2015年09月11日

艦これ、夏イベはE6までクリアしました。 (2/2)

 以下、一つ前の記事の続きです。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「やっぱり、望月さんでしたか」

 その翌日の晩、消灯時刻までもうしばらくのころあい。望月が風呂場の扉を開くなり声をかけてきたのは、筑摩だった。

 立ちこめる湯煙の中、望月が声のしてきたほうを見やると、肩まで湯につかりながらにこにことこちらを見つめる筑摩と視線があう。また、そのとなりには腕組みしながらふんぞりかえっている利根の姿も確認できた。

 入浴中の者はこの二人だけであったようで、ほかの仲間の気配は感じられない。ちょうど空いている時間帯にもぐりこむことができたようだった。

「どうしたのじゃ、こんなぎりぎりの時間に。仮眠のつもりがぐっすり寝入ってでもおったのか?」

「そんなところ」

 利根の言葉どおり、望月は昼過ぎに任務から帰還して報告を終えるや、朝から働かされた疲れもあり、つい先ほどまでぐっすりと眠っていた。眠っている暇があれば次の出撃でさらなる戦果をあげれるよう勉強や訓練に励むべきという意見もあるだろうが、望月にしてみれば眠いものは眠いのだからしかたがない。そうして、すやすやと惰眠をむさぼる楽しみにふけっているうちにこの時間というわけだ。

「今からだと、あまりゆっくりしている時間はないのではないですか?」

「わかってるって。お二人さんのほうは……」

「もうじきに出るだけじゃ。おぬしのようにかけこみで入っておるわけではないからな」

 利根の言葉に、望月は自身の計画性のなさを思わされる。だが、欲求が思い通りになるのなら苦労はしない。無計画に行うからこそ楽しめることでもあり、思いがけず時間を取られてしまったぶんにはしかたない面もあるだろう。

「ま、消灯時間までにふとんにもぐりこめればそれでいいんだって」

 うんうんと一人うなずいて、望月は今はともかくと体を洗いだす。

「そう言うお二人さんは、この時間までなにを?」

「なに、少しばかり、筑摩と作戦会議をしておったらな」

「次の出撃に向けて? えらいねえ、お二人さんは。あたしゃ、そういうのはその場の思いつきにまかせてるからねえ」

「おぬしにはおぬしのやり方があろうよ。吾輩たちに吾輩たちのやり方があるようにな」

「利根はそう言ってくれるからありがたいねえ」

 事前に戦いの流れを想定して計画を立てたところで、そうそううまく事が運ぶことなどめったにない。どうせ、思いもかけない方向に転がっていく戦況を、その場に応じて指示を出しながら乗り切っていくほかないのだ。それならば、戦いがはじまる前からあれこれ考えるなど時間のむだというものではないだろうか。

 というのはあくまで建前であり、本音としてはただめんどくさいという以上の理由ではないのだが。

「まあ、おぬしをなまけものと言う者の気持ちもわかる。やればできるにもかかわらず、なにもせぬのがおぬしじゃからな」

「必要に迫られないことはしない主義なの」

 ひらひらと手をふりながら答えると、痛快な笑い声が返された。

「それを必要ないと言いきるのがおぬしじゃな」

「そう?」

 首をかしげる望月に、利根は大きくうなずいてみせた。

「そうじゃよ。やろうと思えば、吾輩もできぬことはないじゃろう。が、吾輩の場合、こやつにつきあってもらうか否かで精度がぐっと変わってくるのでな」

 そう言って、利根は筑摩の肩に頭を乗せる。

「筑摩とともに考えておるとな、吾輩ひとりでは思いつきもせなんだ考えが次々と浮かんでくる。今日もな、ああでもないこうでもないと頭を悩ませておった懸案が、こやつと話すとどうじゃ、なぜあれほどうんうんうなっておったのかと、不思議にすら思えてくるくらいじゃった。まさに、筑摩様様じゃよ」

「そんな……姉さん、私なんてただ話を聞いていただけですから」

「そう謙遜するなというに。うりうり」

 恥ずかしそうに顔をそむける筑摩の首に利根が鼻先をこすりつけるようにすると、筑摩は顔を赤らめて困ったような表情をする。やめてほしいような、もっとしてほしいような、そんな葛藤を思わせる様子だった。

 そんな筑摩に気を良くしたか、利根はさらにうしろから抱きすくめてもみせる。

「ね、姉さん……?」

 おそるおそるといった風情でふりかえった筑摩の耳もとで、利根はなにごとかをささやいた。

「え……えっ……!?」

 その瞬間に、筑摩は目を丸く見開いたかと思うと、これ以上ないというくらいに顔を真っ赤に染めあげた。

「筑摩よ、こうしておぬしを抱えておると、とても落ち着くな……」

「は、はいっ……私も……姉さんのこと、感じられて……安心できます……」

 そう言うが、うわずった声で答える筑摩の様子は言葉とは裏腹にとても落ち着かなさそうだった。

「そう言ってくれるとありがたい。おぬしには、吾輩の気まぐれにつきあわせてばかりじゃからな」

「姉さん……姉さんになら、私……」

 いまや、筑摩はすっかり目をうるませて利根を見つめている。利根はそれを知ってか知らずか、なおも筑摩にべったりと身を寄せてぽつりぽつりとささやいている。

(あれ、いつの間にかあたしの存在忘れられてる?)

 それはそれでかまわないと言いたいところだが、同じ一室でくりひろげられては気になってしかたがない。

 さらには、あろうことか、利根のくちびるが筑摩のそれに近づきだしたように見えてきて……

「おーい、お二人さん。仲がいいのはけっこうだけどさー」

 そっと声をかけると、はっと気づいたらしい筑摩はすばやく利根から身を離し、浴槽の隅まで逃げていった。

「も、もう……姉さん。あんまりからかわないでください」

「むう。半分は本気だったのじゃが……」

 ぷいと背を向けた筑摩を、利根はしばし未練がましく見つめていた。しかし、耳まで染めた顔もそのままに、気持ちを落ち着けるべく深呼吸をくりかえすその様子から、それ以上のむりを悟ったらしい。

「まあ、よいか。そんな雰囲気でもなくなってしまったしの」

 そう言いながら、利根は望月に抗議じみた視線を向ける。

「いやいや。あたしが悪いみたいな言い方しないでくれる? あたしがいるって知ってたじゃん?」

「この落とし前、どうつけてもらおうかのう」

「あたしの感じた気まずさとで帳消しってことで」

 なおも冗談めかしてあれこれと言ってくる利根を無視して、望月は頭から湯をかぶる。

(まったく……利根ってば、自分が筑摩にどう思われてるかわかってるくせにさ)

 どこかずれたところのある利根をしっかり者の筑摩が補佐して成り立っているように見える二人の関係だが、その実、筑摩のほうが利根のことをほとんど敬愛しているといってもいいほどに慕っているのだということを、望月は知っている。利根の言うことならば筑摩は一も二もなく信じこむことだろう。ましてそれが、自身への愛情の表れであるとなれば、舞い上がらんばかりになってしまうだろうことも、容易に想像がつくはずだった。

 それにもかかわらず、望月のいる前で、正確なところはわからないが、どうもそんな言動を取ったように見える。それは、利根の目的がそうして動揺する筑摩の様子を楽しむためであることの証のようなものだろう。

(千歳と千代田ならともかく、利根が筑摩をどうこうしたいなんて思ってるとは、ちょっと考えられないもんね)

 その考えを肯定するように、二人はやはり、仲のいい姉妹としての姿を見せている。

「すまぬな、筑摩。吾輩のひと言ひと言にころころと表情を変えてくれるおぬしが可愛くてのう」

「いいんです。姉さんが満足できたなら、私は、それで……」

「そうだ、筑摩よ。明日……はむりか。ならば明後日、またどこかともに散策でもしようではないか」

「そ、そんなに気をつかっていただかなくても……」

「なに、ここのところ、任務やら提督の手伝いやらで、おぬしとゆっくり過ごす時間も取れておらなんだからな。その埋め合わせもかねてだと思ってくれ」

「私は、本当に大丈夫ですから……でも、姉さんが言うなら、喜んで」

 そのまま、二人は和やかな雰囲気で話しだす。そこには、気を許した姉妹ならではの気安さが感じられた。

(そうそう。ああいうのがあの二人らしいやりとりだよね)

 いつもの二人による安心できるやりとりを聞きながら、望月はふと思う浮かんだことを聞いてみた。

「そういえば、筑摩ってばすっかり元気そうじゃん。一時期は気落ちしてたみたいだったけど、もう大丈夫になったの?」

 そう聞いてみると、筑摩は申し訳なさそうに頭を下げた。

「その節は、望月さんにもお見苦しいところをお見せしました。ですが、このとおり、もうすっかりよくなりましたので」

 利根のとなりではきはきとしゃべる姿からは、今にも泣きだしそうな顔で利根の姿を探し求めさえした、当時の影はどこにも見えない。

「うんうん。やっぱ筑摩はそうでなくっちゃ」

「じゃが、今から思えばあれはあれで、なかなかに捨てがたいものがあったのも確かなのじゃ。吾輩にひっついて離れようとしなかった筑摩は、いつにない可愛さがあってのう」

「……おまえさんは、どうしてそう、人の気も知らずに言いたいことを言ってくれるかな」

 せっかく安心できた気分をぶち壊しにしてくれる発言に望月ががっくりと脱力感を覚えていると、利根はしばらくして呵々と笑ってみせた。

「なに、冗談じゃ。吾輩のいたらぬところを助けてくれるのは、しっかり者の筑摩をおいてはほかにおらぬからの」

「姉さん……」

 ざれ言めいたひと言にも、筑摩は静かに感激しているらしい。利根はそんな彼女に肩を組むように腕を回し、ほおを寄せながら言う。

「まあ、それはそれとして、ふだんはしっかり者なおぬしにあれこれと世話を焼くというのも、なかなかに貴重で楽しい時間だったものじゃ。そう思わんか、望月?」

「いや、なんでいきなりあたしにふってくるのさ」

 唐突に目を向けられた望月は、体を洗う手はそのままにあきれた声を返した。

「おぬしがよくわかっておらぬようなのでな。吾輩がこやつの愛すべき美点をみっちりと伝えてやらねばと思って」

「それを伝えられてどうしろと?」

「おぬしにもこやつを愛でる権利をやろう」

「本人を横目になに言ってんのさ。筑摩も、横暴な姉さんになにか言ってやったら?」

「わ、私は……姉さんがそれでいいと言うのでしたら……」

「ああ、そう……」

 姉も姉ならそんな彼女を一心に慕う妹も大概であったという事実を前に、望月はそれ以上かける言葉も見つからず黙りこむほかなかった。

「うむ。こうして素直なこやつも可愛いものじゃが、あのころのあやつは、それはさびしがり屋でな。少し出かけるにもともにでなければいやだとぐずり、こっそり出かけるたびになじるように吾輩に泣きついてきたり。それはもう吾輩の手を焼かせてくれたものじゃ」

「あのころは、本当にどうかしていました……」

 しみじみと語る利根の言葉に、筑摩が真っ赤になりながら頭を下げる。しかし、利根はそんな筑摩を安心させるように軽く肩をたたく。

「なに、過ぎた話じゃ。それに、あれもあれで新鮮な感覚を得られて、よい時間じゃったと思っておるのじゃ。のう、望月?」

「まあ、利根がそう思うんならそうなんでしょ」

 気のない返事を返すと、利根はうんうんとうなずいて話をつづける。

「それにな、そうしておぬしのわがままにつきあうのも、吾輩はいやではなかったよ。なんせ、ふだんは自分を抑えて吾輩を助けてくれることに気を割いてばかりのおぬしじゃ。そんなおぬしからはっきりと望むところを告げられたと思えば、吾輩はむしろうれしいくらいじゃったよ」

「そんな……。姉さんは、私なんかのために手をわずらわせる必要なんてないんです。そんなことをするよりも、その手間でもっと、皆さんのお役に立つことができるはずなんですから」

「筑摩よ。そうやって自分のことを卑下しすぎるのは、おぬしのよくないところじゃ。おぬしとて、吾輩と同じ、皆の前に立つ教導艦なのじゃぞ」

「いいえ。姉さんは、私なんかとはなにもかも……格が違うんです。私なんかを姉さんと同格に据えるなんて、それこそ姉さんへの侮辱です」

「頑固なやつじゃのう。吾輩がいかんと言うておるのに」

「いくら姉さんのお言葉でも、こればっかりは同意できません」

(ほんと、変わんないよね。この二人は)

 自分が長月とのことでいやになるくらいの変化に直面しているだけに、変わらない関係を感じさせてくれるやりとりは、聞いていて安心できるものがあった。

 二人の仲のよさに感謝しながら、望月は体を洗う手をのんびりとしたものに変えていく。二人の話し声を背景に、思わず鼻歌のひとつも歌いだしそうな気分だった。

 しかし、そんな気分をぶちこわしてくれたのは、またしても利根だった。

「まあそれはまたおいおい言い聞かせてやろうかのう。つまりな、望月。ふだんわがままを言わぬ者が自分にだけそれを向けてくるというのは、それだけ気を許されておるということなのじゃ。これをうれしく思わないでなにを喜ぶのかと、そう思うじゃろう?」

「あれー? なんでまたあたしに声がかかるかな……」

「うん? なにか言ったか?」

「いやいや。ほんっと、そうだねーって」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

 ほとんど棒読みに近い望月の言葉に、利根は得意げにうなずいてみせる。

「それにな。あのときの、助けを求めるように吾輩に向けてきた目。あれはまるでいとけない小児のようでな。あれを向けられて、頼みを聞かぬ者はおるまいよ」

「そ、そうなんですか。それじゃあ、今度、姉さんになにかお願い事をするときにでも……」

「おぬしになら大歓迎じゃ……が、あれほど真に迫った表情は、めったなことではできぬと思うがの」

「そうですね。あのときは、本当につらかったですから」

「……」

 つづく二人の会話を、望月は黙って聞いていた。

「うむ。あれはまさに、叫ぶように救いを求める表情とでも言うのじゃろうか。あれを目にしてはな……。なまじふだんがしっかり者であるだけに、その手を取らぬわけにはいかなんだよ。そうしなければ、おぬしはどうなってしまうのかと、こわくなってしまった」

「そう、ですね。私も、姉さんがいやがることなくそばにいてくれなかったらどうなっていたかと、今考えてもおそろしくなります」

「吾輩が、おぬしを見捨てたような形になってしまったばかりにな……」

「いいんです、姉さん。私のことなら、もう大丈夫ですから」

「うむ。じゃが、吾輩は、おぬしのことを深くかえりみることなく自分の気持ちにばかりこだわってしまったあのときの吾輩を、いまだに許すことはできぬのじゃ。取り返しのつかぬことになっておったらと、今でも思い出してはこわくなるくらいなのじゃ」

 そう言って、利根は湯につかっているにもかかわらずぶるりと体をふるわせる。

「姉さん……」

「あー……」

 つぶやくような言葉が、望月の口からもれた。気づけば、体を洗う手はすっかり止まっている。

「うん。あー。そっか。なるほどねー」

「どうかしたか、望月?」

 首をかしげながら問いかけてくる利根の言葉にもすぐに答えることはせず、望月は湯をかぶって体についた石けんの泡を洗い流す。

(あんまり熱いのは苦手だけど、今日ばかりはありがたく思えるね)

 ぴりぴりと、肌に刺激が走る。熱い湯の感触に打たれるたびに、乱されていた思考の波が研ぎ澄まされていくように感じられた。

(思えば、あの利根が、いきなりわけわかんない話をはじめたのがあやしかったんだよね……)

 ひとしきり湯を浴び終えると、望月は手早く肌にはりついた髪をまとめていく。

 そうして、横目でにらむような視線を利根に投げつけた。

「ねえ、利根。どこまで知ってんの?」

「なんのことじゃ?」

 利根は白々しくもそう答えてのけた。

「とぼけんなっての。さっきから、ずっと、あたしと長月のこと当てつけてしゃべってたんでしょ? いいかげん気づくっての」

 そう問い詰めると、ようやく気づいたかとばかり、利根はにやーっと笑ってみせた。

 その表情、今この場でなされたやりとりを考えあわせると、同室の仲間たちのようにうわさ程度の情報で話をしているのではないと思えてならなかった。異常なほどに察しのいい利根のこと、なぜかこの件にくわしいらしかった司令官以上に正確な内情を知られていると、想定するべきなのかもしれない。

「うむ。うむ。まさにそのとおりじゃ」

 利根はその場で立ち上がり、腕組みしながら望月を見下ろす。

「今でこそ、こやつはこうして元気にしておるがな、一歩間違えば取り返しのつかぬことになっておったやもしれぬ。その一方で、長月はどうじゃ? あやつもまた、おぬしにもたらされた苦しみを、抱えきれずに助けを求めておる。その手が伸ばされておるのは、ほかのだれでもない、おぬしなのじゃ。おぬしは、長月が今、どれほどまでにみじめにあがかねばならなくなっておるか、わかっておるか?」

「それぐらい、わかってるっての」

 長月の話を持ち出されたのが面白くなくて、望月は声を荒げて言い返した。しかし、利根がこちらを見すえる目はゆるぎない。

「いいや、わかっておらぬ。わかっておれば、長月の名を出したとたんに不機嫌に耳をふさぐような態度など取っておれようはずがない。おぬしが最後に長月を目にしたのは、いつのことじゃ? おぬしが最後に長月と向き合ったのは、いつのことじゃ?」

「最後に口をきいたのは一昨日のことだよ。それがどうかしたって?」

 その日も、長月はそれまでどおりに甘ったれた態度でこちらの顔色をうかがってくるばかりだった。向き合うもなにも、反省の色もなくこちらの助力を当てにしているのが見え見えの相手に、どうして冷静に顔をつきあわせることができるというのか。

 そうして怒気を募らせる望月を、利根はまるで哀れむように見つめるばかりだった。

 望月がなにか言い返してやろうかと口を開きかけたとき、それよりも早く、利根は小さく息を吐いてぽつりと言った。

「くれぐれも、後悔は残さぬようにしておくがよいぞ」

「……どういうことさ」

「ここで皆と過ごしておれるのも、永遠ではないということじゃ」

「そんなこと……」

 わかっていると、言おうとした。しかし、利根がこうして言ってくるからには、それは本当に残り少ない時間なのかもしれない。司令官はそんなそぶりを見せてはいないが、ひょっとすると、そのうちに本格的な反攻作戦が計画されていることを、利根は察知しているのかもしれない。

「利根は、なにを知ってるってのさ」

 たしかめるべく聞いてみたが、利根はなにも答えず、筑摩をうながして静かに脱衣所へと歩いていくだけだった。

(いったい、なんだってのさ……)

 脱衣所のほうでは、筑摩となにやら話しているらしい声が聞こえてくる。その内容までは聞き取れないが、なにやら冗談を言いあっているようで、和気藹々とした雰囲気が伝わってくる。

(長月が、どうしたって……?)

 たしかに、望月はここ最近、長月を視界に収めるのも腹立たしく避けつづけてきた。しかし、だからといって、あの長月がそうそうどうにかなってしまうはずがない。利根はいったいなんのつもりであんな話をしてきたのだろうか。

 それに、と望月は思う。

(あたしと長月がどうなろうが、利根には関係ないじゃんか……)

 仲間たちの団結の面から考えて、みなの仲がいいに越したことはないだろう。しかし、決定的にこじれてしまった間柄の者同士がいたところで、それならそれでいくらでもやりようはあるはずだった。

 まったくもって、利根の思惑はつかめない。それがむかむかと腹立たしい。

 握ったこぶしは、知らぬ間にぷるぷると震えるほどに力強く握りしめられていた。気づいてそっと開くと、真っ白になった手のひらに爪のあとがくっきりと形を残しているのが、否が応にも目についた。

 そうこうしているうちに、二人は部屋へと去ったらしい。いつしか、脱衣所のほうからは人の気配が感じられなくなっている。

 そこで、望月はようやく、自身が裸のままその場に立ちつくしていることに気がついた。

「うぅ……寒い」

 風呂場とはいえ、真冬の冷気にはかなわない。望月はひとつ大きく体をふるわせると、ちゃぷんと湯船にその身を沈めていった。

 体の芯からあたためてくれる湯の心地は、つまらない考えなど吹き飛ばしてくれそうな快さであった。しかし、先ほど利根にいいようにやり込められてしまったくやしさだけは、どうあっても消えてくれそうになかった。

「うっとうしいなぁ……」

 湯気の立ちこめる宙空に向けて、望月はぼそりとつぶやいた。


 風呂から上がると、望月は押し黙ったまま宿舎の廊下を歩いていた。

 さっと湯につかる程度で不愉快な気持ちが晴れようはずもなく、またそれだけの時間もなく、ふたたび寝入ろうとしていたはずの気分はいらいらと落ち着きをなくしていた。

(長月がみじめったらしくしてるって? そんなの、こちとらとっくに見飽きるぐらいに見てきてるんだっての)

 頭の中では、先に言いこめられた利根への反論がうず巻いている。しかし、どれだけそれらを並べてみても、十分だと思うことはできなかった。それどころか、考えれば考えるほど、脳裏に浮かんでくるのは自らがひきだしてきた長月の表情の数々だった。

(今ごろ、どんな顔してる……?)

 そんな考えを浮かんだ端からけとばしていきながら、望月はずんずんと歩を進めていく。

 そのつもりだったが、その足はしだいに速度をにぶらせ、足取りを迷って前への動きを止めかけては、それをふりきるようにまた乱暴に歩きだす。そんなことをくりかえしながら、やっとのことで上階へとつながる階段の前にたどり着く。そこで、望月は立ち止まった。

(利根に言われて気になったの? ばっかみたい。ほかのやつらから言われてきたこととほとんど違わないってのに。ここで様子を見に行ったら、それこそ思うつぼじゃんか)

 あごに力をこめて顔を上げようとするが、視線は自らの意志による制御を離れたかのように、正面ではなく資料室のほうを求めてさまよいだす。

(あんだけ好き勝手言われて、なんで言いなりになるみたいなことしなきゃいけないのさ)

 長月のことなら、ひと月やふた月くらい目を離していたってお見通しなくらいに知り尽くしてると自負しているのは、ほかでもない自分なのだから。

 そう言い聞かせてみるも、ひとたび気になりだした心はその程度の説明ではまるで休まらないほどに動揺してしまっていた。

「ああもう。これだから長月は……」

 ぶつぶつとこぼしながら、望月はくるりと方向転換して歩みを再開する。

 しかしその向かう先は、資料室ではなかった。

「体冷えちゃうけど、気晴らしにはなるっしょ」

 望月が足を向かわせだしたのは、宿舎の外だった。

 資料室から逃れるように、望月はうしろをふりむくことなく早足で距離を取っていく。就寝前のにぎやかさが徐々に無機質な波の音にとって代わられていくのが、今はありがたかった。

(あっち行っても、こっち行っても、長月のことばっか。ほんと、いやんなる)

 それほどにみな、長月のことを気にかけているのだろうか。だとしたら、情けない一面ももともと持っていた側面のひとつにすぎないと、どうしてわからないのだろうか。そして、それでもおそろしいほどの執念で追いすがってくるのが長月なのだと、どうしてだれもかれも信頼できないのだろうか。

(そんなにひどいことになってるっての? ないない)

 浮かんだ考えを鼻で笑ってうちはらう。

 しかし、頭が冷えてくるにしたがってその自信も揺らいでくるのは、先ほど長月のことを言いだしたのが利根であったという事実だった。

(そりゃ、長月に関してはあたしほどじゃないだろうけど……)

 ときにぞっとするほどに人の心理を見透かしてみせる仲間。その言葉を冷静に考えれば考えるほど、気になってくるのはしかたがなかった。

(明日あたり、ちらっとだけ確認してみる? けど、やっぱり……)

 それではこちらからつきはなした手前、格好がつかないではないかと思えてしまう。悪いのは長月のほうなのに、自分から折れるような行動をとるのはひどくためらわれるのだ。

 なにか、そんな心と折り合いをつける方法はあるだろうかと考えながら、望月はあてどなく夜の島を歩いていた。

 そうしているうちに、知らず港のほうへと向かっていたらしい。気づけば、なにやら人の声が聞こえてきだしていた。

(そういえば、これくらいに帰還予定があったっけ)

 部隊にだれがいたかまでは覚えていないが、なんにせよ今の望月はだれかにつかまるよりも一人でいたい気分だった。

 しかたないと、道を変えようとした。が、聞くともなしに聞いていたその声からは、しだいになにか言い争っているらしい雰囲気が感じられだした。

(なんだろ?)

 望月は静かに彼女たちに近づいていく。一歩一歩と足を進めるたびに、言いあう声は明瞭になっていく。なにやら、怒りくるっている仲間と、必死に謝りたおしている仲間がいるようだ。

 さらに距離を縮めていけば、しだいにそれがだれかもわかってきた。

「え……?」

 望月はつかのま、自身の勘違いを疑った。しかし、どれだけ聞いてもその推測が覆ることはない。

 聞けば聞くほどに、その声は摩耶と長月にしか思えないのだった。

「うるっせぇな! もうてめえ一人でやってろっつってんだろうが!」

「頼む、摩耶。おまえまで、私を見捨てないでくれ」

 顔も見たくないとばかりに荒々しくその場をあとにしようとしている摩耶と、必死にそれにすがりつく長月という構図が見て取れる。周りにいる仲間たちはというと、摩耶のあまりの剣幕に手をこまねいているのか、じっと事態を静観しているらしい。

 それにしても、摩耶はどうしてあれほどに怒りくるっているのだろうか。そして、長月はなぜああもみっともなく摩耶にすがっているのだろうか。

 わからないでいるうちに、なおも二人のやりとりはつづけられる。

「てめえみたいなぼけに、これ以上つきあいきれるか!」

「申し訳ない。このとおりだ。足りないなら、殴ってくれてもかまわない。今の私にはおまえたちの協力が必要なんだ」

 長月はほとんど四つんばいになりながら、何度も頭を下げる。夜闇で表情までは読み取れないが、手をふりはらわれれば次の瞬間には泣きだしてしまいそうなほどに顔をゆがめているのだろうか。

 それに対する摩耶の答えは、鉄拳だった。

「ぐっ……」

 苦鳴をもらしながら倒れこむ長月。

 摩耶はつかつかと近づいていくと、服の襟首をつかんでむりにも目線を合わさせる。

「言っただろうが。アタシは、強くなりたいんだ。これ以上、てめえのお守りでむだにしていい時間なんて、これっぽっちもねぇんだよ!」

 怒鳴りたてるとともに、さらには頭突きがお見舞いされる。夜の静寂に殷々と残るこだまのような響きと、長月の体が崩れ落ちるどさりという音が、やけに大きくその場に聞こえ渡った。

 摩耶は、しばらく肩で息をしながら、額をおさえて倒れふす長月を見下ろしていた。が、やがて体の向きを反転させると、今度こそその場を去っていく。向かうのは宿舎か、船渠か。いずれにしろ、望月のいる方向へと道を進んでくる。

 そんな摩耶に声をかけるべきかどうかと望月が考えていると、摩耶が背中を向けたためか、静観していた仲間たちがなおも体を起こそうとする長月をとどめようとして歩み寄りだした。

「長月、そのくらいにしておきなさい」

「だが、摩耶が……」

「ああなった摩耶は、少し時間を置かないとどうにもなりません。今は、ほかにできることをするべきでしょう」

 まず聞こえてきたのは、摩耶の同型艦である鳥海の声だった。そして、よく目を凝らしてみると、くわえて加古と青葉も長月のもとに集まっていることがわかった。そのほか、倒れた長月と去っていく摩耶の間で視線を行ったり来たりさせているらしい仲間たちが三人。

 その光景に、望月はどうしようもない違和感を覚えた。帰還した部隊員以外の者がこの場にいる。そのこと自体は、望月自身がいあわせていることを思えば取り立てて気にするようなことでもない。しかし、集まっている三人の重巡洋艦たち、摩耶もあわせて四人になる仲間たちというのは、長月を教導艦からはずせと主張していた急先鋒なのだ。そんな彼女たちが、長月に積極的に近づいている。そこには、なにかのたくらみがあるように思えてならなかった。

「そうそう。今日の長月さんの失敗は、摩耶さんが怒っちゃうのもしかたないくらいのものだったみたいですから。さすがの青葉も、あきれてものも言えません」

 ふうと、青葉は大仰にため息をつく。

「そうだよなあ。摩耶も、至近警告砲撃なんて、誤解されてもしかたないとは思うけど、だからって全力で反撃して大破に追いこむのはありえないってー。通告だってしてたじゃんか?」

「うう……」

「引き受けたからには協力したいけどさあ、もう教導艦どころか、戦場でなにができるのさってくらいじゃない? 同じ部隊組むのが不安でしかたないんだけどー」

 加古の言葉で、おおよそ今回の出撃でなにがあったかを把握することはできた。しかし、その言い分、事実をちくちくとつきつけるような言い方は、長月の力をひきだすどころか委縮させてしまうだけだ。自分もしたことだから、望月にはよくわかっている。

「そんなありさまで望月に追いつきたい、つりあうようになりたいだなんて、冗談もほどほどにしてほしいですね。それに、やはり私たちの手には余るのではないかとも思えてきますし……」

 そこでちらりと様子をうかがっているらしい鳥海に、長月はその場にはいつくばってしまいそうな弱々しさで声をあげる。

「そんな……頼む。もう、私一人では……おまえたちだけが頼みなんだ。お願いだから……」

 そんな長月に、望月は愕然とさせられた。それは、望月の知る長月とはかけはなれた、卑屈な姿だった。そんな長月は見たくなかったと、望月は目をそむけかける。

その直後に聞こえてきた言葉に、望月はさらに驚かされることになった。

「まあ、青葉たちも鬼じゃないですから。長月さんにそこまで頼まれたら、断るなんてできませんよ。まったく、しかたない人ですねえ。望月さんにふりむいてもらいたくってがんばる長月さんのために、皆さんもせいいっぱい協力してあげましょう」

「え、それって、本当だったんですか!?」

その場に、静かな好奇心の渦が広がっていく。その様子を、望月は不愉快に顔をしかめながら見つめていた。

(長月、なにばらしちゃってんのさ。止めもしないで、みんなが知っちゃえばそういうことになるとでも思ってんの?)

 しかし、と望月はすぐに思い直す。

 体面にこだわるあの長月が、そんなうわさの種になるようなことを自らすすんで明かすとは考えにくい。

(それに……)

 今の青葉の言葉。部隊を組んでいたらしい仲間もおずおずと同意を示しているようだが、その声かけに、長月はますます悄然としている。

「み、皆には、広めないでほしいのだが……」

「なにか言いましたか?」

「いや、その……。すまない。本当に、迷惑のかけどおしで……」

「いいってことですよ。望月さんのこと以前に、教導艦の長月さんがこんなでは、皆さん困ってしまいますからねえ」

 くわえて、そう言った青葉。くすくすと含み笑いをこぼしながらのその声色には、明らかに長月を揶揄する感情がこめられていた。どうして長月はそんな者たちに協力を求めているのかと、不思議に思えてくるくらいだった。

「げ、望月……。どうしてここに……?」

 そのとき、向かいから歩いてきた摩耶がこちらの存在に気づいたらしい。その表情は、いるはずのない仲間に出会ったというような驚きに染まっていた。

(ああ、そういうことね……)

 その反応を見た瞬間に、望月はすべてを理解した。この場の状況も。そして、先ほど利根が口うるさく注意してきたその意味も。

(全部、全部、あたしのせいか。あたしが思ってた以上に、あたしは長月のこと、変えちゃってたんだ……)

 どれだけ自分に心とらわれようと、長月が長月である核心だけはぶれないものと、そう思っていた。しかし、いま目に入る長月は、それすらも見失って頼りなげにもがいている。そうして、最後に残る教導艦としての矜持すらも、嘲笑とともにへし折ろうとする者たちにすがらざるをえないまでに追い詰められてしまっている。

 それはすべて、望月が自分の楽しみのためにちょっかいを出した結果だった。そのうちにいやになったから放りだして、今のいままで真剣にかえりみることのなかったなれの果てが、あの長月だった。

 じくじたる思いがわき上がり、望月は力いっぱいこぶしを握りしめる。

「いやさ、なんの気なしにぶらついてたんだけどね……」

 摩耶に向けて、表面上はにこやかにそう言いながら、望月はすれ違いざま、そのみぞおちに渾身の突き上げをたたきこんだ。

「がはっ……!? な、なにすんだ、てめえ……」

 その声に、鳥海たちもこちらの存在に気がついたらしい。露骨に警戒を示す彼女たちに、望月はうずくまる摩耶の身をひき起こすとそちらに向けて蹴りはなす。

「あんたら、よくもまあ、あたしの長月に面白いことしてくれてんじゃん」

 険しい視線を向けてくる重巡洋艦たちに、望月は敵意を隠すことのない態度で指の骨を鳴らす。この四人には、自分たちがしでかしたことがどれだけこちらの怒りにふれたのか、体に教えこんでやらねば気が済みそうにない。それが自分に対する怒りの裏返しだとわかっていても、それがどうしたと、つき動かされるような感情に体は止まらなくなる。

(まず、こいつらに落とし前をつけさせて。それから、長月に……)

 ちらりと長月を見ると、長月は突然現れた自分に呆然とした表情を向けてくるばかりだった。

 望月は、そんな長月を安心させるように笑顔を作ってみせる。しかしそれもつかのま、すぐに油断なく臨戦態勢を取る重巡洋艦たちに目を走らせる。

(あたしがしたことの責任は、あたしが取らないとね)

 一対四だろうと、望月には一歩もひき下がるつもりはなかった。




 望月の言葉を聞いた長月は、自分の聞き間違いではないかと、それを信じられずにいた。

(だって、そうではないか。あれだけ顔も見たくないとばかりに私のことを無視していたというのに……)

 それなのに、いま長月の耳が聞き取ったところでは、望月はこちらのことを「あたしの長月」と、そう言った。皆に自分たちの関係が知れわたることをいやがっていた望月が、この場にいる全員に宣言するように、そう言い放ったように聞こえたのだ。

 こんなにうれしいことはないと、長月の体は気が早いことに目に涙をたたえだす。鼓動はどくどくと、平静さを失いだす。

 しかし、心中では必死にそれを否定せずにはいられなかった。

(だって、それは、私が望月に言ってほしいと願っていたとおりの言葉じゃないか……)

 それがそのまま望月の口から出てくるなど、都合のいい妄想以外のなにものでもない。なにかの聞き間違いだと自分に対して言い聞かせないわけにはいかなかった。

(でも、じゃあ、なんて言ったんだ……?)

 知りたいと、そう思ったが、剣呑な空気が満ちていくその場では、すぐに確認することなどとてもできそうにない。

(誤解なら、それでいいんだ。いや、そうに違いない。けど、もし……)

 どれだけ否定しようとしても、それを欲する心は気がつけば都合よく解釈しようとするのをやめてはくれない。そうして、望月はもうすっかり自分のことを許してくれたんだと、なにかしたわけでもないのに期待を抱きだす。

(違う。そんなはずない。こんな、勝手に浮かれてたんじゃ、ますます望月を怒らせてしまうだけなのに……)

 そう自分を叱りつけて、なんとか自分の感情を押さえつけていた。

 それなのに、望月はこちらにうっすらと笑みまで向けてくるのだ。

 それだけで、心中の葛藤はすっかりどこかへ吹き飛んでしまった。一呼吸の間もあるかないかであったその表情がまぶたの裏にやきついて、赤くなった顔でぼーっと望月の姿を見つめていることしかできなくなってしまった。

(いいのか、望月? おまえが、私を許してくれるって、また前みたいにいっしょにいさせてくれるって、期待してしまっても……)

 声に出さない問いに、望月が答えを返してくれることはない。

 それよりも、望月は目の前の四人の仲間たちとのにらみ合いに意識を向けているようだった。

「突然現れていきなりなにするんですか!?」

「一応、理由を聞くけども、こんなことしといてただで帰れるとは思うなよ?」

「わかってるくせに。御託はいいからさ、かかってきなって」

 怒りをあらわにする重巡洋艦たちに対し、ひるむどころかさらにさし招くように挑発してみせる。その珍しくもけんか腰な態度に、長月は彼女の本気の怒りを感じ取った。

 しかし、と長月は思わずにはいられなかった。

(望月がけんかをしているところなど、見たことは……)

 相手の四人がけんかしているところも、同じく見たことはない。それでも、体を動かすことをめんどくさがってきた望月が数で勝る彼女たちに立ち向かって勝利を収める場面など、とても想像できないのは確かだった。

(だれか、止めれる者は……)

 この場にいあわせた仲間たちに視線を走らせるが、そのだれもが一触即発な雰囲気に釘づけになっている。望月たちを制することができそうな者は一人としていなかった。

(だめだ。いったいどうすれば……)

 長月がどうすることもできずにいるうちに、激昂する両者の間で最初に動きを見せたのは、鳥海だった。

「摩耶は、なにも悪くないのに……!」

 だっと駆けだすと、ふりかぶったこぶしを一直線に望月の顔めがけてたたき下ろす。

 怒りに目がくらんだその一撃を、望月はひらりとかわす。そればかりか、すれ違う瞬間に足を払ったらしい。鳥海は顔から地面にぶつかるように転倒した。

「くっ……!」

 痛みをこらえながらも怒気は収まらずににらみつけてこようとする彼女の背を足で踏みつけながら、望月は言う。

「そんなの、どうだっていいよ。あたしの怒りに触れたらどうなるか。あんたらにはその見本になってもらうんだから」

「言ってくれたなあ……!」

 見下した発言に反応した加古が望月に飛びかかる。望月は鳥海の体を踏み台にそれをさっとかわしてみせる。

「これなら……!」

 そこに、加古につづくようにしていた青葉が迫る。望月はそれも避け、おかえしに蹴りをお見舞いする。が、それは彼女の腕をかすめるにとどまったようだ。

「重巡洋艦っていっても、こんなもんなの? たいしたことないね」

 挑発をくりかえしながらも、望月は冷静に今の二人から距離を取る。その目がぐるりとうかがう先を見れば、いままさに最初の一撃から立ち直った摩耶が戦列に復帰しようとしているところだった。

「調子に乗るのもそのへんにしとけよ」

「摩耶、あなたはべつに……」

「アタシら全員で、やるって決めたことだ」

 しゃがみこんでいた鳥海に目線でうながすと、摩耶は望月に向き直る。

「前々からてめえのことは気に喰わなかったんだ。アタシらの前で二度とそのなめた面、できねぇようにしてやる」

「はっ。できないことは口にしないほうがいいと思うよ」

「できるかできないかは、身をもって教えてやる」

 一歩また一歩と、摩耶は望月に近づいていく。加古と青葉も、摩耶に歩調を合わせだす。

 それに対して、望月はじりじりとあとずさりをはじめた。

 当初の一人ずつでならまだしも余裕を持ってあしらうことができたが、三人そろって相手取ろうとするとさすがに不利は否めないらしい。

「さっきまでの威勢はどうしたよ。怒らせたらどうなるか、教えてくれるんだろ?」

「まあそうあわてなさんなって……」

 三人が一歩近づくと、望月もまた一歩下がる。そうした呼吸の探り合いをくりひろげながらも、両者の距離は確実に縮まっていく。

(このままでは、望月が……)

 形勢不利になっていく様子に、長月の胸は不安でつぶれそうになる。

 望月は活路を見いだすべくあたりをうかがっているが、勝機を見つけることはできないようだった。そうこうしているうちに、三方向から近づく重巡洋艦たちは、望月から五、六歩の距離まで詰める。

「くっ……」

 退路の余地を確認しようとしてか、望月がうしろをふりかえる。それは、長月の目から見ても重巡洋艦たちにとって決定的な好機だった。

 その瞬間を待っていたように、青葉が一気に間を詰める。

「望月――!?」

 やられると、そう思った。その場面を見ていたくなくて、長月は顔をそむけ、目をつぶった。

 しかし、聞こえてきたのは、あわてたように青葉をひきとめる加古の声と、つづけてあがった青葉の悲鳴だった。

「きゃあ!?」

 ぱっと開いた長月の目に映ったのは、先ほどまで望月がいた場所に立つ摩耶と、その腕に抱きかかえられるようにしている青葉。

(望月は……?)

 きょろきょろと、あたりを見回す。

「逃がすな!」

 鋭い摩耶の声。

 それに呼応するように走りだした加古が追う先に、望月の姿はあった。

「長月!」

 望月は一直線に駆けてくる。これまで見たこともないほどの全速力で。その手をこちらに伸ばしながら。

「望月……!」

(迎えに来てくれた、のか……?)

 こんなときだというのに、長月の胸にはやっとだという感慨があふれてくる。それは、長月がこれまでどれほどに夢見てきたかわからないほどに待ち望んだ光景だった。

 望月は走りながら、懸命な表情でこちらを見ている。息づかいさえ聞こえてきそうなその表情に応えるように、長月も身を起こして走りだす。

 そうしようとして、しかし望月にばかり意識を向けていて、長月は背後から近づく気配に気づくことができなかった。

「そこまでです」

 肩をつかまえてそう声を発したのは、鳥海だった。

「そうそうあなたの思い通りにはさせませんよ、望月」

 言いながら、肩越しに首がしまりそうな角度で服をつかみ直される。

「なにをす……」

 抗議する間もないままぐいぐいとうしろにひっぱられる。代わりに目線で伝えようにも、えり首をつかむ鳥海の腕は容赦がない。

 ずるずると鳥海にひかれるまま、足を止めた望月との間に距離が開いていった。

「鳥海……これ、は……いったい……?」

 つかえつかえに問うが、返されたのは無言だった。そんなこともわからないのかと、冷やかに言われているようだった。

 疑問の答えでも、この状況からでも、長月はともかく助けを求めて望月に目を向けた。すると、それに応えるように一歩、望月が足を踏み出しかける。

 その出足に、鳥海の鋭い声が浴びせられた。

「動くな!」

 直後、長月のみぞおちに鈍い痛みが走る。

「ぐっ……ぉ……」

 ひじを突き上げられたらしい。

 呼吸が止まるほどの衝撃に、ひざをついてうずくまる。

「長月!?」

「動くなと、言いましたよ?」

 後頭部に固いくつの感触。つづけて、長月は顔から地面に踏みつけられていた。

「ぅ……が……」

 鳥海の足は一瞬のちにはどけられたものの、長月にはすぐさま体を起こす余力はない。

 このうえさらになにかされるのだろうかと身構えるが、次にもたらされたのは痛みではなく、やさしく包むこむような腕の感触だった。

「長月、だいじょぶ?」

 顔を上げると、目の前には心配そうにこちらをのぞきこむ望月の顔。

 心の準備もなく間近に見えたその顔に、長月は一瞬、心臓が止まるかと思った。

(望月が、こんなに近くで、私を案じて……というより、私を抱きしめて……?)

 それは、長月に場違いにも飛び上がってしまいそうなほどのうれしさを感じさせてくれた。先ほどから、望月はどれほど、こちらの口に出さない望みをかなえてくれるつもりだというのか。

 しかし、喜びに浸るのもつかのま。みぞおちへの強烈な一撃からこみあげてきた吐き気に、長月は思いっきり顔をしかめてうずくまる。

 心配そうにふたたび尋ねてくる望月にはなんとかこくこくとうなずいて返したが、腹と口もとをおさえる手であちらもそれと察したらしい。鳥海へと向けられる表情は見る間に怒りに染まっていった。

「あたしの目の前で……。もう絶対、許さないから」

 あちらこちらをにらみながら、望月は寒気を感じさせるほどの低い声でそう宣言する。

(望月、私のために……。いけない、こんなことで喜んでいる場合ではないのに……)

 自分のせいで望月がけんかの主導権を奪われているというのに、長月が感じてしまうのは、ただただ望月が自分のために怒ってくれていることに対する喜びだった。もっとこのままでいたいと、つい状況も忘れて願ってしまう。

 それでも、周囲の剣呑な気配は長月を自分だけの世界からひき戻す。

「許さないならどうしますか? そんな、足手まといを抱えて」

 鳥海の言葉にはっとして周りを見回す。

 いまや望月は、前後を彼女と加古にはさまれていた。摩耶と青葉も、まるで望月がここから動かないものとわかっているかのように、一歩一歩とこちらに近づいてきている。

「望月、私は……もう、大丈夫だから……っ……」

 ここを離れてまたさっきみたいに戦ってくれ。

 のろのろとそう言いかけたが、無理に声を出そうとしたことでけいれんしたように長月の呼吸はままならなくなる。望月は優しく腕を回したまま、寄り添うように、安心させるように、そのあたたかさを感じさせつづけてくれた。

(これでは、鳥海の言うとおりだ……)

 望月ひとりなら、三方から囲まれても先ほどのように脱してみせたことだろう。しかし、自分までもがここから逃れることは、現状ではかなり難しかった。望月がこの場を動けなくなっているのは、どう考えても自分のせいだ。せっかく望月が自分のことを見てくれたというのに、それでもやはり迷惑をかけてしまっている。それが情けなくてしかたなかった。

「ずいぶんと卑怯な手、使ってくれるじゃん。恥ずかしくないの? こんなことして勝ってもさ」

「使えるものは使う。それだけのことだ」

 数歩の距離まで近づいた摩耶は、望月に長月から離れるようあごでしゃくる。

「……」

 望月がそちらをにらみ返したまま動かないでいると、今度は鳥海に長月をつかまえるように指示を出し、自身もまた油断なく望月の挙動を観察しだす。

 望月はそれを見てついに観念したか、長月の背に手を置きながら立ち上がり、そっとそばを離れていった。

「長月にまた手をあげたら、ただじゃおかないからね」

「それは、てめえの態度しだいだ。余計なことは考えねぇほうがあいつのためだぞ?」

 ふたたび、鳥海がかたわらに立つ。ちらりと見上げた長月の目線は見下すようなそれとかちあい、反射的に目を伏せる。

「よく見ておきなさい。これから起こることを。もとはと言えば、長月が原因なのですから」

「私が……?」

 おそるおそる視線を戻すと、鳥海はこちらではなく望月をじっと注視している。

「なぜ、私……なんだ?」

 それに対して、鳥海はあざけるような笑いをもらしただけで答えない。

 すっきりしない気持ちとともに望月のほうに目をやると、今まさに、摩耶たちによる制裁がくわえられようとしているところだった。

「ぉぐっ……」

 腹をなぐられた望月がひざをつくのが目に入る。

「望月……!」

 とっさに駆け寄ろうとするも、その行動は目の前につきだされた手のひらによって制止された。

「くっ……ぐぅ……」

 つづけざまに、体に打撃がくわえられるにぶい音と、くぐもったうめき声が耳に入る。

 十回、二十回と、容赦なく望月の体にこぶしがふりおろされる。足蹴が飛ぶ。痛みに耐えかねてうずくまればひき起こされ、倒れれば蹴りつけられる。そんな一方的な暴力に、ついには長月は見ていられなくなってきつく目を閉じ、耳をふさいだ。

(望月……私なら、大丈夫だから。私のことなんて気にせず、思いっきりやり返してくれ……)

 長月はくやしかった。四人を相手取っても思う存分ひっかき回してみせるだけの実力があったにもかかわらず、望月は自分のせいでやられっぱなしになっている。その姿を見せつけられることは、長月にとって自身のふがいなさを見せつけられることと同じだった。

(いいんだ、望月。私なんかのことは、気にしなくても……)

 ちょっとくらいは辛抱してくれと、悪びれることなく言ってのけて暴れまわる。自分などは、その程度の扱いでかまわなかったのだ。

 それなのに、長月がそっと目を開けると、望月はこちらを見ていた。こちらを安心させるように気丈な表情を浮かべてみせて、そこにこぶしがふりおろされると、相手をにらんで不屈の表情を浮かべてみせる。

 しかし、長月がなにより許せなかったのは、そんな状況での気づかいにもどうしようもないうれしさを感じてしまう、自分自身だった。

(私のせいで、あいつがあんな目に遭っているというのに……。どこまで自分勝手なんだ、私は……)

 どうしようもない自身への嫌悪感に、なにもかもを拒絶してその場にうずくまってしまいたくなる。

 ちょうどそんなとき、とんとんと、肩がたたかれた。

 びくっとして、長月は反射的に鳥海をふりむく。彼女は、眼鏡の奥からじっと、こちらの動揺を見透かすかのような目を向けてきていた。

「いけませんよ、長月」

 まるでこちらの反応を楽しみにしてでもいるかのように、鳥海は言う。

「長月には、望月が一方的にやられる様子を、その目に収める義務があります」

「義務……?」

 おうむ返しのように問う長月に、鳥海はとっておきの話をするように顔を笑みにゆがめてみせる。

「そうです。私たちがなぜ、あなたのことでけんか沙汰にまでなっているのか、疑問に思っていましたね?」

「そうだが……」

 不気味な迫力に気圧されながらもうなずいて返すと、鳥海はくすっと小さく笑みこぼした。そこには、侮蔑の意図がこめられて感じられた。

「その顔、本当にわかっていませんね。望月も、いまさらあなたみたいな人を助けてどうするつもりなのやら」

「いったい、なんだというんだ……」

「長月、あなたを嫌っていた私たちがどうしてあなたに協力していたのか。その意味がまだわからないのですか?」

「それは……私があまりにも見ていられないから、手助けをしてくれたのでは……」

 鳥海の態度に自信がなくなってきた認識を、それでも他に思いつくこともなく口にする。

 それに対して返されたのは、こんなにおかしいことはないとばかりの笑い声だった。

「あはっ……! 長月、あなた、最高です」

 こらえようとしてもこらえきれないと言うように、鳥海は肩をふるわせて笑う。理由はわからないが、ばかにされたその調子に、長月は恥ずかしさを覚えずにはいられなかった。

(なんなんだ。なんだというんだ、本当に……)

 鳥海はやむ気配もなく笑いつづけている。しかし、その間にも、長月の耳には望月のうめき声が聞こえてくる。

(こんな、らちも明かない話をしている場合では……)

 なんとかしなければと、しだいにつき動かされるほどのあせりが生じてくる。

「そんなことより。摩耶たちを止めてくれないか。どうして、望月があそこまでやられなければいけないんだ」

 だが、対する鳥海はどこ吹く風だ。

「そう言われましても……あそこまで怒った摩耶を止めるのは事です。それに、望月もまだ負けを認めるつもりはないようですから、なおさら……」

 鳥海にうながされてそろそろとそちらに目を向けると、たしかに望月はいまだに敵意を隠さない表情で三人をにらみつけている。

 それでも、その直後に顔にこぶしをたたきこまれ、受け身も取れずに倒れ伏すさまを見せられては、いくら望月があきらめていないといっても、止めないではいられなかった。

「頼む、鳥海。私にできることなら、なんでもするから……」

 長月は頭を下げて頼みこむ。

(望月には、勝手なことをするなと怒られるかもしれない。また口もきいてくれなくなってしまうかもしれない。それでも、私はこれ以上、おまえが私のせいで痛めつけられる姿を見ているのは耐えられないんだ……)

 こんなときでも望月の足を引っ張ってしまう自分が、ただただ情けなかった。だが、それを言い訳にして今できることをしないわけにはいかなかった。

「……」

 鳥海から、すぐに答えが返ってくることはなかった。

 もとはといえば、望月のほうからふっかけたけんかだ。腹の虫がおさまりきらないのに矛を収めろというのは難しい頼みだろう。難色を示されるのもうなずける。だがそれでも、摩耶たちを止められるとしたら、やはり気心知れたこの鳥海をおいてはほかにいない。苦痛にもれる望月の声を聞きつづけるのは、もう限界だった。

 祈るように、長月は鳥海に頭を下げつづける。

 すると、しばらくして鳥海もついに意を決したように声をかけてきた。

「わかりました。そこまで言うなら、手がないでもありません」

「本当か?」

 ありがたいと、さらに頭を下げかけたが、まだですと制止される。

 どういうことかとけげんな表情を向けると、先ほどとはうってかわって、きわめて真剣な顔つきをした鳥海と目が合った。

「私が摩耶たちを止める代わりに、長月にはひとつ、条件を飲んでもらいます」

「言ってくれ。望月のためなら、なんだってする」

 己の弱さの免罪符のように望月を持ち出すことに罪悪感を覚えながらも、長月は鳥海をうながす。こちらの言葉がどれほど本気かを確かめようとするかのような視線にも、ひるむことなく見つめかえす。

 二人が沈黙するたびに、殴打の音が耳に突き刺さる。

 それを止めるためならば、長月はどんな厳しい要求にも、一も二もなく飛びつくつもりでいた。

 しかし、鳥海が提示してきたのは、まったく予想もしていなかった条件だった。

「長月、あなたには、教導艦を降りてもらいたいのです」

「は……?」

 使いっ走りとしてこき使われるくらいなら、ありがたく受け入れるつもりでいた。代わりに自分が殴られることになろうと、かまいはしなかった。

 しかし、この要求はどうだろうか。

「なぜこの条件になるのか、わかりませんか?」

「あ、ああ。説明を頼めるか……」

 長月にとって、望月との最大の接点は、教導艦という同じ役割を任されていることだった。宿舎の同室であるという点よりも、はるかに大きな意味で。もし、それがなくなってしまうとすれば、たとえ望月が自分を許してくれたとしても、望月と接する機会は今のようにほとんどない状態のままなのではないだろうか。そんな打算が、長月の頭では働かされていた。

 くわえて、もう一つ。

「それに、いくら私が同意したところで、司令官が許すかどうか……」

「あなたの口から断固として告げれば、却下はしないでしょう」

 本当にそうだろうか。これまでの不調にもかかわらず教導艦からはずそうとする意思をかけらも見せなかったことを思えば疑問もある。

 だが、今はそんなことで押し問答をしている場合ではない。

 改めて説明をうながすと、鳥海はふたたび覚悟を確かめるような目でこちらを見る。長月がそれに真剣な顔でうなずくと、鳥海は静かな、それでいてどこにそんな感情を押し隠していたのかと驚くほどの熱意を感じさせる声で話しだした。

「すべては、愛宕姉さんのためです。いえ、加古と青葉にとっては、古鷹さんのためでしょうか」

「愛宕と古鷹……というと、遠征部隊に回されている者たちか……」

「そうです。その二人の遠征部隊からの解放。それが、私たちの悲願です」

 ひと息に言いきった鳥海を、おおげさなとは、長月は思わなかった。今の司令官であるあの男が着任してからというもの、遠征部隊への配属が決まった六人の仲間たちは、そのほとんどがほかの仲間たちと交流する暇もないほどに物資補給任務をくりかえさせられている。

 もちろん例外はある。その一人は龍田だ。龍田は、今でもまれに遠征を命じられることもあるが、いつごろからか、より多くの時間を教導艦の一人として部隊の指導指揮に当てられるようになっている。

 吹雪と不知火も、北方海域での駆逐艦作戦実施時のみではあったが、しばしば出撃任務に優先的に回されることがあった。それが終わった今は、また遠征ばかりの月日を送っているのではあるが。

 そして、もう一人。ひと月ほど前になって、遠征任務の合間に出撃任務を課されて仲間たちとの交流が再開されだした者がいた。

「赤城さんの復帰。そのできごとが、私たちに希望を与えてくれました」

 当時の長月にそれほど周りを見ている余裕があったとはいえないが、それでも赤城は吹雪や不知火のように短期的な戦力強化のために呼び出されたわけではないはずだった。まして、龍田のように教導艦に選ばれたわけでもない。

 この基地では、空母はその艦種自体が、あの男の着任時に準強化艦に指定されている。不確かな長月の記憶では、そうして重点的に鍛えられだした仲間たちの練度が、もともと前提督時代から突出していた赤城のそれにようやく追いつきだした。それゆえの、赤城にもさらなる練度向上を求めての戦列復帰だったはずだ。

 その艦だからという特別な理由ではなく、同艦種のほかの仲間たちと同じ理由での出撃任務への部隊編成は、たしかに鳥海たちにとって希望となったことだろう。

「赤城さんが戻ってこられるのなら、愛宕姉さんと古鷹さんも戻ってこれるはずですから」

 重巡洋艦は、残念ながら艦種として強化対象に指定されているわけではない。しかし、基地に所属する仲間たちの練度が底上げされていけば、いずれ愛宕と古鷹に戦線復帰が命じられる日も来ることだろう。

 今の話を聞いて、それはたしかにうなずけることだった。しかし、その一方で、長月の疑問は解消しない。

「だが、それと私が教導艦を降りることと、どう関係があるというんだ」

 そう問うと、鳥海はのどもとまで出かかった言葉をこらえるように、しばし眼鏡をはずして目もとをぬぐいだした。そのまま、ゆっくり三呼吸も四呼吸もしても、鳥海は一向に話しだそうとしない。

 じれったくなった長月がふたたびうながそうとすると、その直前に鳥海はようやく眼鏡をかけ直した。そうしてこちらを見る瞳には、憎悪と呼べるほどの感情が灯っているように感じられた。

「ものわかりの悪い長月にもわかるように、簡単に説明してあげましょう。赤城さんの事例から考えられるかぎりでは、鍵は私たちの練度です。私たちが力をつけるのが早ければ早いほど、愛宕姉さんと古鷹が戻ってこられる日も早くなるはずです。ここまではいいですね?」

「あ、ああ。わかる」

 気圧されたようにうなずくと、鳥海の怒りはさらに強くなったようだった。望月への暴力を止める前にこちらが暴力にさらされるのではないかと、身構えてしまうほどの形相だった。

「私たちは、強くなりたいんです。一日でも早く。それなのに、私たちを教導するどころか足をひっぱってばかりで、練度向上の足かせになっているのはどこのどなたですか」

 はっきりと告げられたその言葉で、長月はようやく自分の不調が仲間たちにもたらす迷惑に思い至ることができた。

「そ、そうか……すまない……」

 だが、その理解は鳥海には一周遅れであるうえに、あまりにも部分的にすぎた。おめでたいその頭に、さらなる事実が浴びせかけられる。

「もうついでだから言いますが、私たちがあなたに協力していたのは、他人の助けがあってもすぐに治るものではないと悟っていただいて、自発的に教導艦を降りてもらうためでした。だから、望月とこんな、けんか沙汰になっているんです」

 予想外のことではあったがとつづける鳥海の言葉は、驚きのあまり長月の耳には入らなかった。

「一応つけくわえておきますと、訓練や任務での協力はいっさい手を抜いていませんでしたから。あなたがふぬけているのは、すべて今のあなたの実力です」

「そうか……」

 長月は言葉もなく、ただがっくりとうなだれるほかなかった。

「それから、摩耶の名誉のために言いますが、当初の計画では、もっとあなたの自信を粉々にするくらいに細工をするつもりでした。しかし、摩耶が最後まで賛成せず、結局押しきられる形で一昨日からのやり方になっています。こんな、取引のようにあなたにもちかけることも、きっと摩耶はいい顔をしないでしょう。ですが、目的を達成するためなら、私は手段を選びません」

 そうして、改めて鳥海は選択を迫る。

「望月を助けるために、あなたは教導艦を降りると、誓いますね?」

「それは……」

 長月の心中で葛藤が巻き起こる。先ほど浮かんだ悩みもあるが、くわえていま聞いた鳥海たちの真意がある。ここで鳥海の言うままに従うことは、彼女たちの敵意に屈したも同然だ。それを思えば、心情的に承服しがたい気持ちがあるのはたしかだった。

(だが……)

「が……ぅ……」

 徐々にうめき声すらも弱々しくなってきている望月のことを思えば、自分自身の気持ちを天秤にかけるのは、何程のことでもなかった。

「……わかった。誓う」

 その声が自身の耳に苦渋に満ちて聞こえることを、長月は恥じた。

「いいでしょう。その言葉、違えることのないようにしてください」

「ああ」

 鳥海のあとについて、長月は摩耶たちのもとへと向かう。近づくにつれて、それと気づいた三人の視線が寄せられる。協力の裏に隠されていた真意を知った今、どんな顔で彼女たちに接していいか、長月にはわからなかった。顔をそむけるようにしながら、ちらちらとそちらをうかがい見る。

 そうしていると、一瞬、望月と目が合ったように感じられた。

「っ……」

 望月がいい顔をしないだろうとわかっていながらこの選択を行った心情を反映してか、とがめるような色が読み取れてしまい、長月は合わせる顔もなくうつむいていく。

(すまない、望月。私は、こんなにも心が弱いから……)

 何回、何十回と、心中で謝罪の言葉をくりかえす。そうしていないと、こみ上げる申し訳なさに、押しつぶされてしまいそうだった。

(あとでどんなに怒ってくれても、かまわないから……)

 そうしているうちに、三人への説明はひととおり済んだらしい。鳥海がふたたびこちらをふりむいて言う。

「長月。先ほどの誓約を、摩耶たちにも聞かせてあげてください」

 押し寄せる自己嫌悪から逃れる口実ができたとばかり、長月は彼女たちにせいいっぱい頭を下げる。

「私は……私は、教導艦から降りると、誓う。だ、だから、望月への暴力はもう、止めてくれ。頼む」

 告げる声がふるえてしまったのは、手放すものへの未練からだっただろうか。なんにせよ、この場にいる者にその言葉は伝わった。これでもう、あとにはひけなくなった。

「いいだろう。まだすっきりしないところもあるが、これ以上の望月への手出しはやめてやる。その代わり、てめえには今から提督のところまでつきあってもらうぞ」

 長月は感謝の念とともに、それを承諾した。

「よし。そうと決まれば……アタシの上着はどこ行った?」

「それなら、たしかあっちに……」

 四人が思い思いに飛び散ったくつや服のリボンなどを拾いに行っている間に、長月は倒れ伏した望月の様子を見るべくそっと歩み寄る。

「望月、大丈夫か? すまない、私のせいで、こんな……」

「がふっ……ごほっ……」

 どれだけ袋だたきにされても降参の意志を見せずに抵抗しつづけたこともあり、望月は返事をする気力もないほどにぼろぼろになっているようだった。服は砂まみれになって破れもでき、顔はあちこちはれ上がっている。

「私がふがいないばかりに……。怒っているだろうな……」

 静かに上半身を抱き上げると、望月の顔はひどくしかめられた。

「痛むか? すまない。なにか手当をしてやれればいいんだが……」

 救急道具などないこの場では、ただその頭を膝の上に乗せてやり、いたわるように体をさすってやることしかできなかった。十分とはとうていいえないその行為によって、伝わってくる以上のあたたかさを返してやることができていればと、長月は祈るように願う。

 けんかの熱も冷めていくなか、こちらを見上げる望月の目は、うっすらと片目だけが開いている。その目は見下ろす視線と交わることもなく、どこか遠い夜空を見つめていた。

 四人に手ひどくやられたことをくやしがっているのかいないのか、勝手に制止に入ったことを怒っているのかいないのか。痛み以外に動くことのない無表情はそれらをまったく読み取らせてはくれない。しかしその一方で、寒空の下、いやがるそぶりをなにひとつ見せることもなく、ぐったりと身を預けてくれてもいた。

(ありがとう。こんな私を、拒まないでいてくれて……)

 触れる体から感じる望月の熱は、長月にそれだけでかわききった心が満たされていくような気持ちを覚えさせた。できるならば、望月が落ち着くまでこうしていたい。そうも思ったが、それが許される状況ではないことが残念だった。

「長月ー、提督のとこ行くぞ?」

 加古から声をかけられ、長月はこの満ち足りた時間が終わりを迎えたことを悟った。いま行くと答え、望月の体をまたそっと冷たい舗装の上に下ろそうとした。

 そのとき、望月の手がこちらの肩をつかんだ。さらには、その手にぐっと力がこめられる。それは、いまにも立ち上がろうとする動作だった。

「ま、待て、望月。まだ動いては――」

 その先を伝えることはできなかった。じっとこちらを見すえる目に、いまだ消えない闘志が秘められているのがわかってしまったから。肩にかかる手にこめられた力に、隠しようもない激情を感じ取ってしまったから。

 長月が息を飲む間に体を起こした望月は、獣のようなすばやさで最も手近にいた摩耶に躍りかかった。

「なん……がぁっ……!?」

 不意打ちに摩耶を殴り倒すと、望月はその体に馬乗りになる。

 摩耶は抵抗する暇もない。あおむけのその頭に、体重を乗せたこぶしがたたき下ろされた。

 ごつっと、苦鳴よりも舗装と摩耶の頭部が衝突する音が、いやに大きく鳴り響いた。

 長月はその一部始終を、ただあっけにとられたように見つめているしかできなかった。長月だけでなく、その場にいただれもが、あっという間に起こったその出来事に反応することができなかった。

 頭部を打ちつけられた摩耶はけいれんしたように体をふるわせたのち、望月に向けて伸ばされた腕はすぐに力を失い地に落ちた。そのまま、摩耶はぴくりとも動かない。

「まず、一人……」

 しんと静まり返ったその場に、つぶやくように発された望月の言葉が聞こえわたる。

 痛むように手をふりながら、望月はゆっくりと立ち上がって残る重巡洋艦の三人に目を配る。まるで次の獲物を見極めようとするかのようなそのまなざしに、見る者は戦慄させられた。

「よ、よくも、摩耶を……!」

 気圧されながらも声をあげたのは、鳥海だった。その声にはっと気がついたように、加古と青葉もまた望月を取り囲むように動きだす。

 しかし、先ほどの奇襲ですっかり呑まれてしまった彼女たちに、もはや望月の格好の餌食となる以外の未来は残されていなかった。

「二人……!」

 青葉のふところに飛びこむと、望月はその腕をかわしざま、側頭部に強烈なつま先蹴りを叩きこむ。

 さらには、そのすきをついて背後からつかみかかってきたはずの加古を、振り向きざまに腕をつかんで投げ飛ばす。

「きゃっ!?」

 投げた先にいた鳥海もろとも、二人はその場に倒れこんだ。

「加古、早くそこをどいて!」

「わ、わーってるってば!」

 早く迎撃態勢を取らなければとわかっていても、焦れば焦るほどに二人の動きはもたついてしまう。

 そして、そのすきを望月が見逃すはずはなかった。鳥海ごと押さえこむように加古の背中を踏みつけると、その髪をつかんで頭を持ち上げる。

「これで、おしまい!」

 ひ、ともれた声は誰のものだっただろうか。

 ふたたび、硬いもの同士がぶつかり合う音が鳴り響く。

「ぐぁ……」

 だが、今度はそれだけでは二人とも静かになることはなかった。

「あれ、失敗した? まあいいや。うまくいくまでやれば、それでいい……っしょ!」

 そして、その言葉どおり、耳をふさぎたくなるような打音と苦鳴が何度にもわたってくりかえされることとなった。

「も、望月……?」

 それは、やられっぱなしになっていたことがうそのような、あまりにも一方的な展開だった。

 重巡洋艦四人を相手にとって、望月のどこにこれだけの強さが秘められていたのかと驚くほかない光景を前に、長月はなんと声をかけていいのかもわからず、伸ばしかけた手を宙ぶらりんにさせたままその場にたたずんでいた。

(思えば、私が鳥海につかまるまでは、あいつが優位に戦いを進めていた……)

 自分という足をひっぱる存在がなければ、最初からこれくらいに圧倒することもできたのではないか。

 そうも思えてくるが、今はそれよりも、これまで知らなかった望月のおそろしい一面を目の当たりにしてしまったことが、こわかった。

「望月、なんだよな……?」

 このまま、どこか手の届かない遠くへ行ってしまうのではないかという、そんな予感がしてしまって。そうではないのだと、見るからに覇気に欠けるのが常態の望月なのだと、確かめて安心したくて。長月はそろそろと望月のもとへと歩を寄せる。

 一歩、二歩と、進む間にも、望月はこちらに背を向けたまま動かない。また、倒れ伏す重巡洋艦の仲間たちも、意識を取り戻す様子は見られない。ただ寒風だけが、その場を吹き抜けていく。

「なあ、望月。私のこと、怒っているのか……?」

 三度目のその呼びかけに、望月はようやく気がついたようにふりむいてくれた。

「長月……?」

 こちらを認識してそうつぶやいた顔は、やはりはれ上がっていて痛ましかった。しかし、つづけてにへらと笑み崩れたその表情には、深い安堵の色の中によく知る疲れきった様子をうかがい見ることができた。

「ああ、私だ……」

 なんとかそう答えると、望月はさらに、ぐいとこちらをひきよせて、そのまま体を預けるように肩を寄せてくる。さすがに、もう体力の限界であるらしい。

「ああ、長月だ。あたし、やったよ……」

 そうして、どう接していいかとまどうこちらのことなどおかまいなしに、ぽつりぽつりと自身の活躍を自慢げにつぶやきかけてくる。その態度に、長月はこれが間違いなくいつもの望月なのだと、安心することができた。

(よかった。よかった……)

 目の前でくりひろげられたことだけにわかりきったことではあったが、望月の話になんの遠慮もいらずににあいづちを打つことができる。そのことに、長月は言いようのない幸せを覚えた。肩にずしりと感じられる重みが、たしかな喜びを感じさせてくれた。

「長月は、本当にあたしを心配させてくれるんだから」

「すまない。だが、それは私の台詞でもある。こんなにぼろぼろになるまで戦って……。見ていてどれほどはらはらさせられたか」

 まるでここのところの拒絶などなかったかのように、話をすることができる。心の隔たりがなくなったかのように、こちらからたしなめる調子の言葉も自然にはさみこむことができる。かつての関係がよみがえったかのような感覚が、なによりうれしかった。

「しかたなかったんだって。これくらいしないと、あいつらひき下がりそうになかったし」

「私は、そんなに情けなく見えるのか?」

 否定してほしかったが、うすうすそんな自覚はないでもなかった。そして、望月はこのあたりのことで遠慮はしない性格だった。

「そうなの。特に、ここのところの長月は、あたしが見てないうちに、思いもしなかったくらいに弱々しくなっちゃってたから」

「そう……か」

 ふれるつもりがないならばあえて持ち出しはすまいと避けていた最近のことに、話が及びだした。あきれられてしまっただろうかと、長月は思わず身を固くする。

 しかし、次に望月が発した言葉は、思いもよらないものだった。

「あたしの、せいだね。あたしのせいで、長月はそんなになっちゃったんだから」

「望月、なにを言って……」

 とまどいながら真意をただそうとしていると、望月はにっと、安心させるような笑みを浮かべてみせた。その表情に、長月はうっと言葉を詰まらせる。

「ごめんね。でも、だいじょぶだから。あたしの長月に手を出すやつは、だれだろうとぎったんぎったんにしてやるから」

「そんなっ……!?」

 そんなに情けないことは頼めないとか、思い浮かぶ反論はいろいろあった。しかし、今また、今度は直接告げられた「あたしの長月」という言葉の前に、すべては蒸発していってしまうのだった。

(ま、またそんな……なにも言い返せなくなってしまう言葉ばかり……)

「わ、わわ、私など、こんな……こんな、やつなんだぞ? それなのに、そんな、おまえにばかり、そんな……」

 自分がなにを言っているかもわからないまま、あたふたと身もだえするばかりだった。

 そんなこちらに向かって遠慮なく笑い声をあげる望月が腹立たしくて、しかしここのところのできごとをすっかり水に流したその態度がありがたくて、長月はただこみ上げてくる感情を抑えるのでいっぱいいっぱいになってしまった。

「長月ってば、おおげさなんだから……」

 そこで、忘れ物を思い出したからと、ちょっと向こうへ歩きだしていくのも、憎らしいほどの気づかいだった。それとともに、やはり望月にはお見通しなのだと、かつて抱いた敵わなさを、再認識させられる。

(これからは、また怒らせてしまわないようにしないとな……)

 今の満たされた感覚から、また失意の淵へと墜落するところを想像すると、寒さだけではないふるえが体をはい上がってきそうなほどのおそろしさだ。

 見上げた空に輝く月に誓いを捧げるように、長月は思いを胸に刻みこんだ。

(誓い、か……)

 そうしていると、その一方で長月には思い出されることがあった。

(さっき、鳥海にさせられたあの約束は……)

 最終的に望月が勝ったからにはもう無効のはずだが、一度誓うと言った言葉を本人たちの同意もなくひるがえすのはなんとなく気分が悪い。かといって、こうなってしまった手前、今後穏便に話をつけるのも簡単ではないだろう。

 どうしたものかと、倒れている四人を眺めわたす。すると、そのうちの一人、最初に望月にやられた相手である摩耶が、いつの間にか意識を取り戻していた。

「これで……終わりだと、思うなよ……」

 言葉はたどたどしいながらも、その体はしっかりと地面を踏みしめ、いまにも起き上がって戦闘続行を告げようとしている。

 なまじ体が頑丈であるぶん、自分たちのけんかはどうしても泥仕合にならざるをえない。このまま、ほかの三人までもが目を覚ましたら、ふらふらの望月にまた全員を打ち負かすだけの体力ははたして残っているのだろうか。

 不安に駆られた長月は、望月の姿を求めて周囲に視線を飛ばす。

「もちづ……!?」

 そんな長月の視界の先に映ったのは、いつその姿を現したのか、帰投後そのまま港に停泊している艦に混じって並ぶ駆逐艦望月、まさにその艦影だった。

 驚きに目をみはる長月たちの前で次に起こったのは、その望月による砲撃だった。

 一発。夜の港に響きわたったその砲声は、それと同時に着弾の爆発音を鳴らし、重巡洋艦摩耶の艦影を動揺させた。

「望月!? あなた、自分がなにをしたか、わかっているの?」

 それまで静観を保ってきた外野からも、とがめだてるような声が飛ぶ。仲間への砲撃は、軍法会議ものの重大事だ。いくら教導艦だろうと、許されるものではない。まして、これは私的なけんかなのだ。

(いったい、どうするつもりなんだ。望月……)

 長月は必死で望月をかばう考えはないかと頭をひねらせるが、あわてふためく頭はものの役に立ちそうにない。

 さらには、そんな長月の心配をよそに、望月はまるで蚊に刺された程度にも気にしていないように、不敵な態度で長月たちの目の前に戻ってくるのだった。

「摩耶ってば、帰ってきたときにはもう大破してたんだっけ? 早く修復に回さないと、このまま着底しちゃうかもよ?」

 一瞬だけすごみを感じさせるように口もとをゆがめてみせた望月は、それだけ告げると、本当にちょっとした忘れ物を取ってきただけのように、にこにことこちらに近づいてくる。

「それが……どうしたってんだ!」

「摩耶、もうやめてください!」

「うるせえ! アタシは、強くならなきゃいけないんだ。こんなところで……足踏みなんて、してられねぇんだよ……!」

「だめです! いけません! お願いだから……!」

 なおも気迫だけでけんかをつづけようとした摩耶に、すがりつくように鳥海が止めに入る。これ以上は命にかかわりかねない。涙ながらのその説得に、ついに摩耶は折れたのだった。

 だが、望月はそれをいっさいかえりみようともしない。その目に映っているのは、ただ一人、長月だけだった。

 これでいいのだろうかと、望月に腕をひかれるようにしながら長月は考える。

 けんか騒ぎだけではなく、望月が軍規にふれることをもしでかした事実は動かしようがない。相手取った摩耶たちも、屈服させたというよりむりやり矛を納めさせたといったほうがしっくりくるくらいの強引な決着のつけ方であり、彼女たちとの間にしこりが残ることは避けられない。この件に裁定が下されるとき、明らかに不利な立場に立つのは望月だ。

 もしかすると、もう望月とはいっしょにいられなくなってしまうのかもしれない。そんな想像に、長月は目の前が暗くなってくるほどの恐怖を覚えた。どこ吹く風の望月に、このままひかれているだけでいいのだろうか。

 よくないと、答えははっきりしている。しかしどうすればいいのか。それがまるでわからない。

 うきうきとしてすら感じられる望月にひかれるまま歩いていると、こちらに向かってきたらしい仲間たちの声が聞こえてきた。

「おお、望月か。ということは、先ほどの砲声もか? 派手にやってくれたものじゃのう」

「長月さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いように思えますが」

 自分たちと同じく教導艦である、利根と筑摩だった。

 あれだけの騒ぎがあれば、消灯時間を過ぎていても駆けつけてくる者がいてもおかしくはない。しかしそれは、暴挙ともいえる望月の行いを知る者が増えてしまうことを意味した。もし、教導艦である自分たちの言い分が事情聴取の際に重きを置かれるとしても、それと並ぶ彼女たちの発言で、それらは簡単に打ち消されてしまうことだろう。

「このままでは、望月は……望月は……」

 心中で独白しただけのつもりのその言葉は、そうとは意識せずに声に出ていたらしい。

「大丈夫です。全部、利根姉さんが悪くないようにしてくれますから」

 うつむいていた顔を上げると、そこにはなにも心配はいらないと笑顔を浮かべる筑摩の姿があった。

 どういう意味かと問おうとすると、筑摩はそれは秘密だとばかり口もとに人差し指を当てて、ちらりととなりで言葉を交わす望月と利根に視線を向ける。

「あたしをその気にさせたからには、なんとかしてみせてよ?」

「おぬし、いくらなんでもやりすぎじゃ。まあ、ともあれ、あとは吾輩がいいようにしておいてやるからに、そっちはそっちでうまくするのじゃぞ?」

 二人の話は省略されている言葉が多すぎて、長月には聞いていてもよくわからなかった。その後、ふたたびこちらをひっぱるように基地棟へと歩きだした望月に聞いてみると、それほど大事にはならないように収まるということだと、やはりよくわからない答えを返された。

 だがそれでも、望月が言うからにはそれが正しいのだろうと、長月は考えることにした。いつだって、望月は自分よりも正確に、物事を見抜いてみせてきたのだから。

(最悪の事態にならないのなら、それでいい)

 利根と筑摩のあとにも、道すがら何人もの仲間たちとすれ違った。そのたび寄せられるなにが起きたのかとの問いを、長月はぐったりとした望月を盾に、黙々と進む。今はただ、ぼろぼろになってもあきらめずに戦いつづけた望月を休ませてやりたかった。

 港へと走り去っていく仲間。交わされる切迫した声。

 島全体はざわざわとあわただしい空気が漂っている。今夜は、穏やかな夜とはなりそうになかった。

(おかしなものだな)

 事情がわかっている長月には、それらの動きがどこか別の世界のことのように感じられる。その目に映るのは、どこまでも昨日までと変わらない道、変わらない島の姿にほかならなかった。

 しかし、そんな中にもたった一つ、昨日までとは違うことがあった。それは、となりに望月がいること。それだけで、長月にとってはほかのことなどどうでもいいようにさえ思えてくる。となりに感じるあたたかさを意識しだすと、それ以外のことなど、考えている余裕はなくなってしまう。

「ねえ、長月」

 望月の吐息が、白く口からあふれだす。

「これからは、あたしがつきっきりで面倒見てあげるから。光栄に思ってくれていいよ」

「ああ」

 自分自身はなにか変ったわけでもないのに、こんなに幸せになってしまっていいのだろうかと、長月はおそれにも似た感慨を抱く。しかし、望月に悟られないようにそっとつねったほおは、これがまぎれもない現実なのだと、たしかに教えてくれるのだった。



「ねえ、長月。ちょっとつきあってほしいんだけど、いいかな?」

 男への簡単な報告を済ませ、これでようやく望月をゆっくり休ませてやれると思ったところで、当の本人はだしぬけにそう言いだした。

「まだなにかするつもりなのか?」

 自力で歩こうと思えばできるようだが、いまだに肩を借りたがることを思えば、よほどのことでなければ今日はもう体を休めるべきではないだろうか。そう言ってみるのだが、どうしてもという望月の主張はくつがえしがたく、長月はしぶしぶと資料室に足を向けることになった。

 男への報告自体は、本当に簡単なもので済んだ。ぼろぼろになっている望月と先ほどの砲声とでいくつか聞かれもしたが、望月による簡にして要を得た説明であっさりとその場は済まされてしまったのだ。自らの非を隠そうともしないその説明にははらはらさせられたが、それ以上に驚かされたのは、男が望月のしたことに情状酌量の余地を認めているらしいことだった。さすがにしばらくの謹慎はまぬがれられないようだったが、ずいぶんと軽い処罰で済まされそうな感触に、長月自身がそれでいいのかと思ってしまうくらいだった。

 しかし、長月の口から望月に厳罰を下してくれなど、とてもではないが言えるものではない。自ら教導艦に任命したがゆえの特別扱いか、いつもの甘すぎる温情主義か。ともあれ、男に感謝の念を抱きながらその場をあとにして、今にいたる。

「まったく、そんなぼろぼろな体で、今度はなにをはじめるつもりだ」

 資料室の扉を閉めながら、長月は問う。

「いいからいいから」

 望月はその質問をはぐらかすと、慣れた動作でうすぼんやりとした明かりを灯す。

 その頼りない明かりに照らされた室内を見ていると、長月にはこの部屋で過ごした望月との時間がまぶたの裏によみがえってくるようだった。楽しい思い出があれば、つらい記憶もある。しかし、もう二度と戻ってこないのではないかとまで思いつめたその時間は、これからまた何度も重ねられていくことになるのだ。

(ありがとう。望月)

 それを思えば、望月には感謝してもしたりない。あきれるほどに情けなくなってしまった自分に、それでもこうして手を差し伸べてくれたのだから。

「お礼を言うのは、もうちょっと待ってほしいかな」

 声に出てしまっていたらしい自分の思考に顔を赤らめながら、長月は手招きされるままにいつもの座席に座る。望月も、向かいの席に腰かけている。まるで、以前のように、二人の勉強会が始められるかのような並びだった。

 そして、そう思った長月は間違いではなかったらしい。

「じゃあ、早速だけど、ここのところの長月の状態を、しっかりと把握させてもらおうかな?」

 大仰なせき払いとともに、望月が切り出す。

 あわてたのは長月のほうだ。こうしていっしょにいることをまた許してくれる雰囲気になっただけでもありがたいというのに、そのうえぼろぼろの体を押してまで勉強会につきあわせては、とてもではないが申し訳なさに耐えられそうにない。

 それに、と長月は思う。

「いつものノートが……部屋まで行かないとない」

 今日はもうお開きにして、明日やってくれればそれでいい。そう思うのだが、望月はなにを言ってもその意思を曲げそうな気配を見せてくれなかった。

「それなら、なくてもできること……まあ、資料はないけどここのところのことは話も聞いてるし、簡単にでいいから話し合おっか?」

「いや、その気持ちだけでもじゅうぶんにありがたい。だから……」

 固辞するが、ずいっと顔を近づけてくる望月を前に、断りきることなどできるはずがなかった。

「あたしが、やりたいの」

 そうして、ひとまず先ほど執務室でおおざっぱになされた説明をもとに、どういう意図で艦隊行動がなされたのかを確認し、どうしてそれが失敗したのか、どうすればよりこちらに合った戦い方ができたのかと、話が進められていく。

 話の内容自体は、長月にとって非常にありがたいものだった。自分でどれだけ考えてもわからず、摩耶たちの手をわずらわせながらも確固とした手ごたえを感じられずにいた昨日までよりも、はるかに事態を打開できそうだと思える方法を教えてくれるのだから。それは、やはり望月以上に自分のことを理解している仲間はいないと、信頼感を強めるに足る内容だった。はじめは気乗りがしなかった長月も、しだいに身を乗り出すようにして望月の話に聞き入っていた。しかも、ちょっと進んではこちらの理解を確認してくれて、わからないところがあれば懇切丁寧にかみくだいて説明してくれる。まさに至れり尽くせりの講義だった。

 しかし、長月はそのことをありがたく思う心の隅で、望月の態度にひっかかりを覚えてもいた。

(望月、私に気をつかっている……?)

 望月といえば、なによりも我が道を通し、たまにこちらをふりかえってはついていけていないことにため息をついてみせる。そんな接し方をされるのが常だった。長月としても、それでかまわない、むしろそうしてふりまわされることに喜びを覚える。そんな関係だったのだ。次にはなにをしてくれるのだろうかと、びくびくしながらも期待を抱いてしまう。だからこそ、望月といっしょにいたいと願っていたのだ。

 それなのに、今の望月は。話ひとつを進めるにもこちらに確認を取ってきて、まるで壊れ物を扱うかのような態度だった。

「ここまでの話は、オッケー?」

「あ、ああ……」

(私に負担にならない接し方を、測りあぐねているのだろうか……?)

 どうしてだろうかと、長月は内心で首をひねる。

 たしかに、ほんの少し前まで、望月との間柄はすっかり冷えきってしまっていた。しかし、そうなった原因はすべて長月にあり、それから今まで行いを改めることができていないのもこちらだった。望月は、寛大にもそんな自分に冷たく当たることをやめ、以前にもましてこちらを気にかけるようになってくれているくらいなのだ。これで、なにをされれば自分が望月のことを悪く思えるというのだろうか。

 そんなどこかよそよそしくもある望月の態度であるにもかかわらず、それでもどきりとさせられたり、発される冗談に笑わされたり、この時間を楽しく過ごせてしまう。望月に優しく接してもらうことに、うれしさも感じてしまう。そんな現金な自分の心が、長月はいやだった。

「……ってところで。今はこんなくらいかな? つづきはまた明日。長月のノート見ながらね」

「ありがとう。いま教えられたこと、むだにはしない」

「長月ってば、あいかわらずおおげさなんだから……」

 それでも、こうしてこちらのひと言にしっかり反応してくれる。けらけらと隔意のない笑顔を見せてくれる。それだけでも、ここ最近のつらかった日々を思えばありがたくてたまらない。

 今は、それで十分なのではないか。あれもこれもと求めすぎては、また怒らせてしまうのではないか。

 そう考えだすと、とても望月の態度について指摘する勇気などわいてこないのだった。

(それに、望月がそれでいいと思うのなら、私がどう感じるかなど、たいした問題では……)

「よし……じゃ、これで用事も済んだし、部屋にもどろっか、長月」

 まとまらない考え事をしているうちに、望月が肩に手を乗せてこちらを見つめていた。その顔はこちらの葛藤など知らぬげで、無邪気にこちらをうながしてくる。

 しかたがないと、流されるままにそんな望月に従おうとしたところで、長月ははっと気づくことがあった。

(いや待て。こいつが私の内心を見透かしていないことが、これまでにあったか?)

 まったくなかったとは言えない。細かいところまで細大漏らさず読み取られていたことなど、それこそないと言っていいだろう。それでも、目の前でこれほど心とらわれていることを、望月が気づかなかったことなどないはずだった。それを見透かしたようにいじわるをしてくるのが、望月というやつだったはずなのだ。

(気づいていて、知らないふりをされている……?)

 それならば、なぜか。

(もしかして、気をつかわなければまた気落ちさせてしまうとでも思われているのだろうか……?)

 そんなに、自分は頼りなく見えているのだろうか。

 思いきってそう聞いてしまえたらと、そうも思うが、もし肯定されてしまった場合、とてもすぐには立ち直れそうにない。

「どうしたの、長月?」

 晴れやらない気持ちを抱えたまま見つめかえしていると、いぶかしげな声がかけられる。その顔は、こちらは不安げな眼差しになっていることが自覚できるくらいであるにもかかわらず、やはりそうとは気づかぬげなきょとんとした表情だった。

 それはまさに、長月の想像を裏づけるような表情だった。

「いや。なんでも……なんでもない」

 声が詰まりそうになるのを、必死にこらえてそれだけ返す。弱気があふれそうになっているのを見られまいと、さっと顔をそむける。

(やはり、私は望月のお荷物になってしまうしかないのだな……)

 こらえきれなくなったみじめさに、肩がふるえだす。

「すまない。先に、戻っていてくれ……」

 気持ちが落ち着くまで、だれもいないところで、一人になっていたい。望月から逃げるように、がたっと席を立ち上がりかけた。

 それを制したのは、まるでこちらの行動を予測していたかのように回された望月の腕だった。

「長月、だいじょぶだから」

 望月の腕は、行かせまいとするように、うしろから力強く長月をつかまえる。

「ちょっとかみあってないだけで、教導艦やってくのに問題ないだけの力は、長月は今でも持ってる。本当は、あたしの手助けだって要らないくらいだって、思ってるんだから」

「そんなこと、あるか。ここ最近、私がどれだけの醜態をさらしてきたか……」

 冷静になれなくて、優しい言葉にも感情的に反発してしまう。そんなこちらに、望月は回す腕の力を強め、ひとつひとつ噛んで含めるように言葉を与えてくれる。

「気の持ちようが大事なんだって。今の話聞いてて、それならなんとかなるって、思えてきたっしょ? まずはそう思えるところから手をつけてくのが大切なんだから。だいじょぶだって。もともと、長月にはもっともっと強くなれる素質があるんだから。それはあたしが保証する」

「私に、素質がある……?」

 思ってもみなかった言葉に、長月は呆然としてしまう。そんな長月に、望月はさらに言葉をつづける。

「長月は、あたしが負けたくないって、追い抜かれたくないって必死にさせられた、たった一人の仲間なんだから。覚えてる? 長月がまだあたしをライバルみたいに意識してはりあってたころ。あのころ、あたしがしょっちゅう長月のそばをうろうろしてたことがあったじゃん?」

「覚えているとも……」

 覚えていないはずがあるだろうか。あれは、自分が望月にはとうてい敵わないと悟らされたころのことだった。むきになって、がむしゃらに努力して、それでもなおふだんの気まぐれとやる気のなさそのままの日々を過ごす望月にすら追いすがることはできないのだと、完膚なきまでに思い知らされた日につながる一連の流れ。ちょうどその途上の出来事だったのだから。

 だが、望月はその認識をくつがえすように言うのだ。

「長月ってば、あれでがっくりきちゃったのかもしれないけどさ。ほんとのこと言うと、あのときはあたしもいっぱいいっぱいだったんだ」

(どういう、ことだ……?)

 理解が追いつかずに困惑する頭に、望月はひと言ひと言、ゆっくりとささやくように告げてくる。

「あのころのあたしの戦果ってさ、長月に見せつけるために、それまで出したこともないくらいの全力ふりしぼってたんだ。それなのに、長月ってばものすごい勢いで追いついてきて。人目のあるところでは必死に余裕ぶってたけど、気を抜いたらいつ追い抜かれるかって、休む暇もないくらいにがんばらさられてたんだから」

「そう、なのか……?」

 信じられないと言うようにつぶやくと、頭のうしろからこつりと額が当てられるのがわかった。

「そうなの」

 鼻先にかきわけられた髪のすきまから、吐息が首すじをなでていく。びっくりするほどの熱を持ったそれに、長月の体はじんわりとしびれにも似た感覚を覚えた。

「あのときは長月が先に参っちゃったけど、あのままもう少しねばられたら、あたしのほうが倒れちゃってたかもしれないくらいなんだから。だから、あたしにはわかるの。長月は、まだまだこんなところでくさってるようなやつじゃないってことが。もっともっと、あたしがびっくりするくらいに強くなれるってことも」

(望月が、そんなに私のことを……?)

 ただこちらに耳触りのいい言葉を並べているだけではないかと、疑う気持ちもないわけではなかった。しかしそれ以上に、言葉とともに伝わる熱は、じわりじわりと心の深いところまでしみわたってくるようだった。

 そうするにつれて、面映ゆいような気持ちや、これで浮かれてはいけないと自戒する気持ちが次々と胸にわきあがり、自分がいまなにを思っているのかさえわからなくなってしまう。そんな浮き立つような気持ちを前に、いつまでも意地を張りつづけるなど、できるはずがなかった。そんな気持ちは、いつしかすっかり溶け消えてしまっていた。

(望月がそう言うのなら……なれるだろうか。私は、望月のそばにいるのにふさわしい存在に。なれるだろうか……)

 そうしてわき上がってきたのは、切ないほどの希望だった。

 本当にそうなれるかどうかまでは、わからない。しかし、望月がそうまで自分のことを認めてくれているというのなら、できるかぎりのことはしなければならないと、やってみるしかないと、そんな気にさせられる。

「すまない、望月。ありがとう。私はまた、がんばってみせる」

 ふりかえりながら言うと、笑顔でうなずく望月と目があった。やわらかく、包むように変化していた腕の感触が心地よい。

「そうそう、その調子。そうやって、だれよりもがんばって強くなってきたのが長月なんだから」

「おまえに言われると、なんだかくすぐったい気分だ」

「長月は、もっと自分のいいところを知っておくべきなんだって」

 言い聞かせるように肩をたたいて、望月は体を離していった。じかに伝わるあたたかさが遠ざかっていくことには名残惜しさも覚えたが、だからといって未練がましくそれを求める気持ちはもう存在しない。降り注ぐように与えられたやさしい言葉が、いまや弱気の入りこむすきもないほどに体を包んでくれていた。

(もう、大丈夫。私はまた、戦える……はずだ)

 力強くうなずいて感謝すると、例のごとくひらひらと手をふりながらおどけられた。

「まあとにかく、長月を本来の調子に戻してあげるのが、ひとまずのあたしの仕事。そっから先は、長月しだいだからね」

 そう言う望月の表情は、その先で待っていると言わんばかりだと、長月は思った。そんな言葉を向けられて、いつまでも浮ついた気持ちではいられない。絶対にその期待に応えてみせなければと、緊張を覚えながらも力強くうなずいてみせた。

「ああ。おまえには、これからまた、頼りにさせてもらう。その……おまえが、迷惑でなければ、だが……」

 だが、対する望月の返事は、長月が期待していたものとは、少し違った。

「なに言ってんの。いいに決まってるっしょ。長月がしっかり調子を取り戻すまではなにがなんでもつきあうからさ。長月は、あたしをいいように利用してくれればそれでいいよ」

 にへらと笑って、望月は言う。その表情に、長月の心はずきりと痛んだ。

(そんな顔をしてほしいんじゃ、ないんだ……)

 びくびくすることなく望月と目を合わせれば、こちらを見つめるその表情は、こちらが信頼を伝えるたびに、どこか目線をそらすようにしてから言葉を返してくる。

 いつまでもそんな顔を見てはいられなくて、長月はうつむいてくちびるをかむ。感情的な言葉がのどまで出かかるのを、寸でのところでこらえて押し黙る。

(それでは、だめなんだ。また、望月にいやな思いをさせてしまっては……)

 思い出されるのは、先ほどのけんかのときの、摩耶たちのことだった。彼女たちは、強くなりたいと、ただ大切な人を取り戻したいと、その一心で強硬手段も辞さずに行動していた。その標的にされた自分たちとしてはたまったものではなかったが、その一方でそうまで思いつめられる気持ちにはただ恨んでばかりもいられないものがあるのも事実だった。

(摩耶たちは、強くあろうとしていた。そして実際、強く……見えた。今の私などよりもずっと、ずっと……)

 手段は正しいとはいえなくとも、それは間違いなく、長月の目指すべき姿の一端を現すものであった。

 ならばと、長月は固くこぶしを握る。

(ならば私も、変わらなければ。自分勝手な私のままではなく、もっと、強くならなければ。ただお情けでともにいさせてもらうだけでは、だめなんだ……)

 静かな決意が、長月の胸に去来する。

 そうして、挑むような目を望月に向けたかと思うと、次にはそっと片手を開いて差し出した。

「こちらこそ、おまえをまたがっかりさせてしまわないように、気をつけるから。おまえの手をわずらわせなくてもいいくらいにしっかり、してみせるから。おまえが飽きてしまうまででいい。それまででいいから、どうか、私を見守っていてくれ」

 望月は差し出された手を見て、困ったような顔をした。しかし、だめだっただろうかと、弱気に駆られて尋ね直してみると、最後には苦笑しながらその手を取ってくれた。

「まあ、長月には、あたしなんかよりよっぽど頼りにすべき子がいると思うんだけども……」

「おまえがいいんだ。おまえじゃなきゃ、だめなんだ」

「……もう、しょうがないなあ、長月は」

 笑顔でそう言いながらも、望月の言葉の裏にはどこか、いずれ身をひこうとしているかのように感じられるものがあった。

 そんなことはしないでくれと、長月は今にも叫びだしたい気持ちでいっぱいだった。しかし、表面上はその気持ちをひた隠し、笑顔で望月の手を握り返していた。

(今は、それだけでいい。いつか、おまえにふさわしい強さを手に入れられたとき……そのときにこそ、私に遠慮なしに接してくれ。それまでに、私ももっと、おまえといるのにふさわしい存在に、なってみせるから……)

 そのときまでの辛抱だった。そのときにこそ、望月に仕組まれてはじまった二人の関係は、ようやく新たな一歩を踏み出せるようになるのだ。

 長月はそう信じながら、固く望月の手を握りつづけた。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラ(名前だけはのぞく)およびその現在のレベルは、長月75、望月75、摩耶33、鳥海33、加古33、青葉34、睦月32、榛名52、利根74、筑摩74。イベント終了後、一度もさわってませんでした。
 ひとまず、この二人を当初想定していた落としどころ(ちょっと変わってるかも?)までたどり着かせることができました。いえ、正確に言うと、当初は本当に二人の回の一回目での話くらいしか頭になかったはずなので、そこからさらに続けようとしたときに思い描いた着地点でしょうか。これからというところだとは思いますが、自分としては、この二人の話はこれでおしまいにするのがいいかなと思っています。ちとちよ同様、この先は書きたい方向性が特にありませんので。(ちとちよに関しては、今回、最初書き上げたときにはその後の様子として千歳が登場してもいたんですが、この二人の話としては必要性のうすい場面かなと思えたためカットしてしまってたりします。今後の出番はやはり不明)
 公式でも二次創作でも見かけたことのない組み合わせであり、自分としてもいつどこで目をつけだしたのかすでにわからなくなっている二人ではありますが、いろいろと妄想しているうちに今ではこの二人はこの組み合わせが一番と思えるまでになっています。二人を同じ艦隊に編成しているとだいたい先にやられるのが長月になってるような気がするところとかも含めて、おもしろい二人です。
 ともあれこれで、あとは残るとねちくを……というところ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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