2013年05月14日

氷と炎の歌(1)七王国の玉座〔改訂新版〕(下)

七王国の玉座〔改訂新版〕 (下) (氷と炎の歌1) [文庫] / ジョージ・R・R・マーティン...
七王国の玉座〔改訂新版〕 (下) (氷と炎の歌1) [文庫] / ジョージ・R・R・マーティン (著); 目黒 詔子 (イラスト); 岡部 宏之 (翻訳); 早川書房 (刊)

そういうこともあるかもしれないとは思ってたけど、まさか本当に最後まで区切りがつかないとは……。一部ごとに壮大なラストがあるかと期待してたところもあったのでややも肩透かしを食らったような気にもなりますが、長大な歴史絵巻としてみればこれでこそ相応しいという気もします。上巻の感想でも書いたように、終わりを迎えるまでの物語としてよりも綿々と続く歴史上の特定の区間だけを切り抜いてきたかのような印象を受ける物語なのですから、図ったような劇的な場面を迎えることはそうそうないのかもしれません。むしろそれは、この作品のような、降りかかる悲劇に直面する視点人物に対しても最後の一歩までは踏みよらず傍観に徹してありのままの姿を描き出そうとする態度によってではなく、それら人物の苦悩や激情を様々な言葉で飾り立て聴者の感情に訴えるように語り出そうとする態度によってなされるものでしょう。さながら、ある出来事を人に伝えるのに歴史学者の記述と吟遊詩人の歌があるようなものでしょうか。そして、その二者のうちであれば、この物語から感じている作者の態度は前者なのです。しかしそれは、必ずしも物語を無味乾燥なものにしてしまうわけではありません。登場人物に肩入れするあまり史家の筆も叙情的になることはありますし、なにより視点人物の幸不幸はそれだけで感情に訴えてくるものがあります。ときに彼らと苦楽を共にしているような感覚に陥るのも不自然ではないでしょう。それが、この作品に置いて群像的な歴史絵巻としての魅力と同時に確かに存在する、エンターテインメントとしての面白さの一つとも思えるのです。

上巻の感想にて、それぞれの環境の下で様々な適応の形を見せる人たちがいるのが面白いと書きましたが、当然ですがそれだけで全てを語ることはできませんね。「適応」という言葉は、比較的抑圧された環境に対して歪みを抱えつつも合わせていくための変化という意味を含ませて使ってきましたが、一方ではそのような不本意な形での対応をすることなくのびのびと与えられた環境に馴染んでいる人たちもいます。彼らにはどのような言葉を使うのがいいでしょうか。「適合」ではどうでしょう。もともと持ち合わせた人柄を矯正することなく、まるでそうなるために育ってきたかのような、やりたいことをやりたいようにしていながら道を踏み外すことがないかのような相応しさを見せる人たち。例えばスターク家のサンサ。彼女は政略結婚をする将来を決定づけられたウィンターフェルの公家の息女としては申し分ない人柄だったと思います。貴族令嬢としての教養をそつなく身につけ、世の汚さを知らないかのような純真さと上品さを併せ持ち、謀など巡らしそうにない程度には頭は回らないという、貴族の男たちからすれば血筋を残すための結婚相手としてはとても望ましいと思える人物でした。泰平の世であれば、争い事とは無縁の幸せな家庭を築いていたのではないかとも思えます。事実、バラシオン家のジョフリー王子との婚約は、政略結婚でありながらお互い好ましく思い合っていたこともあり、ある時点まで一点の曇りもなく祝福されたものに見えました。そこに初めて綻びが見えたのは、妹と婚約者がもめごとを起こしたときのこと。どちらに決定的に嫌われたくないか、彼女は選択を迫られることになりました。正義を信奉するエダードの娘として育ったサンサにとって、真実を曲げてまで一方を選ぶのは苦い経験だったでしょう。その後もたらされた別離につけても。この一件は、もしかしたら彼女にとって適応を迫られた初めての出来事だったのかもしれません。しかし、この事件を越えてもなお、彼女は王太子の婚約者として適合した人であり続けたように思います。その件は彼女の中でほとんどなかったことのように扱われ、彼女の人柄、ひいては婚約者との関係にはこれといった変化はみられませんでした。ところが、それも王都に政変の嵐が吹き荒れた際、後戻りのできないほどの変化の波に押し流されることになったのですね。そこからはただただ適応を迫られるばかり。愛する人たちを失いたくないからと道具のように扱われ、かといって決然と自ら命を断てるほどに覚悟を固めることもできず……。ここまで来ると悲哀を誘ってやみませんが、解決の糸口はあるものの掴むのが難しそうな情勢でもあるんですよね。ロブの方はロブの方でつき従う旗将たちのこだわりや思惑で迷走していきそうな気配も感じられますし。というか、上巻でもそうでしたが下巻でも、もうやめてくださいとばかりに絶望の谷に放り込まれるのはサンサなんですね。かわいそうで見てらんなくなってしまいそうなくらいですが、まだまだ底は深そうなのがこわいところですよ。それと、ジョフリーも王太子から王へと立場が変わってちょっと人が変わったように思えるところがありますね。執拗なまでに裏切りを警戒する猜疑心は、陰謀をもって勢力を伸ばしつつあるラニスター家出身の母による薫陶を思わせたりもするのですが、それにしてもタイウィン公が困惑するほどの性急さは、いずれそうなるものだったとはいえいきなり手に入った絶大な権力にややも振り回されつつあるところなのでしょうか。そうだとすると、これは抑圧的でないながらもある意味で適応の形なのかもしれませんね。長続きするとは限らない状態ではありますが。しかし、サンサが苦しめられているその王都での動きが遠く離れてラニスター軍と事を構えるロブたちに有利に働くのを見せられると、何が誰の得になるかは予測のつかないものだなあなんて。人間万事塞翁が馬とは、この場合に使うのはちょっと違うと思いますが。

盛大に話が逸れましたが、適合を見せていた人物としては同じくスターク家からエダードも挙げることができるのではないかと思います。本来なら後継ぎではなかったにもかかわらずウィンターフェルに君臨する立場となっていたことなど、過去について触れられた記述を読むにかつては適応を迫られたのかもしれませんが、物語中に綴られる現在の姿からは抑圧の果ての歪さを感じ取ることはできません。継ぐはずでなかった自分が父の後を継いでしまったことへの後ろめたさを抱えている、あるいは過去に抱えていたのかもしれませんが、それを匂わせることもありません。適応させていった人柄を完全に自らのものとしたのか、むしろ立派にスターク公としての立場に適合しているような印象を受けてきました。謀計の存在を知りながらも暗闘を嫌い正義を信じる姿はさながら吟遊詩人の歌う騎士のようですらありましたが、あるいはロバート王ともに戦場を駆け抜けた時に抱いていただろう若き日の燃えたつような心を、大きく形を変えることなく抱え続けてきたのがエダードという人物だったのかもしれませんね。もしそうだとしたら、王都の政争からも程遠い北の地の頂点に君臨し続けていたことがそれを可能にしたのでしょう。その気性は、エダードの子供たちに脈々と受け継がれているように思います。ロブとしては、スターク家の長としての手本にするべき振る舞いが父の姿しかないためというのもあるのでしょうが。まあなんにせよ、父を彷彿とさせる若き後継者の姿というのは胸を熱くさせるものがありますね。しかしそうはいっても相手はかの老練なラニスター家のタイウィン公。エダードが率いてさえ不安をぬぐえない相手に初陣の少年が指揮を執るとなれば、これっぽっちも安心なんてできるわけがありません。しかも、上巻でスターク家の支配地域は他の全ての地域を合わせたくらいに大きいなんて言われていたはずが、ラニスター家の旗のもとに集まった兵力だけでスターク公家軍と同等以上になっていやしないかと思える程の動員数。ますますもって勝利は難しいものに感じられてなりません。これも旗色次第で態度を変える傭兵たちの影響でしょうか。あるいは諸侯でもそういう人物がいるのでしょうか。なんにせよ、七王国の情勢は予断を許しませんね。第二部が気になること。

抑圧的ではない適応を見せる人物として注目が高まるのがターガリエン家のデナーリス。偉大なる大陸騎馬民族の王の妃としてちょっとずつ自信を持ち、ターガリエン家最後の生き残りのうちの一人としての矜持も身につけつつあるように思っていましたが、本当にとんでもないものを身の内に抱えていたものですよ。順調にいけばいつかカール・ドロゴの妃として偉大な指導力を発揮してくれるかと思っていたら、悲運の末に戦いに生きる騎馬民族の離合集散のめまぐるしさを見せつけられて。一時は無常感すら覚えてしまったものですが……。自称か予言か〈嵐の申し子デナーリス〉の名は伊達じゃなかったんですね。偉大な王の妻としてでなく、自らものとして力を手に入れてしまいましたわ。あの場面の燃えたつような高揚感は半端なかったですね。目の前で見せつけられたら、思わずその場で跪いて忠誠を誓うのも宜なるかな。何もかもを失ったと思ったら次には何もかもを従わせてしまえそうな力を示してみせる。あの時点ではドラゴンの末裔としての誇り以外に張り詰めた精神を保たせる術はなかったはずであり、そういう意味では適応のために取った行動なのでしょうが、その気持ちに応えられるだけの秘められたものが本当に存在したとは。彼女を見ていると、彼女だけは神に愛された存在なのかもしれないと思えてきますね。スターク家の大狼も、考えようによっては神からの授かり物なのかもしれませんが。なんにせよますます目が離せなくなってきた人物ではあります。

上巻で一番安心して見ていられたジョンですが、この巻では動乱の中でスターク家の一因である自分と〈冥夜の番人〉の一因である自分の間で揺れる心情が印象的でしたね。そんな中、どれだけジョン・“スターク”なんだと主張してもお構いなしに〈スノウ閣下〉として遇してしまう“兄弟”たちの姿には目頭が熱くなってきそうなものがありました。こいつら、本当に“家族”なんだなあ、と。政争に端を発するギスギスとした火種が七王国の全土へと広がりつつある中で、この絆は貴重な癒しですね。ちょっとやそっと揺さぶられたくらいでは崩れることのない堅さは、安心感さえ覚えさせてくれるものでもあります。そうはいっても揺さぶられている間は不安でいっぱいでもあったので、この巻で一番安心して見ていられた視点はブランのものだったような気もします。でも、彼の場合は出番が少なく動きも乏しいがゆえのものだったような気もするので、それを除けばアリアということになるのでしょうか。いや、彼女の置かれている状況を考えるとそうとは言い難いですね。とすると、ラニスター家のティリオンになるのでしょうか。ただ、彼も厄介な立場になりそうな感じですし……。総じて、安心してられる余地が少なくなってきた感がありますね。次の巻でも途中で投げ出してしまいたくなるような展開が待ってると思われるのですが、しかし、それにもかかわらず、続きがたいへん気になってもいます。

なにはともあれ、次の巻にも溢れんばかりの期待を抱きつつ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ライトノベル・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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