2013年03月03日

囚われの王女と魔術師の娘――黒鳥伝

囚われの王女と魔術師の娘 - 黒鳥伝 (C・NOVELSファンタジア) [新書] / マーセデ...
囚われの王女と魔術師の娘 - 黒鳥伝 (C・NOVELSファンタジア) [新書] / マーセデス・ラッキー (著); 依り (イラスト); 原島 文世 (翻訳); 中央公論新社 (刊)

魔術師によって月の出ていない間は白鳥に変化する呪いをかけられてしまった王女オデットと、そんな彼女と月下の湖で出会い恋に落ちる王子ジークフリートと。この二人の仕組まれた「運命的な」恋物語を、仕組んだ側である魔術師の娘オディールの視点からのぞき見る面白さといったら。初めは父である魔術師フォン・ロットバルト男爵の言うように罪深い存在であると信じて冷ややかな目を向けていたのが、次第にオデット達に同情的な視線を寄せるようになるものだから、それが仕組まれたものであっても、二人が出会い本当に恋に落ちた瞬間は我が事のように喜ばしい気分になってしまった。その後もオデットとジークフリートの恋を応援しようとして期待に胸ふくらませたり立ちこめる暗雲にハラハラしたりするのを読み進めていくうちに、気付いた時にはもうすっかりオディールと気持ちがシンクロしてしまっていたような気がします。

それにしても、この作品の元になっているという『白鳥の湖』は、あらすじをどこかで聞きかじったことがあったかというくらいにしか知らなかったのですが、こうして翻案ならびに翻訳されたものを読んでみると、童話にもふさわしい王道の話ですね。けど、それを途中の登場人物の心理の変化などを巧みに描きながら綴られていくと、意外な展開などなくてもしっかり楽しめるお話が出来上がる。見た目ちょっと分厚いですが、どの場面でも面白さが感じられ最後までだれることなく読ませる筆力は素晴らしいですね。

ジークフリート王子の母であるクロティルドの謀略家ぶりもよかったです。夫の死以来、国の摂政として巧みに権力を握り続け、ジークフリートの成人後にもそれを保持し続けるために綿密に謀を巡らすという、いかにもな権力欲を見せてくれるキャラなんですが、その策謀がものすごく周到で。ジークフリートの誕生時から既に亡き者にする計画を考えているというからすさまじい。ジークフリートの婚姻話から類推するに、十何年といえば当時のクロティルドからすればそれまでの人生の半分以上にも相当しただろうに、それ程の時間をかけて死すべき運命の駒として入念に育てさせてきたとなれば、まさに筋金入りでしょう。ジークフリートが予期せぬ変化を見せることもありましたが、腹心であるウヴェの助言もあり、状況の変化に対して淀みなく謀を打ち出していく体制を整えていたことから、フォン・ロットバルト男爵の介入がなければクロティルドの思い描いた通りの展開が待っていたのでしょうね。けど、権力に関しては陰険なところを見せてくれたのですが、摂政としての手腕は優れたものであったようにも窺えます。オデットと出会うまでは、ジークフリートには悪いけど、不幸に見舞われても構わないかもなんてことを思ったりもしていたのでした。

なぜかというと、このジークフリートという王子、騎士道物語の主人公を体現するようなキャラなんですが、そういうロマンチックなことしか頭にないような人なんですよ。なにせ王子だし、剣を持てば腕は立つし、文学を語らせれば一晩を語り明かせてしまえるし、女性を見ればすぐに手を出すし、ロマンスの主人公としてならばなかなかのはまり役に思えるのですが、こいつが国王になるのかと思うとかなり不安が……。まあ、そこが本筋ではないのですが。それに、オデットの前ではいい格好しようとしてるうちに立派な王様になっていそうな気もします。

見落としてはならないのは、フォン・ロットバルト男爵のことだと思います。彼には弁明の機会が与えられず、倒すべき悪としてオディールとは決別することになったわけですが、最後まで読み終えてみても本当にそんなに悪い人だったのかという疑問が残ります。各地から少女を拐かしてきて呪いをかけているということで、冒頭から悪い魔術師としての印象を与えられるし、その後の言動を見てもそれを補強するものしかないわけですが、そのような行いの背景はまったく語られていないんですよね。オディールの決別は、試練を課されたオデット達に肩入れした上で状況証拠をもとに判断したものでしかありません。この辺は、作者の方でもわざとどちらとも読めるような書き方をしている気がします。ただ、オディールの記憶を頼りにすると、フォン・ロットバルト男爵にも背景があったように思えてなりません。どのような選択をしたらよかったのかは見当もつきませんが、もしかしたら別の道を探ることもできたのではないかと思えてしまいます。その場合、作中で最終的にオディールが手に入れたものは諦めてもらう他なくなってしまいますが、それでもジークフリートとオデットはなるようになったでしょうし、なにより当初望んでいた、敬愛する父からの心よりの信頼を得ることも不可能ではなかったと思います。それでも、束縛・抑圧からの解放、自立というテーマを盛り込むならば、やはり作中にあった通りの展開が相応しいわけですが、そこはお好みに任せて解釈してみましょうということで。

最後にちょっとだけ。ベンノには終盤やきもきさせられたんですが、そういうことになったと思っていいんでしょうか? 違うと言われてもそう思っておくことにしますけど。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ライトノベル・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。