2014年06月28日

影の棲む城(下)

影の棲む城〈下〉 (創元推理文庫) -
影の棲む城〈下〉 (創元推理文庫) -

素晴らしかったです。上巻の序盤で抱いた期待通りに、それ以上のものを見せてもらいました。

本当はそうではないにも関わらず、かつて心神を磨り減らした時期からずうっと変わらぬ狂人としての扱いを受け続けていた国太后イスタ。一時期までは本当に残りの人生を喪失とともに過ごすものと信じ、諦感以外が入りこむ余地のない心理状態でしたが、シリーズ第一部である『チャリオンの影』でのカザリルの活躍によって、二十年近くにもわたった沈鬱な日々に救いがもたらされました。内に籠るままに過ぎ去った月日が戻ることはありませんが、彼女の心は囚われていた牢から解き放たれていたのです。しかし、そもそも彼女がなぜそれほどに精神を消耗させたのかを知らない侍従たちは、そんな一大変化にも気づくことなく、千秋一日のごとく彼女を気狂いとして扱い続けていたのです。その接し方は、いかにも真綿でくるむように丁重なものではありました。ですが、それはいかにも頑是ない子供に接するようであり、健常な大人にとっては首を絞められるようにじわじわと心を苛んでいくものでした。イスタの扱いを知り尽くした侍従たち相手では、何を訴えようとしてもいいようにあしらわれるだけ。このままでは今度こそ本当におかしくなってしまう。そうした我慢しきれぬ葛藤の末に、イスタは逃げ出したんですよね。世の中には、逃げ出すことでしか解決できない問題もあると、そう信じて。

その期待は裏切れませんでした。イスタは確かに逃げ出しました。しかし、逃げ出した先で出会した事件を通して、彼女は問題を解決する勇気を得たのです。言ってしまえば、彼女の問題は周りの人間が原因でした。頭の上がらない人のもとで子供扱いされ続けていては、いつまで経っても関係を変えることはできません。一度それらの人々から離れて一人前の人物として扱われ、自らもそれに値することを証す体験をすることで、もう庇護はいらないと、感謝までしながら言えるようになるんですよね。この変化は、年齢に関わらずとてもとても尊いものだと思いますね。自分自身の人生を歩み出すために欠くべからざる段階だと思いますので。そして、この過程において、まず逃げ出すことが前提になっていました。また解決は、目の前に立ち塞がった別の問題に対処しているうちに、気付けば手繰り寄せられていました。立ち向かうばかりが手段ではない。この教えはとても優しく胸を打ちます。

イスタがその解決を得るに至り、この上ない貢献を果たしたのは、言うまでもないでしょうが、アリーズとイルヴィンでした。彼らは故ルテス卿の縁者であり、イスタにとってはいまだ赦されぬかつての罪の記憶を想起せずにはいられない相手でした。しかし、そのつもりでなかったとはいえ神々の導きの下に出会った相手。望んで得た力ではなくとも彼女でなくば解決できぬ事態を目の前に用意されては、見捨てることなどできるはずもなく。むしろそこで、脱け殻のようになっていた自分が生かされたのはこのためかという使命感とともに行動できるのは、悪く言うとお人好しなのかもしれませんが、聖人に選ばれるにふさわしい資質とも言えるのかもしれません。とはいえ、上巻の感想でも書きましたがポリフォルスで直面したその問題はすごく難しくて。少なくともアリーズかイルヴィンのどちらか、あるいはアリーズの妻であるカティラーラのうちの誰かが死なねばならないのはほぼ確定していましたので、よそから来たイスタがおいそれと断を下せる問題ではなかったのです。当人たちが納得いくまで話し合うしかないのですが、武人にとっては常日頃から戦場でのそれを覚悟している死でも、愛してやまない夫との死別を突きつけられるカティラーラにとっては冷静でいられるはずもなく。この辺、カティラーラが嫉妬深く盲目的になるほどアリーズを愛していた人なので余計に事態を難しいものにしていたのですが。しかしそうはいってもカティラーラの気持ちもわからなくはないですからね。取り返しのつかないものである以上、ぎりぎりまで納得ずくの結果を導こうとする努力と忍耐を放棄してはいけない。本当に難しい問題でしたね。この下巻でも、その問題は結局話し合いで合意に至ることはできず、状況が差し迫ったことでなしくずし的に決着がつくことになったのですが、少なくともあの決着の形はあり得た中で最善のものだったと思います。死に行くあの人の門出は、この上ない名誉と祝福に包まれていましたから。イスタに祝福を与えられた場面から神の身許に旅立っていった場面の泣かせることといったら。これで最後であるからこそ、ただ名誉ある死を。そのほとばしる思いの、たまらない熱気にやられました。

思えば、その場面が一番の盛り上がりを感じたように思いますね。『チャリオンの影』同様に神々の力を擁して敵なる影のものを打ち負かすクライマックスもありましたが、やはり熱量では、一個の生命の最後の輝きを放ったあちらの方が上だったかなあと。もちろん本来のクライマックスもかなりよくて、影の力を操る人知及ばぬ敵手に対して、束の間絶望の淵に投げ込まれて頭が真っ白になりかけた直後の鮮やかな逆転劇は実に爽快でした。今回の敵は勝てる相手なのかと疑わしく思えるくらいに正面からも搦め手からも強力でしたから。とはいえ、後から思えばあれを仕向けた庶子神の意図はわかるものの、その意地の悪さにはイスタ同様辛辣な心情を抱かざるを得ないのではありますが。

そして、逃避から始まったこの旅は、他にもイスタに贈り物をくれていました。その一つは、かつての罪の意識の払拭。旅の過程で、彼女は何度か過去の罪を告白する機会がありました。その語り口は、二十年近く前のことであるはずなのにルテス卿や先王アイアスに対して攻撃的で、その一方で自己については弁護的で、いまだ傷痕が塞がりきらぬことをよく示していました。しかし、そのルテス卿の縁者であるアリーズから赦しを得られた。それはひとえに彼の公正さと恩義に篤き心がゆえ。とはいえこれはイスタにとって何にも変えがたい祝福でしたでしょう。こちらとしてもそんな赦しを与えられることに心打たれたこと。もう、この話を読んでて何度胸を打たれたかわかりませんよ。

そしてもう一つの贈り物は、それを踏まえてのことと言えるのでしょうが、新たな未来が開けたこと。イスタのかつての結婚生活は、彼女に喜びよりも痛みや悲しみを与えました。もともと恋の喜びも知らなかったのにそれですから、そちらの方面ではすごく内気になってたと思うんですよね。それが、ともに歩みたいと思える男性ができるまでになったのですから、これは今回何にもまして素晴らしい贈り物だったと言えるでしょう。国太后という身分ですのでおおっぴらにできるのかはわかりませんが、作中ではまだ誰も祝福を贈れぬ段階でありますから、読者である自分たちから祝福を贈らないわけにはいかないでしょう。庶子神による恩寵もありますが、それはこれのことと比べれば余禄のようなものでしょうね。イスタの前途に幸あれ。この二十年近い沈鬱の日々を埋め合わせて余りあるほどに。

本当に、息苦しい手詰まり感の中からよくぞここまで明るい幕引きに到ってくれたものですよ。拍手喝采ものですよ。アンコールも口にしちゃいますよ。そしてそれに応えるように、この五神教シリーズには第三弾もあるようで。とはいえ訳者あとがきによると登場人物も舞台も異なる話になっているようですが。『チャリオンの影』やこの『影の棲む城』の登場人物たちのその後を追えぬかもしれないことは残念でなりませんが、ここまで二作とも素晴らしく楽しませてくれた作者のことですので、そちらにも大いに期待をせずにはいられません。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ライトノベル・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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