2015年02月07日

艦これ、北方海域並びに西方海域攻略進行中 その2

 以下、今回は望月長月です。なんとか読めるレベルになったのではないかと思うのですが、もしかしたら気のせいかもしれません。それと、今回は予防線としてのR15くらいに相当する(?)描写(ガールズラブ)が存在しますのでご注意を。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



「はあ……」

 港に帰り着いて船から下りるやいなや、長月はそんなため息の声を聞いた。それは聞こえよがしのものではなかったが、長月自身もまさにそんな気分であったために、誰だろうかと気になった。ちらりとあたりをうかがうと、一人の仲間がこちらを見ながらばつのわるそうに口もとをおさえるのが目に入った。

 短くまとめた二つ結びの黒髪に、白地の水兵服を着込んだ少女、白雪だった。

 長月は意外の念にうたれた。戦果のふるわなかった今回の出撃で、ただ一人、気を吐いていたのが彼女だったからだ。

「ごめんなさい。次はもっと、がんばりますから」

 長月がいぶかしんで態度を決めかねているうちに、白雪はそう言ってほかの仲間たちのもとへと向かった。それを見て、長月も整列を開始した彼女たちのほうへと歩を進めだす。しかしその足取りは、白雪の言葉を受けて鈍いものになった。

(がんばる、か……。もっともその言葉を向けられるべきは私なんだがな……)

 今回の北方海域への出撃任務で、長月は目立った戦果をあげることができなかった。部隊で一番練度の高い者として、仲間が活躍できるように指示を出すことも求められているが、それもどの程度できたものか。そんな中で、白雪は自身の力で確かな結果を出していた。強いて今回の殊勲者をあげるなら、間違いなく彼女だったろう。

(私やあいつがどれほど活躍できるかが、あの海域を突破できるかどうかのわかれ目になるはずなんだが……)

 晴れない心のままに整列した仲間たちの前に立ち、皆の顔をながめわたす。作戦に失敗して撤退してきたことから、浮いた顔立ちの者はいない。しかし、もうふた月以上も繰り返された結果だ。そのこと自体に落ちこむ様子もあまりない。力をつけて、また次の機会に。そんなさばさばとした雰囲気すら感じさせる。

(だが、どこまで腕を磨けば戦艦相手に勝利をつかむことができる……?)

 長月には、今もってその場面を想像することさえできずにいた。こんな状態で、いつになったら作戦を成功させることができるのか。

 そんな悩みに皆の前で口を開けずにいると、背後からいきなり抱きついてくる者がいた。

「長月、おっかえりー。どうだった? 今回はうまくいった?」

「も、望月!? 見ての通りだ……だ、だから、あっちに行ってろ! これから皆と話があるんだ。関係ないおまえにうろちょろされるとめざわりだ」

 驚きにしばし固まったのちに、長月はその腕をひきはがしながらまくしたてる。望月は「はーい」と気のない返事をして、しぶしぶといった様子でわきにさがっていった。長月が警戒の視線でそれを見送っていると、正面の白雪が笑みを含みながら声をかけてくる。

「望月さん、いつになくご機嫌みたいですね。なにかいいことでもあったんでしょうか」

「さあな。あいつの考えてることはよくわからん」

「長月さんにもわからないのでは、私にわかるはずがないですね」

 その言葉に含まれた意味に、長月は顔をしかめた。思わず正面を向くと、冗談ではなく本当にそう思っていそうな白雪の目とはち合うことになった。

「……なにか誤解があるような気がするが、私とあいつはべつに特別親しいわけではないんだが」

「そうなんですか?」

 首をかしげる白雪に、長月はそうだとうなずいて返す。しかし白雪はなおも納得いかなさそうだった。

「ここのところ、よくいっしょにいるのを見かけますけど」

「そんなにいっしょにいるわけではない。つきあいで、ときどき連れ立つくらいだ」

「でも、他の誰よりも多いですよね」

「……まあ、同じ教導艦だからだろうか」

「そうなんですか」

 そこで白雪の質問はとぎれる。しっかり得心してくれたかどうかはわからないが、長月としてもどうにも答えにくい話題である。頃合いを感じ取った長月は、そこで本来する予定だった話を始めることにした。

「それはともかく……皆、今回はよくやってくれた」

 きびきびと話しだすと、白雪も顔をひきしめて傾聴の姿勢を取る。長月は内心でそれにほっと息をつきながらも、面には出さず言葉を継ぐ。

「目的は達成できず残念な結果になったが、この責任は私のふがいなさに帰するところが大きい。次には挽回を期して奮迅の働きをしてみせるので、そのときにはまたよろしく頼む」

 そこでちらりと望月のほうを見ると、彼女はあくびをしていたが、すぐにこちらに気づいてうれしそうに小さく手をふってきた。それを見た長月は、不機嫌に目をはずし、もっと暇そうに待たせておけばいいとばかり、さらに口を開く。

「今回、私自身の戦果はふるわなかったが、目覚ましい活躍をみせてくれた者がいる。白雪だ」

「は、はい?」

 まさか自分に話が向くとは思っていなかったのだろう。白雪はとまどったような声を出すが、長月はおかまいなしに話を続ける。

「白雪のここのところの成長は目をみはるものがある。今回も一番の活躍を見せたのは白雪だった。この調子で伸びていくとしたら、私もうかうかしてはいられないな」

 いたずらっぽく笑いかけると、白雪はぶんぶんとおおげさなくらいに手をふった。

「い、いえ。私なんて、まだまだですから……。それに、長月さんが根気よく訓練につきあってくださるおかげですから」

「そう謙遜するな。確かに、あの男に言われて重点的に指導を始めたところはあるが、のみこみがよくて、それほど教えることもなかったくらいだ。あとは実戦あるのみ。この調子でがんばってくれ」

「はいぃ……」

 そう言って、彼女はほおをうすく染めて目を伏せる。周りの仲間たちの目も白雪に集まっているのを見て、長月は満足げに大きくうなずいた。

 いま言ったことに、うそや誇張はない。事実、白雪は著しい上達をみせている。日頃からひたむきに訓練を重ねる姿が印象的だっただけに、一度こつを覚えさせると劇的な変化をとげた。南西海域に出撃していた当時に準育成艦と称されていた仲間たちにも、練度では勝っているのではないかと推測できるほどに。行き詰まりをみせている北方海域の任務において、成功の鍵を握る一人になってくれるだろうと、長月も信頼を寄せるようになっていた。

「皆も、白雪に続けるように訓練を重ねていってくれ。それでは、これにて解散とする。大破した二名と中破した一名はこのあとすぐに船渠に向かうこと。ほかの者は私が報告を終えたあとで反省会だ。以上」

「はい」

 敬礼を交わしあうと、長月は冬になる直前のすずやかな昼の陽光の中を、基地棟に向かって歩きだす。そうすると、うしろから遅れて望月もやってくる。長月はじろりとそちらを一瞥したのち、なにも言わずに歩みつづける。長月自身も軽いけがをしているが、重い者が優先であるのと、男への報告があるためにあとまわしにしての、いつも通りの道のりだ。

(さて、今日はどうなることか……)

 だが、ひき結ばれた表情の下で、長月がそんな考えに緊張していたことを、仲間たちはまだ誰も知らなかった。




「さっきは『めざわりだ』なんて、ずいぶんな態度とってくれたじゃん?」

 報告と反省会を終え、仲間たちが出払って誰もいない自分たちの部屋に戻るやいなや、望月はそう言って詰め寄ってきた。

 その顔に本気の怒りが浮かんでいるわけではない。むしろ、答えに窮するこちらの様子をながめて楽しんでいる様子さえ伝わってくる。

「望月……ま、待ってくれ……」

 しかし、そうとわかっていながら長月は毅然とした態度をとることができなかった。この表情の望月に迫られるとろくなことにならないとわかっていたからだ。

 望月が一歩近づくたびに長月は逃げるようにあとずさる。だがそれも、室内の空間では限度がある。何歩か後退するうちに、寝台につまづいて腰を落としてしまった。

「あっ!?」

 毎日生活する部屋でありながら、その位置すら意識できなくなってしまうほどに今の長月は動揺していた。あわてふためくさまを見て笑みを深めながら近寄ってくる望月に、長月はますますどうすればいいかわからなくなる。

「どうしたの、長月? あたしに言えないような理由でもあるっていうの?」

「うう……」

 きょろきょろとあたりをうかがっていた長月は、寝台を乗り越えて逃れようと望月に背を向けて寝台の上に手とひざをついて乗りあがる。その瞬間、普段の気だるげな様子を微塵も感じさせない力強い手に肩をつかまれた。

(ひっ……)

 長月がおそるおそるふりかえると、耳もとでそっとささやかれた。

「あたしは別に怒ってるわけじゃないんだよ? けど、あれは傷ついたなって、そう思うから、なにか言い訳があるなら聞いてあげるって言ってるの」

 声とともに発される吐息が耳をなでる感覚に、長月はびくっと体をふるわせた。それを見て取ったのか、くすくすと望月の笑う気配がする。長月はその表情をうかがうようにしながら、つっかえつっかえ問われたことに答えを返す。

「だ、だって、望月が言ったんじゃないか。普段は皆に気づかれないように、それまで通りにって……」

「ああ……そういえばそんなことも言ったっけ。ごめんごめん。あんまりそれっぽかったから、本気で冷たく当たられたのかと思っちゃった」

 望月はそう言うが、本当に忘れていたのかと疑わずにはいられなかった。わかっていてこのやりとりをさせたのではないか、そうしてあわてるこちらの様子を見て楽しみたかっただけなのではないか。口もとの笑みを消さずに謝る望月を見ていると、長月にはそう思えてならなかった。

(だが、言えない。そんなことを言っては、どんなやぶへびになるかわかったものではない)

 今も、望月は肩こそ放してくれたものの、かわりに手首をつかんで、並んで寝台のふちに腰かけさせられている。しっかりとつかまれたその手首を、長月はまるで手かせをはめられているようだと思った。

 望月の前で泣き顔をさらしたあの夜から、二人の関係はずっとこの調子だった。望月が面白半分で告げてくる指示を、長月は律儀に守り、そうして羞恥やとまどいを感じている姿をながめては笑い者にされる。長月は、そんな自分が情けなくてしかたなかった。しかし、いつのまにか、いやだとは思いながらも心の底から抵抗しようとはしなくなってしまうほどに、この生活に慣れてしまってもいた。

(なんだか、自分がどんどん知らない自分になっていくみたいだ……)

 そんなことを考えていると、長月が心をどこかに飛ばしていることが面白くなかったのか、望月がまた声をかけてきた。

「そういえば、まだほかにもあったよね。あたしが手をふったのに、無視したじゃん。しかも、どうでもいい話で長引かせてさ」

 その言葉に長月はふたたびぎくっと体をこわばらせる。かつての自分ならあれくらいしただろうかと思っての行為だったが、望月は見逃してくれないらしい。

(いや、そもそも本当に昔の自分はあんなことをしたか……?)

 長月はここのところ、自分のことがわからなくなってきていた。とがめるような望月の視線を受けて早まる鼓動は緊張のせいなのか、それとも期待のせいなのか。そんなことすらも。

「ねえ、長月。せっかく迎えに出たあたしにあんな仕打ちをするなんてさ。そんな長月にはおしおきが必要なんじゃない?」

 見上げてくる望月と目を合わせていると心の奥底までのぞかれてしまいそうで、長月はそっと視線をそらした。だが、すぐにその細い指であごのあたりをつかまれて、向き直させられてしまう。そのまま徐々に近づけられる望月の顔に、長月はふるふると首をふるものの、許してくれそうな気配はまったくなかった。

「だいじょぶだって。痛くはしないから」

 そうささやかれるが、これまでもこちらの意志などおかまいなしに好きなようにもてあそばれてきた記憶しか長月にはない。じわりと、長月の目に涙が浮かんでくる。それを望月に見られるのがいやで、好きにしろと、覚悟を固める意味もこめて目をつぶる。

 そうして暗闇に包まれた長月の首筋に、やわらかく湿った感触が当てられる。望月に舌でなめられたのだ。ぴくっと体が反応しかけるが、長月はなんとかそれをこらえた。しかし、望月がその程度で終わらせてくれるはずがない。次にはくちびるが押し当てられ、二度、三度と、くりかえし舌で首筋をなでられる。そのたびに、長月はぞくぞくと背筋に抜けていくふるえを抑えるのに必死となった。

(これは、おしおきなんだ……)

 そう言い聞かせるが、これまでにも何度かされるうちにすっかり慣らされてしまった体は気持ちよさを感じずにはいられなかった。そんな自分が恥ずかしくて、長月の顔はほてっていく。

「長月、可愛い」

 それをめざとく見て取った望月の言葉に、長月の羞恥はさらにあおられる。こちらのいやがる言動を選ぶ点において望月は実に的確だと、長月はたびたび思わされる。今もそうだ。いけないと思う気持ちが強まるほどに感覚は鋭敏になっていった。

「もっと可愛いところ見せてよ」

 その言葉の直後、長月の首筋に勢いよく歯が立てられた。

「あっ……!」

 強烈な痛みに長月は思わず声を漏らしてしまった。びくりと跳ねた体をなだめるように望月の手で足を優しくなでられるが、あがりかけた長月の呼吸はまるで落ち着くことがない。その間にも、がじがじとかみつくあごの力を強弱されて、間断なく刺激が与えられていく。そのたびに、長月は体の芯からじわりと熱がこみあげてくるのを感じていた。

 どれだけそうしていただろうか。頭がぼうっとしはじめたころ、望月は満足したように首筋を放してくれた。

 そうすると、唾液でべっとりとぬれた首筋にはすーすーとした肌寒さが感じられるようになった。望月の口が離れてしまったからだと思うと、長月はぼんやりと望月の口もとに目をやらずにはいられなくなった。

(……なにを考えているんだ、私は)

 ものほしそうな目を向けてしまっていたことに気づいた長月は、とっさに険しい表情を作って望月をにらみつける。しかし、その一連の表情の変化を見られていては、面白そうにされるだけだった。

「なに、長月? もっとしてほしいの?」

「そんなわけあるか……」

 そう言ってみたものの、その声音は弱々しいものにしかならなかった。それに、ふたたび近づけられる望月の顔に、長月の体がそれを押し止めようと動くことはなかった。体に力が入らなかったからだと自身に言い訳してみたが、期待していなかったといえばうそになる。

「まったく、長月は素直じゃないんだから……。ま、そこがいいんだけど」

 無抵抗の長月の首筋に、ふたたび舌がはわされる。つけられた歯形をなぞるようになめられる感触が快くて、長月は目を細めて感じ入った。じわじわと、頭がぼんやりしてくる感覚がまた訪れる。

(これも、悪くはない……か?)

 自分がこんな風になってしまうなど、いったい誰が想像できただろうか。望月といると、自分で自分に驚かされることばかりだ。

「じゃあ、もう一回、行くよ」

 かけられた言葉に、長月はまた目を閉じてその瞬間を待つ。あの感覚をもう一度味わったら自分は耐えられなくなってしまうかもしれないと、こわいような楽しみなような気持ちがわき上がってくるのを覚えながら。

 しかし、ついにその瞬間が訪れることはなかった。

 望月が口を開いてまさにふたたび歯をつき立てようとしたところで、部屋の扉を開く者がいたからだ。

「着っ替えー、着っ替えー……って、あれ、長月、帰ってたの? それに、望月も」

「睦月……?」

 そう口に出した自分の顔は、いいところで邪魔をされてうらめしそうな顔をしていただろうと長月は思う。睦月がややひるんだような声音で返事をしてきたからだ。

「にゃっ!? む、睦月は、水たまりですべって転んじゃって。服が汚れちゃったから着替えにきただけですー。そう言う長月は、ここでなにを?」

 逆にそう問われて長月は言葉につまる。とっさに望月とは距離を取ったが、睦月が入ってきたとき、おそらく自分は望月と並んで座っていて、まるでしなだれかかられているように身を寄せて見えたはずだ。事実はもっとひどいのだが、場をやりすごす説明の思い浮かばない状況に、長月は冷や汗が浮かぶのを覚えた。

 そんな長月に救いの手を差し伸べてくれたのは、やはり望月だった。

「長月のけがの具合を見てたんだよ。首をやられちゃったっていうもんだからね」

 その言葉に、長月はくっきり残っているだろう歯形を思い出し、とっさに手を当ててそれを隠した。睦月は、そこになにかあるとまでは気づきながらも、正確になにかまではわからなかったのだろう。首をひねりながらも心配そうに声をかけてくれる。

「ほ、本当? 長月、だいじょうぶ?」

 仲間思いの睦月にうそをつくのは心苦しかったが、まさか本当のことを言うわけにもいかない。長月は心に痛みを覚えながらも望月の言葉に便乗することにした。

「そうだ。まあ、軽いものではあるんだが、見ていてあまり気分のいいものでもなし、船渠に行ってさっさと治してもらうことにしようかと」

 それだけで十分とは思えなかったが、あまりあれこれ聞かれてもぼろが出かねない。そう考えた長月は、恥ずかしい場面に入ってこられた気まずさもあり、早々にこの場を退散することにした。

「長月、待ちなって。これでも持ってけば?」

 そう言って、望月は彼女の荷物からマフラーを投げ渡して貸してくれた。

「ああ、助かる」

 髪で隠すこともできるだろうが、ふりむいた拍子などに見えてしまいかねない。かといって、いつまでも手で押さえているのも不自然極まりない。長月は望月の気づかいに感謝しながらそそくさと部屋を出ていくことにした。

「しっかり治してもらうんだよー」

「ああ、睦月も、足もとには気をつけるんだぞ」

「わかってるのよ。睦月は同じ失敗を繰り返さないのです」

 そうして、その場をなんとかごまかせたことに胸をなでおろしながら、長月は船渠へと向かっていった。




「おやすみー」

「ああ。望月も、おやすみ」

 その夜、二人は部屋に戻ると、静かに言葉を交わして寝台にもぐりこんだ。同室の仲間たちはすでに寝静まっているだろうが、もしかしたらまだ起きている者もいるのかもしれない。ここのところ、長月は夜更かしすることがほとんどなくなっていた。

(それというのも、望月のおかげだな)

 ちらりと望月の寝台のほうに目をやるが、間にほかの仲間の寝台があり、彼女の姿は視界に入らない。それを確認して、長月は微笑を浮かべた。

 あの夜から、毎夜のごとく行っていた長月の資料との格闘に望月が加わった。以前はあんなに毛嫌いしていたはずなのに、押し隠していた情けない姿を受けいれてくれた相手だからだろうか、望月から提案されるとすんなり承知している自分がいた。そして、それによって資料室にこもる時間は大きく削減された。

(どうして、あんなに望月を目の敵みたいにしていたんだろうな)

 一度受けいれてしまうと、望月はすぐにこの上もなく頼れる存在になった。もともと長月を軽く凌駕する才能の持ち主なのだ。それに加えて、長月がどんな風に独学でそれにはりあっていたのかも知られていた。航路や戦闘の詳細図の作成を手伝ってくれたり、任務で失敗した原因をあぶりだして長月でもできる改善点の提案までしてくれるようになった。その提案の中には、長月が思い及ぶ小手先の修正などとは比べものにならないほどに有益なものがいくつも含まれていたのだ。

(今日の任務だって、ちゃんと望月の指示通りにできていたらもっと戦果をあげれたはずなんだ)

 失敗に終わった北方海域への出撃だったが、任務の達成へと着実に前進する手応えをつかむことはできていた。数日前に受けたばかりの指示だったためにぎこちない動きしかできなかったが、それにもかかわらずこれまでとそれほど変わらない戦果をあげることができた。しっかりと自分のものにできたらどこまで戦果を伸ばせることか。長月はここのところ、出撃任務に際してかつてのような高揚感を取り戻している自分を感じていた。

(本当に、望月には感謝してもしたりないな)

 ふたたび、長月は望月のいるほうを向いて微笑した。

 そのとき、首筋にかかった髪が望月につけられた痕をさらりとなでた。

(そういえば、治らなかったな、これ……)

 長月はいまだに残るその痕を指でなぞった。先ほど鏡に映して確認してみたところ、赤みはひいてきていたが、くっきりとつけられた歯形はまだ明らかにそれとわかるほどに確かな痕跡を残していた。

 あのあと、長月はまっすぐ船渠に行き、修理を受けた。だが、それはあくまで艦の修復だ。体のほうは治療の対象にならなかった。そもそも、仲間たちも含めて、これまでどれだけの戦場に出ても、誰かがけがをしたなどという話は一度も聞いたことがなかった。服は次から次へとぼろぼろになってしまうが、せいぜいそのくらいだ。

(まるで、あの男のようだ……)

 事務仕事ばかりのはずなのにどうしてか、あの男はたびたびどこかにけがをこしらえては絆創膏や包帯をのぞかせている。そのたびに「ちょっとへまをして」などと言い訳をされるが、特になにを思うわけでもないどうでもいい話にすぎず、これまで関心をはらったこともなかった。

(だが、あれを使わせてもらえば、マフラーよりは自然にごまかせるだろうか……?)

 マフラーを巻いて船渠に行ったところ、案の定というか、仲間たちにどうしたのかと尋ねられた。睦月に対してしたのと同じ説明でその場は押し通したが、どの程度信じてもらえただろうか。うそをつくことが得意でない長月は自身の弁に不安を隠せなかった。その点を考えると、あの男の持つ医療品を借りるというのは悪くない考えに思えるのだ。

 しかし、長月は少し考えた末に首をふった。

(どんな名目で使わせてもらうつもりなんだ……)

 けがをしたなどと言って信じてくれるだろうか。けがの程度を確かめるから見せてくれと言われたらどうするのか。目的のものを手に入れるまでに想定される問答を考えると、無理だと判断せざるをえなかった。いっそ本当のことを言ってしまったらどうだろうかとも考えたが、長月は勢いよく首をふった。

(これを、あの男に知られる……そんな屈辱があってたまるか!)

 即座にその考えを切り捨てた長月は、ほかにもなにかいい案があるはずだと考えだす。しかし、結局、マフラー以上にいい考えが浮かぶことはなかった。

(まあいい。明日は自分のものを使おう)

 今日いちにち、それでなんとかなったことには違いがないのだ。あらためて望月に礼を言わねばとも思うが、その一方で長月には納得のいかないこともあった。

(そもそも、あいつがあんなことをしなければこんなことで悩む必要もなかったんだ)

 なぜ望月は自分にあんなことをしてくるのか、長月にはわからなかった。望月が自分にするようなことを別の仲間にしているところを、長月は見たこともなければ聞いたこともない。望月といえば、訓練におけるさぼりの常習犯で、実戦では要所を押さえた活躍をしてみせるのだが、それさえ覆い隠してあまりあるほどにやる気のない言動ばかりが目につくというのが仲間内での評判だ。一部にはいっしょにごろごろしているのが楽しいとなついている者もいるが、総じて怠惰、無気力というのが望月を指して言われる言葉だった。それにもかかわらず、長月に対してだけ、望月はそうではない一面をひんぱんに見せてくる。

(なんでだろうな……。わからない。わからないが、この気持ちは……うれしいと、そう思っているんだろうか……?)

 長月はすでに望月に、他人には見せない情けない一面をさらしてしまっていた。しかし望月はそれをばかにすることなく受けいれ、それどころかさまざまな面で長月の支えになってくれてすらいる。長月の中で望月を頼みに思う気持ちは日増しに強くなってきていた。

(それでも、あいつは、私があいつのことを必要に思っているほどには、私のことを必要としてはいないんだって、そう思っていたが……)

 自分にだけ見せてくれる一面があるのだと考えると、少なくとも望月のほうでも長月に心を許してくれているのだと思うことができた。それがうれしくて、長月はほおをゆるませた。

(あいつが初めてそんなところを見せたのは……そうだ、あのときのことだ)

 そうして、長月は細部まではっきりと覚えているその日の記憶に思いをはせる。それは、今から二週間ほど前のことだった。




 その日、望月はいつものようにゆっくり昼前に起き出してきたかと思うと、唐突に長月をつかまえてどこかに出かけようと持ちかけてきたのだ。

 仲間の訓練があるからと長月はあくまで拒否したが、すでに男にも休暇の許可をもらってあると言われては、長月にそれ以上断る理由を思いつくことはできなかった。

 そうして、望月のあとに続いて宿舎の裏の山へと足を踏み入れたのだった。

「長月、どう? 楽しんでる?」

 山中にある池のほとりで、望月は長月にそう問いかけてきた。とてもそんな気分ではないとわかっているくせに、なにが楽しいのか、その表情はにこやかなものだ。長月にはそれが不愉快で、答えを返すことなく顔をそむけてやった。

(やはり、来るのではなかった)

 ここまでの行程は、なにか用事があっての外出の誘いなのだろうという長月の推測を裏切るように、目的の見えないものだった。

 池のある山は、山といっても遠目にはせいぜい小高い程度で、実際に登ってみても頂上までは三十分とかからない。昼食後の腹ごなしもかねてか、先に登る望月の歩みはのんびりとしたものだったが、それでも体感として一時間はかからなかったはずだ。

 そこでしばらく休憩していたが、それまでも、その間も、望月のほうから必要最低限のこと以外で声をかけてくることはなかった。いったい何のために自分をひっぱりだしてきたのかと気になってはいたが、聞く機会を逃しているうちにこの場所にいたっている。

 うんざりとした気持ちのままちらりと望月を見ると、窪地上のゆるやかな斜面を陽気に歩き回る姿が目に入った。

「せっかくいっしょに来てるんだから、長月にも楽しんでもらいたいんだよね」

 先ほどと変わらぬ口調で、望月はまた声をかけてきた。その声音はまるで、長月が楽しんでいないことを残念だとでも言っているかのようだった。だが、長月にはこのあてどもない散策のどこをどう楽しめばいいのかわからなかった。ただただ無目的で、退屈な時間に思えてならなかった。

「なあ、望月。いい加減、私を連れ出した理由を聞いてもいいだろう?」

 問いただすと、望月は目を見開いてこちらをふりかえる。

「長月、それ、本気で言ってるの?」

 長月はその反応には当惑した。どうやら望月にとっては自明のものであるらしい。長月には先ほどから見当すらついていないにもかかわらず。

「ああ。なにか私に用事があるのかと思っていたが、そんな様子もまったくない。これでは、訓練を休んでまでなにをしているのかと嘆かわしくなってくる」

 正直な気持ちを告げてみたが、長月の望む答えが返ってくることはなかった。それどころか、盛大なため息をつかれてしまった。

「はぁー……そうだった。長月って、そういうくそまじめなとこだけが取り柄だったよね。知ってたよ。知ってたけどさ……」

 言いながらも望月の声はだんだんと小さくなっていき、最後のほうはぶつぶつとしか聞き取れないつぶやき程度のものでしかなくなっていた。

 うきうきとした調子から一転したその様子を、長月は疑問に思いながらうかがっていた。そうしているとどこからか、ちっという音が耳に入ってきた。それは、わずかな距離の間でしか聞き取れないほどのかすかな音でありながら、聞こえる範囲の耳には鋭く響き入らずにはおかない迫力を感じさせた。

(今のは、舌打ち? 望月が……?)

 そうではないかと思うのだが、長月にはなかなか信じられなかった。望月が怒っているところなら、長月もこれまで何度か見たことがある。しかし、そんなときでも気力や体力を節約しようとするかのように、その場でさっと怒りをあらわにして、それですっきりしたとばかりにすぐのんびりした調子に戻るのが常だった。そんな、どこまでも気力に欠ける印象の望月と、露骨な怒りの表明である舌打ちというものが、長月の中ではどうしても結びつかなかったのだ。

 だが、どれだけ信じられなくとも、それはまぎれもなく望月によるものだった。

「長月、謝ってよ」

 目線は長月よりも下にあるはずの望月が、見下すような冷たい視線を向けてくる。長月には、望月の言葉も態度もまるで意味がわからなかった。唐突に理不尽なことを言われたとしか思えず、不快を感じずにはいられなかった。

「なにを言っているんだ。なぜ私がおまえに謝らなければいけない」

 けんかを売っているのかとばかり、望月をにらみつける。すると、望月は険しい目はそのままに、口もとに挑発的な笑顔を広げてみせた。

「ふーん。長月ってば、自分がどれだけ失礼なことしたかもわからないんだ。ふーん」

「私がいったい何をしたんだって? わかるように言ってみろ。もしくだらないことだったら、すぐにでも帰らせてもらう」

 こちらをばかにしたような態度に長月も怒りを募らせていく。ただでさえ、望月と二人きりで出歩いているという状況自体が面白くないのだ。そのうえわけもわからないうちに一方的に自分が悪いと決めつけられて、不愉快な気持ちにならないはずがなかった。

 しかし、望月はそんな長月の態度を面白がるように、表情に喜色を強めていく。そして、まるでものわかりの悪い子供に教えさとすように、長月に理由を聞かせてくる。

「あたしってばさ、長月にとってのなんなんだっけ?」

「同じ基地に所属する仲間だろう」

 当然だろうと答えると、こんな簡単なこともわからないのかとばかりに訂正が返された。

「違うでしょ。恩人でしょ。ちょっと前にさ、長月がみっともなく泣き崩れちゃったときに誰にも知らせずつきあってあげた、さ」

「そ、それとこれと……どういう関係があるというんだ!」

 つい一週間ほど前のできごとを蒸し返されて、長月は動揺した。

 その夜、蓄積した疲労で弱っていた長月の心は、望月の前で限界を迎えてしまった。それは、長月にとって消し去りたいと願ってもかなわない苦い記憶だった。そのときこそ優しくなだめてくれたものの、あれから長月は、望月と顔を合わせるたびにどう思われただろうかとびくびくせずにはいられなかった。しかし、これまで特に望月のほうから接する態度を変える様子が見られることはなく、どうやら心配のしすぎであったらしいと思えるようになってきた、ちょうどそんなところにこの望月の言葉だったのだ。

 あれは気の迷いだったんだとか、わざとそんなふりをしてみせたんだとか、考えていた自己弁護の言葉を思い出そうとしてあわてる長月につけこむように、望月はとっておきの話をするように告げてくる。

「もしもだよ? もし、あのとき、もうだめだーなんて情けないこと言ってたのをさ、仲間たちが知ったら、どう思うかな? いつもの長月しか知らない人たちが知ったら、いったいどれだけの人が長月にがっかりしないでいてくれるかな?」

「それは……」

 その場面を想像してしまい、長月はぎくっと体をこわばらせた。

「それともさ、司令官にばらしちゃったらどうなるかな? あたしたちにはあんまりそんなそぶり見せないけど、北方海域の作戦がうまくいかなくってあせってもいるみたいだしさ。吹雪や白雪みたいに、ここのところ司令官に目をかけられてる人もいるし、こんなにふがいない長月よりもみんなの引率にふさわしい仲間がいるよって教えてあげたら、長月は教導艦のままでいられるかな?」

 望月の言うことは、一つの可能性だった。そうなるかもしれないし、そうはならないかもしれない。そんなことになってたまるかと、いつもの長月なら、真っ向から反論することができたはずだ。しかし、望月によってすっかり自信を喪失させられたばかりの長月は、わずかでも存在する可能性をおそれずにはいられなかった。

「……私を、脅すつもりか?」

 長月の表情は苦渋にゆがんでいた。それを見て愉快そうにしている望月が憎らしくてならなかった。

「いやいや、あたしはただお願いしてるだけだよ? せっかくいっしょに出かけてきてるんだから、長月にも楽しんでほしいなって。でも、そのお願いも聞いてくれないっていうんなら、あたしは悲しくて悲しくて、ちょっと長月にいじわるしたくなっちゃうかもしれないよって、それだけのこと」

 望月はいけしゃあしゃあとそう言ってくる。

 長月にとって、望月の脅しに従うことは屈辱でしかなかった。しかし、皆から敬われる教導艦としての立場は、望月との才能の違いに打ちのめされた長月に残された、数少ない誇りの拠り所であった。それを失う恐怖を前に抗う勇気は、今の長月にはなかった。

「い、いいだろう。今日は望月につきあってやる……。だが、覚えていろ。無理強いされたことを、私は絶対に許さないと」

「おおげさだなー長月は。ま、でもとにかくさ、今日はよろしく頼むよ?」

 満足そうに歩み寄りながらさし出された望月の手を、長月はしぶしぶ握る。軽く握ってすぐにでも離してしまいたかったが、望月はそうはさせまいとするかのようにぎゅうぎゅうと握りしめてきた。

 そのまま導かれるように、池の水面まで続く斜面を中ほどまで下りていく。そうして、二人は一見仲よさそうに、その場に並んで腰を落とすことになった。

 にこにこと池に目をやりだした望月は、少しするとごろりと転がって空を見上げるようにする。長月はそちらに意識を向けながらも、視線はなんの変化も訪れない水面を見るともなく見やっていた。

(まったく、楽しそうなものだな……)

 不機嫌を押し殺してむっつりとする長月に対して、望月はそんなこちらに頓着する様子はない。意志に反して人をつきあわせておきながらその横で平然としてのける神経が、長月には理解できなかった。

(まあ、こいつが理解できないのは今に始まったことではないが)

 そうしてしばらくしていると、望月が視線を空に向けたまましみじみと口を開いた。

「ちょっとすずしいかもだけどさ、こうしてひなたでぼーっとしてると、がんばらなきゃって気持ちも忘れてのんびりしてたい気分になってこない?」

「そうか?」

 望月の脅しに負けた手前、長月はその言葉につきあおうと頭をめぐらせてみたが、いまいちぴんとこない内容だった。それどころか、なにをしていいかもわからず、ただ一刻も早くこの時間が過ぎ去ってほしいと思うばかりだった。どうしてこんなことをしているのだろうかと情けない気持ちすらもわきあがってくる。しかし、それを面には出すまいとつとめてこころみた。望月の機嫌を損ねることは、長月にさらなる苦しみをもたらすことになりかねないからだ。

「あっはは……。長月にはわかんないだろうなあ。長月ってばまじめすぎるからさ」

「そうなのか?」

「そうなんだって」

 なにが楽しいのか、望月はひとり話しだす。

「ぴんと意識を張りつめつづけてるとさ、すぐにだめになったり、そのうちぷっつりいっちゃうんだって。ときどきゆるめてやるくらいがちょうどいいらしいよ?」

(もしかして、そういうことなのか……?)

 それを聞いて、長月にも察しのつくことがあった。そういうことならば、なにを目的にしているとも思えずぶらつかされたここまでの行程にも納得のいくものがある。この外出を退屈と評した長月の態度がとがめられたのも理解できなくはない。望月が長月のことを心配してくれていたということには、驚かずにはいられなかったが。

 不機嫌さよりもとまどいが勝るようになった長月は、気づけば望月に尋ねていた。

「私は、そんなに四六時中、精神を張りつめているだろうか。むしろ、逆にたるんでいるのではないかと思っているのだが……」

 どれだけ集中しているつもりでも、気のゆるみがあるから失敗する。鍛錬が足りないから過失を犯す。その思いから、夜遅くまで資料と向き合い、訓練にもうちこんできたのだ。しかし、望月が言うにはそれこそがはりきりすぎの行いであるらしい。

「がんばってるって意識せずにがんばれるのは長月のいいところだけどさ、それでも無理してることには変わらないんだから。そんなんじゃ、そのうち限界がきちゃうよ?」

(そうかもしれないな……)

 言われてみると、数日前のあの夜がちょうどそのときに当たったのかもしれないと思えてきた。あのとき、長月はそれまでに経験のないほど感情を抑えきれなくなって取り乱してしまった。

(あのときは、本当に望月に助けられたと思う)

 それを脅しの種に使われてしまったことでいやな記憶が付随してしまったが、あのとき、望月が情けない自分をおかしな顔ひとつせずに優しくしてくれたからこそ、次の日からまた、それまでどおりに過ごすことができているとも思えるのだ。その気持ちにうそはない。

(だが、もしかしたら、私はあの日を境に変わってしまったのかもしれない……)

 こうして望月のとなりにいると、あらためて意識されることがあった。

「だからさ、長月。おとといみたいにあたしに頼ってくるのも、悪くないことだと思うんだ」

「あれは……助かった。思えば、ここのところは望月に助けられることが多い」

「ふふん。ま、どんどん感謝してくれたまえよ?」

「言ってろ」

 ふてくされたようにそう言うが、多分に照れ隠しめいた面があったことは否定できなかった。

(こいつといると、私は揺さぶられっぱなしだ。一昨日だってそうだった……)

 一昨日の夜、長月はいつものように資料室でその日の戦闘をふりかえって考察を行っていた。なかなかめどが立たない北方海域での作戦の成功に向けて、さらなる実力向上は必須だからだ。しかし、その夜の長月はどれだけ考えても現実的な改善点を思いつくことができないでいた。そんなときひょっこり現れた望月に、気づけば助言を求めていたのだ。

(あれは……本当に、どうしてあんなことをしたんだろうな……)

 思い当たることはなくもなかった。

(私自身の変化のせい、なのだろうな……)

 それも特に、自分の実力についてのものだろうとあたりがついていた。

 ここ一週間ほど、任務の戦果においては、それまでと目立った違いはなかったと記憶している。その点については、急激に成長したわけでもなければ調子を崩したりということもないため、そんなものだという以外の感想はない。しかしその一方で、自分ののびしろというものに関しては、大きな変化が生じているのではないかと思える節があった。

(はたして私は、今、強くなれているだろうか?)

 それこそが、長月をさいなむ疑問だった。

 仲間たちが着実に力をつけていることは、指導中の感覚からはっきりわかっていた。哨戒任務で、北方海域での出撃任務で、目に見えて一撃で敵に与える損害を大きくしてきている。だがそれにもかかわらず、あの戦艦に率いられた敵部隊との戦闘において、いつまでたっても自分も仲間も大きな傷なくくぐり抜けることはできずにいた。むしろ、長月自身がまっさきにやられてしまうことも珍しくはなかった。

(原因があるのは私なのではないか? 私が強くなれていないから、進展する見込みも立たないのではないか?)

 長月はもともとほかの仲間たちに比べて練度が高い。そのために成長を実感しにくくなっているのだとは、自分でもわかっている。だがそれにしても、北方海域での作戦で壁にぶつかってからはや二ヶ月になろうとしている。その間まったく上達したと感じられないのは、さすがに異常ではないかと思えてならなかった。望月が率いた部隊でなら、敵戦艦の部隊であっても一、二度うまくやり過ごしてさらに先へ進むことができていたことを考えるとなおさらだった。

(もしかして、今ぶつかっている壁とは、私自身の限界なのではないだろうか……?)

 そんな考えまでもが浮かんでくるのだった。

 そして、それを否定できる実感はないにもかかわらず、補強できる根拠ならすぐさまあげられるのが長月の危機感をいや増していた。

(どうしたら自分も望月に続くことができるのか。その効果的な方策を、私は思いつくことができているか……?)

 答えは否だった。考えつくものは、その多くが小手先のもので、そうでなければ長月にとって成算のみこめないばくちとしか判断できない代物ばかりだった。小手先の案を練っても大局に影響を与えれるとは思えず、危険なばくちに仲間をつきあわせるほどに楽観的になることもできなかった。

(そもそも、どうしてそんな袋小路に陥っているんだろうな……)

 そうして思い浮かぶのは、かつて長月自身が仲間に対して感じたことだった。

(『心が折れていなければ、さらに強くなることができる』か……)

 それをを自身にひっくり返して考えてみると、長月は自嘲の笑みをこらえねばならなくなった。

(いや、笑えない。だって、私は……)

 仲間たちが強くなろうとするのは、深海棲艦との戦いに勝ち抜きたいと願うからだろう。そのために、自分を守り、仲間を守り、敵を倒す力を鍛えている。しかし、長月にとっての強くありたいと願う動機は、大部分を望月に対する競争意識に拠っていた。にもかかわらず、才能の差は決定的でくつがえすことなど不可能だと、食い下がるなど思いあがりもはなはだしいと、一週間ほど前のあの夜、心の底から理解してしまった。

(そうだ。私の心は折れてしまっていたのだ。今のいままで、そのことに気づくこともなかったとは……)

 そのことと向き合うのがこわかったからだろうか。ますます笑えないが、笑う以外にどうしたらいいのかわからない。

 そんな気持ちを持て余していると、いきなり腕に痛みが走った。

「痛っ……」

 なにが起きたのかと思って目を向けると、望月が不満をありありと映した顔をしながら腕をつねってきていた。

「な、なにを……?」

 とまどいながらも尋ねると、望月からはびっくりするような低い声が返ってきた。

「長月さ、あたしといるのに、なにを勝手によそに意識を飛ばしてるの?」

「す、すまない……」

 先ほどの脅しを思い出してとっさに謝ってみたが、望月はその程度で許してはくれなかった。

「そんなにばらしてほしいの? もしかして、長月って、いじめられて喜ぶような変態さんだったり?」

「そ、そんなことはない! ただ……私はどうも、こういうことに慣れていなくて……。とにかく、気をつけるから……」

「それをあたしに信じろっていうの? さっきから、楽しんでるそぶりも見せないくせに?」

 そう言われてしまうと、長月には返す言葉がなかった。そもそもそんな気分になれないものをむりやり求められているというのに、加えて長月には無為の時間を楽しむという経験が圧倒的に不足していた。どうすれば楽しめるかもわからないのに楽しむふりをしてみせるなど、北方海域への出撃任務以上の難題だった。

 そんな思いから目を伏せかけると、さきほどよりも強く腕がつねり上げられる。

「うっ……」

 痛みに跳ね上げた視線が望月と合う。今の長月はただその怒りを甘んじて受けるほかなかった。悄然と望月を見つめていると、いきなりその顔に光が差したようにぱっと明るい表情が浮かぶのが見て取れた。それになんとなくいやな予感を覚えた長月は反射的に望月から距離を取るべくあとずさろうとしたが、その前にすばやく手首をつかまれてしまった。

「そうだよ。ちょっとおしおきをしてあげるね」

「おしおき……?」

 おそるおそる尋ねる長月に、望月は素晴らしい考えを伝えるかのように明るく話す。

「そうそう。しちゃいけないことを体に覚えこませてあげれば、長月もちょっとはましになれるでしょ?」

「待ってくれ。なにもそこまでしなくても……」

 固辞しようとしたが、嬉々とした調子の望月が止まる気配はまるでない。

「いいからいいから。全部あたしに任しといてって」

 そう言いながら、望月はつかんでいた手首を引き寄せて長月の服のそでをまくる。そうして、指先でそっと腕をなではじめた。それはさわるかさわらないかくらいの力の入れ方で、まるで大切なものをいつくしむかのように、ひじから先を上に下に、行ったり来たりとさせる。長月がその感触にぞわぞわと気色の悪さを感じて望月の表情と手つきに何度も何度も目を移すと、ますます楽しそうにされた。

 居心地の悪さに耐えられなくなった長月は、おずおずと口を開こうとする。その直前に、望月は見計らったようになでまわしていたそこに爪を立ててきた。

「っ!」

 繊細な手つきとは反対の、強烈な力のこもった爪が長月の腕につき立てられた。腕を圧迫するかのような力強さで、そこに容赦というものは一切感じられなかった。長月は突然のことに苦鳴をもらしそうになって、すんでのところでそれをこらえることができた。しかし、一向に力をゆるめることなく立てられつづける爪に、だんだんと不安を募らせずにはいられなかった。

 腕に力をこめて耐えているが、時間がたつうちに、だんだんとしびれて力が入らなくなってくる。よくわからないが、このままではまずいことになるのではないか。そんな考えがよぎりだしたところで、望月はようやく長月の腕を解放してくれた。安堵とともに一歩あとずさってそこに目を走らせると、血の気がうすれた腕にはっきりとわかる痕が刻みつけられていた。

(こいつがこんなことをするやつだったとは……)

 徐々に感覚が戻っていく腕にほっとしながら、長月は静かにその表情をうかがう。望月は、無気力そうないつもの雰囲気からは想像のつかない満足げな表情でこちらを見つめていた。

(私のことを心配していくれたのではなかったのか……?)

 望月のことを怒らせてしまったのはわかったが、優しく気づかってくれたかと思えば痛みを与えて楽しげなその表情なのだ。望月は自分のことをどうしたいのか。まるでわからなかった。

(やはり、気を許してはいけないやつなのか……?)

 そんなことを考えていると、望月もこちらが警戒心を強めたことに気づいたらしい。

「ああ、長月、びっくりさせちゃった? ごめんごめん。でも、長月がむかつくことしなきゃそんなことしないからさ」

 そう言われるが、なにが望月の怒りにふれることなのかわからなかった。ふたたび長月との距離を詰めてくる望月に、長月は体をこわばらせる。

「そんなに緊張しないでって」

 このままでは、また望月を怒らせてしまうのではないか。いや、怒らせて長月に当たり散らされるだけならばまだいい。そのあまりに脅しを現実のものにする気になってしまわれたら、長月にはとても耐えられない。そう思うのだが、視界の端に映る腕の痕が長月を安心させてはくれなかった。

 警戒をゆるめない長月にしびれを切らしてきたのだろう。望月の表情がくもっていくのがわかる。それでも、長月の体は言うことを聞かなくなったかのように固くなったままだった。

「まったく、長月はしかたないなあ」

 望月はため息をつくと、また長月に手を伸ばしてきた。次はなにをするつもりなのかと長月がその手を注視していると、望月の手は長月の腰に回された。そうして、ぐいとすぐとなりにひきよせられる。

(この体勢は……?)

 半身から伝わるあたたかさに、体を密着させられたのだと遅れて気づくと、長月はびくっと体を跳ねさせた。望月の機嫌を悪くさせてはいけないとは思うも、この状態ではそのおびえた反応も望月に直接伝わらざるをえない。望月はどう思っているだろうかと、長月の心拍は早まった。

 だが、見上げた望月が不満をその顔に映すことはなかった。それどころか、またあの楽しげな表情をしていたのだ。

 警戒を強めなければと直感した長月に、しかしその間は与えられることなく、次の瞬間には腰に回されていた望月の手によってわき腹がくすぐられはじめた。

「ふわっ……?」

 不意をついて与えられた感覚に、長月は思わず声をあげてしまった。普段は出さないような恥ずかしい声が出てしまったことに、長月はとっさに口に手を当てたが、密着した状態の望月がそれを聞きもらすはずはなかった。

「へぇ……長月、可愛いじゃん」

 にやりとした顔でそう告げられる。長月はそれを忘れてほしくてぶんぶんと首をふるが、赤くなったほおまでも隠すことはできなかった。

「恥ずかしがることないって。もっかい聞かせてよ。ねえ」

 それどころか、望月は嬉々としてくすぐる手の動きを大胆にしてきたのだ。口に手を当てていれば声をおさえることはできたが、ぴくぴくとふるえてしまう体ばかりはどうしようもなかった。

「そうやって口を押さえてるとさ、肝心なところががら空きだよ?」

 耳もとでそう告げられるや、もう一方の手も使って両のわき腹がくすぐられる。

「はうっ……やめっ……、……くくっ……」

 声をおさえようとすればわき腹の守りが甘くなり、そちらをさせまいとすると今度は声がおさえられなくなる。冷静にさせてもらえない長月の頭はどちらを優先するべきかを決めることすらできず、一方を気をつけてはもう一方を望月に狙われつづけることになった。

「それそれっ。思いっきり笑っちゃいなって。ま、がまんしてる長月の声も可愛いけどさ」

「くぅ……」

 恥ずかしさとくすぐったさに必死で耐えていると、しばらくしてようやく望月の手の動きが鈍くなってきた。余裕ができてきた長月は、きっと望月をにらみつけて抗議する。

「へ、へへ、変なところを……触るんじゃ……ない!」

 だが、望月は面白いことを聞いたとばかりに、さらににやりとしてみせるのだった。

「ふーん? 変なところね……それは、こういうところのこと?」

 そう言いながら、望月の手がわきばらから腹の正面に回されてきた。その手は、長月が止めるまもなく服の上からへそのあたりをまさぐりだした。

「ひあっ……!?」

 同じわき腹をくすぐりつづけられたならば、覚悟ができていたためにこらえることができた。しかし、予期していなかったところをさわられて、長月はとうとう笑いの衝動をこらえることができなくなった。

「はははっ……や、やめろっ……ひひっ……ははははは……!」

「そうそう。その調子、その調子」

 へそのあたりだけで耐えられなくなってしまった長月に、望月はふたたびわき腹にも手を伸ばしてくる。

「あははっ……もう、もうやめてくれ……あはっははは……ひぃ……はははは……!」

 だんだんと呼吸もままならずに苦しくなってくるが、それを訴えても望月が止めてくれる様子はない。わき腹をもまれたかと思えば、へそをつつかれ、さらにはすきをついてわきの下までさぐられて、長月は息を吸う暇もないほどに笑わされつづけることになった。

「はっはっは……げほっ、ごほっ……ひっ……ははっははは……ひゅっ……!」

「おっと……」

 呼吸がぜーぜーとしたものになりだしたころ、ようやく望月はその手を止めてくれた。

「ははっ……げほっ……はーっ……はーっ……ごほっ……」

 せきこみながら、長月はむさぼるように深く深く、息を吸いこむ。体が欠乏を訴える空気がいちどきに取りこまれていく感覚が、ただただ爽快だった。しかし、それも望月に拷問かと思うほどにくすぐられっぱなしにされたせいだと思えば、ありがたくもなんともない。

「おま……えは、私……を……こ、殺す……気なのか……?」

 息を荒げながら言うが、望月はおおげさなことを言うとばかりに手を広げるだけだった。

「くすぐられただけで死んだ人なんて、聞いたことないよ。ま、あたしが聞いたことないだけかもしれないけど」

(こいつは……)

 少しも悪びれる様子のない望月に怒りを覚えかけたが、意識がもうろうとしそうなほどの苦しみを味あわされた直後の長月にすぐさま反撃に出る余裕はなかった。それに、呼吸を整えている間、そっと背中をさすられる感触がここちよくて、だんだんとそんな気持ちもうすれていったのだった。

「長月、さ……」

 呼吸が落ち着いてきたころ、望月は長月になにかを切りだすように話しかけてきた。長月は目を閉じて背中をなでる望月の手の感触に身をゆだねたまま、なんだとその先をうながす。

「あたしは思うんだよ。長月は、たまーに深刻になりすぎるときがあるって」

「それは……そうかもしれない」

 先ほどの考えを思い出しながら、長月は相づちをうつ。今この状態で思い返してみると、どうしてあれほどどつぼにはまってしまったのかと不思議に思えてくるのだ。

(あの想像は、あくまで最悪の場合でしかない)

「あんまりにも思いつめちゃったときには、思いっきり笑い飛ばすのが一番。そうじゃない?」

「まったく、おまえというやつは……」

 そういうことは先に言っておけとも思うが、言われたからといって、それが望月からとあっては、実際に体験してみるまで信じることはできなかっただろう。いったいどこまでお見通しなのかと、こわくなってくるくらいだった。

(まあ、それでもあんな苦しくなるほどにやる必要はなかったと思うが……)

 それも、どうせ望月のことだから、面白くなってやりすぎてしまったというところなのだろうとあきらめるしかなかった。望月といると、いい意味でも悪い意味でもつくづく調子が崩される。そのことを嫌って、つきまとう望月にいらだちを募らせていたこともあったが、それをありがたく思えることもあるのだなと、長月はひそかに感心していた。

(嫌いなところばかりいやがって、いいところもあるのを見ないふりをしてはいけない、か……?)

 そんなことを考えているうちに長月の呼吸はすっかり元通りに整っていた。そして、望月もそのことに気づいたか、こんなことをつぶやいた。

「じゃ、そろそろいいかな」

 なにがだと問おうとした長月よりも早く、望月によって長月の両手がつかまれた。今度はなにをするつもりだと思っていると、次には長月はその場に押し倒されていた。

「な……?」

 さらには、驚いている間に、腹の上に馬乗りにまでなられてしまった。つかまれた両手は、頭上の地に押しつけられている。

「これはいったい、なんのつもりだ」

 せっかく見直したと思ったばかりの望月の行動に、長月は声を鋭くする。だが、望月は失意を感じさせるその声音に、気をよくするばかりだった。

「うんうん。長月ってば、やっぱり澄ました顔から情けない顔への落差がいいと思うんだよね」

 図られたらしいと気づいたときにはもう遅かった。

「放せ。私はもう帰らせてもらう」

「だーめ」

 拘束をふり払おうともがいたが、力の入りづらい姿勢を取らされているために望月の体はびくともしなかった。

「おとなしくしてなって。こっからは、いいことしてあげるから」

「いいこと、だと……?」

 逃げられないようにして意地の悪そうな笑みを浮かべる望月を見て、どうしてそんな言葉が信じられるというのだろうか。しかし、それがうそだろうと本当だろうと、今の長月に拒絶する術などないのだった。

「そう、いいこと。長月にいやな場面ばかり覚えてられても、今度から警戒心ばんばんで面白くなさそうだから、今日つきあってくれたご褒美もあげないとって思ってね」

 この状態から、どうすれば警戒を解けるようになるというのか。それに、その他にも聞き捨てならないことがあった。

「今日だけでなく、また私をつきあわせるつもりなのか。ただでさえ、訓練や指導の時間を削らされてるというのに、この上……むぐぐ」

 抗議していると、望月に手で口をふさがれてしまった。

「あーもう、長月はいちいちうるさいなあ。黙ってあたしのしたいようにされてればいいの」

 そう言いながら、望月の顔が首もとへと落ちてくる。

(く、来るな……!)

 間にあごをはさんで止めようとしたが、口をふさぐ手に押さえつけられて、ほとんど顔を動かすことはできなかった。それどころか、軽く顔をのけぞらされ、近づいてくる望月の顔を視界の端でながめているほかなかった。

 ぴとりと、湿った感触があごの裏に当てられる。その生温かい感触が望月の舌だとわかると、長月はぞわりとおぞけの走る感覚を覚えて身をすくめた。

(首をなめるなんて、きたならしい……)

 そんな長月にもおかまいなしに、望月は嬉々として告げてくる。

「長月の首、やわらかいね。思いっきりかんだら、かみちぎれちゃいそうなくらい」

(冗談……だよな?)

 長月は、望月に生殺与奪の権すら握られてしまっていることにようやく気づき、恐怖に身をこわばらせた。この基地島においてめったなことができるものではないだろうとわかってはいるが、それでも大丈夫だと確信できるほどに長月は望月のことを理解しているわけではなかった。

「長月、こわいの? 体、ふるえてる。なんだかひと思いにやっちゃいたくなってくるなあ」

(お願いだから、やめてくれ……!)

「だから、暴れないでって。加減を間違えても知らないよ?」

 望月はもがく長月を軽くいなすと、ふたたび首筋に舌をはわせてきた。ぺろりとなめたかと思うと、くちびるで軽くついばまれ、それらに長月が反応してぴくっと身をふるわせるたびに笑い声を漏らされる。

「長月、どう? どんな感じ?」

(気持ち悪いだけだ……)

「ふふ……。今度はいつまでもつかな?」

 先ほどくすぐられた余韻か、望月がしゃべるたびに吐息が首筋をなでていってくすぐったい。そのせいで、意志に反して体がふるえを発してしまいそうになる。それをこらえるために長月は目をつぶって歯を食いしばったが、それはかえって望月の舌の感触に神経を集中させてしまう結果となった。

(うう……ぞわぞわして……けど、あたたかい……)

 望月の舌になぞられるたびに、肌が粟立つような感覚が走っていく。

 あたたかい感触は、首もとからあごへ、ほおへと行ったり来たりを繰り返しながら、だんだんと場所を移していった。

(気色わるい……はずだが、なんだ……これは……?)

 ぞわりと走る感覚に対して、いつしか長月は嫌悪だけでない感情を抱きだしていた。それは、同時に感じるくすぐったさによるもののようでいて、しかし笑ってしまいそうな感覚とは異なるものだった。

「だいぶおとなしくなってきたね。じゃあ、ここでお待ちかねの……」

 望月がそう言うやいなや、口をふさいでいた手が離され、代わりにやわらかい感触がそこを訪れた。

(これは……?)

 目を開けると、鼻先がふれあいそうな距離でこちらを見つめる望月と目があった。望月は、驚きに固まる長月を見てにっと目を細めると、長月のくちびるをゆっくりとなめあげていく。くちびるの下側をねぶり、上側をなぞり、そうしてひととおりくちびるがたどられると、今度はその舌は、長月の口の中に押し入ろうとしてきた。

「な……何をしている!?」

 ようやくはっと状況に気がついた長月は、かみつかんばかりの勢いで望月に抗議した。しかし、その動きは予測されていたようにあっさりとかわされてしまい、ただその感情的になった反応を面白がられるだけに終わった。

「長月ってば照れちゃって……」

 そう言いながら、額を押さえられ、ふたたび頭を地につかされる。その望月の楽しげな顔がいらだたしくてならなかった。

「どこがだ! もうたくさんだ。帰らせてくれ!」

「そんなこと言ってさ、長月だって期待してるくせに」

 そんなわけあるか。そう思うのだが、素早く鼻先に押し当てられたあたたかい感触に、長月はうっとその言葉を飲みこんでしまった。さらに、両目を覆われ、ふたたびくちびるをついばまれると、じんわりとした感覚に、なぜだか怒りはどこかへ消えていってしまうのだった。それどころか、長月の体は望月の舌を迎え入れるように勝手に口を開いてしまう。

「ほら。本気で抵抗してこない」

 ささやかれた言葉にも、羞恥が先に立つばかりだった。

(こんな……無理やりされて。いやなはずなのに……)

 そう思うのだが、口内をなぞられ、舌を絡められていくうちに、不快でない感覚を抱いてしまっている自分がいることに気づかないわけにはいかなかった。

「ねえ……長月……ちゅっ……どんどん真っ赤に……なってくよ……れろ……今……なに考えてる……のかな……?」

(おまえに……腹を立てているんだ……)

 そのはずだと、長月は思った。逃げられないようにつかまえられて、望んだわけでもない感覚を与えられて、怒らないわけがないではないかと。だが、怒りよりも羞恥に染まる顔を望月に指摘されたことが、長月にはたまらなく恥ずかしかった。

 そして、そんな気持ちも、だんだんぼんやりしてくる頭の片隅へと、徐々に追いやられていくのだった。

「はー……ちゅふ……望月……はー……なんだか……はむ……はー……おかしく、なっ……はー……」

 顔を離すことなく続けられる深いくちづけに、長月は呼吸もままならず、息を荒げていった。息があがればあがるほど強まっていく、体中がしびれるような感覚に包まれていき、あらがう気力もすっかり失われていった。

(これは……なんだ……?)

 このままだと自分の体になにかおそろしいことが起こる。そんな予感に身をこわばらせていると、望月はようやくくちびるを離してくれた。

「……長月、どうだった? 気持ちよかった?」

 そうして、そんなことを聞いてくる。長月は、自分が抱いた感覚を認めてしまうのがこわくて、ぷいとそっぽを向く。

「はー……はー……そんなわけ……はー……あるか……」

 しかし、羞恥以外にも顔を赤くさせておきながら望月の目にそれを隠すことなど、長月には無理だった。

「ふふ。そんなこと言っちゃって……」

 また下りてきてくちびるを食みだした望月の口に、長月は期待をこめて口を開いた。しかし、その瞬間に顔をひっこめられ、軽くつきだした長月の舌だけがむなしくその場に取り残されることとなった。

「ほら。自分からこんなことまでするようになっちゃうんだから。長月ってばほんと可愛いよね」

「……う、うるさい」

 いつの間にか放されていた両手を使って望月に殴りかかるが、ただの照れ隠しだということはもうごまかしようもなかった。

「ごめんごめん。もっかいしたげるから、機嫌直してってば」

 そう言われると、それがほしくてむくれていたようで恥ずかしかった。

 けれど、入りこんできた舌にまた自らを絡み取られ、望月のやわらかい感触を感じているうちに、そんなこともどうでもよくなってしまうのだった。




(思えば、あれがあったから、私は望月に気を許しているのだろうな……)

 あれから、望月には任務における助言を求めるうちにあれやこれやと手伝いまでしてもらうようになり、長月はすっかり望月の世話になりっぱなしになっていた。頭打ちになったかと危惧していた実力も、少しずつ上向きの気配が感じられる。それだけでも、望月のことを頼りにする理由としては十分だっただろう。

(けど、やはりあの……ふわふわと頼りない感覚に包まれる感じ。あれをこそ、望月に期待せずにはいられなくなってしまった……)

 長月はきゅっと胸の前で手を握りしめる。

 あの日から、長月は何日かに一度、休暇を取って望月と過ごすようになっていた。そしてそのたび、望月の思うままに翻弄されてしまうのだった。

(どうして、望月にされるとあんな気分になってしまうのだろうな……)

 あのあと、一度だけ自分で自分の体にふれてみたことがあったが、望月にふれられているときのような感覚が得られることはなかった。それだけに不思議でならない。

(今ならば、感覚はつかめてきたはずだが、どうだろうか……?)

 長月は、自らの体にそっと手をはわせてみる。望月にされて気持ちよかった部分にふれ、軽くなでたりつまんだり。しかし、どれだけそうしてみようと、やはりあのぞわぞわとする快感は得られなかった。それどころか、比較しようとしたことで望月にされたときの感覚を思い起こしてしまい、まるで満たされない感覚に、長月はどうしようもない気持ちがこみあげてくるのを覚えた。

(やっぱり、望月じゃないとだめなんだ。望月が、いないと……)

 けれど望月はもう寝入ってしまった。それが悲しくて、涙まで浮かんできた。

(また、望月になぐさめてもらいたい……)

 そう思い、身を起して望月の寝台に向かおうとしたが、そのときに立ててしまった物音にほかの仲間たちが反応を示す気配がして、今はだめだと判断せざるをえなかった。

(明日までがまんすればいいんだ。そうすれば……)

 明日は何度目かの、望月と過ごす休暇が予定されている日だった。そのときに、思いっきり甘えればいい。そう考えて、この晩はじっと自身の感情をやりすごそうとした。

(だけど、冬の夜は長いんだ。なあ、望月……)

 そうして、長月は一人、静かにすすり泣く声をこらえながら夜が明けるのを待った。




 望月は夢を見ていた。

「ねーねー長月、ちょっとこの服着てみてくれない?」

 そう言って、望月はとある服を長月に差し出す。いぶかしげに手に取った長月は、それがなにかに気づくや、驚きの声をあげた。

「なんだ……って、これ、雪風の服じゃないか!? 替えが一着なくなったって騒いでいたが、おまえのしわざだったのか……」

「ま、いいからいから。ちょっと着てみてよ?」

 それは、前の日に唐突に思いついたことだった。夢の中のできごとだが、望月の中ではそういうことになっていた。ふっと、長月に普段着ない服をを着せてみたらどんな反応をしてくれるだろうと、そんな考えが浮かんだのだ。

(長月ってば、黒い服の印象が強いけど、白も案外合うと思うんだよね)

「よくない。さっさと返してこい」

 長月がすんなりうんと言ってくれそうな気配はないが、それは想定の範囲内だった。

「えー? こないだ演習で勝ったから、なんでも一つお願い聞いてくれるって話だったじゃん?」

「そ、それは、おまえが勝手に言いだしたことだろう。私が承知した覚えはないぞ」

「でもさ、だめだとも言わなかったよ?」

「た、確かにそうだが……だからって、いくらなんでもこの服は……」

 こんな取ってつけたような言葉にも動揺してくれるのだから、長月は可愛いと思う。それを着た自分の姿を想像してしまったのだろうか、手に持つ服と望月との間で視線を行ったり来たりさせる様子に、望月は笑み崩れそうになる表情をなんとかこらえながら、まじめな顔をとりつくろって言う。

「いくらなんでもってのはないでしょ。それは雪風の制服なんだよ? それを恥ずかしがるってことは、長月は雪風のことも恥ずかしいやつだと思ってるってことなの?」

「そんなことはない! そんなことはないが……こんな、足がまる見えになる格好はどうにも……」

 顔を赤らめながら、だんだんと声を小さくしていく長月の姿は、ふだんの凛々しさがまるで感じられない、弱々しいものだった。その姿に望月は満足の吐息をもらすと、そのあたりで長月にも助け舟を出すことにする。

「どうしてもできないっていうなら、まあ、いいよ? 代わりにさ……」

 そう言って、望月はあらかじめ用意しておいた別の服を取りだした。

「これは……睦月の?」

「そ。こっちはちゃんと睦月に頼んで借りたんだよ? 長月が着たがってるってことにして」

「お、おまえ、なんてことをしてくれたんだ……」

 胸ぐらをつかまんばかりにつめよられるが、そのあわてた表情が可愛くて、望月はとうとう笑いださずにはいられなかった。長月からは笑いごとじゃないとますます表情を険しくされるが、それすらも、望月には楽しくてならなかった。

「あっはっは……。だいじょぶだって。『睦月の服に目をつけるとは、長月もなかなかお目が高いのです』って、深く事情も聞かずに貸してくれたからさ」

「それは、大丈夫というのか……?」

 こちらが譲る気がないと察してくれたのか、長月は肩を落としてうらめしそうに見つめてきた。問題ないと根拠もなく言ってみせると、長月の目はあきらめを映しながら、そのまま望月が手に持つ睦月の服に向けられた。

「で、長月? 結局、着てくれるの?」

「ちょ、ちょっとだけだからな!」

 うながしてやると、長月は差し出した服をひっつかんで部屋の隅へと向かった。

「着替えくらいべつにそんなところでしなくてもいいじゃん」

 そう声をかけてみるのだが、うるさいと一蹴される。気分の問題なのだろうと気持ちを納得させると、自分の寝台にごろりと横になり、ものかげでごそごそと音を立てる長月の着替えが終わるのを今か今かと待ち受けた。

 そうして、数分がたっただろうか。

「も、望月。できたぞ……」

 ようやく長月から声がかかった。そうして、着替えた長月をふり向いた望月は、思わず声をあげた。

「へー……」

 睦月の服は、考えていたほどには長月に似合っていなかった。しかし、いつもの黒い服ならば落ち着いた雰囲気が感じられるところ、白を基調に緑の襟やスカートが合わさった服だと、所在なげにおどおどとしたしぐさとあいまって、長月にどこかあやういかわいらしさすら感じさせられるのだった。

「な、なにか言ってくれ……でないと、気まずくてしかたがない」

 上目づかいになりながら恥ずかしげに聞いてくる長月は、自分がどう見えているのかがわかっていないのだろう。

(これは……ほかの人たちには見せられないよね)

「うんうん。すっごくかわいい。さすが、あたしの目に狂いはなかったね」

 そう言って、ひとりうなずくと、そのまま長月を寝台に腰かけさせる。

 座ったその姿をながめながら、次にはまたどんな口実を見つけてほかの人の服を着てもらおうかと考えていると、長月が懇願するような目を向けてきた。

「なあ、もういいだろう? ふだん着なれない服はどうにも落ち着かなくて……」

 その言葉にはっと我に返った望月は、本来の目的がまだだったことを思い出した。

(そうそう。見てる分にも楽しいけど、なんでこの服を着せたかっていうと……)

 片手で長月の肩をつかむと、もう片方の手を服のすそから差し入れた。

「い、いきなりなにを……?」

 とまどったような声をあげる長月の反応が期待どおりで、望月は楽しくなる。

「ふだんのあたしらの服って、ベルトがあるからなかなかガード堅い感じじゃん? けど、それ以外の服ならさ……」

「おまえ、初めからそのつもりで……ひゃっ!?」

 ようやく気付いたようだが、もう遅い。望月の手を押しとどめようとしたらしい長月だったが、差し入れた手で素早く胸にふれ、そうしながらくちびるも奪ってやると、すぐにその抵抗も弱まっていった。

「いつも……いっつも……こんな、不意打ちみたいに……して……」

 しばしして、くちびるを離すと長月は息を荒げながらそんなことを言ってきた。

「長月がすきだらけなのがいけないんだよ?」

「うるさい。おまえなんか、嫌いだ……」

 快感に顔をゆがめながらきっとにらみつけてくる長月を見ると、望月はその顔が見たかったんだとうれしくなった。けれど、それだけではまだ足りなかった。もっと見たい。意地を張る長月の心が押し流されていく瞬間が見たいと、ますます意地悪をしたくなっていく。

「じゃあ、今日は、長月があたしのこと好きって言ってくれるまで続けよっか?」

「そんな……」

 その言葉を口にする恥ずかしさと、快感に翻弄される恥ずかしさとの間で迷いはじめる長月の気持ちが手に取るように伝わってきた。

「それまでに、どれだけ可愛いところが見れるかな?」

 笑いかけてやると、長月の顔に期待と恐怖を混じった表情が浮かんだ。その顔がさらにゆがんでいくのを想像しながら、望月は長月の体に手をはわせていった。

 そのとき、望月はどこからか自身の名を呼ぶ声を聞いた。


「望月、起きろ。起きてくれ」

「うーん……?」

 体がゆさぶられる感覚に、望月は目を覚ました。しかし、つい先ほどまで見ていた夢と現実との違和に、頭はなかなか追いつかない。

「ここは……?」

 寝ぼけて今の状況がつかめず、望月は誰にともなくつぶやいた。すると、誰にともなく口に出した言葉に返ってくる答えがあった。

「望月、朝だ。起きてくれ」

「長月……?」

「そうだ、私だ」

 ぼんやりした目つきを向けた先にいたのは、ここ最近お気に入りの相手だった。夢に見たような睦月の服を着ていることもなく、表情も乱されてはいない。そんな長月を見ているうちに、だんだんと望月の頭もはっきりしてきた。

「あぁ、夢……。長月、いま何時?」

 そうして帰ってきた答えに、望月は初め、聞き間違いを疑った。しかし、聞き直しても答えに変わりはなかった。

「まだ朝食の時間じゃん……。もっと寝かせてよ」

 望月はうらみがましく長月を見つめた。すると、長月はむしろこちらを責めるような表情をみせた。

「今日はおまえといっしょの休暇の日じゃないか。それなのに、おまえときたらいつまでも起きる気配すらない」

 初めはこちらから口実を作ってひっぱりだしていたというのに、今ではすっかり長月のほうが乗り気になっているらしい。体を起こしただけでそれ以上動き出さない望月からせっせと服を脱がして着替えまでさせてくれようとしている。

(まあ、それ自体はいいんだけど……)

 ただし、それで至福の朝の眠りがさまたげられたと思えば、喜んでばかりもいられない。

「あのさ、長月。こないだもそうだったけど、こんな朝も早くから起こすのは勘弁してよ」

 以前の休暇の日は今日よりもさらに早く、みなが起き出したすぐあとに起こされた。あせったような長月の声になにか緊急事態でも発生したのかと飛び起きたがそんなことはなく、そのうえまだ朝食の時間にもなっていないとわかると、望月はどっと押し寄せた疲れと眠気に任せてふたたび眠りにつこうとした。しかし、それはすぐさま長月にひき止められてしまった。むっとした望月が無視して寝ようとすると、今度は長月はこちらのふとんの中にまでもぐりこんでこようとした。驚きのあまりとっさにけりだしたのだが、それもあって眠気はすっかり吹き飛んでしまった。しかたなくそのまま起きることにしたものの、その日は終始、眠くて眠くて大変だったと記憶している。

 それを思い出して抗議してみるが、長月はどこ吹く風だった。

「なにを言う。おまえがふだん起きるのが遅すぎるだけで、そもそも起床時間はもっと前なんだ。この機会に生活を改めたらどうだ」

「うるさいなあ。あたしはゆっくり寝ないとすっきりしない体質なの」

 そうも主張するが、長月がふたたび望月を寝かせてくれようとする気配はなかった。

「それは聞いたが、私だってこの休暇の日をどれほど楽しみにしてきたか。おまえが寝ている間にもその時間はどんどん過ぎていくんだぞ」

 そう言われる合間にも、長月に着々とふだんの服を着せられ、寝起きでぼさついた髪をすかれていく。望月自身はなにもしていないにもかかわらず、長月の手によって身支度はしっかりと調えられていった。

(なーんか、調子狂うなあ……)

 それは、望月にとってどうにも気持ちの晴れやらぬ寝起きであった。



     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇



 文字数制限に引っかかったため、いったん区切ります。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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