2015年02月07日

艦これ、北方海域並びに西方海域攻略進行中 その2(の続き)

 以下、一つ前の記事の続きです。


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「ねえねえ、長月。千歳さんと千代田のことなんだけど……」

 それから十日あまりののち、食堂で夕食をとっていると、長月に話しかける仲間の声が聞こえてきた。あまりしょっちゅう同じ席についていては仲間たちに自分たちの関係をあやしまれてしまうからと、望月はわざと離れた席でそれを耳にしていた。

(あれは……)

 そちらを向いた望月の目が長月のとなりにとらえたのは、自分や長月と同じ黒の水兵服に白いタイ、そしてそれら無彩色の衣服に対をなす金色の髪を持つ少女だった。その名を皐月という。

「え、知らないの!? どこもその話でもちきりなのに?」

 その皐月は、信じられないという驚きをあらわに声を大きくしていた。そこから、望月も交わされたであろうやりとりを察してぽかんと口を開けてしまった。

(長月、知らなかったの? ほんとに?)

 望月には、聞こえてきた皐月の言葉だけでも十分に内容を推測することは可能だった。というより、わからないほうがどうかしているくらいの話題である。

(あの二人、前からうわさは出回ってたけど、デマかと思ってたら……)

 今、千歳と千代田の名前が出てくれば、それはすべて二人が付き合いだしたことについての話であった。しばらく真偽不明のままうわさだけがささやかれていたのだが、つい数日前、必死に否定を続けていた千歳がとうとうそれを認める発言をした。また、それ以降では、千歳が千代田を気にかける様子や千代田が千歳に甘えかかる様子にも、それまでには見えなかった特別な関係の者同士らしい雰囲気を見出せるようになっていた。うわさ話だけで盛り上がっていた面々が、それらに接してさらに活気づかないはずがない。今の関係になったのはいつからなのか。どうして姉妹であるだけでなく恋人にもなろうとしたのか。二人の関係はどこまで進んでいるのかなどなど。二人を見かけるたびにあれこれ質問しては、さらなるうわさにつながる想像へと思いがはせられていた。そんなうわさの的になっている中を、千代田は皆の前に姿を現すのも恥ずかしそうに、千歳はおかまいなしにとにかく千代田といられることに満足そうに、日々を過ごしている。

 ここのところ、仲間が集まってする話題といえば、ほとんどがこれだった。任務や演習ばかりの単調な日々の中に持ち上がった一事であるだけに、みな異様なまでの食いつきを見せている。

(だから、いくら長月でも知ってるもんだとばかり思ってたけど……)

 しかし、長月は初耳だと言ったのだろう。

(興味ない話にはとことんうといところあるから、単に聞き流してたとか……?)

 そう考えてみるが、これほど勢いづいている話をそんなにも耳に入れずにいられるものだろうか。望月は首をひねらずにはいられなかった。

(最近、どうもふだんから上の空になってることが多いような気がしてたけど、もしかしてそのせいだったり……?)

「望月、どうかしたのー?」

 そうしていると、向かいの席から声をかけられた。

「ああいや、なんでもない」

「そう?」

 向き直った席についているのは睦月だった。その表情は納得したのかしてないのか、あいまいな笑顔を浮かべながら望月を見つめている。いつものようなにこにことした顔でありながら、ここのところしばしばそうであるように、その目つきには油断のならないなにかが潜んでいるように思われた。

(いけない、いけない。ついぼーっとしちゃってた)

 いっしょに食事をしていたことをうっかり忘れてしまっていたことに苦笑しながら、望月は頭をかく。

「いやあ……みんな、あきないもんだなーって」

 先ほど声の聞こえた皐月のほうをちらりと見ながら言うと、睦月はすぐに察しがついたらしい。

「千歳さんと千代田のこと? それは……やっぱり、気になるじゃん。恋人同士になったのって、二人が初めてなんだし」

(そうそう。他のみんなは、これくらいにぱっとわかってくれるものなんだけど……)

 心中でうなずくと、望月は湯呑みに口をつけて睦月に視線を戻した。

「まあねー。けど、他人のことあれこれうわさしあったってなんにもならないじゃんか


「えー? 楽しいじゃん。睦月たちもいつか誰かとあんな風になれるのかなって、想像してみたりとか……。それとも、望月にはもうそういうお相手がいたりするのです?」

 きらきらとした目を向けてくる睦月に、望月はどう答えたものかと、つかの間、頭を働かせる。

(ほんとのこと言うわけにはいかないけど、かといって……)

 純粋に頭に浮かんだ疑問をなんでもないように口に出した風な睦月だが、注意して見ると、その目にはどこかこちらの表情を探っているような色がうかがえた。

(これは……ある程度、あたしと長月の関係を勘づかれてるとみるべきかな?)

 睦月は、同型艦の一番艦としての自覚からか、誰よりもみなのことをよく見ている。そんな睦月に対して、いつまでも長月の変化を隠しとおすのは無理だろう。そして、長月に異変が感じ取れたとして、まっさきに疑われるのは、少し前から急に接近した自分であるということも、望月にはわかっていた。

(でも、確信があるわけじゃなさそうだよね。あたしが長月にしてること知ってたら、探り入れる前に怒られてそうだし)

 結局、望月は無表情でひらひらと手をふってみせる。

「あたしはそんなの、柄じゃないって」

「そうかなー。望月って、けっこういろんな子に好かれてるから、そういう相手も作ろうと思えば作れなくはないと思うけど?」

 なおも食い下がってくる睦月だが、望月はどうでもいいという態度で応答を続けていく。

「やだよ、めんどくさい。というか、なんで女同士が前提なのさ」

「だって、望月といえば、いたいけな女の子をふとんに連れこむ常習犯なのです」

「そんな、人をろくでもない女好きみたいに言わないでよ。そりゃ、言葉にするとそのとおりなことした仲間も何人かいるけどさ、ただいっしょにごろごろしてただけで、それ以上はなんにもしてないんだから」

「それはわかってるけど、だからこそあやしいのです。最近は、長月をその標的にしてるんじゃないかって、睦月は疑ってるのです」

「ああ、それね……」

 とうとう踏みこんできた睦月の言葉にも、望月は今思い出したかのようにめんどくさそうにしてみせる。

「長月とは、まあ確かに、いっしょにいる機会は増えてるけどさ、同じ教導艦としてってやつだよ。北方海域への出撃で行き詰ってたときから習慣になってるの。あっちとこっちの情報すりあわせるのが」

「むむ……そうなんです?」

「そうそう。長月も、一時期は相当参ってたからさ。あたしだってたまにつきあげくらったりしてたし、早く終わらせるためにはって、必要に駆られてってやつ?」

 それには睦月も思い当たるところがあったらしい。そっと目を伏せて表情をくもらせる。

「確かに、あの頃は睦月も風当たりを感じてたのね。長月がそんなに悩んでたのに気づけなかったとは、睦月、一生の不覚……」

「そんなおおげさな。長月って、自分の弱み他人に見せないようにしてるとこあるし、しかたないって」

 うまくごまかせたと感じた望月は、ぞんざいな調子で睦月をなぐさめる。

(ま、長月が参ってたのって、ほとんどあたしのせいなんだけど)

 内心で苦笑しながら、望月はわざとらしくならないように話題をそらす。

「それに、睦月はいっつもそうやってあたしたちに気をつかってくれてるんだから。むしろ、睦月のほうが浮いた話の一つや二つあってもいいんじゃないかって、あたしは思うんだけどもね」

 にやにやしながら言ってみるが、睦月はきょとんとするだけだった。

「へ? む、睦月にそんな話なんて、あるわけないじゃないですか」

 望月にも睦月に想いを寄せる仲間の心当たりはなかったが、誰かの名前をあげてみるとどんな反応をしてくれるのか、ためしてみるのも面白そうだった。

「たとえばさ、よくいっしょにいる如月とか、それとか、あっちにいる皐月とか、近くにいる暁とか、白雪とか……」

「睦月は、うるさがられてることはあっても、好かれることなんてそうそうないのです。それに、睦月はみんなのおねえさんだから、そんな関係になるのは許されないのにゃー」

 しかし、答える睦月の調子は直前のとまどった様子から一転しておちゃらけた調子だった。煙に巻くようなその態度にはなにかあったのではないかと思わせるものもあったが、かといってあまり深くつっこみすぎるとふたたびこちらに跳ねかえってきかねない。望月はそれだけわかったことを収穫に、泥沼にはまる前にこの話題を打ち切ることにした。

「ま、そっか。ほかにそういう話がないからこそ、あの二人が話題になるんだよね」

「そうだよね」

 しみじみとうなずきあうと、望月と睦月は二人、そうして意味のあるようでない話を交わしつづけた。




 その後、食事を終えた望月は部屋でのんびりと過ごしていたが、しばらくして示し合わせていたとおりにこっそりと資料室に入室した。すると、予定の時刻をすでに回っていたこともあり、長月が机の上に資料を広げて待ち受けていた。

「望月、ようやく来たか。今夜はもう来ないものかと思ったぞ」

 ぱっと顔を輝かせたかと思えばくちびるをとがらせる長月の様子は、望月の目から見てとてもわかりやすく、こんなだから睦月になんとなく気づかれてしまうのだろうと納得させられるものがあった。そんな長月とまともに取り合うのがいやで、望月はぞんざいに眠気の残る目をこすりながら相手をする。

「いきなりなに言いだすかと思えば……これまでにあたしが来なかった日なんてあったっけ?」

「それは……ない、が……」

 なにやらもごもごと言いだした長月を無視して、望月は長月の向かいのいすを引く。

「そんなことより、詳報図の作成はどんな感じ?」

 さっさと話を先に進めると、長月はため息をつきながら手もとを示してみせた。

「書きかけのものはこんなところだ。おまえの来るのが遅いものだから、私のほうはもうそれなりに進んでいるぞ」

 責めるような声にそちらを見れば、確かにもう所定のいくぶんかが埋められている。ここからでは、長月よりも早く自分の分を終わらせることは難しいだろう。望月はばつの悪さを感じて頭をかく。

「んー……ちょーっと、寝過ごしたかな? いやあ、食べるだけ食べたら、なんだかうとうとしてきちゃって」

 悪い悪いと軽く謝るついでに、ぱっと見て目についた誤りを一つ二つ指摘する。すると、長月はこちらの遅刻をとがめようとしていた態度も消え去って、面白いように顔を赤らめてあわてた姿を見せてくれた。

(こうしてみれば、長月ってば扱いやすいんだけど……)

 あまり長月が人前で不自然な言動をとるようなら、いつまでも遊んでばかりもいられないのかもしれない。そんなことを考えながら、望月は黙々と自らの分の作業に手をつけはじめた。

 自分たち以外の仲間の動きはすでに反省会で聞きだしてある。そのときに取った長月の書きつけも参考にしながら、一ヶ所ずつ手がけていく。

 望月がしゃべらなければ、長月のほうから話しかけてくることはあまりない。ときおり確認のための声がはさまれることはあったが、資料室での二人の夜は静かに更けていく。

 暦としてはすでに師走。あれほど苦戦を重ねていた北方海域への出撃任務ももはや過去の話となりつつあった。

(あれはあれで、ある日突然、成功できちゃって、むしろこっちがびっくりしちゃったくらいなんだけど……)

 あの日は、確かに朝の演習から異様に調子がいいと感じてはいた。しかし、あれほど苦戦を強いられていた敵戦艦率いる部隊にすら、十分に余力を残したうえで勝利を収めることができてしまうなど、前日までの苦戦を考えれば、楽観的な自覚のある望月をしてもできすぎではないかと思えてならなかった。

(あんだけうまくいっちゃえば、次の敵部隊の強さは、一、二回戦っただけだけど、たかが知れてたし、勝てないほうがどうかしてるってくらいだったよね)

 敵の攻撃はほとんど当たらず、逆に味方の攻撃は面白いように有効打を与えつづけた。結局、暁が大破相当の負傷をこそしたものの、こちらの被害といえばほとんどそれくらいで、戦果としては敵旗艦を含む四隻を撃沈。見事なまでの勝利を収めることができた。

(今ふりかえっても不思議なくらいの戦果だよ、ほんと)

 あれほど失敗を繰り返させられた任務がこんなにあっけなく終わってしまっていいものかと思ったほどだが、どれだけ探っても新たな敵部隊が発見されることはなかった。報告を受けた司令官も、それにて望月たちに任されていた北方海域の作戦は成功であるとの判断を下し、つづけて西方海域での作戦へと重点が移されていった。

(なんか、だまされた気分だよね)

 来る日も来る日も挑みつづけた任務があんなにあっさりと過去のものになっていくということが、望月には面白くなかった。南西海域においても、壁を越えたと思えばすぐに北方海域での作戦に推移していくことになったのだが、あのときはまだ、任務成功の達成感とそれを喜びあう仲間たちの間に何日も冷めやらない余韻があったように記憶している。それに比べて北方海域での任務成功のあとでは、南西海域よりも悩まされた期間は長かったにもかかわらず、みな驚くほど淡々と次の作戦へと頭を切り替えていったのだ。

(そりゃさ、確かに、ちょっとばかり時間をかけすぎたとは思うけど)

 最初に作戦が発令されてから成功を収めるまでには、ゆうに二か月半もの月日がかかっていた。その間、出番を与えられない仲間たちの不満はふくれあがり、望月も無能のそしりを受けることが一度ならずあった。

(あれでも、部隊のみんなはびっくりするくらいの活躍をしてくれたんだけども)

 戦艦率いる敵部隊や、その次の戦いも含めて、あれほどまでに敵の攻撃をかわしまくってみせるなど、望月にとってさえそうそう再現できるものではない。あのときの仲間たちにとってみれば、何百回と繰り返してようやく一回できるかできないかというくらいの奇跡的な動きだったようにまで見えたのだ。そんな仲間たちですら、周りの空気に引きずられ、自分たちの手柄を誇るでもなく、駆逐艦同士や仲のいい仲間たちだけで静かに祝いあっただけだと望月は知っていた。

(ま、それでいいなら、とやかく言う筋合いはないけどね)

 望月自身は、納得しきってはいないながらも、後日、長月にこの場所で、少ない語彙によって思いつくかぎりのつたない賞賛と、羨望の中にうっすら嫉妬の混じるまなざしを向けられたことで、いくらか満足できていた。そうである以上、もともとそんな熱意もないため、他人のことに口出しする理由はなかった。

(長月一人でまあいいかって思えちゃうんだから、あたしも安上がりだよね)

 そんなことを考えながらも手はしっかりと動かされ、図はどんどんと書きあげられていく。一枚目を書き終えると二枚目、さらに次へと移っていく。

「ふぃー……っと」

 疲れを覚えた望月が時間を確認すると、もうすぐ消灯前の夜回りが始められそうな時刻になっていた。

「ちょっとお茶でも飲んでくる。長月は、どう?」

「わ、私も……いっしょに行っていいのか?」

 席を立ちながら声をかけてみると、長月はおずおずと期待に輝かせた目を向けてきた。予想できたとはいえ、あまりにもわかりやすすぎる反応に、望月はため息をついた。

「だめに決まってるでしょ? 長月といっしょにいるところを見つからないようにするためなんだから。いつものことなんだし、それくらいわかってよね?」

「いや、今日はどこか誰かに見つからない場所でやりすごすのかと……」

「あのさ、長月。その間に作業が止まっちゃったら意味ないっしょ? ただでさえ長月は手が遅いんだから」

 そう言って作業の進み具合においてかなり差を詰めている自分の分を示すと、長月は悲しそうに顔をゆがめた。そして、うなだれるようにまた図を書きつけはじめるのだった。

「それじゃ、またね」

 そんな長月の様子をたっぷりと楽しむと、望月はひとときの別れを告げて資料室をあとにした。


 資料室を出ると、望月はうす暗い廊下を歩いて食堂へと向かった。

 就寝時間になる前であれば、食堂はいつでも利用することができる。ただし、規定の食事時間以外は当番がいないため、準備から片付けまですべて自分の手でしなければならないのだが。

 とはいえ、お茶ぐらいなら、誰かが飲もうと用意しているものがあるはずだ。望月はその厄介にあずかるつもりでいる。

(さってと、今夜は誰がいるかな……?)

 そっと食堂の扉を開けると、そこには深刻そうに顔をつきあわせている二人の仲間の姿があった。

「あれは……」

 それは、ふだんからよく話もする同室の仲間たち、皐月と文月だった。どうやら二人はまだ望月に気づいてはいないらしい。重たい空気が漂わせるその雰囲気を見て、望月はふといたずら心を起こした。

 にんまりと笑みを浮かべると、望月は忍び足で彼女たちに近づいていく。机を陰に、慎重に距離を詰める。そして、十分に近くまで寄ることができたと判断できたところで、死角からいきなり声をかけた。

「たのもー」

「うわっ!?」

 びくっとして驚きに染めた顔をこちらに向けてくれた二人に、望月はしてやったりと笑みを濃くした。

「やあやあ、ご両人。どうしたの、むつかしい顔して? なにかあったなら話くらい聞くよ? お茶でも一杯ひっかけてる間にさ」

 言いながら、返事を聞くこともなく二人のとなりの席に着くと、あっけにとられたようにこくこくと首を縦にふることで答えが返ってきた。望月はそんな二人の顔を見比べてそっくりであることを確認すると、ついに笑いをこらえることができなくなった。

「あっはっは……いや、二人とも……期待どおりの反応、ありがとね」

 皐月の肩を叩きながら言うと、さすがに調子に乗りすぎたか顔をしかめられてしまった。

「もう……望月って、すぐそうやって人をからかうんだから……」

「ほんとにー。びっくりしちゃったよー」

 ほおをふくらませる二人に、望月は神妙な態度を取る。

「ごめんごめん。謝るから、いっしょにお茶でも飲ませてよ」

「まあ、望月だし……べつにいいよ。消灯までたぶんあんまり時間ないけど、それでもよければね」

 いいよと言いながらもへそを曲げてしまったのか、皐月は仏頂面を浮かべていた。一方の文月は望月を歓迎する様子を見せてくれた。そして、そっぽを向く皐月に提案するように言う。

「ねえねえ、皐月。これってさー、ちょうどいい機会なんじゃない? 望月に聞いてみようよー」

 二人の話題はどうやら望月にもかかわりのあることだったらしい。なにかこの二人が話しこむようなことをしていただろうかと心当たりを探るが、同室であるだけにふだんから接する機会も多く、とても一つにしぼりきれるものではない。望月は早々に考えを放棄して質問を待つことにした。

「ほらほらー。皐月、あんなに心配してたじゃない?」

 その間も、文月は皐月に声をかけてうながすが、皐月はひき結んだ口をなかなか開こうとしなかった。

 よほど重大なことなのだろうか。そう思えてくるのだが、そうなると逆に思い当たる記憶はなくなっていく。ここのところの望月といえば、長月とならあれこれあるものの、皐月や文月とはそれほど特別なことがあったとは思えないのだ。

(さて……なにがあったんだろね?)

 皐月が強情を張れば張るほど、むしろその内容に興味がわいてきた。

「望月ならきっと知ってるんだから、悩んでるくらいなら聞いちゃおうよー?」

 迷う皐月を勇気づける文月とのやりとりをながめていると、眉根を寄せていた皐月の顔から徐々に力が失われていくのが見て取れた。そうして、ついにはへの字に曲げられていた口もとが開き、あきらめたように大きく息がつかれた。

「ねえ、望月……。最近、長月の様子がどうもおかしいんだけど、何かその理由に心当たりはある?」

「へぇ……?」

 お茶を飲んでいるときでなくてよかったと、望月は心の中で安心した。そんなときであったならば、お茶が変なところに入ってむせかえっててしまっていたことだろう。それほどの驚きを生じさせる問いだったのだ。

(睦月につづいて、皐月もなの!? これ、まじでそろそろ隠しきれなくなってるのかも……)

 思い返してみれば、皐月もよく長月のことを気にしていた風に取れる記憶がなくもない。望月の想定としては、睦月の次に気づく者が現れるのには少し間があるだろうから、そのあたりが次の対策の考えどきになるかと思っていたのだが、このままでは手遅れになってしまいかねない。

「長月がおかしい……ねえ。どのへんがそう思うわけ?」

「うーん……そう言われるとうまく説明できないんだけど、雰囲気……かな? なんか、ぼーっとしてることが多くなったように思うんだ。さっきの夕食のときだって、話しかけてはみたものの、ほとんど上の空で、ああとかうんとかくらいしか答えてくれなかったんだ……」

 どれほど勘づいているのかと探りを入れてみると、皐月は長月がどこか別人のようだと、それに気づいている者が自分しかいないらしいのが不安であると、ぽつぽつと話しだした。

「そりゃ、長月にとっては興味のないことだったかもしれないけど、あんなにあからさまに人の話を聞いてないそぶりをするような性格じゃなかったはずなんだ。それに、上の空になってる時間はだんだん増えてきてるし……」

(やっぱり、わかっちゃうか……)

 話をうながすように相づちをうちながら、望月は内心で苦いものを感じていた。皐月が口にしたのは、望月としても懸念していた点だからだ。長月自身にも自覚を持って気をつけてもらおうと注意をしてきながら、けれど、少しずつの変化ならばそれほど不審にも思われないのではないかと楽観視している部分があった。しかし、わかる者の目には違和感を隠しきれないものであるらしい。

「それと、これがいちばん不思議なんだけど……」

 皐月はさらに続ける。

「上の空になってるのって、出撃中でも珍しくないことなんだ。それなのに、戦闘が始まると、すきを見せるどころか、出撃を重ねるたびに戦果を上げてってるんだよ。あれって、なんというか……まるで、事前に誰かから指示を受けてるみたいで……」

(そんなことまで……!?)

 それは、望月にとって、予想外の指摘だった。自分がいっしょに出撃しているときにはそんな様子は見られなかったし、詳報図からもそんなことは読み取れなかったはずだった。

(いや、待てよ……?)

 しかし、よく記憶を探ってみると、手がかりらしきものはなくもなかった。

(いつぐらいからだったか、詳報図にミスがちょこちょこ出るようになってきたけど、あれはつまり、ぼーっとしててよく覚えてないものだから……?)

 気づいたときにはそれが当たり前になっているような変化だったために、完全に見過ごしていたらしい。自分以上に敏感に長月の変化を感じ取っている皐月に、望月はあせりを募らせた。

(これはちょっと、腹をくくらなきゃいけないかも……)

 望月は腕を組んで、なにやら考えこむそぶりを装う。そうして、皐月の話に同意を示すようにうなずきながら、こちらからも聞いてみる。

「なるほどね……言われてみれば、そう思えるところもなくはないかも。けどさ、そこまでわかってるなら、どうしてあたしならその理由を知ってるかもなんて思ったのさ? 話聞いてるかぎりだと、皐月のほうがよっぽど長月のことに詳しいって」

 望月が警戒していた睦月よりもよっぽどに、とまで口にすることはなかったが。

「えー? だって、望月って、最近長月と仲いいじゃないー?」

 答えを返してきたのは文月だった。そしてその口調は、決まっていると言わんばかりだった。皐月もそれに同調して言葉を続ける。

「そうだよ。ボクとは違って、望月になら、長月も気を許してるところがあるように見えるんだから」

 それは、以前にも誰かの口から聞いたのと同じような理由だった。まだ自分たちに近しい仲間から言われただけにすぎないが、どうも自分と長月は仲がいいというのが周知されつつあるらしい。望月としても、それ自体は別にいい。自分たちの本当の関係をごまかすのには都合がいいからだ。しかし、皐月の指摘からは明確な危険を感じとらずにはいられなかった。

「うーん、そうかなあ? 確かに、以前より接する機会は増えたけど、そんなにとびぬけて仲がいい実感はないんだけども……」

 疑わしげに二人の顔を見回してみるが、二人ともそんなことはないと繰り返すばかりだった。望月はそれを受けて、そうなのかもしれないという体で考えこむことにした。

(二人の話と、それから睦月とのも合わせてみると……)

 つまるところ、今の長月は、よく見ている仲間にはそれとわかるくらいには変わっているらしい。文月も、同意はしなかったものの否定もしてこないことから、それ以外の仲間もうっすらとそう感じだしているのかもしれない。それでも、その理由までたどり着きそうな者はまだいない。最近仲がよく見える自分の影響も疑われはしているようだが、それについては睦月のときのように、まだ十分にごまかしの利く範囲内だ。それならば、直観的に長月の変化を指摘してくる皐月はあなどれないが、決定的な証拠まではつかまれていないのだし、まだなんとかなる状況だろう。

 望月は、二人にことわって自分の茶を用意しに行きながらさらに考えをめぐらせた。そうして、二人のもとに戻ると、皐月の懸念を正解から意図的にずらすべく話しだす。

「そうだね……いろいろ思い出してはいるんだけど、長月って基本的に一人で考えて行動してくやつだから、それっぽい記憶がなかなか出てこないんだよね」

 そう言って、望月は湯呑みに口をつける。

「全然、一つも……なのかい?」

「うーん……どうも、以前は長月のこと苦手で避けてたから、昔のことをあんまり覚えてなくて、むしろ最初から今みたいだったような気もしてくるありさまで」

「そういえばそうだったよね。じゃあさ、なんで今はそんなに仲よくなってるの?」

「その『仲がいい』については、さっきも言ったみたいに、あたしとしては、昔と比べたらってくらいのもんだと思ってるんだけども。それはそれとして、きっかけは北方海域への出撃。あのとき、あたしも長月も、相当行き詰ってたから、任務成功のためにも関係する情報を共有しようって。そうこうしてる間にまあまあ話のできる仲になってたってわけ」

 昔のことを思い出している体で説明していくと、文月は意外そうな表情を浮かべた。

「そういうことだったのー。望月って、長月と性格合わなさそうだから、なんでだろうって不思議に思ってたのー」

「あっはは……。まあ、あたしも不思議だけどね。もともと怒られてばかりだったし。けど、実際にいろいろ話してみたら、案外話せる相手だったってとこ」

 そう言うと、文月は納得したようにうなずいた。それに対して、皐月は表情をくもらせたようだった。

「北方海域……ちょうど、長月がおかしくなりだしたころのことだよ」

「皐月は、それがあたしのせいだって思ってる?」

 ふと思い立って聞いてみると、皐月はあわてたように首をふった。

「そうじゃない……けど、そのころになにかがあったと思うんだ」

「もし、あたしがなにかしてたら、どうする?」

 面白そうだと思った望月はさらに試すように問いかける。すると、すっと、皐月の目が細められた。

「それは、心当たりがあるってこと?」

 鋭い視線を向けられた望月は、苦笑して手を広げてみせる。

「いやいや、ないよ。けど、もしもの話だよ? もし、あたしがなにかかかわってたとしたら……?」

「そのときは、望月を絶対に許さない」

 そう言う皐月は、まるで仇を見つめているかのようだった。それを受け止めながら、望月は背中にぞくぞくとした快感が走るのを感じていた。

 しばし、誰もまばたき一つしない沈黙が訪れた。

 水場から届くぴちょぴちょという音だけがその場を流れていく。

 望月と皐月はにらみあうように向かい合い、そんな二人を文月ははらはらと見つめていた。

 どれだけそうしていただろうか。身じろぎすればその音さえ耳に入りそうな静けさに包まれた食堂に、その扉の開く音が響いた。

「はーい、消灯時間です!」

「すばやく片づけをすませて、部屋に戻ってください」

 見回りに来た、当番の吹雪と白雪だった。

 その声にはっと我に返った三人は、緊張が解けたのを機にそそくさと湯呑みを洗い場に返しに行く。その途中、文月が望月に小さく声をかけてきた。

「ねえねえ、さっきの話、冗談だよね?」

 心配そうなその声音に、望月は安心させるように笑ってみせた。

「そうに決まってるじゃん。あたしが長月になにかして、それでなんの意味があるっていうの?」

 しかし、そう言い聞かせたのちにも、文月はほっと胸をなでおろす一方で、皐月は考えこむようなそぶりをしつづけていた。


 ひっそりと資料室に戻った望月は、見回りも過ぎたあとの静かな部屋で詳報図の作成を再開した。記憶とメモをもとに位置関係を推測し、定規を当てながらさらさらと書き記していく。

 茶を飲みに行くまでにそれなりのところまで進めていたので、それほどかからずに終わるだろうとの心積りであった。ちらりと確認した長月の進度を見れば、終わるのはやはり長月のほうが早いだろうと判断できるが、長月にはそちらのほうで反省点を考えておいてもらえばいい。

(あたしは、長月との関係をどうするかも考えないと……)

 図を書きこみながらも、望月の頭はせわしなく働かされていた。

(そもそも、あたしが長月に何を求めてるかっていうと、あたしを楽しませてくれることなんだよね)

 望月には、長月に対して、千歳と千代田が互いを求めあうような気持ちの持ち合わせなどなかった。ふだんは口うるさいくせにつついてやればすぐに表情をころころと変えるのがおかしくて、その心の底に隠された情けなさを暴き立てるのが面白くて、だからこそ気に入って自分だけのものにしていようと画策している。それだけのことなのだ。それがべつに長月でなければならないという理由はなにもない。

(けど、ほかにあてがあるわけでもなし、なくしちゃうのは惜しいからね)

 長月との関係がばれてしまうことをおそれるのも、すべてはその思いからだった。毅然としている長月は生半可なことでは崩れないほどに強い。けれど、ひとたびもろさを露呈しだすと拍子抜けするほどの弱さを見せてしまう。その落差こそは望月の愛するところであったが、あまり弱いところが常態化してくると、それはもう求めるものではなくなってしまうのだ。そして、望月の見るところ、長月は自分と接しているうちにだんだんとふぬけてきていた。

(たまに言い聞かせてきたつもりだったけど、全然足りなかったかな?)

 いっそのこと、しばらく長月と口をきかないでやるのもいいかもしれない。それとも、もっときついおしおきをしてやるのはどうだろうか。考えてみるが、どれもあまりいい手段とは思えなかった。今の長月に必要なのは、うやむやのうちに済まされてしまいそうな半端なものではなく、もっと目の覚めるような荒療治でなくてはならないと思えるのだ。

(最悪、長月と手を切るのも、選択肢としてはありかな?)

 望月のことをあやしいと思う仲間はいても、確信を持って糾弾してくる者はまだいない。今ならば、ひっそりと関係を断ち、自らは無関係を装う工作をすることも、不可能ではないだろう。

(ま、あたしがしたことがばれたって、長月が取り返しのつかないことになってるわけでもなし。さんざん怒られるかもだけど、せいぜいそのくらいっしょ)

 それはそれでめんどくさいのだが、今だってよく思われていない者からはさんざんに評価されているのだ。そのうえに嫌われる相手が何人か増えるくらいはどうってことない。

(だから、ここは長月しだい……かな?)

 あれこれと考えているうちに、望月の分の図は完成を迎えた。望月は大きく息をつき、根を詰めてこわばっていた体をほぐすように肩をぐるぐると回す。

「望月も終わったようだな」

 長月は茶を飲みながら望月の作業が終わるのを待っていたらしい。望月が持ってきていた湯呑みを盆に戻すと、さっそく次の出撃に向けた反省点の列挙をうながしてきた。望月はその問いをそのまま長月に返す。

「いや、あたし、今、終わったとこだし。先に終わってた長月のがあれこれ考えれてるっしょ?」

「まあ、それもそうだな。まず……」

 そうして長月は、大は二隻大破から小は魚雷の不発まで、両手に余る反省を並べだしていった。

 しかし、その内容は望月の気に入らないものばかりだった。確かに、数多くのいたらなかった点をあげ、改善点まで提案することはできているのだが、それらはすべて、帰投後の反省会の時点ですでに指摘されていたことでしかなかったのだ。

「あのさ、長月。そんなわかりきったことだけじゃなくてさ、もっとほかにもあるでしょ? そうでなきゃ、なんのために時間かけて図まで作ってるのかわかんないじゃん」

 手もとのノートから目を上げて言うと、長月はさっと目をそらした。

「それが、だな……」

「まさか、一個も浮かばなかったの? あたしなんて、書いてるだけでもぽんぽん浮かんできたのに……」

 そうして、それらを指折り口に出していくと、長月は素直に称賛を述べてきた。

「さすが、望月はすごいな。私にはとても追いつけない」

 その表情にくやしさは一片もなく、ただ諦観だけがそこに浮かんでいた。それを見た瞬間に、望月はどうしようもない怒りがわき上がってくるの感じた。

(あたしがこんなに長月のために頭悩ませてるっていうのに……)

「長月さ、そんなこと言って、前回も、その前も、そのまた前も、なんにも意見出さなかったよね?」

 言って、望月は机をたたく。その音が響くと同時に、長月はびくっと体を反応させた。

「それは……私のような、才能のない者が知恵をふりしぼったって、おまえが出す意見の前ではまったく無価値だと思うと……」

 あわててとりつくろうように口にされたその言葉は、そうであるがゆえに長月の本心の表れに思えてならなかった。

「だからってさ、あたしが誰のためにこんな遅くまでつきあってあげてると思ってんの?」

 本来ならばこの時間、望月はそろそろ寝ているはずだった。それを、眠いのをこらえながらわざわざめんどくさい作業を手伝っているのは、長月が自身の伸び悩みを気に病んでいたがために、せめてその助けになればという親切心からだった。めったに起こさない気持ちに、けれどなにかと楽しませてくれる長月のためにと思って手を貸しているのだ。それなのに、長月はまるでそれにおぶさりかかるようにこう言うのだ。

「それはもちろん……望月には感謝している。ここのところ任務での戦果が上り調子なのは、すべておまえの指示に従っているからなんだから。おかげで、失いかけていた自信も取り戻せてきているくらいだ」

 長月は、どれほど望月を頼りにしているかということを伝えたかったのだろう。しかし、望月が聞きたいのはそんなことではなかった。そんなことを言う長月が見たいのではなかった。

 少し前から長月に感じていた違和感の正体に気づいた望月は、自身の怒りに火がつこうとしているのを感じた。えんぴつを投げだし一つ舌打ちをすると、ゆらりと席を立つ。倒れたいすの音が室内に響くが、知ったことではない。

「ああ、そうなの。長月ってば、意見出さないだけじゃなくて、なんにも考えてすらいなかったの。ふーん。そうやって、考えるのはあたし任せにして、手柄だけは自分ががんばりましたって顔してるんだ?」

「ち、違う。そういうつもりじゃないんだ……」

 目に涙を浮かべながらあちこち視線をさまよわせる長月の様子が、余計に不快をあおった。この期に及んでもただこちらの顔色をうかがうばかりの態度が癇に障ってしかたなかった。

 一歩一歩、長月に近づいていくと、長月は顔をひきつらせながらあとずさる。

「それで、全部全部、あたしに丸投げしてる長月は、どの面下げてあたしに顔向けしてるわけ?」

 後退していた長月の背が、本棚にぶつかって行き場を失った。逃れがたいことを悟った長月は、必死で許しを乞うてきた。

「すまない、望月。わ、私が、悪かった。心を入れ替えるから……がっ!?」

 望月は、長月の言葉にかまわず、その首を両手でつかみあげた。

「も、もちづ……き……?」

「うるさい。どうせ長月なんて、口ばっかで、全然反省なんてしやしないんでしょ?」

 力いっぱいに首をしめながら、間近で怒りをあらわに言ってやると、否定しようとしてか、驚きに固まっていた長月はやにわに抵抗を始めた。初めは手首をつかんで引きはがそうとする程度のものだったが、しだいにこちらの腕を叩くようにもなってくる。

 しかし、それは望月の目にはやはり多分に甘えを含んだものに映った。

「長月、あたしは本気で怒ってるんだよ? なあなあで許してもらおうなんて思ってるなら……このままへし折ってやる」

 そう言って、首をしめる手の力をさらに強めていく。

 すると、ようやく望月の害意を悟ったか、長月の抵抗は力のこもった反撃へと様相を変えだした。

 腹へと膝がつきあげられる。顔を狙って拳もつきだされる。

 それを、望月は、あるいはいなし、あるいはかわしながら、いっさい力をゆるめることなく首をしめつづけた。そうしながら、低い声で告げてやる。

「そうだよ。せいぜい、抵抗してみせてよ。あたしにつっかかってくる意地もなくした長月なんて、なんの価値もないんだから」

 だんだんと息が苦しく命の危機を感じるようになってきているのだろう。長月の抵抗は容赦のない勢いを伴うまでになっていた。望月もしだいに防ぎきれなくなり、あちこちに打撃を受けるようになった。背後の本棚からは何冊もの本が降ってきて二人の頭を打つ。それでも望月は、手にこめる力だけはわずかもゆるがせなかった。

「ほらほら、長月。そんなんじゃ、死んじゃうよ?」

 見下した顔で言ってやると、力の乗った拳にほおを打たれた。一瞬視界が白くなり、遅れて痛みがやってくる。

(やってくれるじゃん……)

 だが、長月の抵抗はそれを境に徐々に力を失っていった。こちらを攻撃するよりも、ただ単に体をばたつかせるだけになっていき、目も望月をとらえられているのか、焦点が合わなくなっていくように見えた。

 そのことに、望月はこの程度なのかという落胆を感じずにはいられなかった。しかし、これはこれで楽しむことができた。心のどこかですっとする気持ちを感じながら、望月は長月の耳もとでささやいた。

「いい、長月? これはおしおきじゃなくて、警告だから。次はないよ?」

 そして、長月の体からはがっくりと力が失われた。




 寒空の下、月明かりに照らされながら、海は大きく波打っていた。人が飲みこまれてしまいそうなほどの高さをゆらゆらと、上がっては下がり、上がっては下がり、いつ果てるともしれずにうねりたつ。

 その海は、今、戦場となっていた。

「距離よし。これで、しとめる!」

 一秒たりとも定まらない狙いを無理やり合わせ、長月は主砲を斉射した。

「命中は……なし」

 確認するや、すぐさま装填していた次弾を撃ちはなすべく、狙いを修正しにかかる。

 その間に、敵の軽巡洋艦らしき艦からの反撃が飛来する。長月はそれらを悠々と回避したが、先ほどから徐々にその精度が上がってきているのが感じられてもいた。

「敵をしとめるのが先か、直撃をもらうのが先か」

 なんの感情も見せずにつぶやいた長月は、波を切って敵の艦隊を回りこみながら、船を進めていく。

 その長月のうしろに、やや遅れながらついてくる艦が一隻あった。重巡洋艦、高雄だ。
ほかの僚艦たちは、さらに後方で、敵の艦隊主力と激しい撃ちあいを行っている。もともとは、敵がそちらに気を取られているすきに、長月が単独で敵旗艦たる戦艦を強襲するつもりだった。しかし、長月が仲間たちの反対を押し切って部隊を離れると、無言で抗議するように高雄もついてきたのだ。

 それを思い出していると、敵旗艦の艦上で爆発が生じた。どうやら後方の味方の砲撃が当たったらしい。目を凝らしていると、主砲のいくつかにも被害を与えることができたのか、そこから放たれる火勢が衰えたことも確認できた。

(これなら、いける)

 長月は高雄を顧みることなく、さらに敵に接近する。

 夜闇に乗じてはいるが、すでにそれは身を隠す役目を終えている。今考えるべきは、ただ一つ。敵旗艦の撃沈、ないし無力化。その目的を果たすために、一秒でも早く目標に正確な照準を合わせることだけだった。

「次……!」

 素早く弾をこめて次々と十発以上の砲撃を行っていくが、直撃弾が生じる気配は遠い。見通しが立たないために着弾位置が正確にとらえづらく、経験で補ってはいるが、調整は困難を要した。放った砲弾が十を過ぎ二十を超え、いちいち数えていられないほどに撃ちあいを繰り広げても、いまだ有効打は与えられない。

 その一方で、敵の攻撃は直撃こそしないものの、だんだんと水しぶきだけでなく、爆風の余波までもが長月のもとへと届けてられるようになってきた。

「次……!」

 それでも、長月はあせりを覚えることはなく撃ちつづけた。あせりは狙いを狂わせる。長月は自らに課した役割を忠実に果たすべく、己のするべきことにのみ集中していた。

 敵の砲撃をかわす。反撃を行う。はずれ。よける。次の弾を用意する。狙いを修正する。回避する。撃つ。はずれ。かわす。

「くっ……!」

 敵の攻撃が、とうとう至近に集まりはじめた。だが、それとほぼ同時に長月の砲撃も至近弾らしきものを観測した。

(進むか、退くか……)

 浮かんだ問いに、長月は瞬時に続行を選択した。

(勝ちに行くんだ。そうでなければ、私は……)

 一瞬浮かんだ気だるげな仲間の顔から意識を戻すために、長月は握ったこぶしで力いっぱい胸をたたく。わずかとはいえ迷いを得てしまった自分を叱咤すると、先ほどの狙いをもとに、さらに微調整をほどこし目標を定める。

 そうして、次弾を発射しようとしたとき、突然入った電信とともに、視界のすみに自らのものではない艦影がちらついた。

『危ない!』

 次の瞬間、その艦首付近で爆炎がはじけた。

「高雄!?」

 かばわれた。

 直感的にそう悟った長月は、きっと高雄をにらみつける。しかし、すぐにその目を敵艦に転じると、すばやく砲塔の向きと角度を修正し、乱暴に発射装置を起動させた。

 砲弾はすぐさま闇にまぎれていく。敵の砲撃をかわすべく艦を動かしながら、長月は高雄をふりかえった。

『被害は?』

『損害は軽微。問題ありません』

 高雄はそう答えてきたが、すぐに暗闇に消えるはずだと思った爆炎は、しかし、その一部がどれだけたっても艦首を照らしだすのをやめようとはしなかった。

(燃え移ったか……)

 そうとわかっても、できることはまもなく鎮火されることを願うことだけだった。

 そのことにとらわれるあまり当初の目的を見失うわけにはいかない。頭を切り替えて敵戦艦に目を戻すと、そろそろ着弾するかと思しきころあい、艦上で爆発が起こった。ついに直撃弾が出たのだ。

「よし!」

 勝機を感じ取ると、長月は次の発射態勢を整えながら、待機させていた魚雷の照準を合わせはじめる。

 61cm四連装酸素魚雷。それによる雷撃が、長月をはじめとした駆逐艦たちの切り札だった。一度はずせばあとはない。しかし、直撃させてしまえば戦艦といえどかなりの打撃が期待できる兵装である。

 長月ははやることなく確実に、狙いを定めていく。その間、あれほど至近にまで迫っていた敵弾が襲ってくることはなかった。どうやらわかりやすい標的を掲げる高雄へと攻撃が集中しだしたらしい。長月は砲声のとどろく戦場において、一人かやの外にあるかのような静けさを感じながら目標を捕捉した。

 敵旗艦は、長月に直撃弾をもらいながらもなお後方の部隊と撃ちあいを続けている。しょせんは駆逐艦とあなどられているのかもしれない。

「そのおごりが、命取りと知れ!」

 長月はしぼりにしぼった狙いのもとに魚雷を斉射した。それとともに、主砲も発射準備が整いしだいに次から次へと撃ちはなしていく。

(どうだ……?)

 結果を待つ間、ぱらぱらとまた砲撃が降り注ぎだした。長月はそれをたやすくよけていきながら、敵旗艦を注視していた。

 しばらくたったのち、直撃の証たる水柱が上がるのがわかった。主砲の砲撃からも、さらに直撃が出ているらしい。

(よし。これで所定の目的は達成した。あとは、すみやかに離脱するのみ)

 敵が沈むかどうかを悠長に確認している余裕のある状況ではない。そうして、また高雄のほうをふりかえると、艦首の火はいつしか吹きあがるほどに勢いを増していた。

(これは、まずいのではないか……?)

 こちらの目的は果たせたというのに、ここで損失を出してはそれもふいになってしまいかねない。

『なにをしている。早く鎮火させるんだ』

『わかってます。懸命に消火に当たってますから、そちらは気にせず攻撃を。私もすぐに敵をしとめてみせますので』

 余裕があるのか強がっているのか、高雄から返された言葉は硬質でありながらも勇ましかった。どちらにせよ、今の長月にはなにもできないことに変わりはない。幸い、高雄の船足はまだしっかりしている。戦域離脱の指示を送ると、長月は高雄との距離を取りながら、敵艦隊への砲撃を続行していった。

 そのさなか、敵の重雷装巡洋艦が爆炎に包まれるのが見えた。後方の味方部隊による砲撃が弾薬に引火したのだろう。

『敵一隻、撃沈確定。……長月、高雄は大丈夫なの? 聞いてもなんとかなるとしか言ってくれないんだけど、そちらの目から見て、どう?』

 後方から電信が入る。緊急時以外の電信は不要と言ってあったのだが、それを無視してでも確認せずにはいられないほどに、離れた距離からも高雄の状態は危うく見えるのだろう。それに対して、高雄同様に大丈夫だと言うことは簡単だった。しかし、自分でも信じられない気休めで、仲間を納得させられる自信などまるでなかった。まして、仲間たちは皆、もともとこの戦術に強く反対していた。心情的にも、どうして安易な言葉で彼女たちを安心させることができるだろうか。長月にはただ、己のできることに最善を尽くすよううながすほかなかった。

『わからん。本人が問題ないという以上、それを信じるしかない。ともかく、今は目の前の敵に集中しろ』

『……オーケー。あとのことはあとで考えるわ』

 そのときは覚えていろとばかりの調子すら感じさせる言葉を残して、電信のやりとりはとぎれた。長月はいらいらとしたあせりのような気持ちを抱きながらも敵を追いこんでいく。

 残る敵部隊は、被害甚大の戦艦と重雷装巡洋艦をのぞいて二隻。味方の被害はともかく、敵部隊の全滅は時間の問題だった。




「……それで、敵は全滅できたものの、火災による高雄の損傷が多大なため帰還したと?」

「いや、火が消えてみれば高雄の損害は思ったほどではなかった。だが、次の一戦でさらに潜水艦の雷撃を受けた。それで、もうこれ以上は難しいと判断し、撤退してきた」

 未明の執務室で、長月は男と向かいあっていた。

 灯りは机上の一つきりで、部屋全体を照らすにはいささか頼りない。しかし、男が手もとの書類に聞き取った内容を書きつけていくぶんには十分な光量であった。

 長月が潜水艦部隊との戦いの経過を述べている間、男の手は休むことなく動かされ、書類はみるみる文字で埋められていった。長月が口を休めると、その合間にも質問が発せられ、記述が書き足されていく。

 そうして、一枚の紙が埋め尽くされそうになったところで、男はようやく一息つき、ペン立てにペンを戻した。

「……なるほど」

 男は書きつけた書類に見入りながら、しきりに首をひねりだす。さらに、ぶつぶつと口の中でなにかをつぶやいているらしい様子だが、長月には男の言葉を聞き取ることはできなかった。

 言いたいことがなければもう退室しても構わないだろうかと長月が告げようとしたとき、男はようやく顔を上げた。

「敵戦艦を沈める功績をあげたのはともかくとして……長月、どうしてこんな戦い方をしたんだ?」

 長月の目を見つめながら問うその表情は、心底不思議そうであった。

「こんなとは……高雄が損傷を負ったことか? あれは戦術を徹底できなかった私の失敗によるものだ。事前の申し合わせとは異なる高雄の行動を、それでもなんとかなるだろうと思い、制止しなかった」

 だが、男が聞きたかったのは、そのことではないらしかった。なんと言ったものかと、ふたたび言葉を探して考えこみだすその眉間には小さな陰ができていた。

「その……だな、長月。ふだんのあなたの戦い方といえば、部隊の皆で一丸となりながらその先頭に立つのが流儀だっただろう?」

 今度は長月が首をひねる番だった。そうだろうと言われても、そんなことは意識したことがないのでわからない。言葉にするとそういうことになるのかもしれないが、むしろそれ以外の戦い方があるのかと聞きかえしたいくらいだった。

「それがどうかしたのか?」

「だが、この戦い方からは、話を聞いたかぎりでは、どうもふだんのあなたらしさが感じられない。最後には突出しがちな筑摩に近いものも感じるが、それよりもさらに……仲間のことが置き去りにされているように思える」

「はあ……?」

「実戦経験では、私はあなたに圧倒的に劣る。だから、あなたが合理的だと考えたのなら、それにとやかく言うのは釈迦に説法のようで心苦しいのだが……」

 先ほどから、男の話はいまひとつ歯切れが悪く要領を得なかった。どうやら長月の戦術を批判したいようなのだが、話が進みそうな気配がなかなか感じられない。長月はだんだんじれったくなってきた。

「言いたいことがはっきりしないなら、またの機会にしてくれないか?」

 うながすと、男はおずおずといった調子でようやく本題らしきものに踏み入りはじめた。

「つまり……この戦い方、結果的に敵旗艦を沈めることができたからいいものの、勝算はどのくらいと見積もっていた?」

「そのことか。それなら、明確な見込みはなかったと、私自身も思っている。だが、結果として成功し、敵を全滅に追いこんだ。それがすべてだ」

 長月はぴしゃりと言い放つ。なにか言われるかもしれないとは、事前に想定していた。そのために用意しておいた回答を、すらすらと並べ立てることができた。だが、それで男が納得することはなかった。

「この戦術は、私の考えが正しければ、相手を斃すか、さもなくば自分が斃れるかといった、身を捨てて勝利を得るための戦い方ではないだろうか?」

「そうだな。斃すか、斃されるか……その覚悟が必要だった」

「あなたの率いていた部隊は、それほどの賭けに出なければ勝利を得られないほど戦力が不足していたいたわけではないはずだと、私は思うのだが」

「……つまり?」

「それでもあえてそんな挙に出たことには、どういう意図があった? 長月、まさかおまえ、死のうとしたわけではないよな?」

「そんなわけが、あるか!」

 男の言葉は、長月には心外だった。生死をかけた戦場を生き抜いてきた自分が、安易に自らその命を断とうとしたのではないかなど、侮辱もいいところだ。

 しかしその一方で、当たらずとも遠くはないと思っている自分もいた。

(そうだ。私に死ぬつもりはなかった。だが、死ぬならそれもいいかもしれないと、そういう気持ちがまったくなかったとは言えないのだろうな……)

 望月に警告を受けたあの夜から、長月は自身の中で死に対する感覚が明確に変化したのを感じていた。

 それまでの長月は、死をおそれず体を張っているつもりでありながら、やはりどこかで死を回避しようとしていたのだろう。活路はそこにしか残っていないことがわかっていながら、仲間の命を言い訳に、戦場で分の悪い賭けに出ることを明確に拒みとおしていた。

 だが、望月の警告は、長月に寸前まで迫る死をありありと体験させた。意識を失う瞬間、長月は自分が死ぬのだと、本気でそう思った。あのときの望月の怒気は、それほどのおそれを感じさせるものだったのだ。そして、首に手をかけた望月に対する抵抗がいっさい無駄に終わったとき、長月は自分が望月に殺されるということに、かつてない安らぎを覚えたのだった。

(あの感覚は、いったい……)

 それは、長月自身にとっても不思議な感覚だった。戦闘指揮で敵わず、仲間たちを見る目でも及ばず、ひいては腕力でも負かされてしまう。あらゆる点で望月に勝てないのだと痛感させられた長月の体の芯から無力感がわき上がり、さらにそこに自らの死がもたらされようとする。それは、このうえなく自分と望月との格の違いを象徴する出来事だった。

(しかし私は、苦痛以上にうれしさを感じていたのだな……)

 二人を比較すれば、命すらもが俎上に上げてしまえるほどに、長月はちっぽけで、となりにそびえ立つ望月は巨大だった。それを繰り返し何度も思い知らせてくれた望月自身の手で生涯を断たれる。それは、あたかも救いが与えられんとするかのような、恍惚を覚えさせられる瞬間だった。いっそのこと、あのとき本当に死んでしまえていたらよかったのにと、今でも思えるくらいに。

(あれから、私にとって死ぬことはおそれることではなくなった……)

 今回の戦術も、男は分の悪い賭けだと言うが、長月にとっては成功すればそれでよし、失敗すれば死ぬだけだと、なんの葛藤もなく採用することができた。

「長月、あなたは今回だけでなく、一週間ほど前にも無茶な戦術を採っていた。いったい、あなたに何があった?」

「それは……いや、なんでもない」

 長月は事実を伝えようとして、しかしなんと言っていいのかわからず口をつぐむ。あの感覚は、長月のつたない語彙ではとうてい伝えられるものではなかった。

 男の言う一週間ほど前のこととは、望月の警告を受けてから数日後のことだ。その日、出撃の機会を得た長月は、今回とは違うものだったが、以前ならば採用しなかったであろう戦術を試してみることにした。結果は、自身を含めて大破三隻を出す惨敗。それでも、長月はその戦いで自身の殻を破る手ごたえをつかむことができた。

「その戦い方に、仲間はなにか言わなかったのか?」

「無論、反対はされた。だが、それでも私には必要なことだった」

 惨敗して戻ってきた長月は、修復後、資料室で望月に戦闘のあらましを説明すると、あきれたような顔をされた。発奮をうながされた本人にそんな表情をされるのは心外だったが、どうやら望月の考えでは、この戦い方は長月には合っていないらしい。しかし、一度あきらめを覚えてしまった長月の頭に、どうして自らを危険にさらす以外の考えが思いつくだろうか。望月に頼りきるわけにはいかない長月にとって、自らが感じた可能性をつきつめる以外の選択肢は存在しなかった。

 そうして一人改善すべき点を書きだしていると、望月は気の毒にでも思ってくれたのか、どうしてもその方針で行くと言うのならと、より効果的な立ち回り方を示してくれた。それが、今回の戦い方だった。惨敗を喫したあとであり、部隊の仲間たちからの風当たりは強かったが、それでも、今回こそは成功と言えるはずだと長月は考えていた。高雄の火災の件で僚艦たちからの評価はかんばしくなかったものの、これが望月なら、長月の功績を認めてくれるはずだった。

(私の戦い方は、間違ってなどいない。それに、次はもっとうまくやってみせる自信がある)

 長月はくちびるをひき結び、固くこぶしを握った。そのときのことだった。

「そうまでしてあえて危険を冒そうとすることには、望月がかかわっているのか?」

「は……?」

 男の口から出てきた望月の名前に、長月は自身の考えを読まれたのかと、警戒をあらわにする。そんな長月に、男は油断のならない光を宿した目を向けてきた。

「長月、あなたからはここのところどんどんと、以前のあなたらしさが失われていっているように感じられる。そして、その過程にはことごとく、望月の影が見える」

「そうだとしたら、どうだと言うんだ」

 にらみ返す長月に対し、男はまあ聞いてくれとでも言うように言葉を続ける。

「少し前から、あなたの戦い方には、あなたよりも望月の色が目立ちはじめていた」

 はじまった男の話は、またしてもまどろっこしい物言いだった。

「もともと、あなたは望月の戦い方を参考にしていたようだから、どことなく望月らしさを感じさせられることはそれまでにもあった。しかし、ここのところの変化は、それを自身のものとして吸収するのではなく、どちらかというとあなた自身が飲みこまれていくかのようだった。自分の力で戦い抜いてきたことを、あなたは誇りにしていたにもかかわらず」

「私のことをよく知っているようだな」

「あなたは、学校時代の友人に雰囲気や性格が似ているから」

 意外なところで男が自分になれなれしい態度を取る理由を知ることができたが、だからといってうれしさはかけらもない。

「それに、あれほど生一本に任務や訓練に打ちこんでいたあなたが、そのさなかにすらどこか気が抜けたようになっているのをしばしば見かけるようになった。特に、望月がそばにいるとき、そちらを気にかけていることが多くなった」

「そんなことはない」

 そのはずだ。望月から注意され、この男の前でも含めて重々気をつけるようにしているのだから。むしろ、そう言うことでこちらの反応を試しているのではないかと険しい目を向けるが、男は肩をすくめただけだった。

「少し前から取るようになった休暇も、望月と過ごしていることが多いそうじゃないか」

「誰にそんなことを聞いた?」

「あなたたちのまわりにいる者は皆、口をそろえて言う。最近のあなたたちは仲がいいと」

(どういうことだ? 私たちの関係が皆に気づかれないように気をつけていると、望月は言っていたではないか?)

 だが、もしかすると、望月にもごまかしきれないくらいに自分の挙動はおかしくなっているのかもしれない。そう思うが、今の長月にはもはや、なにがおかしくてなにが以前のとおりなのかよくわからなくなってしまっていた。

 長月はそんな動揺を面に表さないようにしながら男をにらみつづける。

「あなたのそばで望月を見かけることが多くなったのは、北方海域での駆逐艦作戦が始まったころだったと記憶している」

 男はなおも言葉を選ぶように話しつづける。

「それで、それ以来、ずっと仲のよさそうにしているだろう?」

「それが?」

「いや……な。友人をほうふつとさせてなつかしさすら覚えたあなたが変わっていくことにさびしさはあるが、あなたはほかの誰でもないあなたなのだし、とやかく言う理由は私にはない。そうではあるのだが……」

 もったいぶるだけもったいぶっていつまでたってもぐずぐずと結論の見えない男の話し方に、長月はいらだちを隠せなくなってきた。

「いいかげんにしてくれないか。私はこのあとにも、用事があるんだ」

 もうこれ以上は待てないとばかりにつきつけると、男はしばし目を伏せて迷うような表情を見せる。そして、軽く息をつくと、長月の目をしっかりと見つめ直してきた。その表情にはなにやら決意の色が見て取れて、長月は一瞬、虚をつかれた。しかし、すぐにこの男に気圧されてなどなるものかと思い直し、正面からにらみかえす。

「私が知りたいのはな、長月。あなたにとって、望月がいったいどういう存在なのかということだ」

「どういう……とは?」

「望月は、あなたにとって気の置けない友人なのか? 対等な競争相手か? それとも……上下のある関係なのか?」

 問うてくる男の表情は真剣そのものだった。

(この男……)

 長月は顔をしかめそうになって、寸前でそれをこらえる。三つの類型を掲げてきながら、男が最後のものを疑っているのは、その話し方から明らかだった。

「……それを聞いて、どうするつもりだ?」

「対等に気を許せる相手ならば、まだいい。だが、頭を上げられないような関係ならば、それはすぐにでも改めるべきだ」

「なにを根拠にそんなことを……」

 いらいらとつぶやくように言う長月に、男は淡々と言葉を発する。

「駆逐艦作戦が始まったころから、望月はあなたにつきまといだした。それにともなって、あなたは一時的に情緒不安定ぎみになっていった。私も声をかけようとしたが、機会を見出せないうちに、あなたは限界を迎えてしまった。あなたの泣き声を聞いた夜、私は私の無力を改めて思い知らされた」

「知っていたのか!?」

「この部屋の近くであんな声を出されて、気づかないわけがない」

 長月は顔から血の気が引いていくのを覚えた。

(知られていた。この男に……)

 それは、羞恥よりも恐怖を感じさせることだった。

 以前、望月は言った。男が長月のみっともない姿を知ったらどうするだろうかと。それがとっくに、現実のこととなっていたのだ。

「あ、あれは……」

 どう言い訳するべきかわからず、長月は二の句が継げなくなる。しかし、男はまごつく長月を片手を上げて制した。

「いや、今はそのことではなく、その前後の望月の行動を指摘したい。それ以後のあなたとは仲がいいようだが、それ以前、望月はむしろ積極的にあなたを追いつめていたように思える。そうだとすると、あなたの望月に対する感情は、すべて望月によってしくまれたものということになる。そんな関係は、はっきり言って健全ではない」

 その言葉に、冷静さを失いかけていた長月はついに怒りを爆発させた。

「なにをばかなことを!」

 声を荒げながらも、長月自身にも、そうかもしれないと思える記憶はなくもなかった。しかし、そんなことは今の長月にはもう関係のないことだった。

「望月は、これ以上なく頼りになる仲間であり、無能な私の導き手とも呼べる存在だ。それ以上の侮辱は許さない」

 たとえ望月に対する気持ちが望月自身によってしくまれたものであったとしても、望月なしでの生活など、もはや長月には考えられなくなっていたのだ。

「その気持ちすらも、望月の思いどおりだとしてもか?」

「仮に、望月が悪意を持って私に近づいてきていたとしても、それが司令官になんの関係がある? 望月との関係は、私たちの問題だ。そんなことを言いだされることそのものが腹立たしい」

 不快感をあらわにして吐き捨てると、男はくちびるをかんだ。

「……本当に、あなたはそれでいいと思っているのか?」

「くどい!」

「……」

 男は両手を組み、なおもなにか言おうと考えているようだったが、しかしなにも言ってくることはなく、やがて静かに首をふった。

「……ひきとめて、悪かった。退室してゆっくり休んでくれ」

 ひどく疲れたようなその言葉を受けて、長月はさっときびすを返す。そして、扉の前でふりかえると、男に念を押すように言った。

「私と望月とのことに、二度と口出しするな」

 顔をしかめながらうなずく男を確認して、長月は部屋をあとにした。


(望月、まだいるといいが……)

 執務室を出ると、長月は足早に広間へと向かっていった。貼りだされていた次の出撃部隊表によると、望月にはそこでの出撃が予定されていたのだ。冬のこの時間ならば、待機している者たちは広間にいるはずだ。しかし、男への報告中に次の部隊が出発していくことも珍しくはない。長話につきあわされてしまったことを思い、長月は気の急くままに足を速めていった。

(望月に、今回の私の進歩を伝えてよくやったと、言ってもらうんだ……。それだけだ。それだけでいい……)

 危険を伴う作戦で部隊の仲間からは反感を買い、男には望月の中傷を聞かされた。その程度、本来ならばどうということはないのだが、任務の疲れもあり、長月の心は今、望月の優しい言葉を欲していた。

(私は、ほかの誰にどう思われようと、おまえにだけは認めていてもらいたいんだ……)

 途中、すれ違う仲間がいたかどうかもわからない。そんなことを気にしている余裕もないほどに、長月は望月のことしか考えられなくなっていた。

「望月、いるか?」

 広間の前にたどり着くなり、長月は勢いよく扉を開いた。そうして、きょろきょろとせわしなく視線を動かして目当ての仲間を探す。望月の姿は、それほど探すようなこともなく、わかりやすいところにあった。

(よかった……)

 だが、望月は一人だけではなかった。

「睦月、皐月……?」

 意外の念にとらわれてぽつりと漏らすと、それで三人も長月が現れたことに気づいたらしい。

「およ、長月? おかえりー」

「あ、ああ、ただいまだ。二人とも、もう起きていたのか?」

「なに言ってるの。もう起床時間は過ぎてるよ。ほら、外もうっすら白んできてる」

 言われてカーテン越しに外を見てみると、確かにそろそろと日が出はじめている。帰投したときはまだ日の出まで間があったはずだがと思いながら時計を見ると、それからだいぶ時間がたっているのがわかった。

「司令官への報告にでも時間かかったの?」

「……」

 望月はいつものような気だるげな表情で尋ねてきた。聞きたかった声、見たかった顔が見れて、長月はしばし答えを返すことも忘れて望月に見入ってしまった。

 どうでもいいけど、とでも言うように話しかけられた声音。こんな時間に起きていることから眠そうに細められた目。あくびをこらえるようとしてか力なくひき結ばれた口もと。それらのすべてが、長月にとってなによりも安心感を与えてくれるものだった。

「長月?」

 心配するようにのぞきこまれて、長月はようやく自分がぼうっとしてしまっていたことに気がついた。

「あ……そ、そうだ。あの男に引き止められて長話をされてしまってな。それで……」

 あわてて望月の問いに答えるとともにそのまま話を聞いてもらおうとしたが、それよりも先に、長月の答えに興味をひかれたらしい睦月の言葉がさしはさまれた。

「司令官が長話なんて、珍しいのです」

「そうだっけ? あたしは何度か、いろいろ話聞いたことあるけど?」

 そのうえ、その輪に望月まで加わり、長月は話を切り出す糸口を奪い去られてしまった。

「それって、望月だからじゃない? あんまり訓練をさぼってるから説教されたりとか」

「まあ、そんなところだったかな?」

 悪びれずに望月が言うと、睦月も皐月も、そちらの話により興味を示しだす。

「それでそれで、どんな話をされたんです?」

「うーん……正直、ほとんど聞き流してたからあんまり覚えてないんだけども、あれは……妹さんとかそのお友達とかの話だったかな?」

「へー、司令官って妹がいたんだ」

「そのことなら、睦月もちょっとだけ聞いたことあるのです。なんでも、頭の上がらない妹がいるとか」

 得意げに話しだす睦月だったが、望月はそのときのことを思い出すようにしながらそれを否定する。

「あー……っと、その話もされたような気がするけど、その人よりは、そのまた下の妹さんの話が多かったかな?」

「ほえ、司令官って、何人妹がいるんです?」

「確か……三人、だったような? しっかり者の妹さんと、その下に双子の妹さんがいるって言ってた気が」

「ふーん。ほかにもお兄さんとかお姉さんとかはいるの?」

 皐月が聞くと、望月は困ったような顔をした。

「そこまでは……ちょっとわかんないかな。そんなにまじめに話聞いてたわけでもないし。でさ、それで、うるさ型の妹さんに比べて双子の妹さんは仲のいいお友達が多くってさ、司令官のご実家に遊びにきてはあれこれいたずらしてく女の子たちに、よく手を焼かされてたんだって」

「ほうほう。だから司令官ってば、睦月が遊んでって押しかけても、ちょっとおしゃべりしてる間に気づいたら追い出されちゃってたんだ。なんかね、すっごく慣れた感じだったの」

「いや……それはただ睦月が扱いやすかったっていうだけじゃないかと思うな」

 当時のことを身ぶり手ぶりをまじえながら伝えようとする睦月に、皐月が苦笑しながら横槍を入れる。それを聞いた睦月は、自分と比べるように皆の表情を見回した。

「むむ? 睦月、そんなに単純?」

「ま、割と表情が出やすいほうだとは思うよ?」

「むむむ。これは、ポーカーフェイスをきたえる必要があるのです」

「睦月がいっつも無表情になっちゃったら、なんだか調子が狂っちゃいそうだよ。睦月は笑ってるのが一番かわいいんだからさ」

「皐月はとってもいい子なのね。そういうことなら、ポーカーフェイスはあきらめるのです」

 すぐに、元気いっぱいの笑顔に戻った睦月に、望月が笑いかけて言う。

「司令官に追い出されたときって、そんな感じじゃなかった?」

「へ? そ、そうなのです! 言われてみれば、すっかり言いくるめられてるのよ」

 はっとした様子の睦月に、皐月はため息をついて望月を責める。

「望月……せっかく、うまくおさまったと思ったのに」

 しかし、すぐに睦月につめよられて皐月はたじたじとなった。

「皐月ー、睦月のことばかにしてる?」

「そんなことない。そんなことないってば……」

「皐月ってば調子のいいこと言ってなんとなくごまかすことあるから、気をつけるんだよ?」

「望月ぃ!」

 皐月にうらみがましい目を向けられながら笑う望月の様子は、とても楽しそうだった。三人の会話からのけ者になっている長月のことなど眼中に入っていないかのように。

 睦月や皐月にそうした態度を取られるのは別にかまわなかった。しかし、望月が、自分ではなくほかの仲間とばかり笑いあっている姿を見るのは、なぜだかとてもいやな気持ちになることだった。

 同じ場にいるのだから、他人ではなく自分のことを見ていてほしくて、長月はきゃいきゃいと言い合いをしている睦月と皐月を無視して望月のそでを引く。

「望月……」

 おかしそうに笑っていたその顔が、きょとんとした表情に変わる。そうして、ぱちぱちとこちらを見つめてくる。長月は、それだけでなんだかうれしくなってしまって、そのあとどうするつもりだったかという考えはどこかに飛び去ってしまった。

 望月が自分のことを見てくれている。そのことが、長月に胸のつかえがとれたかのような安心感を与えてくれた。

(もう少し、このまま……)

 そう思いながらしばらくその気持ちをかみしめていると、険を含んだような望月の声が耳に届いた。

「……なに?」

 はっとした長月が気づいてみるといつのまにか、睦月も、皐月も、広間にいるほかの仲間たちも、皆、自分たちに注目していた。

(え……?)

 集まる視線に、長月は、皆の前ではことさら仲のいいそぶりを見せないようにという旨の望月の言葉を思い出した。

「す、すまない。なんでもないんだ……」

 とっさにつかんでいたそでを離し、長月は顔をそむける。こちらを見る視線の雰囲気からだけでも、望月が言いつけを破ってしまった自分に怒っているらしいのが感じ取れた。長月はまともにそちらを見ることもできず、顔をうつむかせる。

(ちょっと話の輪に加われなかっただけで、私はいったいなにをしているんだ……)

 さきほどの自分が他人からどう見えているかと考えてみると、長月は自分のうかつさを責めずにはいられなかった。あれでは、仲がいいどころか姉や年長者を慕う子どものように見えたとしてもおかしくなかったのではないかとすら思えるのだ。

(こんなだから、私は望月を怒らせてしまうのだろうな……)

 顔色をうかがうために、長月はちらりと望月を見上げてみた。その顔は、しかし、案に相違してにこにことした笑顔を浮かべていた。

「長月、どうかしたの? 司令官から何か伝言でもあずかってきた?」

 望月はなんでもないということはないだろうとばかりに尋ねてきた。

 どうやら、長月がなにか用事があってあんな態度を取ったのだということにするつもりらしい。その様子はとても自然で、長月の不用意な失敗を覆い隠すに足る手助けだった。ほかの者はともかく、長月にはそれがわかるだけに、望月の機転はありがたかった。

「ほかのみんなに聞かせづらい話なら、場所を移すけど?」

 さらに、これ以上の失態を犯す前にこの場をあとにさせようとする配慮までしてくれる。

「あ……ああ、実はそうなんだ」

 長月はその提案に飛びついた。皆の前でははばかられる話も、二人きりになれば気兼ねなくすることができる。長月が望む言葉も、人目につかない場所でこそ聞けるものだ。

(その程度のことにも気が回らなかったとは……)

 長月の同意を受けて、望月が同じ出撃部隊に組みこまれている仲間に声をかけたのち、長月は申し訳なさとそれ以上の期待を胸に、望月のあとについて広間を出た。


 望月が向かったのは、資料室だった。そこは、日中には利用する者もいるが、まだ朝も早いうちから人がいることはまれな場所だった。また、やはり無人になる夜に、そこで長月は望月と二人だけでの時間をどれほど重ねてきたことか。長月のささやかな願いを聞き届けてもらうのに、その部屋ほどふさわしい場所はなかったであろう。

(敵わないな……)

 すでにこちらの気持ちに気づかれていると悟った長月は、眉尻を下げながら望月に続いて資料室に入る。

(まずは先ほどのことを謝って、それから話を聞いてもらおう)

 そうして、長月がうしろ手に扉を閉じると、望月はさっとふりむいて長月と向かいあった。しかし、その表情に、長月が考えていたような優しい言葉をかけてくれそうな雰囲気は微塵もなかった。

「長月、みんなの前であんなことして、どういうつもりなわけ?」

 そこにはむしろ、とがめだてるような冷ややかな怒りがあった。

(ど、どういうことだ……?)

 予想外の剣幕に、長月がどう答えていいかわからないでいると、望月はなおも言い募る。

「あんなことしてくれてさ、どうやったらごまかしきれるっていうの? ほんと、長月ってばありえないくらいにばかなんだから」

 それは、失望がありありと聞いてとれる声音だった。やはり、先ほどの行いは望月を怒らせていたらしい。それも、長月が思う以上によほど。

「すまない……。あれは、自分でもどうかしていたと思う。あんなことは、もうしないから……」

 とまどいながらもなんとか機嫌を直してもらおうと、長月はせいいっぱいの謝罪を伝える。

「あったり前っしょ。あんな心臓に悪いこと、一度でたくさんだっての。あんまりにも考えなしすぎて、もう信じらんない」

 望月にはぴしゃりとした声でとがめられるが、それは甘んじて受けいれなければいけない。それほどに、望月のことを怒らせてしまったのだから。

 しかしその一方で、長月にはここにきてまだ一つ、わからないことがあった。

「いや、だが、あの程度で……? 望月だって、私に抱きついてきたことがあったじゃないか」

「あたしがするのは冗談で済むからいいの。けど、長月がするとまじでしゃれになんないの!」

 それくらいのこともわからないのかと叱責された長月は、自分の失態がそれほどの大事であったということに、納得がいかないながらもうなだれるほかなかった。

 そんな長月の様子を、望月はじっと観察していた。伏せられた面から、ぎゅっと握ったこぶし、ふるえそうになるのをこらえる足まで、全身をくまなく見つめられる。その視線は、さながら戦々恐々とする長月の心の奥底までものぞきこむような鋭さを有していた。

(どうしたら、望月は許してくれる? どうしたら、私の話を聞いてくれる? どうしたら……)

 長月は、望月に見下ろされながら必死に考えをめぐらせていた。しかし、あせりばかりが先走る頭はまるで役に立ってくれなかった。早まる心拍の音ばかりが響きわたり、いやな汗まで浮かんでくる。

 望月は、そんな長月をたっぷりとながめわたしていた。

「ねえ、長月……」

 そうして、無情な宣告が下される。

「一回、距離置こっか?」

 それを聞いた途端、長月の頭は真っ白になった。

「え……それは、どういう……?」

 長月には、その言葉の意味がとっさに理解できなかった。理解したくないと、反射的に思考を遮断したのかもしれない。しかし、望月は拒む長月の頭にもわからないではいられないように、もっと具体的に言い直すのだった。

「だから、ここで会うのも、休暇で待ち合わせるのも、もちろん遊んであげるのだって、いったん全部なしにしようってこと。今の長月にはそのほうがいいっしょ? そうでもしないと、どんどん調子に乗って手がつけられなくなってくんだから」

「調子に乗るだなんて……私はおまえに、そばで構ってもらいたくて。ただそれだけで……」

 必死で思いを伝えるために口を開くが、望月に告げられたことの衝撃から、言葉はつたないものにしかなってくれなかった。

 当然のように、望月はそれになんら心動かされた様子もない。それどころか、さらに強い調子でつきつけてくる。

「それがだめだって言ってんの! あたしがそういうの嫌いってわかんないの? わかんないなら今覚えて。そこ直すまで、あたしに近づいてこないで」

 はっきりと告げられた拒絶に、今度こそ長月の頭はなにも考えられなくなってしまった。

「いやだ、そんな……」

 ひとたび態度を決めた望月が決定をゆるがすことはない。そうとわかるだけに、なすすべを失った長月はみっともなくも浮かんでくる涙をどうすることもできなかった。

(望月と話をすることもできないなんて……)

 この先ずっとそうだと決まったわけではないのに、けれど今ひきとめないと望月が手の届かない遠くに行ってしまうような気がして、長月は懸命に手を伸ばす。

「私は、もうおまえなしでは……」

 今の長月は、ほとんど望月にだけ支えられているといってもいいくらいだった。無理だと心の片隅では感じていながらも実力向上に一縷の望みをつないでいられたのは、望月に失望されたくないからだった。仲間をひっぱっていくのにふさわしくないと思っていながらも虚勢を張りつづけてこれたのは、望月がそれを望んだからだった。望月がそばにいてくれなくなってまで、どうしてはりぼてのような自分を保ちつづけていくことができるだろうか。

 すがるようによろよろとのばした手は、しかし、望月の体にふれることさえ許してもらえなかった。

「知ったことじゃないよ。あたしはべつに、長月がいなくてもなんとも思わないし」

 こちらを拒否するようにふられた手とともに、変わらぬ冷たい目で見つめられ、長月はうちのめされてその場にひざをついた。

 望月の心はもはやくつがえせない。そう悟った長月は、涙にくもる目で一心に望月を見つめた。

「なら、望月。せめて、昨夜の私の戦いぶりを聞いてくれないか?」

 涙声になるのもかまわず語りかける長月を、望月は眉をぴくりとも動かさずに見下ろしつづけていた。

 長月は、ただ一言、望月に声をかけることも許されない期間に、ぽっかりと穴をあけることになるだろう心の支えとなってくれる言葉がほしかった。それさえあれば、望月のいない空白にも耐えられると思えた。

「……おまえに言われたことを参考にして、私は全力で戦ったんだ。そうして、仲間の砲撃による打撃もあったとはいえ、私の手で戦艦を沈めることができたんだ。この私が、戦艦をだぞ? 北方海域への出撃ではついに手も足も出なかった、戦艦をだ。望月、おまえは私にとって、どれほどの救いをもたらしてくれていることか。おまえが期待してくれれば、それに応えた私によくがんばったと言ってさえくれれば、私はなんにだって立ち向かえるんだ。私一人で、直せと言われたことも直してみせる。だから、望月……」

 なにかあたたかい言葉をかけてほしい。長月は心の底から訴えた。今の長月にとって、望月以外に心の支えとなる言葉をかけてくれる仲間など、一人として存在しなかったのだ。望月さえ自分を見放さないでいてくれれば、それで大丈夫なはずだった。

 けれど、望月の目にはついぞ優しさのかけらさえ浮かぶのを見出すことはできなかった。

「うっとうしいなぁ」

 長月の訴えを聞いた望月の口から最初に漏れたのは、その言葉だった。

(そんな……)

 長月は、ついに己の願いがすべて潰えたことを悟った。

「長月、さっき直すまで近づくなって言ったけど、やっぱあれやめるわ」

 望月はもはや長月を見ておらず、どこか遠くに視線を向けていた。

「二度とあたしに近づかないで。その情けない顔、もう愛想が尽きたよ」

 淡々と、望月は告げてきた。そこには怒りすら感じられず、ただ客観的に自身の心を読み上げたかのような、つきはなした冷たさだけがあった。

「冗談、だよな……?」

 長月は、静かに横を通りぬけて扉から出ていこうとする望月にすがりつき、ひきつったような笑いを浮かべながらそう尋ねる。そうでもしないと、望月の言葉を認めてしまうことになってしまいそうだったから。望月の長月に対する態度は、それほど急激に変化してしまったように思えたのだ。なにかの間違いであるならそうであってほしかった。

 しかし、長月の手をふりはらう望月の動作は、まるで服についたごみでもはらうかのような無感動さで行われた。

「ごめんよ。あたし、もう任務に行かなきゃだから」

 そう言う様子も、十把ひとからげなおざなりさを感じさせるものだった。

 その徹底した無関心さに、長月は追いすがる気力をすっかり打ち砕かれてしまった。

(望月……?)

 目の前でぴしゃりと閉められた扉に向かいながら、長月は呆然とするほかなかった。

(二度と、望月に……?)

 今起きたことを、理解したくない。いや、してはならない。そう思うのだが、望月の足音が消え、朝の喧騒だけが小さく聞こえてくる静かな資料室では、望まずとも望月の言葉が反芻されずにはいられなかった。

(愛想が尽きた……って?)

 そして、頭の中で何度も何度も繰り返し唱えられる言葉に、長月はだんだんとそこに含まれた意味を理解しないわけにはいかなかった。

(私は、望月に……)

 失望された、などという程度のものではなかった。そのことをなによりおそれていたはずなのに、今ではむしろそうであってほしかったと思わずにはいられなかった。失望されたくらいならば、まだ取り返しはつく。しかし、望月の言動はそんな余地すらも残してはくれなかった。

(見捨てられた、望月に……)

 それは、長月にとって自分の拠って立つ足もとがいきなり崩れ去ってしまったかのようなできごとだった。望月の気まぐれに喜び落ちこまされていたときに、こんな日が来ることを予期することなどできなかった。それにもかかわらず、それは現実となってしまった。長月にとって、望月の存在がこれ以上なりえないと思えるほど大きくなってしまったこのときに。

(望月がいなくなったら、どうすればいい……?)

 望月になら、長月は殺されたっていいとすら思っていた。それほどまでに、長月の心は望月でいっぱいだった。それなのに、望月は長月から離れていってしまった。心のよりどころを失った長月は、急激に不安に襲われた。

(私は、いったい……?)

 望月に頼る前の長月の自信は、望月によってすべてばらばらに砕かれた。それ以後にもたらされた自信は、すべて望月を仲立ちにしていた。望月がいなくなったあとで、残された長月は空っぽだった。

「望月……もちづき……あ、ああ……」

 あとからあとからこみあげてくる頼りなさに、長月はただ泣くことしかできなかった。なにもない自分はこれからどうすればいいのか、なにができるというのか、わからなかった。そのことがこわくて、けれどどうすることもできなくて、涙を流すしかなかった。

 どれだけ涙を流しても、かつての望月のように心のすきまを埋めてくれる者はいなくて、長月はいつまでも泣き声をあげつづけた。

「うう……あああ……!」

 いつしか、朝食の時間も回って、資料室に用事で訪れる仲間があった。彼女はこの世の終わりのように泣きくずれる長月に驚き、いったいどうしたのかと声をかけてきた。その声はいかにも心配げで、言葉は優しさに満ちていた。そのはずだったが、長月の心にはなんのなぐさめにもならなかった。

(望月……)

 途方に暮れた彼女は応援を呼んだらしい。呼び集めた仲間たちに囲まれて、それでも長月は泣きつづけた。

 どれだけ涙を流そうと、長月が望む者が現れることはなかった。長月の涙を止められる者は、すでに遠く去ってしまっていた。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 以上。登場キャラ(名前だけも含む)の現在のレベルは長月58、白雪40、望58、睦月27、雪風25、皐月26、暁26、吹雪50、高雄23。今回のメンバーは3-2攻略時の面々を中心にしています。クリア当時のレベルは、旗艦から順に、皐月26、暁25、睦月27、白雪40、吹雪50、望月58でした。他の方のレベルを調べて比べてみると、高いということもなく低いということもなく、だいたい平均的なところでしょうか? スクショによるとそれが11月18日のことだったようです。そこからレベルがほとんど上がっていないのは……出番の少なかった駆逐艦以外のレベル上げを優先してるのもありますが、それ以上に12月と1月とであんまりプレイできてなかったのが大きいですね。はい。一応、3-3まではクリアして、初期マップでは残すところ3-4と4-4のみとなっております。
 今回の話ですが、TwitterかPixivかで見かけた30日CPチャレンジをネタ元として参考にしています。本当に30日全部やろうかとも考えたんですが、さすがにそんなにやると1日あたり1000字でも3万字になっちゃうじゃんかと、その案は即座に却下しました。ただ、それでも気づけばその倍以上の字数になっているのですが……。
 とりあえず、次はこんなに時間かけずに行きたいところですね。
 冬イベも始まりましたが、今回は挑戦してみようかどうしようかというところ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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