2013年02月17日

お試しアイルランド戦記 in CK2 〜王の悲運〜

前回までのあらすじ:スコットランド王国が内紛にあえぐ隙をついてスコットランドの地にて着々と勢力を広げるアイルランド王国。スコットランド王国がイングランド王国と同盟関係になってからは、やや動きも慎重にならざるを得なかったが、彼の地での優勢は揺らがなかった。相次いで王を亡くしもしたが、新王の下で3年半以上にも及ぶ長期戦の末にマン島伯領の獲得に成功し、ついにスコットランド地方の過半の領土を手中に収めるに至ったのであった。


ということで、前回の続きです。

今回書いていくのは、前回区切った1179年から8年経過して1187年まで。領土としてはマレー伯領とアソール伯領が加わります。また、簒奪によりスコットランド王位も手に入れました。それでは以下、その間の出来事を書いていきます。


1.戦後処理と次なる攻略目標

先の戦でマン島伯領を手に入れました。直轄領が一つ増えることになったということですが、普段から家臣たちの間で角が経たない範囲内で許す限りの数を保有しているので、新たに加わった分を保持し続けていると忠誠心の低下を招きます。10年ほど前ならば渡せそうな血縁者がいないと頭を悩ませるところですが、当主の交代とともに家臣たちの中でも世代交代が進んでおり、今ではそれほど困ることはありません。コノート公の次男にマン島伯の位を与え、また全ての属領を勢力下に収めた島嶼公の位をMatudán1世の兄であるアーガイル伯に授けます。

続いて、次の獲得目標について考えます。スコットランド王国とは戦火を交えたばかりなのでノルウェー王国領を奪取したいところです。先王コンホバル1世が崩御した際、マレー伯領に有していた請求権は継承されなかったのですが、Matudán1世が即位すると再び宰相を派遣しスコットランド王国と戦争を行っている間に権利の捏造には成功していました。しかし、ノルウェー王国とイングランド王国との戦争はまだ続いています。また、休戦期間が3年残っていることもあり、しばらく様子見するほかありません。

一方のスコットランド王国方面ですが、こちらも戦争したばかりであるためしばらく手出しすることができません。とはいえ、次回の戦に向けてどこかに口実を作りだしてやることはできます。マレー伯領の請求権捏造後にアソール伯領へ派遣し直した宰相の工作が実を結ぶ日を待つことにしましょう。

そうそう、マン島伯領を手に入れたことで、スコットランド地方の領土の過半数を勢力化に置くことができていたのでした。国庫の資金もしっかり貯めてありますし、スコットランド王位簒奪のためのこちらの条件は十分満たせています。

スコットランド王位が手に入れば、ちまちま請求権の捏造などせずとも開戦の大義名分が立ちます。そうなったら、今度は宰相にウェールズ地方の権利を捏造させてやりましょうか。あそこはイングランド王の権力の及ばぬ土地ですし、その地にまで勢力を広げるようになれば、さらに上の位に登り詰めることも夢ではなくなります。

意気込んで簒奪の準備を進めさせようとしたのですが、調べているとどうやら現状では不可能であるということがわかりました。それまでの胸算用がいきなり出鼻を挫かれたかたちですが、理由ははっきりしています。スコットランド王位の保有者ならびにその簒奪を狙う者のどちらの勢力ともに戦時中であってはならないのだそうです。

今、スコットランド王国が抱えている戦争といえば、イングランド王国の同盟軍としての参戦している対ノルウェー王国戦です。二正面での進行を企図するアイルランド王国としては、ノルウェー王国とスコットランド王国の戦線はそれぞれ別に考えていたのですが、あちらが終わらなければこちらもままならないという状況になってみると、両国が境を接する国であったことを思い出させられます。

そういうことで、イングランド王国とノルウェー王国の戦が終わらない限りスコットランド王位の簒奪ができないことはわかりましたが、ではこの戦はいつ終わるのでしょうか? 当初はイングランド王国が優勢のうちにことを進め、うち一つは持久戦になったようですが、スコットランド北部のノルウェー王国領である3箇所すべてを占領するに到りました。しかし、イングランド内部の反乱の影響か、その後ぴたりと攻勢が止まり、逆にノルウェー王国軍に占領した地を奪い返されだしていたのでした。傾きかけていた形勢は拮抗しだしています。調べれば調べるほどに、1年や2年で勝敗が決まりそうには思えませんでした。

なので、ウェールズ地方に宰相を派遣する案は先送りにし、スコットランド王位が手に入るまではスコットランドの地で、主に反乱を起こしそうな封臣領での請求権の捏造を図ることにします。

攻略目標に関して考えておくべきことはこの程度でしょうか。イングランド国内で王位を求めて反乱を起こしたヨーク公は非ゴドウィン家の出身であり、スコットランドとの関係を絶つ意味でも内乱に介入する価値はありそうですが、先の戦の損害も回復しきらないというのにあのイングランド王国を敵に回すのかと思うとどうしても躊躇してしまいます。

結局は、どこを攻撃するにせよ、しばらくは待ちの姿勢をとるしかないということです。その間に少しでも国力を増強し、いざその時のために牙を磨いておくことにします。


2.家臣の忠誠低下に悩むのこと

そうして先の戦が終わってから半年ほどたった頃、Matudán1世の妻が夫に、宮廷生活の無聊を慰めるために時間を割いてほしいと訴えてきました。政務が忙しいとはねつけさせることも可能だったのですが、Matudán1世にはいまだその天才性を受け継ぐ子供が生まれていません。前回の報告で書きそびれていましたが、トモンド伯以来のMatudán1世の評議会はあまりにも有能な人材に乏しく、その一員であった妻も含めて先代以来の廷臣たちに総入れ替えせざるを得ませんでした。その後もちょっとした行き違いがあり、妻からの評価はマイナスになってしまっていました。はっきりとしたことはわかりませんが、夫婦仲が冷めていては子供は生まれにくいのではないでしょうか。妻を構いつけさせると、Matudán1世は1年ほどその能力をフルに発揮することができなくなりますが、優秀な後継者を残すためならばやむなしです。一時的な家政能力の低下により直轄領が切り盛りできる限界を超えることになりますが、金の力を使えば1年ほど忠誠心の薄い封臣をなだめるくらいなんてことはありません。

そんなつもりでいたのですが、その3ヶ月後にMatudán1世が「いつでも誰にでも親切に接してやることにうんざりしてしまった」とぼやきだします。無理に妻の相手をさせたせいでしょうか。なんにせよ、親切な心を失ってしまったことから、家政能力はさらに減少してしまいました。しかもこれは一時的なことではなく、再びその精神を取り戻さない限り恒久的なことです。

親切さの喪失は家臣の忠誠心にも大きな影響を及ぼしました。Matudán1世は王位につく以前から怠け者としての性格を持っており、そのことから家臣の心が離れがちになっていたのですが、親切さによりぎりぎりのところでマイナスにならない程度にカバーしていた部分がありました。それが親切心まで失ってしまうと、もうマイナスまで落ち込む忠誠心を補わせるものは、長期の在位か金かしかありません。即位して4年半しか経たないMatudán1世に長期の在位による安心感を醸し出させることは不可能です。金をばら撒いてなんとか忠誠をつなぎとめますが、内政に回すはずだった金がそれ以外に消費されていくことには忸怩たる思いを抑えられません。


3.内戦

そうこうしてなんとか問題をやり過ごしていると、領内で王命によらない軍の動きがありました。封臣間で戦が始まったのです。スコットランド地方のキャリック女伯が、請求権を持つ血縁者のためにギャロウェイ公位を求めて宣戦布告したとのことです。初代国王による王権拡大によって封臣間の争いは禁止されていたはずですが、封臣とそのまた封臣による争いまでは止められないようです。

キャリック女伯が動員できる伯領は1つ、ギャロウェイ公はキャリック伯領を除いても2つであり、実際に動員した兵力を見ていてもギャロウェイ公が優勢のまま小規模な争いのうちに終わるだろうと思っていたのですが、戦闘は一気に大規模なものへと変貌していきます。なぜなら、家臣を伯領に封ずる際、これまでそのすべてを王の数親等以内の血縁者から選んできたために、国内は両者ともに同盟関係にある地ばかりだったのです。当のキャリック女伯とギャロウェイ公も、遠縁ではありますが血のつながりはあります。中には援軍の要請を拒んだ者もいましたが、気付けば当初の敵対陣営を含んで4人の公と5人の伯が関わり5000以上の兵力が入り乱れる一大内戦へと発展してしまっていました。

この内乱はイングランド王国で今まさに起こっているような王への反乱ではありませんが、関わった領主の数としては勝るとも劣らない規模だったと言えるでしょう。こんなことを誇りたくはありませんが。

結果的には、当初の敵対陣営の戦力差がさらに広がったことから、開戦より8ヶ月ほどでギャロウェイ公側が勝利しました。キャリック女伯は投獄されることとなりましたが、すぐに釈放されたようです。


4.マレー伯領攻撃(対ノルウェー王国戦) スコットランド編

そうこうしている間に、北方の戦で動きがありました。イングランド王国とノルウェー王国が痛み分けの講和を結んでいたのです。イングランド王国軍により占領されていた地を解放したノルウェー王国軍が余勢を駆ってイングランド王国本領に雪崩れ込む展開を密かに期待していたりもしたのですが、そうはならなかったようです。

しかし、こうなると、イングランド王国内部でのヨーク公らや彼らに属さない別の勢力による反乱も鎮圧に向かうものと見るべきでしょう。戦況次第ではヨーク公の息子にMatuán1世の娘を嫁がせてることも考えていましたが、今となってはその手はイングランド王国にアイルランド王国攻撃の口実を与えることになりかねません。Matudán1世の娘はもっと遠くに行かせることにしましょう。正教圏も考えましたが、ロートリンゲン辺り(うろ覚え)に手頃な王がいたのでそちらに嫁がせることにしました。

この頃にはまた、ノルウェー王国との休戦期間も期限を迎えます。すぐにでも攻め入りたいところですが、相手はイングランド王国にも匹敵する国力を有するはずの強国。無謀な攻撃を行うと、痛み分けで終わった先のノルウェー王国戦の二の舞にしかなりません。しかも、調べてみると、イングランド王国と同等と思っていた国力がそれを凌ぐほどに膨れ上がっているではありませんか。隙を突けば問題なく勝てるだろうなどという心持ちで相手をしていい敵ではないようです。気を引き締めてかかるべきでしょう。

慎重に隙を窺っていると、間もなくそれらしき時節が到来します。ノルウェー王国がスウェーデン王国に宣戦布告したのです。スウェーデン王国についてはあまり情報に目を通していないのですが、吹けば飛ぶような小国ではないはずです。どれほど持ち堪えうるのかはわかりませんが、長引かせなければ反攻の態勢が整う前に勝利をつかむことができるのではないでしょうか。

そうして1182年12月26日、マレー伯領の請求権を行使しノルウェー王国に宣戦布告しました。

懸念材料として、この時ロス伯領とケイスネス伯領を有するマレー公は、スコットランド王国から独立してスコットランド王位継承戦争を起こしたバカン伯と戦争状態にありましたが、バカン伯は継承戦争の方に集中していたため問題になる可能性は低いでしょう。

相手は間違いなく格上なので手加減などしていられません。国内全土から、忠誠がマイナスな封臣には金品を贈ってでも多くの兵をかき集めます。その総数は12276。野戦にて迎え撃つ敵軍はスコットランド地方からのみの動員で、ノルウェー王国軍ならびにマレー公軍合わせて3000。285の損害で敵軍に2000以上の損害を与え蹴散らします。

しかしこの野戦では、これまでの戦ならば得られた戦勝点を全く得ることができませんでした。先のスコットランド王国戦以上の苦しい戦いになる。そう予感させるに十分な緒戦でした。

また、元帥を務める兄ほどではないにせよ父譲りの軍事能力を持ち合わせていたMatudán1世も将軍として前線に出ていたのですが、この戦いで負傷してしまいました。とはいっても、合戦の際に上昇していた分もあり差し引きはゼロ。さらなる能力向上を期待して行軍を続けさせます。その方が兵の士気も上がる、などということは特にないのですが。

それはともかく、敵迎撃軍にはいまだ812の兵力が残っていましたが、その程度であれば自国内の領土が包囲されるおそれはほとんどないと言えるでしょう。無視してマレー伯領に移動し、戦線から3ヶ月が経つ頃には包囲戦を始めます。スコットランド北方はほぼ一直線の移動通路しかないので南から順に包囲していく中で蹴散らしても十分ですし、なによりあまり目標地点から離れてしまうと、陸路での移動に半月以上も掛かるのでロスタイムが多くなってしまいます。

戦火にさらされてからあまり間がないせいか、マレー伯領は城・教会・街ともに兵力が軒並み少なくなっており防衛戦力が手薄でした。すかさず力攻めを敢行し、ひと月でそのすべてを陥落させてしまいます。この時点ですでに戦勝点はすでに32%に達しましたが、あくまで請求権を行使した地だったからでしょう。それ以外の地の占領がこれほど大きく寄与することは考えにくいです。

また、あわよくばこれでこちらの要求を受け入れてくれればという淡い期待もありましたが、もちろんそんな甘い相手ではありません。力攻めにより消耗で10667まで減少した軍を率いてマレー伯領の北に隣接するロス伯領の包囲に向かいます。

ロス伯は先の野戦でぶつかったマレー公その人でもあるため、ここでも軒並み兵力が少なくなっており、城・教会・街ともに余裕を持って力攻めの安全圏内に収まっていました。ここでも1ヶ月ほどでそのすべてを陥落させ、ロス伯領を占領します。この時点での戦勝点は53%。前回の報告中でイングランド王国が攻めあぐねだしたのもこのくらいからだったでしょうか。ノルウェー王はまだこちらの要求を受け入れる素振りを見せず、9626にまで消耗した軍を率いて次なる占領目標を探します。

ロス伯領の北隣にはケイスネス伯領があるのですが、この地は直轄軍を動員しておらず万全な防備体制を整えています。その城の防衛戦力は1800余り。伯領を完全に占領するつもりならば最低でも2年は見込まなければならないでしょう。幸いまだノルウェー王国とスウェーデン王国の戦は形勢が傾きだした様子はありませんが、隙を突いて始めた戦なので、時間をかければかけるほどこちらが不利になります。

そこで、力攻めで落とせそうな地はないかと広大なノルウェー王国領を一つ一つ丹念に調べていくと、まずスコットランド北側のシェトランド諸島伯領が目に入りました。この地は街も教会もなく城だけなのですが、防衛戦力は849しかありませんでした。一度解散していた船を召集し直すまでに若干のもたつきもありましたが、ロス伯領占領の2ヵ月後にはシェトランド諸島伯領も占領できました。

この時点での勝利点は58%。辺境の地を多く保有するノルウェー王国としても小島であり辺境である地なのか、ほとんど勝利点が増えません。もちろんノルウェー王もまだこちらの要求を聞き入れる耳は持ちません。

消耗戦の状態を呈しだした感がありますが、とにかくどこか占領しなければ話は進みません。9194にまで消耗した兵員を、次はどこに差し向けるべきかと考えようとしたところ、ノルウェー王国軍4483がスカンディナヴィア方面よりやってきてマレー伯領を解放すべく包囲を始めているとの知らせが届きました。

さすがに本体はスウェーデン王国との戦線に投入されているのでしょうが、500や1000ならともかく、それだけの兵を差し向けられては無視しているわけにいきません。万にも及ぶ軍が来なかっただけ好都合。むしろ戦勝点稼ぎのいい相手だと思い、マレー伯領まで船で兵員を輸送し、野戦に臨みます。ここでも優勢に戦線は推移。一度では相手を蹴散らしきれず、敗走する敵軍を追撃にかかりますが、この追撃戦でこの戦争最大の被害をこうむることになったのです。

アイルランド王国軍の兵力は8528、対するノルウェー王国軍の兵力は1604。覆されようもないはずの戦力差であり、事実こちらの損害は9で、敵兵に100倍以上の損害を与えたのですから。それに敵将を一人捕縛することにも成功しました。

しかし、その最中にこちらが受けた最大の痛手は兵力の損耗ではなかったのです。それはMatudán1世の再度の負傷でした。それも、二度と政務を執り行うことができなくなるほどの重傷でした。一命は取り留めましたが、回復は見込めないとのことです。

突然の事態に、しばし理解が追いつきませんでした。王が倒れてようがおかまいなしに続く合戦が、どこか別世界の出来事のように感じられました。野戦の決着がつくころにはなんとか気を持ち直しましたが、まだ事実を正面から受け止められません。

後継者である兄のフィンゲンが摂政についている? 摂政というのは、期限付きの君主補佐役のことでは? 期限付きなら、すぐにまた直接政務を執り行う日が来るのでは?

しかし、どれほど時間が経っても、Matudán1世が元気な姿を見せてくれることはもうないのです。


5.マレー伯領攻撃(対ノルウェー王国戦) スカンディナヴィア編

王の再起不能からくる悲しみは簡単には癒えませんが、一方で戦況は、この頃を境にしてアイルランド王国側に形勢が傾いていることがはっきりしてきます。

この時点での戦勝点は65%。ノルウェー王はこちらの要求に対して断固拒否の構えを崩しませんが、王の不幸を無駄にしないためにはどれほど戦線を拡大しようともこの戦で勝利をつかまないではいられません。残る8511の兵力で力攻めにできる領土を見つけるべく、ノルウェー王国領を隈なく調べていきます。

すると、防衛戦力の少ないところとしてはやはり、王の直轄領がその筆頭になるようです。当代に変わった頃からか、イングランド王がかつて以上に直轄領を保有するようになって来ているように感じていましたが、ノルウェー王も統治能力の許す限りに直轄領を保有しているようで、ボスニア湾岸地域にはそのうちの5箇所が連なっていました。また、封臣領でも防衛戦力の少ない所がいくつかあります。

虎穴に入らずんば虎児を得ずというのとは少し違うでしょうが、どこから敵の大群が現れるかわからないながらも敵勢力の懐深くまでの遠征を決心します。陸地から敵軍が迫ってきても、船に逃げ込むほうが早いだろうという目算もありました。

まず上陸したのはヘルシングランド伯領です。スコットランド最北端のケイスネス伯領から2ヶ月近くかけての行軍でした。途中、ノルウェー王国軍の小部隊をいくつか見かけましたが、本体と呼べるほどの兵団を見かけることはありませんでした。警戒を厳にする必要はありますが、この地の防衛戦力は517。すかさず力攻めし、陥落させます。この地は城が一つあるだけなので、早々に次の攻略目標に移ります。この時点での戦勝点は71%。

次は北隣のメーデルパッド伯領に移動しました。その際のアイルランド王国軍の兵力は8248です。ヘルシングランド伯領の城を陥落させてから1ヶ月経つか経たないうちに、メーデルパッド伯領も力攻めの末に陥落させます。この地域の伯領はほとんど城一つだけか、もしくはそれ以外の教会か街があっても力攻めの安全圏外なので、城だけ落としてすぐさま次の攻略目標点に移動していく作戦です。この時点での戦勝点は75%でした。

次は北隣のオンゲルマンランド伯領に8094の兵力で移動しました。メーデルパッド伯領の城陥落からほぼ1ヵ月後にオンゲルマンランド伯領の城も力攻めにより陥落させます。この時、戦勝点は79%でした。

次はその北隣のヴェルテルボッテン伯領なのですが、この辺りまで北上するともう一つ隣りの伯領に移動するのにも1ヶ月以上の時間が必要とされるようになってきました。さすがにそうなると船を使った行軍のほうが早くなってきます。8037の兵を率いてヴェルテルボッテン伯領に上陸したのち、力攻めで城を陥落させます。オンゲルマンランド伯領の城陥落からここまで1ヶ月と少し。この時点での戦勝点は85%です。

次はその北隣のケミ伯領に上陸しました。7469の兵で城を力攻めし、ヴェルテルボッテン伯領陥落から1ヶ月ほど経った頃には陥落させます。ここまでの5つはすべてノルウェー王の直轄領でした。この時点での戦勝点は90%です。

続いては6920の兵でケミ伯領からボスニア湾東岸沿いに南下してサタクンタ伯領に上陸しました。ケミ伯領の城を陥落させてから1ヵ月半ほどでこの地の城も陥落させることに成功します。この時点での戦勝点は94%です。

ここまでくると、さすがに力攻めするにも兵力が心許なくなってきました。後方から援軍を捻出しようにも、ほぼ全軍をかき集めてきたために動員兵力はすでに限界に達しています。どうしたものかと少しの間悩んだのですが、これまでなるべくならと避けてきた手段があることを思い出します。それは、傭兵団の雇用です。金食い虫であり、そちらに注ぎこむより内政に回すべきだとして避けてきたのですが、この状況で最も素早くかつ大量に兵力を増強する手といったらそれでしょう。

ケミ伯領を後にするとほぼ同時期にアイルランド団4142を雇い、バルチック海付近での合流を目指します。途中、再度スコットランド地方のマレー伯領解放を目指して包囲を始めようとしていたノルウェー王国軍の小部隊を追い散らしてもらうことも考えましたが、あまりにも士気が低すぎる(「規律がゆるみすぎている」?)ので、そちらにはよらず一直線でバルッチク海を目指してもらうことにします。

傭兵団を乗せた船がカテガット海峡に到達する頃には、すでにサタクンタ伯領の城も陥落していました。次の攻略目標であるヴィキン伯領はすでに通過した海域に面していたので、いったんその場で待機してもらい、本体と落ち合わせます。合流した後は、直ちにヴィキン伯領に上陸し城の力攻めを開始させるつもりです。すると、上陸した際にノルウェー王国軍の大隊の所在が判明しました。ヴィキン伯領の東隣のスウェーデン勢力下の伯領を6185の兵力で包囲中のノルウェー王国軍が見つかったのです。

その隊が目に入った瞬間には、もう一合戦あるかと身構えましたが、どうやら彼らは包囲戦に集中している様子です。それに、万が一攻め寄せてきても、兵力では勝っていますし、その他の隣接地にノルウェー王国軍の姿は見当たりません。ならば、できるだけ早くこのヴィキン伯領の地を陥落させ、次なる目標地点に向かうべきでしょう。

傭兵団と合わせて10735の兵力でヴィキンを伯領の城を力攻めにし、陥落させます。サタクンタ伯領の城を陥落させてから1ヶ月と半月余りが経過した頃でした。すると、ようやく戦勝点が100%に達しました。こちらの優勢が絶対であり、要求を拒否しようとしてもむりやり承諾させられるポイントです。

これで王の悲運が無駄になることはなくなった安心感だとか、消耗戦を戦い抜いた疲労感だとかがない交ぜになった気持ちが押し寄せてきましたが、とにもかくにもこれでようやくこの戦の幕を引くことができます。

こうして1184年8月6日、ノルウェー王に無理やり要求を飲ませ、なんとかマレー伯領を手に入れましたることができました。

それにしても、色々なことがありすぎました。疲れたので、少し休みたいところです。


6.再起不能の王

一休みすると、またそれまで通りの行程が待っています。まずは、戦後処理です。

摂政を務める王兄フィンゲンは優秀な部類には入るのですが、軍事方面には傑出しているもののその他の能力は人並みより少し上というくらいです。家政能力ではかつての王より見劣りするものがある上に、先ほど獲得したばかりのマレー伯領が加わったことから、完全に彼の手に負える量を超えてしまっていました。

マレー伯領には一族の者を封じることにしたのですが、かつての王が治めていた6領からさらに一つを減らす踏ん切りがなかなかつきません。回復することもなく、しかしあっさりと死んでしまうこともなく生きながらえ続ける王の姿を見るにつけ、往時の姿が思い起こされ思考がぼやけてしまいます。

おかしいですね。先代や先々代の王の時にはそれほどこだわりなく受け渡しができていたというのに、今回に限ってこの決断の鈍さは……。どうやら、まだ疲れが取れていないようです。もう少し、休みたいです。

先の終戦から1ヵ月後にあたる9月上旬、王の外交能力の不足を原因となってオリエル伯領に密輸業者がはびこるようになりました。さらに月末ごろには家政能力の欠如を原因としてダブリン伯領に盗賊団が、11月の末には同じくキルデア伯領でも盗賊団が現れるようになりましたが、王の再起不能をことさら見せ付けるような出来事を前に、なんら有効な手を打つことができません。

さらに翌年6月中旬には軍事能力の欠如を原因としてキルデア伯領で野盗が野放し状態になってしまいます。次々と起こる問題によって各地の税収や動員可能兵力が次々と減少していく様を目にするにつれ何か手を打たなければという思いは日々募っていくのですが、肝心な対処法がわかりません。能力の欠如を理由とされては、王の交代以外に解決方法が浮かばないではありませんか。しかし、王は再起不能ながらも確かに生きているのです。

7月中旬と9月上旬には統治能力の限界を超えた直轄領の保有により、それぞれレンスター伯領とダブリン伯領で小作農による蜂起リスクが高まりました。更なる問題発生ですが、これなら解決方法はわかります。直轄領の統治限界を超えているというのなら、超えないように減らせばいいのです。先年来、丸一年以上ぐずぐずと先延ばしにしていましたが、ことここに到ってようやく決断を下すことができました。

問題発生が最後の一押しになったというのはいかにも怠慢によるミスですが、懸念材料であった事案が解決したので、ここで発生した問題もプラス面がなかったわけではないと言えるでしょう。といっても、トータルでは明らかにマイナスに偏っていますが。

9月の中旬にトモンド伯領に一族の者を封じると、思わぬところから効果が現れました。同じ月の下旬に、家政能力が行き届くようになったとして、キルデア伯領で盗賊団が一掃されたというのです。また、翌10月にはレンスター伯領でも盗賊団が一掃されました。同じ月の中旬には、軍事能力が行き届くようになったとして、キルデア伯領で野盗が一掃されました。11月にはレンスター伯領と同じくダブリン伯領でも盗賊団が一掃され、翌年1月には外交能力が行き届くようになったとしてオリエル伯領から密輸業者が一掃されました。5月と7月にはそれぞれレンスター伯領とダブリン伯領から小作農の蜂起リスクは以前の水準まで低下しました。

気づいてみれば、お手上げ状態かと思われた問題がすべて解決しています。解決してみれば、どうも統治能力の限界を超えた直轄領保有にすべての原因があったようです。一つくらい余分に持っていても……という欲目は今後厳に戒めることにしましょう。

同年11月、王の摂政が交代しました。王の妻たる王妃が新たな摂政の地位に就きました。王妃はかつてこそ評議会の議員から解雇されもしましたが、その家政能力は十分エキスパートと呼ぶに値する水準にありました。その能力は、補佐するアイルランド王の下に往時よりもさらに一つ多くの直轄領を集めても十分切り盛りできる域なのです。やはり、統治者は家政能力を欠いてはいけません。王が今のようになってしまった後、王妃に養育を任せた子供は立派に成長しているでしょうか?


7.アソール伯領攻撃(対グウィネズ公戦)

国内の問題が解決に向かい始めた頃、イングランド王国とスコットランド王国の内部で起こっていた内乱は鎮圧されていきました。

国内の問題も片付きようやく外部に目を向ける余裕ができたことや、内政に回して目減りしていた資金が貯まってきたことから、1187年3月28日、ついにかねてからの予定にあったスコットランド王位の簒奪を宣言します。そうしてスコットランド王位はアイルランド王の下に移り、あわれスコットランド女王はオールバニ女公の地位に転落したのです。

それらを確認した後に宰相をウェールズ地方に派遣し、さて次はどこを獲得目標にしようかと勢力地図を眺めてみると、旧スコットランド王国に異変があります。グウィネズ公がオールバニ女公となった旧女王の下から独立しているのです。

いかにも攻め取ってくださいと言わんばかりの構図です。できることなら兵を動かす前に恭順を勧めたいところでしたが、グウィネズ公は独立以前からウェールズ地域でかつての封臣と交戦状態にあったために今すぐ恭順の使者を送ることはできませんでした。

強国ひしめく地域では、小勢力は放っておくといつ他勢力が出張ってくるかわかりません。恭順を促せないのならば、攻め取ってしまうべきでしょう。同月30日、アソール伯領を求めてグウィネズ公に宣戦を布告します。

ここからは、大国と小国の戦なので、特に面白みもありません。

動員した兵力こそ11244と全軍に近い数でしたが、あくまで力攻めのためです。同年6月10日には城を陥落させると、戦勝点は32%しかないにもかかわらずグウィネズ公はこちらの要求を受け入れ、終戦となりました。

この後の確認はまだあまりできていないのですが、所属勢力の紋章を見ると、グウィネズ公の勢力はこれで滅びてしまったようです。しかし、グウィネズ公位が現在誰の下にあるのかは不明です。また、グウィネズ伯領の一部の支配権を手に入れたらしいのですが、これについても詳細を確認できておりません。


――――――――――――――――――――――――――――――


ここまでが、現状の進捗となります。実際の戦争期間は前回のスコットランド王国戦のほうが長かったはずなのにノルウェー王国戦の方がはるかに長かったように感じられるのは、いろいろシビアな戦いだったからでしょうか。スコットランド王位を手に入れたことよりもそっちのほうが強く印象に残っているくらいなので相当なものかと。

そして気付けば前回以上の字数になっており、おかしいなーという。ちょっと細かく書きすぎてるかも。でも、こうした方が書きながら自分のプレイ内容思い出して反省点を絞り出したりできるので気に入ってもいるんですよね。悩みどころです。


反省点:
一)感情移入しすぎた。過ぎたこだわりはこの記事を書く時だけに留めるべし。
二)君主や後継者はあまり参陣させるべきではない。高い確率ではないが、無視できるほどでもない確率で負傷することがあり、最悪の場合は戦死もありうる。(今回の件もあり警戒過敏になっているのは否めないが)

わかったこと:
(前回の書き漏らし)船を使わず海路を越えると渡海ペナルティがつくが、船で港から上陸させればペナルティはない。(港ではないところから上陸させた場合は不明)
a)欲をかいて統治能力の限度を超えて直轄領を保有し続けるよりも、限度いっぱいで留めた方が税収面等で結果として有利に働く。
b)王位の兼任は可能だった(ただし、いくつまで兼任可能かは不明)

気がかりなこと・よくわからないこと:
A)占領によって増加する戦勝点は、場所によって高低があるのか?(請求権を行使した地が高いのはわかっているが、それ以外は?) あるならばどのような計算式に基づいているのか? 
B)傭兵として雇ったアイルランド団に将軍を任命できなかったのはなぜか?(称号を創設していないからか?)
C)スコットランド王位簒奪は早まったかもしれない。アイルランド王位が選挙制でスコットランド王位が長子相続であるため、現状それぞれ後継者が異なっている。継承法を変えようにも王が再起不能で不可能。


最後に、現状の周辺勢力の様子を納めた画像です。スコットランド地方での優位は明らかになってきたと思うのですが、オールバニ女公(旧スコットランド女王)はイングランド王国がバックについてますし、ノルウェー王国はイングランド王国に勝るとも劣らない強国ですし、まだこそこそと二大国の隙を窺いながら勢力拡大を図らなければならない現状です。
CK2_5.jpg

という感じで、次もすぐにと言いたいところですが、ちょっと間が開いてしまいそうな予感。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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