2012年12月26日

お試しアイルランド戦記 in CK2 〜動乱のスコットランド〜

前回までのあらすじ:アイルランド統一の目算が立ったアイルランド王国が次に目を付けたのは隣のスコットランド地方だった。先代スコットランド王はアイルランド王国と同盟関係を結びスコットランド統一事業を進めていた。ところが、道半ばで崩御した後、王位継承の都合から同盟関係は解消。また、王国の半分にまで勢力を広げていた封臣が独立戦争を起こすなど、スコットランドは一気に動乱の時代に突入したのだった……


月曜日には書き上げたかったんですが、アイルランド王国的になかなか進展がなく、もう少しだけと粘ってる間にやや予定をオーバーしてしまいました。

まずどこまで進んだか書いてしまうと、前回終了時の1138年から24年経過した1162年。時間は結構経ってるんですが、領土的にはテヴィオットデイル伯領とクライズデール伯領とダンバー伯領の3か所しか増えてません。ギャロウェイ公位とロシアン公位を獲得できたのは大きいものの、もっとペースを上げていきたいところ。しかし、こればかりはシステム上なかなか思った通りに行かないので困りものです。以下、その間の出来事を、順を追ってもう少し細かく書いていきます。


まず1139年、ロシアン公勢力下のテヴィオットデイル伯領(ギャロウェイ伯領の東隣)の請求権を捏造して宣戦布告。

この当時、ロシアン公はスコットランド・イングランド両地方にまたがる五つの伯領を有しており、アイルランド全土を勢力下に治めていたとはいえ、なかなか侮れない勢力でした。また、ロシアン公の一族は軍事能力に秀でた者が多く(16とか18とか22とか。もしかしたら14もいたかもという、まさに将軍向きの一族。平均値がどの程度かはわかりませんが、アイルランドを統一しても軍事能力15以上の男の廷臣は5人くらいしかいなかったような……)、将軍の質としてはほぼ互角と言ってもいいのではないかという程の相手でした。

野戦においては、アイルランド王軍約3800(うち直轄領軍約3100)対ロシアン公軍約2200の戦いとなり、兵力的に問題なく勝てるだろうと思っていたのですが、恒例の追いかけっこをしている間に地の利を押さえられてしまいました。自軍に渡河ペナルティ、敵軍に丘陵ボーナスがついたハンデ戦。それだけなら兵力差でなんとかなるはずだったのですが、敵将の中にロシアン公一族の軍事能力22の男がいて、兵力では倍以上をぶつけていたはずなのに一時こちらが押される事態になってしまいました。正面の敵を片付けた隣の隊が駆けつけてなんとか盛り返しましたが、あれには焦りました。こちらの将軍も軍事能力17はあったはずなのですが、ペナルティとボーナスの合わせ技が利いたのでしょうか。とはいえ、それでも約700の損害(だったはず)で敵部隊はほぼ壊滅させれたので戦果としては上々と言えるでしょう。

その後はテヴィオットデイル伯領の包囲(前回まで「攻囲」という訳を当ててましたが、こちらの方がよりニュアンスが近そうなので変更)戦に移行。「戦力差が10倍あれば力攻め」といけるほどに戦力差がなかったため、のんびりと包囲を継続することにしました。包囲自体は順調に進みましたが、途中で想定外のトラブルが起こりました。直轄地のティロン伯領で領民約1000(約900だったかも)が蜂起したのです。ただし、これは予測できないことではありませんでした。ティロン伯領ではこの数年前から異端の教えが広まり、領内における多数派の地位を占めるまでになっていたのです。普遍的な教えに改宗させるにあたって、広まりだして間もない頃は異端の勢いが強く難しいだろうと、ほとぼりが冷めてから乗り出すつもりでいたのですが、教皇様の指示によって強圧的な改宗策を採ることとなり、それがもとで領民たちの反発がより強まっていたのでした。

いつか起こると思っていたことではありましたが、正直に言ってあまりいいタイミングではありません。とにかく早めに包囲戦に決着をつけて、取って返した主力軍で以って鎮圧したかったのですが、ロシアン公はなかなか講和に応じる気配を見せません。CPUの場合なら、蜂起軍が伯領を包囲占領していくのを黙って見過ごすこともあるのですが、それをすると以後暫く被占領ペナルティで収入や動員兵数に影響が出そうな気がしたので(確証なし)、対ロシアン公戦に投入していなかった予備兵力を動かすことにしました。なぜその兵力を投入していなかったかというと、まずロシアン公相手ならば全兵力を投入するまでもないと見積もっていたからです。この見積もりは結果的に正解でした。また、それに付随して、直轄領以外からの動員は一時的にせよ動員地を治める封臣の忠誠(前回まで「評価」の訳を当てていましたが、こちらの方がよさそうな場合もあるため一部でこの訳を使うことにします)を落とすことにつながるので、必要な時以外は忠誠の高い封臣以外の領地からの動員は極力避けたかったのです。

しかし、こうなっては背に腹は代えられません。最も忠誠が低く最も動員可能兵力が多いアルスター公領からの徴収軍を主力にして約1500人を動員。領民の鎮圧に向かわせました。ここで蜂起軍の特筆事項を挙げるならば、見た目の兵力数の割に強いということです。こう書くと、先の展開は予想がつくと思いますが、派遣した鎮圧軍は敗北しました。それも、敵にはせいぜい100程度の損害しか与えられないという完敗でした。兵力では勝っていました。将軍が主力にあぶれた二線級であり、軍事能力でいえば11〜13で、敵将の16に対して劣っていたことが原因でしょうか。また、こちらの軍が正面・右翼・左翼と構えていったのに対して敵軍が正面にすべての兵力を固めていたことは、何か関係があるのでしょうか。

わからないのでそのまま先に進みますが、鎮圧軍が破れたことは衝撃でした。しかし、第一次鎮圧軍は所詮アイルランド国内からごく一部だけ徴収した兵力でしかありませんでした。蜂起軍による包囲がかなりゆったりしたものであったことにも助けられ、第一次鎮圧軍の被害がある程度回復してきた頃に国内の余剰兵力の総員に当たる約2600の兵を動員。3倍近い兵力差も手伝い、圧勝することができました。

この対蜂起軍戦としては、主力を戻すこともなく、ティロンの城が占領されることもなく、結果だけ見れば上々と言えるでしょう。ですが、反省点もあります。しかし、それは、あとでまとめて書きだすことにして、話を先に進めることにしましょう。アイルランド国内で蜂起軍の相手をしている間に、対ロシアン公戦はテヴィオットデイル伯領の包囲からロシアン伯領の包囲に移りました。ロシアン公の勢力はそれなりに大きいので、1つの伯領を占領しただけでは戦勝点がたまりきらないのです。しかし、ロシアン伯領の包囲中にロシアン公より講和の申し出があり、ここにテヴィオットデイル伯領を巡る戦いはアイルランド王の勝利に終わりました。この時、1141年でした。


1142年、スコットランド情勢はますます混迷を深めることになりました。最盛期のスコットランド王国は8つの伯領を勢力下に治めていたのですが、1139年の時点では、以前からの内戦により4つの伯領を勢力下に治めていたオールバニ公が独立戦争を起こし、アイラ公(前回「アイレー公か」と書きましたがこちらの方が正しそうなので。ただし相変わらずうろ覚えなので確証なし)がクライズデール伯領の権利を主張して宣戦布告をしていました。その渦中に、ウェールズ公が血縁者のスコットランド継承権を主張して参入してきたのです。さらに、独立戦争だったはずのオールバニ公の対スコットランドの戦争はいつのまにか、こちらもウェールズ公とは別の人物を担ぎ出してのスコットランド継承戦争になっていました。その上、スコットランド北部に勢力を持つノルウェー王国までもが、モレー伯領の権利を主張してスコットランド王国に宣戦布告したのです。こうして、スコットランド王国は一度に4つの勢力と敵対することになったのです。

とはいえ、一つの勢力に対して複数の勢力が同時に戦争を始めると、各勢力間は協調が取れず、逆に敵対することもできず、包囲した領土の占領が早い者順になったりと、なかなか面倒なことになるようです。4勢力の中では唯一北部から進攻したノルウェー王国が最も早く戦勝点を稼ぎ、1年ほどでモレー伯領を獲得して戦乱からいち早く脱出していきました。一方、スコットランド王国領南部で占領を競い合った3勢力の中で最も早く戦勝点を稼いでいったウェールズ公が勝利を収めるには、2年の時間を必要としました。

その間、王太子に任せておいたギャロウェイ伯領で領民が蜂起するという事態が起こりましたが、この時、グレートブリテン島への行軍に際して初めて船を利用しました(もしかしたら先述の対ロシアン公戦で使っていたかもしれません)。そうして船を使ってみてわかったこととしては、船の移動は陸路に比べて格段に速いということでした。陸路で隣の伯領への移動も、もしかしたら船を使った方が早いかもしれないと思えたほどです。特に、アイルランド島のアルスター伯領からスコットランド地方のギャロウェイ伯領への移動となると、船を使わない場合は20日ほどもかかるというのに、船を使えば5日かあるいはもっと早く移動できたかもしれないという程に違いが出ます。これからの戦場がほぼ確実にアイルランド島外となることを考えると、船を使わない行軍など考えるのも馬鹿らしくなってきます。


また、突如として(原因不明)前回なぜか手に入らないと書いたギャロウェイ公の地位を手に入れられるようになったので、アイラ公をギャロウェイ公の座からから追ってギャロウェイ公位を獲得。ギャロウェイ公位に伴うクライズデール伯領の請求権も手に入ったので、1144年、ノルウェー王国が抜けて4つの勢力がひしめくスコットランドの動乱に我がアイルランド王国も参入することにしました。

そうしてクライズデールに向けて進軍するべく、グレートブリテン島にて各地から動員した直轄軍の集結を待っていると、どうやらウェールズ公が起こしたスコットランド独立戦争がウェールズ公の勝利の下に終結したようです。王が変わろうと、クライズデール伯領の請求権を主張した相手であるスコットランド王国が変わるわけではありません。なんの手続きも加えずとも戦争は続きます。

ところが、以前のスコットランド王と今度のスコットランド王では違う点がありました。それは同盟関係です。新スコットランド王はウェールズ公の母でした。対スコットランド王国戦にて約2900の兵を動員したウェールズ公は当然援軍の要請に応えます。さらに、ロシアン公とイングランド王にいまだ服属していないコーンウォール公(公だったか伯だったかうろ覚え)までもがスコットランド女王の要請に応えて援軍を派遣して来るとの情報が伝わってきました。ロシアン公はアイルランド王国軍との敗戦の傷癒えぬ間にイングランド王国軍の攻撃を受けたことで兵力を消耗していましたが、コーンウォール公の兵力は未知数です。ですが、マップで確かめてみると1000人近く動員してきてもおかしくない国力です。すべて合わせれば5000人にもなるかもしれないという敵対勢力。「直轄軍で3000人動員できるからスコットランド地方なら大丈夫」などとうそぶいていた見積もりの甘い前回の自分を叱りつけたくなるきわどい情勢です。

アイルランド王国軍を全軍動員すればおそらく7000人は超えるでしょう。ですが、徴収できる兵力の多い封臣の中には忠誠の高くない者も混じっています。そういう者たちの領内からも動員すると、一時的とはいえ長期動員ペナルティによる忠誠度減少がこわいです。第一、5000は最悪の場合であり、マップ上の見える範囲に現れていない敵を過剰にこわがっていても仕方がありません。見える範囲で今ある兵力では終始優位に進めるには不足と判明した場合に追加することにしましょう。それでも大丈夫でしょう。そう思い直して、クライズデール伯領の包囲を開始しました。

すると間もなく、コーンウォール公軍の詳細が判明しました。900人ほど(うろ覚え)で、アイルランドに上陸して直轄領の包囲を始めたではありませんか。この程度ならば楽勝です。忠誠の高くない封臣の領土から兵を徴収しても短期決戦で勝負を付けることができるでしょう。敵軍との追いかけっこが始まりましたが、上陸後に船を解散させていたようなので渡海に時間がかかっている間に追い付くことができました。結果は、書くまでもないでしょう。

短期決戦を終えた徴収軍は即座に解散させましたが、一方のスコットランド情勢でまた大きな変化がありました。オールバニ公によるスコットランド継承戦争がオールバニ公の勝利に終わったのです。スコットランド王が再び交代したことにより、同盟関係が解消されたウェールズ公は軍を解散させました。コーンウォール公に次ぐ敵援軍の脱落に、これでようやく一安心できると息をついたのですが、その直後、だから考えが甘いのだと思い知らされました。

そうです。独立戦争から継承戦争にシフトしたオールバニ公による、スコットランド王との戦争が終結したのです。そのことが意味するのは、スコットランド王国分裂の解消でした。内紛にあえいでいたスコットランドは一気にその国力を回復し、ロシアン公の援軍を併せて約4000もの兵力を動員してきました。これは、数字としては先におそれた5000よりは少ないです。しかし、目に見える4000という数字からは、それに劣らぬ脅威を感じました。

とにかく、このままでは敗色濃厚です。直轄軍だけでは兵力で劣ることがわかると、相手よりも多くの兵を集めるべく、忠誠の高い封臣領から順々に兵を徴収していくことにしました。そうして集めた兵力は、直轄軍約3100と合わせて約4800。さらに、敵軍とぶつかった直後に合流する戦場周辺の封臣領からの徴収軍約900。合わせて、約5700でもって敵軍との野戦に臨むことになりました。

クライズデール伯領から敵軍が包囲するギャロウェイ伯領に進軍すると、待ち構える敵軍に丘陵ボーナスが、進撃する自軍に渡河ペナルティが付くことは、上述のロシアン公との戦いでわかっていました。ですが、別の伯領から回り込んで、などと考えていると、追いかけっこになって戦が長引くことが予測されます。ただでさえ封臣領から軍を徴収しているので、長期線はなるべく避けたいです。そこで、兵力差を活かして押し切ることで、即時決戦を図ることにしました。

今振り返ってみると、先の戦いの反省がまるで活かされていません。考えが甘い程度ではありません。これははっきり馬鹿と言い捨てていい、悪手だったでしょう。ボーナスとペナルティが付いたことにより、兵力差にもかかわらず、自軍は約2400もの損害を出しました。一方の敵軍の損害は約2700。勝ちはしましたが、辛勝もいいところでした。

その後は追加の徴収によって兵力を補った上で再度決戦を挑み、今度こそ兵力差を活かして勝利。アイルランド王国領を包囲できるだけの戦力もなくなったことを確認したうえで包囲の続きを行おうとしましたが、今度は戦略とは関係ないところでミスを起こしてしまいました。スコットランドの封臣領からの徴収軍は兵力回復の目的も兼ねていったん解散させようとしたところ、操作を誤って主力軍を解散させてしまったのです。これによるロスタイムを考えると、あまりにしょうもないミスに凹みたくもなりましたが、軍の回復にもつながるのだからとなんとかやる気を持ち直して再度動員をかけることにしました。

すると、船での進軍中にスコットランド王より講和の申し出が届きました。それまでの野戦と包囲である程度の戦勝点はたまっていたようですが、それにしても講和が早すぎる気がしてなんとなく釈然としません。とはいえ、相手側から負けを認めてきたものを断る道理もありません。講和を受諾し、クライズデール伯領を獲得を達成しました。これが1146年のこと。


尻すぼみではありましたが、今回の最大の山はこの戦いでした。これ以後、王太子でもある宰相(「外務大臣」の方がイメージが近い気もします)がなかなか請求権の捏造に成功せず、アイルランド王国的にしばらく静かな時期が続きます。期間としては15年間。

15年間もあると色々なことが起こります。オールバニ公が自分の立てた王に投獄されたり、スコットランド王国でまた独立戦争が起こったり(スコットランド王国が勝利)。コーンウォール公にスコットランド王が母の請求権を行使して開戦したり、その直後にイングランド王も王位に伴う請求権でコーンウォール公に宣戦布告したり、その際アイルランド王国は同盟関係にあるイングランド王からの要請に基づいて援軍を派遣したり(スコットランド軍が勝利した後イングランド軍が勝利。つまりコーンウォール伯領はイングランド王の勢力下に)。スコットランド王が王に基づく請求権でロシアン伯領を要求してロシアン公と開戦したり(スコットランド王が勝利)。封臣のアルスター公領内部でアルスター伯の封臣である伯(伯名忘れ)がアルスター公位を求めて開戦したり(アルスター公が勝利)。スコットランド王とロシアン公の戦争の最中に、オールバニ公がまたスコットランド王に独立戦争を起こしたり(スコットランド王の勝利)、イングランド王がロシアン公の有する最後のイングランド地方の勢力地であるカンブリア伯領(うろ覚え)に対して王位に伴う請求権を使用して開戦したり、その際アイルランド王軍がイングランド王の同盟軍として参戦したり(イングランド王の勝利)、イングランド王国内部で独立戦争が起こり(どこか忘れた)イングランド王の同盟軍として参戦したり(イングランド王の勝利)。イングランド王国がスコットランド王国に継承戦争を仕掛けたり(継続中)。アイルランド王太子が亡くなったり。

以上、ざっと事項だけ書きあげてもそれなりの量になってしまいますが、我が国にとって一番の重大事はなんといっても王太子の死亡でした。これまでの当主はだいたい50代で亡くなっているのですが、今の当主だけは70歳を過ぎてなお健在です。

王太子が亡くなって困ったことは何かと言うと、前回気掛かりなことして書いたように後継ぎです。前回は「遺伝病」と書きましたが正確には少し違って、どもり癖を持っているのです。そしてこのどもり癖というのはゲーム上、能力的にマイナス要素で且つ子供に遺伝する可能性のある素養なのです。それに加えて、おそらくですが能力だけでなく周囲からの評価にもマイナス要素として働くと思われます。当主としてはまずもって望ましくない性質です。なので、一時は亡くなった王太子の廃嫡も考えたほどに有能な現当主の次男、故王太子の弟を次の王太子にするべく継承法を変えることにしました。

次男が現在の直轄地をまるまる受け継げる法は、現状では年長者相続法と選挙相続法の二つが考えられましたが、次男の先の後継者のことを考えると、既に50歳を過ぎている次男が自らの代で継承法を変更するための在位年数である10年(技術研究でその感覚が縮まるか?)を生きられるかは微妙です。そうなると、有能な次男の有能な息子に継承させていくためには、年長者相続よりも選挙相続の方が相応しいのではないでしょうか。そう考えて、選挙相続制への変更を決めました。現状では、投票はそれほどありませんが、次男以外の得票者はおらず、思惑通りの継承ができそうです。

また、この継承法は年長者相続とは違った忠誠の変化をもたらすようです。年長者相続で後継者だった孫が大きく忠誠を下げました。同様に、封臣である血縁者も、孫ほどではないにしろ忠誠を下げています。一方で、次男に投票した封臣は、血縁関係があろうとなかろうと、忠誠を上げています。詳しいことはよくわかりませんが、これは今後の動向も含めて注目していくべき事項だと判断します。


そうこうしている間に1161年、ようやくダンバー伯領の請求権の捏造に成功(その際に300Goldも要求されたんですが、なぜいきなり必要金額が跳ね上がったのでしょうか。それまでで見たことのあった最高額でも130Gold程度だったというのに……)。あっさりとロシアン公を破ってダンバー伯位ならびにロシアン公位を獲得しました。

というところなのですが、ここでも一つ失敗をしました。それは力攻めです。「10倍すれば力攻め」ということで、先のスコットランド王戦にて、15倍くらいの戦力差で包囲していたことがあったので実際にやってみたのですが、1割ほどの被害で占領に成功しました。占領するたびに1割の被害を出すとなると痛手ではあるのですが、出兵中にも直轄地の兵力は回復していますし、ちょっとくらいの損害ならば大丈夫でしょう。そう思って6倍ほど戦力差の教会を、50%まで包囲してから力攻めを開始したのですが、予想外の頑強な抵抗を受け、なんと6割の兵力を失ってしまいました。この戦争の結果、ロシアン公位も獲得できて次の開戦の口実も手に入ったので、あとから思うと余計なことをしたとしか思えません。

一応、ロシアン伯領は現状イングランド王軍の占領下にあり、両者の戦争が終結するまでは兵力回復に専念する時間がありそうなのが救いといえば救いなのですが。これが1162年で現状となります。


こうしてみると、今回は反省の多いプレイ内容だったと思います。「戦力の逐次投入は避ける」「野戦時は不利な地形を避ける」「力攻めは10倍から」を徹底するべきですね。特に逐次投入は、長期の徴収による忠誠低下が嫌でついついやってしまうのですが、それによって被る損害を鑑みるに、今後は戒めるべきでしょう。長期の徴収によるペナルティーは確か「72日につき忠誠1低下」だったと思いますが、例え一年以上かかる徴収になろうと、徴収するなら一気に集めた方が結果として早く戦争を終結させることができるというのも確かですし。また、今回試してみたやり方から、ダメージの大きい部隊は一度解散させて回復を待った上で再徴収という手段もなかなかいけそうな気がします。直轄軍と比べると、封臣領からの徴収軍は兵力の回復スピードが速いようなので。

また、今回わかったこととしては、船の使い方が大きな収穫になったと思います。まず、船の着岸可能地点は自分の王国領のみで、敵地や中立地帯並びに同盟国領には着岸できないようです。ですが、着岸はできずとも隣接する海域上から陸地を歩かせるようにして軍を上陸させることは可能のようです。これらと、船の移動速度を組み合わせれば、進軍時間をそれなりに短縮させることができそうです。

気掛かりな点としては、まだまだよくわかっていない点も多そうな選挙相続法になります。現当主から次の代への継承はうまくいっても、その後も上手くいくかは未知数なところがありますので、どこかでまた安定的な相続制に戻したいところです。

それと、スコットランド征服に当たってはスコットランド王位を手に入れるのが一番手っ取り早いとは思うのですが、王位を二つ兼任できるのかも気になるところです。現状では伯位が7つ、公位が2つが限界で、それ以上兼任すると廷臣ならびに封臣の忠誠が下がるので、王位2つはもしかしたら厳しいかもしれませんね。とはいえ、王位を獲得できるまでにはまだスコットランドに勢力を広げられていないので、捕らぬ狸のなんとやらに過ぎないのですが。


そんなこんなで、次回もゴタゴタ続きのスコットランドへの侵攻が続く予定です。イングランド方面への侵攻は……ここ最近のイングランド王勢力の伸長や(婚姻先の王子の死亡による?)同盟関係解消があり、なにより兵力的にも劣っているのであまり敵対の口実を与えるような真似はしたくないところです。まずは国力の充実が第一というところですね。

今回も最後に現状のスクリーンショットを貼っておきます。前回の画像はサイズが小さくてわかりにくいように思えたので、今回はもう少し大きめのサイズにしてみました。

ck2_2.jpg

そんな感じで。今週末から年末年始ということで、ゲームをする時間がなかなか取れないかもしれませんが、そんなに遅くならないうちに次回分も書いていきたいところです。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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