2018年04月20日

魔導の矜持

魔導の矜持 (創元推理文庫)
魔導の矜持 (創元推理文庫)

魔導の矜持 - 佐藤さくら|東京創元社

姉弟子が序盤で退場してしまって悲しい……(前書き)

それはともかく、シリーズ第三作。

今回もすごくいいテーマでした。誰かにとっての普通なことが誰にとっても普通なわけではなく、むしろその人以外には誰も理解できないことだったりする。けれどそれはその人にとっては当たり前のことすぎて、むしろそうじゃないことがどういうことかもわからないくらいに「普通」のことであって。誰かに説明しようとしても、子どもの頭では自分にだけわかる感覚というものをかみくだいて説明するなんてことはできるはずもなく。知識のある大人ならば、より専門的な知識のある先達ならばと期待をかけてみるも、これっぽっちも理解を示してはもらえない。それどころか、ほかの子どもたちならば普通にできることができないことから単にやる気がないのだと疎まれていき、しだいに落ちこぼれの烙印を押されてることに諦念すら抱くようになってしまう。それがどれほど人から希望を奪っていくことか。普通とされる才能だけが認められ、そこからはずれる素質がなんの価値もないものとして顧みられない社会が、普通からはずれた人たちに対してどれほど希望に欠けた社会として映ることか。だからこそ、理解できないながらも他人とは違う何かを持つ人だと肯定的に認識しようとしてくれる人物に出会えることの、なんとうれしいことか。普通ではないことがすなわち劣ったことなのではないのだと、本人にとってはまぎれもなく「普通」のことであるその感覚を育んでいいのだと言われることの、なんとありがたいことか。それはほとんど無価値同然に思われていた自身の存在そのものを肯定してくれることであって。まるごとそのまま理解されたわけではないけれど、少なくともそのままの自分を受け容れてくれる場所がある。まったく同じではないけれど、特異な存在は自分だけではない。ならば、いずれ何かの役に立てる日も来るのかもしれない。そう思えることが、どれほどの希望と安心感を与えてくれることか。弱い立場に置かれている人をあたたかく、力強く包みこんでくれる。とても素晴らしいテーマの物語でした。

なんですけど、ストーリーのバランスがややよくないような気がするというか。一作目でも思ったんですけど、ラバルタにおける魔導士と非魔導士の対立情勢はどうにも荒削り感があるんですよね。その影響か、そことエルミーヌとにまたがる話になると、どうにも物語の雰囲気がそちらに引きずられてしまうところがあるんだろうかというか。

今回の話でも、エルミーヌ組のキャラクターはすごくいい感じでした。アニエスの自由さはあいかわらずで、リーンベルにまでいろいろ影響を与えたりして、なんだかこの世界ではすごく特異な自由さを感じさせる魔導士養成の場を形成してたりして。カエンス君もそんな自由人やら負い目のある妹やら目を離すとぶっ倒れてそうで気を抜けない旧友やらに囲まれて、あいかわらずの苦労人ぶりがほほえましかったり。殺気だった雰囲気がただようラバルタと比べてこのほのぼのとすら感じられる空気ですよ。そこに今回のデュナンもくわわって、今後はどんな空気が醸成されていくことになるのかと考えると、それだけで次も楽しみになってくるところがあります。

次の巻は6月予定とのことで、くわえてシリーズ最終巻との予告もあり。もっとこのシリーズの話を読んでいたかった気もしますが、ともあれ次も期待したいです。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 01:37| Comment(0) | ライトノベル・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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