2013年03月20日

お試しアイルランド戦記 in CK2 〜王位の行方〜

前回までのあらすじ: 二大勢力の隙を窺いながら着実にスコットランド地方で勢力を広げていたアイルランド王国だったが、継承法の問題からアイルランド王国とスコットランド王国が分裂することとなった。なおウェールズ地方の小勢力の吸収を目指すのだったが、イングランド王が地域覇権を握りつつある今、勢力強化は喫緊の課題であった。


というわけで、今回は比較的間を空けずにできました。前回の続きです。

今回の進捗は、前回終了時の1189年から17年経って1206年。領土としてはスコットランド王国の再統合が成った上にケイスネス伯領とグラモーガン伯領が加わり、Deheubarth公位も獲得しました。以下、その間の流れを書いていきます。


1.4代アイルランド国王フィンゲン1世崩御

ダベッド伯領獲得以後、アイルランド王国としては目立った変化に乏しい時期がしばらく続きます。宰相による請求権の捏造が成功せず、開戦の口実が手に入らなかったからです。1193年になると教皇が十字軍派遣を宣言しブリタニア地域からはアイルランド王国を除くすべての勢力が参加を表明するという好機が訪れたりもしましたが、その好機を活かすことはできませんでした。その間、王が亡くなり幼君の治世となっていたイングランド王国内では国土の半分にも及ぶ諸侯たちが立ち上がる継承戦争が起こるなど、これ以上ないほどの絶好の機会ではあったのですが……。スコットランド王位が手元にないことが残念でならない時期でした。

その間、最も焦点をあてられていた問題が、フィンゲン1世の後継者のことでした。フィンゲン1世自身にはスコットランド王であるウイリアム1世を指名させていましたが、諸侯たちの内では王に追随する者が1名と、ウイリアム1世の弟であるGilla-Coluimを指名する者が1名の計3票しか指名が集まっておらず、封臣たちの動静次第では容易に覆りうる状況なのです。なにより、ウイリアム1世も人並み以上には優れた人物でしたが、Gilla-Coluimはまだ成人していないながらも誰もが認める天才性を有した人物でした。再統合を目指すという事情がなければ、フィンゲン1世にもウイリアム1世を指名させることはなかったでしょう。それだけに、指名する諸侯が現れることも納得できるのですが、代を置けば置くほど再統合が難しくなることは確かです。なんとしてもウイリアム1世にアイルランド王位を継承させたいところですが、諸侯の指名は思うようにはいきません。

Gilla-Coluimが成人すると、その非凡な才能はますます諸侯たちの認めるところとなりました。成人から1年ほどが経った頃、ウイリアム1世を指名していた諸侯の一人がGilla-Coluimに指名し直し、ついに後継者が交替する事態になってしまいます。

なんとか状況を好転させる手段はないものかと考えてみますが、諸侯に後継者指名を要請することはできません。子供ができる前にウイリアム1世を亡き者にさせてしまえば……とも考えましたが、暗殺者を雇うだけの資金が貯まるのを待っている間に男子が誕生してしまいました。それならばと、Gilla-Coluimの暗殺を企てている者がいるとの報に接した時にその知らせを見なかったふりをさせることにしたのですが、いつまで経ってもその陰謀が功を奏す気配は感じられません。

そのうちに、諦めてGilla-Coluimの代になってから請求権を行使して骨肉の争いをしてもらうほかないかと考えるようになってきました。そうすると、封臣たちの忠誠にも気を遣う必要を感じなくなってきます。改めて周りの国の法制度を確認させてみると、西欧の強国はほとんどが絶対的もしくはそれに一段劣る強度の王権を有していることがわかりました。国内法については長い間変更を加えずに来ましたが、ここで試しに周辺国に追随してみるのも悪くはないのではないでしょうか。戦を起こす口実もなく、周囲の諸国も十字軍遠征に気を取られている時期であり、少しの間国内が不安定になっても問題にはなりません。

そうして王権を中程度から一段階引き上げてみると、不満をあらわにする勢力が現れてきました。フィンゲン1世の長男です。この人物はそれ以前から選挙王制に不満を持っており、王権を限定させようとする派閥をも形成してもいましたが、王権引き上げによりさらに不満を募らせていったようです。また、彼を支持する一派もいました。彼を王位に即けようとする派閥も立ち上げられます。その派閥の発起人は後継選挙におけるGilla-Coluimの指名者だったのですが、まもなく後継指名をフィンゲン1世の長男に変更しました。こうして、3人の候補の指名が横並びになるという事態になりました。すると、当主による指名が優越権を持つのか、ウイリアム1世に後継者の座が移ってきました。

横一線であり、先のウイリアム1世とGilla-Coluimが2対1だった時よりも微妙な情勢ですが、フィンゲン1世の健康状態が悪化してきていることを考えると、言い方は悪いですが、ここでフィンゲン1世が亡くなってくれるなら儲け物です。もしそうならなかったとしても、フィンゲン1世の長男は能力的にウイリアム1世と比べてもやや劣る人物であり、指名が集まるとしたらGilla-Coluimでしょう。そうなったら事前に考えていた通りにするまでです。

そのひと月後、この頃には既に十字軍は失敗に終わっていたのですが、またしてもノルウェー王に独立戦争を起こしていたマレー公のケイスネス伯領に対してウイリアム1世が宣戦を布告しました。まもなくフィンゲン1世の下に援軍要請が届きます。前々からいつかは攻撃しようと思っていた地、否やはありません。Matudán1世の件以来戒めてきた王自らの親征を一時的に解禁し出兵させます。これには先に述べた継承の都合からくる後ろ暗い考えも含まれていますが。そしてケイスネス伯領南隣りのロス伯領にて軍を集結させようしたところ、体調を崩しがちなところでの北の地への出兵が堪えたのでしょうか、あっけなくもフィンゲン1世は亡くなってしまいました。享年67歳。1202年10月5日のことでした。


2.続ケイスネス伯領攻撃(対マレー公戦)

ウイリアム1世が後継者として認められていた時期にフィンゲン1世が亡くなったことで、アイルランド王国とスコットランド王国は再統合を果たすことができました。王の死は悲しむべきですが、これはこれで喜ばしい出来事ではあります。

アイルランド王国の後継者には迷わず弟のGilla-Coluimを指名させます。スコットランド王国の後継者も早いうちに同じにしたいのですが、封臣の中にウイリアム1世に対する忠誠が薄く否定的な感情を抱いている者がいるとのことで、今すぐに継承法を変えることはできないようです。どうも、アイルランド王位継承以前に義父であるギャロウェイ公と確執があったようなのですが、詳しいことはわかりません。なんにせよ、公も老齢に差し掛かっているので、寿命を待つことにしましょう。

あれこれと継承後の体制移行手続きを進めていましたが、マレー公との戦はまだ続いています。マレー公に残る領地はケイスネス伯領一つであり、そこさえ占領してしまえば勝負はつきます。しかし、ケイスネス伯領は堅固な城を有しています。ノルウェー王国軍との野戦で兵力は減少しているようですが、それでもまだ侮れない防衛戦力を保持しています。既に出陣している軍に援軍を追加しても、アイルランド王国の軍勢は約12000。ゆっくりと包囲を続けるのが安全でしょう。

そう考えてノルウェー王国軍を追い払いケイスネス伯領の包囲を始めてみたのですが、そうしてみるとケイスネス伯領の城は既に陥落寸前であることが判明しました。半月ほどで城が陥落すると、マレー公に講和受諾の意思が見えたため講和の使者を派遣します。行き違いで公よりの降伏の使者の方が先にこちらに着きましたが、なんにせよアイルランド王国の勝利です。ケイスネス伯領を獲得し、ブリタニア地域からのノルウェー勢力の排除に成功しました。1202年12月9日のことです。


3.グラモーガン伯領攻撃(対グラモーガン伯戦)

ケイスネス伯領は一族の者に与えたのですが、その後まもなく封臣同士で戦争が始まりました。ヘブリティーズ諸島伯が先代フィンゲン1世の長男であるデズモンド伯の有する島嶼公の請求権を行使して、公に宣戦布告したのです。

以前の内戦でもそうでしたが、封臣が一族ばかりである傾向は今も変わりありません。次々と8人の封臣がヘブリティーズ諸島伯の同盟軍として参戦し、すぐに双方合わせて6000近い兵が行き交うまでになってしまいました。

双方の陣営に集った諸侯の面々を見るにヘブリティーズ諸島伯側の勝利は疑う余地のないものであり、デズモンド伯が島嶼公位を兼任することになると予測できます。封臣の勢力伸長は抑えたいのですが、封臣間の争いに王が介入することはできないのであり、黙って経過報告を待つほかありません。しかし、調べてみると現島嶼公は、王に近い血縁者ではあるもののノルウェー人として育てられたいわば外国人であり、忠誠心はそれほど篤くありません。デズモンド伯も父であるフィンゲン1世が保持していた位の請求権を有していることからどっこいどっこいといったところですが、次代以降のことを考えると同国人の方が望ましいところでしょう。

封臣間の争いの経過を注視していると、翌年、ウェールズ地方のグラモーガン伯領に派遣していた宰相から請求権の捏造に成功した旨の報告が届きました。先の戦ではほとんど兵力を損なっていませんし、伯はその一カ所しか領地を保有していない小勢力であることから、戦力的に攻撃をためらう理由はありません。それに、地域覇権に王手をかけるイングランド王に対抗するためにも勢力伸長は急務です。宰相からの知らせが届いた翌日の1203年10月19日、グラモーガン伯に宣戦を布告しました。

動員する兵力ですが、スコットランドでの王位継承法変更を計画していることから、忠誠の低下はなるべく避けたいところです。そのため、直轄領のほかは忠誠の篤い封臣領からのみの徴集とすることにします。それでも動員した兵力は10298にも上りました。スコットランド地域が再統合できたからだと思うと心強い限りです。

進軍経路については、沖合からの上陸戦は損害を増してしまうため、境を接するダベッド伯領からグラモーガン伯領に向かわせることにします。敵軍の兵力は1201。どうやら逃げずに立ち向かってくるようです。

一度の野戦で敵軍を壊滅させると、兵力を失い防衛戦力を損なっていたグラモーガン伯領の城を力攻めし、まもなく陥落させます。続く教会も防衛戦力が乏しいとわかったため、力攻めで陥落させます。残る都市は堅固であったため、力攻めは損害が大きいと判断し後方から約500援軍を追加しつつじっくりと包囲を続けさせます。

5カ月余り包囲を続けると、都市はついに陥落。伯にアイルランド王国の要求を突きつけ講和を締結します。こうして、グラモーガン伯領が新たに領土として加わりました。1204年6月6日のことです。


4.スコットランド王位継承戦争(対ギャロウェイ公・マレー伯・ファイフ伯・ロシアン公・島嶼公戦)

Deheubarth公領に含まれる3つの伯領の内ダベッド伯領とグラモーガン伯領の2つを手に入れたことにより、空位になっているDeheubarth公位に就任することが可能になりました。残るグウェント伯領も領主は小勢力であるため、楽勝は間違いありません。攻撃の口実を手に入れるため、さっそく公位に就きます。とはいえ、先の戦を終えたばかりであり、兵も減ってはいることから、攻撃は兵力が回復し次第ということにしましょう。

将兵たちに対する小休止のつもりでじっと時を待っていると、2カ月後に思いもかけない出来事が起こりました。Gilla-Coluimがスコットランド王位に就くべきだと主張していたギャロウェイ公が、意を同じくするマレー伯・ファイフ伯・ロシアン公とともに宮廷に現れ、スコットランド王位を譲るようウイリアム1世に迫ったのです。交渉能力に秀でた当主ならばうまく宥めすかすところですが、ウイリアム1世はそちらの方面がからきし駄目な人物でした。どうするべきかと考えている間にも、ギャロウェイ公らはフィンゲン1世に譲位するつもりがないならば戦争も辞さないとしきりにまくしたてます。

4人もの諸侯と戦うとなると厄介ですが、Gilla-Coluimにスコットランド王位を譲るのもまた避けたいところです。先のフィンゲン1世のときとは違ってウイリアム1世はまだ活力に満ちた30代の壮年王なのです。遠くないうちにスコットランド地域のゴドウィン家勢力地をかすめ取ろうと考えると、再度の国土分裂に至る選択は悪手と断じざるを得ません。それよりも、ちょうど継承法変更のためにギャロウェイ公を邪魔に思っていたところです。蹴散らして退位にでも追い込んでやりましょう。

要求をはねつけると、ギャロウェイ公一派はウイリアム1世に対し宣戦を布告しました。ここに、アイルランド王国初の内乱が幕を上げたのです。1204年8月18日のことでした。

相手は4諸侯とはいえ、たかだか公と伯が2人ずついるだけです。アイルランドとスコットランドの王を兼任するウイリアム1世にかかればいかほどのものでもありません。11417の兵を動員し、ギャロウェイ公らの軍を叩き潰しにかかります。敵が兵力の結集を図っている間にギャロウェイ伯領に第一軍が到着し、後続の兵たちも順次その地に集まり始めます。その途中でギャロウェイ公軍と衝突が予想されますが、集合済みの兵力でもアイルランド王国軍が上です。悠々と撃破し、グウェント伯領攻めの前の景気づけにしてやりましょう。

手ぐすね引いてギャロウェイ公軍の伯領到着を待っていると、思わぬ出来事が起こります。その頃、ギャロウェイ伯領には様々な思惑を抱いた群衆が屯していました。ウイリアム1世の統治に反意を持つ人々や4諸侯とウイリアム1世の戦いを前にどちら側に付くべきか様子見する人々などです。そんな彼らが突然、ギャロウェイ公の旗を掲げて決起したのです。その数約7700。ギャロウェイ伯領の包囲を始めていたアイルランド王軍4113の倍近い数の敵軍が突如として出現したのです。

これで兵力はほぼ互角になりました。いえ、前線に到着している兵力を見れば4諸侯軍の方が多いです。圧倒できたはずの野戦の旗色が、少しずつ悪くなってきます。それでも2000近い増援も含めて後続の軍が到着し、一時的には五分に持ち直します。しかし、決起した人々を中心にした4諸侯軍の中央陣営は異様に厚く、平均的に兵力を配置していたアイルランド王国軍は右翼左翼では優勢に戦いを進めていたものの、中央が破られたことで一気に崩れたちます。結果的に、こちらの損害は7149、敵の損害は3848で、正面からぶつかった野戦では久しぶりとなる敗北を喫しました。

4諸侯の軍勢はいまだに10560の大軍です。アイルランド王国軍も6009の兵が残ってはいましたが、動員可能兵力のほとんど限界まですでに動かしていたために援軍も見込めないことから、一旦軍勢を解散します。ウイリアム1世の勢力地を包囲し始める間に少しでも損害を回復させるためです。起死回生の一戦を行うには、少しでも兵力を回復させねばなりません。

ここで痛み分けの講和でも結べればよかったのですが、勝っている4諸侯が受け入れる道理はありません。そうこうしているうちにアルスター伯領の包囲が始まりましたが、すぐさま救援に向かう余裕はありません。今は兵力の回復をじっと待つほかありません。

さらに悪い報せが届きます。オールバニ女公が継承戦争を起こすにあたって一時的に独立していたファイフ伯領を求めて、伯に宣戦を布告したのです。

女公だけなら軽々と追い返すことができたことでしょう。しかし、苦戦中のギャロウェイ公らとの戦いを続けながらそちらの相手もしている余裕は当面ありません。一刻も早く諸侯たちとの戦いを終えなければ、その前に勢力下の領地を一つ失ってしまうことになります。アルスター伯領の城が陥落する直前まで慎重に兵力回復に努めるつもりでしたが、そうも言っていられない状況になってしまったようです。野戦での敗北から4カ月後、再びアイルランド王国の全域から軍を動員します。

動員兵力は互いにほぼ互角ですが、ファイフ伯軍は自領の防衛のために包囲軍から離脱したとのことです。アイルランド王国軍は12078、4諸侯軍は8182。1.5倍程度の兵力差が生じました。これなら負けるはずはありません。4諸侯軍は相変わらず中軍に厚みを持たせた陣形でしたが、今度はアイルランド王国軍の中軍も数ではほぼ互角です。中軍が粘っている間に右翼と左翼が敵軍を押し切り、中軍に回り込んだことで4諸侯軍を潰走に追い込みます。

一度の勝利を得たものの4諸侯軍はいまだに約4300の兵力を保持しています。彼らはいまだ痛み分けにすら応じる気配を見せないため、安心して包囲戦に移るために潰走中の敵軍を追い打ち全滅させることにします。

アルスター伯領から海を渡ってギャロウェイ伯領に逃げ延びた4諸侯軍を追ってこれを圧倒し、その後キャリック伯領に逃げた相手を追って打撃を与えます。敗走する敵を追い討つと自軍の損害は少なくて済みますが、敵の戦線が崩れたつのも早く、すぐには壊滅まで追い込めません。さらに2度の会戦を経てようやく4諸侯軍を全て追い散らすことができました。

ここでオールバニ女公による侵攻はどうなっているかと探りを入れてみると、野戦でファイフ伯の軍を破り、城の包囲を始めているようです。4諸侯を降伏させようとするとそちらの救援にはまず間に合わないでしょう。妥協して痛み分けで手を打つか、ファイフ伯領を失うことを覚悟で断固4諸侯に対峙するかという選択肢を突きつけられた形ですが、仮に痛み分けで決着を付けるにしても、それまでファイフ伯領が持ち堪えられる保証はありません。アイルランド王国が完全なる勝利を治めることは、既に不可能になっていました。

ひとまず4諸侯たちとの決着を優先させるべくギャロウェイ伯領の包囲を始めましたが、力攻めするには兵力がやや不足がちです。全軍を出撃させているために増援もありません。それでもなんとか包囲軍の数を増やすべく、一部の隊を自領に返し兵力が回復し次第ふたたび動員をかけることにします。直轄地は兵力の回復が遅いためこの手段はとれませんが、封臣領の軍ならば数カ月の内に倍近くに兵力を増やして帰ってきてくれることでしょう。

しかし、その間にもファイフ伯領の包囲は進行していきます。イングランド王国が援軍を出していないために女公の軍はたいした数ではありませんが、力攻めに移行できない限り間に合わない可能性が高いと考えられるようになってきました。諦観が湧きあがってくるのを感じながらギャロウェイ伯領を包囲をしていると、事態をさらに悪化させる急報が飛び込んできました。

この内戦が起こる前に始まっていた島嶼公位を巡る争いですが、そちらはこの内戦の最中に決着が付いてはいました。しかし、その結果として島嶼公の位に就いていたデズモンド伯は、ギャロウェイ公と同盟関係にあったことから公の要請に従って諸侯軍へ参加することを表明したのです。

これによってアイルランド王国軍は大きな痛手を被りました。ギャロウェイ伯領包囲中の兵には現島嶼公領からの徴集兵も当然含まれていたのですが、彼らは勝手に部隊を解散してしまったのです。現島嶼公の勢力は封臣の中でも一二を争うまでになっており、包囲軍中でもその兵力は約2000にも上っていました。つまり、包囲軍は突如としてその4分の1を超える兵力を失うことになったのです。そしてその兵力は、そのまま諸侯軍の下に加わることになりました。いえ、直轄軍の動員なので、包囲軍から離脱した以上の軍勢が敵に回ったようです。ざっと1.5倍といったところでしょうか。

内戦は泥沼の様相を呈するようになりました。ファイフ伯領は、もう諦めるほかありません。

自嘲的な気持ちでギャロウェイ伯領の包囲の進展を見守っていると、事態好転の端緒となる報告が届きます。なんと、イングランド王がオールバニ女公に宣戦を布告したのです。それぞれ代替わりしていることから、以前のような母と子の関係ではありませんが、叔母と甥の関係であることは確かです。それなのになぜかと疑問に思いさらに調べさせてみると、開戦の口実にされたのは女公が破門されていることだと判明しました。イングランド王も他人のことは言えない立場であることもわかりましたが、なんにせよこれで女公はファイフ伯領どころではなくなります。時間をかけて確実な手を打ちながら5諸侯の相手をする余裕もできることでしょう。島嶼公によって2カ所の領地が包囲されていましたが、一隊の兵力で見ればどちらも小勢なこともあり、焦りはほとんど覚えません。

じっくりとギャロウェイ伯領の城の包囲を続けられると気を緩めているとまもなく、王宮より急報が届きました。キルデア伯領で島嶼公軍に対して城の防衛の指揮を執っていたGilla-Coluimが亡くなったというのです。すぐにはその報せを信じられず何度も確認しますが、事実は変わりません。次代のアイルランド王国の柱石を担うと目されていた人物の、30歳での早すぎる死でした。何者かによる謀略も疑いましたが、自然死であることに疑いはないようです。彼の天才性を受け継ぐ息子も誕生しているので新たな後継者候補には悩みませんが、やはり惜しい人物でした。人の死は予測できないとはいえ、その才を活かす機会をほとんど与えられないまま死を迎えてしまったことは悔やまれます。

また、この死によって5諸侯は開戦の口実を失ったことになり、内戦は幕を閉じました。ファイフ伯が再びアイルランド王の家臣となったことでオールバニ女公との戦も取り止めになりました。結局、すべてがアイルランド王国にとってうまい形に収まったのです。しかし、そのために失ったのはそれと引き換えするにも惜しいものでした。この時、1206年、5月4日でした。




今回は以上とします。まだ書いていなかったことですが、現在の大目標であるブリタニア地域の皇帝即位ならびに全土統一に向けて、そろそろ正念場を迎えてきた感があります。本当はもう少し進んでいるんですが、キリがいいのでこの辺りで。


わかったこと・気になることなど(違いがわからなくなってきたのでまとめました)
1)対人関係における“rival”ってどういう理由で発生するものなんでしょう? “friend”の対になるものなんでしょうが、忠誠マイナス100とか洒落にならんですよ。原因が2つあるのかマイナス200になってる家臣もいたんですけど、CPU統治時代に何があったんだか……。
2)前回挙げたブリタニア地域の領土数について。数えてみたところ伯領は67。そのうち現在イングランド王国勢力下にあるのは33。しっかり王手かけてますね。しかもオールバニ女公の後継ぎがイングランド王の家臣なので、ほとんど詰んでますね。
3)勝手に100%までいかなきゃ大丈夫とたかをくくってましたが、派閥は50%を超えると要求を突きつけてくるようですね。(調べれば普通にわかったはずのことですが)
4)今回してやられたけど、野戦における一点突破型の兵力配置というのもいいかもしれない。反乱軍の討伐に手こずるのもこれが理由かしら。とはいえ、兵力の薄くなってる箇所は間違いなく押されるし、集中してる箇所が早く押し切ってくれないと目も当てられないことになりそうな予感。互角の兵力相手の時に活きる戦い方だろうか?


最後にスクショを。ウェールズ地方に2カ所ほどの例外もありますが、ほとんどアイルランド王国のCheinnselaig家とイングランド王国のゴドウィン家によって二分されてるのがわかるでしょうか。緑色がCheinnselaig家勢力地、ピンクと水色がゴドウィン家勢力地となっております。一部隊のみ動静が確認できる赤地の紋章のイングランド王国軍は、集結のために国内のどこかに向かってるところですね。オールバニ女公領(マップ中水色の領地)に大挙して押し寄せる前の、いわば嵐の前の静けさでしょうか。
CK2_7.jpg

そんな感じで、次回もこのペースでいきたいところですが、どうなることやら。


posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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