2019年05月29日

100分de名著 2019年2月号 オルテガ 大衆の反逆 多数という「驕り」

オルテガ『大衆の反逆』 2019年2月 (100分 de 名著)
オルテガ『大衆の反逆』 2019年2月 (100分 de 名著)

100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』 2019年2月 | NHK出版

闘いの場に身をおいた人物の言葉は重い。

言論によって内乱に向かう時代の潮流と闘ったスペインの哲学者オルテガ。代表作『大衆の反逆』を中心にしてまとめられるその考えは、過激な思想に流されるばかりの「大衆」、「大衆」とは違う存在を受け容れる思想としてのリベラル、自らを作りだす周囲の環境およびそれらを築きあげてきた死者たちへの意識、過激な変革に違和を抱く保守観など。全体として、初心者にもわかりやすい平易な解説書でした。

解説された彼の言論からは、多数派の独善に陥り暴走する大衆を止めようとして考えだされたのだろうレトリックがいくつも感じられた。その最たるものが「生きている死者」の考え方だろうか。なんの縁もない学者・政治家がなんやかんや言って通じなくても、血のつながった父祖を含めた死者たちの思いを想起させられることは、独善からの脱却をもたらすうえで効果を発揮しうる考えではあったことだろうと思う。とはいえ現実としては、暴力に訴えてでも自分たちの考えを押し通そうとする潮流を食い止めるにはいたらなかったわけだけれど。

けどそれでも、現在においてもなお見るべきところの多い人物であるように思われる。
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2019年05月28日

進化は万能である 人類・テクノロジー・宇宙の未来

進化は万能である──人類・テクノロジー・宇宙の未来 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
進化は万能である──人類・テクノロジー・宇宙の未来 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

偉大な先駆者や計画的なトップダウンによるものではない、自然発生的な変化の積み重ねによってボトムアップ的に「進化」してきた人間社会の姿を様々な分野から描き出そうとする野心的な著述。

進化とはそれすなわち、累代的な変化の蓄積である。ドラスティックな変革ではなく、たとえそう思えることであっても、その瞬間だけを見ればそう見えるのかもしれないが、その変革を用意する背景が少しずつ準備されたうえでの最後の一撃が画期的な印象を与えているにすぎないとする。

筆者の主張によれば、歴史さえもが偉大なリーダーは単に時代の表象でしかないことになり、その登場を準備し台頭を支えた民衆たちこそが時代の「進化」のカギであったことになる。さらにいえば、変革の必要性が生じる社会的な状況さえ整えば、現在知られている偉大なリーダーがいなくても、別の人物が似たような事績をあげてのけただろうということもできる。それにしたがえば、いま現在のこの世界にいたる人間社会の発展は偶発的でありながら必然的でもあった、とでもなるのだろうか?

さすがに記述がさまざまな分野にまたがっているためか、多分に問題提起の度合いが高い箇所もありながら、興味深い内容だったとは思う。特に、上からの指導や計画によるものではない、社会のあちこちから自然発生的に現れた進歩の伝播・深化による、計画されたわけでもないにもかかわらずの効率的な発展システムの形成というのは、アメリカに代表される自由主義社会のダイナミックな発展のメカニズムを称揚し解き明かすためにこの上なく力強いメッセージであるように感じられた。

たいへん刺激的で、それゆえに面白い一冊であった。
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2019年05月20日

リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義

リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義 (中公新書)
リバタリアニズム-アメリカを揺るがす自由至上主義 (中公新書)

リバタリアニズム|新書|中央公論新社

リバタリアニズム。それは上からの権力を取り除いて、さまざまな領域で自由の拡大を志向する政治思想。経済的な規制を排除して自由を志向する面では保守派に見えるが、社会的なマイノリティーなどの不平等を排除して誰もが自由に生きられるよう権利の向上を志向する面ではリベラル派にも見える。左派や右派、保守やリベラルといった区分では分類しきれない思想であるその自由至上主義について、本場アメリカを中心にして、その思想の持ち主たちを何人も訪ねながら、そのさまざまなあり方を紹介する一冊。

なかなか興味深い本だった。リバタリアンなるものについては、ピーター・ティール関連の本を何冊か読んでいるうちに興味を抱いていたところではあったのだけど、その内実としては彼ひとりの来歴を追うだけではとうてい理解しきれないほどに幅広いあり方があるようで。特に彼の場合は左右でいえば明確に右派の人物なので、もっと左派的なリバタリアンというものも当然ありえたわけで。

実際、アメリカでは、その本場だけあって、それなりの数のリバタリアンがいるらしい。本書で取り上げられている調査では、有権者の「おそらくは10〜12%」ほどがリバタリアンであると推定されているという。リバタリアン党というそのものずばりな政党もあるそうだが、選挙においては民主党・共和党それぞれの候補に広く分散して投票する傾向にあるとのこと。さすがに二大政党制に割って入れるほどの勢力ではないので、合理的な選択としてはそうなるかというところ。

とはいえ、本書において紹介されるリバタリアンの人たちの政治との関わり方を見ていると、固定的な政党支持よりも政策単位での各党への働きかけという形によって、自分たちの望む社会の実現を目指しているようで。草の根的に集まって自分たちの理想の社会を作りだそうとしたり、シンクタンクで活動してよりよい社会政策を提言したり、さまざまな活動が行われているとのこと。主義主張的には多分に理想的な印象も受けるけど、実際の活動は現実的というか。本書執筆にあたって著者が選んだのがそういう人たちだったという傾向の話なのかもしないけれど、ラディカルに社会を変革させようとするよりも、自分たちの理想に向けて漸進的に改良していこうとするムーブメントのような印象を受ける部分もあり。数としては多くないのでそのくらいの活動が現実的なレベルな気もするけれど、その一方でよくも悪くも有力な人物も存在しているようなので、推定人口割合的にもアメリカ社会に対して小さくない影響力を持っているのかもしれない。

個人の自由を尊重する観点から、移民やLGBTQといったマイノリティーへの差別に反対するという考え方は納得のいくものだったけど、その延長というか、個々人の自由意思の集合体としての民意をも重視することから、国家や地域の一方的独立にも賛成する立場であるという一面には驚かされずにはいられない。まあ理屈としてはそうなるかと理解できないではないけれど、紹介されてる事例がだいたい南北問題の関わるものなので、その一面を無視しての同意は難しく感じられるところであり。

ともあれ、自由な発展を目指す思想というのは面白さを感じられるものではあり。その発展の先にどういった社会が見えてくるのかというのは興味深いところ。さらに理解を深めていきたい気にさせてくれる一冊でした。

あと、個人的におもしろかったのは、パトリ・フリードマンによるシーステッド構想が紹介されていたところ。ピーター・ティール関連の本ではそういった構想もあるらしいという程度には記述があったけどそれ以上の情報はなかったので、実際に計画が進展しているらしいと知ることができたのは、物語の続きが見られたような楽しさがあり。どうも、現地政府の協力を得ながら経済特区としての発展を目指す方向性っぽいので、「国家からの自由」とはまたすこし違った感じに進んでいるようにも思うけど、ひと月ほど前に別件でタイの国家ともめたシーステッドの事例を見かけただけに、堅実な一歩ではあるだろうか。
ラベル:渡辺靖 中公新書
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2019年05月18日

反転する福祉国家 オランダモデルの光と影

反転する福祉国家: オランダモデルの光と影 (岩波現代文庫)
反転する福祉国家: オランダモデルの光と影 (岩波現代文庫)

反転する福祉国家 - 岩波書店

中公新書から出ている『ポピュリズムとは何か』がとても面白かった著者の本。ちょうど興味を持ちだしているところのオランダをテーマにした本ということもあり、こちらもたいへん面白く読みすすめることができました。

内容としては、広範な中間団体を主軸にして手厚い給付を施していたオランダの福祉政策が、移民の選別が進み就労や職業訓練を義務とする就労強化型の政策に変化していく過程を、国内の政治情勢と絡めて描き出す一冊。

特に興味深かったのは2002年以降のポピュリズム(≠極右)の台頭。連立政権の可能性が広く模索される多党制の影響もあって、左右の政党による協同が成る一方でそれが既成政党の政策距離の接近をもたらしてポピュリズム台頭の一因となったというのは、左右対立の合間の時代らしいできごととはいえるだろうか。

ともあれ、そうして現れたポピュリズム政党が、感情的な排外主義政党ではなく、イスラーム文化の反世俗性を訴える理性的な反移民主義だったというのは、これも今とは違うこの時代ゆえのものか。フォルタイン党から自由党へと、そうした傾向は主流なポピュリズム政党に受け継がれているらしく、なかなかに特徴的な傾向であるように思われる。

けれどオランダにおいてなによりポピュリズム政党をめぐる状況を複雑にしたのは、2002年の総選挙の数日前にフォルタイン党の党首フォルタインが反対者によって殺害された事件ではないかと思う。反移民など、既成政党の政治家にとって「タブー」となる部分に触れるような発言によって支持を集めていった人物だけあって、脅迫を受けるなど反発を強めてはいたというけれど、実際に殺害事件が起きてしまったとなると、ポピュリスト政治家への批判そのものが「タブー」視される空気が醸しだされてしまうという。

しかも実際、数日後の選挙では、党首を失ったフォルタイン党は亡き党首の「殉教者」的な人気によっていきなり第二党に躍り出るという実績すら残してしまったので、既成政党の側もある程度その民意を汲み取らざるをえなくなってきたりなどもして、福祉政策もだんだんと右寄りなものが選択されていくという流れ。なんとも悩ましい展開ではあるというか。

第二次産業から第三次産業への産業構造の変化も指摘されてはいたけれど、個人的にはなによりその情勢の変遷が面白く、興味深い内容でした。
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2019年05月16日

逆転の大戦争史

逆転の大戦争史
逆転の大戦争史

『逆転の大戦争史』オーナ・ハサウェイ スコット・シャピーロ 野中香方子訳 船橋洋一解説 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)を起点にした国際的な秩序の変革について論じる刺激的な一冊。とても面白かった。


ざっくりまとめると、本書で述べられるパリ不戦条約以前の旧世界秩序とは、国際法の父ともいわれるグロティウスによって考案され、その後の近代国家によって利用された国際的な秩序のあり方のこととでもなるだろうか。

旧世界秩序において、戦争は国策の手段として完全に合法であったという。戦争を起こす国にはそれぞれの大義名分があり、仕掛けられる側にもそれぞれの反論があったが、それらの正否は問われない。正否を判断することはすなわち一方に味方して戦争に関与することであり、そのつもりがない限りはどちら側の言い分もひとまず正しいものとされざるをえなかった。最終的に大義名分の正否を決めるのは戦争の結果によってであり、力こそが正義となる世界観であったといえる。

現代では一般的となっている経済制裁は旧世界秩序では違法であったという。これは大義名分の正否の判断を留保することと重なるものであり、どちらか一方に味方して参戦するつもりがない限りは、交易等で交戦国のどちらも平等に扱う必要があった。経済制裁はそれだけで戦争行為とみなされ、中立の立場を逸脱するものであった。

一方の新世界秩序において、パリ不戦条約以降に第二次世界大戦を通じて規定された秩序下では、侵略戦争は違法である。武力によって国境を書きかえようとする行為、武力を背景にして一方的な要求を突きつける砲艦外交は国策の手段として認められていない。違反した国家は経済制裁によって罰せられ、違法な行為によって得られた成果を手放すことを要求される。戦争は唯一、防衛目的においてのみ認められている。


論のあらましとしては、まずグロティウスが旧世界秩序を考案した背景からはじまり、そこから旧世界秩序の有する「力こそが正義」となる性格が述べられていく。次に、旧世界秩序に対するカウンターとなる新世界秩序を打ち立てるべく尽力した人物たちの尽力が描かれ、第二次世界大戦にいたる国際情勢のなかでその規範が発展し実行力を持つ秩序となっていく歴史が記される。さらに、戦後は国際連合の拡大によって新世界秩序が全世界的に広まり、それとともに浮かび上がってきた問題点や立ち現れる脅威が触れられ、新世界秩序も必ずしも完全なものではなく進歩改良の余地があることやその必要性が説かれて終わる。


なにより面白かったのは、これまで名前は知っていてもその重要性の説明を見たり聞いたりした覚えのないパリ不戦条約(著者らも序章で、以前に同じテーマで新聞に記事を書いたところ、同様のコメントを受けたと記している)を、国際秩序の変革点として、きわめて重大な歴史的意義を持たせた叙述。パリ不戦条約以前と以後で、これほどまでに国際情勢の見え方が変わってくる。その後の第二次世界大戦による連合国側の勝利も不可欠な出来事ではあったといえるけれど、なるほど、パリ不戦条約の成立は歴史的にひとつの画期と捉えうるのでしょう。

そして、そうした論の構成上、当然のことではあるけれど、条約成立後の大日本帝国の失策感はなかなかのものであった。目次を見てもらえれば一目瞭然だが、第四章までで旧世界秩序の説明がなされ、第五章で何人もの人物たちの尽力によってカウンターとなる新世界秩序が打ち立てられる過程が描かれた直後に現れるのが、「第六章 日本は旧世界秩序を学んだ」なのである。あ、これアカン流れや……。


というのはさておき、まとめ的な終章を除いて、本書の最後の章を飾るのはイスラム国であった。中国やロシアによる国際秩序の隙を突く挑戦や、侵略戦争を違法化した副産物として失敗国家が温存されてしまう問題、経済制裁という罰の強制力の弱さへの対応などが述べられた後で、もっとも直近の脅威とされたのがイスラム原理主義ということだろうか。

著者らによると、彼らは明確に新世界秩序とは異なる秩序を体現し、それを外部へと拡大していくことを目的としたグループであるという。彼らの存在は新世界秩序に対する明確な挑戦であるが、それ以上にその秩序を生み出す背景となる思想の対立でもあるらしい。いわば人の世と神の世の対立というまったく次元の異なる闘争が提起されているのだが、植民地支配下の抑圧の歴史や半世紀以上にわたる原理主義思想の広まりもあり、対立の土壌はまだ多分に残存しているといえるだろうか。

イスラム国がアルカイダのイラク支部から発展した勢力とされるように、原理主義を抱えるイスラム系の組織はほかにいくつも存在していることが指摘されていたりと、ややもすると恐怖感をあおるような記述であったようにも思うが、正確な理解のためにも現実的な脅威の認識は必要であるだろうか。


なんにせよ、これらの脅威の中で、著者らのいう新世界秩序はいかにその役割を維持・発展していくことができるのか、それとも転換を余儀なくされるのか。それは、今後の国際的な情勢次第といえるだろう。
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2019年04月05日

世界歴史大系 アイルランド史

アイルランド史 (世界歴史大系)
アイルランド史 (世界歴史大系)

ブリテン島の隣に位置し、イギリスの歴史とも深いつながりのある地域・アイルランド。昨今のイギリスのEU離脱問題で話題に上がることも多い同地域。1,2年ほど前に一作読んだ<修道女フィデルマ・シリーズ>ではケルト文化の残滓が色濃く残る独特な古代から中世にかけて社会の様相が印象的だった舞台の地。その歴史が山川出版社の歴史大系シリーズから最近出ていると知って、興味津々読んでみた一冊。

なんとも不思議な読み心地であった。というのも、アイルランドというのは、独立したひとつのまとまった国としてのかたちをとったことがない地域なんですよね。ざっくりとした流れでは、中世においては部族の小王国が乱立して覇を競いあう状態がつづき、近世以降はイギリスに植民地のように支配され、第一次世界大戦前後で独立を果たすも北アイルランドはイギリス領として残存したまま現在にいたっている。そうした経緯もあり、支配者の王朝を主体としたものを個人的に想像してしまいがちな一国史としては、いまいち主役がはっきりしない記述が全体を通底していたように感じられた。英雄不在の物語というか。

とはいえそれはあくまで個人的で勝手な思い込みを前提にした感想であって。イギリスという強者に支配され搾取されながらもそれに屈することなく、それどころかあるときはしなやかに、またあるときは決然としてその支配を押し返してきたのがアイルランドの歴史であったようで。しかも、その立役者は一握りの英雄であるよりも名の知れない多くの人々を含んだ民衆であったのが、その特徴となるのでしょうか。中世においてはイングランド系の支配者が自分たちの持ち込んだやり方での支配を押し広げるはずがいつのまにか現地化していたりというのは、実に面白い現象ですよね。多数派のカトリックへの選挙権の拡大やアイルランドの地位向上、ひいては独立にいたる展開においても、目立って活躍する人物は決してひとりではなく、最終的な結果にいたる流れは決してひとつではない。複数の人物が相反するものも含めたさまざまな運動を展開するなかで、現在のアイルランドの状況が形作られていく。その様子は、わかりやすいとはいいづらいし、華やかなスターも不在ではあるものの、それにもかかわらず確かな面白さがあったんですよね。それは、これまで断片的にのみ知っていた知識がつながって、それらが今を形作っていくピースとして目の前に立ち現れてくる、そんな読書の楽しさであったように思います。


あと、この本を読んでいて、イギリスのEU離脱にともなう北アイルランドの問題の難しさがようやくわかったというか。全体的にカトリック人口が多数派なアイルランドの中で、そこだけプロテスタントが多数派な地域、それが北アイルランド。だから、帰属意識的にも大勢としては陸続きの南部アイルランドよりも海を隔てたイギリスのほうになるわけで。けれどそんな北アイルランドにも、どちらかというと少数派ながらかなりの数のカトリック人口が存在しているし、それどころか近いうちに人口比は逆転するとも予測されているらしい。ここで問題なのは、プロテスタントはアイルランドにおいてイギリス系による支配の頃からつづく伝統的な支配者であって、被支配者のカトリック住民を抑圧する側であったということ。これまでに起きた流血を伴う独立運動によって、カトリック側はもちろん、抑圧するプロテスタント側にも多数の犠牲者が出ており、報復の連鎖から互いへの恨みと不信感が世代を超えて積み重なってきた経緯がある。それでもEUの枠組みの内ならばイギリスに所属しつつ南部アイルランドとの自由な往来も可能になり、独立問題を喫緊の課題ではなくすことができていた。それだけに、イギリスのEU離脱がもたらす影響は簡単には無視できないものがある。にもかかわらず、EU離脱は有権者数的にイングランドの人々の意見だけでかなりの部分が決まってしまっており(全有権者のうち約83.9%がイングランド地域)、北アイルランド住民の声(離脱反対が約55.8%)はかき消されてしまった。この辺は、植民地時代はまだしもイギリスに統合されてすらあまり顧みられることなくイギリス本土の利益に翻弄されつづけてきたというアイルランドの歴史もあわせて悲哀を感じさせられる部分でもある(経済的にその恩恵を受けてきてもいるというけれどそれはまた別の話として)。まあそれでも同選挙区で最多の議席を持ってるDUPは離脱賛成側なんだよね。なんともややこしい。
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2019年03月06日

連邦制の逆説? 効果的な統治制度か

連邦制の逆説?: 効果的な統治制度か
連邦制の逆説?: 効果的な統治制度か

連邦制の逆説? - 株式会社ナカニシヤ出版

連邦制の逆説。それは、対立を解消し同じ国家の一員でありながら地域ごとに特色ある自治を促すはずの連邦制が、逆に国と地域の対立と分離をもたらすという論説であるようで。初めて目にする主張ではありましたが、なかなか面白い内容ではありました。

本書の構成としては、まず第T部の理論編でこの主張の概要とその下敷きになっている政治学の知見がまとめられ、その後の第U部の事例編でそれを念頭に置きながら各国の事例が紹介されていく。とはいえ、連邦制というくくりであげられる国だけだと事例がかなり限定されてしまうため、本書では広く地方自治の領域としてこの問題を取り上げている。そのため、扱う対象には連邦国家を名乗っている国以外も含まれる。タイトルから連想がつながりにくい国もあるかもしれないが、個人的にはそのおかげでより興味を持てる内容になっていたのでありがたいかぎり。

先に研究史や研究手法、理論的概要がまとめられていることから、初心者にも安心かと思いきや、むしろその辺の記述がどうにも抽象的で、事例編のほうが興味深く読めた気がするけれど、ともあれ理屈としては冒頭に書いた感じ。ユーゴスラビアの解体や欧米世界の各地でくすぶる独立問題などから、単一国家では為しえない多元的な統合国家を実現するはずが分離独立への一里塚となりうる可能性が指摘されている連邦制。ただ、ひと口に連邦制といっても地方分権の度合いは国によってさまざまであり、政党や政府の構造それぞれも、国家と地方政府を束ねる統合力としても遠心力としても働きうるものがあり、一概に連邦制が良い悪いと言えるものでは到底なさそうである。連邦制の導入にいたった経緯やそのもたらした影響にもその国ごとの事情があり、連邦制の逆説がどこまで一般化できるかについてはまだまだこれからの研究しだいなのかもしれない。


事例編で興味深かったのは、ペルギー、スペイン、イギリス、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ユーゴスラビア、カナダあたり。やはり、個人的には西欧への関心がより高い。


ベルギーでは、オランダからの独立以来、オランダ語圏とフランス語圏の存在から、経済状況ともあいまって民族的な対立が存在していたようで。政策立案にも必然的にどちらかの有利不利が生じてしまうことから、1960年代末から主要政党の地域政党化もみられるなど、社会の分裂が進んでいたらしい。その問題への対応として、1993年に両言語圏のそれぞれの構成体とする「多極共存型」の連邦制が導入されるにいたったのだという。

これはオランダ語・フランス語両言語圏への分権化を進めることで対立の解消を狙うものであった。しかし、国政レベルではやはり両地域政党による大連立が基本であり、そこから90年代になると経済的に豊かなオランダ語圏から、分離独立を主張する地域主義政党が台頭しだしたのだという。それにより、連立交渉において、2007年にはおよそ半年、2010-11年においては1年半ほどもの間、首相が決まらない政治的空白期間が出現してしまうにいたった(2011年には国王アルベール2世が政治家たちへの不満の意を公的に発言するにも及んだとか)。

このように、ベルギーにおける連邦制は、経済状況の異なるふたつの地域圏への分化が、政党においては地域主義的言説こそが有権者の支持を集めるのに効果的な手段となるという意味で、分裂に向かう「競り上げ効果」を発揮しているのだという。その他にも、地域議会と連邦議会の同日選挙や、特に近年ではEUの人事など、大連立下での政府形成交渉に絡む事項の複雑化も指摘されていた。これらはまだ国家の分裂にいたるまでにはなっていないようだが、問題はくすぶりつづけていると言えそう。


スペインは正確には連邦制をとってはいないが、広範な地方分権を可能にする自治州国家制が採用されていることから、実質的に連邦制国家であると見なされて取り上げられている。本書の出版が2016年とあって、ここ1,2年の動きは触れられていないが、民主制移行直後の歴史がまとまっていてとても参考になる内容だった。

スペインは1970年代にフランコ体制からの民主化を迎えることになったが、もともとのスペインという国家成立の経緯もあり、カタルーニャ、バスク、ガリシアといった独立の火種を有する地域を複数抱えていた。そうした地域ナショナリズムを抑止し、地域の独自性を容認しながらひとつの国家としての形を維持していくべく導入されたのが自治州国家制であったという。この自治州制は導入時にすでに完成されていた制度ではなく、自治州側が自治憲章を改正したり、中央政府との交渉を重ねることで、広範な地方分権を果たしてきたようで。

近年はカタルーニャの独立運動が注目を浴びているが、この章の筆者はそれを連邦制の逆説と捉えることには疑問を呈しているように思う。分離独立の機運が高まっているのがカタルーニャだけであることもあり、カタルーニャ固有の問題であることを否定する根拠には乏しいというわけで。憲法裁判所による改正自治憲章の違憲判決がナショナリズム高揚の一因になったことは確かだろうけれど、それが連邦制(スペインでは自治州制だけど)による統合の限界を示しているかどうかは、時間をかけて他州の動向と比較する必要が指摘されている。

個人的に、地域ナショナリズムと敵対的な右派と融和的な左派という構図がどうも2000年ごろから見られていたらしいのが興味深くもあった。その後、いくつか新党が台頭してきているけれど、それでもこの構図は現在もつづいているように思うので。


イギリスでは、スコットランドにおけるナショナリズムが取り上げられていたが、なかでもイングランドに統合されながらも社会制度ともども独自の政策志向を有する地域性が維持されたことの指摘が興味深かったです。


ロシアや東南アジアの国々の事例は、地域ナショナリズムの抑止と多極共存を目指す連邦制およびその限界という観点よりも中央と地方の権力関係や地方内部での権力闘争といった視点からの分析が多かったような気もしますが、これはこれで面白くはありました。


ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、紛争後の和平合意によって、3民族・2エンティティ(構成体)からなる連邦国家として成立した国であるのだが、民族ごとの地域区分から、ベルギー同様の競り上げ効果が発生しているという。この状況を改善すべく憲法改正の議論なども行われているが、利害調整がうまくいかずに出口が見つからずにいるらしい。しかし、現状の連邦制自体も、紛争にまでいたった情勢下では複数の民族がまとまることのできる唯一の解だったとの指摘もあり、ままならない難しさがあるようである。


ユーゴスラビアはコラム的に触れられていただけだったが、チトーというカリスマ的なリーダーと冷戦下における非同盟主義の旗振り役としての立場から多数の民族を一体的な国家としてまとめあげていたのが、チトーの死や冷戦の終結によって、強力なリーダー不在のまま、経済危機に対してまとまった対応を取ることができず、民族主義の高揚から分離独立の発生にいたったという。

このコラムにおいては連邦制は多数の民族の求心力としても遠心力としても捉えられており、分離独立はそのバランスが崩れた結果であるとする。個人的にも、本書のテーマである連邦制の逆説に関して、現状で出せる結論はまだこんなところではないかと思うところである。


昨今の欧米国家で見られる分離独立運動の先駆けになったのはカナダにおけるケベックというイメージが自分の中であるが、これはすでに20世紀において2回も独立を問う住民投票が行われているという事実からきている。連邦政府としても、これまでケベックにはいくらかの分権化を進めてきてはいるものの、多数派の英語圏は仏語圏への過度な優遇には反発してきた歴史があるようで、民族のアイデンティティの問題としては根深い。

そんなカナダにおいていちばんに注目されるべきことは、独立問題に関して1998年に最高裁判決が下され、2000年には早くも連邦政府による独立のための条件を定めた法律の制定がなされているというところだろう。それによると、憲法改正による分離独立は可能だが、一方的に分離独立することは不可能であるとされているらしい。投票によって連邦離脱の意志が明確に表明された場合に連邦政府は州政府と交渉の義務が生じるとの内容であるようなので、そこから段階を踏んでいく流れになることだろう。
とはいえ、独立を認めない側の連邦政府が定めたルールであり、解釈の余地も残されていることから独立へのハードルはさらに高くなったとも言えるようで、現在の民主主義国家から平和的に独立することは果たして可能なのだろうかという疑問は残るところである。


以上、欧米を中心に東南アジアなども含めて、様々な国の連邦制的な分権的な統治制度とその歴史的展開を概観できる一冊として、とても面白い一冊だった。いくつか、もうすこしほかの文献にあたって理解を深めたい気持ちにもなってくる。この分野への興味を高めてくれる、いい本でした。
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2019年02月28日

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) マッチメイキングとマーケットデザインの経済学

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) マッチメイキングとマーケットデザインの経済学 (日経ビジネス人文庫)
Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) マッチメイキングとマーケットデザインの経済学 (日経ビジネス人文庫)

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) | 日本経済新聞出版社

よりよいマーケットデザインが市場をより有効に機能させるのでり、その基礎をなすのがマッチメイキングの理論である、という感じの内容だっただろうか。

伝統的な経済学においては、需要と供給の一致によって左右される買い手と売り手の間の均衡点としての価格が注目されてきたが、本書の著者らは価格だけでは均衡が定まらない市場において買い手と売り手をマッチングさせる仕組みについて研究を深めてきたのだという。そして、本書の著者であるアルビン・E・ロスとロイド・シャプレーの両氏は、このマッチング理論とそのマーケットデザインへの応用によって、2012年にノーベル経済学賞を受賞している。

読みはじめる前には、これは経済学なんだろうかという疑問もあったけど、読んでみればマッチング理論の根底にあるのは数学的な組み合わせであり、ゲーム理論からの発展によって実社会のマーケットデザインへとつながっていくとのことで、これはまぎれもなく経済学の分野ですわと納得できました。

詳細な理論に立ち入ろうとするとさまざまな数式に立ち会うことにもなるのでしょうけど、本書においては特に数式は登場せず。事例を紹介しながらわかりやすい言葉を用いた説明によってマッチメイキングとマーケットデザインの経済学について、その概要を伝えてくれます。進学や就活や臓器移植など、(特に本家のアメリカでの)実社会においていくつもの場でこの理論が応用されているようで、たいへん興味深くなってくるとともに、身の回りに存在している種々のシステムについてもこうした視点を向けてみると面白いのではないかとも思えてくる。知的な好奇心を与えてくれる、とても有意義な一冊だったと思います。

本書の構成としては全四部。第一部では伝統的な経済学では扱いきれない市場が存在することの指摘からマッチング理論の実例が提示される。第二部では、市場の失敗の事例が原因ごとにいくつか取り上げられ、マッチング理論によって小さいながらも改善がなされた点が記述される。第三部ではいよいよいよマーケットデザインの大きな成功事例として、研修医の勤務先選択や高校選択におけるマッチングシステムなどが、その解消された問題点ともども紹介される。第四部では、実社会においてはまだ導入されだしたばかりのマッチング理論についてのさらなる応用の可能性や、その背景にあるエンジニアとしての経済学者のあり方についての可能性が記されて終わりとなる。

数式が用いられていないことから特に初学者にやさしい仕様だが、原註も収録されているため、さらに学びを深めたい人への足掛かりもしっかり備えられているといえるだろうか。参考文献は全部英語なので、ステップアップというにはややハードルが高いかもしれないが。

最後に、本書を読んで印象に残ったのは、著者の経済思想であった。エンジニアとしての経済学者の可能性を検討することは、それはすなわち市場を所与のものではなく管理可能なものと捉える考え方である。市場の失敗事例をあらためて持ち出すまでもなく、神の見えざる手はどんな市場にも必ず働くわけではない。市場がより効果的に作用するためには管理改善が必要である。しかし、かといって統制の必要性を説いているわけではない。よりよいマーケットデザインがなされれば、市場は適切に機能する。その助けをするのがマーケットデザインであり、その基礎をなすのがマッチング理論であるということなのだろう。興味深い一冊でした。
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2019年02月20日

異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問

異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問 (講談社選書メチエ)
異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問 (講談社選書メチエ)

『異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問』(ミシェル・ロクベール,武藤 剛史):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

南仏カタリ派の歴史――あるいは南フランス地域がいかにして北フランスに統合されることになったか、という感じの本であった。

とはいえ、中世スペイン史への興味から本書を手に取った身としては、南仏カタリ派の歴史――あるいは南フランス地域はいかにしてアラゴン連合王国の手中からすり抜けていったか、という感じの本でもあった。

というのも、『歴史人名学序説』の感想でも軽くふれたように、現在のスペインの一部をなしているカタルーニャは歴史的に南仏オクシタン地域との結びつきが強かったのである。しかも、その地の宗主権を有していたのは、名目的には常にフランスの王であったが、アルヴィジョワ十字軍が起こる直前の時期において、実質的にはアラゴンの王となっていたらしい。うまくすれば、南仏とアラゴンが組み合わさった、フランスともスペインとも違う有力な地中海国家が誕生していた可能性もあったということだろう。妄想がはかどるところである。しかし、実際にはそうはならなかったわけで。

当時のアラゴンの王ペドロ2世(カタルーニャ語ではペラ2世)は自身の影響力を保護・行使すべく十字軍の総大将シモン・ド・モンフォール(イギリス史において同名の息子が有名)と交渉するも決裂し、決戦にいたった。そしてそのさなかに戦死をとげてしまう。戦いはもちろんアラゴンの敗北。息子のハイメ1世(カタルーニャ語ではジャウマ1世)は当時まだほんの5歳であり、それどころかペドロ2世とシモンとの交渉の経緯からシモンのもとで養育されていた。そこからの本国宮廷による身柄返還交渉だけでも一年を要したうえに、その後も幼君を戴く宮廷での権力闘争では混乱がつづき、影響力を行使する余裕をなくしているうちに南フランス地域は北フランスの王権により征服されることになってしまったようである。こうして経過をまとめているだけでも歴史シミュレーションゲーム的な感覚で残念さを覚えてしまったりもするが、歴史にはそういうタイミングもあろうというところ。アラゴンは後に、シチリアへと勢力を拡大して地中海国家へと肥大していくことにもなるわけなので。


さて、本書の構成は大きく分けて三部構成。カタリ派の信仰やその内情についての記述がひとつ、シモン・ド・モンフォールにはじまりフランスの王の出陣にいたり南フランス地域が北フランス勢力の征服下におかれる十字軍の記述がひとつ、そしてカタリ派の根絶にいたる異端審問についての記述がひとつ。読み物としておもしろかったのは十字軍の箇所だが、その他も興味深い内容であったことはまちがいない。


カタリ派というと、二元論の異端という以外にほとんど知識がなかったのだけれど、知ってみればなかなかに興味深い宗派ではあったようで。本書を読んでいたかぎり、二元論というのはオクシタン地域での広まりにはそれほど関係がなさそうな。むしろ、反教権的な教えが多くの人々に受容される理由であったように思えた。というのも、当時のローマ・カトリックは、11世紀後半にグレゴリウス改革が行われたとはいえ、カタリ派の広まりと同時期の(といっていいのか正確にはわからないけれど)12世紀の後半にはワルドー派が勃興するなど、華美で強権的な教会上層部に対して、清貧や禁欲を基調とした生活を求める層が一定程度いたようにうかがえるのである。

カタリ派において、教皇のような絶対的な権威は(当然ながら)存在しなかった。それどころか、本書で描かれたカタリ派社会においては、垂直的であるよりも水平的な組織網が中核をなしていたように思えるのである。カタリ派における聖職者は完徳者と呼ばれ、肉食や結婚生活など、俗世の汚れから離れた共同生活を送ることになっていたという。しかし世俗から完全に隔離した暮らしを営むのではなく、手仕事で生計を立て、つましい生活の傍ら、信者たちに説教をして教えを広める日々を過ごしていたのだという(しかも、それらの行いは多くが聖書に根拠があったのだとか)。かたや居丈高なカトリックの聖職者、かたやつましいカタリ派の完徳者。似て非なるとはいえ両者ともに救いを説く者であるならば、人間的に信用したくなるのはどちらかという話になるところだったのではないか。(この辺、民衆レベルでのキリスト教の受容史というか教義の受容レベルというのは気になるところであり)

また、オクシタンは対イスラームの最前線であるカタルーニャに隣り合う土地柄。北フランス地域とは違った、異教・異端に対して寛容な空気が醸成されていたことも指摘されていた。(ただし、イベリア半島における異教・異端に対する態度を「寛容」とみなすか、否応なしに衝突や交流が発生するなかで現出したよくもわるくも「現実」とみなすかは人によるようである)

そんなカタリ派に対して、ときの教皇イノケンティウス3世(教皇権の絶頂期として名高い)は当初、現地の聖俗諸侯に取り締まりを命じる勅書を送ったり、現地に特使を派遣して説教を行わせるなどしたようである。しかし、現地の諸侯からは命令をまともにとりあわない者や自分たちの都合のいいように実行する者が続出し(この辺ののらりくらりとした態度や好き勝手してる感じが喜劇的なおもしろさもあったが、それはともかく)、また華美な衣装をまとい居丈高な特使による説教はほとんど功を奏さなかった。そこで持ち上がったのが十字軍なのだという。

なぜそれほどにカタリ派が弾圧されることになったのかについては、キリスト教の歴史がそもそも異端との戦いの歴史でもあったというのはともかく、やはり二元論と反強権主義の影響は疑えないようで。信者個人のレベルでどこまで教義を理解していたかは別にしても、三位一体を否定し、封建社会とも結びついたローマ・カトリックの社会構造を非難する宗派というのは、そもそもの時点で共存不可能なのであり、おおっぴらになった時点で弾圧を受けるのは避けがたかったのだろう。ただし、その教義も根拠はしっかり聖書にあったり、また幼児洗礼を否定していたりなど、世が世がであればプロテスタントの仲間入りを果たしていたのではないかと思えるところもあるので、広まった時代が厳しかったという見方もできるかもしれない。


ともあれ、十字軍の目的はふたつであった。ひとつには異端の撲滅。もうひとつは異端を保護・援助する者への処罰。ただし、結果を見ると前者よりも後者のほうで成果があがった挙だったように思える。一方で南フランス地域は最終的にフランスの王権に組み込まれることとなり、もう一方でカタリ派の信仰は特に衰えを見せなかったようだからである。

十字軍は1209年にシモン・ド・モンフォールを旗頭として開始され、1229年にフランスの王室のもとで終焉を迎えることとなった。その間二十年。主要な人物も数が多いので、本書の内容をもとに要点を整理しておきたい。

(完全に個人的なまとめなのでスルー推奨)

十字軍の最初の将軍は何度も書いているようにシモン・ド・モンフォール。十字軍の宗教的使命に対する熱烈な信奉者であり、優れた能力を有する獰猛な将軍でもあったらしい。また、この十字軍へ志願した背景として、北フランス出身の貴族でありながら、血縁にともなう相続によってイングランドの王の勢力下の地を得ていたものの、英仏の戦争の余波でそれを取り上げられてしまっていたという事情もあったそうである。彼の往時、十字軍は基本的に優勢であった。1218年、戦死。

二代目の十字軍の大将はその息子のアモリー・ド・モンフォール(イギリス史で有名なシモン・ド・モンフォールの兄)。父の死後、十字軍によって獲得した土地ともどもその権利を継承するが、父ほどの軍事的才能には恵まれなかったらしい。継承後、徐々に現地諸侯軍によって趨勢を盛り返され、1224年に敗退。フランスの王ルイ8世に南仏領の支配権を捧げて出御を促す。

フランスの王としては、まずフィリップ2世(尊厳王)。イノケンティウス3世から十字軍を起こすよう要請を受けるも足元を見たかのように無理難題ふっかけて拒否する老獪な王。その代わりではないけれど、ブーヴィーヌの戦いでイングランドの王ジョンを破る。

次いで、三人目の十字軍の総大将となる、その息子ルイ8世。1223年即位。即位前から十字軍に前向きだったカトリックの守護者。1226年に王の十字軍を開始。戦禍に疲弊していた南仏諸侯からは戦わずして降伏する者が相次いだ。同年、北部への帰路にて病没。

王ではないものの、その後に実権を握った者として、その妃ブランシュ・ド・カスティーユ。トゥールーズ伯レモン7世の「本いとこ」(とは? 両者とも母方の祖母がアリエノール・ダキテーヌなので「いとこ」もしくは「従姉弟」でいいかと)。1229年にレモン7世とパリ和約を締結して十字軍を完了させる。レモン7世とは血縁関係があったため同情的だったと記されていたが、和約条件はめちゃくちゃ厳しい気がする。

教皇からはひとりだけ、十字軍の勅を下して本格的なカタリ派弾圧の幕開けを告げた人物、イノケンティウス3世。世俗の権力に勝る教会権力の擁護者であり、その在位は教皇権の絶頂期ともされるが、その一方で欲得まみれの世俗の人間に対する諦念も抱きつづけていたらしい。1198年、教皇着座。1208年の南フランス地域における聖職者殺害事件を契機に十字軍を起こすが、異端への対応は改心を理想とし、戦火の中での殺戮には厳しい批判の書面も送りつけていたとのこと。1216年、逝去。

教皇特使からもひとり。シトー大修道院長アルノー・アモリー。北フランス宮廷で十字軍の宣伝活動を行い、彼らともども南フランスで対異端の活動をくり広げた聖職者。十字軍においては強硬策を主張するタカ派で、教皇の非難を受けながらも現地での判断を貫いた模様。有能ではあるがそれ以上に野心高き人物でもあったようで、異端の弾圧を進めながら政敵を追い落としたり、教会内や世俗的な地位を追求し、晩年のシモン・ド・モンフォールとは対立関係が生じるにもいたったらしい。1224年、死亡。

現地諸侯からは、最高支配者であるトゥールーズ伯レモン6世。のらりくらりとした態度で異端取り締まりを拒否する現地諸侯代表。臣下にカタリ派やユダヤ人を多数抱えるため、統治への影響上、取り締まりは無理に近かったらしい。あまりにもやるやる詐欺を働きすぎたと判断された結果、破門され、十字軍を起こされる。本人は戦争は避けようとしたが、講和しても不利な条件での裁判が待ち受けており、和平の道も厳しい状態に追い込まれていたという。1222年、赦されることなく死没。

次いで、その息子のレモン7世。父譲りののらりくらりとした態度で巧みに責任を回避しながらも最後まで奪われた権利を取り返そうとあがきつづけた不屈の領主。軍を率いてはシモン・ド・モンフォール戦死前後からの巻き返しに寄与するも、フランスの王権による攻勢を受けるにいたり、1229年にパリ和約を締結して降伏。唯一の継承権者である女子ジャンヌとルイ8世の息子であるアルフォンスとの婚約が定められたことから、お家断絶を避けるべく、外交面で神聖ローマ皇帝やかつての敵であったはずのローマ教皇をはじめとした聖俗諸侯を利用してあくどいまでの駆け引きをみせる。しかし結局情勢を覆すことはできず、1249年に病没。領地はフランスの王家に吸収された。

いちばん初めにふれてはいるけれど、アラゴン連合王国のペドロ2世(ペラ2世)も。カタルーニャからプロヴァンス地方にまたがる地中海沿岸帝国を手中に納めかけた王。1212年にラス・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝軍に大勝して、以後のイベリア半島における対イスラーム戦線でのキリスト教諸侯優位を決定づけた王のうちのひとり。その勝利によって教皇からはカトリックの守護者とも目されたが、異教・異端には「寛容」であった。十字軍の攻撃を受けるトゥールーズ伯を助けるべく南フランスに出陣し、あわよくば実質的な宗主権を確固たるものにしようとするも、シモン・ド・モンフォールとの交渉は決裂し、1213年、ミュレの戦いで戦死。

(以上、スルー推奨)

そうした人物たちが入り乱れた十字軍によってあげられた成果は、主に政治的なものであった。開戦前の南フランス地域は「フランス王国の南部であると同時に、アラゴン王国の北部でもあり、さらにはイギリスや神聖ローマ帝国に属する土地もところどころにあり、さまざまな主従関係が複雑に隣り合ったり、混じり合ったり」(165ページ)していた。そのうちのアラゴンの影響力が排除され、ラングドック地方が名実ともにフランスの王権下に組み込まれたのである(プロヴァンスやアキテーヌ地方はそれぞれにまた別の経緯をたどるが、最終的にはフランス王権下に組み込まれることになる)。これによって、フランスの王権は地中海への出口をその領土として有することになった。

ここで面白いのは、十字軍当初の複雑な勢力図の中心にいたのが誰あろうトゥールーズ伯レモン6世だったことである。名目上、彼はフランスの王に臣従している身ではあった。しかしその一方で、プロヴァンス地方においては神聖ローマ帝国の封臣(プロヴァンス辺境伯)でもあった。また婚姻関係においてはアラゴンの王ペドロ2世とは義兄弟の関係(ペドロ2世の妹レオノールと結婚。レモン7世もその妹サンチャと結婚)であり、イングランドの王ジョンとも同様であった(息子レモン7世を産んだのはジョンの姉ジョーン・オブ・イングランド。1199年、死別)。そうした複雑な関係が入り組む渦中において、独立君主のような立場を築きあげていたのがレモン6世なのだという。これはある種の梟雄とも呼べる人物なのではないだろうか。

そんな人物らしく、巨大な権力である教皇から、自身も登用している異端の取り締まりの要請を受けながらものらりくらりとかわしてみせる様子はさながら喜劇のようで、愉快ですらありました。荒れ狂う十字軍の猛威に苦しみながらも、なんとかそれをしのぎ巻き返しを図ろうとする姿も、現地の領主の意地を見せてくれるようでもあり。

ただ、それでも十年を超える年月にわたって十字軍の戦禍にさらされつづけるというのはきわめて過酷なことであったようで、フランスの王出御の報を聞いた現地の人々の反応は想像に余りある。

「モンフォール父子の指揮する十字軍に十五年もの長きにわたって痛めつけられてきたラングドックの人々が、新たな戦争を回避したいと願うのはむしろとうぜんであった。甚大な被害を受けたうえに出費がかさみ、すっかり疲弊してしまった経済、財産を没収され、身内の生命まで奪い取られた多くの領主たち、「地下潜伏」(faidiment)を余儀なくされた騎士たち。言うまでもなく、虐殺、戦闘、火刑台もあった。そのうえ貧困化によって強盗が多発し、地方全体が無法状態に陥った。国全体が、少なくともそのほとんどが、すっかり戦意を喪失し、厭戦気分に陥っていたことは明らかである」(428ページ)

フランスの王権による十字軍に対しても、一部では抵抗が見られたが、それも以前のような組織だった団結のもとでは行われなかったらしい。実際、トゥールーズにおいては、さらなる軍事的支出を積み重ねてでも抵抗をつづけようとする動きに対して、経済的に壊滅状態に陥っていた市参事会の有力者らとの間で分断が発生していたようである。

このように、十字軍の戦火は南フランス地域を困窮におちいらせるものであった。それはあたかもイスラーム側からみた十字軍の姿のようで、「十字軍」の輝かしいイメージとは裏腹のなんとも割り切れない感情を抱かせてくれるものでもあった。


そして、物理的な面で南フランス地域の人々を追いつめたのが十字軍であったなら、精神的な面で追いつめたのはその後に行われた異端審問であった。

異端審問。そこでは拷問や火刑に代表されるような身体的な痛めつけに目が向けられがちであるが、著者によれば真におそろしいのはむしろ心理的な効果であったようで。聞き取り調査や告発の強要、密告の奨励、尋問、拷問などを通して、南仏社会に潜む異端があぶりだされ、断罪されていく。その過程は決して想像されがちなほどに残虐だったわけではないが、それ以上に何十年にもわたる審問活動によって、異端に対して寛容であった社会の思想を根底から変化させてしまったことにその成果があるのだという。同地域において最後にカタリ派信者が火刑台送りになったのは1321年のことであり、1324年にはアラゴンでも最後の終身刑が下された。それらをもって南仏のカタリ派は根絶されたということができるだろう。

とはいえ、これも当初はかつての教皇特使による説教や取り締まり依頼と同様に、ほとんど効果を出せなかったらしい。十字軍に征服されたといってももともと異端に寛容な風土であり、十字軍時代に培われた抵抗のネットワークもあって、信者たちはひそかに活動をつづける完徳者(カタリ派の聖職者)を隠密裏に匿い、援助し、信仰を維持しつづけていたのだという。法廷で告発を強要されてもすでに死んだ者や逃亡した人の名をあげる者が跡を絶たなかったり、聞き取り調査においても有力者からの指示のもとに口をつぐむ者が多発したんだとか。この辺は、十字軍以前からののらりくらりとした抵抗を思わせる喜劇的な部分ではあったでしょうか。

ただ、それならばと審問官は別の手を考えたようで。当初のターゲットであった完徳者から、次なるターゲットとして彼らの支援者である一般信者へと、追及の相手を変化させたらしい。完徳者を追いかけても組織的にそれを匿われては手が出せなくなってしまうが、その組織網ごと異端およびその幇助者として罪に問うてしまえば、異端のネットワークは瓦解し、支援を失った完徳者も早晩立ちいかなくなるという寸法である。南フランス地域の異端弾圧においてはこれが効果的であったらしく、カタリ派聖職者の最後の拠点であったモンセギュールの陥落と合わせ(どちらも1250年前後くらい)、その後着実に異端は消滅へと向かっていったようである。

南仏における異端審問。それは世代を超えて爪痕を残す、長く陰鬱な思想統制の時代であったといえるだろうか。


以上、そんな感じの内容の750ページでした。当時の南フランス地域において、政治的にも宗教的にも大きな影響を残し、けれど歴史はそれらを過去のことして次の時代へと続いていく。あらためてまとめてみてもやはり一幅の物語を味わうような醍醐味がありました。特に十字軍の流れ。使命に燃える英雄がいて、野心もあらわな奸雄がいて、その狭間で自身の利益を最大化しようともくろむ抜け目のない者たちもいて、たいへんに面白かった。彼らを生み出した当時の社会事情や、そこから起こった宗派対立の事情も興味深く、ますます関心が深まってくる一冊ではありました。このテーマに興味がある方にはぜひにとおすすめしたい決定版の通史ではないでしょうか。


不満点をあげるとすれば、地図がわかりにくかったことでしょうか。ひょっとして原書が左開きの本だったのをそのままの順番で右開きの邦訳版に収録しているのでしょうか? そのせいか、位置的に東側にある地域が見開きの左側にきて、西側にある地域が見開きの右側にきており、直感的に把握しづらくてかなわなかったです。

もう一点、誤字指摘としては、人名索引にて「レモン=ベランジェ五世(プロヴァンス伯)」として記載されている人物。本文中で何度か「プロヴァンスのカタルーニャ伯」と記されてますが、「カタルーニャ(系)のプロヴァンス伯」の誤りかと。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 23:36| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月31日

迷走するイギリス――EU離脱と欧州の危機

迷走するイギリス―― EU離脱と欧州の危機
迷走するイギリス―― EU離脱と欧州の危機

慶應義塾大学出版会 | 迷走するイギリス | 細谷雄一

親EU・反EUの姿勢をイデオロギー的かプラグマティズム的かで分ける捉え方。興味深い。(本文中で定義されていたわけではなく個人的な理解にすぎないが)イデオロギー的な親EUは理念共感型であり、プラグマティズム的親EUは実利重視型であり、イデオロギー的な反EUは自国主権に統制が加えられようとすることへの反発型であり、プラグマティズム的な反EUは移民や域内への拠出による国民経済への影響感を嫌悪する型であり、とでもなるだろうか。

それを念頭にイギリスとEU(それ以前のEEC時代からも含めて)の関係を見ていくと、イギリスのヨーロッパ統合運動への参加はごく初期をのぞいてほとんど常に経済的な実利重視の態度によるものだったようで。そこからくる理想主義への懐疑姿勢だったりで厄介なパートナーとしての地位も築きあげられていったのだけれど、それでもヨーロッパにおける一大経済国としてほかの加盟国と共同で統合への道筋を描いていっていた国家なのであって。それがイデオロギー的な反発が拡大していくことになったのは、マーガレット・サッチャー首相の時代。EU(当時はEC)が市場統合からさらに政治的社会的な統合へと深化していく方向性を打ち出しはじめたことが原因になったという。加盟各国の法をも規範する欧州的な憲法典、各国政府の政策をも規定する超国家的な統一政府、それら国家主権に対する束縛への拒否反応がイギリスではひときわ強かったらしい。大陸諸国とは海を隔てた島国であり、言語的にもアメリカとのつながりが強いのがイギリスであり、根本的なところまでは価値観を共有できなかったということなのかもしれない。それでも統合市場における経済的な利益の手放しがたさからその一員でありつづけてきたものの、着実に統合への道を進めようとするEUへの反発を政権内部でも抑えきれなくなった結果が2016年に行われた国民投票だったということだろうか。もともとイギリスは対外関係的に、対米重視・対欧州重視のはざまでかじ取りを迫られる部分があったようなので、EUべったりになりきれなかったところもあるのかもしれない?

また、昨今のイデオロギー的な反EU思潮の広がりにはイギリス国内のメディアが果たした役割も小さくないようで。イギリスの人々が日頃から目にする新聞の一部(大衆紙においても高級紙においても)で連日のようにEU懐疑の論陣が張られることで、もともとEUへの関心がうすかった国民にも反EU的なイデオロギーが浸透していく要因になったのだという。この辺、イギリスのメディアは日本と比べるとかなり政治的なスタンスをはっきりさせてると思う。2016年の国民投票に際しても、離脱賛成派・反対派ともども、メディアも含めてかなりの論陣が張られていたことと思われる。ただ、その賛成派の論陣は、本書以外でも書かれていることながら、客観的なデータよりも読者・聴衆の感情に訴えかけるメッセージが中心だったようなので、それはまさにポピュリズムそのものとしか言いようがないところ。けれどその投票で実際に勝ってしまったのが離脱賛成派であって。一部のメディアではポピュリズム対アカデミズムのような論調を見かけることもあるけれど、そんな構図が成り立ってしまうほどにポピュリズムが力を持ってるのが現在のイギリスなのだろう。そんなイギリス社会にも興味があるところではあるが、これ以上は話が逸れるのでそれはともかく。

現実時間ではいよいよ離脱の日が近づいているにもかかわらず、いまだイギリス・EU間における離脱後のための協定は結ばれていない。離脱派内部でも意見にばらつきがあったり、離脱反対派は二度目の国民投票を求めていたりと、EU離脱問題に限ってもタイトル通りの迷走がつづいているイギリス政治。現在の争点は何か、その背景にはある問題はどういったものか、そしてこの問題の先にどのような展望が開けていくのか……。興味の尽きないところです。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 20:32| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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