2019年02月28日

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) マッチメイキングとマーケットデザインの経済学

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) マッチメイキングとマーケットデザインの経済学 (日経ビジネス人文庫)
Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) マッチメイキングとマーケットデザインの経済学 (日経ビジネス人文庫)

Who Gets What(フー・ゲッツ・ホワット) | 日本経済新聞出版社

よりよいマーケットデザインが市場をより有効に機能させるのでり、その基礎をなすのがマッチメイキングの理論である、という感じの内容だっただろうか。

伝統的な経済学においては、需要と供給の一致によって左右される買い手と売り手の間の均衡点としての価格が注目されてきたが、本書の著者らは価格だけでは均衡が定まらない市場において買い手と売り手をマッチングさせる仕組みについて研究を深めてきたのだという。そして、本書の著者であるアルビン・E・ロスとロイド・シャプレーの両氏は、このマッチング理論とそのマーケットデザインへの応用によって、2012年にノーベル経済学賞を受賞している。

読みはじめる前には、これは経済学なんだろうかという疑問もあったけど、読んでみればマッチング理論の根底にあるのは数学的な組み合わせであり、ゲーム理論からの発展によって実社会のマーケットデザインへとつながっていくとのことで、これはまぎれもなく経済学の分野ですわと納得できました。

詳細な理論に立ち入ろうとするとさまざまな数式に立ち会うことにもなるのでしょうけど、本書においては特に数式は登場せず。事例を紹介しながらわかりやすい言葉を用いた説明によってマッチメイキングとマーケットデザインの経済学について、その概要を伝えてくれます。進学や就活や臓器移植など、(特に本家のアメリカでの)実社会においていくつもの場でこの理論が応用されているようで、たいへん興味深くなってくるとともに、身の回りに存在している種々のシステムについてもこうした視点を向けてみると面白いのではないかとも思えてくる。知的な好奇心を与えてくれる、とても有意義な一冊だったと思います。

本書の構成としては全四部。第一部では伝統的な経済学では扱いきれない市場が存在することの指摘からマッチング理論の実例が提示される。第二部では、市場の失敗の事例が原因ごとにいくつか取り上げられ、マッチング理論によって小さいながらも改善がなされた点が記述される。第三部ではいよいよいよマーケットデザインの大きな成功事例として、研修医の勤務先選択や高校選択におけるマッチングシステムなどが、その解消された問題点ともども紹介される。第四部では、実社会においてはまだ導入されだしたばかりのマッチング理論についてのさらなる応用の可能性や、その背景にあるエンジニアとしての経済学者のあり方についての可能性が記されて終わりとなる。

数式が用いられていないことから特に初学者にやさしい仕様だが、原註も収録されているため、さらに学びを深めたい人への足掛かりもしっかり備えられているといえるだろうか。参考文献は全部英語なので、ステップアップというにはややハードルが高いかもしれないが。

最後に、本書を読んで印象に残ったのは、著者の経済思想であった。エンジニアとしての経済学者の可能性を検討することは、それはすなわち市場を所与のものではなく管理可能なものと捉える考え方である。市場の失敗事例をあらためて持ち出すまでもなく、神の見えざる手はどんな市場にも必ず働くわけではない。市場がより効果的に作用するためには管理改善が必要である。しかし、かといって統制の必要性を説いているわけではない。よりよいマーケットデザインがなされれば、市場は適切に機能する。その助けをするのがマーケットデザインであり、その基礎をなすのがマッチング理論であるということなのだろう。興味深い一冊でした。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 16:51| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月22日

魔術師ペンリック

魔術師ペンリック (創元推理文庫)
魔術師ペンリック (創元推理文庫)

魔術師ペンリック - ロイス・マクマスター・ビジョルド/鍛治靖子 訳|東京創元社

マイベスト級にお気に入りの五神教シリーズに新作が出たということで。本国での出版情報を目にしたときから待ちわびていた邦訳版。去年のヒューゴー賞でシリーズ部門を受賞するというめでたいできごともありましたっけ。一応、発売直後に入手はしていたものの、ようやく読むことができました。

ひょんなことから口うるさい姉のような魔に取り憑かれたペンリック君の、いろんな意味でドキドキ魔術師人生開幕の一話目が特におもしろかったですね。予定されていた結婚は破談になったり地方貴族の末男から庶子神神殿の神官へと生き方の変化を迫られたりと失われていったものもあるけれど、遠い世界への憧れが叶えられたり新しく手に入れた力に新鮮な喜びに包まれたりと、新生活のワクワク感が楽しい話でしたね。

そして、魔を宿した者として、一方的で絶対的なまでの力を有する神と対峙する瞬間の、臓腑をぎゅっと鷲掴みにされるような感覚も。もっといろいろな過程を経てからの神判だとなおよかったかとは思いますが、この世界の神の存在感はやはりいいものだと感じさせてくれるものがありました。

今回登場した神は庶子神だったでしょうか。以前にも登場してるかどうかは記憶が定かではないんですが、ともあれそういった神や魔や、その後の話で巫師などのシリーズ共通の要素が登場しつつも、この連作中編としてはあくまで共通の世界のお話であるという程度に思っておいたほうがいいのかもしれません。

一話目よりも二話目、二話目よりも三話目でより顕著になっていたように思うのですが、五柱の神の恩寵で生かされる世界の人々の物語としてのファンタジー的な成分よりも、そういう世界で起こる事件を解決するミステリー的な成分が強くなっていったように思うので。まあこれはこれで、前三作で描かれてきた世界観があってこそ書ける話だと思います。

そしてそんな世界で、魔術師として庶子神教団の神官となったペンリックが、経験を重ねて魔とともにある世界の事件を解決していく様子は、当初を思えば頼もしいほどの成長ぶりがあって。すっかり馴染みのパートナーとなった魔であるデズモーナとの息の合ったやりとりもおもしろく、五柱の神によって好むと好まざるとにかかわらず運命を背負わされる感の強かったこの世界の魔術師に、こんな穏やかでほほ笑ましい道行きもありえたんだと、なんだか感慨深い気持ちになってくるものもありました。

訳者あとがきによれば、ペンリックの登場する物語はまだあと三話あるようで。そこではまたどんな姿を見せてくれるのかと、楽しみになってきますね。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 01:37| Comment(0) | ライトノベル・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月20日

異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問

異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問 (講談社選書メチエ)
異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問 (講談社選書メチエ)

『異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問』(ミシェル・ロクベール,武藤 剛史):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

南仏カタリ派の歴史――あるいは南フランス地域がいかにして北フランスに統合されることになったか、という感じの本であった。

とはいえ、中世スペイン史への興味から本書を手に取った身としては、南仏カタリ派の歴史――あるいは南フランス地域はいかにしてアラゴン連合王国の手中からすり抜けていったか、という感じの本でもあった。

というのも、『歴史人名学序説』の感想でも軽くふれたように、現在のスペインの一部をなしているカタルーニャは歴史的に南仏オクシタン地域との結びつきが強かったのである。しかも、その地の宗主権を有していたのは、名目的には常にフランスの王であったが、アルヴィジョワ十字軍が起こる直前の時期において、実質的にはアラゴンの王となっていたらしい。うまくすれば、南仏とアラゴンが組み合わさった、フランスともスペインとも違う有力な地中海国家が誕生していた可能性もあったということだろう。妄想がはかどるところである。しかし、実際にはそうはならなかったわけで。

当時のアラゴンの王ペドロ2世(カタルーニャ語ではペラ2世)は自身の影響力を保護・行使すべく十字軍の総大将シモン・ド・モンフォール(イギリス史において同名の息子が有名)と交渉するも決裂し、決戦にいたった。そしてそのさなかに戦死をとげてしまう。戦いはもちろんアラゴンの敗北。息子のハイメ1世(カタルーニャ語ではジャウマ1世)は当時まだほんの5歳であり、それどころかペドロ2世とシモンとの交渉の経緯からシモンのもとで養育されていた。そこからの本国宮廷による身柄返還交渉だけでも一年を要したうえに、その後も幼君を戴く宮廷での権力闘争では混乱がつづき、影響力を行使する余裕をなくしているうちに南フランス地域は北フランスの王権により征服されることになってしまったようである。こうして経過をまとめているだけでも歴史シミュレーションゲーム的な感覚で残念さを覚えてしまったりもするが、歴史にはそういうタイミングもあろうというところ。アラゴンは後に、シチリアへと勢力を拡大して地中海国家へと肥大していくことにもなるわけなので。


さて、本書の構成は大きく分けて三部構成。カタリ派の信仰やその内情についての記述がひとつ、シモン・ド・モンフォールにはじまりフランスの王の出陣にいたり南フランス地域が北フランス勢力の征服下におかれる十字軍の記述がひとつ、そしてカタリ派の根絶にいたる異端審問についての記述がひとつ。読み物としておもしろかったのは十字軍の箇所だが、その他も興味深い内容であったことはまちがいない。


カタリ派というと、二元論の異端という以外にほとんど知識がなかったのだけれど、知ってみればなかなかに興味深い宗派ではあったようで。本書を読んでいたかぎり、二元論というのはオクシタン地域での広まりにはそれほど関係がなさそうな。むしろ、反教権的な教えが多くの人々に受容される理由であったように思えた。というのも、当時のローマ・カトリックは、11世紀後半にグレゴリウス改革が行われたとはいえ、カタリ派の広まりと同時期の(といっていいのか正確にはわからないけれど)12世紀の後半にはワルドー派が勃興するなど、華美で強権的な教会上層部に対して、清貧や禁欲を基調とした生活を求める層が一定程度いたようにうかがえるのである。

カタリ派において、教皇のような絶対的な権威は(当然ながら)存在しなかった。それどころか、本書で描かれたカタリ派社会においては、垂直的であるよりも水平的な組織網が中核をなしていたように思えるのである。カタリ派における聖職者は完徳者と呼ばれ、肉食や結婚生活など、俗世の汚れから離れた共同生活を送ることになっていたという。しかし世俗から完全に隔離した暮らしを営むのではなく、手仕事で生計を立て、つましい生活の傍ら、信者たちに説教をして教えを広める日々を過ごしていたのだという(しかも、それらの行いは多くが聖書に根拠があったのだとか)。かたや居丈高なカトリックの聖職者、かたやつましいカタリ派の完徳者。似て非なるとはいえ両者ともに救いを説く者であるならば、人間的に信用したくなるのはどちらかという話になるところだったのではないか。(この辺、民衆レベルでのキリスト教の受容史というか教義の受容レベルというのは気になるところであり)

また、オクシタンは対イスラームの最前線であるカタルーニャに隣り合う土地柄。北フランス地域とは違った、異教・異端に対して寛容な空気が醸成されていたことも指摘されていた。(ただし、イベリア半島における異教・異端に対する態度を「寛容」とみなすか、否応なしに衝突や交流が発生するなかで現出したよくもわるくも「現実」とみなすかは人によるようである)

そんなカタリ派に対して、ときの教皇イノケンティウス3世(教皇権の絶頂期として名高い)は当初、現地の聖俗諸侯に取り締まりを命じる勅書を送ったり、現地に特使を派遣して説教を行わせるなどしたようである。しかし、現地の諸侯からは命令をまともにとりあわない者や自分たちの都合のいいように実行する者が続出し(この辺ののらりくらりとした態度や好き勝手してる感じが喜劇的なおもしろさもあったが、それはともかく)、また華美な衣装をまとい居丈高な特使による説教はほとんど功を奏さなかった。そこで持ち上がったのが十字軍なのだという。

なぜそれほどにカタリ派が弾圧されることになったのかについては、キリスト教の歴史がそもそも異端との戦いの歴史でもあったというのはともかく、やはり二元論と反強権主義の影響は疑えないようで。信者個人のレベルでどこまで教義を理解していたかは別にしても、三位一体を否定し、封建社会とも結びついたローマ・カトリックの社会構造を非難する宗派というのは、そもそもの時点で共存不可能なのであり、おおっぴらになった時点で弾圧を受けるのは避けがたかったのだろう。ただし、その教義も根拠はしっかり聖書にあったり、また幼児洗礼を否定していたりなど、世が世がであればプロテスタントの仲間入りを果たしていたのではないかと思えるところもあるので、広まった時代が厳しかったという見方もできるかもしれない。


ともあれ、十字軍の目的はふたつであった。ひとつには異端の撲滅。もうひとつは異端を保護・援助する者への処罰。ただし、結果を見ると前者よりも後者のほうで成果があがった挙だったように思える。一方で南フランス地域は最終的にフランスの王権に組み込まれることとなり、もう一方でカタリ派の信仰は特に衰えを見せなかったようだからである。

十字軍は1209年にシモン・ド・モンフォールを旗頭として開始され、1229年にフランスの王室のもとで終焉を迎えることとなった。その間二十年。主要な人物も数が多いので、本書の内容をもとに要点を整理しておきたい。

(完全に個人的なまとめなのでスルー推奨)

十字軍の最初の将軍は何度も書いているようにシモン・ド・モンフォール。十字軍の宗教的使命に対する熱烈な信奉者であり、優れた能力を有する獰猛な将軍でもあったらしい。また、この十字軍へ志願した背景として、北フランス出身の貴族でありながら、血縁にともなう相続によってイングランドの王の勢力下の地を得ていたものの、英仏の戦争の余波でそれを取り上げられてしまっていたという事情もあったそうである。彼の往時、十字軍は基本的に優勢であった。1218年、戦死。

二代目の十字軍の大将はその息子のアモリー・ド・モンフォール(イギリス史で有名なシモン・ド・モンフォールの兄)。父の死後、十字軍によって獲得した土地ともどもその権利を継承するが、父ほどの軍事的才能には恵まれなかったらしい。継承後、徐々に現地諸侯軍によって趨勢を盛り返され、1224年に敗退。フランスの王ルイ8世に南仏領の支配権を捧げて出御を促す。

フランスの王としては、まずフィリップ2世(尊厳王)。イノケンティウス3世から十字軍を起こすよう要請を受けるも足元を見たかのように無理難題ふっかけて拒否する老獪な王。その代わりではないけれど、ブーヴィーヌの戦いでイングランドの王ジョンを破る。

次いで、三人目の十字軍の総大将となる、その息子ルイ8世。1223年即位。即位前から十字軍に前向きだったカトリックの守護者。1226年に王の十字軍を開始。戦禍に疲弊していた南仏諸侯からは戦わずして降伏する者が相次いだ。同年、北部への帰路にて病没。

王ではないものの、その後に実権を握った者として、その妃ブランシュ・ド・カスティーユ。トゥールーズ伯レモン7世の「本いとこ」(とは? 両者とも母方の祖母がアリエノール・ダキテーヌなので「いとこ」もしくは「従姉弟」でいいかと)。1229年にレモン7世とパリ和約を締結して十字軍を完了させる。レモン7世とは血縁関係があったため同情的だったと記されていたが、和約条件はめちゃくちゃ厳しい気がする。

教皇からはひとりだけ、十字軍の勅を下して本格的なカタリ派弾圧の幕開けを告げた人物、イノケンティウス3世。世俗の権力に勝る教会権力の擁護者であり、その在位は教皇権の絶頂期ともされるが、その一方で欲得まみれの世俗の人間に対する諦念も抱きつづけていたらしい。1198年、教皇着座。1208年の南フランス地域における聖職者殺害事件を契機に十字軍を起こすが、異端への対応は改心を理想とし、戦火の中での殺戮には厳しい批判の書面も送りつけていたとのこと。1216年、逝去。

教皇特使からもひとり。シトー大修道院長アルノー・アモリー。北フランス宮廷で十字軍の宣伝活動を行い、彼らともども南フランスで対異端の活動をくり広げた聖職者。十字軍においては強硬策を主張するタカ派で、教皇の非難を受けながらも現地での判断を貫いた模様。有能ではあるがそれ以上に野心高き人物でもあったようで、異端の弾圧を進めながら政敵を追い落としたり、教会内や世俗的な地位を追求し、晩年のシモン・ド・モンフォールとは対立関係が生じるにもいたったらしい。1224年、死亡。

現地諸侯からは、最高支配者であるトゥールーズ伯レモン6世。のらりくらりとした態度で異端取り締まりを拒否する現地諸侯代表。臣下にカタリ派やユダヤ人を多数抱えるため、統治への影響上、取り締まりは無理に近かったらしい。あまりにもやるやる詐欺を働きすぎたと判断された結果、破門され、十字軍を起こされる。本人は戦争は避けようとしたが、講和しても不利な条件での裁判が待ち受けており、和平の道も厳しい状態に追い込まれていたという。1222年、赦されることなく死没。

次いで、その息子のレモン7世。父譲りののらりくらりとした態度で巧みに責任を回避しながらも最後まで奪われた権利を取り返そうとあがきつづけた不屈の領主。軍を率いてはシモン・ド・モンフォール戦死前後からの巻き返しに寄与するも、フランスの王権による攻勢を受けるにいたり、1229年にパリ和約を締結して降伏。唯一の継承権者である女子ジャンヌとルイ8世の息子であるアルフォンスとの婚約が定められたことから、お家断絶を避けるべく、外交面で神聖ローマ皇帝やかつての敵であったはずのローマ教皇をはじめとした聖俗諸侯を利用してあくどいまでの駆け引きをみせる。しかし結局情勢を覆すことはできず、1249年に病没。領地はフランスの王家に吸収された。

いちばん初めにふれてはいるけれど、アラゴン連合王国のペドロ2世(ペラ2世)も。カタルーニャからプロヴァンス地方にまたがる地中海沿岸帝国を手中に納めかけた王。1212年にラス・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝軍に大勝して、以後のイベリア半島における対イスラーム戦線でのキリスト教諸侯優位を決定づけた王のうちのひとり。その勝利によって教皇からはカトリックの守護者とも目されたが、異教・異端には「寛容」であった。十字軍の攻撃を受けるトゥールーズ伯を助けるべく南フランスに出陣し、あわよくば実質的な宗主権を確固たるものにしようとするも、シモン・ド・モンフォールとの交渉は決裂し、1213年、ミュレの戦いで戦死。

(以上、スルー推奨)

そうした人物たちが入り乱れた十字軍によってあげられた成果は、主に政治的なものであった。開戦前の南フランス地域は「フランス王国の南部であると同時に、アラゴン王国の北部でもあり、さらにはイギリスや神聖ローマ帝国に属する土地もところどころにあり、さまざまな主従関係が複雑に隣り合ったり、混じり合ったり」(165ページ)していた。そのうちのアラゴンの影響力が排除され、ラングドック地方が名実ともにフランスの王権下に組み込まれたのである(プロヴァンスやアキテーヌ地方はそれぞれにまた別の経緯をたどるが、最終的にはフランス王権下に組み込まれることになる)。これによって、フランスの王権は地中海への出口をその領土として有することになった。

ここで面白いのは、十字軍当初の複雑な勢力図の中心にいたのが誰あろうトゥールーズ伯レモン6世だったことである。名目上、彼はフランスの王に臣従している身ではあった。しかしその一方で、プロヴァンス地方においては神聖ローマ帝国の封臣(プロヴァンス辺境伯)でもあった。また婚姻関係においてはアラゴンの王ペドロ2世とは義兄弟の関係(ペドロ2世の妹レオノールと結婚。レモン7世もその妹サンチャと結婚)であり、イングランドの王ジョンとも同様であった(息子レモン7世を産んだのはジョンの姉ジョーン・オブ・イングランド。1199年、死別)。そうした複雑な関係が入り組む渦中において、独立君主のような立場を築きあげていたのがレモン6世なのだという。これはある種の梟雄とも呼べる人物なのではないだろうか。

そんな人物らしく、巨大な権力である教皇から、自身も登用している異端の取り締まりの要請を受けながらものらりくらりとかわしてみせる様子はさながら喜劇のようで、愉快ですらありました。荒れ狂う十字軍の猛威に苦しみながらも、なんとかそれをしのぎ巻き返しを図ろうとする姿も、現地の領主の意地を見せてくれるようでもあり。

ただ、それでも十年を超える年月にわたって十字軍の戦禍にさらされつづけるというのはきわめて過酷なことであったようで、フランスの王出御の報を聞いた現地の人々の反応は想像に余りある。

「モンフォール父子の指揮する十字軍に十五年もの長きにわたって痛めつけられてきたラングドックの人々が、新たな戦争を回避したいと願うのはむしろとうぜんであった。甚大な被害を受けたうえに出費がかさみ、すっかり疲弊してしまった経済、財産を没収され、身内の生命まで奪い取られた多くの領主たち、「地下潜伏」(faidiment)を余儀なくされた騎士たち。言うまでもなく、虐殺、戦闘、火刑台もあった。そのうえ貧困化によって強盗が多発し、地方全体が無法状態に陥った。国全体が、少なくともそのほとんどが、すっかり戦意を喪失し、厭戦気分に陥っていたことは明らかである」(428ページ)

フランスの王権による十字軍に対しても、一部では抵抗が見られたが、それも以前のような組織だった団結のもとでは行われなかったらしい。実際、トゥールーズにおいては、さらなる軍事的支出を積み重ねてでも抵抗をつづけようとする動きに対して、経済的に壊滅状態に陥っていた市参事会の有力者らとの間で分断が発生していたようである。

このように、十字軍の戦火は南フランス地域を困窮におちいらせるものであった。それはあたかもイスラーム側からみた十字軍の姿のようで、「十字軍」の輝かしいイメージとは裏腹のなんとも割り切れない感情を抱かせてくれるものでもあった。


そして、物理的な面で南フランス地域の人々を追いつめたのが十字軍であったなら、精神的な面で追いつめたのはその後に行われた異端審問であった。

異端審問。そこでは拷問や火刑に代表されるような身体的な痛めつけに目が向けられがちであるが、著者によれば真におそろしいのはむしろ心理的な効果であったようで。聞き取り調査や告発の強要、密告の奨励、尋問、拷問などを通して、南仏社会に潜む異端があぶりだされ、断罪されていく。その過程は決して想像されがちなほどに残虐だったわけではないが、それ以上に何十年にもわたる審問活動によって、異端に対して寛容であった社会の思想を根底から変化させてしまったことにその成果があるのだという。同地域において最後にカタリ派信者が火刑台送りになったのは1321年のことであり、1324年にはアラゴンでも最後の終身刑が下された。それらをもって南仏のカタリ派は根絶されたということができるだろう。

とはいえ、これも当初はかつての教皇特使による説教や取り締まり依頼と同様に、ほとんど効果を出せなかったらしい。十字軍に征服されたといってももともと異端に寛容な風土であり、十字軍時代に培われた抵抗のネットワークもあって、信者たちはひそかに活動をつづける完徳者(カタリ派の聖職者)を隠密裏に匿い、援助し、信仰を維持しつづけていたのだという。法廷で告発を強要されてもすでに死んだ者や逃亡した人の名をあげる者が跡を絶たなかったり、聞き取り調査においても有力者からの指示のもとに口をつぐむ者が多発したんだとか。この辺は、十字軍以前からののらりくらりとした抵抗を思わせる喜劇的な部分ではあったでしょうか。

ただ、それならばと審問官は別の手を考えたようで。当初のターゲットであった完徳者から、次なるターゲットとして彼らの支援者である一般信者へと、追及の相手を変化させたらしい。完徳者を追いかけても組織的にそれを匿われては手が出せなくなってしまうが、その組織網ごと異端およびその幇助者として罪に問うてしまえば、異端のネットワークは瓦解し、支援を失った完徳者も早晩立ちいかなくなるという寸法である。南フランス地域の異端弾圧においてはこれが効果的であったらしく、カタリ派聖職者の最後の拠点であったモンセギュールの陥落と合わせ(どちらも1250年前後くらい)、その後着実に異端は消滅へと向かっていったようである。

南仏における異端審問。それは世代を超えて爪痕を残す、長く陰鬱な思想統制の時代であったといえるだろうか。


以上、そんな感じの内容の750ページでした。当時の南フランス地域において、政治的にも宗教的にも大きな影響を残し、けれど歴史はそれらを過去のことして次の時代へと続いていく。あらためてまとめてみてもやはり一幅の物語を味わうような醍醐味がありました。特に十字軍の流れ。使命に燃える英雄がいて、野心もあらわな奸雄がいて、その狭間で自身の利益を最大化しようともくろむ抜け目のない者たちもいて、たいへんに面白かった。彼らを生み出した当時の社会事情や、そこから起こった宗派対立の事情も興味深く、ますます関心が深まってくる一冊ではありました。このテーマに興味がある方にはぜひにとおすすめしたい決定版の通史ではないでしょうか。


不満点をあげるとすれば、地図がわかりにくかったことでしょうか。ひょっとして原書が左開きの本だったのをそのままの順番で右開きの邦訳版に収録しているのでしょうか? そのせいか、位置的に東側にある地域が見開きの左側にきて、西側にある地域が見開きの右側にきており、直感的に把握しづらくてかなわなかったです。

もう一点、誤字指摘としては、人名索引にて「レモン=ベランジェ五世(プロヴァンス伯)」として記載されている人物。本文中で何度か「プロヴァンスのカタルーニャ伯」と記されてますが、「カタルーニャ(系)のプロヴァンス伯」の誤りかと。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 23:36| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月18日

とりかえ・ばや(7)

とりかえ・ばや 7 (フラワーコミックスアルファ)
とりかえ・ばや 7 (フラワーコミックスアルファ)

とりかえ・ばや 7 | さいとうちほ | 【試し読みあり】 – 小学館コミック

読むたび転機転機と言ってる気がするけど、この巻こそ本当の転機だったような気がする(まだ言うか)。

それでもこれは言いたい。男らしい姫君と女のようなる若君とが、本来の性別とは異なる世界で生きていく話としてはじまった物語なので、そのふたりがいろいろあった末に互いの立場を入れ替えて本来の性別で宮中に帰っていくというのは、まさに作品の根幹を揺るがし、さらにその世界を広げていく一大転換点だと思うのですよ。その準備は何冊も前からはじまってたのではありますが。

さて、表を取り替えて生きていく道を選ぶ。それは口に出すのは簡単で、けれど実行するとなれば難しい。なにせもともとの性格が本来生きるべき性別とは逆の社会にこそふさわしかったふたりのこと。身なりのうえではなんら違和感ないとはいえ、決して適材適所ではなく、ぎこちなさは覆いようもない。けれど、それでも互いの立場での立ち回りを知る互いの存在がある者として、連絡を取り合ってそれぞれの持ち味を出しながら新たな宮中の居場所で過ごしていく。これはこれで、いい感じではありますね。不安もあるけれど、無理が見えはじめていた以前の状態と比べればまだ明るい展望が開けている……ような。

そして、表を取り替えてもすぐにそれと気づいてしまう東宮さまと睡蓮くんの絆と信頼関係にとても心あたたまる。こちらでもさらなる進展が、あるといいですね。

巻末の次回予告の絵がまたなんだかややこしそうな展開ではありますが、それはそれでやっぱりおもしろそうではあるので、次も楽しみに読みたいところ。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 20:20| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イサック(1)

イサック(1) (アフタヌーンコミックス)
イサック(1) (アフタヌーンコミックス)

『イサック(1)』(DOUBLEーS,真刈 信二)|講談社コミックプラス

試し読みをしていたらゆるく勉強中のオランダ語が目についたため購入してみた一冊。まあさすがにオランダ語が出てくるのは1話の冒頭だけでしたが。(上記リンク先の試し読みですべて確認できます)

しかしこれ、1話冒頭に出てきてた言語って、実はオランダ語だけではなかったようで。主人公がしゃべってた言葉はオランダ語知識でおおよそ理解できるけど、それ以外の人物のものになるとそれだけではよくわからなかったりする。似てるところはあるんだけれども、単語レベルで違いがあるように思える。気になって調べてみた感じ、どうもそちらはドイツ語であるらしい。とすると、作中、それとオランダ語とで会話が成立してる(すごく訛ってると思われながらも)んだけど、ドイツ語とオランダ語の距離感ってそういう感じなんだろうか? この辺、ドイツ語の知識はまったくないのでわからない。

肝心な話としては、三十年戦争下のドイツで日本人傭兵が戦う話。表紙にも描かれているように、刀よりも鉄砲で活躍するキャラですね。たった一人で戦況を覆すほどの一撃をもたらす狙撃力の見せ方がうまい。敵には次から次へと大物が出てきて、凄烈な恩義と復讐心を胸に欧州大陸に現れた日本人傭兵であるイサックが、ここからさらにどんな活躍をしてくれるのかと期待させられる。

この話がどの程度史実に基づいているのかは不明。近世、それもドイツの知識はほとんどないので。ただ、1620年当時のスペインの王太子の名前はアルフォンソではなかったはずなので、フィクションの度合いは高め? まあそんなことを考えてしまうから、いまや歴史を題材にしたフィクションを純粋に楽しめなくなっているのだけど。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 01:56| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

微熱空間(2)

微熱空間 2
微熱空間 2

微熱空間 2|白泉社

同い年だからこその、お姉ちゃんぶりながらも幼さを感じる部分もある(義)姉の亜麻音さんがとてもかわいい。家族だからという安心感もあってか隙のあるところを見せられるたびにドキッとさせられて、けど家族だからこそそれ以上に大事にしなきゃと思わされる感じが、なまじ年齢差があって上下関係がはっきりしてる姉弟関係よりも相手のことを意識させられて、ドキドキ感が増して感じられること。家族になってからまだそれほど間もない間柄だからこその、余計に異性であることを意識せずにはいられない感じ。他人から家族へと移り変わる間の微妙な状態だからこその空気がいいですね。まあ一度こうなってしまうとスムーズに移行して終わりという形で納まりがつくのかどうか。恋愛感情とはいいきれないながらも、そちら方面のネタというか雰囲気というかをより濃く取り込んできた感じでしょうか。ひとまず、これはこれでいいですよーということで。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 15:59| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月05日

とどのつまりの有頂天(1)

とどのつまりの有頂天 1 (ヤングキングコミックス)
とどのつまりの有頂天 1 (ヤングキングコミックス)

とどのつまりの有頂天 第1巻( あらた伊里 ) | 少年画報社

なんだこのむちゃくちゃなテンションの高さは……。まさに有頂天ですか。フルスロットルですか。ともあれ百合ですよ。女の子たちがひたすらハイテンションで、こいつは楽しいマンガでした。

表紙絵を見て、かわいい女の子がわいわいきゃーきゃーするかわいい話なのかなと想像してたんですが、ものすごく意表を突かれたというか。いやまあ確かに「わいわいきゃーきゃー」はまちがいとは言いきれないんだろうけど、もっとこう、なんというかにぎやかな話でしたね。確か1話のハグシーンくらいまでの試し読みで購入決定したはずなので、読む前後での印象の違いがものすごいことになってるんですけど、という。

冒頭から登場してる美古都と猫崎さんのペアだけならまだほほ笑ましい感じの百合ラブコメっぽい話だったと思うんだけど、そこに一度に4人もキャラが追加されて、一気に騒々しくなった感が。勢いまかせにボケたおす女の子がいて、リアクションでキレまくる女の子がいて。どの話も収拾つかないレベルでワイワイキャーキャーはしゃぎまわって……楽しそうだなあオイ!

いや本当に、これほどうざキャラっぽく騒ぎまくって、顔面崩壊レベルでかわいさなんてふっ飛ばされてる場面も多々ありながら、それでいてどの女の子にも百合を感じさせる瞬間があるのって、実はめちゃくちゃすごくないですか? 序盤の百合からギャグレベルのコメディへの転調があまりにも激しいものだから、コメディ主体の百合ラブコメなのかとも思ってしまったんだけど、一冊読み終わるころには百合もギャグも境目がわからないほどに入り混じった、ひたすらハイテンションな百合ラブコメだったと思えて、とにかくすげえという感想になるという。

そしてそんなギャグと百合の境界線を主に破壊してくれるのがタクヤと夜空のカップルであり。3話にしてもはやおなじみになりつつあったボケたおしの間にはさまれる「学校では(キスは)しない」のひと言があまりにも衝撃的で……いや、だってこのセリフが発されたとき、まだまだギャグ展開する空気だったじゃないですか。それなのに突然こんなまごうことなき百合セリフをはさまれて。まじかよ、ふーん……って、え、ちょっと待って、この子いまなんて言ったえええええ!?みたいな。すぐに頭が切り替わらないんだけど、遅れて理解できたときの衝撃たるや。その後もワイワイやってる合間にときどき甘えたな夜空とぐいくい引っ張ってくタクヤという関係性を見せてくれるものだから、ギャップで好感度の上がりかたがすごい。特に本編後のおまけマンガ。なにこのかわいいカップルは。いいぞもっとやれ。

一方で主役(?)である美古都と猫崎さんのペアは、まだカップルとは呼べなさそうなラインながら、徐々に相手を意識する気持ちが高まってきて自分たちでも持て余しぎみになってる様子が、上記の幼なじみカップルとは違って初々しくもあり、それが百合の空気感としてとてもかわいらしくもあり。にぎやかな四人組に釣られるようにこちらにもハイテンションさが混ざってきてもいるけれど、それはともかくこれからの展開に期待が高まるふたりではあります。

巻末には作者の以前の作品の番外編が載ってましたが、こちらはこちらで本作に輪をかけて掛け合いでの顔面崩壊がひどいというか、フルスロットルさが半端ない。ということは、これがこの作者さんの持ち味ということなんでしょうか? それはともかく、しかしこの連載一話分にも満たないページ数でしっかりキャラをつかめてそのうえ笑いもとってくれるからすごいというか。『総合タワーリシチ』、こちらも気になってきますね。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 21:14| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月04日

金色のマビノギオン ―アーサー王の妹姫―(2)

金色のマビノギオン ─アーサー王の妹姫─ 2 (花とゆめCOMICSスペシャル)
金色のマビノギオン ─アーサー王の妹姫─ 2 (花とゆめCOMICSスペシャル)

金色のマビノギオン ─アーサー王の妹姫─ 2|白泉社

おお! おもしろくなってきてる。おもしろくなってきてますよ。もともとキャラクターの雰囲気はすごくいい感じではありましたけど、ストーリー展開もおもしろくなってきました。

舞台は当初のアヴァロンを離れ、アーサー王子の戴冠式(代理出席たまき)が行われる都カーレオンへ。先見の力で流血が予見された戴冠式で、いったい何が起こるのか……という危惧を含みながらの進行。

うーん、なかなかにシビアな展開でした。ついに犠牲者が出る展開。アーサー王子の御一行を含めた当初からの登場人物はいわば主要なキャラクターであり、そこから欠けていく者が現れるのを見るのはショックを受けずにはいられない。そのうえ、それを契機にしてメンバー間でも感情的な齟齬が生じている展開。なかなかにつらいものがあります。

特に、犠牲はつきものであってそれを状況を勘案してどうコントロールするかが大事と考えていそうなマーリンと、現代的な価値観から犠牲を許容するなんてありえない真との師弟げんかは、かなり根深い価値観の対立になりそうで、どうなることかというところ。マーリンのいうように慣れてしまってほしくはないけれど、でも物語の舞台であるアーサー王伝説って悲劇の物語じゃなかったっけと思うと、そのままでは心が参ってしまうのではという不安はつきまとう。ただ、マーリンとしても待ちの姿勢に入っているわけではなく、可愛い子どもが駄々をこねているのを見つめているような鷹容な態度でいるように見受けられるので、そこまで悪いようにはならないのではとも思いたいところであり。というか、そうした弟子に手を焼かされることに困ったようでいて、けれどどこか楽しんでもいる感じが、なかなかに師匠感があっていいですよねというか。そうして齟齬がありながらと師弟でやいのやいのやってる様子はほほ笑ましかったりするのは、まあなんだかんだいっていい師弟コンビということなんでしょうか。

逆にパッと見はいい雰囲気ながらも不安があるのがエレインと広則のペア。広則が純情な恋心を発揮して(本人的にはたぶん)さりげなくアプローチをかけてるのはほほ笑ましくもあるんだけど、一途な感情であるがゆえに入れこみすぎるあまりに後戻りのできないところまでもずんずん進んでいっちゃいそうなこわさがあるんですよね。そもそも住む世界が違う者同士なんだけどと、こちらとしては思ってもしまうんだけど、でも当人からすればきっとそんなことはどうでもいいんだろうなという気もしたり。好きになった女の子のためだもんなあ。よくないなりゆきにならなければ。いまはまだそれで……。

とはいえ、そうしてひとつの惨事でやや変化はありつつも、アーサー王伝説の登場人物たちと現代日本の高校生たちとの組み合わせが織り成す雰囲気は1巻からひきつづきとてもいいものだったのではありまして。

たまきはアーサー王子と瓜二つな顔で無邪気な言動をとっては周囲を和ませてくれるのが楽しいキャラであり。本物のアーサー王子に古くから仕えるガウェインとの組み合わせが多くなる関係上か、ガウェインまで若干たまきっぽくなってきてるところがあるのはご愛嬌ということで。

というか、番外編読んであらためて思いましたけど、たまきって本当にアーサー王子にそっくりなんですね。疑ってたわけではないんだけど、たまきって普段からナチュラルに広則の恥ずかしい秘密を暴露したりとあまりにも無邪気な感じなので、その外見で王子っぽさが出るんだろうかと思ってしまう部分があったんですよ。でも、番外編でアーサー少年の姿を見てると、可愛らしいながらも生意気さを感じたりしっかり男の子っぽさを感じさせる表情になってて、おおっと驚かされるものがありましたね。それと同時に、こっちのアーサー王子を知ってる人が、同じ顔で無邪気すぎるたまきを見てるとギャップで笑っちゃう気持ちもわかってしまっておもしろいところであり。

その他、真もアーサー王フリークスぶりはあいかわらずで、カーレオンの宮廷での新キャラたちを目の前にしてテンション上がりまくりな様子は笑えました。というか、アヴァロンの推定地っていくつか説があるんですね。ウーサリアンの世界は深い……。

あと、今回の陰謀の裏で手を引いていたモルゴースに関しても、魔女と呼ばれてたり悪役っぽい印象付けをされてはいるものの、玉座を巡る争いの席に着くものとしてはまだまだこれ以上に狡猾にもなろうというもので。というよりむしろ、外見的には妖艶な美女だったり、かと思えばロット王とのやりとりでは痛いところをつかれてかわいらしさを感じさせる表情も見せてくれたりと、なかなかに憎めないキャラであるように思ったり。

そんなこんなで、物語が大きく動いたとまではまだ言えないだろうものの、確実におもしろくなっているし、もっともっとおもしろくなっていきそうな期待も持たせてくれる一冊でした。これは次の巻にも期待が高まります。すごく楽しみなシリーズですね。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 01:53| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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