記事タイトルに直接関係のある事柄を一番うしろに配置するのはタイトル詐欺のように思えてきたので、ひとまずここに書いてみます。
投げてかからずにちゃんとイベントの攻略を目指したのは春に続いて二度目だったと思いますが、あまり時間が取れずにそれほど進められなかった前回と違い、今回は行ける限りのところまで攻略できたように思います。まあ、すべて丙作戦での持てる戦力をフルに投入した戦いをしてではありましたが。それでも、ここまで行けるとかなり達成感があります。
苦戦したのはなんといってもE3とE6。
E3では、最初にXマスで5回S勝利を重ねてボスに挑んだのですが、上4隻の装甲がかたくてかたくて……。1万近く燃料・弾薬を消費してもゲージを半分も削れずに一日目が終了。これはちょっとだめかもしれないと思ったんですが、二回目にはXマスで8回S勝利してから行くと、体感的にもダメージが入りやすくなったように感じられました。
E6では、道中大破率が2/3くらいはあったんじゃないかというくらいの苦戦を強いられました。攻略wikiの情報を参考にしながら挑戦してたんですが、エコ編制のルートでは大破し、エコ編制をやめての比較的艦載機を温存しやすいという上ルートでは大破し、やはり同じく道中が安定しやすいという真ん中ルートでは大破しと、結局どこから行っても道中大破率が半分を切ることはなかったというぼろぼろぶり。さすがに戦力的にもここが限界なんじゃと思いましたが、ボスに到達しさえすればE3の一日目よりは着実にゲージを削れていたので、時間はかかりましたが、イベント期間終了数日前になんとかクリア。
E6クリア時の編制と帰還後のレベルは、第一艦隊:陸奥改46、扶桑改55、利根改二73、赤城改47、千代田航改二73、飛鷹改47、第二艦隊:金剛改51、霧島改51、最上改74、龍田改75、敷波改49、白雪改48、道中支援:榛名改50、吹雪改52、不知火改50、祥鳳改48、日向改47、蒼龍改47、決戦支援:山城改55、千歳航改二74、長月改74、望月改74、比叡改50、龍驤改48。
削りの時はもうちょっと抑えてたんですが、泥沼にはまるのがこわかったこともあり、最後は資材の消費を度外視してほぼ全力を投入しました。そのおかげもあって一発でクリアしてくれて。あのときはうれしかったですね。というか、よくよくスクリーンショットを漁ってみると、E1からE6まで実はすべて一発で最終形態を突破していたみたいなんですよね。はまる人ははまるとは聞いてたんですが、自分の場合は特にそんなこともなかったので、その点に関しては運がよかったのではないかと思っていますがどんなもんでしょうか。
それはさておき、今回イベントでは新たに着任した艦娘が結構いまして。逆に言うとまだいないキャラがたくさんいるということなんですが。一人ひとり名前をあげていくと、衣笠、瑞鳳、江風、舞風、速吸、Libeccio、谷風、瑞鶴の計8名が戦力として加入してくれました。通常海域の攻略ともあわせつつ、次のイベントにも向けて、またちょっとずつ育てていきたいところです。
というわけで、これでタイトルは回収しましたので、以下は次の記事も含めていつも通り。今回は望月長月回でお送りします(若干とねちくも含まれてますが……)。前回の望月長月回でぶん投げすぎたところがあって、当時の自分の考えなさに文句の一つや二つつけてやりたくなったのですが、ともあれうまくつながって感じられるといいなあというところです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冬の風浪を切り裂いて、一個の艦隊が海を行く。
その一隻、艦橋内部の一室に、一人の少女の姿があった。黒の水兵服を身にまとった緑髪のその少女は、先ほどから微動だにせず正面に広がる海に顔を向けている。
よく見れば、その目はかたくつむられていた。視界を閉ざしながら、なにかを待つように少女は仁王立ちしている。
しきりに揺れる船体にも、じっとしたまま動かない。彫像を思わせる少女が反応を見せたのは、手もとの電信機が受信を告げたときだった。
『偵察機、追い散らしました。その他敵航空戦力、確認できません』
届いた電信に、少女の目がぱちと開く。
一呼吸置いたのち、静かなうなずきがなされる。
それから、少女の行動は迅速だった。すばやく全艦宛ての信号を発すると、仲間たちに指示をくりだしていく。
『こちら長月。まもなく射程圏内に入る。制空権は我らの手にあり。順次、射程の長い艦から砲撃戦に移るように。機動部隊にはひきつづき弾着観測を頼む。一隻一隻、確実に沈めていくぞ』
告げるべきことをすべて告げると、艦橋を出て甲板に下りる。
空はうっすらと雲が広がりながらもよく晴れていた。吹きつける風になびく髪を手で押さえながら、少女はつかつかと手すりぎわまで歩を進めていく。
そこから、双眼鏡ごしに艦の左前方を見はるかす。視界に映るのは遭遇中の敵艦隊の艦影だった。まだ点のような小ささでありながら、その先頭に立ち、こちらを威圧するような気を放つ戦艦。あなどれないその姿に、少女はぴりぴりと気が張りつめていくのを感じた。相手も、少女の姿をとらえていることだろう。気迫で負けてはいられないと、真っ向からその重圧を受けて立つ。
「来るなら、来い」
旗艦同士、海を隔ててにらみあう。戦闘開始直前の緊張感。風音の間に母艦へと戻る雷撃機の飛翔音がやけに大きく響くような、静かな時間だった。
「ふっ……」
いつまでもつづくかに思われたその時間は、どちらからともなく視線がそれて終わりを迎えることになった。
少女はあがりかけていた呼吸を整えながらきびすを返す。
「さて……」
砲撃戦がはじまるまでにはまだわずかに猶予がある。少女は改めて、自分と仲間たちの艦にさっと目を走らせる。
ここまでに少女たちの部隊は一度だけ戦闘をこなしている。無傷とはいえないが、それでも遠目に損傷とわかるほどのものはない。敵が強力な部隊ではなかったため、当然の結果だろう。
しかし、今度の相手は戦艦一隻を含む高火力の打撃部隊である。これまでに集められた情報からも、この先は戦艦もしくは正規空母を含む敵艦隊との会敵がつづくと想定される。
「ここからが本番だな」
つぶやかれたのは、さらに闘志を高めるための言葉。
ここのところ、少女が率いる艦隊はふがいない戦果をさらすことがつづいている。またそれをくりかえすこととなるのか、今回こそは本来の調子を発揮することができるのか。この一戦が第一の関門になる。
先ほどの威圧感からもわかるとおり、相手は強敵だ。それでも、勝てない相手ではない。水平線ぎわに立ちのぼる黒煙。先制攻撃で敵の一部に多大な損害を与えることができている。あの戦艦が健在であることから油断は禁物だが、戦況は確実に少女たちの側へと傾きつつある。それを取りこぼすことなく手中に収められるかは、少女の指揮と仲間たちの活躍にかかっているといっていいだろう。
「それなら……いくぞ!」
その声と重なるようにして、少女の部隊から砲撃の音が鳴り響いた。後続の戦艦が敵を射程に収めだしたのだ。あとを追うように、重巡洋艦のうちの一隻からも仰角いっぱいの砲弾が撃ちだされる。
猛烈な勢いで射出された弾丸は見る間に空に溶けていき、やがて一体となって視界から消えた。
着弾の報告は届いてこない。
しかし、初撃は放たれた。敵も、こちらの攻撃に応じるように主砲を斉射しだした。少女の部隊では二撃目の準備が進められている。砲撃戦の火ぶたは切って落とされた。
互いの部隊の間を砲弾が行き交いだす。海に水柱が上がり、それから敵の砲声が届く。
「狙いは、私か?」
敵の初弾は少女の前方、行く手をさえぎるように炸裂した。細かなしぶきをかわすように舵を切りながら、少女は敵との距離を詰めていく。
二度目に飛来した砲弾は後方に落下した。三度目も後方。四度目は左側方。いずれも危機感を覚えるには遠い着水点だった。
その間、少女の部隊の砲撃は味方機の観測も手伝って精度を増していた。
「やったか……!?」
少女が注視していた艦の一隻に重なるように水柱が上がる。おそらく至近弾となったのだろう。
さらには別の艦を相手にも夾叉と見える水柱を確認することができる。すぐに命中がつづくことはなかったが、それも時間の問題だろう。
「――っと!?」
そちらに意識を向けていると、なにかが空を切る音が耳に入り、その直後に少女の近くの海が弾けた。
「くっ……」
巻き上げられた海水を、少女は頭からかぶる。
しかし、被害といえばそれだけで艦の損傷はまるでない。
「やってくれる……」
ぎろりと敵艦隊をにらむが、どこから飛んできたものかまでは判然としない。そうしている間にも、ぬれねずみになった少女を嘲笑うように追撃の砲弾がやってくる。
少女は急ぎ舵を切り、間近に迫った弾をかわす。
飛来する攻撃は徐々に数を増していた。あちこちで水柱が上がり、少女はそれを横目に艦を進めていく。
気のゆるみを見逃してくれる相手ではない。緊張感を抱きながら、操船に神経を集中する。
前方からも後方からも響きわたる砲声と着水音。その合間を、右に左に舵を切る。
また一つ。危うい着弾をしのいだ。少女はくちびるをひきむすんで正面を見すえる。
『着弾。敵軽巡洋艦一隻を無力化』
『同じく。敵駆逐艦一隻の主砲に直撃を確認』
それらの電信にころあいを見てとると、少女の艦は沈黙を破って砲撃を開始した。狙いは敵戦艦ではなく、その後続艦。ひと撃ち、またひと撃ちと、観測機からの報告をもとにすばやく狙いを合わせていく。その速さは教導艦の名に恥じないものだった。
しかし、敵も必死の回避を見せる。少女を驚嘆させるほどの舵さばきは動きの予測を困難にし、その合間にはさまる反撃はていねいに照準を合わせる余裕を奪う。
夾叉まではいきながら直撃させられないことにいらだちを感じつつ、少女は主砲を撃ちつづける。
「どこまで粘る……」
決定打を与えられないでいるうちに、ほかの仲間たちからの電信が届く。どうやらさらに二隻を無力化させたらしい。戦艦の主砲にも損害を与えたという。
「私も、こんなところで手間取ってはいられないな」
言いながら、寄せられた砲弾をかわしざま攻撃を放つ。次の砲撃の準備をしながら見送ったその弾は、放物線を描いた末に、とうとう敵艦上で盛大な爆炎をあげた。
「よし!」
つづけざまに魚雷の発射態勢が整えられる。いまや目標は、すっかり少女の間合いに入りこんでいた。
必死の抵抗が少女の視界をかすめていくが、悠然とそれをかわしてみせる。
そうして、けん制するような主砲の数発ののちに少女は勢いよく魚雷を撃ちはなった。
「くらえ!」
海中に飛び込んだ魚雷は狙いたがわず敵艦に刺さり、炸裂した。一瞬、船体が持ち上がりいびつなゆがみが生じるのがわかった。
それを見届けて、少女は大きく舵を切る。
『敵の後退開始を確認。全艦、これより追撃態勢に入る』
残る敵艦は二隻。しかも、どちらも遠目に損傷が見て取れる。それに比べて少女の艦隊の損害は軽微だった。ここで完膚なきまでに叩きのめす以外の選択はありえない。すれ違いざまの戦闘から追撃戦へと、艦隊の進路を変えて追いかける。
「逃がすものか」
敵に戦艦を残していることが厄介だが、それでも部隊の火力差は歴然としている。あとはどれだけ被害を抑えて勝利を収めることができるかという段階だった。
『扶桑、敵戦艦は任せる。加古、鳥海、私たちで重巡洋艦をしとめるぞ』
了解の返事を受けながら少女は彼我の距離を目測する。扶桑はすでに敵を射程に収めている。加古も、届くか届かないかというところでありながら意気盛んに砲撃をはじめだした。少女と鳥海の場合は、もう少し近づく必要がある。
攻撃の輪に加わるべく、二隻は全速力で距離を詰める。
「三対一、四対一で一気に勝負を決める」
反撃のひまも与えず致命打を与える。それが少女の意図だ。この先にもまだ倒すべき敵は控えている。こんなところで手間取ってはいられない。
「この程度、素早く片づけてしまわないとな」
この先でもう一度の会敵報告はあるが、どの地点まで敵艦と遭遇する可能性があるのかまではわかっていない。つまり、その偵察された最前線に到達することこそが、部隊を率いる際のひとつの目標であるといえるだろう。
「それに、あいつだって……」
少女はまだそこまで到達することができずにいるが、同じ駆逐艦である望月はすでにそれを成し遂げてさらにその先へと進もうとしているという。少女には不可能だと断じる理由はないはずだった。
「あいつに、証明しなければいけないんだ。私は、あいつなしでもそこまでいけるのだと。あいつにおぶさるだけの厄介者では、ないのだと……」
望月から完膚なきまでに拒絶された一件を、少女はそう解釈していた。対等な相手だと思っていた少女が、すっかり頼りきりになってしまったのが許せなかったのだろうと。
あの日から数日の間、少女は衝撃のあまりなにも考えることができなかった。しかし、戦況は少女にいつまでも呆然としていることを許してはくれなかった。くりかえされる出撃と失敗の中で、少女は無理にでも気持ちに折り合いをつけることを求められた。
「あいつが、これでまたふりかえってくれるかどうかはわからない。だが、やるしかないんだ。そうとでも信じないと……」
今、少女は望月から徹底した無視を受けていた。同室だというのに、顔すら合わせてもらえない。悪い夢であればいいのにと思っては、朝起きるたびに現実を思い知らされる。それが少女にはつらかった。
「望月、私は……」
そうつぶやいた直後、背後から耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
「ぐっ……ああっ……!?」
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
奇妙な浮遊感。目まぐるしく移り変わる視界。
「痛っ……!」
頭に走った鈍い痛みで、ようやく敵の攻撃を受けたのだと悟ることができた。
「そうか。また……」
望月とのことを考えているうちに、目の前の戦闘のことがおろそかになってしまっていたらしい。
「こんなことだから、私は……」
浮かんだ自己嫌悪をこらえるように、少女は近くの味方へと視線を向ける。思ったように体に力が入らないことに顔をしかめたのち、ぎこちない動きで首を回す。
かぎられた視界からでは全体を把握することはできなかったが、それでも的確に相手を追いつめていっているらしき仲間たちの姿をとらえることができた。
「それでいい。私は、大丈夫だから……」
頭が割れるような鈍痛にぼやけていく意識の中、少女はゆっくりと視線を戻す。見上げたはずの青空は、少女の艦から立ちのぼる煙にさえぎられて、真っ黒にすすけていた。
くーくーと、明けきらない港のそこかしこに海鳥の声がこだまする。
艦の上をながめるだけでも、今日のえさを捕らえに行くもの、そのさなかに羽を休めるものたちが足場を求めてそこかしこに止まっているのが目に入る。
「おまえたち、今日もこんな朝早くから、元気なことだねえ」
疲れたようにつぶやくのは、黒の水兵服を着て眼鏡をかけた茶髪の少女だった。
「あたしにも、ちょっとばかしその元気をわけておくれよ」
少女がそろりと手近にいた一羽に手を伸ばすと、それはそそくさと飛び去っていった。あとには、少しも静まる様子のない鳴き声が降り注ぐ。
少女は大きくため息をつくと、気だるげに歩みだし、港の地面を踏みしめた。
「今回の戦果は、いまいちだったかなあ」
降りてきたばかりの艦をふりかえると、日差しが目に差し込んできて、ほとんど視界をおおうように手をかざす。
「ああもう、だから、この時間の出撃はいやなんだっての」
やや目が慣れてきたころ、少女は思いっきり顔をしかめながら港に停泊している仲間たちの艦に目をやっていく。任務帰りであるため、すべてが無傷とはいかない。細かな傷も含めれば、損傷がないほうが珍しいくらいだ。
その中で、目立つのは主砲塔がほとんど折れ砕かれてしまった一隻。重巡洋艦級の艦のぼろぼろな姿だった。その装甲には、何発の直撃を受けたのか、あちこちに応急処置を施された破孔が確認できる。少女が撤退を判断したのは、その損傷を大破とみなしたからだった。
「まあ、でも、こんなもんっしょ。むしろうまくやったほうかも?」
少女がそうつぶやくのにもわけがある。今回の出撃では、少女の指示からはずれた行動をとる艦が何隻もあったのだ。それでもふだんと比べてわずかに劣るかという程度の戦果をあげてみせたのだから、悪くないどころか上出来といえるくらいだろう。
しかし、と少女は思う。
僚艦が独断での行動をはじめてしまった原因については心当たりがあった。
「絶対、長月のせい」
少女はすっかり情けない顔が記憶に定着してしまった仲間を思い浮かべる。
長月のここのところの調子の落としようは、もはや話にならないほどだった。一見そんな様子はうかがえないのに、突然集中力を欠いて自滅する。そんなことをくりかえすものだから、教導艦としての適性さえ疑問視されるありさまだった。
そして、その余波は同じ駆逐艦である少女にまで及んでいる。
そもそも駆逐艦ごときに高火力の主力艦たちを率いる資格があるのかというわけだ。かぎられた部隊の枠を駆逐艦で埋めるなど、時間としても効率としてもむだが生じるだけではないかという者もいる。
少女としても同意できないところがないではないが、だからといって長月のこととは明らかに別の問題であり、そんな無茶な要求を耳にするたび腹立たしい気分にさせられていた。
「ほんっと、長月ってば、いい迷惑なんだから……」
そんなことを考えていると、視界の隅をかすめて目の前に飛来するものがあった。
「うわっ……!?」
とっさに身をかわして目を凝らす。
地面に落ちたそれは、海鳥の糞だった。
「あ、あぶな……なんてことしてくれんのさ。どいつだよ、もう……おまえか? それともおまえか?」
絶対に許さないとばかり、少女は手当たりしだいに目についた鳥に向かってそのあたりの石を拾っては投げつける。とはいえ、めくらめっぽうに投げ放つものだから当然当たるはずもない。そこらへんに飛んでは、迷惑げな鳴き声の中に消えていくばかりだった。
「望月、なにしてるの。もうみんな整列してるよ?」
とがめるように少女を呼ぶ声。
ふりかえると、一列に並んだ部隊員の中から一人、少女と同じ駆逐艦の仲間がこちらをさしまねくようにしているのが目に入る。そのしぐさに、なごやかさを感じさせるものはとぼしい。それはむしろ、少女をせっつくような動作であった。くわえて、ほかの仲間たちも同調するようないらだちを示している。そこには、とても気楽に解散を告げて済むような雰囲気はなかった。
「はいはい。わかってるって」
めんどうくさそうに返事をすると、少女は手に持っていた最後の石ころを投擲する。勢いよく振りかぶられた石はぐんぐんと飛距離を伸ばし、船べりから見下ろす海鳥の足場をたたいて甲高い音を立てた。
驚きの声を発して飛び立つその姿につかのま満足げな表情を浮かべると、少女はのそのそと仲間たちのもとへと向かう。
そうして足を動かしながら、少女は自分に向けられる挑戦的な目を感じていた。その視線は、少女の希望に反してさらなる疲労を予感させるのに十分なものがあった。
「ふわぁあ、今回の任務も大変だったねえ。みんなもくたくただろうし、すぐにでも休みたいっしょ?」
「てめえ、そのなめた態度いいかげんにしろよ。ふざけんじゃねぇぞ」
口火を切ったのは、重巡洋艦の少女、摩耶だった。
いきなり因縁をつけられて、少女は辟易した顔をした。それが相手のさらなる不快を誘ったのだろう。胸ぐらをつかまれて目の前ですごまれる。
「言ったよな。手ぇ抜くのも大概にしろって。アタシらはてめえのさぼりの帳尻あわせのために部隊組まされてるわけじゃねぇんだよ」
少女に向かう視線の多くも、それに同調する色を宿していた。
「ごめんごめん。次はもっとがんばるから」
「前もその前も、てめえはそう言ってるんだよ!」
がつんという音が港に響いた。
「やる気がねぇなら部屋ででも寝てろ! いい迷惑だ!」
「いやー……そうしたいのはやまやまなんだけど、司令官が許してくれなくって。あたしとしては、これでもかなりがんばってるつもりなんだけどね」
少女はほおを手で押さえながら、それでもどこか他人ごとのように話す。
実際、少女にはどうでもいいことだった。出撃任務はめんどうだが、司令官から任される手前、やるからにはとそれなりに仕事をこなしている。それだけのことなのだ。うまくいったらうれしいし、失敗したら面白くない気分にもなるが、だからといって決められた仕事をこなす課業として以上にそれが意識されることはなかった。まして、他人がどんな思いでそれに臨んでいるかなど、完全に考慮の外だった。
「それに……ほら、今回は特に、全力ふりしぼって、限界超えた気もするくらいだからさ。あれ以上はいくらなんでも無理だって」
しかし、摩耶にとってはその真剣味が見られない態度こそが、なにより癇にさわってならなかったようだ。
「てめえ、馬鹿にしてんのか? 目の前で見せつけられてまだわかんねぇとでも思ってるのかよ」
加減もかまわずつかみ上げる摩耶の力によって、望月のかかとは浮き上げられていく。
「あんだけ余裕ぶっこいといて、だれがそんなこと信じるかよ。てめえはもっとやれるだろ。それを見せろっつってんだ!」
出撃中の最後の戦闘で、摩耶たちは事前に少女に言われていたものとは違う、彼女たち独自の考えで行動をとった。なにも聞いていなかった少女は、当初あわてるしかなく、摩耶もそれに軽く胸のすくような気分を覚えたものだった。だが、少女はそこからすみやかに部隊を立て直してみせた。摩耶たちの作戦行動を完全に見透かしたようにして予想外の動きをくりかえし、そのうちに戦闘の推移はすっかり少女の手のひらの上に置かれてしまっていた。そう気づいたとき、彼女は否が応にも少女の実力を認めざるをえなくなった。
今、摩耶の着ている服は、戦闘の余波であちこちに破れができている。それは、自前の計画の甘さからもたらされた危機によるものだった。敵の攻撃をもらって足を鈍らせてしまったことから、彼女は一時的に敵の全艦から標的とされかけた。
それを救ったのは、少女だった。雷撃で敵の一角を崩し、それを皮切りに部隊の攻撃を誘導して一隻また一隻と敵戦力を削っていってみせた。
計画を利用されたうえに失敗のしりぬぐいまでされる。これほどの屈辱があるだろうか。摩耶はその光景を見せつけられながら、目の前がくらみそうなほどの憤りを覚えずにはいられなかった。
「そのくせなんでもねぇとばかりにすかしやがって……くそが! 馬鹿にすんなってんだ!」
「べつにそんなつもりはないって。気にさわったなら謝るからさ」
「それが気に入らねぇってんだ! てめえほどの実力があるやつからすれば、アタシみたいなのがどれだけ勝手しようが取るに足らねぇってか? 教導艦様はその他大勢とは格が違うってか? そんないけ好かねぇのはてめえら駆逐艦くらいなんだよ!」
「……」
「長月はここのところふぬけで使えねぇ。てめえは手抜きでやる気がねぇ。どっちにしろ、アタシたちのことなんてどうとも思っちゃいねぇんだろうがよ。てめえらみたいなやつに率いられてると思うと、虫唾が走ってしかたねぇんだ」
摩耶は叫ぶような声とともに、少女の体を力いっぱいつきとばした。少女はよろけながらもなんとか持ちこたえようとしたが、最後には数歩先でどさりと倒れ伏す。
それでも受け身はしっかりと取っていたらしく、痛がるそぶりもなく視線を向ける少女に、摩耶は見下しながら手招きしてみせる。
「はっ……どうだよ。むかついたか? やる気になったんなら、相手してやるぜ」
しかし、ゆっくりと身を起こした少女は摩耶を無視するように、服についた汚れをはらっていった。一触即発の空気にかたずをのんで見つめる周囲をよそに、黙々と乱れた服を直していく。その表情にはいらだたしさがうかがえるが、それすらもが、ぶつけられた言葉の内容によるものよりも、服を汚されたことが理由ででもあるかのようだった。
そうして、ひととおり身なりを整えたあとで、少女はようやく摩耶に目を戻した。
「言いたいことはそれで全部?」
「全部かだって? てめえらに対する文句がこのくらいで言い尽くせるとでも――」
「まあ、どっちだっていいんだけども。けど、一つだけ言っとくよ。よーく覚えといてよね」
「なんだってんだよ」
のびてしまったえりもと以外はきれいな水兵服をもう一度確かめてから、望月は口を開く。
「あたしらが教導艦を任されてるのは、あんたらよりも戦場での立ち回りがうまいからだからね。あたしらの言うことを聞くか聞かないかはそっちの自由だけど、下手な考えで思い上がらないことだよ」
「それがどうした。出先で『学級会』はじめだすくせしやがって、どの口でそんなこと言ってんだよ」
それを聞いて、同じく少女に怒りの視線を送っていた駆逐艦の仲間が気色ばんだ。
「なっ……あれは、望月が……」
「うるせぇな。てめえと話してるんじゃねぇんだよ」
そこでまた、険悪なにらみ合いが巻き起こることとなった。摩耶は話に割りこまれた不快をぶつけて黙れとおどすように、対してにらまれた側もこればかりは譲れないと見下されるのを不愉快そうに。言葉は発されずとも、表情こそが互いの穏やかならぬ心をありありと映しだす。
そんな二人のやりとりは、しかし、少女にとってなんらの興味ももたらすものではなかった。
「あたしは言ったからね」
「あぁ?」
摩耶たちはふたたび少女に視線を戻す。少女はそれをどうでもよさそうな顔で受け止めると、それ以上はなにも言うことなく、基地棟へと歩みだした。
だれも口を開くことなくそれを見送る摩耶たちの目には、憎々しげな色がたたえられていた。
基地棟に着くと、少女――望月はほとんど時間をかけることなく司令官への報告を済ませた。早く終わらせてしまいたい一心での、極度に簡略化された説明だった。
「以上報告おわりー。んじゃ、あたしはもう寝るよー」
「あ、おい。ちょっと待て……」
そんな司令官の声にもかまうことなく、望月はさっさと執務室を抜け出した。ぱたぱたと通路を走り、宿舎にまでいたったところでもう大丈夫だろうと歩をゆるめる。そのまま彼女が向かうのは、空き部屋のうちの一室だった。
自分たちの部屋では仲間たちの出入りがあって静かに過ごせない。かといって、ある程度の設備がなければ真冬の寒さは耐えがたい。そう考えると、行き先の候補はぐっとしぼられる。その中で、予備の寝具が保管されている空き部屋は格好の仮眠空間といえた。
「寝るったら寝るよー。だれがなんと言おうと寝るよー」
そうして、望月が自室の近くの空き部屋に手をかけて扉を開こうとした。ちょうどそのとき、彼女の部屋から出てきた仲間と目が合うことになった。
「望月? 帰ってたんだ」
それは望月のいちばん上の姉妹艦であり、白地に濃緑のえりを合わせた水兵服を着こんだ少女、睦月だった。
「ああ、うん」
望月はそれだけ言って空き部屋にこもるつもりだった。しかし、それで睦月が放してくれることはなかった。
「待って、望月。ちょっと、話があるんだけど……」
「あたしにはないよ」
「わたしにはあるの」
珍しくも否と言わせぬ調子で迫る睦月に、望月は露骨に顔をしかめてみせた。無視して扉を閉ざそうとするも、それより早くそでをつかまれる。
つながった腕越しに、二人の視線が交わりあった。
「あたし、めちゃくちゃつかれてるんだけど」
「長月はもっとめちゃくちゃなことになってるんだよ?」
睦月は望月をきっとにらみつけた。許せないと、その目はなにより雄弁に彼女の内心を表している。
対する望月は大きなため息をつく。
「またそれ? なんでもかんでもあたしのせいにされても困るって言ってるっしょ」
「まだそんなこと言うの? 長月、あんなに調子悪くしてるのに」
ここのところしばしばなされたやりとりがくりかえされる。望月が駆逐艦の仲間たち、とくに同室である睦月型の仲間たちと顔を合わせると、はじまるのは決まって険悪な空気での弾劾だった。すっかり本来の調子を失っている長月。その原因が望月にあるとの認識が広まっていることから起こる非難の渦だ。
この点で、望月に言い逃れる余地はほとんどない。望月と長月はある時期を境に急速に仲良く見えるようになり、それがけんか別れをして距離を置くようになった。長月の不調の原因は間違いなく望月であり、さらに言えば長月の心理にこれほどの影響力を持ちうる状態を作り出したのも望月の意図によるものだった。
望月自身、怒りを買うのは当然のことだとわかってはいる。しかし、そうはいっても矢面に立たされつづけるめんどくささは耐えがたいものがあった。
駆逐艦の中での長月は信頼があつかったことから、望月を追及しようとする仲間たちは睦月や皐月だけにとどまらず相当な数にのぼった。彼女たちは望月をつかまえては事の経緯を問い詰め、糾弾し、しかるべき責任を取らせようと躍起になった。
もともと望月にも洗いざらいすべてを話してしまうつもりなどなかったとはいえ、悪いと決めつけられたうえで浴びせられる悪口や邪推の数々にはほとほと嫌気が差していた。駆逐艦の仲間を見かけると、いかにつかまらないようにするかと、まずそんなことを考えるようになっているくらいだった。
睦月は長月だけでなく望月の姉役も自認しているためか明確な悪意を向けてくることはないが、それでも一方的に責めたてられることには変わりがない。
望月はすっかりうんざりしていた。
「そんなの、あっちが勝手にどつぼにはまってるだけじゃん。なんでそこまで面倒見てやらなきゃいけないわけ?」
「信じられない! どうしてそんな薄情なことが言えるの」
「べつに、悪いことしたわけじゃないし。むしろ、気分を害されてるのはこっちなの」
「すぐそれ。自分は悪くないって。どこをどう見たらそんなことが信じられるっていうの。少しは心配ぐらいしたらどうなの?」
「うっさいなあ。いいかげんにしてよ」
しびれを切らした望月は力づくで睦月の手をふりほどく。部屋に入ることをあきらめて別のところへ向かおうとすると、睦月は逃がすまいとふたたび腕を伸ばしてきた。
その腕をかわしざま、望月はすばやく足をはらう。とっさに受け身を取り損なった睦月は、倒れこんでしたたかに背中を打った。
「きゃっ……!?」
睦月はすぐに起き上がろうとしたようだが、背中を打ちつけた衝撃からごほごほとせきこみ、その動きはぎこちない。
そんな睦月を、望月は不愉快に見下ろす。
「あたしはつかれてるって、言ったっしょ?」
「望月……。まだ、話は……」
「あたしにはないの」
つきはなすようにきびすを返すと、望月は足取りすばやくその場を離れていく。
あくびまじりに廊下を曲がりながらふりかえると、ちらりと見えた睦月はよろよろと立ち上がりながらこちらに手を伸ばしていた。その顔はくやしそうにゆがめられていたが、望月はなんの感慨を浮かべることもなく、次に向かうべき場所へと考えをめぐらせだした。
「見つかっちゃったとなると、あそこはしばらく使えないし……」
望月は頭を働かせながら走る。
急がなければ、睦月がすぐにでも追いかけてくることだろう。いかに彼女をまくかが喫緊の課題だった。
だれかの部屋に厄介になってやりすごすのも一つの手だ。
しかし、と望月は思う。
「こんなときだから、だれかに借りを作りたくはないんだよね」
それは、弱みを握られるのとほとんど同義だ。
そうなると、行く先はほかの空き部屋か、思いきって宿舎の外か。空き部屋なら手近だが、いま見つかったばかりであり予想もされやすい。宿舎の外ならその点の不安はうすれるが、そこにたどり着くまでに人目につきやすい。
つかのま考えていると、軽空母の仲間が廊下の向かいからやってくるのが目についた。駆逐艦の仲間とつきあいにくくなってからは話し相手になってもらうことも少なくはなく、すっかりなじみになっている仲間だった。向こうもこちらに気づいたようで、軽く手を上げてくる。
望月もそれに返礼しているうちに、ふっと思い浮かぶ考えがあった。
「そうだ……。ねえねえ、ちょっといい?」
最近よく話すだけに、彼女のことはよくわかっている。彼女が、なにかと人手が必要な用事を抱えているということも。
さっそくとばかり、睦月がちょうど手空きみたいだから手伝わせてはどうかと提案すると、渡りに船とばかりの肯定が返ってきた。
「もしかしたら、あたしのこと探してるかもしれないけど、あたしは忙しいからまた今度って伝えといて」
それも了承してくれた彼女はそのまま睦月をつかまえに行く。そのうしろ姿を、望月は笑いをこらえながら見送った。
「これでよし、と……。やれやれだね、まったく」
ほっと胸をなでおろすと、ため息とともに望月はこぼす。
望月にとって長月といえば、教導艦としてもどこまでも上を目指す姿よりも、その虚勢の下に隠れる情けなさのほうが印象に残っている。ここのところの様子は、それが表に出てきているだけではないかとも思えるのだ。
今、長月がどんな状態なのか、正確なところは望月にはわからない。極力顔も合わせないようにしているし、無理にでもと司令官に希望して別の部隊で組んでもらっているくらいだ。それでもかなりの程度具体的に想像がつくのは、ご親切な仲間たちが逐一聞かせてくるからなのだった。
「それくらい一人で立ち直れないようなやつに、なんでいちいちかかずらわらなきゃいけないってのさ」
思わずといったようにぼやきがもれる。
「ああもう、長月のことなんか考えるからまたむかついてきた。知るもんか、あんなやつ」
そうぼやくと、望月はずんずんと次のねぐらへの歩みを速めだした。
「ここか……」
消灯時間前の資料室。下階の広間のにぎやかさが遠く聞こえてくるひっそりとした一室で、机に向かう影がひとつあった。
うす明るい光に照らしだされているのは、少女の背にかかる緑の髪。彼女の性格を表すようにくせのないなめらかさで、三日月の形をあしらった髪留めがつけられているのが目にとまる。先ほどからさらさらとかすかに揺れているのは、手もとで書きものをしているためらしい。
それは、睦月と望月の話にのぼった少女、長月だった。
「どうしてだ……いや……」
長月の眉は浅く立てられ、根もとにはうっすらとしわが寄っていた。その目は食い入るように、机の上に広げられた図面を見つめている。
この日の長月は、男から基地島近海の哨戒任務を課せられていた。任務の経過としては順調で、戦果としても出会った敵潜水艦隊のほとんどを沈めてみせており、調子を崩す以前と比べてそれほど遜色のない結果といえるはずだった。それにもかかわらず、長月の表情にはありありと不満が映しだされている。
「だめだ……こんなことでは……」
片手で頭を抱えるようにすると、長月は目の前の図面から斜向かいに置いた図面に視線を移す。そこには彼女がもっとも理想的だったと思う哨戒任務の推移が記されていた。その部隊を率いていたのは、彼女が遠く及ばない才能を持つ少女だった。
「望月……」
眺めているうちに、長月の口から思わずといった調子の言葉がもれる。それにはっと気づいた長月は勢いよく首をふると、また目の前の図面に視線を戻してうなりだす。
しかし、それもつかの間。彼女の頭は時間がたつにつれてうなだれだし、ひきむすばれた口もとは徐々に力を失っていく。
「はぁ……」
やがて、力ないため息がはきだされた。
調子を取り戻す日は遠い。そう思わされる様子だった。
戦果だけを見れば、かつてと同等と見える日もある。しかし、長月自身の活躍によるものかとなると、はっきり違うといわざるをえなかった。
今日の出撃でも、たたきつけるようにくりかえされた敵艦見ゆの報告を受けてかろうじて意識をひき戻されたものの、それがなければここのところのいつも通りの結果に終わっていたことだろう。
旗艦として皆を率いるというよりも皆の足をひっぱっているといったほうが正しいのが今の長月の状態である。参入まもない新米でもあるまいに、仲間に助けられねば身の安全もおぼつかない艦など、教導艦の適性をうんぬんするのもおこがましいというものだろう。
「このままでは……」
望月に頼らなくとも自分は大丈夫なのだと証してみせなければならないというのに、がんばらねばと思うたびにその顔が脳裏に浮かんで意識を取られてしまう。証す以前に不調を抜けだす段階で足踏みしてしまっていることに、長月はあせりを覚えていた。
望月に助けてもらえばあっという間にこんな不調も乗りきれることだろう。だが、はっきり拒絶の言葉をつきつけられたことを思うと、のこのこと助けを求めにいく勇気など、長月にはとてもなかった。そうでなくとも、最近の望月からは顔も見たくないとばかりに無視されとおしているのだ。いよいよもって、自分ひとりの力でなんとかしなければならなない。
「だが……」
それにもかかわらず、長月の心は望月を求めてやまなかった。目の前の作戦のことに集中しなければと思っていても、気がつけば望月のことを考えてしまっていた。少しでも気を抜くと楽しかった時間の記憶にひたろうとしてしまい、それと同時に思い出される拒絶の瞬間にうちのめされる。衝撃でなにも考えられない時期は抜けたとはいえ、立ち直ったというにはほど遠いのが現状だった。
「うぅ……」
あれからもう十日にもなるというのに、今でも油断するとじわりと目に浮かんでくるものがある。
仲間たちからもさんざん心配されているのはわかっている。しかし、彼女たちからどれだけなぐさめの言葉をかけられても、気持ちが安らぐことはなかった。それどころか、ぽっかりと穴が開いたような心を余計に意識してしまう。
仲間たちは、長月と望月との関係をそれほど深く知っているわけではない。長月としても、望月との思い出は自分たちの間だけで大切にしておきたいと思っている。そんな仲間たちからのなぐさめで、気が晴れるはずもなかった。
情けなさに、長月の目じりからこらえられなくなったしずくがひとすじこぼれ落ちる。
「私は……いや、これではいけない」
ふた筋めが流れだそうとする寸前で、長月はぐっとこらえて首をふる。
にぎったこぶしで勢いよく目をこすると、にらみつけるように図面と向き合いだした。
そうして、またしばらく書きものがつづけられようとしたときのことだった。長月以外に訪れる者とてないはずのこの時間の資料室に、やってくる者がいたのは。
「長月、いるか? 少し、じゃまをする」
驚きとともにふりかえった長月の視界に映ったのは、少し前に報告を済ませたばかりの相手である、男の姿だった。
「なんだ、司令官か……」
てっきり望月かと思った。そう言いかけた言葉は飲みこんだ長月だったが、男にはそんな内心はお見通しだったらしい。
「望月じゃなくて残念だったか?」
「なんの用だ」
意地悪く笑う男に、長月はすみやかに用件を済ませるよううながすことで返す。
望月がここに来ないことは、長月にはよくわかっていたはずだった。手ひどくつきはなされたあの日以来、望月がこの部屋に来てくれたことはない。それにもかかわらず、長月は望月が来てくれることを期待せずにはいられなかった。甘い夢に希望をつなぐことで、つらい時間を乗りきる糧とせずにはいられなかった。
そんな弱さを見透かされた不愉快もあらわに、長月は険しい目を向ける。
男は一挙手一投足までをも注視するようなその視線に苦笑しながら、長月の向かいへと歩を進めていく。
「すまない。あなたがわかりやすい反応をしてくれるので、ついついからかってみたくなってしまった」
「それだけを言いに来たのなら、帰ってもらおうか」
「いやいや。もちろんそれだけじゃない」
「なら、なにをしに来た?」
「それは……な。長月、また今日もがんばっているようじゃないか」
机をはさんで長月と向かいあった男は、広げられた図面をちらりと見る。
べつに隠すほどのものでもないが、じろじろと見られて気分のいいものではない。ひったくるように集めて男の視界の外に置くと、面白がるように笑みを浮かべられた。それがまた、長月には腹立たしかった。
「それがどうした。これくらい、いつものことだ」
「そうだな。いつものことがいつもどおりにできる。それが一番ではあるな」
「それくらい……」
不機嫌さのままに答えようとして、長月は言葉をつまらせる。任務での不調を報告している相手だけに、虚勢をはってもすぐにそれと知られてしまうのは明らかだった。
「まだまだということか」
苦々しくうなずくことで長月は返す。
(いちいち確認などしなくても、わかっているだろうに)
いらいらと視線をそらす長月に対し、男の声に深刻さはさほどない。
「だがな、長月。あなたはだめだったと言うが、今日の戦果自体はやはり悪くなかったと、私は思うんだ。不注意はあったようだが、失敗にいたる前に気を取り直せていたというし。改善の兆候とも考えられるんじゃないか?」
「そうか?」
聞こえよく言い直したところで、ものは言いようという類のものでしかない。長月にはその程度のごまかしで今の不調が持ち直せるとは思えなかった。もっと、根本的な原因をなんとかしなければならない。そう思えてならなかった。
「報告のときも言ったが、一回だけならこれまでにもうまくいったことはある。それはわかっているだろう」
「けど、それが何度も続くことはなかった、か。それは確かにそうだな。報告を受けている私が忘れるはずがない。しかし、今回は結果としてうまくいったといえるんだ。その理由について、あなたは考えているか?」
長月の実感としてはほとんど失敗だった今日の哨戒も、男に言わせれば、収穫があったならば成功であるということになるらしい。そうまでしてよかったところを探すのは、やはり長月に自信をつけさせるためだろう。そんな気づかいをさせてしまっていることに情けなさを覚えながらも、それでも長月は懐疑的にならざるをえなかった。
「運がよかったということだろう」
「これまでうまくいったのもすべてそうだと? そんなに悲観的になっていては、うまくいくものもいかなくなってしまう」
「だが、事実はそうだ。今日だって、たまたま敵の攻撃を受けなかっただけで、手強い相手ならあのすきを逃しはしなかったはずだ」
「それだよ」
そこで、男は長月の言葉をさえぎるように眼前に指を立ててみせる。なんだと目で問う長月に、男はいいかとばかりにつづけていく。
「今回、あなたの部隊にいた者はだれも被害を受けなかった。それは一つ、誇っていいことだ。それに、時間内に発見した敵部隊は四隊。これは哨戒時間内での最多の発見数に並ぶものでもある。これが二つ目。そして三つ。発見した敵部隊についても、取り逃がした艦はあれど、その一隻をのぞいてすべて沈めてみせている。この三つを一度に成し遂げることは、だれにだってできることじゃない。あなたの地力があってこその成果だ。これでもまだ、今回はだめだったと思うか?」
男はくりかえし、言葉を変えては長月の戦果を価値あるものととらえさせようとしてきた。冗舌にまくし立てられるその言葉はこの男にこれほどまでに言葉を弄することができたのかと感心させられるものもあった。だが、それでもやはり、長月にとってはいかに表面をとりつくろうかと腐心した末の成果でしかない。
「そんなもの、致命的なすきがあったことには変わりがない」
それに、なにより長月の理想とする戦闘とはあまりにも差がありすぎた。
「それはそのとおりだが……」
長月のかたくなな態度に接して男はしばし口ごもる。しかしすぐに、今度は別の方面から話しだす。そして、それはやはり、こちらを励まそうとするのが明白な口調だった。
「今回は敵の攻撃を受けなかった。それはあなたの言うようにたまたまだったのかもしれない。しかし、だ。今後に活かせる戦訓は得られたんじゃないか?」
「なんのことだ?」
当惑する長月に、男はことさら明るい表情を作る。
「今回、危ういすきを見せながらも無事に済んだのは、仲間が気をつかせてくれたからだと言っただろう?」
「そうだが?」
「それはつまり、仲間の援助があれば失敗も十分にかばうことができるということではないか? 自身の手でやりとげることにこだわるあなたからすれば不満に思えるかもしれないが、独力でうまくいかないならば、ほかの仲間の手を借りるのもひとつの手だろう。あなた自身は本調子とはいかなくても、それでひとつひとつ失敗の可能性をつぶしていくことはできるはずだ。そうしているうちに本来の感覚を取り戻すことも、できるんじゃないか?」
そう言って、男は長月の反応をうかがうように表情を探る。
「それは……」
良案ととるか否とするか、長月は判断に迷って男を見つめかえす。
その考えは確かに、これまで長月が採用してこなかった方法だった。しかし、そうしてきたのには理由があることでもあった。
調子を崩してからというもの、もともと長月に反感を抱いていた仲間たちからの風当たりはいよいよその強さを増している。今回のように、ここのところのふがいなさを見ていてもなおとっさの判断を利かせて助けてくれる者が、いったいどれほどいるというのか。
それに、と長月は思う。
「そんなに気の長いことで、作戦の滞りは大丈夫なのか?」
それくらいなら、いっそのこと主力からはずしてしまったほうが効率的ではないか。そう思うのだが、男はそれくらいはなんでもないと楽観的なことを言うばかりだった。
「ほかの皆も順調に力をつけてきている。このぶんだと、あなたが持ち直すよりも先に作戦を完遂してしまうことも考えられるくらいだ」
「それなら、ことさら私の復調にこだわる意味は……?」
「それは……な」
そこで、男はしばし黙りこんだ。
口を開きかけてはためらうように言葉を飲み、口もとに手を当てては言葉を探して考えこむ。なにかを言わねばと気ばかりあせっているらしい様子は、まるでどこか思いつめてでもいるかのようだった。
長月としては、男と話していてますますわからなくなってきたことを聞いたつもりではあったが、そこまでの態度を取られると、聞かせてもらわなくては納得いかないというほどでもない。
「言いにくいことなら、無理に答えてもらわなくても……」
「いや、言わせてくれ」
しかし、男はその言葉で決意をうながされたかのように顔を上げ、しっかりと長月に目を合わせる。
一世一代の覚悟でも固めたかのようなその目の色に、長月はなにか妙な気でも起こさせてしまったのではないかと、いやな予感を覚えた。
そんな長月の気も知らず、男の口からは熱のこもった言葉が発されだす。
「以前、言っただろうか。あなたは、私の学校時代の友人に雰囲気がよく似ていたんだ」
それは、いつぞやもそうだったように、うっとうしくなるほどにまわりくどい話だった。
「聞いた。だから私のことはよくわかっている、とも」
「そうだったな。着任以来、あなたを見ていると、不思議なほどのなつかしさを覚えてきた。見知った者のいない土地に着任したはずだというのに、なぜかなじみの場所のようにすら思えたものだ」
「はぁ……」
「もちろん、あなたはあなた。友人は友人だ。区別はできている」
「当然だ」
「そうだな。それでも、私が慣れない基地運営をなんとかつづけてこられたのも、あなたの存在に勇気づけられてきた部分が少なくないんだ。あなたががんばっている姿を見ると、あいつも、今ごろはがんばっているはずだと、私もこのくらいでへこたれてはいられないと、気合いをいれ直すことができたんだ」
「恩返しのつもり、とでもいうわけか? そんなこと、私の知ったことではない」
長月はにべもなく切り捨てた。
勝手に恩に着て勝手にそれを返されるなど、気持ち悪さすら覚える。それで区別はできているなど、どの口が言うのだろうか。
「いや、いや。違うんだ。そういうことじゃない」
「じゃあ、どういうことなんだ」
今の話で、それ以外にどう解釈できるというのか。長月はいらだちの混じった視線を向ける。
「それは……まあ、あなたの言ったような気持ちもまったくないとは言わない。が、それはあくまで、ほんの些細なものなんだ」
そんなことならいちいち口にしないでほしい。そう思うのだが、苦情を言ってもこの男にはらちが明きそうにない。
「この間も言ったと思うが、少し前からあなたは変わりはじめただろう? それにともなって、あなたに重なる友人の面影はうすれていった」
こくりと、長月はうなずく。それは、長月にとって最良の日々のできごとであった。望月に導かれ、望月にかまわれて。それを思い出すにつけても、今のみじめな境遇が身にしみる。
「それからというもの、私はあなたを見ていられなくなった。失われていくものを惜しむ気持ちがなかったわけではない。しかし、それよりも身に覚えのある痛みにさいなまれずにはいられなくなった」
「それは?」
「私の場合、兄という存在がいた。幼少のころから、私はどれほど努力しようと、あの兄の弟なら当然だと言われつづけた。それどころか、ちょっと失敗をしては失望されることをくりかえした」
男は目を伏せながらふりかえる。
「兄がなにかにあくせくしている姿など、私は見たことがない。大事な試験の前日だろうと遊びに出かけたりして、それなのになにをさせても見事なまでに優秀な成績を残してしまう。そんな人だった」
「ほう……」
「まねしようとしても、とてもできるものではなかった。あまりにも人間の中身が違いすぎる。それを痛感させられるだけだった」
男は大きく息をつく。眉間によるしわは、当時を思い出しているがゆえだろうか。
「その兄が、望月を連想させると?」
「まあ……なんだ、そういうことになる。あなたは望月の戦い方を取り入れようとして、初めのうちは自然とそれができているようにも見えた。しかし、いつからか、あなたに合わないものまでも無理に取り入れだしたように見受けられて、結果として、こうして調子を崩している」
「つまり、私は私に合わない戦い方をしていると?」
それは、以前に望月からも指摘されたことだった。捨て身よりも、仲間との協働の線で考えたほうがいいと。
「そういうことだ。何日か前を底にして無謀はなりをひそめてきているように思う。その原因が原因であるだけに、そんな元気もないのかもしれないが……」
ちらりと男から顔色をうかがうようにされて、長月は不愉快に目をそむけた。この男にあれこれ知られているのはいまさらどうしようもないが、改めて口に出されると居心地の悪いものがある。
「……ともあれ、だ。なにかに憑かれたような、鬼気迫る戦い方こそ見られなくなってきたが、それでもまだ無理をしているように思えてならない。望月の優れた点がよくわかっているからだろうか。それを基準にした働きをあなた自身に要求して、それで任務がうまくいったかだめだったかと判断してはいないか?」
「それは……たしかにそうだ。だが、あいつはすべてにおいて私を上回っているんだ。それを参考にして、なにがいけないというんだ」
「いけなくはない。いけなくはない……が、あなたらしさを見失っては十全に力を発揮することはできないのではないかと思うんだ」
「……」
男の返答を求めるような様子に、長月はすぐには答えず下を向く。そうして、こつこつと机を指でたたきながら考える。
男の話はまわりくどいうえに要領をえないが、つまりは長月にかつての自身を重ねて心配しているということだ。そして、あわよくば助言めいたものを与えようとしているのだろう。いつだったかもあったような場面だ。
しかし、その助言は役に立たないと言わざるをえなかった。
長月はきっと男をにらみつける。
「じゃあ、どうしろと言うんだ。私だって考えてはいるんだ。それなのに、あれもこれもだめで……いったい私になにをしろと言うんだ」
自力ではなにも考えだせない空虚な時間をさらに重ねろとでも言うつもりなのだろうか。ふざけるなと怒鳴りつけたい気分だった。
それにもかかわらず、男は胸を張って言うのだった。
「周りにいる仲間たちに頼ってほしい。私にも、頼ってほしい。すぐには調子を取り戻させることはできないかもしれないが、あなたの苦悩を分かち合いたいと思っている者は確かにいるんだ。そして、私自身、強大さを増しつつある敵の脅威を、ほかのだれでもない、あなたとともに乗り越えたいと、そう思っている。この気持ちは、あなたにとって迷惑だろうか?」
その言葉を聞いた瞬間、長月はぞわぞわと不快な感覚が背筋を走り抜けるのを覚えた。
「ふざけるな!」
長月は机にこぶしをたたきつけて立ち上がる。
「私は、ふざけてなど――」
「うるさい!」
長月はもう一度こぶしで机を打ち下ろす。
先ほどから長たらしい話につきあわされたかと思えば、あげくの果てにわけのわからない妄言まで聞かされたのだ。いやがらせもたいがいにしろというものだろう。
それに、と長月は言葉を継ぐ。
「私を導いてくれるのは、私がともにありたいと望むのは、望月だけだ。司令官など、こっちから願い下げだ」
男は傷ついたように顔をしかめた。さらに、言葉を探してくちびるをかむ様子をながめて、長月はいい気味だと胸のすくような思いをいだいた。
結局、この男は他人に人生の先輩面をしていたいだけなのだ。自分よりも下と認識した相手に優越感を覚えることで自尊心を満たす、軽蔑すべき男なのだ。
これ以上は時間のむだだと、長月は男に退室をうながす。そうしようとしたとき、男はしぼりだすような声で問いを発してきた。
「しかし、長月。望月とあなたは……」
長月はぐっと言葉を詰まらせる。いらだたされる相手だからこそ、なまじこちらの事情が筒抜けになっていることは厄介だった。
「……たしかに、拒絶は言い渡された。だが、それはこの先ずっとじゃない。あいつは、いつかまた私のことを見てくれる。いや、私がふりむかせてみせる」
「その決意はうるわしい……が、今のあなたはそれにふさわしいといえるか……? 不調から抜け出す糸口すら見いだせないあなたは、ともにある存在として、望月とつりあっていると思えるか……?」
「それは……」
ぐっと、言葉につまる。
今の長月に、その反撃に抗う言葉はなかった。ただでさえ、あきらめそうになる心を必死に叱咤しているのが現状だ。そのうえ、調子を取り戻したとしてもなお、望月は遠い存在だった。気を抜くと、望月が自分などを気に入ってくれていたのがなにかの間違いだったのではないかとすら思ってしまいそうになる。
じわりと、わき上がってきた弱気を男に悟られないように、長月は力いっぱいこぶしを握る。
「助言が受けいれられないとわかったら、すぐさま私への攻撃に様変わりとは。つくづく見下げはてた男だな、司令官?」
それだけ言うと、長月は男から退室しないならばと、持ちこんだ資料をつかんで部屋を出た。その直前に見えた、男の悲痛にゆがんだ表情だけが、長月にいくばくかの気休めを覚えさせた。
しかし、長月の頭ではそれ以上に、男にかけられた言葉がぐるぐるとこだましつづけていた。
「望月とつりあっているか、か……」
その言葉は長月の心にべったりとこびりつき、一向に落ちてくれそうになかった。
その翌日の出撃で、長月はまたぼろぼろになって帰ってきたという。それも、明らかに冷静さを欠いた攻勢を行おうとしたところを、仲間にむりやりひきとめられての帰還。長月だけでなく、その仲間も大破をまぬがれることはできず、間一髪のところで敵部隊との離脱に成功したらしい。
らしいというのは、望月にとってはすべて伝聞上のできごとだったからだ。
「……そんなこと聞かされたって、あたしには関係ないっての」
望月はぼやきながら朝の基地棟を歩く。その顔はきつくしかめられていた。
「ふわぁ……ったく、こっちは眠くてしかたないってのに」
夜通し任務に従事していた望月を港で待っていたのは、駆逐艦の仲間たち複数名による追求まがいの確認だった。そこで、望月は詳細に長月の失敗を聞かされることになったのだ。
望月としては「あっそ」と言うほかの感想はなかったが、仲間たちがそれで解放してくれるはずもない。ここ最近は調子が悪かったとはいえ、それを考えてもおかしいくらいに稚拙な戦いぶり。どうしてそんなに無関心でいられるのかと、またなにかしたのではないかと、どうやって復調させるつもりなのかと、まるで望月が原因であると決めつけてかかった詰問だった。
まったく身に覚えのないことであり知るもんかとつきはなしたが、あきらめて放してくれるまでに相当の時間を取られてしまった。
「このまま報告さぼって寝てもいいかなー……」
目をこすりながらそうつぶやくも、のそのそと歩む望月の足は迷いなく執務室へと向かう。体に染みついた行動に苦笑を浮かべていると、まもなく目的の部屋の前にたどりついた。
そこでまたひとつあくびをもらしてから、軽くせきばらいをして、扉をたたく。
「司令官、あたしだよー、望月だよー。入っていいよねー?」
「……いいぞ」
聞こえてきた返事は、いつにない緊張感をはらんでいるように感じられた。扉の向こうでなにか起こってでもいるのだろうか。
「失礼しまーす……」
警戒しながら扉を開けると、そこには司令官以外にも四人の仲間たちの姿があった。加古、青葉、摩耶、鳥海の四人だった。彼女たちが、司令官も含めて一斉にこちらを見る様子は、その場で回れ右をしたくなるほどの居心地の悪さを感じさせるものがあった。
しかし、望月も用事があってやってきた身である。なにもせずに帰っては眠気を押してやってきた苦労がむだになってしまう。望月はひとまず様子を探るべく、なるべく明るい声で軽口をたたく。
「あれ、珍しいね。先客がいるなんて」
だれにともなくそう言って反応をみるが、司令官を含めて声を発する者は一人もいない。室内には重苦しいまでの沈黙が流れていた。どうやら、控えめに言ってもあまりよくない雰囲気のところに入りこんでしまったらしい。
みなの視線が望月を離れてふたたびにらみあいがはじまると、望月はそれ以上しゃべることなく、壁に背がつくほど距離を取って、なりゆきを見守ることにした。
「それで、アタシらの意見を聞きいれるつもりは?」
緊張感に満ちた静寂を破って口を開いたのは摩耶だった。これ以上話し合うつもりはないとばかりの声音に、司令官は気色ばんだ。
「ない」
毅然とした、というよりも憤然とした態度でつきかえすような却下だった。
それを受けて、室内の空気はさらに剣呑さを増す。ふるえるほどに力をこめられた重巡洋艦たちのこぶしは、今にもその怒りをぶつける対象を求めてふりまわされかねない。
対する司令官も、おもむろに軍刀を持ちだして机上に置いてみせる。
互いに一歩もひく様子はなく、血を見かねないほどの空気がその場に漂っていた。
いったいどうなるのかと望月が固唾を飲んだとき、それを破ったのは、淡々とした鳥海の声だった。
「そうですか。それは残念です」
それだけで、彼女はきびすを返す。
「あっ、おい……!?」
「これ以上は時間のむだです。それに……」
ちらりと、鳥海は望月を見た。
「なにさ」
「いいえ。それでは、失礼しました」
意味深な笑みを浮かべると、彼女はそのまま執務室をあとにしていった。
「待てよ、鳥海」
納得いかない様子で摩耶はそのあとを追う。すぐに戻ってくるかとも思われたが、どれだけ待ってもその気配はついぞ感じられなかった。
残った二人に、司令官が目を向ける。二人とも、まだありありと不満の浮かんだ表情をしている。しかし、そこにはやや温度差があるように見受けられた。
「なぁ、おい――」
「加古」
なにか言いかけた加古をふりむかせると、青葉はそっと首をふってみせた。加古はなおも言い返そうとしたようだが、葛藤ののちに言葉をのみこんだ。
「ああ、もう……!」
それだけ言って、足音荒く部屋を出ていった。その直後、種々の悪態と、どんと壁に走る衝撃が伝わってきた。
「提督、青葉たちの意見が変わることはありませんから」
その言葉を置き土産に、最後の一人も退室していった。言葉こそ冷静だが、その表情はやはり納得からはほど遠かった。
望月はしばらく壁越しに耳を澄ませ、廊下に響く足音が聞こえなくなったのを確認すると、ほっと息をついた。どうやら緊迫した場面にいあわせて、知らぬ間に息を詰めていたらしい。
過熱した空気は四人とともに去り、執務室には司令官と望月だけが残された。
「これでようやく報告ができる、はずだけど……」
口の中だけで望月はつぶやく。
邪魔者はいなくなった。それならあとは手短に自分の目的を果たすだけだ。そう思うのだが、ちらと見やった司令官はいまだにぴりぴりとした雰囲気をまとって押し黙っている。
気にせず用事を済ませてしまってもかまわないといえばかまわないのだが、あそこまで気を張っている様子はほとんど見たことがない。こちらから声をかけては進んでめんどくさそうな空気に飛びこんでいくことになりかねないところでもある。できることなら、司令官が落ち着くまでこの場にいることを忘れていてほしいほどだった。
「あぁ……いや、さっきいっしょに出てっちゃえばよかったのか」
そう思うが、今となってはもう遅い。それに、早く報告を終えてしまいたかったのも、もとはといえば耐えがたいほどに眠かったからだ。あんな渦中にいあわせて、眠気などつづくはずもない。望月はあきらめて静かに声をかけるべき機をうかがうことにした。
横目にうかがう視線の先で、司令官はしばらく扉を見すえていたが、やがて手もとの軍刀に目を落とし、じっとなにかを考えこみだす。
先ほどの四名がなにを訴えていたのか、それは望月にもある程度の予想はつく。彼女たちは、望月たち駆逐艦にいい感情を持っていない面々の代表格であるからだ。望月としても、摩耶を先頭にして声を荒げて詰め寄られたのは記憶に新しい。それに対して、望月のほうから言い返したいこともないではないが、自分たちの実力もわきまえずに吠えたてる者をいちいち相手にするのもばからしい。言いたいだけ言って満足できるのなら、好きに言わせておけばいいだろう。
司令官への直談判も、これまでに何度かしているらしいが今のように取り合われていないのだ。気にするだけむだというものだろう。それほどまでに、司令官は望月たちの肩を持ちつづけてきている。だというのに、今日の司令官はどうしてこんなにも悩んでいるのだろうか。
「わかんないねー」
わからないが、言いだされないかぎりは司令官ひとりの問題だろう。そういうことにして、今日はどこで寝ようかということに考えを移していく。
例の空き部屋が見つかってから、あまりいい場所は見つけられていない。寝つきに関してはどこでもすとんと落ちるように寝られるのだが、寝心地のよさとなると話は別である。昨日の場所も、寝心地が悪いとまではいわないが、時間をかけて整えられたあの場所の感触に比べるとどうしても劣って感じられてしまうのは否定できない。
「やっぱ、ある程度手間ひまかけてあれこれしてくしかないのかなー」
そんなことを考えていると、司令官が疲れきった心情をそのまま表したような大きなため息をつくのが聞こえてきた。ようやく、気持ちの整理ができたらしい。
そうして、ひとつせき払いをしてのろのろと乱れた机の上を片づけだす。いつ声がかかるかと思ってその様子を見ていると、しばらくして目が合ったとき、虚をつかれたように目を丸くされた。
「望月……? そうか、すまない。ずいぶんと待たせてしまったようだ」
「忘れてもらっちゃ困るっての」
あきれた声をかけると、苦笑が返される。いちおう、あのぴりぴりした空気からは切り替えをつけたらしい。
「待たされたぶん、簡単に済ませてもいいっしょ?」
「そうはいかん」
「いいじゃん、いいじゃん。司令官も、朝からつかれてるんじゃない?」
「まあ、な……」
初めこそしぶっていたものの、なし崩しで話しだすとだめだと言い張られることはなかった。それだけ、先ほどの話でこたえるものがあったのだろう。さっさと終わらせてしまいたい望月にはありがたいかぎりだった。
それでも、あまりにも省略しすぎると質問がはさまれる。報告する当人としてはわかりきっていたり、口で説明するのが難しい場面など、めんどうで飛ばしておこうとしたところでいくつも補足が求められた。つかれていてもそのあたりの細かさは変わらないらしいと、望月は内心であきれながら答えていく。
そうして、司令官としては簡単に、望月としてはほとんどいつもどおりの報告は、最後、部隊から大破相当の被害が出たことによる撤退開始を伝えて終わりを迎えた。
「……まー、こんなもんっしょ。まだなんかある?」
「ない……かな」
これでようやく寝れる。そう考えた望月が退室の許可をもらおうと口を開きかけたところで、ふと司令官がまた深刻な顔つきをしているのに気がついた。
「いや……やはり、望月にも聞いてみるべきだろうな」
ぼそっともれ聞こえてきたつぶやきは、めんどうごとの匂いをぷんぷんと発していた。
「じゃあ、あたしはこれで……」
「待ってくれ。あなたに関わることで、聞いておきたいことがあるんだ」
そそくさと逃げようとしたが、その前につかまってしまった。どうやら望月はまだまだ眠らせてはもらえないらしい。それでも、いちおうの抵抗をしてみないわけにはいかなかった。
「それってさ、また今度じゃだめなの?」
「ひとつだけだ。ひとつだけ答えてもらったら、それで下がってもらってかまわないから」
いつにない押しの強さを見せる司令官に、望月はとうとうあきらめてつきあうことにした。ひとつ問われたことに答えるくらいなら、それほど時間がかかることもないはずだ。
そう考えたのだが、司令官がはじめた話は例によっておそろしく長たらしかった。
「本来は私一人の力でなんとかするべきだし、なんとかなるとのことだったんだが……」
ぶつぶつとつぶやいたのち、司令官はせき払いをして望月と目を合わせる。
「話というのはほかでもない。長月のことなんだ」
「えー……」
不満たらたらな声が望月の口から漏れる。それもそうだろう。長月のことはここのところ仲間たちからくりかえしくりかえし聞かされつづけているのだ。それがいやであちこち逃げ回っているくらいだというのに、司令官にまでそんな話をされてはたまったものではない。
望月はそう思うのだが、司令官にとってはそこまでの事情を知るよしもない。
「そう言うな。あなたと長月の仲だろう?」
「あんなやつ嫌いだし」
「少し前まではとても仲良さそうだったらしいじゃないか?」
「そんなことないっての」
長月のことを気に入っていた時期にも、望月に二人の仲を他人に知られるつもりはまったくなかった。すっかり絶交状態になった今となっては、そんな過去があったと認めるのも腹立たしい。
「長月のことなら、どんだけ命令されてもいっしょに部隊を組みたくないくらい嫌いだよ。これでもういい?」
「待つんだ。聞きたいのはそのことじゃない」
「じゃあ、なんなのさ?」
「それなんだがな……」
目をそらして言葉を濁す司令官に接しているとそのまま黙って退室したくなるのだが、さすがにそれを実行に移すことはない。
「望月、さっきの加古たちとの押し問答。あれはどこから聞いていた?」
「ほとんどなにも。なにか要求されて、司令官が却下したって、それくらい」
「そうか……それなら、そのあたりのことから話そうか」
「いいって。だいたいのことは想像がつくし。どうせ、あたしとか長月を教導艦からはずせって、そんな感じのことでしょ?」
「わかるか。いや、わかるだろうな……」
やはり、重巡洋艦たちの意見とはそういうことだったらしい。これまでさんざん教導してきてやったというのに、勝手なものだ。改めて怒りを感じもするが、予想できていたことでもあり、この場でそれほど心ゆさぶられることはない。
「彼女たちは、長月の教導艦解任を求めてきた。不調をその理由にあげていたが、それほど長くひきずるものとも思えないのに……」
むしろ、沈痛そうに望月に事情を説明してくれる司令官の様子からは、この上官の支持はやはり自分たちの側にあることが読み取れる。着任以来、めんどくさがりながらもその信頼に応えてきた賜物だろうか。なんにせよ、このぶんなら、彼女たちがどれだけさえずりまわろうと、不当な決定が下されることはないだろう。まあ、望月にとっては教導艦の任から解かれても痛くもかゆくもないのだが。
「長月ってばたしかに調子悪いみたいだけど、ほかのみんなは特に問題ないんだし、戦果ならそっちでじゅうぶん狙えるのにね」
「まったくだ。がまんを強いているのは承知しているが、それにしてもどうしてあれほど強硬な態度に出てきたのか。そこがいまいちはっきりしない」
以前からためこまれてきた不満がついに爆発したということだろうか。最近の摩耶たちからはどうもそれだけではない様子もうかがえるように思うが、なんにせようっとうしいことだった。
「めんどくさいから、あいつらいっぺん、教導艦なしで出撃させてみる? そうすれば、身の程ってやつがわかるっしょ」
「望月。任務は一時の感情に任せて課すものじゃない」
「わかってるってば。冗談だよ、冗談」
「目が本気だったように見えたが……まあいい。本題はそれじゃないんだ」
「あぁそう……」
望月はあきれたように司令官を見る。そろそろ前置きは終わりにしてほしい。ひとつ聞きたいことがあるという話だったはずなのに、これではいったいいくつ質問に答えることになるのか。
しかし、司令官はそんな望月にかまうことなく、そのままの口調で話しつづけていく。
「あなたに聞きたいのは、ほかでもない。長月のことだ」
「それならさっき答えたじゃん」
「違うんだ、望月。よく聞いてくれ」
いいかと、司令官はじっと望月の目をのぞきこむ。それに対して望月は警戒心を抱きながら見つめかえす。
「長月の不調ぶりについては知っているな?」
「まあね」
「好不調の波はだれにでもあることだ。それに長月がつかまってしまったとしても、本来は一時的なものにすぎない。本人も、他人の手助けはあまり望むところではないだろう」
望月はひとつうなずいて先をうながす。
「私も、ちょっとやそっとのことなら黙って見ているつもりだった。だが、ここのところの不調はあまりにも目に余る。周りの者が声をかけているようだが、改善の兆しは一向に見られない」
「らしいね。それで?」
「それで……だ。一昨日の晩、私も意を決して長月と話をしてみた」
「司令官が?」
意外なことを聞いたとばかりに望月が体を前に乗り出すと、司令官の顔はぐっとしかめられる。
「そうだ。長月は数少ない教導艦の一角。その活躍が作戦の成否を左右する、重要な艦なのだから……」
「ふーん」
「私なりに、せいいっぱい長月を元気づけようとした。そのつもりだったんだ。しっかりできているところはあるからと、不調の状態で完璧を目指しすぎるなと、そして……。だが、結果は……」
「だめだったってわけ?」
返事はがっくりとうなだれることでなされた。
一昨日のことだというのに、その傷心ぶりは見ていて哀れを誘うほどであった。が、望月は内心でそれもしかたないことだと思ってもいた。長月は、行き詰れば行き詰るほどに理想と現実との落差に思いをいたしてしまう性格をしている。そのせいでどつぼにはまったまま抜け出せなくなってもしまうのだが、なんにせよ、あせりといらだちを募らせているさなかの長月に冷静さを取り戻させるのは生半可なことではない。
「それでも、うまくいくはずだったんだ……」
「その自信はどこから湧いてくるのさ」
「それは、利根が……いや、なんでもない」
「利根……?」
望月は首をひねる。
意固地になった長月を説得するとなると、心許された相手以外にはほとんど不可能だ。望月をのぞいた場合、それができる仲間としてぱっと思い浮かぶのは、睦月くらいだろうか。彼女でも難しいかもしれない。望月自身は初めからそんな気はないのだが、なんにせよ、どちらかというと長月に嫌われている司令官にそれができたとしたら奇跡というものだろう。それがわからない利根とも思えないのだが……。
「本当にそれでうまくいくって言われたの?」
「そ、そんなことより……あなただ、望月」
そう言って、司令官は望月の肩をつかむ。
「なに?」
聞きだすことはできなかったが、利根がどういうつもりだったにせよ望月には関係ないことだ。今の話を聞いて長月になにかしてやるつもりなど、さらさらないのだから。
「私ではだめだった。こうなったら、もう託せるのはあなたしかいないんだ。長月を、不調から抜け出させる手助けをしてやってはくれないか?」
だから、司令官から頭を下げんばかりに請われようと、望月の答えは小揺るぎもしなかった。
「いやだよ」
「そこをなんとか頼めないか。なにかひと悶着あったんだとは思うが、長く組んで戦ってきた仲間じゃないか」
「あたしにそんな義理はないっての」
「それでも、一番の適役はあなたなんだ。長月がいちばん話に耳を貸すのはほかのだれでもない、あなたなんだ。頼む。このままだと、取り返しのつかない被害を出してしまいかねない」
司令官はとうとう望月の情に訴えるように顔をしかめて目を伏せる。そのくちびるは、内心の忸怩たる思いを示すようにきつくかみしめられている。
それほど自分の力不足がくやしかったのだろうか。それとも、くやしいのは望月に頼らざるをえない状況なのだろうか。そうだとしたら、司令官はことの経緯を大筋で把握していることになるが……。
「なんだっていいや」
望月はぼそりとそう結論づけると、不機嫌に司令官を見下ろす。
つかれているのを押してまでまわりくどい話につきあったというのに、その内容は今もっとも聞きたくないことだったのだ。これくらいの態度は許されるだろう。
長月とはすっかり距離を置いたはずなのに、まるでどこまでいってもつきまとわれているかのようないらだたしさだった。
「あのさ、司令官。いろいろ言いたいことはあるけど、めんどくさいから一個だけ」
おそるおそると上げられるその顔に、望月はつきはなすように告げる。
「あたしが長月のことを認めてたのは、あいつがだれにも頼らず強くなってきたのを知ってたからであって。あれくらいの不調を一人でなんとかできないような長月になんて、興味もないよ」
「だが……だが、長月は変わってしまった。それは、あなたが……」
「だから? あたしは長月がどんなになってもにこにこ接してられるほど、心広くはないの」
これ以上は話すだけむだだろう。望月は司令官の手をはらうと、鼻を鳴らしながら執務室の扉をくぐり抜ける。うしろでなにやら言う声が聞こえてきたが、これっぽっちも意識を向けることはなかった。
「ったく。あっちでもこっちでも、口を開けば長月長月……」
廊下を歩きながら望月はぼやく。自嘲ぎみにつぶやこうとした言葉は思った以上にいらだち混じりの調子になってしまい、それがまた望月を不快にさせた。
望月とて、わかってはいるのだ。自分のしたことが、あまりいい顔をされるものではないということは。だが、どうしてみな、そろいもそろって長月の肩ばかりを持ちたがるのか。どうして、自分がなにかしなければならないとばかりつきつけられるのか。
(みんな知らないんだ。あいつが、どれだけ情けないやつかって。どれだけうっとうしいやつかって)
望月とて、途中までは長月のことをからかって楽しんでいた自覚はある。しかし、そうするうちに長月はどんどんこちらにべったりと頼りきりになっていった。周りが見えていないかのように自分たち以外を意識の外に置くようになっていって、いつしか望月の手には負えなくなった。
いや、正確には、つきあいつづけるのがめんどくさくなったのだ。長月をいいようにもてあそぶのは、楽しかった。それは確かだ。しかし、人前だろうとみっともない姿をさらしてかえりみなくなった長月は、見ていて耐え難いものがあった。
つきっきりで鍛え直してやれば、またしゃんとした姿を取り戻すこともできたと思う。だが、そうまでして長月との時間を過ごしたいとはとても思えなくなっていた。楽しい時間への期待を帳消しにしてあまりあるほどに、情けなさを増していく長月の姿は望月をがっかりさせた。
力不足にうちひしがれているだけなら、まだよかった。しかし、あれほどに敵愾心を燃やしてきた長月が自分に対してへこへこする姿は、望月にこらえきれない怒りを覚えさせずにはおかなかった。
(あたしが目をつけた長月は、そんなんじゃなかったっしょ? できるとかできないとかじゃなくて、とにかくどんだけ跳ね返されても壁にぶつかってくような……それで一人どんどん先を走っていっちゃう、そんなやつだったっしょ?)
司令官に言った言葉にうそはない。長月は望月のことを比較にならない才能の持ち主と思っているようだが、望月にとっても長月は認めざるをえない存在だった。
今、仲間たちから聞かされるところの不調も、本来の長月であれば一人でなんとでもしてしまえるはずなのだ。
(それができないっていうのは、つまり、そうしてればあたしが助けてくれるって、どっかで期待してるからでしょ? だれがそんな甘ったれに手を貸してやるかっての)
「あーもー……ほんっと、面白くないことばっか」
こぼしながら角を曲がる。すると、ちょうど向かいからやってくる仲間がいた。ぶつからないように身をかわそうとしたが、とっさにすれ違おうとした方向はどちらも同じになってしまった。
「あたっ……」
「つぅ……」
軽く打ちあった頭をさすりながら、望月は謝ろうと相手を確かめた。すると、そこにいたのはほかでもない、長月だった。
「す、すまない。大丈夫、か……?」
なんと声をかけていいか迷っているうちに、長月はおどおどと、こちらの顔色をうかがうように頭を下げだす。
それを見て、望月の謝ろうという気分はどこかに散じていった。代わって現れたのは、むかむかとして落ち着かない不快感だった。
「どこ見て歩いてるのさ。あたしがこっち避けたのが見えなかったのかよ」
「すまない。つい、ぼーっとしてしまっていた……」
「しゃきっとしてるときなんてあるのかっての。情けない格好ばっかり見せてくれちゃってさ」
「すまない。本当に、なんと謝っていいのか……」
長月があせって言葉を重ねるほどに、望月のいらだちは募っていく。
「そうやって謝ってさえいれば、それでなんでも済むとでも思ってるわけ?」
「すまない。いや、その……気をつける。だから、許してくれ。おまえの気が済むなら、なんだってする……」
それを聞いた途端、望月はもうがまんできなくなった。
「それをやめろって言ってるんだよ!」
大声を出すと、長月はびくりと固まってしまう。その一挙手一投足が、望月に怒りを覚えさせる。
「あたしをばかにするのもいいかげんにしろっての! 長月はそれで楽しいのかもしれないけど、あたしは全っ然面白くもなんともないんだよ!」
「そんな……私にそんなつもりは……」
「うるさい。長月の声なんか聞きたくもない!」
「ま、待ってくれ。望月……」
「うっとうっしいっての。もうあたしに話しかけてくるな!」
望月はすがり寄ろうとする長月からさっと身を離す。そのまま耳に手を当てると、憤然とした足取りを隠すこともなく歩みだした。
二歩、三歩。長月の声が聞こえてくることはなかった。
五歩、六歩。長月が待てとひきとめてくることはなかった。
(ふん。長月なんか、好きなだけ落ちこんでたらいいんだ)
望月は不機嫌な気分のままに歩きつづけた。途中、うしろをふりむくことは一度もなかった。
望月は去っていった。長月にはそれを黙って見ていることしかできなかった。
(せっかく、望月が口をきいてくれたというのに。私は、また……)
ここのところ、いつもこうだった。
望月が卑屈な態度を嫌っていることは知っている。そのたび、いらだちや軽蔑のこもった目を向けられるのだから。
しかし、どれだけ頭でわかっていてもだめだった。望月を目の前にすると、怒ってはいないだろうかと、なにかへまをしでかしていないだろうかと、顔色をうかがってしまう自分がいる。嫌悪をむき出しにした視線でにらまれると、してもいない悪事を見抜かれたかのように、反射的に謝ってしまう。
(いや、違うな。そうじゃない……)
自嘲とともに、長月は自らの思考を否定する。
(私は、実際に悪いことをしているんだ……)
それは、自信のなさが生む弱い心の現れであると、自分を励ますことはできた。しかし、どん底から上向きに持ち直すきっかけをつかめずにいる現状では、そのなぐさめは空虚に響くばかりだった。そして、そう感じれば感じるほど、自らを貶める気持ちは真に迫ってくる。
(私は、あいつから嫌いなところを直すように言われた。それなのに……)
望月に拒絶を告げられたあの日から、長月は少しも変われていない。うっとうしいと言われたにもかかわらず、望月のことばかり考えてしまって、望月にかまってほしくて、望月がいないとどうしていいかもわからない自分のままだ。むしろ、気分が落ちこめば落ちこむほどに、望月の姿を探そうとしてそわそわとしてしまうことを思えば、さらにひどくなっているのかもしれない。
(それなのに、私は今のままで、あいつに許されることを期待している……)
こんな虫のいい気持ちを知ったら、望月はどう思うだろうか。さらに軽蔑されてしまうだろうか。想像するだけで涙が浮かんできそうになるが、その一方で、あれほど目端の利く望月が、この程度のことに気づかないはずがないことも知っている。
(私は、あいつに見下げられて当然だな……)
こみあげてきた悲しみをこらえるべく、くちびるをかむ。
望月に軽蔑されるのはいやだと、あふれ出そうなほどに思いは募る。これ以上嫌いにならないでほしいと、張り裂けそうなほどに胸は痛む。
しかし、その思いも、望月の気持ちを無視した自己中心的な願望にすぎないのだ。
(こんな、勝手なやつなのに……それなのに、私はあいつのそばにいさせてほしいと望んでいる……)
これが悪事でなくてなんだというのだ。
望月には、自分などよりもよっぽど並び立つにふさわしい仲間たちがいる。自分のような、頭打ちになってしまっている者よりも、同じくらいの戦果をあげられる教導艦の仲間たちが。
(だけど、それは……そんなのは、いやなんだ)
自分以外の仲間が望月のとなりに立ち、望月もまた相手のことを対等な、気の置けない仲間として接する。そして、自分にだけ見せてくれたあれこれの表情を、その相手にも見せる。そんな場面を想像すると、あらゆる希望が絶たれたかのような錯覚に陥らずにはいられなかった。
そんなことはありえないと、望月が自分以外にあんなにまで心を許したところなど見たこともないと、必死で自分に言い聞かせる。しかし、今日までは正しかったことも、それが明日もまた正しいという保証はどこにもない。気まぐれからほかの仲間には見せたことのない一面を自分に見せてくれたという、大切なはずの記憶がその考えを補強してしまう。
(だから、一刻も早く、私はあいつにつりあう存在にならないといけないんだ)
一昨晩、男に言われた言葉がよみがえる。
自分がどれだけ望月のことを想おうと、望月からも同じように見られるには今のままでいいはずがない。
(わかってる。わかってはいるんだ。けど……)
具体的にどうすればいいのか。その段になると、まるでいい考えが浮かんでこないのだ。
(私は、あいつに距離を置かれてからずっと、こんななのだから……)
望月に冷たい態度を取られた悲しみをいやしてくれるのは、望月との思い出だった。どうしようもない失敗をくりかえすたび、聞きたくなるのはあのやる気に欠ける声だった。命のやりとりを行う戦場でも、ふっと脳裏に浮かぶのは望月のことだった。
(私にとって、あいつは……)
望月は、無理をしてでも強くなるための手本だった。長月には手の届かない可能性を見せてくれる憧れであり、どれだけもてあそばれてもかまわないほどに頭の上がらない相手でもあった。そして、つきはなされると心にぽっかりと穴が開いてしまう、ただ一人の存在だった。
なによりも大切な存在。それが望月だった。
「やはり、あいつがいないと、私は……」
それ以上、口から出るのはため息ばかりだった。
望月にふりむいてもらいたいのに、そのためにも望月の助けが必要としか思えない。まして、現実に本人を目の前にするとあの通りにしかならないのだった。
(私は、このままずっと、あいつに嫌われつづけることになるのだろうか……?)
うしろ向きな思考をしていく中で浮かんだ考えに、ぶるりと体がふるえる。それは、いまや笑って否定できない真実味を持っていた。
(いや、それだけならいい。嫌われるどころか、関心すらはらってもらえなくなったら……?)
転がりだした悪い想像はとどまるところをしらない。
今なら望月は、まだ視界に入ったときに不機嫌な態度を取ってくれる。それですら、これほどに悲観的な気持ちにつき落とされるというのに、そんな反応すらなくなってしまったとしたら。
(そうなったら、私はもうおしまいだ……)
そして、一瞬だけだが、拒絶を告げられたあのとき、望月はまさにそんな表情を向けてきた。起こりうる未来のできごととして、その場面が脳裏に展開されることになんらの障害も存在しなかった。
明けの港。集合する仲間たち。これから任務へと出撃していこうとする集まり。
その面々に向かい、望月はいつもの気だるげな調子で声をかける。
『えーっと、今回の部隊員は、と。まず……、それから……、……、長月、あと……。以上ね。よろしくー。ほどほどにがんばろっかー』
望月の視線は確かにこちらにも向いたが、そこで止められることはなかった。ほかの仲間と同様、ただ確認のために視界に入れたという以上の動きではなかった。
それが悲しくて、必死に思いをこめて見つめてみるが、やはり声がかけられることはない。
ならばと、敵部隊との遭遇にそなえてこれまでの経験を活かした提案をしてみるが、不調から抜け出せない中での意見には穴が多く、仲間からあれこれと修正が入る。そうして、結局は仲間たちの意見が大勢を占める方針ができあがってしまった。
くやしさにくちびるをかみながら望月のほうを見やると、当の望月はこれまたいつものように、皆の話を聞いていたのかいなかったのか、あくびをしているだけなのだ。
さらには、話がまとまったのを察して、皆に発する一言がこうだ。
『うん。じゃあ、そんな感じで』
その目はこちらを見ているようで、そこにはなんの感情も見いだせない。好意もなく、悪意もなく、ただたまたま同じ部隊に組みこまれただけの仲間に、特別かける言葉もなくいつもどおりにあたりさわりのない調子で接しているという態度だった。
自分は本当に望月の目に映っているのだろうかと疑わずにはいられない。どれだけ思いをこめて見つめても、望月からなんの特別な反応もひきだすことはできないのだ。
うつむきながら海へと歩きだした仲間のあとをとぼとぼと追いかけだす。仲間たちとの距離はみるみる開いていくが、そんなことにかまう余裕は少しもない。
すると、そこに、ついに待ちに待った声が聞こえてくる。
『あ、そうだ。長月?』
それだけでぱっと顔を輝かせて望月を見る。しかし、こちらを見る望月の視線はやはり気だるげで、別の仲間との間を渡されていくばかりだった。
そうして、望月は言う。
『……と……の二人に長月のこと気にかけとくようにお願いしてるけど、それでなんとかなりそう?』
とっさに意味がわからず、どういうことかと問い返す。すると、望月は困ったような顔をして言葉を濁す。
『いやさ、必要ないならべつにいいんだけども……』
初め、意味がわからず首をかしげるばかりだったが、だんだんとその意味はわかってくる。
自分は、望月に気をつかわれているのだ。そのことで落ちこんで、任務に向かう闘志をしぼませてしまわないようにと。
それは、たしかにそのとおりだろう。そうと気づいてしまうと、衝撃で愕然とした気持ちにとらわれずにはいられない。これまで、望月からは、どれほどの失態をさらしても気をつかわれたことなどなかったのだ。
『や、あんまり気を落とさないでほしいっていうか。その……なに? 長月ならやってくれるとは思ってるんだけども、念のためにさ』
それなのに、あわてたようになぐさめの言葉がかけられる。そのうえ、その表情にはよそよそしい笑みまではりついている。
それは、一時期とはいえ肩を並べて戦った者に対する態度ではなかった。扱いに困る仲間に、しかし波風だけは立てないように接しなければという程度の気持ちの表れだった。望月にとって、自分がどうでもいい存在になりさがってしまったことを、それ以上明白に物語る態度もないだろう。
一瞬、目の前が真っ暗になったような感覚を覚える。ふらつく体をこらえるために手をつくと、なにかの冗談だと思いたくて望月を見上げる。だが、視線の先の望月は、やはり困ったような笑みを浮かべるばかりだった。
それを信じたくなくて、けれど否定できる根拠もまるでなく、ただなすすべもないままこみ上げる気持ちは涙となってあふれだす。仲間たちの前であろうと、もはや気にする余裕はまるでなかった。
『あっちゃー……どうしたもんかな、これ』
それを受けた望月はあきれたようにつぶやくだけだ。そのみっともない姿を叱り飛ばすことも、ましてや激しい嫌悪感を示すことさえもしてくれない。すっかりさじを投げられているのだ。
『ちょーっと司令官に指示をあおいでくるね。みんな、しばらく待機でもしてて。ごめんよー』
地べたに座りこんでしまった自分を見下ろしていた望月は、やがてつかれたようなため息をつくと基地棟に向かい姿を消す。
それをひきとめることもできずに茫然と見過ごしてしまった自分は、ただ真っ白になる頭で状況を認識するばかりだ。望月にとってただのめんどくさい仲間になりさがった自分、仲間たちからも声すらかけられず遠巻きに白い目で見られるだけの自分、そして、おそらく男からも後方に下げる決定を下されるだろう自分。
ただただ、これが底の底なのだと思うばかりだ。望月に嫌われたまま取り返せないでいるのがどん底だなどと、浅はかな考えに過ぎなかったと思い知らされる。
どっと、体に疲れがのしかかってくる。頭は、もはやまともな思考をつむいでくれない。脳裏にちらつくのは、このあとの身の処し方くらいだった。
(自身の砲撃ならすぐに済むだろうか……いや、砲弾の一発すらも私にはもったいない。それなら、ひとり静かに、海に沈むか……)
すらすらとそこまで考えが進んだところで、長月ははっと我に返る。
(待て。まだこれは現実に起こっていないことだ)
今から死ぬ算段をはじめるなど、気が早いにもほどがある。
どつぼにはまりかけた思考を持ち直そうとするが、一方で望月に心をとらわれたまま抜け出せない現状は、そこへとまっすぐに進んでいるとしか思えない。
(なんとかしないと、いけないんだ。だが本当に、どうやって……?)
細かい部分でなら先ほどの想像とは違った形になるのかもしれないと考えることはできる。しかし、最後に落ち着く結末まで違うものになるかというと、まるでそんな場面を思い浮かべることができないのだ。
事態改善のためにはどこから手をつければいいのか。それすらも答えの出そうな気配はまるでない。
(今がわかれ目なんだ。ここで、なにか決断しなければ……)
刻一刻と、時間が過ぎるごとに最悪の場面に近づいているかと思うと、これほどに自身のふがいなさを思い知らされることもなかった。
だが、じりじりと急かされるように頭を巡らせれば巡らせるほど、思考はまとまりを欠いていく。
(だめだ。このままでは……)
そうして、どれほどの時間か。いらいらとした気持ちのままに歩みを進めていると、目の前に食堂の扉が見えてくることに気がついた。宿舎にいたはずが、いつの間にかとなりの棟へと移ってきていたらしい。
どこをどうして歩いてきたのか、長月にはまったく覚えがなかった。だが、ともかく現在地を認識したことで、それと同時に軽い口の渇きにも気がついた。
(寄っていくか……。そのあとは、資料室にでも……)
意識の大部分はつづく思考に向けながら、なんの気もなく扉を開ける。
そのまま数歩、流しのほうへと向かいかけていると、横合いから唐突に威勢のいい声がかけられた。
「よう、長月じゃねぇか。ちょうどいいところに来た。ちょっとつきあえよ」
深刻な考え事をつづける長月にその声はほとんど聞こえなかったが、自身の名前が呼ばれたらしいことには気がついた。ぼんやりしながらふりかえると、そこにいたのは何人かの重巡洋艦の姿だった。
こちらに視線を向けてくる摩耶に対し、あわてたように青葉が止めに入る。
「ま、待ってよ、摩耶。それじゃ段取りが台無しじゃない」
「うっせぇな。アタシはああいうまわりくどいのは嫌いなんだよ」
「だからって……」
なおも制止しようとする青葉だったが、鳥海から首をふられてしぶしぶとひき下がることにしたようだ。
「もう、せっかくいろいろ考えたのに……」
「いいだろうが。最終的にうまくいけばよ」
それで仲間内での話はついたのか、摩耶はふたたび長月に視線を戻す。
「そういうわけだ、長月。こっち来いよ。おまえに話がある」
そう言ってとなりのいすを引き、ぽんぽんとその座板をたたいてみせる。
そんな彼女たちを、長月は厄介な手合いに絡まれてしまったと思いながら見つめかえす。今は、正直、だれかにつきあっている暇も余裕もない。
なんと言って断ったものかと考えていると、ふいにうしろから、強く腕をつかまれた。ぎくりと視線を向けた先にいたのは、にこにこと上機嫌にこちらをうながす加古だった。
「そんないやそうな顔するなよー。せっかく摩耶がひと肌脱いでやるって言ってくれてるんだしさあ」
こちらの意志など気にかける様子は微塵もない。長月は否応もなく、四人の集まっていた席へと導かれていくこととなった。
「一名様ご案なーい」
「もう、しょうがないなぁ」
「手短に済ませたいですが……ひとまず、お茶でもどうぞ。そのついでとでも思ってください」
鳥海から差し出された茶に、長月はほかにどうすることもできずにしかたなく口をつける。そうしながら、すばやく皆の表情をうかがう。
(いったい、なんの用だ?)
見渡したかぎりでそれを読み取ることはできない。だが、ふだんあまり仲の良くない仲間たちである。あまり面白い話になるとも考えづらい。
身構えるように机の下で軽く手を握っていると、摩耶の手が力強く肩に落とされた。
じんとしびれるような衝撃につづいて、険のこもった声が浴びせられる。
「おまえ、最近ずいぶんとふぬけてるじゃねぇか」
前置きなしの言動に思わず眉をひそめる。摩耶の表情には不機嫌さが見えており、ここから楽しい話になるとはとても思えない。そして、話の内容自体はどうやら今の懸案と重なる部分が多そうであった。そのことを思うと、あまりすきを見せたくない四人の前にもかかわらず、気分はどうしても暗くなる。
「……申し訳なく、思ってはいる」
「謝ってる暇があったら、すぐにでも直せ」
吐き捨てるように告げられても、ただ黙ってやりすごすしかなかった。
(今の私にできるのは、せいぜい鬱憤晴らしの相手をしてやるくらいか……)
「……って言いたいとこだがよ。おまえ一人じゃどうにもならなくなってんだろ? アタシらに任せな。アタシらが、おまえに気合いを入れてやる」
「どういう、ことだ……?」
思いがけない提案を耳にした驚きに間の抜けた言葉を発していると、摩耶の表情に険が増すのがわかった。
「だからぁ……アタシらが手伝ってやるって言ってんだよ。いつまでそんなぼけた面してやがるつもりだ」
「いや。だが……」
はっと気づいた長月は改めて摩耶の言葉について考える。しかし、ありがたく思う気持ちもなくはないが、それよりも、目の前にいる四人を信用していいのかという疑問が先に立つ。
(睦月たちなら、あるいは……いや、あいつらでもむりだ)
彼女たちなら信頼できるが、それでも助力をあおぐにあたって他者を自身のふところに入れることは、また別の恥ずかしさをともなう。まして、摩耶たちからは嫌われてこそいても、気軽に弱みを見せてしまえる気安さは存在しない。
長月の表情にははっきりと警戒心が表れてくる。
「どういうつもりか聞かせてもらっても、いいだろうか」
「てめえがふぬけてるとアタシらが困るからだ。ありがたく思えよ」
肩にのせられたままの手にだんだんと力がこめられてくるのがわかる。否は聞かないとばかりのその調子に、長月はどう答えたものかと、気のすすまない考えを巡らせだす。
(ちょっとやそっとでひき下がってはくれなさそうだが……)
そんなとき、横合いからはさまれたのは鳥海の声だった。
「いきなり言いだされては、長月も困ってしまうかもしれませんね。先に、もう少し私たちの事情を聞いてもらいましょうか」
にらむ摩耶を気にかけることもなく、彼女はすずしげな顔で話しだす。
「教導艦である長月と違い、私たちの出撃の機会はかぎられています。主力たりえる実力がない以上、それは当然のことです。しかし、それでも軍に所属している以上、ひとつでも多くの戦果をあげたいとも思っています。大きな戦功をあげて勝利に貢献したいと、望んでいます」
ここにいる四名はみな同じ意見だと、それぞれの顔を見渡してみせる。加古と青葉は静かにうなずき、摩耶は不機嫌にそっぽを向いた。それを確認して、だからこそと、射抜くような視線を長月に向けてくる。
「だからこそ、主力の一角である長月にふらふらされていては困るのです。数少ない出撃の機会がさんざんな結果に終わってしまうことは、許しがたいのです」
「そう……か」
「心配していると言ってほしかったですか? 残念ながら、私たちはあなたのお仲間の駆逐艦たちとは違います。悠長に回復を待っていられるほど気が長くもありません。長月には、是が非でも調子を取り戻してもらわなければならないのです。そこで、摩耶の言葉につながります。長月には私たちの協力を歓迎できない気持ちもあるでしょうが、私たちもあまり気乗りのすることではありません。お互いの利害が一致する間だけのことと考えてもらえれば結構です」
「なるほどな……」
「どうでしょうか?」
「少し、考えさせてくれ」
「あまり長くはかけないようにお願いします。すっかりへそを曲げてしまった人もいますので」
「うるせぇ」
そんな摩耶とのやりとりを横目に、長月は考える。
今の鳥海の言葉は、同じ軍に所属する者として、長月にも納得のいくものだった。それを聞いて、ひとまず彼女たちの動機は理解できた。どの程度協調できるかという問題は残るが、目的が同じならば少なくとも信用面で不安に思うことはないだろう。
(ただ……)
それでも首を縦にふれないのは、心理的な抵抗が解消しきれないからだった。
たとえ相手が睦月たちであっても、ふがいなさをさらさなければならいことを思うと気軽に了承できるものではない。協力してもらう間かぎりの関係だと思えばいくらかそれもうすれるように感じられるが、相手が長月たち駆逐艦を敵視してきたといってもいい仲間たちだという事実があっては、それにも限度があった。
長月は考えた末に、眉根を寄せたまま顔を上げる。
「やはり、この話は……」
「ちょーっと待ってください。私からもひとつ、つけくわえたいことがあります」
そこで、さえぎるように口をはさんできたのは、青葉だった。
長月がきょとんとしてそちらを見やると、にこにことした顔で告げられる。
「私たちが協力するのは、長月さんにとってはいいことづくめだと思うんですよ」
「どういうことだ?」
「長月さんは自分一人でなんとかしようとしてるみたいですけど、うまくいってないみたいじゃないですか? それなら、やり方を変えてみるのは大事だと思うんですよ」
「それはそうなのだろうが……」
それくらい考えていない長月ではない。そう思うも、青葉はなおもまあまあと話しつづける。
「やれることはとにかく試してみるのが大事だと思うんです。私たちなら日頃からそれほど接点があるわけでもないので、変に遠慮することはありませんし。それに、長月さんの事情もある程度はわかってるつもりですから」
「私の事情……?」
なにが知られているのだろうか。警戒心を押し隠しながら聞き返すと、青葉は元気良くうなずく。
「一日でも早く調子を取り戻したいと、思っているんですよね」
「まあ……そうだ。教導艦として、あまりふがいない姿をさらすわけにはいかない」
そう言うと、青葉はまたまたと笑ってみせる。そうして、ほかにだれもいないにもかかわらず、ないしょ話でもするように口もとに手を当ててみせた。
「むりにとりつくろわなくっても、わかってますってば。望月さんと『つりあう存在』に、ならないといけないんですもんね」
「な……!?」
ちゃんとわかってますからとばかりに片目をつむる青葉に対し、長月は驚きのあまり、立ち上がりかけたまま二の句がつげなくなってしまった。
青葉の口から漏れた言葉は、一昨晩の男との話の中で初めて現れた考えだった。そしてそれ以来、長月はだれにもそれを口外していない。それなのに、青葉はわけ知り顔に告げてきたのだ。
「ど、どこで、それを……?」
「いやー、長月さんと司令官との話を偶然聞いちゃいまして。あれはびっくりしましたねえ」
しみじみとした調子で、青葉は口にする。
(聞いていただと……? いったい、どこから? まさか、私が望月のことをどう思っているのかまで……?)
「あのときのことは、今でも一言一句覚えてます」
青葉はすらすらと、臨場感たっぷりにあの夜のやりとりを再現していく。それは、途中からではあったが、まぎれもなく男とした会話そのものであった。
「……。そして、『あなたは、ともにある存在として、望月とつりあえると思っているか……?』って、しぼりだすような司令官の声に、さっとはりつめた空気が満ちていく様子といったら。扉越しにも、長月さんが望月さんに抱く並々ならない感情が伝わってくるようでしたよ」
はふぅと、青葉はたかぶった気持ちをそのままに息をつく。
それを聞きながら、長月はかっとほおが熱を持っていくのがわかった。
あの男になら、もう知られてしまっているからしかたないと思うことはできた。しかし、ほかの仲間にまで知られたとなると、とたんにたまらない気持ちになってしまう。なんとかごまかさねばと思うのだが、なにかを考える余裕はすっかり失われてしまっていた。
「いや、あれは……その……」
「それにしても、長月さんもものすごい目標を掲げましたねえ。あの望月さんにつりあえるようになろうだなんて」
「たしかに。あれは、ちょっと追いつけそうにありません」
だれかが口を開くたび、耳をふさいでしまいたい衝動に駆られる。がんばれなどと、応援するような言葉をかけられるほどに目も合わせられなくなり、真っ赤になって顔をうつむけていく。
「もう……もう、そのくらいにしてくれ」
「おっと、これは失礼。本人を前にして盛り上がりすぎましたかね」
耐えられなくなってしぼりだすように言うと、青葉がいけないけないとおどけるのがわかった。
そして、やや間をおいて、今度は真剣な調子で声をかけてくる。
「それでも、今の長月さんにとって、望月さんがあきらめきれない遠い遠い目標だというのは、青葉にもわかるつもりです」
「それは……ああ、そうだ……」
その言葉に、先ほどまでの、自分一人ではまるで打開策を見いだせない現状が思い起こされる。
青葉に同調するように、鳥海も口を開く。
「望月の潜在力は基地の中でも指折りではないかと。この間など、魚雷も使わず戦艦を沈めてみせましたから」
「そんなことを……?」
信じられないとつぶやくと、この目ではっきり見たと断言される。
知らぬ間に望月はさらに実力をつけているらしい。それにくらべて、長月は自分の成長のなさにくやしさを覚えずにはいられなかった。
(けど、そんな……そんなの、どうやって追いついたら……)
わからない。ますますあせりを募らせていると、加古も言葉を発する。
「あたしも、あいつは本当にすげえと思うもんなあ。正直、駆逐艦の中であたしが敵わないと思うのは望月ぐらいだよ。長月には悪いけどさあ」
「そう、だろうな……」
加古の認識でも、やはり望月の才能は自分などが及びもつかないほどに別格であるらしい。青葉も、鳥海も、うんうんと加古に同意して望月のすごさについて話しあいだす。そのほとんどはすでに知っていることだったが、他人の口から聞いていると、改めてその絶望的なまでの遠さを感じさせられる。
(やはり、この四人にとっても、私が望月に追いつこうなど夢のまた夢のような話なのか……)
聞いているうちに無力感がわき上がってくるのがくやしくて、心の中でそれを押さえつけているうちに涙が浮かんできた。
(しょせん、私などは、おこがましい考えなど捨てて、あきらめとともに空っぽに生きるのがお似合いなのか……)
そんなのはいやだと思う。だが、ではどうすればいいのかということはやはりわからなかった。
(いやだ。そんなのは、いやなのに……)
くやしくて、情けなくて、肩がふるえそうになる。
そのとき、うつむく耳もとでいきなり大きな音がたてられた。
「おまえら、いつまでそんな話してるつもりだ!」
摩耶のこぶしが机に叩きつけられたのだ。
「それに、長月も! いつまでうだうだしてるつもりだ、てめえは! 望月に追いつきたいのか、追いつきたくないのか、どっちなんだよ!」
「それは……追いつきたい。追いつける、ものなら……」
胸ぐらをつかみ今にもなぐりかかってきそうな形相ですごまれて、反射的に口から出た言葉は、それこそは長月の本心からの願いだった。
(そうだ……。どれだけ他人から笑われても、この気持ちだけは、捨てられないんだ……)
「なら、アタシらがてめえのけつをけっ飛ばしてやるって言ってんだ。てめえは、四の五の言わずにやることやればいいんだよ!」
満面に怒気をにじませながらも、摩耶の表情は真剣だった。
「アタシだって、姉貴たちの役に立てるくらい強くなりたいと思ってる。てめえの気持ちもわかるつもりだ」
「いやいや、摩耶。それはさすがに長月さんの気持ちとは違うかと……」
横合いからつけられた物言いに黙っていろとうるさげに返す摩耶を見やりながら、ありがたいと、そう思った。
自分を叱り飛ばす摩耶は、どこまでも真剣だった。これほどにふがいなくて、まして嫌っているはずの自分に、そこまで真剣な気持ちをぶつけてくれる。
(そこまでしてくれる、摩耶の熱意には応えたい。だが……)
それでも二の足を踏んでしまうのは、やはり先ほどからの「しかし……」という心理的な壁が越えられないからだった。
「そうは言いますが、摩耶。具体的になにをしてあげるかまで考えていますか?」
「うるせぇな。それはおいおい考えてけばいいだろうがよ」
「そこが大事なんだってば。なんせ、望月さんは基地でも一、二を争うくらいにすごくて、それに比べて今の長月さんは、こう言うのはなんだけど、へなちょこもいいところなんだから」
「おまえらは、こいつに手を貸してやるつもりがあるのかないのか、どっちだよ」
「あるにはあるんだけどさあ、厳しいんじゃないかなあって。ある程度まではいけても、そっから先がなー……」
「だーかーらー……!」
気持ちだけであと押ししてくれようとする摩耶に釘を刺す仲間たちからの言葉の数々も、同じ部分を指摘する。
(むだな苦労をさせるくらいなら、やはり一人でやるのがいいのだろうな……)
徐々にその考えが優勢になり、申し訳ないがこの話は断ろうと、長月は口を開こうする。そうして目を合わせると、摩耶はこちらの気持ちを察したかのように、その目をすぅっと不愉快そうに細めてみせた。
「まさか、今くらいの茶々で気落ちしたわけじゃねぇよな」
「いや、だが……」
そこでひとつ、舌打ちが鳴らされる。
「さっきから、『だが』だの『しかし』だの……。もういい、もうたくさんだ!」
そう怒鳴ると、摩耶は一方的に宣言する。
「てめえの話はもう聞かねぇ。こっちにはこっちの都合ってもんがあんだ。どれだけ望月の才能が天才的だろうが、どれだけてめえが並以下だろうが、知ったこっちゃねぇ。てめえには、なにがなんでも調子を取り戻してもらう。わかったか!」
「それは、私としても急務ではあるが……」
摩耶の迫力に押されながら、長月はもごもごと言葉を返す。
「望月のやつにつりあえるようになりたいんだろ? それだけは、否定しねぇんだろ?」
「……ああ、そうだ」
正面から摩耶の目を見すえて、うなずきかえす。どれだけ自分に自信がなくても、やはりその気持ちだけは否定できなかった。それが、無力感にさいなまれる自分に残された、もっとも強い気持ちだった。
「なら、その気持ちだけでしがみついてみせろ。アタシからてめえに言ってやることは、以上だ」
あとは特訓あるのみだとばかり、摩耶は出口へと歩きだす。その迷いのない背中は、目指すべき一つの目標のように大きく見えた。
「ありがとう……」
そうつぶやいて、長月もまた席を立つ。
そうして、扉へと向かって数歩を進みだしたところで、ふと思い出してふりかえる。
「加古、青葉、鳥海も、これから少しの間、世話になる。少しの間……に、するつもりだ。よろしく頼む」
その言葉にやれやれとばかりの返事がなされるの確認して、ふたたび歩みを再開した。
仲間の力を借りる。男にも言われたことだが、もしかしたらあのとき思ったよりも高い効果が得られるのかもしれない。
そんな期待に胸をふくらませながら。
だが、その期待はすぐに失望へと変わることになった。
「なんで、あれだけがんがんに電信送っても気づかねぇんだよ、てめえは!」
出撃任務から帰った真夜中の港。荒れる摩耶を前に、長月は整列する部隊員たちに見つめられる中、ただ黙って頭を下げるほかなかった。
「戦闘中にどれだけ意識飛ばせば気が済むんだ。実は自殺志願者だったのか? ああ?」
あのあと、摩耶のあとについて近海で訓練をしていたときはまだよかった。何度か些細な失敗もあったが、動きのきれはよく、これならいけるかもしれないと期待を抱くこともできた。
だが、まもなく実戦の機会が訪れたとき、そのうすっぺらい手ごたえはあっさりとくだけ散ってしまった。
「てめえ、言ったよな? 何度も警戒警報を鳴らせば大丈夫だって。何日か前はそれでうまくいったって」
そうなのだ。半日程度のごく簡単なものではあったが、訓練で得た自信らしきものにくわえて、一度は助けられた手段を教訓として、もしものときのためにと摩耶に託すこともしたのだ。それにもかかわらず、今回も失敗してしまった。
途中まではうまくいきそうに思えていたのだ。一戦目はなんの問題も起こらず、これならばと胸をなでおろすこともできた。しかし、鬼門となったのはやはり戦艦率いる敵部隊だった。
望月でさえ苦戦する強敵。それを意識しすぎてしまった。望月の動きを頭に思い描いているうちに、心はいつのまにか戦場を離れてしまっていた。それも、様子がおかしいと気づいた摩耶がどれだけ殴りつけるように電信を飛ばしてきても戻ってこれないほどに。
「さらに悪化してんじゃねぇかよ! 昼間はあんだけ調子よかっただろうが! アタシらへのあてつけか?」
回避行動もとらずに戦場でふらふらするなど、的にしてくれと言っているようなものだった。艦首に直撃をくらったことでようやく意識を目の前に向け直すことができるようになったが、そのときにはすでに何隻もの敵艦から狙いをつけられてしまっていた。
救援に入ってくれた摩耶にかばわれながら、なんとか砲戦距離を離脱することはできた。だが、それまでに摩耶は主砲を破壊され、動力系にまで損傷を負ってしまっていた。傷は応急処置で済ますことのできる程度ではなく、撤退以外の選択肢はなかった。
「……申し訳ない。次は、きっと気をつけるから……」
「当たり前だ、このふぬけ! アタシがこんだけ体張ってんだ。次こそうまくやれ。さもないと承知しねぇぞ」
「その言葉、胸に刻みつけておく」
「うるせぇ! 口だけならなんとでも言えるんだ」
そのまま憤然と、摩耶は船渠へと向かう。解散の指示は出していないが、彼女の気色を見てあえて制止する者はいなかった。もう少しだけ話をしたいと、思って長月は手を伸ばしかけるが、逡巡ののちにその手は力なく下ろされた。
(謝っている暇があったら、訓練をするべきなのだろうな……)
摩耶の損傷は大破相当であり、あまりひきとめては彼女の戦列復帰に遅れをきたすことになってしまう。謝罪を受け入れてくれたとは言いがたいが、望まれるとおりに調子を取り戻すこと以外はみな等しく面白くない結果にすぎないのかもしれない。
(なら、なおさら一日でも早く、調子を戻さなければ)
それが、望月とつりあう存在になれるのだと、自信をつけるための一歩目になるのだから。
(それもできないようでは、どのみちあいつとのことは、望むべくもないのだから……)
晴れやらない気持ちのまま、長月はじっとこちらを見ている部隊員たちを一瞥する。そうして、なにをするにもまずは目の前のことを片付けねばと、整列している仲間たちに向き直る。
「すまない。ふがいないところを見せてしまったが……」
改めて解散を告げる声が陰りがちになるのは、しかたのないことだっただろうか。
翌日の出撃では、また同じ海域へと向かうことになった。男からは哨戒での調整を提案されたが、志願しての出撃である。摩耶たちにまで協力してもらうことになった以上、そんな様子見のような試みを行っていては申し訳なかったのだ。それに、調整ならば、摩耶たちとの訓練でその代わりとすることができる。一人ではどこに手をつけていいかわからない八方ふさがりも、四人もの助けが得られればあれこれと試せることがある。
「それでは、いっそのこと、部隊を二つに分けて、長月には危険の少ないほうを担当させてみてはどうでしょうか」
前日の失敗を踏まえてそう提案してきたのは、鳥海だった。
「しかし、それでは連携が取りづらくなってしまうのではないか?」
「しかたがありません。今の長月には、いかにうまく敵を撃破するよりも、いかに被害を受けないようにするかのほうが考慮すべき問題のようですから」
「そうですね。直接ひっぱたいてあげるわけにもいかない戦闘中だと……。いっそのこと、離れたところで戦果の報告でも待っててもらうのが一番なんですけど」
冗談めかして言う青葉の言葉が胸に刺さる。
「それもいいかもなあ。けど、さすがに五人で戦うのはしんどいぞ?」
「加古まで……。おまえら、なに言ってんだ。こいつがきちんと動けるようになるのが、アタシらにとっても一番だろうが」
冗談を打ち消してくれる摩耶の言葉はありがたかった。しかし、摩耶としても長月のふがいなさまでを否定するつもりはないらしい。
「いまだにあんだけ気の抜けた戦い方しやがるやつをもとに戻すとなったら、相当な大仕事になるだろうけどよ」
「……皆には、迷惑をかける」
頭を下げるが、摩耶から答えが返されることはない。昨日の失敗でさらに嫌われてしまったらしい。
「ともかく、だ」
長月を横目でにらみつけながら、摩耶はさっさと話しを進めていく。
「どんだけ危なっかしくても、てめえには戦闘中の立ち回りの感覚を取り戻してもらわなきゃならねぇんだ。なら、まずは鳥海の言うとおり、なるべく危険の少ない役回りをこなしてもらう。今のてめえには、その程度がお似合いだ」
「つまり、新人さんと同じところからやり直しということです」
「……そうか」
今の自身の状況を踏まえればしかたないことだが、それでもそんな水準でうだつがあがらなくなっていることを思うと、落ちこんでしまう気分はどうしようもなかった。
(望月にどうでもいいやつだと思われる前に、なんとかしないといけないのだから……)
「落ちこんでる暇があったら、さっさとやることやれってんだ。アタシらだって、いつまでもつきあってやるほど気が長くはねぇんだぞ」
「あ、ああ……がんばる」
今のように四人もの仲間の協力が得られる機会など、そうそうあるものではない。長月からだれかに頼みこむ場面を想像すると、ほとんどこれきりといってもいいのではないかと思えるくらいだ。一分一秒たりとも、無駄にしていい時間はないはずだ。
それは、開くばかりの望月との距離についてもいえる。いつか調子が戻ればいいなどと悠長に考えているからこそ、いつまでたってもうまくいかないのではないか。
(今日だ。今日こそ、結果を出してみせなくては。こんなふがいない自分につきあってくれる、四人のためにも)
気合いを入れ直すためにほおを張ると、出された案に従っていく通りかの動きの練習を開始する。鬼門は常に実戦の場なのだが、練習でくりかえし体に覚えこませることには意味がある。そう信じて、その日予定されていた出撃までの短い間、想定される部隊行動を確認していく。叱声を浴びようと、くよくよしている暇などなかった。
そうして、長月は今度こそと油断することなく海に出た。そのはずだった。しかし。
「まただめだっただぁ!?」
夜の港で結果を聞いた摩耶の口から漏れた声には、いまにも爆発しそうな怒りが含まれていた。
「予定通りに部隊を分けて、それでもだめだったってのか?」
「そうなんだよー。敵の弱っちいほうから当たりに行ったまではよかったんだけど、そこでまたいつものやつだよぉ」
怒りをこらえながらの摩耶の声に答えるのは、ぼろぼろになった加古だった。水兵服には大きく裂け目ができており、上着を羽織ることでなんとかそれを隠している。月明かりだけでははっきりとしないが、昼間の陽光の下でなら、明らかに喫水の下がったその船体もとらえることができただろう。一歩間違えれば沈没もありえたことを思わせる姿だった。
「こいつが敵の面前で的の演技はじめやがって、それでわざわざかばってやる羽目になったって?」
「そういうこと。もう勘弁してほしい……」
心底疲れたような加古の声に、長月の申し訳なさは募る。
「すまない……」
「てめえは黙ってろ!」
耐えられずに謝罪するが、摩耶に怒声を浴びせられてしまい、すごすごとひき下がる。
そうして、加古との間でまた、今回の失態の確認がつづけられていく。
「もっと詳しく聞かせてください。長月の様子がおかしいことに気づいたのはいつですか。砲戦が始まったときはまだ大丈夫そうでしたか」
「うーん……そこんとこは確証が持てないかなあ。まっすぐ進むだけなら寝ててもできるしさ。ただ……あたしの砲戦距離に入ったときはまだちゃんとしてたと思うんだ。弾が当たりそうな気配なんて全然なかったし。まあ、そんでも、避けてたのかはずれてたのかまではわかんないんだけど」
「こいつから撃った弾は一発もなしか?」
「そうそう。あたしがかばって目の前で主砲やられるまでだんまりだったんだよー。ほんっと信じらんないって」
「そういえば、その戦いの戦果はどうなったんですか?」
「本当に聞きたい?」
ここまでの話でわかるだろうとばかりのげんなりした加古の声に、青葉は認識のずれは避けたいからと、ぜひと答えを返す。
それに対して、加古は思い出すのもいやそうに、ぐるりと部隊を組んだ仲間たちを見回してから青葉に向き直る。
「えっとー……まず、敵は二隻撃沈の、残りは一隻中破で二隻小破。んで、あたしらのほうはっていうと……あたしが長月をかばって大破だろ? 同じ部隊班から中破が一隻と、別班から中破と小破が一隻ずつ。いや、中破一の小破二だっけ? まあ、そんなとこだから、勝ち負けつかず、よくて引き分けってとこ」
「そうですか」
「そんで、ちなみにだけど、唯一無傷だったのがー……」
そこで一度言葉を切ると、加古はくるりと長月のほうに首を向けてみせる。
「長月でしたー。あたしがかばってやったおかげってことで。あっはは……」
夜の港にかわいた笑い声が響く。すぐに波音に打ち消されたその声を発する加古の目には、暗がりでありながらもはっきりと、そのふがいなさにほとほと嫌気が差したという色を読み取ることができた。
「すまない。申し訳ない……」
「そういえば……」
そこで口をはさんできたのは、長月と加古たちの話を並んで聞いていた、同じ部隊の正規空母だった。彼女はちらりと長月を見やったのち、加古たちに向かって話しだす。一瞬だけ見えた彼女の目にはなんらの感情も浮かぶことはなく、ただ淡々と事実を話す風だった。
「私も、長月の異常には気がついていたわ。だから何度か電信を打ったけれど、反応がなく……そこで、艦載機に長月の至近をかすめるように飛行してもらいました。しかし、それでも気づいた様子はなく、結局、加古の被弾にいたったと。そういう流れだったかと」
(知らなかった……)
自身の深刻さに愕然とする長月に、さらに別の班だった榛名も口を開く。
「私のほうでも、うすうす長月の異変はわかってました」
「へえー、それはどうしてですか?」
青葉が受けると、彼女は思案気に話しだす。その口調はいつもどおりに丁寧だったが、内容は確実に今の長月を追い撃つものだった。
「砲戦が始まってすぐの頃は、こちらの部隊班に向かってくる敵艦は、私たちに合わせて三隻でした。それが、しばらくすると、別班に向かったはずの敵が二隻、合流してきたんです。それなのに、味方の応援は一隻も来ません。これは別班のほうがやられたなって、思わずにはいられませんでした。それで、どうしてそうなるかと考えたら、まず浮かぶのは長月さんだろうって」
「それはそれは……実に的確な推測で」
「こう言ってはなんですけど、今の長月さんが教導艦では、安心して戦えません。撤退の指示を受けて退却してはきましたけど、追ってくる敵をひき離すのにもひと苦労で。私たちの損傷は、ほとんどすべてそのとき受けたものと言って差し支えないくらいなんですから」
長月は皆の話を聞くほどにいたたまれなくなり、合わせる顔もなくなってうつむいていく。
「奇遇ですね。ちょうど青葉もそう思ってるんですよ。いっそのこと、これから司令官のところに陳情しにいってみませんか?」
「ですが、それは……」
ちらちらと視線が向けられるのを感じながらも、長月はなにも言い返せない。
なすすべもなく周囲の足もとにばかり視線を飛ばしていると、話の流れを変えてくれたのは、先日にひきつづいてまたしても摩耶だった。
「うるっせえってんだ、青葉! こいつのけつをけっ飛ばしてやるって、決めただろうが!」
(摩耶……)
しかし今回、そうして変えられた流れは、いささかならずおかしな方向に向かうことになった。
「こいつにはなにがなんでも調子を取り戻してもらうって。アタシがそう決めたんだ。アタシが投げ出してねぇのに、そんな話を持ち出すんじゃねぇよ!」
「そりゃ、摩耶が一度言いだしたら聞かないのは知ってるけど……。でも、長月さんの動機もだいぶ個人的じゃないですか。そんなことの手伝いのためにあれこれ苦労してるのかと思うと、ときおり情けなくなってくるというか……」
「個人的な動機……ですか?」
青葉の言葉を聞いて、榛名が口をはさむ。
「それは、今回の不思議な作戦行動にも関係があったんですか?」
「まあ、直接はないですが、その第一歩といったところでしょうか」
「それは、いったい……?」
「青葉の口からそこまでは、とてもとても……」
思わせぶりなその態度を受けて、視線が長月に突き刺さる。痛いほどの沈黙の中、長月は真冬だというのに背筋を汗が流れていくのを覚えた。
「どういうことでしょうか?」
「それは……」
詰め寄られて、長月は口ごもる。摩耶たちに告げたときもそうだったが、自分の気持ちを知られるというのはたまらない恥ずかしさを覚える。
「言えないんですか? そんな理由で私たちはふりまわされたんですか?」
「そういうわけでは……」
望月に対する気持ちには、やましいところなど一点もないと、長月は思っている。しかしそれは、ふだん周りから思われているだろう印象とそぐわない気持ちなのだ。
「申し訳ないという気持ちがあるなら、説明があってしかるべきではないでしょうか?」
「そうかもしれないが……」
回答を迫られて、長月は言葉に窮してしまった。仲間たちに迷惑をかけているのはわかっている。効果のあがらない試行錯誤に巻きこむ形になっているのだから。
摩耶たちこそ正面から不満をぶつけてくることもあるが、それ以外でも納得いかない思いを抱えている者は数多くいるはずだ。そんな仲間たちに、あとにはひけない理由があるのだと申し開きをすることは、義務のようなものではないだろうか。
(だが、それとこれとは話が別だ……)
もし、望月に対する気持ちをここで打ち明けたらどうなるか。今のところ、摩耶たちは口をつぐんでくれているらしい。しかし、ここにいる仲間たちはどうだろうか。仲のいい者たちに話さないといえるだろうか。そこから、基地中に知れ渡ってしまうことにならないだろうか。
(そうなったら、皆が、私のことを笑って……)
あれこれと無責任に広まるうわさ話を思うと、長月の口は堅くならざるをえなかった。詰め寄る仲間たちの不信をありありと映した視線から目をそらしながら、じりじりとその場をかわす機をうかがう。
しかし、とうとうそんなすきを見出すことはできなかった。
「ほらほら、長月さん。皆さん、ああ言ってますし」
観念するように、うながすように青葉から声がかけられる。
「長月さん、話したくないのならべつにかまわないですよ。次以降、私もお姉さまたちも、あなたと同じ部隊になるのは拒否させてもらいますけど」
「私も、そうさせてもらおうかしら」
榛名以外の仲間たちからもあがるその言葉が、長月から逃げ場を奪い去った。困ったように摩耶を見るが、知るかとばかりに顔をそむけられてしまった。
(ああ……)
昨日から何度も助けてくれた摩耶に明確に助けを拒まれたのは悲しかったが、摩耶としてもこうまでなったものを、もうどうしようもないのかもしれない。そうでなくても、すぐに他者に頼ってばかりの自分など、かばいつづけようとする気持ちもすぐに失せてしまうことだろう。
(すべては、私がまいた種、か……)
言わずにこの場を済ますことはできないと悟った長月は、覚悟を決めるべく深呼吸した。どれだけくりかえそうと、どんな反応をされるだろうかとこわがる心はなだめようがない。ばくばくと、耳もとで鼓動はうるさいほどに鳴りたてる。
汗でぬるついた手を服でぬぐってから握りしめると、長月はだれとも目を合わせないようにしながら話しだした。
「私は、望月のために、必死に努力しているんだ。望月に、追いすがれるように。望月と、つりあえるように」
「望月さん……ですか?」
わけがわからないというようにつぶやく榛名。しかし、今の長月に彼女に配慮する余裕はなかった。あせる頭で、仲間に迷惑をかけてでも苦闘することをやめられない気持ちを表現する言葉を探すのに必死だった。
「私は、望月に見捨てられたんだ。他人に頼ってばかりのやつは嫌いだと。これくらいの不調も克服できないやつに興味なんてないと」
「そういえば、長月さんと望月さんの間でなにかあったと聞いたような……」
「だから、私は一日でも早く、調子を取り戻さなければならない。望月からどうでもいいやつと、思われてしまう前に。ふさわしい存在に、ならなければ。そうでなければ、もう一度ふりむいてはもらえないから。私を導いては、くれないから。あいつがいないと、私はなにもかもだめだから。あいつが私にふりむいてさえくれれば、うまくいくはずだから。だから……だから、私は、あいつが……」
そこまで言ったところで、長月ははっと自分が口にしていることに気がついて手で口をふさいだ。
(これでは、まるで私があいつに恋焦がれてでもいるみたいじゃないか)
しかし、事実として望月のことを欲している自分がいるのは否定しようがない。
「あなた、望月さんとそんな関係だったの……?」
「いや、これは、その……」
信じられない言葉を聞いたかのような榛名の声にも、うまい言い逃れは浮かんでこなかった。たどたどしく語った先ほどの言葉は、まぎれもなく長月の本心を表していたのだから。
「あれだけ熱い言葉を並べておいて、まさか誤解だとは言いませんよね?」
「それは……」
否定はさせないとばかりに言い募られて、長月はそれ以上なにも言い返すことができなかった。
「それにしても、まさか長月さんが……。千歳さんと千代田さんなら知っていたけれど、すごく……意外です」
「そうでしょう? 任務ひとすじな印象がありましたものね。けど、これがまぎれもない事実でして。この長月さんを見れば一目瞭然ですよ」
青葉の言葉にまた集まる視線から逃れるように、長月は反射的に眼前に手を伸ばし、それだけでは足りなくてさらに顔をそむける。それは、いつもの長月らしさを感じさせない弱々しいしぐさだった。
にやにやと、面白がるような視線が長月に向かう。
「たしかに。疑う余地もないほどのあわてよう」
「こうしてみると、長月さんにも可愛らしいところがあるんですよね」
「摩耶がついつい応援したくなるのも無理はないというものです」
「鳥海。勝手にアタシの名前を出すんじゃねぇよ」
うっとうしげにぼやく摩耶の声も、彼女たちの話を止める役に立ってくれることはなかった。それどころか、会話はいよいよ長月が聞きたくない方向に向かっていく。
「けれど、相手が望月さんって……いくらなんでも似合わなさすぎて、私、笑っちゃいますよ」
榛名はそう言ってくすくすと笑う。対して、青葉たちがそれを止める様子は一向に見られない。
「そうでしょうか? 長月さんがここまでになる以上、どこかしら惹かれるところがあるはずですよ?」
「それは、たとえば?」
「たとえば……ほら、いろいろあるんじゃないですか?」
「やっぱり、わからないんじゃないですか」
「まあ、生真面目と怠け者ですので。事実として、今はうまくいってないようですが」
鳥海の言葉が長月の心に刺さった。
榛名の嘲笑はなおもつづく。
「それに、それだけじゃないです。あの望月さんと肩を並べる存在にだなんて、ずいぶん大きく出たものですよね」
そう言うと、先ほどの正規空母が同意するようにまた口を開く。
「水雷戦のことはそれほどわかるわけではないけれど、それでも望月に才能のようなものを感じるのは確かね。それに比べて長月は……苦戦しているといったところかしら」
「おや、なんだか歯に衣着せた物言いですね」
「そうかしら?」
「水雷戦で望月に並べるのは利根さんくらいとも聞きますよ? 青葉さんはどう思います?」
「青葉ですか? あはは……私程度じゃ望月さんの水準になるとすごすぎてよくわからなくなっちゃうんですけども。そうですね……やっぱり望月さんと利根さんはずば抜けてますかね。ちょっと下がったところに筑摩さんと龍田さんがいる印象で。長月さんは、そっちよりも青葉たちとの距離が詰まってきている位置といいますか」
青葉の答えに、榛名は我が意を得たりとばかりに手を打ちあわせる。
「それ、言えてます。教導艦を選別した時点では肩を並べているように見えましたけど、今となっては望月さんと同等に部隊を組める駆逐艦なんていませんよね」
「少なくとも、長月さんではちょーっと役者が不足してますかね? 望月さんの相方には」
「それは、部隊を組む仲間として? それとも、恋人として?」
「さあて、どっちでしょうね?」
そうして、彼女たちは目を見交わして笑いあう。
(だれの目から見ても、やはりそうなのか……)
周囲のやりとりを聞きながら握りしめていた拳は、いつしか力を失ってゆるく開かれていた。
(けど、あきらめるわけにはいかないんだ。あいつに嫌われてしまった私は、こんなにも弱々しいんだから……)
ひとしきり笑いあう仲間たちの声に、それでもなにも言い返せずにうちひしがれていると、思い出したような声が長月にもかけられた。
「けど、あまり冗談ばかり言っていては悪いですよね」
白々しい言葉とともに、榛名はぺこりと頭を下げてみせる。
長月にそれを腹立たしく思う気持ちもないわけではないが、それ以上にすっかり気落ちさせられてしまっていた。それに、結局のところ、話の種として自らを俎上に乗せたのは長月自身だった。つっかかれば下火になってきた話題にふたたび油を注いでしまいかねない。早く話題が変わってくれないものかと、心の中で念じるのがせいいっぱいだった。
「……なあ、もういいだろうがよ」
そんなとき、いらだたしげな摩耶の声がはさまれた。
「加古も、いつまでも馬鹿話につきあってねぇで。大破してんだろ」
「んあ? おお。そうだった、そうだった。長月ー、そろそろあたし、船渠に行ってもいいかあ?」
思い出したように疲れた体を動かしだす加古に、長月は長く息を吐きながら顔を向ける。
加古は気のない動作でこわばりかけた体をならしだしている。そこにこちらを気にかける様子は見られない
(しょせんは、他人事か……)
それもしかたないといえばしかたがない。もともとの関係は、お世辞にも良好だったとはいえないのだ。今でこそ協力してくれてはいるが、こちらの気分にまで配慮する義理はどこにもない。腹を立てながらもかばうようにしてくれる摩耶の態度こそがありえないほどに好意的なのだと考えるべきだろう。
「時間も時間ですし、そろそろ眠気が……」
あくびまじりの鳥海の声に、長月は自分の心との向き合いを中断し、今すべきことへと目を向けることにした。
(どれだけふがいなくても、私は皆の教導艦であり、この部隊の旗艦なんだ)
「そう……だな。確認するべきことはできている。皆、このまま各自解散してくれ。加古はすぐに船渠で修復を受けるように。以上だ。迷惑をかけて、申し訳なかった」
そう言って、長月は皆に頭を下げた。
「そう思うんなら、早く調子を戻してくれよお?」
その言葉を残して加古がきびすを返すのが、気配でわかった。ほかの仲間たちも、思い思いに話をしながら、あるいは無言で、その場をあとにしていく。
(こんなことで、本当に復調できるのだろうか……?)
話し声が遠ざかっていったのを確かめてから、長月はため息とともに顔を上げる。と同時に、驚かされることになった。
「長月、てめえに言っておくことがある」
自分一人だけになったと思っていたこの場に、まだ残っている者がいたからだ。
「摩耶……?」
手助けしてくれている仲間たちの中でもっとも好意的に対してくれる摩耶だが、今発した声、闇夜にまぎれそうなその表情は、先ほどから変わらずいらだちをたたえていた。
「あんなくだらねぇ話、いつまでもさせてんじゃねぇよ。あれくらい一言で黙らせられんだろうが。そんな気の入らねぇことで、無理やりにでも調子ひき上げられると思ってんのか?」
「いや、だが……あれは全部、本当のことで……」
予想もしてみなかった小言をぶつけられた長月は思わず目をしばたたかせる。
(てっきり、戦闘時のふがいなさを叱責されるものと思ったが……)
しかし、口はよくないがまっすぐな摩耶のこと、これまでも仲間たちが悪口めいたことを言いだすとすぐに声を荒げていたが、実は陰口の類を嫌っているのかもしれない。文句があるときはいつも、こうして包み隠さずぶつけてくる。耳に痛くはあるが、ありがたい存在ではあった。
(望月には及ばないが、摩耶もまた、私にとってかけがえのない仲間ということになるのだろうな)
そんな考えに、長月のほおは、帰投以来初めてほころびをみせた。
だが、摩耶はそれを察してか、ますます怒りを強めていく。長月のえり首をつかみ、額がふれあわんばかりの距離で怒声をぶつけてくる。
「てめえがそんなんだから、あいつらが調子に乗るんだよ。全部本当のことだぁ? てめえがそれを認めてどうすんだ! むだに落ちこんでるだけじゃねぇか!」
「そうかもしれない……。次からは、関係のない話になったらすぐに切り上げることにする。ただ、有益な話もあるのは事実だから、ある程度は話を聞かなくては……」
「そうじゃねぇっつってんだ!」
えり首をがくがくと揺すられて、長月の言葉はさえぎられた。
「あんなくだらねぇ話に耳を貸さなきゃいけねぇと思うのがふぬけてる証なんだよ。てめえでてめえに自信を持たないで、だれがてめえのこと認めてやれるってんだ!」
答えようにも、えり首をつかまれたまま、満足に呼吸もさせてもらえない。心配してくれるあまり態度が荒くなっているのかと思っていたが、ひょっとして本気で腹を立てているのだろうか。
(だが、だとすると、いったいなにに……?)
この場でのやりとりから、これかと思い当たるものはない。それでも、摩耶の怒りを解くにはなにか答えを返さないわけにはいかない。長月は目の回った頭を必死にめぐらせる。
「それは、私だけでは難しいかもしれない。だが……」
「まさか、アタシがやってやるとでも思っちゃいねぇよな?」
「違うのか?」
「アタシはな、てめえのそういうところに虫唾が走るんだよ!」
それは、ごく最近、望月からも言われたことだった。
(だが、だからといって、私はどうしたらいいというんだ……)
答えの出ない問いに協力を申し出てくれたはずの仲間は、しかしそれを問うこと自体が問題だという。それが克服できるというなら、そもそも問題になどなっていないというのに。
(やはり、私一人ではなにもできない。あいつがいないと、私はぐるぐると同じところを回るばかりだ……)
「望月がいてくれれば……望月が私を見守ってくれさえすれば……」
判然としない頭で長月はつぶやいた。長月自身、そんなことを口に出そうとして出したのではなかったが、間近にいる摩耶の耳に、それが届かないわけにはいかなかった。
「いいかげんにしろ、てめえ!」
長月のほおを摩耶の拳が吹き抜けていった。虚をつかれた長月は、受け身も取れずに港の舗装の上を転がっていく。数歩の距離で止まったときには、すっかり服のあちこちに擦れたあとが生じていた。
「な、なにを……」
長月は殴られたほおを押さえながら体を起こす。
「そんなに望月にそばにいてほしけりゃ、望月の人形でも艦に積むか? あぁ?」
わけもわからず見つめるばかりの長月に、摩耶は舌打ちする。
「そこでひと晩、そののぼせあがった頭冷やしてろ!」
それだけ言い捨てると、摩耶は長月を残して宿舎へと歩み去っていった。
今度こそ、その場には長月以外にだれもいなくなった。
(あきれられてしまっただろうか……)
そもそも、摩耶は自分が思っていたほど、自分に好意的だったのだろうか。
わからない。だが、摩耶だけが昨日からずっと、望月に対する気持ちを笑いもせず、真剣につきあってくれようとしてくれているのは確かだった。そして、それだけでも、今の長月にはなによりもありがたいと思わせてくれる仲間であることには違いがなかった。
(謝らないと、いけないな。明日になったら、謝って……それから、摩耶の助言をもとに、やり直そう)
冷たい舗装の上に正座して、長月は着崩れた服を整えていく。上着でしっかりと身を包んではいたものの、服のすきまから入りこんでくる冷気が身に染みて感じられた。。
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