2022年05月18日

別冊日経サイエンス(241)『巨大ブラックホール 宇宙と銀河の進化を探る』

直近で話題になるニュースはあったけど、
>天の川銀河中心のブラックホールの撮影に初めて成功 | 国立天文台(NAOJ)
それとは関係なく積んでいた本を読了。

ごくごく単純には知っていても深いことは全然知らなかったブラックホール。その研究の進展の様子に触れることができてとても面白かった。「事象の地平面」という単語、SF小説で見かけた覚えはあるけど、意味をちゃんと理解できたのは今回やっとかもしれない。光さえも逃れられないというブラックホールの性質を考えれば確かに、ここまでは近づいても逃れることができるかもしれない、ここから先はどうしたって無理という境界線が存在するわけで。それを地平線になぞらえて表現するのは、知ってみればなるほどなと面白い。

あまり込み入った内容までは理解できなかったけど、自身の重力圏に捉えたものを吸い込んでいるだけでなく、一部のなんとか逃れたものがジェットのように放出されてもいるらしいとか、へーへーへーという言葉が止まらなくなってしまうような一冊でした。

地球が所属する銀河はさらに他の銀河が集まった銀河群を形成し銀河群はさらにほかの銀河群と集まって銀河団を形成し銀河団はさらにほかの銀河団と集まって超銀河団を形成している(けれどそれでもまだ宇宙の全体にはほど遠い)らしいという記事を読んでいると、宇宙の広大さのとてつもなさを思い知らされるようではあり。

いちばん面白いと感じたのは、宇宙に存在する貴金属やレアアースが超新星爆発や連星中性子星の合体によって生じたものであるという話。新たな原子を誕生させるという超新星爆発のすさまじさを思わされるとともに、そうして宇宙に飛び散った貴金属やレアアースがどこからどういう経緯をたどって地球にたどり着いているのかといったことも思わされる記事でしたね。

あと、この本は2020年発売の本なんですけど、上記のような観測にラパルマ島の天文台が貢献しているとの記述があったわけですが、あそこって確か去年2021年に火山が噴火してたっけということが思い当たったりもするところで。軽く検索しただけだと情報を見つけられなかったんでなにもわからないんですけど、施設に被害が出てないといいですね。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 18:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月07日

Julia Samuel『Every Family Has a Story』

家族の中で生じた家庭の問題に対して心理学的なアプローチで精神面での手助けをする、心理療法士による事例集的ノンフィクション。なかでも世代を遡ったところに問題の淵源を見出だす手法が印象的。解消されないまま放置されてきた過去のトラウマを認識し癒すことを通して現在の問題を解決するための道筋をつける様子はまさに家族の物語。問題やその解決の詳細にまでは必ずしも立ち入らなかったりするのでもの足りない部分もあったけれど、愛情を持って向き合う家族は必ず壁を乗り越えられるというメッセージは読んでいてあたたかい気持ちにさせてくれる一冊でした。

あと、登場する相談者たちの多様さも、著者が記す範囲でその背景をたどっていくことの面白さにつながっていたと思います。爵位持ちの上流階級の家系に生まれた人がいれば、ゲイのカップルがいたり。カリブ地域の出身で結婚を機にイギリスに移り住んだ人がいればホロコースト生存者のユダヤ人の人もいたりする。離婚や再婚によって片親になったり継親・継子の関係が生じていたり、子どもとの死別を経験した人もいる。本当に多様な人たちが登場するので、両親と子どもがそろって暮らす核家族はすでに一般的ではなくなったという話がすとんと腑に落ちてくるというもの。三世代以上が同居するケースもありましたね。宗教的にも、特別な言及がない人たちは国教会かそこまで信仰を重視しない人なのかなと思えつつも、上述のユダヤ教徒がいればカトリックの信者もいたり。変わり種としてはエホバの証人の関係者が登場したケースが2例もあったことが驚きではあったでしょうか。とはいえキリスト教由来の宗教であることを考えれば、日本よりはなじみやすい社会なのかもしれない。ともあれ、そうした多様な背景を持つ人たちが登場しながらも、相談の契機となった家庭の問題は文化によらない普遍的なものばかりであり、だからこそ家族の愛の力を信じる著者のメッセージが遠く離れた日本の地の読者である自分にもしっかりと伝わってきたのだと思われます。
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2022年02月24日

NADIA WASSEF『Chronicles of a Cairo Bookseller』

カイロにおいて共同で本屋を開業した3人の女性オーナーのうちの一人が往時の出来事をつづった本。各章のタイトルは本のジャンル名であり中身としてもジャンルに関わる話を枕に置いてはいるが、書かれていることは大雑把にいって全体を通して時系列順。信念を持って本屋をはじめた序盤から、順調に拡大し注目を集める中盤を経て、ビジネスでもプライベートでも行き詰まりを迎える終盤にいたる流れが、著者自身のジャンルの好き嫌いと通底するように描かれる。
庶民が本を読む文化が廃れてしまっていたというエジプト社会において本屋を開業した著者らの信念は本読みとして尊敬するし、開業から20年ほどがたった今もグループは営業中ということで、確かな成果を残していることは賞賛すべきことだと思う。終盤に向かうにつれて悲観的になる筆致のせいで事業として成功を収めた印象を抱きにくいのだけど、それは最終的に著者がマネジメントから手を引くにいたったことが描写に影響しているからだろうか。内容として本屋の来歴についてというよりは著者の自伝という感がある。世界でも有数の歴史を誇る国でありながら、庶民は本を読まず、富裕層は先進的な英仏圏の教育を受けるために、固有の文化に対する理解に乏しかったというエジプトの社会にどれほどの影響を与えることができたのか、それはこの本からはわからない。

むしろ、幼少期から英仏語の教育を受けてきたために、母語はアラビア語だが地元の社会になじみきることができない著者の特殊な立ち位置について感じさせられるものの多い本だったように思う。そもそも本屋を開業しようという考えが外の世界を知るがゆえの発想であり。けれど、アラブの春に伴う革命の動きに対して社会との深刻な乖離を感じたのも、熱狂する人々との間に存在した距離感ゆえだったので。また、男性優位なイスラームの社会にあるがゆえにビジネスオーナーでありながら侮られもするし、かといって欧米由来の成功者像も男性ばかりで女性にとっての成功とはと考えさせられたりもする。

著者らの立ち上げた事業が成功・失敗いずれに判定されるにしても、挑戦する心を持った人たちの活動は、そしてそれを糧に新たな挑戦に向かっていく人の姿というのは、エネルギッシュでこちらと力を与えられたような気になれるものではあります。
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2022年01月30日

The Young H. G. WELLS: Changing the World

いろんな形の歯車がぎっしり描かれたイラストに惹かれて表紙買い。
名前は聞いたことがあるけど作品を読んだことは一度もなかった作家、H・G・ウェルズの前半生を記した評伝。けれど読んでみと、想像以上にSF界に巨大な足跡を残してるんだなあと驚き。タイムマシンや火星人の地球侵略を筆頭に、同時代的には戦車や航空機が活躍する戦争を描いてみせたり、当時まだないものを題材に小説を生み出すアイデアの多彩さがすごい。
体が弱くて学業をまっとうしきれず、立身の夢を文筆業に頼らざるをえなかったところから作家としての確固たる名声を築き、進歩的な価値観をもとにフェビアン協会との関わりで社会改良のための論陣を張るにいたる流れは成功者の物語。けれど同じく若い頃の夢だったセックスへの渇望が「進歩的な価値観」と結びついて奔放な愛人関係で揉め事を起こすにいたる流れは不運にも成功をつかんでしまった社会不適合者の物語のようでもあった。

ジョージ・オーウェルの評にあったように、SF作家としては第一次大戦開戦までの人であったのかもしれない。けれど、その後も歴史を題材にノンフィクション作家として代表作を残し続けていたというのを知らされると、ベアトリス・ウェッブによる、未刊の遺作とともに死ぬまで執筆を続けるだろう作家という評がとてもしっくりくる生涯であったようで。総じて、美点と欠点がどちらもきわめてはっきりとしている、あまりにも人間的な作家であったように感じられた。もしこの人の作品を見かけたら、手に取ってみるのもいいかもしれない。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 22:08| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月15日

『ネバームーア モリガン・クロウの挑戦』

(ジェシカ・タウンゼント:著、田辺千幸:訳、早川書房、2019年)

読了。めっちゃおもしろかった。出だしの主人公の境遇から興味をひかれて、読み進めていくうちにハラハラとする展開にどんどん先が気になって、真実との対面と対決のクライマックスがとても盛り上がりを感じられて読み入らされるものになっていて。とても楽しい読書体験だった。
しかも、エピローグ的なラストがこれまた主人公にこの先待ち受ける未来に期待と不安をおおいにかきたててくれて、シリーズものの一冊目としても完璧なくらいにおもしろい一冊だったと思う。
ここからちょっとネタバレ。

それにしても、いるだけで周囲に不幸をもたらす呪われた子として忌み嫌われていた主人公の少女モリガンが有する本当の素質。それが持つ意味ときたら。彼女は善にも悪にもなりうる存在ということなんだなあ。しかもどちらであれ、作中の社会においてとても大きな影響をもたらす存在になるのはまちがいない。

だからこそ、モリガンが向かう道はどちらか。成長していくにつれてそれがどのように揺れ動くことになるのか。楽しみなシリーズになりそうですよね。

物語の開始時点の彼女は11歳。他者から忌み嫌われ、すぐに待ち受ける死以外に何の将来のビジョンも持てなかったことを思えば、ものすごい変化の振れ幅ですよね。それがわかるまでに相当焦りとか無力感にさいなまれてじりじりさせられるてんかいではあったけど。そこは作者の語り口の巧みさということで。

シリーズの展望的にはここからどうなっていくんだろうか。中等教育的なものがここからはじまっていくのだろうから、わりとハリー・ポッターばりに何作も続く長編シリーズにすることも十分可能そうではあるけれど。

ともあれ、ひとまずはすでに邦訳出版されているシリーズ二作目にとりかかりたいところですね。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 15:36| Comment(0) | ライトノベル・本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月17日

『レコンキスタと国家形成 アラゴン連合王国における王権と教会』

(阿部俊大:著、九州大学出版会、2016年)読了。
おおざっぱに内容をまとめると次のようになるだろうか。

「カタルーニャでは西欧における封建体制の形成期に幼年の君主がつづき国内情勢が安定しなかったために、強力な王権が確立されることはついぞなかった。しかしそのことが逆に、領主や教会関係者、都市権力層らとの合議をもとに政治の舵取りが行われる協調契約主義(パクティスモ)の伝統の維持につながり、隣国カスティーリャ地域などとと比べて独特な国家体制を成立させることとなった」

非常に面白かった。アラゴン連合王国、ひいてはその中核地域であるカタルーニャにおける王権の低さは、近世のスペイン王国においては統治の制約としてマドリードの指導者をおおいに悩ませたものではあるが、それが封建制の形成期に淵源をもち、王権側の数々の努力にもかかわらずとうとう覆すことのかなわなかった趨勢によるものであったとは。その期待と挫折の展開が対領主関係や教会関係者関連から描かれる記述は単純な読み物としても面白い。

それにつけても、南仏政策に費やしたものの大きさよ。文化圏的には本来アラゴンよりも近しく統合しうる可能性もあったにもかかわらず、結果的につくづくコストとリターンの見合わない進出であったといわざるをえないか。

記述については、全体を通しても、章あたりを通しても、構成が一貫しており一読でたいへんわかりやすかった。まず先行研究の研究史を概観して、そのうえで著者自身の問題意識を提示し、それを資料的根拠にもとづいて検討していき、最後に結論がまとめられる。論述の流れがつかみやすく、すらすらと読み進めることができた。

そのため、中世のイベリア半島史やレコンキスタの歴史に関心がある人はもちろん、封建制の形成に興味がある人にも楽しめる一冊といえるかもしれない。扱われる年代こそ11世紀半ばごろから13世紀初め(おおむね1230年)ごろまでとあまり広範とはいえないが、その分、分析対象期間内のカタルーニャにおける政治および社会体制の推移を西欧史上の地域的な実例の一つとして詳細に眺めることができる豊穣な書籍だと思う。

ただし最後に扱われた異教徒集団との共存というテーマに関しては、扱われている年代と先行研究の積み重ねがあるという年代の間に空白があり、さらなる分析が待たれるところかと思われる。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 23:21| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月16日

『戦争は女の顔をしていない(2)』


帯の「理解していないことを知るための本」というのは確かにと思わされるものがある。戦争を経験して、多くの悲劇に見舞われたり、その手を血に染めた後で日常に帰っていった人たちの口から語られる話は衝撃的だったり、あまりにも感傷的だったり、平和な日常以外に経験したことのない自分にとってはそのまま受け止め理解するにはあまりにも巨大でもて余してしまうものがある。なぜそうした出来事を経験することになったのか、なぜそうした感情を抱いたのか、推測し理解や共感をするためには描かれる話だけでは圧倒的に手がかりが足りないんですよね。個人個人で生い立ちや周囲の環境、価値観形成の過程は様々であり、その上でさらに戦争へ参加したり体験する出来事は人それぞれであるので。ナラティブが足りない。一人ひとりに異なる戦争体験の記憶をまるごとすべて理解するためには、その人の半生を理解するかのような膨大なナラティブが必要となるはずで。けれどこの本はそうなっていない。そういう本ではないということなのでしょう。この本では、戦争という巨大で多面的で甚大な体験をした人々の口から、一人につきわずかな場面のみが語られる。それも、終戦から30年という時間が経過した時点の社会から当時をふりかえる形で。そこで語られるのは一個人が見た戦争という狭いビジョンの話であり、けれどそこにはふりかえった当時の価値観がいりまじる。オーラル・ヒストリーにはありがちだけれど、語られる話がすべて正しいとはかぎらなくて、けれどそこにこめられた感情はまぎれもない事実であったりもする。厄介なことだけれど、何が真実かの判定は自分にはしようもない。ただただ生々しい当事者たちの語り口に圧倒されるほかない。戦争という惨禍が人間にもたらすものの甚大さにうちひしがれるしかない。そうした個人の声の集合で織り成されるのがこの大祖国戦争の従軍体験者たちのオーラル・ヒストリーなんですよね。こんなもの、理解できるわけがないじゃないですか。理解できるわけがないのだけど、その理解できなさが戦争を体験するということなのだと伝えてくれるんですよね。けれどこの本がなによりすごいのは、そうして戦争体験をまとめながら、この本が真に描きだすのが、そうした戦争の悲劇をものみ込んで生きる人間の姿であるということなんですよ。敵への憎悪、祖国への愛国心、人を殺めることのおそろしさ、仲間を喪失する悲しみ、あまりにも多くの死傷者を目にして磨耗する精神……。それら消化しきれない経験を重ねて、それでも戦争を生き抜いてきたのが人間であり、むしろまさにその渦中で社会を営んできたのが人間なのであり。戦争は人間の精神を押し潰す。作中でも感情を抑えながら戦争を語る人などいなかったというくらいに、大きな傷跡を残さずにはおかない。けれど、決して押し潰されきらないのが人間なのであり、むしろそのなかでも無数の人間らしい感情に満ちたエピソードを披露してくれるのが人間なのでもあるという。戦争は圧倒的な惨禍である。しかし、人間はそうした戦争を乗り越えて存在する。必ずしも無傷ではないにしろ。人間の大きさは決して戦争に劣らない。凄惨なエピソードを通してそんなことを描いてくれるからすごいんですよね。今回収録の第八話は、そのものずばりの内容で、読む前後で話の見えかたが違ってくるような、重大な話だったと思います。そうした人々の営みすらものみ込んで流れる歴史というものに思いをいたしたくなってくるそんなシリーズですね。次の巻も楽しみにしたいです。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 14:38| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『別冊日経サイエンス235 進化と絶滅』

ここのところ日経サイエンスを読むのが楽しくて、別冊のほうもすこしずつさかのぼりながら読んでるところだったり。今回読んだのはこれ。

進化と絶滅 | 日経サイエンス
https://www.nikkei-science.com/sci_book/bessatu/51235.html
生命進化史上の大絶滅の話は気候変動とも関連する話でとても興味の持てる話でした。現在の状況との相関は憂慮したくなるところ。読んでいるうちに「人新世」という言葉が圧力をともなって迫ってくるように感じられるますね。

おっと思ったのは、プルームの冬という事象の説明。言葉を最初に知ったのは小説『華竜の宮』でしたけど、話の先の展開を知りたい気持ちを優先しすぎてプレートの運動と気候の変動が連関する理屈を理解しきれないまま読み終えてしまったんですよね。そんなプルームの冬概念でしたが、今回、図つきでしっかり説明されることでようやく理解できた感があります。してみると、この地球の姿ってものすごくダイナミックに変動しつづけてるんですね。超大陸パンゲアの話もありましたけど、もしも突然、原始の地球にやってきたら、それが本当に現在につながる地球の姿であると信じられるようになるまでには時間を要するのかもしれない。

「カメの絶滅はスローに見える」記事は読んでいると、自分の身近なところにいる動物や植物、虫などの生物にもう少しだけでも注意をはらってみるのも大切かもしれないと思わされる。

「覇者への意外な道」記事は、恐竜が地球の支配者として君臨するようになるまでにはいくつかの偶然を要したのであり、登場した時点では限られた地域でライバルたちの陰に隠れながら生きていたらしいという説が、これまで持っていた恐竜のイメージとはかなり違っていて面白かったですね。進化論の話でもあったけど、生命の進化において偶然がもたらす影響の大きさにはなにやら感嘆を覚えさせられるものがあります。

「都市が変える生物進化」記事は、都市がひとつの環境とし生物種の適応が行われているという話が興味深かった。国際化の進展が都市の均一化をもたらして、それが都市という均一な環境を世界中に生み出しているという話ともども。COVID-19の影響でこの傾向がどうなるかという点とあわせて、心にとめておきたい話ではありました。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 12:55| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月10日

『リボーンの棋士(6)』

新刊がなかなか本屋で見かけられなかったり、あったとしても買ってないことを忘れてたりで、前の巻を読んでからすこし間があいてしまった。

今回は師弟対決のつづきから。めちゃくちゃ熱かった。再起を期す弟子、衰えてきた師匠。どうなってしまうのかとやきもきさせられる前の巻ではあったけど、全然そんな心配は無用だった。師弟を超えて勝負師としての意地をむき出しにしてぶつかり合い、一個の棋士として優れた手を競い合うふたりの戦いは最後までめちゃくちゃに熱かった。そしてそれを観戦する側にまで驚嘆や嫉妬の感情を催させるんだから、ものすごい感慨に包まれてしまわずにはいられない。ものすっごくおもしろかった。マジでもっともっといろんな人に読んでもらいたいシリーズ。めっちゃオススメ。

くわえてその後の土屋がまた……笑。土屋、これまでもプライドの高さに足を引っ張られてきたけど、今回はまた特大なやらかしをしてしまった感。いや実際気持ちはわかるし、相手に悪意があったのは確かだから同情はできるんだけど、でもそのプライドの高さはまだ分不相応だったと思うんだよなあ。とはいえそれでもっともっと強くなりたいという気持ちを読者に刻みこんでくれるのが土屋であるし、事情がわかるから同情できるだけに心の底からもっと強くなってほしいと応援せずにはいられないのが土屋なんだよなあ。隙は大きいんだけどそこがまた人間的というか。このマンガの主人公は安住だし、一番に期待してしまうのも安住なんだけど、それとはまた別に一番に応援したくなるのはやっぱり土屋なんだよなあという。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 13:31| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!(1)』

八十亀ちゃんを読んでてローカルネタの話はおもしろいなーと思っていたところに、同じ愛知県内のローカルネタを扱った作品として登場してきて気になってた作品。ちょうど八十亀ちゃんのほうでも、最新刊では三河のキャラが本編に登場するかもとか前の巻の予告的な感じでついてたので、その予習にもなればというつもりで読んでみたのであった。ちなみに八十亀ちゃんの最新刊はまだ読めてない。

それはともかく、名古屋生まれ名古屋育ちの人間としては、結構違う東三河の市民性にへーほーいいながら楽しめる話であり、でもところどころではこちらと通じるローカルネタもあるからまるきり異郷とも感じない、不思議な距離感親近感を感じる町の話であった(例をあげると、自分の周りは放課も放課後もどっちも通じるし実際使う)。トヨタの経済圏が一部尾張地方にまで及んできてる部分があるから、西三河ならわりと近いイメージはあるんだけど、東三河は岐阜とか三重とか並みに遠いところなイメージがある。

豊橋に行ったのは一回だけだけど、一番印象に残ってるのは駅を出た途端にただよってきた味噌の香りだったりする。さすが三河は味噌の国とちょっと感動した思い出。なので津辺先生の出てくる話が一番おもしろく感じたところではあったかも。

「愛知の第2都市はどこだ問題」は、名古屋の人間からすればまじでどうでもよかったりする。一番は名古屋だしなーという。でもどちらかというと岡崎なイメージはあるかもしれない。なんでだろう、徳川家康ー岡崎城のラインからくるイメージだろうか? あらためて考えてみるとイメージの由来はちょっと気になるところではある。
posted by 青山尚之(あおやまたかゆき) at 12:26| Comment(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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