁね〜。悲しい気持ちから始まる恋だって、いいじゃないの〜。この二人だって、その後、将来を誓いあうような深い仲になったみたいだし〜」

 それとも天龍ちゃんは運命の出会いにでも憧れてるのかしらと言われ、天龍はぼっと顔を赤らめる。

 そのままたわいのないやりとりに興じる二人。

 それを横目にしながら、筑摩にはしかし、腑に落ちていないことがあった。

「えと……あの、龍田さん、話はそれで終わりなんでしょうか? それだけでは、姉さんの質問とどういう関係があるのか、よくわからないのですが……」

 話自体のあと味も決していいものではなかったが、それ以上に、その点がすっきりしないままなのだ。あえて関係があったとするならば、話の中にあった最期の任務が遠征だったということにでもなるのだろうか。

 その疑問に、龍田はにんまりと、とてもうれしそうに表情を変える。

 それを見た筑摩は、不用意に藪をつついてしまったようないやな予感を覚えた。

「いい質問ですね〜。実は、あの話はまだ、あれで終わりではありません〜」

「そうこなくっちゃな。あれじゃちっとも面白くねえ」

 天龍はそう言うが、面白いかどうかの問題ではない。だが、筑摩は目の前で自分を見つめる龍田から目をそらせなかった。気を抜くとその瞬間に取って喰われでもしてしまいそうな、そんな獲物を見つめるような目を、龍田はしていたのだ。

 そうして、皆に注目されていることをじっくり確かめるようにしてから、龍田はおもむろに口を開く。

「愛しあうようになった利根さんと提督さんなのですが、二人の前に、ふたたび筑摩さんが現れるのです〜」

「ど、どういうことですか? さっき、死んでしまったって……」

 筑摩が疑問を投げかけると、龍田は首から上だけを動かしてゆっくりと顔を向けてくる。

「なにも不思議なことはないわ〜。新たに建造された。それだけのことよ〜?」

 この基地にも前例があるでしょと、続く龍田の言葉に筑摩ははっとする。確かに、筑摩がこの基地に加わる前に戦死した仲間が、新たに現れるというできごとはあった。

「ふむ……だがそれは、よく似た別人ということではなかったかの?」

 そうだと、姉の言葉にさらに思い出す。あのとき、自分たちよりも以前から基地に所属していた仲間たちが喜んでいるのを見た記憶はある。だが、ふたたび現れた仲間は、姿かたちこそ同じだが、性格が異なり、なにより以前の記憶をいっさい持っていなかった。それを悟り、悲しみを深くしていた仲間もいたはずだ。龍田も、そのときのことを思い出したかわずかに遠い目を見せる。

「それはその通りねぇ……。けど、ここで大事なのは、同じ顔をしてたということよ。提督さんは、昔の筑摩さんの面影を忘れられなかったのかしら、新たな筑摩さんをなにくれとなく構いだしたの。天龍ちゃん、ひどいと思わないかしら〜?」

「いやまぁ、死なせたことを後悔してたんなら、その負い目もあるだろうよ」

 聞かれた天龍は、あっさりとそう返す。天龍に同意してもらえなかったことが悲しそうに、龍田はよよよと泣きだすようなそぶりをし、ついで筑摩にも同じことを尋ねてくる。しかし、この場は筑摩も天龍の側に立った。提督が新入りの仲間の世話を焼くくらいは普通のことであるはずだからだ。

 二人のつれない反応を受けて、龍田は納得いかなさそうに話を続ける。

「そうね〜。利根さんも、以前の筑摩さんへの申し訳なさからいっぱい、い〜っぱい可愛がってあげてたみたいだし〜。けどね、提督さん、どんどん筑摩さんの相手をしている時間が増えていって、利根さんと二人きりで過ごす時間が少なくなっていったの。それこそ、筑摩さんが出撃しているときか、寝静まったあとくらいしか〜」

 これならどうだとばかりの龍田の勢いに、天龍は苦笑して調子を合わせる。

「可愛がってたらなつかれたってやつか? そういやその提督って、それなりの色男なんだっけ?」

 二人のやりとりを聞いて、筑摩も考えてみる。優しい姉と仕事のできる提督の二人から、基地への所属直後から世話を焼いてもらっていたら、自分はどうなっていただろうかと。後者についてはこの基地の提督が提督なのでまるで想像がつかないが、前者についてならばわかる。一日中、姉につき従うほどに慕ってしまうはずだ。実際、自分がそうだったのだから。今では、姉も一人の時間を大切にしているからと遠慮している部分があるが、できることなら一日中いっしょにいたいという気持ちは変わりがない。

「そうなのよ〜。提督さんの部屋にいれば、たいてい二人とも、そうでなくても片方はいるんだもの。筑摩さんはすっかり提督さんの部屋に入りびたるようになっちゃったわ〜」

 考えている合間にも進んでいた龍田の話に、筑摩はうんうんと同意する。しかし、疑問に思うこともあった。

「その……ち、『筑摩さん』は、二人の仲を知らなかったのですか?」

 同名の人物の名を言いよどんだところで、龍田にくすっと笑われた。先ほどの醜態は忘れてほしい。そんな思いに、ふたたびほおが熱くなる。

「もちろん、知ってたわ〜。知ってて、それでも提督さんの部屋に行くことをやめなかったのよ」

 そこで、龍田は楽しそうな笑みを浮かべる。

「さて、ここで問題です〜。筑摩さんが提督さんの部屋に入りびたった本当の目的は、利根さんか、提督さんか、どちらでしょうか〜?」

「……て、提督じゃないか?」

 いきなりの質問にとまどったか、ややつっかえながら天龍が言う。筑摩は、自分ならばと考えて姉の名を答える。

 二人の答えを聞いて、龍田は笑みを深くする。

「ふふふ。ちょっと、いじわるだったかしらね〜。実は、この時点では、まだどちらも正解なの〜。筑摩さんは、提督さんが好きで、利根さんが好きで。けど、日がたつにつれて提督さんのことが大好きになっていって。だんだんと、提督さんにアピールして、利根さんになにか用事を任せて、あわよくば提督さんと二人きりになろうと画策するようになっていったらしいわ〜」

 聞いていた天龍が顔をしかめる。

「いい子の皮かぶってとんでもねえ女だな」

 それに対して、龍田はひらひらと手を振って言う。

「天龍ちゃん、恋は戦いなのよ〜? それでね、提督さんも、以前の筑摩さんと同じ顔をした女の子から迫られつづけて、ぐらっときたみたい。あるとき、利根さんが出かけてる間に、筑摩さんは想いを遂げたそうよ〜」

 ひ、と筑摩はのどから出そうになった声をなんとかのみこんだ。姉を出し抜くようなことをしたと聞かされて、自分のことではないのに、姉に対して許されない罪を犯してしまったように感じてしまったのだ。横目で見た姉が険しい表情をしていることが、いっそうその気持ちを強くした。

「おい、龍田、将来を誓いあったって、言ったじゃねぇかよ」

「天龍ちゃん、男と女の仲なんて、そんなものよ〜?」

 天龍が抗議するが、龍田は教えさとすようにそう言うばかりだ。そして、ここからが面白いのにとばかり、楽しそうに言葉を継ぐ。

「提督さんも、いけないことをしてるとは、思ってたみたい。筑摩さんとの仲をすっぱり断って、利根さんに謝ろうって、思ってたそうなの〜。けど、筑摩さんは、そんな提督さんの気持ちを悟って巧みに気をそらして、関係を解消しようなんて思えなくなるほど楽しませてあげて。提督さんは、そんな中でも利根さんとも逢瀬を重ねていたのだけど、提督さんを信頼しきった利根さんを見ていると、とても言いだせなくなってしまったそうよ〜」

「それは、その提督がくずなだけだろうがよぉ」

 どう思うと聞かれた天龍は憤慨ぎみに声をあげる。そうねとあいづちを打つ龍田も、やや声の調子を落とした。だが、楽しげな表情までもが崩れることはない。

「けど、安心して〜。そんな不誠実な態度が、いつまでも許されるはずがありません〜。利根さんは、ある日、とうとう気づいてしまうのです。二人の関係に〜」

「そうこなくっちゃな。それで、それで?」

 痛快そうに拳を握りだした天龍を見て、筑摩は他人事のように話を楽しんでいる彼女がうらやましくなった。だって、いくら架空の話であるとはいえ、登場しているのは自分と同じ名前の人物なのだ。そして、続く展開は、先ほど同様に悲痛なものしか想像できないのだ。

「ふふ、ご期待に添えるかしら〜? 二人の仲に気づいた利根さんは、怒りました。浮気者の提督さんにも、泥棒猫の筑摩さんにも。当然よね〜。けど、提督さんをなじることは、できなかったんですって。提督さんの前ではいつでも天真爛漫な姿でいたいって、みにくく嫉妬する姿なんて見せたら嫌われてしまうんじゃないかって、こわくなってしまったから。そうして、利根さんの怒りの矛先は、筑摩さんに向かうことになったのです〜」

「あー、そっか。そういうやつか……」

「そうなのよ〜。この利根さんは、もともとちょっと思いこみの強い子だったのだけど、提督さんにそでにされ続けたせいか、なかなか自分に自信が持てなくなってたみたいなの〜」

 頭を抱える天龍に、龍田が痛ましそうに声をかける。筑摩も、不安に揺れる心をどうすることもできず、ただ龍田を見つめている。けれど、その龍田が、自分たちの反応自体を面白がっているように見えるのは気のせいだろうか。

「それでね〜、利根さんは、提督さんに見つからないように、かげで筑摩さんを折檻しだしたそうなの。たたいて、けとばして、しばりつけて。もちろん、筑摩さんの言い訳なんて聞きいれないわ〜。いやらしい女だって、その体で提督さんをたぶらかしてって、床での練度は女郎にも負けないんだろうって、思いつくかぎりの悪口をあびせながら」

 筑摩は、まるで自身がむち打たれているような痛みを覚えた。そしてその痛みを、姉を怒らせた当然の報いとして甘んじて受けいれてさえいた。

 そこで、天龍の疑問がはさまれる。

「けどよ、前のと違って今度の筑摩は、そんなにすぐ参るようなやわなやつとも思えねえんだが」

「いいところに気づいたわね〜。この筑摩さんは、どれだけ利根さんにいじめられたって、世をはかなんだりしない、したたかな女の子でした。むしろ、それを好機とばかり、提督さんにあることないこと告げ口したそうよ〜」

 うわぁと、天龍が声を漏らす。筑摩も信じられない思いだった。そんなにずる賢く立ち回る自分というものが想像できなかったからだ。

「提督さんも、初めは信じなかったそうよ。けど、あまりに何度も訴えてくるものだから、利根さんを呼んで、二人きりで問いただしの。そしたら、筑摩さんとの関係がばれちゃったのが原因とわかって、提督さん、驚いたわ〜。あまりの利根さんの仕打ちにも驚いたみたいだけど、それでも、悪いのは自分だって、提督さんもわかってたみたいね。利根さんに泣きつかれて、筑摩さんとの関係を清算するって、約束したそうなの〜」

 そのあとでどうすればいいのか悩んだそうだけれどと、続ける龍田はその提督の心情を表現するように、弱り果てた顔をして腕を組む。

 それでいいと、筑摩は思った。その提督は悩むだけ悩めばいいが、身を引くならば、それが姉のほうであってはいけない。それが筑摩にとっての大前提なのだ。

「提督さんは、悩んだ末についに意を決したわ〜。ある日、筑摩さんを工廠に呼び出して、別れを切りだしたの」

 筑摩は、ぎゅっと握りしめていたこぶしの力を緩めた。先ほどより望ましい形で、話が終わりを迎えそうだと思ったからだ。

「筑摩さんは〜、泣いて嫌がったけど、あとから割りこんだ立場だからって、結局は承知したみたい。けど、これで関係が終わりなら、最後に一度だけキスしてほしいって、そう言ったそうよ〜。提督さんも、筑摩さんへの申し訳なさから、それだけならって、二人は唇を合わせたわ〜。そして、まさにその瞬間、利根さんが、提督さんを探して、その場に現れてしまったの」

 あ、と声を発したのは、筑摩だったか、天龍だったか。

 思うにまかせないものよねと、淡々と言う龍田の姿が不自然に映る。

「利根さんは、それを見て、怒り狂ったわ〜。別れるって、約束したはずの二人が、口づけしてたんだもの〜。提督さんにつかみかかって、どういうことだって、問い詰めたの。提督さんは、別れを告げてたんだって、事情を説明しようとしたらしいわ〜。けど、怒りに我を忘れた利根さんには、聞きいれてもらえなかった。まぁ、それまでの行いが行いだものねぇ」

 ふふっと、龍田はまるでその光景を目の当たりにしてきたかのように笑いをこぼす。

「そのときの利根さん、吾輩を捨てるのじゃなって、それならここで死ぬって、すごい形相だったそうよ〜?」

 見つめられた利根は、厳しい顔をしたまま言葉を発さない。

「提督さんは、途方に暮れてしまったわ〜。目の前には、これからも関係を続けていくつもりの利根さん。少し離れたところに、関係を解消するはずの筑摩さん。筑摩さんは床で泣き崩れていて〜、利根さんは、手がつけられないほど感情的になってて。提督さんは、その場ですばやく考えをめぐらせたわぁ。そして、利根さんの肩に手を置いて、こう言ったの……」

 そこで、龍田は言葉を切って軽く皆を見回す。

 筑摩は続きをせかすように龍田を見つめる。筑摩の心臓は先ほどから早鐘を打つような鼓動を続けている。その音さえも響いてしまいそうな沈黙が耳に痛い。

 一度開きかけた龍田の口に、ごくりと、つばをのむ音がなる。

 それを確認したように、龍田はゆっくりと、愉快そうに、言葉を発した。

「『私は、これまで誠意のない態度をとり続けてしまったことを、心の底から申し訳なく思っている。だけど、だからこそ、これからはただ一人だけを見つめていると誓う。私なんかの言葉は信じられないかもしれないが、これまでもずっと愛してきた。これからもずっと、愛し続けるよ…………おまえの、妹を』。そう言って、提督さんは、利根さんを解体室につきとばして、すぐさま扉に鍵をかけたわ〜。あとには、提督さんと、筑摩さんだけが残されたの」

 そうして二人は幸せになったそうよと、そう言って、龍田は話をしめくくる。

 なにも言えないでいる筑摩たちをよそに、彼女の顔は不気味なほどの笑みに満ちていた。




「すいません、利根姉さん」

 執務室へ向かう途中、ぐすぐすと鼻をならしながら、筑摩が言う。

「気にするな。落ち着いたのならそれでよい」

 気づかわせまいと気を張る自分に、ただそう声をかけてくれる姉が、今の筑摩にはありがたかった。

 先ほど龍田から聞かされた話は、筑摩にはあまりにも衝撃的すぎた。いくら自分たちのことではないとはいえ、姉が殺され、その姉の望んだ場所に自分と同じ名前の持ち主がおさまることになる話だったのだ。その理不尽さに、筑摩は涙をこらえられなくなってしまった。話をしてくれた龍田も、まさかそんなことになるとは思っていなかっただろう。筑摩自身でさえ、自分の手のひらを離れてしまったかのような体の反応にとまどい、おろおろとしてしまった。

 そんな筑摩を優しくあやしてくれたのは、利根だった。大丈夫だと、自分はここにいると、そう言って背中をなでてくれる姉の手のあたたかさに、筑摩は動揺する心が安らいでいくのを感じられた。

(やっぱり、私は姉さんがいないとだめですね)

 となりを歩く姉の姿を見て、筑摩はその思いを強くする。自信に満ちたその顔に見入っていると、その視線に気づいたのか、なんだと声をかけられた。

「いえ、その……龍田さんの話をあれだけしか聞けませんでしたが、よろしかったのでしょうかと思いまして」

 とっさにそう言ってみるも、答えは聞かずともわかっていた。

「うむ。思っていたのとは違ったが、大きな収穫じゃった」

 筑摩には荒唐無稽な作り話としか思えなかった話だが、利根にはなにか得るものがあったらしい。筑摩には思いも及ばないところだが、姉がうれしそうにしているのならそれでいいと思う自分がいる。

 あのあと、姉にあやされているうちに日向が現れた。彼女によると、自分たちが提督から呼ばれているらしい。そんな言伝を聞いたために、天龍と龍田との話を打ち切って、こうして二人そろって歩いている。

 部屋でゆっくりしていればいいと姉は言ってくれたが、それを曲げてついてきているのは筑摩のわがままだ。こわい話を聞いて、不安な気持ちを和らげるために姉といっしょにいたいなどと、子供みたいなことを思ってしまった。しかたのない妹だとあきれられていないだろうか。それだけが心配だ。

(この埋め合わせは、後日、できるといいのだけど……)

 そう思ってしまうくらいに、姉が筑摩を必要とする場面は少ないように感じてもいる。

 勝手に気分を落ちこませかけていると、執務室の扉をたたく音がする。これではいけないと、筑摩は背筋を正し、姉に続いて執務室へと入った。


「よく来てくれた」

 提督はにこにことそう言って二人を迎える。なにか書類仕事をしていたらしい。ちらとこちらを見たあと、ふたたび手もとになにか書きつけている。

 提督の言葉に対し、筑摩は無言で顔をそむける。よく来てくれたもなにも、上官である提督から呼びつけられてやってこない者などいるはずがない。そう思って返事をする気にもなれなかったのだ。しかし、姉にとってはそうでもないらしい。

「なに、ちょうど吾輩もおぬしに聞きたいことがあったのでな」

 いつものように、明るく話しかけている。

 利根の言葉に、提督は手に持っていたペンを置き、かたわらの湯呑みをすする。

「じゃあ、まずあなたの話から先に聞こうか」

 そう言って、提督は二人に席をすすめる。

 長くはかからないからと、利根は率直に断りを述べた。筑摩もそれにしたがい、立ったまま姉の話に耳を傾ける。

「おぬしが六名の仲間にかぎって命じておる遠征とは、本当はどこに何をしに行くものなのだ?」

 もったいつけることもなく、利根は先ほど龍田に聞いたばかりの質問を繰り返した。

「それは……機密事項にあたる」

 提督は歯切れが悪そうに答える。その姿に、裏に何かがあると、筑摩でも悟らずにはいられなかった。

 利根は大きくうなずいて、言う。

「そうだろうな。どこをどう調べてもそんな情報しか出てこん。しかしな、つい最近、面白い話を知ったのだ」

「何を知ったんだって?」

 提督はふたたび湯呑みに口をつける。

 その様子を見て、姉は楽しそうに口もとをゆがめた。その表情が先ほどの龍田をほうふつとさせて、筑摩は背筋にぞっとする感覚を覚えた。

 今ならまだ止められる。そう思うが、筑摩の体は硬直してしまったように動かなかった。声を出そうと口を開く、ただそれだけのことすら叶わない。自分ごときが姉を制止するなどとと、ためらう気持ちがあったからだろうか。

 そうして、利根はなににもさえぎられることなく口を開く。

「吾輩と同じ名前の存在が、別のところにもおるのじゃな」

 それを聞いた提督の顔色がさっと変わった。

「な……どこで、それを……!?」

 提督を見つめる利根の目は、笑みを浮かべる口もととは逆に鋭さを増していく。

「それは言えん。しかし……それにしても、ここがブイン、勢力圏のほぼ最前線にあたるからこそ多数の艦船が集結しておるのかと思えば。よその拠点にも吾輩たちがおるとなれば、吾輩たちの存在は、いったい何なのだ? それに……」

 姉がなにを言っているのか、筑摩にはわからない。まさか、龍田から聞いた話は、すべて本当のことだったのだろうか。頭がぐるぐるとしてなにも考えられない。だが、青ざめる提督の顔色から、姉の言葉が禁忌に触れる内容であることは疑いない。

 硬直をふりきって、筑摩は姉に手を伸ばす。

「姉さん……!」

 それ以上はやめてくださいと、筑摩が言おうとした矢先だった。

 どん、と執務机のほうから音がした。そちらを見ると、提督がいすから立ち上がって肩を震わせていた。

 こちらをにらみつける青白い顔を見て、筑摩は初めて、この提督のことをおそろしいと思った。

 提督は、怒鳴りだしそうになるのをこらえるようにして、一語一語ゆっくりと言葉を発する。

「利根、筑摩、あなたたちには、懲罰室入りを、命じる」

 筑摩はその静かな剣幕に震えて、ひざをついてしまった。だが、見上げた視線の先で、姉は不敵な笑みを浮かべつづけていた。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラ(名前だけも含む)の現在のレベルは利根46、筑摩47、天龍34、龍田53、日向33、扶桑34、蒼龍12、摩耶17、鳥海17で、伊58が28。上にも書いてますが、重巡組他はここのところ出番がなくて全然レベル上がってないです。クリアの見通しが立たないままじわじわと減ってくバケツがこわい。
 それと、前回のとねちく回にて、「独自設定」と書きましたが、正確には他作品からのパクリですね。謹んで訂正させていただきます。
 それに関連して……ではないですが、今回は『氷と炎の歌』のパロディのつもりで一部の場面を入れこんでみました。あんまりそれっぽくないかもしれませんが、どんなもんでしょうね。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月25日

3-2トライ中 その2

以下、今回は望月長月です。文字数を膨らませるばかりで削る方法がわかってない感。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「やっと帰着か……」

 固い港の舗装を踏みしめながら、一人の少女が力なくつぶやく。

 その少女の頭上を、一羽の海鳥が飛び去った。鳴き声高く、朝の海へと羽ばたく姿が力強い。続けて二羽、三羽とあとを追うように飛び立っていく。

 夏場のうるさいほどの蝉の声も絶えた今、基地の近くには少しずつ、彼ら海鳥の姿が増えてきていた。営巣するもの、さらに南へと向かうものたちがここを訪れだしたからだ。あとひと月もすれば、港は彼らの喧騒で満たされていることだろう。

(冬場の風物詩……なのだろうな)

 倦むことなく繰り返される彼らの営みを思い出しながら、また一人の少女――長月はぼんやりと考える。

(それにひきかえ……)

 振り返った先にいるのは五人の少女。彼女たちは皆ぼろぼろで、長月も含めてけがをしていない者はいなかった。疲労が出ているのは明らかだ。

 無理もないと、長月は思う。それだけ厳しい任務だったのだ。長月をしても勝機を見出すことはできずにいた。だが、じっとしていても雰囲気が明るくなることはない。いつまでもこの場にたむろしていてもしかたがない。

「全員、整列!」

 長月は背筋を伸ばし、声を張り上げる。それに応じて、少女たちものろのろと動き出す。中にはへたりこんだまま立ち上がれない者もいたが、そういう者には無理をするなと手ぶりで示す。そうして、皆が姿勢を正したのを確認して言葉を発する。

「皆、今回は大変な任務をよく戦ってくれた。一方的にやられっぱなしだったのは悔しいかぎりだが、次までにはもっと力をつけて、一矢報いてみせてやろう」

 おうと、声があがる。それを聞いて、これなら大丈夫だと、長月は思う。見た目は疲れきっているが心は折れていない。それは、まだまだ強くなることができるということだ。見回した仲間たちの頼もしい面構えに力強い笑みを返し、長月は続ける。

「本任務部隊はこれにて解散とする。傷の重い者はこのあとすぐに船渠に向かうこと」

「すまない。旗艦のこの私が指示を出さねばならないのに……」

 力の入りきらない声で申し訳なさそうに言うのは、そろいの水兵服に身を包んだ銀髪の少女――菊月だ。それに対して、長月は性分だと短く返す。

「ほか、傷の浅い者――皐月と不知火は、司令官への報告後に反省会をするので、次の出撃部隊を確認したら講義室か、空いていなければ広間で待っているように」

「りょーかいっ」

「了解しました」

 皆の返事を確認すると、長月は話をしめくくり、部隊は散会した。


(さて、あの男にはどう報告するか)

 執務室への道すがら、長月は今回の任務を振り返っていた。

 北方海域への出撃は、何度か経験していたことだ。だが、駆逐艦のみの編制で向かったのは今回が初めてのことだった。わざわざ戦力を限定することにどんな意味があるのかと思ったものだが、速力に任せてうずしお近辺をつっきる航路を取れたからか、これまでにない編制の敵艦隊と遭遇することとなった。南西海域への出撃任務を思わせるような、戦艦を主軸に据えた艦群。空母主体の部隊になら出くわしたことはあったが、あの時はこちらにも強力な機動部隊がいた。今回のような駆逐艦だけでうまく立ち回ることなどできるはずもなく、辛くも撤退して今に至るというわけだ。

(あの部隊を駆逐艦だけで倒すのは至難の業だ。まして、あの先にもさらに敵部隊がいると想定すると……)

 味方部隊の戦力強化は必須である。それについてはあの男も異論はないだろう。だが、そこで問題がある。今回取った航路は、足の速さに頼ってむりやり押し通ったようなものなのだ。空母や戦艦を加えた艦隊で、果たしてあれを再現できるだろうか。高速の巡洋艦程度が艦種の上での強化の限界ではないかと思えてしまうのだ。

(それも、本当に可能かどうかは試してみるまでなんとも言えないところだがな。それに……)

 今回の編成において、あの男はいつもとなんら変わらない調子で駆逐艦限定の部隊を提示してきた。これまで戦艦か空母がいない部隊を組んでいたときは、北方海域に出すことを不安視して近場の哨戒しか許してこなかったにもかかわらずだ。

(ついに気が狂ったかとも思ったが、そうじゃない。あの目はどこまでも正気だった)

 巡洋艦すら排した思いきった部隊編成の裏にはなにかしらの思惑があるのではないか。ひょっとすると、あの男は出撃する海域に待ち受ける敵の戦力を事前に把握しているのではないか。そんな考えがふっと浮かんだ。しかし、長月は首を振って根拠のない疑問を打ち消す。

(それなら、今回のこの惨敗はなんだ。わかっていてやったのなら、捨て駒として扱われたようなものだ)

 あの男の指導力は誇れるものではないし、なれなれしい態度には嫌気もさしているが、犠牲もやむなしとするような作戦を立てる人間ではないと、その点においてだけは信頼を置いているのだ。今回のような厳しい戦場に投入されることもあるが、できない指令は下さない男だという程度には評価をしているつもりである。そもそも今回の遭遇戦は未知の航路への突入に起因していた。想定外の強敵に敗れたことを変に深読みしすぎているだけではないだろうか。

(それすらも予測のうえで、期待通りに偵察を果たしてきた形とも考えられるが……)

 さすがに邪推が過ぎる。長月は知らぬ間につめていた息を吐いた。そうして角を曲がったところで、向かいからやってきた一人の仲間とぶつかりそうになった。

「あ、長月。おはよー! あれ、おかえりだっけ?」

「ただいまだ。そしておはよう、睦月」

 お互いなんとか身をかわしつつ、すれ違いざまに交わすあいさつに笑みがこぼれる。

 基地の廊下を歩いていると、あちこちで仲間と顔を合わせたり、そうでなくとも朝の喧騒が聞こえてくる。徹夜の任務に出ていた身には堪えるものもあるが、疲れているからこそ、この活気はありがたくもある。よくない思考にはまりかけていた心をすくい上げてくれるからだ。

(まずは自分たちの至らなさをこそ受け入れるべし。あの男に報告をして、その後は、皆で反省会だな)

 軽くほおを叩き、長月は執務室へと廊下の続きを歩きだす。すると、前方にまたしても一人の仲間の姿が見えた。それが誰かを認識した長月は、つかのま体をこわばらせた。

「……やあ望月、おはよう」

 それでもなんとか普段通りにふるまわなければとつとめて声をかける。声はうわずりがちだったし、体の動きもややぎこちなくなっているのが否めない。望月ならば、これらの不自然にすぐに気がつくはずだ。だが、

「……」

 長月を一瞥するや、望月はぷいと顔を背け、そのまま歩き去ってしまった。

(なんだったんだ……?)

 軽く上げたまま行き場をなくした手をゆっくりと下ろしながら、長月は思う。

(どうも、あいつはなにを考えているのかわからん)

 ここのところ、望月はずっとあの調子だった。

 劣等感をこらえられなくなり感情をあらわにしてしまったあの日以来、長月は望月を見かけるたびに警戒を余儀なくさせられていた。一方的に対抗心を燃やして引け目を感じていることに気づかれてしまったとしたら、いたたまれなさに耐えられなくなってしまうと思ったからだ。

(結局、それは心配しすぎだったのだが)

 実際のところ、その危惧は半分が当たり、半分は外れていた。まず、望月にはやはり気づかれていた。あの翌日から、望月はこちらの痛いところをちくちくとつついて挑発してきた。しかし、腹立たしさを募らされたせいか、そのことをみじめに感じることはなかった。逆に負けん気を発揮させられて、その場ではつとめてなんでもない風を装い、その後はいっそう、不足を埋めることに力が入った。むしろ、感謝しているところもあるくらいだ。

(そうはいっても、顔を合わせるとやはり対応がぎこちなくなってしまうのはしかたがないか)

 一方で望月は、当初こそつっかかってきたものの、少しするとぱったりと声をかけてこなくなった。こちらが思い通りの反応を見せなかったことで飽きてしまったのか。なんにせよ、危惧したような事態にならなかったことには安心している。

(まあ、なぜか、最近はほとんど無視されているに等しいのだが)

 その点については思い当たる節がなく困惑してもいるが、もともとなにも考えていなさそうだったのが望月だ。これが普通なのかもしれないと思っている自分もいる。

(なにはともあれ……)

 これも、あまり考えてもしかたのないことだろうと、長月は望月に関する思考を打ち払い、目の前にたどり着いていた執務室の扉を叩いた。




 その頃、長月にあいさつも返さずすれ違った望月は、自室の扉を開いていた。

「あ、望月、おかえりー! どこ行ってたの?」

 底抜けの明るさで迎えるのは睦月だった。体を動かしたい気分のときにはありがたい、にぎやかな性格の持ち主だが、だらだら過ごしたいときにいられると迷惑な同室者の一人でもあった。そして、今の望月は誰にも構ってほしくない気分だった。

「んー……執務室」

「えー、また司令官のところ? あそこ全然面白くないじゃーん」

 おざなりに答える望月だったが、睦月はそんな彼女の態度を気にせず元気いっぱいの声をかけてくる。答えるのも面倒になった望月は、あくびをしながら室内を見渡してみた。なにやらごそごそと荷物を探っているらしい文月と、つい先ほど帰ってきたばかりらしい皐月がそれにつきあわされているのが確認できる。他の者たちはどこかに出かけているようだ。

(ま、どうでもいいんだけどねー)

 望月はまっすぐ自分の寝台に向かうと、すばやく横たわりふとんをひっかぶった。

「あ〜、望月、寝るの? それならそれなら、わたしも一緒に〜」

 こちらのふとんに飛びこもうとしたらしい文月だったが、睦月にぺしんと頭をはたかれ止められる。そうして、そのまま「いってきます」の声を残して連れ立っていった。どうやら、望月が部屋に着いたときにはすでにどこかに出かけているはずの時間だったらしい。それほど間を置かずに、皐月も部屋を出ていった。

「これでようやく静かに寝れる」

 望月はそうひとりごちた。

 先ほどまで、望月はお気に入りの昼寝部屋である執務室で、半分眠って半分起きているような状態でごろごろしていた。いつものように司令官にいい顔はされなかったが、気にせず好きにしていればあきらめて放っておいてくれるとわかっていたので、堂々とふとんを広げていたものだ。なにもなければそのまま昼まで過ごすのだが、まだ日が高くなっていないにもかかわらず自室に戻ってきているのには理由があった。

(長月……)

 望月は今、彼女と顔を合わせるのを避けていた。同室の仲間であるため皆無にするのは不可能だが、少しでもその回数と時間を抑えておきたかった。長月が来るから追い出してもらおうなどと脅しつけられては、司令官の言でなくともその場を後にしていただろう。その理由は、まだ誰にも気づかれてはいないはずだ。司令官も、班長ぶって望月をひっぱりまわす長月とのやりとりを何度も見ていたからこそあんなことを言ってきたのだろう。

(けど、あいにく今のあたしにとっちゃ、効果抜群ってわけだ)

 望月は自嘲して寝返りをうつ。眠ろうとしていたはずなのに、眠気が訪れる気配はなかった。

(あたしはいったい、どうなっちゃったっていうんだ?)

 望月は、しばらく前から自身に起きている心の異変にとまどっていた。それは残暑もまだ衰えぬあの日、長月の心の奥底をのぞき見た瞬間にさかのぼる。

(あのときの長月の、みっともない顔……)

 あれは、いかにも恨みのこもった表情だった。だがそのすぐ下に、天敵相手に威嚇する小動物のような、必死に虚勢を張ろうとしている心理が透けて見えていた。普段取り澄ました態度をしている長月もあんな表情をするのかと、望月はうれしくなったものだ。しかも、それをひき出したのがどうやら自分らしいとわかると、背筋を走り抜けるような感動すら覚えた。

(また見たいって、考えたまではよかったと思うんだけどなー……)

 その翌日、長月が一人きりになったのを見計らって、望月はおもむろに声をかけた。ぎくりと身をこわばらせる長月の反応に、前日のことは夢ではなかったのだと、改めてこみあげる喜びを感じた。だが、そうして探りを入れはじめてはみたのだが、結局、どうしてあの表情を引き出せたか、それがわからずじまいなのだ。そのせいで、考えていたほどに長月の弱みをつつくことができず、あてずっぽうでからかってはみたものの、期待した激しい反応を見ることはできなかったのだ。

(そっからだ。そっから一気におかしくなった)

 すげなくかわされるたびに、どうしてもまた見たいという気持ちが強まった。手段を変えなければと、そうして徹底的に追及しなきゃいけないと、いつごろからか考えている自分がいた。それと同時に、こんな自分はおかしいと、そんな心の声も聞こえだした。意地になるのはださいし、そもそもそんなに苦労してまで見る意味があるのかと、考えるのもめんどくさい。そう思うのが自分の性格であるはずだった。

(時間がたてば冷めてくもんだって、思ってたのに……)

 あまりに高まる気持ちに違和感を無視できなくなった望月は、ある日を境に長月へのちょっかいをいっさいやめた。さらには長月を避けることで、一度冷静になって自分の気持ちと向き合うことにしたのだ。そうして、はや半月ほどもたっただろうか。しかし、いまだに長月のことを思うと胸が高鳴りそうになるのを否定できないでいる。思い出すだけでも気持ちのいいあの瞬間をまた拝むことができたらと、想像するだけで走る快感に身もだえせずにいられないのだ。

(これはもう、認めるしかないんだよね)

 ふとんの中で、望月は結論を下そうした。期待かおそれか、体がぶるぶると震えだす。何日にもわたってぼんやりと考えてきたことから、自分の願望と欲求に従って一つの答えを導こうとする。自分自身についての思いこみにとらわれることなく、現実離れした妄想に引きずられることなく。

 そうして、心に浮かび上がった思いを明確にする。

(あたしは、長月がほしい。あの情けない顔を、あたしだけのものにしたい)

 その望みは、望月の心にこれ以上ないほどにしっくりくるものだった。満足を覚えて体の力を抜き、軽く乱れた呼吸を整えるように、一度深く息を吸って、吐く。わかってしまえばどうしてこんな簡単なことにあれほど悩んでしまったのかとも思えるが、迷いが晴れたことで気持ちはさわやかだった。

(いいねえ。やる気わいてきたかもよー?)

 どうすれば願いを叶えることができるだろうかと、あれこれ思い描きながら、望月は眠りへと落ちていくのだった。




(集中できない……)

 夜の資料室でノートと向き合いながら、長月は頭をがしがしとかきむしっていた。それでも落ち着かない様子で、一人のはずの室内のあちこちに視線をさまよわせる。

(どうしてだ。どうしてこんなに落ち着かないんだ)

 問いを立てるまでもない。答えははっきりしている。望月だ。

(あいつのせいでこんなにひっかきまわされて……情けない)

 鉛筆の端をがりがりとかじってみるが、気分はまったく晴れやらない。

(ちょっかいを出してくるのはあきらめたものだとばかり思っていたのに……どういうことだ)

 長月は今、望月に対する警戒心をふたたび強めざるをえなくなっていた。その原因となる望月の行動は、ある朝――長月は知らないことだが、望月がとある決意を固めた翌朝から始まったのだった。


 ある朝、長月が食堂で朝食をとっていると、ちょうど空いていた目の前の席を引いて腰を下ろす者がいた。誰にでもそうするように朝のあいさつをしかけた長月だったが、相手に気づくや驚きの声をあげることになった。

「望月……? 珍しいな、こんな時間に」

 望月がたたき起こされもせずにこの時間に起きてくるなど、どれほどぶりだろうか。もともと朝には弱かったのだが、皆の自主性に任せるという名目で放任主義をとるあの男のもと、すっかり二度寝癖がついてしまっているのだ。そんな望月が朝食の時間に現れた。長月ならずとも何があったのか尋ねようというものだ。

 しかし、普段はまだ寝ている時間であるせいか、望月の反応はにぶい。

「ん? んー……」、

 頭も体もまだ半分眠っているようで、自ら運んできた食事を目の前にしながら手をつけようとする気配はない。長月が残りの朝食を腹に収めている間も、はしを持つことすらせずにぼーっとこちらを見ているばかりだった。

「早く食べないと冷めてしまうぞ。もったいない」

「ん……。あー……そっか」

「せっかく久しぶりにこの時間いっしょに食事をすることができたんだ。ごちそうさまもいっしょにできると、私はうれしい」

 目を開けたまま眠っているのではないかと周りが思いかけたころ、見かねた長月がまた声をかけると、望月はようやくもそもそと朝食を口に入れはじめた。とはいえやはりまだ体が目覚めきっていないようで、少し食べただけで降参していたが、残りは周りの者とわけあい、無事に完食することができた。

「このあとの予定は?」

 食後のあいさつを済ませたあとで、望月は聞いてきた。それを自分に聞くのかと、長月はため息をつきたくなった。しかし特に任務の予定が入っているでもなくこんな時間に望月が起きていること自体が奇跡だ。今すぐその上を期待してはいけないと思いなおす。

「おまえは今日、出撃の予定も演習も特に入っていない。やる気があれば仲間の指導に当たってほしいが、それについてはおまえ次第だ」

 そんなことを答えてみたが、果たして望月にはちゃんと伝わったかどうか。ふーんと気のない返事をしただけで、食器を流しの仲間たちのもとまで運ぶ間も、望月はふらふらと長月のあとについてくるのだった。

 そのときは、まだ寝ぼけているのかと思ったものだが、あとから振り返るとやはりおかしかった。

 その日一日、望月は親鳥のあとを慕う子ガモのように、長月の行く先々に従ってきたのだ。兵具の整備から演習、仲間たちとの戦技訓練にいたるまでずっとである。そうしてじーっとこちらを見つめているのだ。

 夕方、何度目になるかわからない厠への連れ立ちの際に、さすがにうんざりした長月は声をかけた。

「なあ、きょう一日つきまとって、なんのつもりだ?」

「んー……なんとなく、そんな気分」

「頼むから、やめてくれ」

 気が散ってしかたがない。そう告げると望月はわかってくれたのかそうでないのか、いずこかへ去っていった。それもこちらを油断させるためのふりではないかと、長月は厠を出るときに周囲を警戒してみたが、どこにも姿は見当たらなかった。それでようやく一息つくことができたが、その後もふと日中の望月の視線を思い出してはあたりを確認してしまったりと、その日は結局、集中力が散漫になりっぱなしだった。


 あの日から、望月にどんどんふりまわされている自分がいると、長月は思う。ときおり思い出したように周囲を確認する動作は、今では癖になってしまいつつある。


 その次の朝、望月は朝食の時間には起きてこなかった。これが普通ではあるのだが、それだけに前日の不自然なふるまいが気になった。食事中もそのことばかり考えていたが、気分屋な望月のことである。明確な答えなど出せるはずもなく、食べ終わるとともに思考を振り払った。

 しかし、そんなふうに考えていたことも忘れ去った哨戒からの帰りに、望月はふたたび長月の前に姿を現した。

「おかえりー、長月」

「……あ、ああ。ただいまだ、望月」

 その意外さにまたしても驚いた長月は、しばし呆然と望月を見つめてしまった。長月が望月に港で出迎えられたことなど、これまで一度としてなかった。他の誰であろうと、そんな経験はなかったはずだ。いったいどういう風の吹きまわしなのかといぶかしむ長月だったが、望月は気にしないでいいからと、わきにどいて静かにこちらの帰投後の訓示の様子を眺めだした。

(……落ち着かない)

 長月はそう感じた。言葉をかける仲間たちの視線が集まるのなら慣れっこだ。あの男ににやにやと見つめられるのも、不愉快だが無視することができる。だが、望月は別だ。同格で、引け目を感じる相手で、くわえて前日から行動の意図がつかめない不気味さがある。今の望月の目を、意識しないわけにはいかなかった。

「…………。以上、それでは解散!」

 考えているうちに訓示を終えていたが、自分が何を言っていたのか思い出せない。しかし特に不振がることもなく散っていく仲間たちを見るに、おかしなところはなかったはずだ。そう自分に言い聞かせていると、望月がつつっとこちらに近づいてきて体がこわばる。

「ねえ、長月。司令官への報告後の反省会って、あたしも出ていい?」

「それは……ああ、別に構わないが」

 思いがけない参加表明に目をぱちくりさせたが、珍しく意欲を見せる望月に、長月は受諾の意を示す。本当は警戒する気持ちも捨てきれなかったが、断る理由が浮かばなかった。わずかにうれしそうな顔を見せる望月に、あとからやはりだめだと言うのも気が引けた。

(まあ、しかたないか)

 長月は反省会で話し合うことそのものに考えをめぐらす。任務に参加しなかった望月が加わるなら、いつもよりていねいに行う必要があるだろうか。あれこれ考えながら執務室へと向かう間、望月は特になにも話しかけてはこなかった。ただ、そっとこちらをうかがっていたような記憶がある。


 その日以後、終日つきまとわれるようなことこそないが、気づけば視界の端にこちらを見つめる望月の姿をとらえることが多くなった。工廠の倉庫だろうと、講義室だろうと、船渠だろうと、資料室だろうと、所構わず出没する。ときおり、反省会に参加したいと言ってきたように、一言二言話しかけてくることもあったが、だからといってそれ以上なにをしてくるでもない。皆の輪に加わってくることもあるものの、その合間合間でじいっと観察されている。そんな気がしてならないのだ。

 用があるなら言えと詰め寄っても、別になにもの一点張り。それならどこかに行けと言ってみても、その場はすぐに立ち去ってくれるが、少しするとまた視界の端をちらつきだす。これでは長月に、落ち着ける時間などなかった。望月の前で弱みを見せまいと、気を張る分だけ取れない疲れがたまっていく。今の長月が気を抜ける時間といえば、望月が出撃しているときくらいだった。


(くそっ……この程度で、へばってどうする)

 ここ二、三週間を振り返りながら、長月はぎりっと歯を食いしばる。そうしてまた己のふがいなさに思いをはせていると、室内でばさりと物音がした。びくっとした長月が腰を浮かせながら振り返ると、視線の先にいたのは、件の相手である望月だった。

「おどかさないでくれ……」

 ふきでた汗をぬぐいながらこぼすが、望月に驚かせるつもりはなかったらしい。

「ごめんごめん。あんまり集中してるみたいだったから、静かにしてようと思ってたんだけど」

 そう言いながら、床に落ちた本を拾ってぱらぱらめくりだす。

(まったく、ふぬけてるな……)

 いまや人の気配に過敏になっている自分がいると、長月は思う。ちょっと前までなら、誰かが近づいてくるのを察しても普通に接することができていた。だが、今ではまた望月ではないかと、そんな警戒が先立つようになってしまっている。つい先日など、ふざけて背後から目隠ししてきた睦月を、反射的に地面に投げ伏せてしまっていた。冗談が過ぎたと謝られたが、こちらこそ穴があったら入りたい気分だった。しかもそれを望月にも見られてしまった。あまりのいたたまれなさにあわててその場を去ったが、そんなこともあってか、仲間たちにも気をつかわれだしたのがうかがえる。

(まったくもって情けない……が、直接危害を加えられているわけでもなし。もっと胆力をつけないとだな)

 そんな決意をしてみるが、今からするべきことでもない。ここで行っている作業はもともと睡眠時間を削る覚悟でのものなのだ。今はこちらに集中せねばと気合いを入れ直そうとする。

(だが、なあ……)

 ちらりと、望月のほうに目をやる。手元にあるものは、昨日の出撃での敵味方の動きを記しかけた図。ここでこうして図面と向き合うのはいつも通りのことなのだが、いつもはいないはずの者が一人。へー、ほーなどと声をあげながら本に目を通しているが、本当に内容を理解できているのかどうか。それはともかく、自分がこうして追い立てられるように勉強に励んでいる理由は、もとはといえば望月なのだ。訓練をさぼりがちにもかかわらず自分に劣らぬ戦果をあげる望月に負けてはならないと、自身の不足を埋めるべくつとめているのだ。

 それに、今手をつけている海戦の図は、長月が独自に手掛けてきたものだ。これによって自分の至らないところを把握し、直すべき点を明確にすることにどれほど役立ったか。南西海域に出撃していた時期、なんとか望月に追いすがれていたのはこれのおかげだとも思っている。だが、これは一人密かに行っている類の努力だ。他人に知られるのは恥ずかしい。それが望月ならばなおさらだ。

 そのとき、望月の視線が本のページごしにこちらを向いた。長月は目が合う前にぱっと手元に視線を落とし、広げていた図面をそそくさと一ヶ所にまとめる。

(やはり、望月がいるところでというのはやりにくい)

 しかし、明日の出撃に活かすためには今やらねば間に合わない。長月は葛藤の末に覚悟を決めることにした。顔が熱くなるのを感じる。

(頼むからこちらを見ないでくれよ)

 そう願いながら、長月はようやく、図面とまた向き合いだした。書棚のほうでぱらぱらとページをめくる音がするたびに集中を削がれて能率は上がらないが、少しずつでもだんだんと作業は進んでいく。粗いところは、後日やり直せばいい。そんなひらきなおりのもと、資料をこぢんまりと広げながら図に書きこみを続ける。

 そうして、予定の半分ほどができたころだろうか。書棚のほうで鳴った、とん、という音に振り返ると、望月が読んでいた本をしまい、こちらに向かってくるところだった。

「そういえば、長月はさっきから何してるの?」

 向かいのいすに腰かけた望月が、聞かれたくないところを探ってくる。長月は顔がほてってくるのを覚えた。

「勉強だ」

「長月、顔赤いよ? 大丈夫?」

 そうしてこちらの顔色をうかがうように尋ねてくる望月の様子には、純粋にこちらを心配する色だけが見て取れた。用心して無愛想な答えを返してしまった自分の狭量さをつきつけられたようで、長月は余計に恥ずかしくなった。大丈夫だと、望月に答えて作業に戻ろうとしたが、じっとこちらを見つめるその視線が気になってしかたがない。ごまかすようにぱらぱらと横に広げていたノートをめくってみるが、だんだんと居心地の悪さが募ってきた。

 ついには長月は乱暴にノートを閉じる。

「本当に、大丈夫だ。なにか他に用がないならもう部屋に戻って寝ていろ」

「んー……もうちょっとここにいちゃだめかなー……なんて……」

(よくもまあ次から次へといやがらせまがいのことばかり……)

 お茶出しくらいならできるからと、いつにない熱意を見せる望月がうっとうしい。おまえなんかと一緒にいたくないと、口から出そうになったその言葉だけはこらえて、長月は力ずくで望月を引っ立たせる。そのまま望月が体勢を崩すのも構わず部屋の外へと追い出してやった。

「せいせいした……のか?」

 扉を閉めて一人になった室内で、長月は大きく息を吐いてひとりごちる。したいと思った行動をとったはずなのに、気持ちは晴れなかった。それどころか、感情的になってしまった自分がますます情けなくなってきた。

 なんとか気持ちを切り替えて作業に戻ったが、追い出した望月がまた戻ってくるのではないか、その場合は謝るべきだろうかと、そんなことを考えて何度も入り口を振り返ってしまい、結局、集中力を取り戻すことはできなかった。


 翌日、長月は予定通りに北方海域に出撃した。何度目かの、駆逐艦のみでの編制だった。巡洋艦では通過できない航路だと判明したことで、ただ二人の教導駆逐艦である長月か望月が出撃するときには、北方海域への出撃を指示される機会が増えてきていた。しかし、駆逐艦だけで立ち向かうには厚い壁に、今日もまた打ち負かされての帰投だった。

「以上が、今回の任務についての報告だ」

 そう言って、長月はしめくくる。敵艦を一隻も沈められずぼろぼろになって帰ってきたことで、機嫌がいいとはとてもいえない。くわえて、今回は自身の失態も響いている。腹立ちを越えて消沈しそうになる心をなんとか踏ん張らせて報告を終えた。目の前の男だけでなく、この場には最近の例のごとく望月もいる。この二人を前に弱みは見せたくない。その一心での忍耐だ。

「ご苦労さま。やはり、現状ではまだまだ厳しいかな」

 男がそう言って、長月をねぎらった。しかし、長月にはなんのなぐさめにもならない。偵察が第一であり、敵を倒せなくても彼我の戦力差がつかめればそれでいいとは言われているが、ここのところ変わりばえのしない報告しかできないでいるのだ。ふがいなさに、握る拳にそっと力をこめる。

「でも、長月、あなたなら、何回か挑んでいればそのうちするするっと抜けてくれそうな気もするんだよなあ」

「全体的にもっと底上げが必要だと言わざるをえない」

 根拠のない楽観を述べる男に、長月は平坦な口調で悲観を告げる。まぐれ当たりを期待されても、まぐれはまぐれでしかない。何回も挑戦しているうちにふとした過失から仲間を失ってしまうおそれのほうをこそ考慮するべきではないかと思えてならないのだ。今の長月には、特にそうだろう。

「まあ、あなたが言うならその通りなのかもしれないが……」

 私は現場での経験が不足してるからその手の戦力判断はどうも苦手なんだよなあと、男は自嘲気味に言う。余計に不安になるからそういうことは言わないでくれと長月は思うが、いつものように声に出して指摘する元気はない。今は、ひたすら自身を戒めたかった。

「どうした、長月。あなたらしくもない。今回の任務における失態といい、どうもここのところ注意力が散漫になっていないか」

 言われて、長月は顔を伏せる。

「面目ない」

 ぼそっと、言葉を漏らす。他になにも言えることはなかった。連日の心身の疲労に、昨夜、集中しきれず徹夜寸前になってしまったことが合わさって、任務中にもかかわらず意識がぼんやりしていたのだ。そのせいで、索敵能力に劣る状況下での敵への対応が遅れてしまった。その後、なんとか応戦したものの、たいした打撃を与えることもできず、仲間の負傷にこれ以上は無理と判断を下して撤退してきたという次第だ。自分でも数日前の演習から危うい兆候を感じてはいたが、実戦でそれが出てしまったのは初めてのことだった。最悪の結果にならなかったのはせめてもの救いだが、一度教導艦の任を降りるべきかもしれないと、長月は自身に落胆していた。

「い、いや、叱責するようなことを言うつもりはなかったんだ。その……なんだ、実力はもっとあるはずだから、焦らずしっかりそれを発揮してほしいということが言いたくてだな……」

 悄然としてうつむく長月を見てなにを勘違いしたか、男はあたふたとなぐさめるような声をかけてきだした。だが、今はそんな気づかいにさえもうちひしがれる自分がいる。

「司令官、もう、退室してもいいだろうか」

 このままだと、先ほどから静かに視線を向けてくる望月もいる前で、どこまで情けない姿をさらすことになるかわからない。なにやら続けようとしていた言葉を飲みこんだ男は、しばし押し黙ったのちにこくりとうなずいた。それを確認して、長月は無言で執務室を後にした。




 それからなにをどうしたか、びゅうびゅうと吹きつける雨風の中、長月は海上を漂っていた。

(ここは……?)

 押し寄せる高波に舵を取られ、針路を定めることすらままならない。がつんと、横合いからぶつかった衝撃に、ようやく近くに仲間がいることに気がついた。

(任務で出撃して……?)

 こんな気の緩みも許されない荒れ模様のさなかに意識を飛ばしていた自分に嫌気がさす。しかし、落ちこんでばかりもいられない。自身もなんとか波を乗り切りながら、周囲の仲間たちの様子を探る。視界は悪いが五隻、しっかり確認できた。駆逐艦のみの編成であることから、どうやら北方海域に来ているらしい。そこまでは状況を把握できた。だが、安心している暇はない。

(まずい。何隻かはぐれそうになっている)

 場所によっては各自で嵐を切り抜けたのちにどこかで再集合を図るのも手だが、長月の見立てが間違いなければ、ここは敵の艦隊によく遭遇する付近でもある。

(どうする……?)

 旗艦を務める仲間の艦影に目を向ける。長月自身が指示を下してもいいが、できれば旗艦の判断を尊重したい。そう考えていると、仲間同士の電信が目に入ってきた。

『ねえねえ、これ、一回引き返したほうがよくない? 本気でまずい気がするよ』

『大丈夫だ。これを乗り切ってこその戦果だと、長月も言っていた』

(私が、そんなことを……?)

 記憶を探るが、そんなことを言った覚えはない。そもそも、ここに来るまでのことすべてが空白の状態なのだ。しかし、心のどこかでは、やはり自分が言ったのだろうと納得してもいた。自分で自分が何を言っているのかわからない。そんなことがここ最近は何度となく起こっていたからだ。先の言葉もおそらく、意識が手の内を離れているうちに口走ってしまったのだろう。

(だが、今ばかりはまずい。なんという場面で、私は……)

 自己嫌悪にむかつく胸を押さえながら、旗艦へと電信を送ろうとする。

 そのとき、至近の海面がはじけた。

「敵襲!?」

 おそれていた事態が起きてしまった。こちらは部隊としてまるでまとまることができていない。このままでは一隻ずつ順々にやられていきかねない。

(希望があるとすれば、向こうもこの嵐の影響をまぬがれないということ。だが、それもどれほどの助けになってくれるか……)

 長月はなんとか回避運動を開始するが、そもそもこちらはまだ敵影を捕捉することすらできていない。戦況は圧倒的に不利だ。どうする、とふたたび旗艦のほうに目をやると、今度は視界の空を横切る機影があった。

「ばかな……この悪天候に偵察機だと!?」

 こんな中で偵察機を飛ばせば、未帰還率は跳ね上がる。敵は犠牲を顧みない戦術を採っているとでもいうのか。

 そう考えている間にも、二機、三機と偵察機が上空を通過する。

(いけない。これでは狙い撃ちだ)

 旗艦から撤退の指示が出ないならば、教導艦の強権発動もやむなしだと、電信を発しようとした、まさにそのときのことだった。

 目の前で、その旗艦から火柱が上がった。

「な……!?」

 驚きに、しばし長月は固まった。ゆっくりと傾きだす船体を信じられない思いで見つめてしまった。そこに、当の旗艦より電信が入る。

『すまない、長月。私はここまでのようだ……。あとのことは、任せる』

 それだけを伝えて、電信は沈黙した。長月は通信機に詰め寄らずにはいられなかった。

『勝手にここまでだなどと決めつけるな! すみやかに嵐の海から離脱して私たちを待て! いいな、これは命令だ!』

 声を張り上げるが、長月も彼女の死がまぬがれがたいものであることを察していた。あの爆発は、砲撃によるものだけではありえない。弾薬にまで火が回っている。おそらくかなりの勢いで浸水もしている。そうなると、ただでさえこの波風である。絶望的にならざるをえない。

(くそっ、くそっ。私がふがいないばかりに……)

 だが、自分をののしってばかりもいられない。引き継いだ隊の皆を、無事帰還させるという大役を任されたのだ。それだけはなんとしても果たさなければならない。そうでなくてはなんの教導艦か。そう決意した、そのはずだった。

 それなのに、敵は長月にろくに指示を出す暇すら与えてくれず、神がかったような精度で味方に攻撃を命中させてくるのだ。

『すいません。お役に立てず……』

『せめて、ほかの皆の無事を祈ります』

 次々と、仲間たちから別れを告げる電信が入りこむ。長月はそれらを、ただ呆然と受信するほかなかった。

(なんだこれは……こんな、私のせいで……)

 目の前で起きていることが信じられない。だが、これはすべて、自らの失態が招いたことなのだ。過失などという言葉で済まされるはずがない。抑えきれなくなった胸の不快を、長月は床の上に吐き出した。

(もっと早く、教導艦を降りるべきだったんだ。それなのに、意地だけでしがみついて、その挙句がこのざまだ……)

『長月さん、残った艦は各自で母港への撤退を開始します。それでよろしいですね?』

 自罰の念にとらわれる長月のもとに、また別の仲間から通信が入った。その言葉に、長月は最後に残ったわずかな気力をふりしぼる。のろのろと通信機に向かい、残り二人となった仲間たちに告げる。

『ああ、母港に帰り着いた者は、司令官への報告をよろしく頼む。これ以後、私への通信は一切不要だ。各員、全力で生還の道を切り開け。皆、これまでありがとう』

 長月の決意を悟ってか、電信の相手はまだなにかこちらに伝えてこようとしたが、長月はそれらを無視して通信の電源を落とした。そうして、嵐に揺れる海の上で二時の方角に視線を向ける。偵察機はすべてそちら側から飛来していた。罠かもしれない。だが、敵艦隊を捕捉する唯一の手がかりだ。

(私の過ちで失われてしまった仲間の命に、私の命で償いとする)

 それが長月の最後の意地だ。自分のせいで大切な仲間たちの命を失わせておいて、おめおめと生きて帰る面の皮などありはしない。せめて敵の艦隊と刺し違えて散ってみせる。

 そうしてどれほどの時間がたっただろうか。嵐の海をつき進む長月の視界の前方に、敵艦隊の艦影が見えてきた。即座にすべての砲口の狙いをつけ、長月は言葉を発する。

「私は『ブイン基地』所属の駆逐艦、長月だ。我が痛恨の恨みにより、その命、もらい受ける!」

 相手にこちらの言葉が通じているかどうか、そんなことはどうでもいい。ただ自棄と殺意を砲筒にこめて砲弾と魚雷とともに発射する。敵の攻撃はまだこちらに届いてこない。ならばと、距離を詰めながら二射目、三射目を撃ちはなす。

 そのとき、めまいを起こしたように長月の視界が暗くちらついた。

「こんなときに……っ!」

 思わず膝をつき、治まるのを待つ。回避行動をとろうにも視界が利かない。これでは絶好の的だ。しかし、幸いなことに、敵の砲雷撃が至近をかすめることすらなかった。

 いくぶんか距離が詰まってくると、だんだん敵艦の姿が視認できるようになってきた。そして、その先頭に位置する艦を識別して、長月は驚愕した。

「望月!?」

 こちらが気づいたことを見計らったかのように、先ほど電源を落としたはずの通信機から音声が入る。

『やっほー、長月。どーも、こちら望月でーす。どう、これで身の程がわかった?』

「どういう……ことだ……?」

 虚をつかれた長月は、気勢も削がれ、なんと返していいかもわからず、ただそんな言葉だけが口から漏れる。そんな長月の阿呆のような反応に望月はあきれたのだろう。理解の悪い子供に教えさとすような説明が送られてきた。

『わかんないかなー。長月がいくら頑張ったって、あたしにかかればその程度なんだって。それなのにいつまでも夢見ちゃってまあ。あんまりにも痛くて見てられなかったから、こうして直接教えてあげにきたってわけ』

 告げられた言葉はわかっても、長月の頭はまだ状況の理解に追いつけない。だって、望月が引き連れているのは……。

『なら……その、うしろに従えている深海棲艦はなんなんだ……!?』

 望月が深海棲艦の旗艦を張っているなど、それこそありえないことではないか。望月は長月たちの仲間なのだ。その思いで問い詰める。

 そこで、またしても長月をめまいが襲う。歯を食いしばってやりすごすしたところに、望月からの返事が届く。

『なに言ってんの? あたしたちのどこが深海棲艦に見えるわけ?』

 こちらを心配するような声によくよく目を凝らすと、それらは確かに基地の仲間たちの姿だった。なぜ見間違えてしまったのか。

(それに、嵐も……?)

 気づけばよく晴れた空であり、波もいたって穏やかだった。あたりを見回してみると、後方に見える島影は見慣れた基地のものだ。

「いったい、なにがどうなって……」

 わけもわからずそうつぶやく長月に対し、最後にあの男からの通信が入った。

『ああ、うん、やっぱり錯乱してるんだね。この間からあなたはずっとその調子で、味方を敵と誤認して撃ちだす始末。これまでの功労もあるから、なんとか回復してくれることを祈っていたが、一向にその気配は見られない。苦渋の末、つい先ほどあなたの爆沈処分を決めた。あなたの前方にいる望月がその指揮を執っている。あの子にもいやな役回りをお願いしてしまった。まあ、あなたにはこの言葉も通じているかわからないのだが』

 それっきり、長月の通信機はまったく応答しなくなった。

(どういうことだ……!?)

 まるで状況がつかめない。しかし、仲間たちはお構いなしに雷撃を放ってくる。

 必死に攻撃をかわした。けれど、追い立てる望月は容赦がない。

 生き延びるべく反撃しようとした。だが、砲弾も魚雷もいっさい積まれてはいなかった。

(どうしてだ……どうしてこうなってしまった?)

 長月の目が、迫る望月に釘づけになる。望月から魚雷が放たれ、ついに避けきれないことを悟った長月は――




 はっと、気づくと長月は机に突っ伏していた。

(私は……いったい、どうなったんだ……?)

 自らの生をあかしだてるように繰り返される呼吸は浅く、速い。

 事態を把握できずにいると、すぐ近くから声がした

「長月、大丈夫ー?」

 その声に顔を上げる。真正面にいたのは、望月だった。その顔は、どこか悪意を秘めた笑みを浮かべているように見えた。

「ひっ……!?」

 自らに致命の一撃を放った少女の顔に接し、びくりと、長月は力の及ぶ限りの勢いであとずさる。がたんと、座っていたらしいいすが倒れ、長月は床にへたりこむ。

「その反応、傷つくなあ。うなされてるみたいだから心配してあげたっていうのに」

 だが、よく見ると、望月の様子は先ほど魚雷を撃ちだしてきたような剣呑な態度とはつながらないものだった。やや機嫌を損ねたような表情をしているが、ゆがんだ感情を浮かべることもなく、基地での常の態度の域を出るものではない。

(ここは……)

 床についた手に転がり当たった鉛筆と思しき感触に、長月はあたりをきょろきょろと見回してみる。

 左手側には、本や資料の束が収められたいくつもの書棚。右手側には、空間を置いて一面の壁と、その一角にある閉架書棚の入り口の扉。うしろ側には、六人掛けの机。正面には、同じく六人掛けの机と、そのうちの一つのいすに座る望月の足。そして自らの周囲の床には、散らばった何枚もの資料。

(そうか。私は、資料室で眠ってしまっていたのだな)

 疲れているのだなと、改めて実感する。日中、男にも報告の最後に不注意を指摘されたが、疲労はすでに隠しきれない域にあるらしい。

「おーい。まだ寝ぼけてるのー?」

 現実の把握に気を取られていると、望月からまた声がかかった。

(そうだ。こいつの前で、こんな馬鹿面をさらしていては)

 ようやく我を取り戻した長月は、自省しながら立ち上がる。この場にいるのは、警戒を先立たせるべき相手である望月だ。勉強中に寝入っているところを見られただけでも恥ずかしいのに、油断しきった姿を見られてしまった。そのことに、今の長月は自分に腹を立てるよりもむしろ、どう思われただろうかとびくびくしてしまう。

「びっくりするから気配を消して近づくのはやめてくれと――」

 なんとかその場を取り繕う言葉を発しながら、いすを起こしてそこに座りかけた長月は、望月が先ほどから手元に置いて眺めている図面の内容を見て取り、驚きに体を打たれた。

「海戦の詳報図じゃないか。それも、おまえが任務で出撃したときの……こんなの、どこで手に入れたんだ!?」

 この基地において、詳報は出撃の頻度もあり、基本的に文章でしあげられている。文字だけではつかみにくい動きを把握する目的で図を自作している長月だが、それはあくまで自分が出撃した任務のものだけだ。基本的には他人にも公開していないし、他の分を誰かが作ったなどという話はこれまで聞いたこともなかった。それを、いったいどこで……。

「長月が書いてるの見て、あたしも作ってみたんだー。どう、よくできてるでしょ?」

 得意げに何枚かの図をひらひらと広げてみせる望月に対し、長月はそれを手に取りながら、自身の苦労をあざ笑われたようないやな気持ちを味わった。長月は、これを一枚一枚作るために、ときに寝不足になりながら、自分の記憶や仲間たちから聞いた証言をもとにああでもないこうでもないと頭を悩ませてきたのだ。それをこいつは、自分につきまとい、日中も好きなだけ惰眠をむさぼりながら、長月が作ったものと大差のない水準の図を作り上げてしまったのだ。

(こんな、あっさりと……)

 さすがの要領のよさと言おうか、こちらを上回る才能の持ち主と言おうか、長月は何と言っていいかわからず体をわななかせる。望月は、長月のそんな動揺を気にも留めぬかのようにさらに声をかけてきた。

「それでねー、この図のここなんだけど、こっからどう切り抜けたらよかったと思う? 前の出撃はそれでつまっちゃったから、次は乗り越えてみたいんだけど、これがどうもねー……」

 言われてよくよくのぞきこんでみると、そこには北方海域での戦闘の様子が描かれていた。しかも、つい気になって戦果を確認してみると、敵艦二隻を撃沈させながらの惜敗となっていることが見て取れた。

(そんな……)

 長月は愕然とした。南西海域への出撃が一区切りをついたのち、望月と部隊を組むことはなくなった。それによって望月を自身の比較対象とする意味はややうすれた。最近の余裕のなさもあり、だんだんと望月の成果を気にしなくなっていたのだ。ところが、長月が自身の伸び悩みによる焦りや望月の件での疲れから、敵の一隻すら沈められないことに壁を感じているうちに、当の望月はやすやすとそんな段階を乗り越えてしまっていた。そのうえ今、さらに大きな戦果をあげるためにはと、質問をぶつけてきている。

(こいつは、どうやってそんな成果を……)

 長月は、望月からの問いも忘れ、食い入るように図に見入る。そうして、気づいた。

(敵にこちらを捕捉されたと気づいてからの動き出しが、速い……?)

 そうだ。同じ部隊にいたときにも感じていた。こいつは、どんな乱戦のさなかでも、自分よりも的確に戦場を把握し、自分よりも緻密な連携を取って見せる。それこそ、こうして図で見ているかのように、戦場を俯瞰視できているのではないかと思えてならないところがあるのだ。

(これは……私には無理だ!)

 才能の差を改めて見せつけられた思いだった。わかってはいたはずだが、がつんと頭を殴りつけられたような衝撃を受け、長月は机にくずおれた。

 そんな長月をけげんそうに眺めていた望月だったが、視線をまた図面に戻してうなりだす。そうしてすぐに、あっと声をあげた。なにやら自分で答えを見つけたらしい。うれしそうに長月に語りかけてくるが、今の長月はこれ以上、望月の声を聞いていたくもなかった。

(どうしてだ。私はこんなに頑張っているのに、どうしてこいつはいつもいつも、簡単に私を越えていってしまうんだ)

 涙がこみあげてきた顔を望月に見られまいと、長月は顔を伏せる。泣き声まであげてはと、必死に体の震えを抑え、声をかみ殺す。

「そういえば長月は、最近どこまで進めてるの?」

 無邪気な声で尋ねてくる望月に、長月は何も答えられなかった。南西諸島海域に出撃していたときは、まだなんとか食いついていられた。けれど今、変わらずえらそうにあれこれ注意をくわえていながら、足元にも及ばない戦果しかあげられていないなどと、どうしてそんな告白ができようか。

 弱り果てた心の限界を感じた長月は、せいいっぱいの見栄を総動員して、なにも持たずに資料室を飛び出した。だが、視界が定かではないために、すぐにつまずき倒れてしまう。壁に体をぶつけた痛みに、みじめさが抑えきれないほどに募る。

「う、あぁ……」

 ついには声も押し殺せなくなった長月は、意地すら失せて泣いた。その場でうつぶせたまま立ち上がることもできず、ただ子供のように泣いた。

 情けない。ふがいない。そんな叱咤はなんの役にも立たなかった。涙とともに張りつめていた意識は流れ出し、そうして残った弱い部分が心細さを訴える。あとからあとからあふれる涙はとどまることをしらず、長月は途方に暮れて泣いた。

「長月、どうしたっていうのさ」

 しばし遅れてやってきた望月が、手に持ったノートをそばに置いて長月に声をかけてきた。その声が優しく耳に響いて、けれど泣き顔は見られたくなくて、長月は顔を背ける。すると、となりにしゃがみこんだ望月に肩を抱き寄せられるのがわかった。

「しっかりしなって。いつもの長月らしくない」

 あんなに劣等感を感じていたはずなのに、望月の腕はあたたかかった。長月は、そのあたたかさに頼りなさがわずかに安らいだような気がした。けれども心細さは消えない。もっとすがっていたくて、長月はひしとその体にしがみつく。

「わたし、私は……もう、だめだ」

「どうしたっていうんだよ。そんな、穏やかじゃない」

 望月は、ゆっくりと先を促してくれた。その言葉に導かれるように、長月はぽろぽろと弱い心の内を吐露していく。

「だって、だ……って、こんな……なさけ、情けないところ、見られて……」

「大丈夫。全然そんなことない。長月があたしにとって誇れるやつだってのは、この程度じゃ少しも変わりっこないから。弱気になることくらい誰にだってあるって」

「仲間たちに……も、かっ……顔向け、できな……」

「皆には内緒にするから。このことは、あたしと長月だけの秘密。ね?」

 その言葉に、長月はおそるおそる望月の顔を見上げる。望月の目は、心から長月に寄り添うあたたかさを宿していた。

「い……いのか? こんな、わ……私が、教導艦で……いつづ、けても……?」

「もちろんだって。あたしも、ほかの皆も、長月がひっぱってくれてるって思えるから安心できてるところあるんだしー」

 望月にかけられる言葉の一つひとつがうれしくて、ありがたくて、それ以上なにを言っていいかもわからず、長月はさらに泣いた。望月もそれ以上言葉を発することなく、ただ優しく背中をなでてくれる。その感触が心地よかった。

(まるで、ずっとこうされたかったみたいだ……)

 夜の静寂に包まれた廊下に、長月のすすり泣く声だけが小さく響いた。


 そうして、どれだけの時間がたっただろうか。ようやく落ち着いてきた長月と連れ添って、望月は睦月型の共同部屋に戻った。

「ありがとう。もう大丈夫だから」

 扉の前でそう言ってきた長月だったが、まだときおり体を震わせており、強がっているのは明らかだった。あんなあとでもすぐに意地を張ろうとする長月をしかたなく思い、望月は有無を言わせず自分の寝台に横たわらせた。

「今さら強がりはなし」

 抗議の声をあげようとした長月の顔の前で手を広げ、ほかの皆を起こさないようにと耳元で注意する。長月はしぶしぶといった様子で従っていたが、いっしょにふとんをかぶると、遠慮がちに望月の手を握ってきた。心細さを主張するその手を可愛らしく思った望月は、そのままその手ごと長月をひっぱり寄せた。長月が顔を赤らめながら抵抗しようとする気配が感じられたが、それもすぐに収まった。ぴたりと、長月の額が胸に当てられる感触に、望月は背中に回す手を深くする。

 そのまま、長月は安心できたのか、すぐに寝息をたてはじめた。それを確認した望月は、自らの腕に包んだぬくもりを確かめて恍惚と身を震わせる。手放したくないと、そんな思いを新たにすると、望月もまた満ち足りた眠りに意識をゆだねていった。

 この夜から、二人の上下関係は定まった。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



以上。前回の望月長月回とあわせた前後編の後編的な感じで。名前の出た登場キャラの現在のレベルは、長月52、望月51、不知火33、菊月22、皐月22、睦月22、文月22。最近なぜか艦これをプレイする時間が減っててなかなかレベル上げが進みません。必然的に3-2攻略も進んでなくて。2-4でもブランク期間を除いて2〜3か月くらい足踏みしてたように思いますが、ここ3-2ではいつまでかかることか。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月04日

3-2トライ(の前の育成)中

今回はちとちよです。改二話……は次の機会に。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 昼の日差しの中、港から基地へと続く道を歩く二つの人影があった。

 二人の顔には、先日までであれば滝のように流れ出ていた汗のしずくは見られない。ここのところ、残暑はめっきりなりを潜めていた。朝晩には寒さを覚えることもあるくらいだ。

 しかしそうはいっても、昼日中がすごしやすいとはまだ言いがたい。あちこちぼろぼろになった長袖をまとった少女は、かえってありがたいとばかりに着崩してみせる。それに対してもう一方の少女が眉をひそめる。

「千代田、誰かに見られちゃうわよ」

 だが少女はどこ吹く風だ。

「見られるっていっても、女同士でしょ?」

「この基地にだって男はいるのよ」

 そう言われた少女はますます楽しそうに口を開く。

「提督が見たら、どんな反応するかな?」

「千ー代ー田ー? いい加減にしなさい」

 怒気をはらみだしたもう一方の少女の雰囲気に、悪ふざけが過ぎたと悟った少女は素直に頭を下げる。羽織っていた上着の前をしっかり閉めると、もう一人の少女はようやく少女を許してくれた。

「まったく、冗談でももっと自分は大切にしないとだめなんだから」

 もう一人の少女のこういうところを、少女――千代田は堅いと思っている。もし先の冗談を実行したとしても、あの提督ならば赤面して目を背けるか、慌てて上着をかぶせるように羽織らせてくるか。いずれにせよ手を出してくるような度胸などありはしないだろうと、何度か話せば察しがつこうというものだ。やりすぎは禁物だが、ちょっと話の種に出すぐらいは許されるのではないか。そう千代田は思うのだが、過保護な姉はすぐおかんむりになってしまうのだ。それに、千代田としても、なにも本人の前でそんな真似をするつもりはない。千歳の前だからこそ、安心して無防備にもなれるというものなのだ。

「ごめんってば。もうしないから」

 上目づかいで告げる千代田に疑わしげな目を向けるもう一人の少女――千歳は、結局ため息をついて視線をはずした。

 千代田はくすっと笑みをこぼす。姉に甘えながらの会話は、千代田に戦場から帰ってきたとの実感を抱かせる、かけがえのない時間だった。

「ああもう、こんな話をするつもりじゃなかったのに……。そうよ、千代田、けがは本当に大丈夫なの?」

「……」

 その話をするのがいやで話題をそらしていたのだが、また戻ってきてしまった。無理にでも高めようとしていた気分がぐんぐんと高度を下げていく。今ばかりは心配性な姉が恨めしい。

「どうしたの? どこか大けがしてるの? それなら無理をしないで」

 それに対して千代田は、心中が面に出ないように気をつけながら答えを返す。

「違う違う。けがは見た目通り中破相当だけど、それでも軽いものだから。それほどつらくはないの」

 この言葉にうそはない。けが自体はそれほどのものではないのだ。

(けど……)

 千歳といるときは忘れようとしていた心のささくれがじくじくと痛みだす。

(なんで、あの程度の任務でこんなけがしちゃったの?)

 今回の出撃は、なんということのない簡単な任務のはずだった。基地近海を哨戒して、敵を見つければ掃討するだけ。現れる敵も、少し前まで何度も出撃を繰り返した南西沖に比べれば全然たいしたことはない。そのはずだった。

(だからって、気を抜いちゃだめだって、わかってたはずなのに……)

 警戒すべき敵も見つからない海の上で、帰還開始予定の時刻を指した時計が目に入り、帰ったら何をしようかと、そんな考えがよぎった。その瞬間、狙いすましたかのような魚雷の不意打ちをくらってしまったのだ。

 その後、被害を免れた仲間たちによって敵の潜水艦はきっちりしとめられた。そうして、部隊でただ一人の負傷を伴って帰還にいたるというわけだ。

(私が皆のお手本にならなきゃいけなかったのに……)

 運が悪かっただけだと仲間たちは言ってくれたが、気をつかわれてしまったことがかえって情けない。失態は誰にでもあると言い聞かせることもできたが、姉ならばあんな油断は見せなかったはずだと思うと、自らのわきの甘さが腹立たしかった。

(こんなはずじゃなかったのに……)

 姉のお荷物から卒業するのだと、本人の前で大見得も切ってみせたというのに、その後もどじを踏む癖が直らない。いっしょの部隊で出撃していたときは最後までかばわれ通しだった。今は編制方針の変更から同じ部隊に所属する機会そのものがなくなっているが、それぞれの部隊の戦果を比べてみると、やはり姉の部隊には見劣りがする。味方部隊の負傷という点で見れば、特にそれが目立つ。

(練度では並んだはずだって、そう思ってたのに……)

 それなのに、出撃するたびに埋められない差を痛感させられる。もっと頑張らなくちゃと思えば思うほど焦りが募る。しっかりしなければと自分を追いこむ気持ちばかりが空回りしているのを感じる。

「千代田?」

 気づけば立ち止まっていた千代田をのぞきこむようにして、千歳がこちらを見ていた。

「急に黙りこんじゃって。やっぱりどこか変よ?」

 余計な心配をさせてしまったことに、千代田はさらにふがいなさを覚える。けれどその気持ちは心の奥底にしまいこみ、千歳には笑顔を取り繕って答える。

「本当に大丈夫だから。提督への報告もあるし、もう先に行くね」

 千歳はなおも納得がいかずに引き留めようとしていたが、千代田は構わず駆けだした。

(お姉には余計な心配かけないって、決めたから)

 千歳はいつだってそのままの千代田を受け入れてくれる。それでも今のままではいやだと、もっと成長したいと願うのは、千代田のわがままだ。今はまだその見通しも立たないが、こんなことで姉を悩ませてはいけない。

(苦しいけど、私一人でなんとかしてみせる。ううん、なんとかしなきゃいけないの)

 鼻の頭につんとくる気持ちをやりすごすと、決意も新たに、千代田は一人、執務室に向かった。


 一方、千代田を見送る千歳は悲しげだった。

(千代田、また無理してる……)

 千代田が一人苦闘しているのはわかっていた。こういうときの千代田は、千歳を避けがちになるのでわかりやすい。前回は本気で距離を置かれていると思ってうしろ向きな考えにとらわれてしまったが、それで結果的に千代田との絆を確かめることができた。今回は迷わず千代田の力になってあげたい。

 けれど、千代田がいったい何に悩んでいるのか。それががわからない。

(前は、戦闘中にあまりかばわれすぎることを気に病んでたわよね。でも、改造が済んでからはそんなことをする必要も感じなくなってるし……)

 千歳の実感として、改造を機に千代田は一段と頼もしくなった。守ってあげなければという意識を抱く必要もないほどに、それこそ肩を並べて戦える自慢の妹になったと思っているのだ。

 では他のことかというと、そうなると見当もつかない。千代田に避けられるのが主に任務の直後であることを考えると少なくとも戦闘に関することなのではないかと思うのだが、それ以上はさっぱりだ。

(それとなく聞きだせればいいのだけど……)

 なまじ気心の知れた姉妹であるだけに、今回のようにこちらが心配して声をかけるとあちらも察してかわされてしまう。

(頼りにしてもらえないのが寂しいっていうのは、ぜいたくな悩みかしら)

 力になれないもどかしさをこらえ、千歳は肩を落とした。




 しとしとという雨音が壁越しに聞こえる。順々に消灯が始まった宿舎は、ゆっくりと眠りに落ちていきつつあった。

 もうすぐ消されるだろう灯りに照らされたうす暗い廊下を、千歳は歩いていた。仲間の部屋から自室へと戻る途中である。しかしその足は鈍い。気もそぞろに立ち止まると、雨降りの外に目をやりひとりごちた。

「誰に聞いてもわからないのよねえ。あの子、こういうところはなかなか他人に立ち入らせない性格だし」

 あれから数日が経ったが、千代田の悩みはいまだにはっきりしない。自分には話してくれなくても、他の仲間になにか手がかりになることを漏らしているかもしれないとも期待してみたのだが、すでにわかっていた以上の情報はなかった。

(もし自分以外の誰かに相談してたとしたら、それはそれでショックだったけど……)

 喜ぶようなことではないと知りながら、そのことに慰められている自分がいることも否定できない。不謹慎な気持ちに首を振っていると、自分たちの部屋のすきまから明かりが漏れていることに気がついた。

(思ったより早かったわね)

 千代田は、夕方ごろに帰還してから船渠で修理を受けていた。今日は北方沖に向けて出撃し、敵一個艦隊を全滅させて戻ってきたという。立派な戦果だ。

 ただ、その過程で中破相当の損傷を負っていた。その修理の終わる時間がちょうどこれくらいだろうと聞いていたため、部屋で帰りを待ち迎えられるようにと仲間たちとの話を切り上げてきたのだ。しかしどうやらその時間は前後していたらしい。

「千代田? 早かったのね……って」

 扉を開けると目に入ったのは、卓子に突っ伏して眠る千代田の姿だった。二人分のお茶が用意してあることから、千歳の帰りを待っている間に寝入ってしまったようだ。

「今日はよっぽど疲れてたのかしら」

 深く穏やかな寝息を聞いていると、このまま寝かせておきたい気にもなる。とはいえ今は季節の変わり目であり、それでは風邪をひいてしまいかねない。せめてベッドまでたどり着いてもらわねばと体を揺すると、千代田はうすく目を開いた。

「お姉……私、寝ちゃってたんだ。ごめんなさい」

「いいのいいの。今日は大変だったんでしょう? 千代田ってば必要以上に頑張っちゃうところがあるから心配なのよ」

 ちらりと見えた千代田の赤く充血した目に、千歳はいたわるようにそう告げる。ところが珍しいことに、千代田は寝起きで弱々しくはありながらも、千歳の言葉に反発してきた。

「頑張らなきゃだめなの……そんなこと言わないで」

「どうしてそう思うの? 千代田は十分立派だと思うわよ」

 驚いた千歳はそう言ってなだめてみるも、千代田はますます頑なになっていく。

「そんなことない。それなら、今日だって……」

 そこまで言いかけた千代田だったが、口ごもって首を振る。

「とにかく、下手ななぐさめはやめて」

 差しのべた手を一方的に振り払うような千代田の態度に、千歳の言葉もだんだん遠慮がなくなっていく。

「そんなに意地を張らなきゃいけないことって何? ひょっとして戦果のことなの?」

 そう言ったとたんにびくりとした千代田を見て、千歳は信じられない思いで言葉を続ける。

「そんな……だってあなた、ちゃんと活躍できてるじゃない。あれでいったい、何がそんなに不満なの?」

 だが、疑問に返されたのは、全身で千歳を拒絶する意志だった。

「うるさい! どうせお姉には私の気持ちなんてわからないんだ。お姉なんて大っ嫌い!」

 叫んで、千代田は部屋を飛び出す。千歳はそれを呆然と見送ることしかできなかった。

(千代田、泣いてた……)

 千歳が部屋に戻る前からそうだったのだろう、はらしたまぶたが痛ましかった。そして、今ごろそれに気づいた自分がふがいなかった。

(私、また間違えちゃった)

 千歳は、押し寄せる後悔に沈んだ。


 一方、逃げるように部屋を出た千代田だったが、彼女もまた後悔していた。

(言いすぎた……)

 あんなことを言うつもりではなかった。本当は話を聞いてほしかったのに、こちらの気も知らないでずけずけと放たれた姉の言葉に我を忘れてしまったのだ。

(どうしてわかってくれないの)

 荒い呼吸をしずめるために足を止める。部屋のほうを振り返るが、度重なった悔しさと情けなさに涙がこみあげてきて思考がまとまらない。

(一度、どこかで落ち着こう)

 灯りの消えた廊下をどこに向かうともなくふたたび歩きだす。

 この時間、宿舎の内は静かだった。だが歩いていると、ときおり就寝時刻を過ぎても寝静まらぬ仲間たちのひそやかな話し声も聞こえてくる。会話の内容までは聞き取れないが、声音はとても仲睦まじげだ。一方がふざけかかっては、もう一方がおおげさなくらいに反応してみせ、次には二人そろって笑い合う。そんな雰囲気。

(お姉、私……つらいよ)

 聞くともなしにそれを聞いているうちに、涙はますます止まらなくなり、千代田はその場にしゃがみこんでしまった。

(私、本当にだめな妹だ。勝手にお姉を頼りにして、自分の都合ばかりで怒りだして……)

 誰にも気づかれないようにと、必死に声を抑えて泣き崩れる。

 そうしていると、廊下の向こうから通りかかる人物がいたらしい。

「なんや千代田、こんなところでどうした?」

 悲しくて心細くてしかたなかった千代田は、かけられた声の主に必死にすがりついた。

「龍驤。私、私……」

 しかし、しゃくりあげるあまり、言葉が続いてくれない。それを察した龍驤は、ひとまず千代田をなだめ、自分の部屋に連れ入った。


「で? どうしたの?」

 千代田が泣くだけ泣いて落ち着くと、龍驤はそう切り出した。

「お姉とけんかしたの……」

 つい先ほどのことであり、千代田の気持ちも整理されきっておらず、話はなかなか要領を得なかったはずだ。しかし途中でつっかえると質問を交えながら、龍驤は真剣に話を聞いてくれた。そして、千代田の話が終わると開口一番こう言った。

「そりゃ、あんたが悪い」

 その言葉に不服を覚えて抗議しようとしたが、龍驤は手を上げてそれをさえぎる。

「そもそもや。千歳のためにはりきってるのに、なんでそれ隠してるの」

「だって……かっこわるいじゃん」

「もともと姉さんに守ってもらっとったんやろ。なにをいまさらかっこつけとるん」

「そうだけど……」

 簡単に言ってくれるが、そんなにすぐに割り切ることができないから悩んでいるのだ。ぶすっとしていると、龍驤も自分の意見を無理強いするつもりはないのか、切り口を変えてきた。

「千歳も千歳で言い方があるやろとは思うが……とはいえなあ。うちから見ても千代田が教導艦としてふがいないいう気がせんのは事実やし。そりゃあ千歳や利根なんかには見劣りするけど、他も含めて比べたら並やと思うで。少なくとも、空母になって一回目の改造を終えてからはな」

「え……?」

「まさか気づいとらんかったんか? 自分の立ち位置に。それとも、どんだけ高い壁に挑んどるかに?」

 知らなかった。千代田が基地に加わってから、追いつくべき目標として常に姉が目の前に存在し続けてきた。追いすがるのに精いっぱいで、自分のことも千歳のことも、他人と比較する余裕などなかったのだ。まさかそんなに高く評価されているとは。

「それじゃあ、お姉のあの言葉も……」

 千歳も、そうして千代田の実力をふがいないものではないと思っているのだろうか。自分があまりにも自分のことしか考えていなかったことに気づかされて、千代田は自身の視野の狭さが恥ずかしくなった。

 だが、それで今の自分に満足していいかどうかはまた別の話だ。千代田が目指すべき場所は、その高さがわかってもなおあきらめられないものなのである。

(あれ、でもじゃあ、何て言って謝ろう……?)

 残った問題はそれだ。かっとなって言いすぎたことを謝ろうとすると、その辺りの事情も伝える必要が出てくるのではないか。先のやりとりで千歳も察してくれているだろうか。自分から話すのは恥ずかしくてたまらない。

「ま、最終的にどうするかはあんた次第やけどな」

 うんうん唸りだしたこちらの気持ちを汲んでくれたか、龍驤はそう言って話を切り上げた。

「さて、もういい時間やし、うちは寝るで。千代田はどうする?」

 部屋に戻って姉と顔を合わせることに気まずさをぬぐえない千代田は、今夜はこのまま泊めてくれないかと申し出た。龍驤は今夜だけだとしかたなさそうな口調をしたが、快く承知してくれた。

(明日になれば、きっと勇気が出せるはず)

 そんな期待を未来の自分に投げかけて、千代田はその夜、目を閉じた。


「あれ、ここ……?」

 翌朝、目覚めて目に入る天井がいつもと違うことに気づいた千代田はしばしいぶかしんだが、すぐに昨夜の出来事を思い出した。

「そうだ。お姉とけんかして……」

 謝りに行かなければと、改めて千代田は思う。けれど、見栄っ張りな心がやはり二の足を踏ませてしまう。

「なんや、まだ決心がつかんの?」

 身を起こしたまま逡巡していると、どこかに出かけていたらしい龍驤が戻って声をかけてきた。ふと気づいて時計を見ると、すでに起床時間どころか朝食の時間も終わりそうになっている。

「もうこんな時間!? 起こしてくれてもよかったのに」

「疲れてそうだったから、ゆっくり寝かしといたった」

 むしろ感謝してほしいくらいだと言われたが、別にそう頼んだわけでもない。そんなことより、今から食堂に行って、千歳はまだいるだろうか。それが問題だ。しゃっきりしない体を叱咤していると、思い出したように龍驤が告げてきた。

「そういえば千代田。自分、次の出撃部隊に名前入っとったで?」

「え……あ、そういえば!」

 昨日、提督に帰還の報告をした際、修理が終わればすぐにでもまた出撃してほしいと言われていたのだ。姉とのけんかですっかり頭から抜け落ちてしまっていた。龍驤によると、前の部隊の帰投予定時刻も近いことから、他の部隊員はそろそろ準備を始めているという。

(やばっ。急がないと)

 間が悪いとは思ったが、それと同時に安心している自分がいることも感じていた。

(これで、今すぐお姉と顔を合わせなくて済む)

 幸いなことに、最低限必要なものは昨晩すべて身に着けてきていた。龍驤から確認するように一度、千歳のところに行かなくていいのかと聞かれたが、千代田はこれを幸いにと直接港へ向かうことに決めた。うじうじと悩んでいるよりは、しなければならない任務のことを考えていたほうが、気持ちもすっきりするかもしれない。


 そうして、一泊の感謝を告げて千代田が去った後の部屋で、龍驤は大きなため息をついていた。

「まったくもって、アホなやっちゃな」

 昨夜の雨が上がった空は、いまだ一面の雲に覆われていた。




 とん、とん、と神経質に書類に判を押す音がなる。

 先ほど電灯をつけたばかりの執務室。その明かりの下で千代田と提督が向かい合っていた。

 口頭でのやりとりが終わり静まりかえった室内で、提督はなにごとかを書類に書きつけている。

 そうしてなにやら満足がいったらしく、ひとつうなずいて退室許可が出された。

「失礼しましたー」

 報告を終えた千代田は、いつも通りの明るい一声を残して執務室を後にする。

 今回の任務は、最近になくうまくいった。もともと簡単な哨戒だったこともあるが、潜水艦を九隻撃沈させてなおかつこちらの被害はごくごく軽微。久しぶりの上々な戦果であった。だが、これを当然のようにできるのが千代田の目標でもある。一度の結果で油断してまた失敗をしてはいけないと、浮かれそうになる気を引き締める。

「このあとはどうしようかな」

 日が落ちて暗くなった廊下を歩きながら、千代田はひとりつぶやく。

 夕食の時間は報告中に過ぎてしまったが、遅めの食事にするのも悪くはない。一方で、任務中は意識しないようにしていた千歳とのことも、いつまでも先延ばしにしているわけにはいかない。

(でも、どんどん顔を合わせづらくなってる)

 時間がたてばたつほど、自分の身勝手さが情けなく、わけを話すのが恥ずかしい気持ちが強まってきていた。千歳と仲直りできないままになってしまうのかと思うととてもつらいが、あと一つ、なにか背中を押してくれるものがほしくてためらってしまう。

 ひとまず空腹をまぎらわせてから考え直そうと食堂に足を向けていると、その途中でばったりと龍驤に出くわした。

「なんだ、こんなところにおったんか」

 陽気な調子で龍驤は言う。

 酔っているのだろうかと疑問に思いながらも昨晩部屋に泊めてもらったお礼を改めて述べていると、ひらひらと手を振られた。

「そんなんいいから。それよりな、今、隼鷹のところでお酒飲んでるの。そろそろ戻ってくるって聞いたから、千代田もどうかと思ってな」

 言われた千代田は少し考えたのち、ありがたく承知した。すっきりできない気持ちがまぎらわせるならば、食事でも酒でも否やはない。それに、せっかくの誘いに乗るのも、一泊の恩義に答えることになるだろう。

 そう考えて向かった隼鷹たちの部屋だったが、連れられ入ってみると、そこにはなんと、渦中の相手である千歳がいた。

「お姉……どうして?」

「千代田……?」

 千歳も驚いているところを見ると、あちらもここで顔を合わせることは予期していなかったらしい。どういうことかと龍驤を見やると、にやりと笑みを返された。

「言わなかんこと洗いざらい全部吐きだして、楽になっちゃいなって」

 その言葉とともにぐいと千歳の前に突き出される。こちらの心の準備などお構いなしの展開に戸惑ったが、手を伸ばせば届く距離に近づいた千歳のことを意識すると頭が真っ白になる。

(どうしよう……何て言ったら……?)

 ぱくぱくと口を開閉させるばかりでとっさに言葉が出てこない。混乱する頭を落ち着けられずにいると、隼鷹が湯呑みを差し出してきた。

「酒の席に来たんだしさあ、まずは一杯やって落ち着きなって」

 よく考えると理屈としておかしかったはずだが、そんな余裕もなく、千代田は注がれた酒を勢いよく飲みほした。緊張して口の中がからからになっていたことに気がついて、もう一杯、また一杯と杯を重ねていると、千歳が唖然としてこちらを凝視していた。

(そうだ。謝らないといけないんだった)

 ようやく混乱から立ち戻った千代田は、覚悟を固めて千歳に向き直った。

「お姉、その……昨日はごめん!」

 言うと同時に勢いよく頭を下げる。

 不思議なことに、あれほど気が進まなかったにもかかわらず、一言目を発するとあとからあとから言葉が口をついて出てきた。

「私、焦ってたの。お姉に心配かけないようになりたいって思ってたのに、全然そうなれなくて。練度が上がっても、改造を済ませても、お荷物のまま抜け出せないのがいやだったの。でも、このままじゃだめだって、思えば思うほどうまくいかなくって。どうしたらいいのかわからなくなってた」

 一気にそうまくしたてる間、足元だけが視界に入る千歳は微動だにしない。千代田は大きく息を吸い、続ける。

「昨日は、本当はお姉に話を聞いてほしかったの。けど、お姉にもわかってもらえないんだと思ったら、頭に血が上っちゃって……」

 そこまで言ったところで、千歳がようやく口を挟んできた。

「ちょ、ちょっと待って。昨日も言ったけど、千代田がお荷物ってどういうこと? なぐさめなんかじゃなくて、千代田はとっても頼もしくなったと私は思ってるわ」

 千代田はその言葉に面を上げる。困ったような表情から、千歳の言葉にうそはないとわかる。やはりと、苦い気持ちがこみあげる。ここが一番大事なところだからと、千代田は気合を入れなおす。

「千歳お姉に比べたら、私なんてただのお荷物なの。龍驤に言われてそれほど捨てたものじゃないって気づけたけど、それでも、教導艦のはずなのにしょっちゅう負傷するし、大事な仲間もろくにかばえないんだよ。お姉ならそれくらい当たり前にこなしてるじゃない。こんなんじゃ、お姉のとなりに立つには全然足りないの!」

 ついさっき飲んだ酒の影響か、いけないと思いつつも千代田はまた頭に血が上りかけていた。それに対し、千歳はようやく納得がいったと、落ち着きを取り戻す。

「あのね、千代田。私だって大けがはするし、仲間をかばうのにも限界があるわ。たぶんあなたの頭の中にある私の姿は、調子が良くて、それに千代田が一緒の部隊にいてはりきってたときのことじゃないかしら。いつもいつもそんなにうまく立ち回るなんて、私にも無理よ」

「うそ……だって、最近の戦果を比べてもお姉のほうが断然いいじゃない。ごまかそうったってそうはいかないんだから」

 千代田は疑り深く千歳をにらむ。だが千歳は優しく諭すように言葉を発する。

「千代田ってばここのところずっと悩んでたじゃない。そのせいで任務に集中しきれてなかったんじゃない?」

 図星をつかれて千代田の目がひるむ。

「万全の力を出しきれてないのなら、戦果が上がらなくってもしかたないわ。千代田はちゃんと強くなれてるんだから、しっかり自分の力を出せれば大丈夫。そりゃ、それでも私の方が上をいくかもしれないけど、そこは姉の意地ね」

 その言葉は、千代田にとっても予想外のものだった。

「千代田ってば、改造の前後くらいからびっくりするくらいの速さで力をつけてきたもの。うかうかして追い抜かれちゃったらかっこわるいじゃない。私だって、こっそり頑張ってるんだから」

 千歳は得意げに片目をつぶり、笑ってみせる。

「お姉……」

 千代田は、思わずその千歳の笑顔に見とれてしまった。

 それに気づいて慌てて首を振ると、まだ千歳にぶつけたい気持ちはあったはずだと記憶を探る。だが、一度解きほぐされてしまった千代田の心から、不満や焦りは跡形もなく流れ去ってしまっていた。浮かんできた涙を隠すように、千代田はふたたび頭を下げる。

「本当に、ごめんなさい! 勝手に焦って、八つ当たりしちゃって。お姉のこと大嫌いなんて、そんなことこれっぽっちも思ってなんかなかったんだから」

「いいのよ。私のほうこそごめんなさい。あなたがそんなに思いつめてたことに、今の今まで気づいてあげられなくて。千代田の頑張り屋さんなところは私の自慢でもあるんだけど、一人で頑張りすぎちゃうのが玉に瑕だわ」

 千代田は自分のことを、優秀な姉の足を引っ張る不出来な妹だと思っていた。それが、そんなことはないと、それどころか自慢であるとまで言ってくれた。そのことが嬉しくて、誇らしくて、ついにこらえきれなくなった涙がこぼれだした。

「千歳お姉、大好き!」

 言って、千歳の胸に飛びこむ。間にあった食器が倒れるが、知ったことではない。久しぶりに、心の底から姉に甘えられる。そのことが嬉しくてしかたがなかった。

「もう……千代田ったら、しかたないんだから」

 盛大に泣きだした千代田をあやす千歳だが、その声も嬉しげだ。

 頭をなでる千歳の手に、千代田はたとえようもない安らぎを覚えた。間近で優しくかけられる声が胸にしみいってくる。そうして、暖かく受け入れてくれる千歳にすぅっと体の力が抜けていくのを感じた千代田は、そのまますべてを姉にゆだねるのだった。




「いやあ、それにしても泣かせてくれたねえ」

 ふたたびにぎやかさを取り戻した席で、隼鷹が面白がるように千歳に声をかけてきた。

「見世物のつもりはなかったんだけど?」

 そう返してみるが、皆の前で言い合ったのは自分たちである。迷惑をかけた手前、少しくらいのからかいは聞き流すほかない。千歳はゆっくり湯呑みを傾ける。

「うちも一時はどうなるかと思ったわぁ。まあでも元の鞘に納まったみたいやし、よかったな」

「龍驤にもいろいろ気をつかわせちゃったみたいね。ごめんなさい」

「ええって、ええって。うちが好きでやったことやし」

 聞けば、今回のすれ違いでは龍驤に助けられたところが少なくなかったらしい。自分たちだけではいつまで長引いたかわからなかったところもある。

(それというのも……)

 視線を下にずらすと、膝の上ですうすうと寝息を立てている妹の姿。周りも気にせず泣きついてきたかと思うと、さんざん服を濡らしてくれたうえに、しまいにはこの心地よさげな寝顔である。困った妹だとも思うが、それでもこの状態にほおを緩めてしまうのは、自分も千代田のことが好きだからなのだろうと、千歳は思う。

「そういや、いつまでそうしとるの? それじゃ飲んだり食べたりしにくいでしょ」

「それがねえ……」

 口で言うより早いと実際に千代田を横にずらそうとする。しかし、膝から下ろされそうになると千代田はとたんにぐずりだし、背中に回っている手で力いっぱいに服をつかんできたかと思うと、また元の位置を回復した。その間、目を覚ました様子はまったくない。

「ほらね」

 千歳は苦笑してみせる。龍驤もあきれたとばかり、酒に口をつけた。

 千代田に目を戻しながら、今度、お酒の飲み方を教えてあげようかしらと、千歳はぼんやり考える。千代田が飲むのはこれが初めてではないが、これまでは千歳がこっそり量を調節してきていた。もし世話を焼いていたことに気づかれたらまたへそを曲げられるのではないか。その姿が想像できるだけにつらさがある。妹が自分の手を離れていくのは寂しいが、こんなふうに潰れるような飲み方を繰り返させないよう、せめて自分の酒量を覚えさせるのが姉の務めだろうか。

 そんなことを考えていると、向かいからまた別の声がかかってきた。

「姉妹で仲のいいことですよね。私にも妹がいたら、こんなふうになれるかしら」

 しんみりとした声音だった。

「祥鳳……きっとあなたにもすぐに可愛い妹が現れるわよ」

「だといいです。いっぱい、してあげたいことがあるんですよー」

 そう言ってあれこれ空想を語りだす姿は素面のときには想像もつかないものだったが、こんな一面が見られるのも酒席ならではの楽しみだろう。

 ときおり、先の隼鷹のように千歳と千代田をからかう声もかかるが、場の居心地は悪くないと千歳は思う。今この場にいるのは、隼鷹、飛鷹、祥鳳、龍驤、それに千歳と千代田の六人。二人部屋なのでやや狭いが、その狭さがまた距離感の近さを感じさせる。

「それにしても、本当に仲がいいわよねー、あなたちって」

 そう言いながら飛鷹がついととなりに寄ってきた。隼鷹が祥鳳のとめどない語りに付き合いだしたので、相手を求めて来たのだろう。けらけらと笑いながら千代田のほおをつつているが、千代田はむずがるように身をよじらせるものの起きそうな気配はない。千歳もそれをほほえましく眺めなら酒を口に含む。

 飛鷹がとんでもないことを言い出したのは、その直後だった。

「思ったんだけど、二人は付き合ってるの?」

 千歳は思わず酒をふきだした。とばっちりを受けた龍驤が抗議してくるが、気にかける余裕もない。

「そ、そ、そんなわけないでしょ!?」

 あまりにも突飛な質問に、答える声がうわずってしまう。

「そうなの? さっきの話聞いててどう考えても千代田はあなたのことが好きで、あなたもそれを当たり前みたいに受け入れてたじゃない。今もすごく嬉しそうにしてるし。私、絶対そうだと思ったんだけどな〜」

「何を根拠に言い出したのかと思えば……」

 酔いのせいか痛みだした頭を押さえながら、千歳は言う。

 千代田との関係はどこまでも姉妹としてのものであって、恋人としての意識はこれっぽっちもない。そのはずだ。少なくとも千歳にとっては。仮にもし千代田に慕われているとしたら、それはそれで悪い気はしないけれど。

 邪推の根を絶とうと千歳がさらに口を開きかけると、面白そうな気配を察したのか、隼鷹と祥鳳までもがこちらの話に加わってきた。

「その話、詳しく聞かせてくれよー」

「まさか千歳さん、妹に手を出していたんですか? そんな……」

 いやな方向に転がりだした話に悪い予感を覚えた千歳は、必死に否定にかかる。

「違うから! そんな事実はこれっぽっちもないから!」

 だが、悪乗りしだした酔っぱらいたちはとどまるところを知らない。

「むきになって否定するところがあやしいわよね〜。これは、徹底的に問い詰めてみるべきじゃないかしら?」

「そうだそうだ!」

「純情な千代田さんがもてあそばれていないか確かめられるまで安心できませんものね」

 にやりと人の悪そうな笑みを向けてきた飛鷹を見て、千歳はしてやられたと悟った。

 せめて龍驤が味方をしてくれたらととなりに視線を向けるも目を合わせてもらえない。心なしか、座っている場所も遠ざかっている気がする。

「とりあえず、最近の千代田におかしなところはなかったかしら?」

「そういえば、なにか思いつめてたような気がするぞ」

「千歳さん、あなた千代田さんに何をしたんですか!?」

 直前の記憶すらすっぽ抜かして好き放題に話を広げはじめた酔っぱらいたちをわき目に、千歳はもうどうにでもなれと、手に取った酒をあおるのだった。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



以上。登場キャラの現在のレベルは、千代田50、千歳50、龍驤31、飛鷹31、隼鷹31、祥鳳31。千代田と千歳はすでに改二に。改二になる頃には改二用のものをと考えてもいたんですけど、もうちょっと先のレベルだと勘違いしてて。気づいたときにはすでにあらかた書きだしちゃってたので、今回はこういう感じで。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

艦これ、2-4クリア

今回はとねちくです。うすめですが……。それと、そろそろ独自設定が目立ってきたように思いますので、お気を付けください。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 ごろごろと大きな音が鳴り響く。どこかに雷が落ちたらしい。建物の外では降りしきる雨粒に木々がさざめき、流れこむ雨水であちこちに水たまりができていく。

「暑いのじゃー」

 閉めきった窓を叩く雨の音が響く室内で、寝台にだらりと寝そべる少女が声をあげた。

「利根姉さん、だらしないですよ」

 襟元を緩めてぱたぱたとあおぎだした少女に対し、もう一人の少女がたしなめる。

「そうは言ってもじゃな……」

 言われた少女は不満げだ。つい先ほどまで屋外にいたために、体が熱を持っている。ぴっちりと服を着込んでいては暑苦しくてしかたがない。いっそのこと脱いでしまったらとも考えたが、さすがにそれはと我慢したのだ。この程度は許してほしい。そんな意図を込めた視線を送るが、もう一人の少女に有無を言わさぬ笑顔で見つめかえされてしまった。

 少女は不承不承、襟元をあおぐ手を止める。しかしそれで暑さがなんとかなるものでもない。浮き出る汗に気持ち悪さを感じながらごろりと寝返りを打っていると、「なんでしたら、うちわがそこにありますから」と教えられた。少女は感謝の念を抱きながら素早くうちわを手に取りあおぎだす。そうして得られる涼に快さを覚えていると、もう一人の少女が目を細めてこちらを見ているのに気がついた。

「筑摩よ、これはおまえが使うとよい」

 もう一人の少女の額に浮かぶ汗に気付いた少女は、そう言ってうちわを譲ることにした。気をつかわなくていいのにと遠慮されたが、少女たちにとってはいつものやりとりだ。当然のように相手に押し付けると、少女は自分の寝台に向かった。確かもう一本うちわがあったはずだと、自らの記憶を探りながら。

 もう一人の少女は、渡されたうちわを心地よくあおがせながら、そんな少女の様子をほほえましく眺めていた。結果的に少女が使っていたうちわを取ってしまった形になっているが、一度言いだしたら聞かないその気づかいを嬉しくも思いながら。

 もとはといえば、この突然の雨を部屋でやり過ごすことができているのは、少女――利根のおかげともいえるのだった。二人は先ほどまで、港で新造の爆撃機の試験飛行を見学していたのだ。それは、もう一人の少女――筑摩の希望によるものだった。筑摩は、自らが搭載する偵察機であれ、そうでない戦闘機であれ、飛行機が空を飛ぶのを見ているのが好きだった。提督不在の時代には、腐らせるばかりの資源の一部を使ってよく偵察機を飛ばしたものだ。しかし、今ふたたびの戦時体制下に、浪費している資源の余裕などありはしない。その代わり、新たに製造がなされるようになっている。そこで、しばしばその試験飛行を見学することで埋め合わせとしているのだ。ただしこれは筑摩だけの気晴らしであり、利根も同様に楽しみを見出しているというわけではなさそうだった。今日、利根がついてきたのは、ただの気まぐれだったように思う。それでも、姉とともにそのひとときを過ごすのは、筑摩にとっていつになく楽しいことだった。そうしていくばくかの時間、空を眺めていると、その背景に黒雲が広がりだした。一雨来る前に部屋に戻ろうかとも思ったが、一方で試験が中止される様子はなく、その場を去りがたく思っていたところ、利根が急かすように筑摩の手を引き基地の建物に駆け込んだのだ。その直後、見計らったかのようにざあざあと雨が降り出した。果たして、利根はあのとき走らなければ雨に降られるとわかっていたのだろうか。この姉ならばそうかもしれないと思えてしまうのが、筑摩にとっての利根なのだ。

 そんなことを思い返していると、利根がようやく自らの荷物からうちわを見つけだしたらしい。誇らしげに筑摩に向けてかざすと、涼しげにあおいでみせる。その様子があまりにも気持ちよさそうで、筑摩は思わず笑ってしまった。

「姉さん、もうすぐ雨もやみそうですよ」

 叩きつけるようだった雨足が弱まってきたことに気づき、筑摩は雨が入りこまない程度に窓を開けた。小さな隙間から流れこむひやりとした雨降りの空気に、筑摩はほうと吐息をこぼす。利根はというと、筑摩の言葉を聞き、もうまた出かける気になっているらしい。

「よし、筑摩、涼しいうちに散歩でもするぞ」

「姉さん、まだ降ってますってば」

 本当に雨の中を走り出しかねない姉を引き止めようとしたが止めきれず、結局二人は勝手知ったる屋内の散策をしながら雨上がりを待つことになるのだった。


 筑摩を引っ張り出すようにして部屋を出た利根だったが、実のところ、どこか行くあてがあったわけではない。じっとしているとわずらわしいもの思いに気を取られてしまうため、それから逃れるために動き回ることにしたにすぎない。筑摩はそれをなんとなく察して付き合ってくれているようだが、毎度のことながらすまなくも思う。

「筑摩よ、どこか行きたいところはあるか?」

「強いてあげるならまた港に……と言いたいところですが、まだ雨もぱらついてますし、この辺りをぶらついてみませんか? よく見知った場所でも、ゆっくり歩けばなにか新しい発見があるかもしれませんよ」

 どこでもいいと言われたに等しいが、こちらの意に沿うような答えに、利根はその言やよしとうなずき、足の向くまま宿舎の中を歩きだす。廊下を前進し、ときおりまだ誰も使う者のない部屋をのぞき、階段を昇って降りて、やはり同じようにそぞろ歩く。

 そうしていると、廊下の向かいに一人の少女の姿が見えた。道着めいた和服に長い銀髪をなびかせながら、なにか考えこむような表情をして歩いている。

「おお、翔鶴ではないか」

 利根の声に、少女はようやく二人に気づいたらしい。

「利根さん、筑摩さん。こんにちは」

「うむ」

「はい、こんにちは」

 鷹揚に答える利根に対し、筑摩は丁寧にあいさつを返す。

「お二人はどちらへ?」

「このあたりを散策中です。姉さんが部屋でじっとしているのは退屈だと言うものですから」

 それを聞き、子供でもないのにとこちらを見つめるてくる翔鶴に対し、利根は得意げに胸を張ってみせた。それを受けて同情的な視線が筑摩に向けられるが、彼女はなんのことかわからないと言うように軽く肩をすくめるだけだった。その失礼な気配を感じ取った利根がじっと翔鶴を見やっているうち、彼女が一冊のノートを手にしているのが目についた。それでぴんときた利根は、彼女に尋ねてみることにした。

「翔鶴、おぬし、提督のところに行っておったな?」

「どうしてそれを……?」

 翔鶴が驚きに目を見開いたが、利根としても直感的なものなのでなぜと言われてうまく説明できるものではない。なんとなくだと答えてみると、怪しむような視線を返された。利根は、この視線が苦手だった。見て取れたことをなんでもないことのように聞いただけなのに、まるで気味悪がるような反応をされるのだ。筑摩が言うには、「姉さんは鋭すぎるんです」ということらしいが、普通に見て察することができてしまうがゆえに、何が聞いてはいけないことなのか、口に出してみるまでわからないから困りものなのである。

「知りませんでしたか? 利根姉さんはなんでもお見通しなんですよ」

 筑摩のその言葉にため息をついた翔鶴は、あきらめたように事情を話しだした。

「提督に頼んで、ここ最近の出撃の報告書を見せてもらっていたのです。敵の戦術を研究することで、もっと戦いを有利に導くことはできないかと思いまして。それがゆくゆくはこの戦争の終結を早めることにもつながるはずですし……」

 いつか自らの手でこの戦いを終わらせてみせるとの決意を明かす翔鶴に、利根はすっかり意気をのまれてしまっていた。筑摩から、戦いが終わったらまた二人で静かに過ごしたいとの願いを聞いたことはあったが、利根自身が戦いの終わりに深く考えを巡らせたことはなかった。それなのに、この少女は基地に加わってまだそれほど間もないながらも、途方もない望みを抱いている。こういう者がいればこそ、その道も開けていくのだろうか。

「うむ、頼もしい限りじゃな。吾輩も助力を惜しまぬゆえ、おおいに期待しておるぞ」

 利根は感心しきりに翔鶴の肩を叩きながら、そう声をかけてみたのだが、翔鶴にはなぜだかばつが悪そうな顔をされてしまった。いぶかしみながら別れを告げると、角を曲がったところで筑摩がわけを教えてくれた。

「姉さん、まじめな気持ちを伝えたいときは、必要以上に芝居がかったしぐさをしないほうがいいと思いますよ」


 利根が首をひねりながら歩いていると、今度はまた別の少女と出くわした。紫がかった髪を四手で高く一本にまとめたいでたちが特徴的なその少女。初春だ。

「利根に筑摩ではないか。珍しいのう、かようなところで」

 そう声をかけられたが、ここは仲間たちが寝泊まりしている宿舎の廊下だ。ここで顔を合わせるのに珍しいことなどあるだろうか。疑問に思う利根の代わりに、筑摩が答えを返した。

「雨降りの気晴らしにと、あちこち歩いているんです。普段は外に出ていることが多いですから、こんな機会でもないと任務や食事以外でなかなか皆さんとも顔を合わせられませんが」

 そう言われてみると、利根としてもそんな気がしないでもない。筑摩に比べればほかの者たちと接することは少ないが、仲間たちのことはしっかりわかっているつもりだった。しかし自分だけその気になっている可能性も否定はできない。

「うむ。この機会に初春と親睦を深めてみるとしようか」

 そう決意を述べてみるのだが、初春の反応はいまひとつかんばしくない。いきなり何を言い出したのかと、筑摩に説明を求めるような視線まで送っている。おかしい。こんなはずではなかったのだが……。利根も筑摩に補足を期待したが、筑摩は初春に、聞いてのとおりだと澄まし顔をするばかりだった。初春はあきらめたように話題を変える。

「まあよい。行きがかった船じゃ。食堂に寄る用事があるのじゃがな。二人とも、わらわとともに参らぬか?」

 その言葉に察しをつけた利根は彼女に尋ねてみることにした。

「ああ、同室の者たちの分まで菓子を取りに行くのじゃな。なんなら、運ぶのを手伝ってもよいぞ」

「おぬしはたまに、気味が悪いほどに勘が鋭くなるのう……」

 その言葉は、利根の心にちくりと刺さった。すると、筑摩がそれを雰囲気で察したか、うしろから声を挟んだ。

「先ほど、初春さんたちの部屋の前を通りかかったのですよ。そのとき、中からにぎやかな声が聞こえてきたものですから……」

「なんじゃ、聞かれておったのか。ならば話は早い。改めて、手伝いを頼めるかのう」

 納得した風な初春の様子に、利根は筑摩に胸中で感謝した。本当のところ、初春たちの部屋から漏れ聞こえてきた声は、その内容をろくろく聞き取れない程度の大きさでしかなかったのだ。利根は即座に当たりをつけることができたが、おそらく筑摩は、今の利根と初春のやりとりを聞いてようやく利根の理解を察したのだろう。ともかくこの場はごまかすに限る。力強く自らの胸を叩いて了承の意を告げる。

「うむ。吾輩が手伝うからには大船に乗ったつもりでいるがよいぞ」

「そんな大仰な話でもないのじゃがのう」

 そうつぶやく初春をよそに、利根は意気揚々とふるまいながら食堂へと向かうのだった。


 昼食の時間を過ぎていることもあり、食堂に人影はまばらだった。一度に百人もの人を収容できるこの広間も、食事時でなければこんなものだ。遅い昼食をとる者、食事が済んでも談笑を続ける者。数える程度の仲間たちが居合わせていた。初春はこちらに気づいた彼女たちに目礼を送ると、使いの用事を果たすべく冷凍庫に向かった。利根は筑摩とともにあとについていき、さじと小皿を用意してアイスクリームのとりわけを手伝う。一人ひとりの分がそれぞれ均等になるようにと何度も念を押す初春に、皆よほど楽しみにしているのだろうとわかり、責任感に気がひきしまる。

「しかし、こうして目の前にしておると、吾輩もほしくなってくるな」

「姉さん、つまみ食いをしてはいけませんよ?」

 もちろんだと返すが、ひとたび想像してしまった爽やかな味わいを振り払うのは簡単ではない。もの欲しそうな視線を背けられずにいると、それに気づいた初春がしかたないという顔で告げてきた。

「残った分はそちらの好きにしてよいぞ。わらわの手伝いをしてくれた、その礼じゃ」

「おお! ありがたい心づかい。この利根、心より感謝するぞ!」

「うむうむ。せいぜい感謝するがよいぞ」

 鷹揚な初春の言葉に喜んだ利根は、このアイスクリームをどこで食べようかと考えだす。するとそこに、また別の少女が現れた。和洋折衷風の緋袴に身を包んだ黒髪の少女。飛鷹だ。

「ねえねえ、何か余ってるお菓子、ある?」

 その言葉に、とっさにアイスクリームを腕の中に抱え込んで所有権を主張する利根。それを見た飛鷹は、他人の分はとらないからと手を振り、調理場をあちこち漁りだす。とはいえ菓子に関しては食い意地が張った仲間たちの所帯。そうそう余りものなどあるはずもなく、せいぜいまんじゅうが二つばかり見つかっただけだった。当てが外れた形の飛鷹だったが、もともとそれほど期待していたわけでもなかったらしく、さばさばとしたものだ。執着することなく調理場を出ようとしたところで、入り口からにぎやかな声が聞こえてきた。

「飛鷹、そっちはまだか? こっちの準備はもうばっちりだぜ」

 その声に、利根はあきれたように口を挟む。

「隼鷹、飛鷹。おぬしら、昼間から呑むつもりなのか?」

 非番だしいいじゃんと主張する隼鷹に対し、飛鷹は頭の痛そうな顔をした。

「……一度言いだした隼鷹が止まると思う?」

 無理だろうなと、利根は同意した。こと酒が絡むと、隼鷹は周りを巻き込んで暴走しだすきらいがある。それに毎度付き合わされる飛鷹の苦労を察して慰めの言葉をかけていると、隼鷹が肩を組むようにして利根に話しかけてきた。

「なあなあ、利根と筑摩も、よかったら、これからあたしらに付き合わない?」

 その言葉に思い出すのは、まだ飛鷹が基地に来る前に参加した酒盛りの記憶。ちょっとだけだからと呑みはじめたが最後、ずるずると明け方近くまで付き合わされた末に、翌日ふつか酔いのままでの出撃を余儀なくされたのだ。あの悪夢の再現はなんとしても避けたい。利根は初春の手伝いを引き合いに出したが、すると隼鷹は初春にまで誘いの声をかけだした。

「人数は多いほどいいからさあ。どう?」

「それは、じゃのう……」

 初春も経験があるのだろう。なんとか厄介ごとを回避すべく必死に頭を回転させているのが見てとれる。

「なあ? なあ?」

「利根、筑摩よ。菓子を運ぶのは何回かに分ければ三人もおらずとも十分じゃ。おぬしらはせっかくの誘いなのだし、行ってきてはどうじゃ?」

 駆け込もうとした避難先は目の前で閉ざされてしまった。利根は何かほかに手はないかと考えだしたが、逃がさじとばかりに力がこめられた隼鷹の腕に、望みが絶たれたことを悟った。最後の希望とばかりに筑摩に目を向けるも、静かに首を振られるばかりだった。

「引き受けた手前もありますし、私は初春さんの手伝いを済ませてからうかがいますので」

 それまでの辛抱ですと耳打ちされた筑摩の言葉を頼みに、利根は引きずられるように隼鷹と飛鷹の部屋に連れ込まれるのだった。


 筑摩が飛鷹たちの部屋に向かうまで、それほど時間はかからなかったはずだ。だが、扉を開けた筑摩を出迎えた利根のほおにはすでにうっすら赤みが差していた。

「利根姉さん、大丈夫ですか?」

「この程度で酔うはずがなかろう。それより、筑摩もどうだ、一杯」

 参加をあれほど断ろうとしていた先ほどの態度はどこへやら。湯呑み片手に陽気に筑摩を誘う姿からは、前後不覚になるほどではないが、酔いの影響が見て取れた。このままではふつか酔い街道を一直線である。

「いえ……それよりも、外は雨が止んだようです。雨が上がったらまた港に行く約束、守ってくれますよね?」

「しょうがないやつじゃのう、筑摩は……。隼鷹、飛鷹、すまんが吾輩たちはこれで。代わりといってはなんだが、吾輩たちの分のアイスを置いていくでな」

 なんとかひねり出した口実に利根が乗ると、隼鷹は思いがけなくもあっさり送り出してくれた。あんなに誘ってきたのにと疑問にも思うが、この酒席を逃れられるのならそれに越したことはない。

「姉さん、この後はどうしましょうか?」

 そのまま港に向かってもよかったのだが、筑摩には懸念があった。

「言った手前、港に向かえばよいであろう。風に当たっていれば酔いもさめる」

 姉の様子が、人前で見せるものとはどことなく違うのだ。普段、筑摩といるときに限ってはうかがわせることもあるのだが、ときおり利根は鷹揚な態度がうそのように冷めて見えることがある。今のこれが酒のせいなのかどうかは、以前飲んだときには筑摩のほうが先に潰れてしまったためにわからない。いつもなら身近に接するがゆえに察しがついてしまう筑摩以外には見せないようにしているはずなのだが、このままでは誰彼となくそんな一面を見せてしまうのではないかと思うとはらはらする。

「姉さんがそれでいいのでしたら……」

 誰かに会う前に利根の酔いがさめてくれるといいのだがと思いながら、宿舎から港までの道を歩く二人だったが、残念ながら筑摩の願いは叶えられないようだった。

「おお、日向ではないか」

 道の向こうからやってくるのは、哨戒任務帰りと思しき日向だった。

「利根に筑摩か。二人はこれからどこへ? 散歩かな?」

「ええ。日向さんは、任務帰りですよね? お疲れ様です」

 姉に必要以上の受け答えをさせまいと、すかさず筑摩が前に出る。日向にけがや衣服の汚れは見られなかったが、話を聞くとはぐれ深海棲艦を一隻仕留めてきたという。たいしたことなかったと語る日向の様子は、声量こそ抑えられているものの、誇らしさがにじんでいた。

「航空戦艦はやはり強いのう。次に同じ部隊になったときにはよろしく頼むぞ」

 持ち上げるような利根の言葉に、任せてくれと返す日向はますます嬉しそうだ。しかし、筑摩は不安がいや増すのを覚えた。今の利根が相手をほめそやすだけで済ませるのだろうかと思えてならなかったからだ。その予感は的中する。

「それで、なんだったかのう……。『敵艦隊は、何のために攻めてくるのだ』であったか。そちらのほうでは新たにわかったことはあるかの? 吾輩のほうは、ようやく糸口になりそうな情報のありかを、つきとめたところにすぎぬでな」

「な、どうしてそれを……」

 それは、かつて日向がぽつりとこぼしていたという疑問。おそらくは誰にも聞かせるつもりはなく、無意識のうちに口から出た問いだったのだろう。だが利根は、それを聞き落としはしなかった。日向本人も、航空戦艦への改造がなった喜びもあり、今の今まですっかり記憶の底に沈みこんでしまっていたのだろう。虚を突かれてひるんだ日向に、利根はいきなり足払いをかけてうつぶせに蹴倒した。

「なにをする……!」

 日向の抗議を無視し、利根はさらにその片腕を背中側にひねり上げる。

「浮わついた気分は程々にしてもらわんとなあ。ともに任務を課されたときに不安でしかたがない」

 そう告げる利根の表情は、筑摩の目に部屋を出たときからうかがえた陰が取り払われ、純粋に格の違いを見せつける高揚が浮かんで見えた。

 一触即発の事態に、筑摩の背に冷や汗が浮かぶ。だが、もし喧嘩になったとしても利根の勝利を疑いはしなかった。見下した視線の裏付けとなる姉の実力を知っているからだ。

「っ……覚えていろ」

 しばらくして利根が腕を離すと、日向は利根とにらみ合ったのち、憤然とその場を去っていった。筑摩は、酔った利根に絡まれた形の日向のうしろ姿に同情の視線を向けた。それと同時に、姉のことを嫌わないでいてほしいとも願った。あんな一面を目の当たりにしても、筑摩にとって利根が愛する姉であることは小揺るぎもしないのだから。そしてなにより、かいまみえた好戦的な態度に、普段は仲間たち、ひいては妹である自分への気兼ねから自らを押し殺している利根の、最もいきいきとした雰囲気を感じてしまったから。

「姉さん、もう酔いはさめましたか?」

「うむ。すまなかったのう」

 少ししてから、しかめ面を押し隠すようにして歩く利根に筑摩が尋ねると、そんな答えが返ってきた。あとで謝りに行かなければとも言えることから、いつもの姉が戻ってきたのだろう。もともとそんなに酒量を過ごしたわけではなかったのだ。ほっと安心した筑摩は、二人並んで港への道をふたたび歩みだすのだった。

 結局、試験飛行はすでに終わってしまっていた。だが、今日は有意義な一日だったと、筑摩は思う。前々から、姉は自分を押し殺していることに晴れやらぬ気持ちを抱えているのではないかと考えていたのだが、そのことに確信が持てたのだ。しかしだからといってどうしたらいいのか。そもそも姉は今を望ましいと思っているのか、変えたいと思っているのか、そうだとすればどのように……。それが定かではない。直接聞くのもはばかられる問題であるがゆえに、解決のめどはまだ立たなさそうだと、筑摩は悩むのだった。





「なんでしょう、この編制は?」

 広間に貼りだされた編制表を見て、筑摩がそうつぶやく。次の出撃部隊を知らせるその紙には、利根と筑摩を含む六人の仲間たちの名前が記されていた。それだけならば、普段となんら変わるところのない形式である。ところが、そこに記されていた名前には、筑摩に不満を漏らさせるに足るものがあった。

「方針が変更されて、あやつの本気を感じてもいたのだが……」

 着任当初より、提督からは作戦海域への出撃の方針として、一戦してそのまま撤退することを申し渡されてきていた。もっと先の海に進むには練度が不足しているとの判断からだ。利根もその考えには賛成であり、気をつけてさえいれば仲間を失うおそれもほとんどないといえたため、ずっとそれに従ってきていた。

 しかしここ最近、その方針に変更が加えられた。できる限り先へ先へと進軍すべし。それは威力偵察、ひいてはできると判断したならばその場での決戦をも含んだ指示だった。それまでが攻勢に移るための実戦演習に等しいものであったため、ついにその時が来たかと思ったものだが、その一方で、敵の中核と目される戦力を叩くにはまだ練度が足りていないと利根は考えてもいた。急な方針転換の裏にあるものを勘繰りもしたが、ともかく、実際に出撃する身としては、より過酷な戦場への進撃は、それまで以上の疲弊をもたらす難事だった。撤退の判断は旗艦に委ねられているとはいえ、戦果と仲間の命を天秤に掛けることを強いられるのだ。なんてことのないようにこなしてみせても、気づけばのしかかる負担に集中を阻害されている瞬間がある。

 だがそれだけならば、筑摩も基地に所属する者として、出撃はその義務の一つとして納得することができただろう。しかし今回は、変わらず攻勢指示が出されているにもかかわらず、部隊の半数が最前線に投入するには練度が不足している者たちの名で占められているのだ。自分の身を守れるかさえおぼつかない戦場で、二線級の仲間たちをかばいながら戦うことを余儀なくされ、なおかつ戦果を要求される。利根としては期待されてのことだろうしやるほかないという心持ちだが、筑摩にとっては到底納得できない指令だったのだろう。

「ふざけてます。私たちの命を何だと思ってるんでしょうか」

 この妹は、今の提督の着任時にもぴりぴりしていたように、仲間の命、特に利根のそれが危険にさらされるとなると、途端に冷静さを損なうきらいがある。これまでも、これほどではなかったとはいえ、いくつかの無茶な要求をこなしてきているのだ。やってやれないことはないだろうと、利根は考えているのだが。それに、無茶は提督のほうでも承知しているはずだ。ならばと、利根は提案する。

「ならば筑摩よ、提督のもとに直談判しに行くぞ」

 意気高く同意した筑摩を連れて、利根は執務室の扉を叩いた。


「提督、何ですか、あの編制は?」

 開口一番、筑摩は提督に詰め寄った。提督はいきなりの非難に目を白黒とさせるばかりだったが、回答を迫る筑摩の剣幕におそるおそるといった風情で答えを返す。

「何ですかもなにも、見てのとおりだが……?」

 筑摩の真意がわからず当たり障りのない答えを選んだつもりの提督だったが、その煮えきらない態度は筑摩にとってまどろっこしいばかりだったろう。察してもらおうと思った自分が馬鹿だったとばかり懇切丁寧に説明してやろうとする筑摩の心が手に取るようにつかめた利根は、横合いから口を挟んで説明を請け合った。そうして、ようやく事情を理解できたらしい顔の提督に対し、筑摩は最後に一言付け加えた。

「これだから、手腕に劣る上官の下につけられるのは嫌なんです」

「……すまん」

 提督は何か弁解しようとする気配も見せたが、責め立てるような筑摩の剣幕を前に、結局は努力すると返すのみだった。今の提督にはそれがせいいっぱいなのだろうと利根は思うが、これでは筑摩が納得しないだろうからと、もうひと押しできる手がかりを探りはじめ、すぐに引き出しから一通の便箋を見つけだした。

「そのくらいにしてやったらどうじゃ、筑摩。こやつもこやつなりに頑張っておるようじゃからな」

 そうしてそれを筑摩にも読むようにと、提督をにらむ彼女に向けて差し出した。利根の手にあるものに気付いた提督は、慌ててそれを取り上げようと手を伸ばす。

「ま、待て。それを勝手に見るんじゃない」

 しかし、先に受け取った筑摩はすばやくそれに目を通した。そうして、怒りよりもあきれが勝った表情になった筑摩は、軽蔑を隠さない視線を向けて言う。

「提督、実力ではなくご家族のコネでここの司令官になられたんですか? 信じられません。そんな人の指揮にこれまで従わされていたなんて」

 それは、提督の兄からの手紙だった。その手紙の内容から読み取れることは、おおまかに言えば二つ。一つは筑摩が口に上らせたように、提督が父兄らの強い推薦でここに派遣されてきたらしいということ。もう一つはそれゆえにというべきか、父兄および関係軍部から戦果を催促されているらしいということ。海軍はまだしも、なぜ陸軍関係者までと疑問に思わずにはいられないが、マル秘扱いらしいことから、虚偽であるとは考えにくい。いったい、この基地はどういう役割を期待されているのだろうか。巨大な謎にぶつかったように利根は感じたが、今はこれ以上考えても詮無いことと、思索を打ち切り筑摩に言う。

「後見人にあれこれ横槍を入れられながらの指揮と思えば、そう悪くはないじゃろうて」

 おどけたように言うと、筑摩も感情的になっていたと気付いたか、こちらの意を察したように冗談めかして、けれど否とは言わせぬ調子を込めて提督に言う。

「これなら、現場の判断がもっと尊重されてしかるべきではないでしょうか?」

「わかった、わかりました。適宜判断を加えたうえで運用してください」

 だからこれ以上、部屋を漁らないでくれと頭を抱えて懇願する提督に、筑摩は軽く溜飲を下げたらしい。失礼しましたと退室を告げる筑摩を追って執務室から出かけた利根は、ふと振り返って提督に申し訳なさそうな表情を向けた。

「すまぬな。筑摩のやつは、仲間の生き死ににひどく敏感なのでな」





 遠く波音が聞こえる。未明の工廠の一角に光量を抑えた明かりで照らし出されるのは、一隻の艦の姿。暗い中でははっきりしないが、日の光の下でなら、その前部に主砲塔、後部に水上偵察機の射出機が備えられているのがわかるだろう。

 夜中に帰港したその艦は今、修理を受けていた。その大部分はすでに元通りになっているが、母港にたどり着いたときにはあちこち装甲がゆがみ、甲板には穴が開き、主砲もほとんどが発射不能なまでに壊れておりと、よくぞ沈没することなく帰り着くことができたものだと思えるほどの被害を受けていた。苦しい戦いの末の、勝利の代償だった。

 船渠に隣接する建物では、一人の少女が浴槽につかり、もう一人の少女がそのそばで膝を抱え込んでいた。利根と筑摩である。

「姉さん……申し訳ありませんでした」

「だから、それはもうよいと言っておるのに」

 先ほどから、筑摩はずっとこの調子だった。戦いのさなか、姉を守ることができずもう少しで失いそうにまでなってしまったことを悔いているのだ。利根には、仲間たちを気にかけながらの激戦の中、そんな余裕がなかったことは十分わかっているし、なにより利根の意を汲んで張り切ってくれたのだ。自分を責める必要はまったくないと言ってやるのだが、筑摩は頑として聞き入れなかった。せっかく一足先に修復が終わったというのに、今度は自分で自分を傷つけはじめそうで気が気でない。

「そもそも、勝ち目は薄いとわかっていながら進撃を指示したのは吾輩なのだ。これは当然の報いというものであろう?」

 それ以前に偵察を行った部隊の報告から、あの近辺に現れる敵には基地の主力である自分たちをもってしても荷が重いと、利根は推測していた。提督も、撃滅には戦艦と正規空母を中心とした編制が望ましいと考えていたのだろう。そのために選ばれたのが準育成艦たちであり、自分たちには彼女たちの教導艦としての役割が期待されているものと思っていた。今回出撃した部隊にはその中から日向と翔鶴、飛鷹がいたが、彼女たちはまだ錬成のさなかであり、日向に関してはそろそろいい具合になってきていたとはいえ、とてもあの部隊にぶつかって勝利をつかみ取れる域には達していなかったのだ。

「私は、姉さんをかばうことができたはずなんです。それなのに、敵を倒すことにばかり気を取られて、姉さんが狙われていたことに気づきもしなかった。そのうえ、姉さんが傷つけられたと思ったら我を忘れてしまって……」

 利根が集中砲火を浴びたのは、今にも日が落ちようとしていた頃のことだった。視界が悪くなる中、それまでに一隻また一隻と仲間たちの攻撃能力を削いでいった敵戦艦群の砲撃に、ついに捕まったのだ。まずいと思った時にはもう遅かった。いくらかは回避したがすべてをかわしきることはできず、主砲を使い物にならなくされてしまった。さらには足も鈍くなってしまったことがわかり、どうやって撤退してみせようかと考えはじめたとき、敵艦隊に向けて突進する筑摩の後ろ姿が目に入ったのだ。

「あれにはさすがに肝が冷えたぞ。だが、そのおかげで敵艦隊の撃滅に成功できたのだ。怪我の功名というやつじゃな」

 あのとき、ぼろぼろの利根が筑摩に追いつくのは無理だった。比較的損傷の少なかった日向と飛鷹と翔鶴に追いかけるよう指示を出し、無事に連れ戻してくれることを祈るほかなかった。幸いだったのは、日没を過ぎて視界が限られだしていたことか。敵は、筑摩の接近をしばらく見落としていたらしい。気づいて狙いがつけられはじめたときには、すでにかなり近くにまで迫ることができていた。

 そうして近距離で始まった撃ち合いは熾烈だった。翔鶴が被弾から火災を発生させ、搭載されていた爆薬にまで火が回りそうになった末になんとか鎮火するありさまだった。だが、仇情のこもった筑摩の砲雷撃は、確実に敵旗艦をとらえた。五発十発と続いた直撃は戦艦の分厚い装甲に確実な打撃を与え、ついには撃沈に追いこむことに成功したのだ。

「前々からそんな気はしておったが、筑摩よ、戦闘の技量においてならおぬしは吾輩の上を行くのかもしれぬのう」

 一撃を叩きこんでからの、筑摩の畳みかけるような連撃は鮮やかなものだった。自身も一部の砲塔をやられていたにもかかわらず、敵旗艦に反撃の暇をろくろく与えることなく、爆発炎上に追いやったのだ。その間、仲間の誰よりも近くで敵と対していながらすべての攻撃をかわしきり、旗艦を仕留めたと見るや即座に離脱。ついに被弾ゼロで近距離戦を乗りきってみせたのだ。

「そんなことありません。あの時は本当に無我夢中で……またあれをやれと言われても、とてもではないですができる気がしません」

 そうそうできることではないだろうと、利根も思う。だが一度できたことだ。二度目も、やってやれないことはないはずだと信じている。

「まあ、そういうことにしておいてやろうかのう。ともあれ、生きて帰れたことについては筑摩に感謝あるのみじゃな。この件はそれで終いじゃ。次も、二人無事に、勝利をつかみ取るぞ」

 だから、自責感にさいなまれるのもそれまでにしておけと利根は告げる。話しているうちに、筑摩もいくらか気分が上向いてきたのだろう。抱えていた膝を解き、おそるおそると上げられたその顔と目が合った。

「はい……はい!」

 筑摩の顔に、情けなさからではない涙がひとすじ流れた。まだ完全に払しょくできてはいないだろうが、これならもう大丈夫だろうと、利根には思えた。安堵して視線を窓の外に移すと、そろそろと空も白みはじめているのがわかった。

「おお、もう夜が明けるのう。筑摩よ、吾輩の修理もじき完了するはずじゃ。小腹が空いてきたゆえ、先に宿舎に戻ってなにかつまめるものを用意しておいてくれぬか」

 利根の言に、筑摩は了承の意を返して立ち上がった。ふたたび落ち込むような暇を与えまいとする姉の気づかいをありがたく感じながら。

「姉さんの好物を、用意しておきますね」

 その言葉に目を輝かせる姉を見ていると、筑摩は本当にこのままくよくよしてはいられないという気になってくるものだから、自分の中での姉の存在の大きさを再認識させられる。

「それでは姉さん、部屋で待っています」

 そう言って筑摩は利根がつかる浴槽室を出る。気分は持ち直せた。顔を合わせづらかった相手にも、正面から向き合うことができそうだと、筑摩は覚悟を固める。深呼吸をした筑摩は、部屋に戻る前にと、隣の浴室の扉を軽く叩き、そっと開く。

「翔鶴さん、起きていますか?」

 守りきれなかった仲間たちの回復を確認して頭を下げる。それでようやく、筑摩にとっての任務は終わりを迎えることができるのだ。





 部隊の皆の全快が確かめられた翌日の昼間。利根はいつもの山の尾根に座りこんで海を眺めていた。考え事をするにはここが一番落ちくと、利根は思う。そうしてぼんやりと過ごしていると、いつの間に現れたのか、筑摩の声が耳に入った。

「利根姉さん、やっぱりここにいましたか」

 慌てて表情を取り繕ってうむと答えると、筑摩はくすりと笑って、今日はちゃんと水分補給のことを考えていますかと尋ねてくる。利根がそれに応じてかたわらの水筒を手に取って見せると、よろしいとばかりにうなずかれた。

 曇り空とはいえ、暑気にはやはり夏を感じる。部屋に戻りませんかとの目線を向けてくる筑摩に対し、利根は先ほどからつらつらと考えていたことを聞いてみることにした。

「筑摩よ、提督のあの質問、どういう意味だったと思う?」

「あの質問……何だったでしょうか?」

 それは、利根にとっては重大な意味を持つものであったが、筑摩にとってはそうではなかったらしい。先走りすぎた思考を戒めつつ、利根はとなりに腰を下ろした筑摩に説明を試みる。

「敵艦隊の撃滅を報告した時、あやつは、その後に敵部隊がどうなったかと聞いてきおったな?」

「言われてみれば……。これまでは、討ち漏らした敵艦は撤退するなり、はぐれ艦として基地近海に出現するなり、いずれにしてもその時々で対処するので、それ以上どうなったかと聞かれたことはありませんでしたね」

 戦闘において最低限として期待されていたのは、この基地に針路を取る敵を引き下がらせることであり、必ずしも全滅を求められていたわけではなかった。沈められなかった敵艦については、また現れたときに迎え撃てばよいということになっていたのだ。敵艦隊の進撃を食い止められなかったとき、任務失敗の場合においては、哨戒の役割も含めて次発部隊の繰り上げ出撃が指示されていた。つまり、勝っても負けても、残存敵艦がどうなったかは気にされていないらしいというのがこれまでの出撃内容から読み取れる傾向だったのだ。

「にもかかわらず、あやつはそれを聞いてきた。これには何か裏があると、吾輩は思うのだ」

 ちらりと、利根の目が筑摩をのぞきこむ。かつてあの付近で敵艦隊と遭遇した部隊による報告書を読んだ時、利根は気付いたことがあった。あの敵戦艦群は、特にあの旗艦は、これまで出撃を命じられた戦場で対してきたどの敵よりも頭一つ抜けた強さを持っている。実際に戦ってみて、部隊としても戦艦が過半数を占めていたこともあり、これまでで最も苦しい戦いだったのは疑いもない。あの敵には何か秘密があると、利根はにらんでいた。

「ですが、実際にどうなったかはわからないんですよね」

 そうなのだ。利根は顔をしかめる。旗艦の撃沈は確信できたものの、全員そろって無事に母港に帰りつけるのか危ぶまれるほどの辛勝であった。あの場で最も優先すべきはそれ以上の被害を出す前における撤退であり、倒すことで何かわかることがあるのか、確認している余裕などまったくなかったのだ。

「つくづく惜しいことをしたものだ。まあ今の戦力では、勝てたこと自体が奇跡であったのじゃが……」

 できることなら、余力を残して決戦を勝ち抜き、海域のさらに先を確かめてみたかった。難敵を越えた先に、さらなる強敵が待ち受けているのか、それともあれで打ち止めなのか。それがわかれば、この基地に感じるいくつかの謎の核心に近づけるのではないかと、利根は考えているのだ。

「また勝ってみればいいのですよ。今度は、もっと力をつけて」

 横合いから身を寄せてきながら、筑摩が言う。そのいつになく勇ましい言葉に、利根は顔をほころばせた。どうやら気を使わせてしまったようだ。埒の明かない考えに行き詰っていた利根に、その心づかいはありがたくもあった。

「そうじゃな。今日いっぱいは休養に充てられておるが、明日からはまた、びしばしといかせてもらうぞ」

 それに対して、お手柔らかにお願いしますと返す筑摩の言葉がくすぐったい。昨日の未明にはあれほど取り乱していたというのに、頼もしいことだ。やはり筑摩が同じ部隊にいたからこそ、練度に不安を抱かずにはいられなかったあの部隊でも乗り切ることができたのだろうと、利根は思う。今回は多大な損傷を出したが、筑摩に背中を任せながら経験を積んでいけば、近いうちに埋めることのできる不足だと信じられる。

 さて……と、利根がそろそろ部屋に戻ろうと腰を上げかけたとき、筑摩が西の海を指差した。

「姉さん、あれ……水柱が。はぐれ深海棲艦でしょうか。けど、あんな方角から現れたことなんて、これまでにありましっけ……?」

 利根はその言葉に記憶を探る。だが、深く考えるまでもない。哨戒部隊の報告にはすべて目を通しているが、そんな記録は一つもないのだ。これまでの遭遇場所はすべて南東から南西にかけて。本当に西からの出現ならば、これが初めての事態だ。胸騒ぎを覚えた利根は、筑摩のことも置き去りにして基地棟に駆け込んだ。

「これは、いったいどういうことじゃ?」

 少しでも正確な情報を集めようと仲間を片端からつかまえて聞きだすが、見える以上のことがわかろうはずもない。だが、一つ、新しい情報もあった。

「そんな……西からだけではなく、北からもなんですか!? 利根姉さん、いったい何が起こっているのでしょうか……?」

 追いついてきた筑摩も驚きをあらわにしている。利根にも、さっぱりわからない。哨戒部隊の報告を待つほかないのだが、その時間がもどかしくてしかたがない。

(まるでわからぬことばかりだ……。だが、状況は一変したと、言えるのだろうな)

 慌ただしくなる基地内の空気をよそに、利根はそうひとりごち、また答えの出ない思考に戻るのだった。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



以上。クリア時のレベルは、利根改44、日向改25、飛鷹13、初春17、筑摩改44、翔鶴16でした。他の方のクリアレベル報告などを見た感じ、運がいいほうだったたのかなーと思ってますがどんなもんでしょうね。
あと、露骨に伏線張ったみたいになってますが、その後のプレイ状況次第でどうなるかは未定だったり。3-2にぶつかって、どの艦種でもレベル上げればオッケーというわけにはいかなくなってますので。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする